2017年6月10日土曜日

「戦闘」をめぐって(6)

須藤(JFAユース育成ダイレクター) ヨーロッパの子どもたちはサッカーをよく理解しているという話を聞きます。それはなぜか。毎週レベルの高いゲームを見ているからだと言われています。しかし、私がFCバルセロナ(スペイン)の育成指導者にその話をしたところ、「それは違う」と言われました。確かに試合をよく見ていることはありますが、一番は「6歳から7歳で、すでにサッカーのリーグ戦をやっていることである」と言っていました。彼らは幼い頃からリーグ戦を毎週戦う中で、誰にパスを出したら点数がとれるのか、またはその逆の状況を把握し、どうやって勝つのかを考えているのです。…(略)…「小さい頃からリーグ戦を通じて子どもたちなりに勝ち方を考えていることが大きいのである」と言っていました。
山口(JFA指導者養成ダイレクター) 日本ではリーグ戦文化が産声を上げたばかりです。Jリーグは25年ですが、育成年代のリーグ戦は始まったばかりで、さまざまな課題があります。今後も皆で知恵を出し、リーグ戦を定着させることが重要になってきますね。」(『JFA TECHNICAL NEWS』「育成年代指導者 座談会」)

私も指導に関わる少年サッカーチームの子どもたちが、池上正氏の新作に伴うモデル・キッズに起用された。これまでの運動部・暴力的な指導や、大人の過剰な干渉を戒める言説を流布させてきた池上氏だが、今回の新作を立ち読みしてみると、結局は、自分の啓蒙思想は普及しなかったと認識しているようだ。サッカー界における氏の言動は、どこか日本教育界での日教組の機能に似ている。いまや現実政治への実践的な影響力は崩壊させられたが、その思想の本質的な部分は、無視はできない「ゆとり教育」として体制側にもとり込まれている。が、その愚直な実践では子どもたちの成績を世界上位まではあげられないと、あくまで建前的な保持としてその思想は掲げられる形で引っ込められてしまって、実際上は、官民が一体となって点数向上の手練手管を模索している、と。で、結果が思うようにいかなければどうなるのか? 森友学園で見られてしまったように、集団的なメンタル強化=洗脳という手段になるのだろうか?

しかし、今月あった息子の公立中学校の運動会の模様を改めて聞くに、もはや森友学園など必要もなく、洗脳教育制度ができているのではないか、という気がしてくる。去年、組体操が世間的に問題になったので、今年は集団行動だという。みんなして一斉にあちこち歩いてぶつからない、というやつだ。その発想の変わりなさに、唖然とする。人と一緒にいる感覚を小学生年代にまで味あわせる必要を私はおもうけれど、もう中学生になったのなら、大人へ向けて、自立できるよう後押ししてやる、という方向性を強くしなければならないのではないだろうか? 社会(世界)とは、集団というよりは、集合だ。それは、個人やグループとの連結の集まりであって、一体を期待できるようなものではない。一体とはなり得ないもの、個人、グループとでも、無関係な関係として、どこかで繋がっている、ので、やっていかなくてはならない、戦争よりは平和的に渡り合っていくメンタルやノウハウを身に付けさせなくてはならないのではないか? そこでのふんばりが、ホームが心にあるかないか、が大切になってくるけれども、それは幼年期、遅くとも小学生までにしか根づけえない。家庭の事情などで不安を根底に抱えてしまった人はもう取り返しがつかない。それを偽善で解消(一体化)させてみても、無理なのだから、その人格を認めて、そこから新たに作っていくしかない。

ふがいない練習試合の結果をメンタル問題としてあげつらわれたからか、もうキーパーは嫌だと3年の先輩たちと部活ボイコットした息子は、その3年生最後の地区予選大会、新入生にポジション奪われてずっとベンチにいた。私でも、息子の一希の扱いには手こずったが、この控え選手というより補欠選手のような干し方に、やめていった一希の友達もいる。誰が出場しても勝敗の行方は変わらないような有様なのだから、3年間やってサッカーの知識が増えた、小学生よりもっと余分にやってよかった、と思うようになってほしい。が、都心部の公立校の部活など、少子化で一昔前の運動部の根性考えなど機能しないことが明白なのに、どうもあの時が懐かしいのだろう。ゆえに、すぐには転向できないのだろう。私立のクラブチームのほとんどは、昔の運動部精神がそのまま移行したみたいに、子どもたちをふるいにかけていくようだ。24時間戦える日本企業として、新入社員をたくさんとってたくさんやめさせていく生き残りエリート競争のように。そうやってなお過労死者がで、活発だった子が中学にあがったとたん登校拒否をおこしたりする。先生に刃向かう校内暴力はどこかにいったが、いじめはいっそう深刻度を増しているようにみえる。

こんな状態では、まだ日教組の方がマシだろう。池上氏の教条主義の方がマシだろう。開き直りの保守主義より、リベラルの方がマシだろう。マシだけれども、問題はそんな対立軸にあるのではない。

*関連:「中学部活動問題の中身


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