2019年2月6日水曜日

江戸の明るさ/暗さーー(3)


「この空のようなあっけらかんとした絶望感が、江戸市民の心の大半を占めていたのではないか……。明るい絶望感というとちょっとおかしいかもしれないのですが、絶望に近いほど明るい、そういった湿り気のなさ、その感覚に、東京人である私たちが共感を覚えた時、東京もまた江戸へとたどりつく事になるだろうと思っています。」(『江戸へようこそ』杉浦日向子著 筑摩書房)

「江戸時代に関するイメージは、ひと昔前まで、一口で言えば暗いものだった。いわく搾取と貧困、鎖国、義理人情、そういった言葉がこの時代を表す常套句であった。…(略)…他方で、現在の江戸時代に対する世論は、大きく変わった。一種の「江戸ブーム」とも言える風潮の中で、賛美に近い評価さえ出てきている。…(略)…「江戸暗黒説」から「江戸礼賛説」へという江戸時代像の変容には、この三十数年間に生じた内外の社会的変動も関係しているのだろう。七○年代末の社会主義国家中国における改革開放政策の開始、八○年代の日本の高度経済成長とバブル崩壊、八九年のベルリンの壁崩壊とそれに続くソ連邦解体は誰もが予想しなかった大きな出来事だった。こういった過程のなかで、江戸時代暗黒説は次第に影を薄くしていったのである。」(『歴代のなかの江戸時代』速水融著 藤原書房)

「いま日本の論壇は、一種の「江戸時代ブーム」が真っ盛りです。江戸時代というのは、少なくとも初めと終わりを除けば、何かとても幸せで、平和で、日本古来の文化にあらゆる層が浸ることができた時代であった、と。とくに文化史では、そうした面が強調されがちです。しかし、歴史人口学の立場から言えば、江戸時代がそう語られるほど幸せな時代だったとは決して言えません。…(略)…例えば平均寿命。諏訪地方の例で言えば、十七世紀前半で平均三十歳未満です。それが幕末になると、おおよそ三十歳代後半ぐらいまで伸びる。明治期になると、四十歳前半というところです。実際は、もっと長く生きた人もたくさんいたわけですが、平均寿命がこうした値になるのは、疫病などで働き盛りの二十代、三十代の死亡が多かった一方で、一歳、二歳といった乳幼児の死亡がとくに多かったからですね。」(同上)

「そのとき彼らは異人たちと初めて出会ったかに感じた。もちろん長崎出島にはオランダ人が居て、時折は江戸へ出かけて来た。だが、彼らと接したのはほんの一部の日本人で、オランダ人は目を楽しませ珍しい話を伝えてくれる、珍奇な風物詩にすぎなかった。しかし、いま押し寄せて来るヨーロッパ人はほとんど津波と言ってよかった。彼らはこの異人たちと、ニ○○年の昔繁々と交わっていたことを、すっかり忘却していたのだ。
 彼らがヨーロッパと初めてコンタクトしたと感じたのは、ヨーロッパがその間変貌していたからでもある。それにはアメリカという出店までできていた。だが事実を言うなら、これはセカンド・コンタクトにすぎなかった。お目通り、すなわちファースト・コンタクトはニ○○余年前にすんでいたのである。それも行きずりに眼が合ったというのではない。一○○年にわたる濃密な交わりがあった。最後には彼らの信じる神をめぐって血が流れた。だがそれ故にこそ、ファースト・コンタクトは忘却された。いや、忘却させられねばならなかった。一○○年にわたる”日本におけるキリシタンの世紀”は、徳川政権の徹底的な記憶抹殺の営為によって忘却された。その徹底ぶりは十八世紀初頭、新井白石がシドッチを訊問した際、キリシタン関係の資料を参照しようとしても、ごく僅かな断片しか入手できなかった一事に示されている。」(『バテレンの世紀』渡辺京二著 新潮社)

「先に述べたように、グローバルな「長期の十六世紀」の後半期の特徴は、リスクに対する態度の変化である。急成長する経済社会の背景に、さまざまな可能性を錯誤するような交通の拡大の時代は終わり、交通の回路の制度化が進んだ。
 これは、一般的にも予測のできる成り行きではある。要するに、試行錯誤がある程度行われた結果、ペイするルートとしないルート、リスクの高いルートと低いルートなどの分布状況が結晶化されてきたわけである。すると当然、ペイしないルートやリスクの高すぎるルートは放棄される。また放棄されずに維持されたルート間でも序列化が進む。そしてその結果として一定に達した交通の回路が権力の管理下に回収される。「長期の十六世紀」の前半期の交通の拡大が、基本的に開拓であり、実験であり、またそういった意味で自由であったのに対して、後半期の交通の拡大は、基本的に選別であり、制度化であり、またそれを通じての権力による増収圧力の強化である。…(略)…そしてこのような管理の強化は、ひとつの重大な帰結をもたらした。それは、地域的な求心性の形成と名指すことができる。交通の管理化によって、空間的想像力の固定化が生じ、地域的な規模での中心に投影された普遍性を分有する範囲で「世界」が完結してしまったのである。」(『世界システム論で読む日本』山下範久著 講談社)

0 件のコメント: