2017年6月13日火曜日

夢のつづき(3)――河瀨直美「光」を観る

「 夢の中で見た真昼の光の残像を、真っ暗闇の中で目をさました熊谷は見たというのである。この残像は光学的なものでも生理的なものでもない、熊谷が見出しているのは、われわれの脳が直に把握しているところの知的構成物としての光である。」(岡崎乾二郎著「抽象の力」

雨の音で目が覚めたのだろう、見ていた夢は記憶にも消えて、少しだけ開けたドアを通して響いてくる欅や桜の葉にあたって反響する雨音は、もはや夢の作用でその文字通りな意味を変えて、他の音響へと転移していく籠ったリアルさを窺わせはしなかった。むしろ私は、目をつむったままで、この現実への意識を研ぎ澄まさせていった。4時前には鳴く向い側向こうの家の一番どりの鶏の声も起きていないようだから、まだ真夜中に近い時刻なのかもしれない。だいぶ土砂降りだ。今日はもう仕事をせずともいいだろう。その判断は、私にある、その期待に、もう一度眠るよりも目覚めることへと気持ちが急いていて、だから、もはや雨音が夢に転換されることを防いだのだ。私は頭の中で、今日やることを考えている。いつも通り6時過ぎにおきてコーヒーを沸かしトーストを焼き、朝刊を読み始めながら、7時に職人さんに仕事中止の携帯をいれ、7時30分まえに、元請けの社長息子にもその意向を伝え、それから、予約本が届いたと図書館からメールがあったけど、まずは区民健診を終わらせておこう、そのために8時半には家を出るのだから、そのついでに、カンヌでも何やら賞をとった「」を観に行こう、女房を誘った方がいいだろうか? 前作「殯の森」を一人でみにいったときは、あとから「何をみにいったの」と問いつめられるように質問されて監督の名を教えたけれど知らなくて……と意識がぐるぐると続いているうちに目覚ましが鳴り、寝床で考えていたように行動を始めたのだった。ただ、予定とはちょっと違っていた。朝の7時前頃に、雨がやんでしまっていたのだ。私は仕事にいくつもりはないし、あれだけ降ったのだから、職人さんには連絡をいれなくともわかるだろう。NHKのデータ放送でも、今日は雨傘続きのマークがお昼過ぎの時間帯までつづいている、親方は元請けの仕事など半端でいいという方針だから、むしろこんな雨模様で会社に顔をだしたら不機嫌になるだろう、が7時も10分もすぎると明るくなってきたので、職人さんには電話しとくかとかけてみると、息切れとともに、「おはようございます」と声が聞こえてくる。70歳に近くなる職人さんは、起伏に富む目白台近辺の坂を自転車でこいでのぼれない。いつもどおりアパートを出て、職場にむかって、会社の事務所というか親方の家の電気もついていず、私がいないのを見届けてから、またひとり坂を反対に上り下りしていくのだ。やっぱりそういう行動にでるのかもしれないな、と私は予想もしていた。元請けから何日までに公園の手入れを終わらせてほしいという話も昨日の作業中に聞かされているから、なおさらその通りな機械的な行動にでるのだ。そして考えの違う親方の顔に出会って、右往左往する。今は私が指揮をとっているので、私の顔色をうかがう。が、どちらにせよ、相手との駆け引き、暗黙な取引で判断をこちらはしていくのだから、結局は職人さんには読めてこない。元請けにしろ親方にしろ、都合のいい話に振り回されていたら、こちらの身が持たない仕事である。そうやって、職人さんも私も、木から落ちて死に損なってきたではないか? ハア、ハア、と息を切らす声を尻目に私は電話を切った。

そうして、映画をみてきた。女房は、両親の様子を実家と施設にみにいった。

別段泣ける映画ではないのに、3.11以降、涙もろくなって、思考回路の身体性が破壊されていると感じる。

私は色々考えた。1週間ほど前、冒頭引用した岡崎乾二郎氏の「抽象の力」という、豊田市美術館での常設特別展での論考を読んで、唯物論と神秘思想の繫がりが、理論的にも美術・思想史的にもあとづけられうることを知った。それは、柄谷行人氏の思考と中沢新一氏の思考とが相反しているのに似ているのは何故だろうというこのブログでも表明してきた私の疑問にも答えてくれ、また、「夢のつづき」で触れた私の夢分析の在り処をより明解にしてくれた。冒頭引用の絵描き黒田氏の日記の言葉などは、まさに私の注目したところそのものだろう。というか、すでにその問題群が問題であることを意識させてくれたのがそもそも岡崎氏だったので、当たり前なのだが。私の「サッカーIQテスト10問」も、その影響である。たとえば、以下の「抽象の力」の引用での道具を、サッカーボールへと考えてみればいいのである。

<いっさい馬のかたちと類似性を持っていない、ただの棒がこどもたちにとって馬なのは、それに実際にまたがって走ることができるからなのであり、馬とはこどもたちと事物の関係、またがって遊ぶ行為そのものを呼ぶのだ。事物の認識はこの関係によってこそ行われるのであって、実は見かけ上の類似性などは意味をもたないのである。抽象とは外観に現れたかたちの抽出ではなく、この具体性にもとづいた認識であり、判断である。

 一言でいえば、それは身体行為に組み込まれる道具のようなものだ。いや道具こそが身体行為を規定し、道具に沿って(効率よく)身体が動くことを導きもする(それは道具たとえば金槌が他の道具たとえば釘や木材などと関係し合うことと違わない、人間もまた同等の道具=事物として、その関連に関わる)。

 むしろ身体の諸性質は道具との触発によってはじめて生起させられるのだから、道具の中に身体が潜在しているとさえいえるだろう。道具を持てば誰の身体であれ同じように行為する。身体は道具によってはじめて具体化される潜在性である。>

そういう思考過程を持ったまま、私は河瀬氏の「光」をみたわけだ。映画中、音声ガイドによってだけ映画を観ようとする盲人や弱視者のためのそのガイド制作協力者のひとりは、自分たちは映画を超えた想像の世界に入って触れていくのだ、とその体験を告白している。視覚を超えた世界、そのリアルさ。むろんタイトルの「光」もまた、視覚を超えた輝きのことである。

そしてこの輝きが、老人(の痴呆)と、関係している。前作「殯の森」でのテーマが、「光」に連結されている。ガイド制作に携わる若い女性の「悪意」は、認知症の母と弱視になったカメラマンに媒介されるように、溶解されていく。夕日に、溶け込んでゆく。風の音(私は、この映画作者の木々に吹く風の音が好きで、その音を聞きに「光」を観に行ったようなものだ)。

見た帰り、新宿の紀伊國屋に立ち寄って、副島隆彦氏の「老人一年生」(幻冬舎新書)と、佐藤優氏の「悪の正体」(朝日新書)を買う。中学二年生になった息子には、影がでてきた。思春期特有な一般的なそれを超えて、単独的な暗い恐るべきものを私は感じ取りはじめている。そして昨日50歳になった私は、子どもが幼年期の頃のおぞましさと変わって、子どもとの関係に諦めの内での恐ろしさみたいなものを感じはじめている。その静かな怯えの予感は、世の中のことを曲がりなりにもわかった気にさせていたこちらの理解を、転倒させていかせるようなものだ。その感覚が、この新書2つを買うことに私をさせていた。おそらく、死と親しみはじめようとしている今、むしろわからないという真相に触れてきている、という感じだ。この感じを確認するために、まるで生きてき、これから生きていくような。わからない、それで死ぬのだ。……

帰り道、外では、雨が降っていた。折りたたみ傘をカバンからだして、さして歩く。事実どおり、今日は雨で中止になったから、私の「悪意」は、死を覚悟できているかもしれぬ職人さんへの口実となるだろう。しかし、もはや私自身が、それが通用する若い世界から足を踏み出して、それが溶解していく静かな音に満ちた別の世界へと入っていきはじめていることに、気づかざるを得ないのだ。そして私は、今記述してきたいくつかの要素たちが、どう「光」の世界で連関されているのかを知らない。父がどう記憶をとどめ、母がどうその忘却を愛し、子どもたちを見送ろうとしているのかを知らない。わからない、のはいい。しかし、知ってどうする?

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