十一月二十七日の記者会見とは、正田美智子嬢が皇太子の人柄について、「御誠実で、御清潔で……」と答えた、その日の「典型的な優等生」ぶりのことである。ここでは調査対象外の大人の「声」まで勝手に援用していて、ルポでもリサーチでもなくなり、評論家が顔を出している。この原稿を書いている時には、まさか自分の従妹の長女が次代の皇太子妃に選ばれるとは想像だにしていなかっただろう。小和田雅子も徳仁親王もまだ生まれてないから当たり前だ。(平山周吉著『江藤淳は甦える』 新潮社)
確か半年前ほどの毎日新聞の書評欄で、三浦雅士氏が冒頭引用の著作を紹介するに、もし今も江藤淳が生きていたら引用に使うテキストはエマニュエル・トッドになっていただろう、とあったので、もう一度江藤淳の仕事を振り返るに、この評伝はとっかかりやすくしてくれるかも、と読んでみた。私は、三浦氏が言うように、心理学的、社会学的なエリクソンから、統計学なトッドへと江藤の下地になる思考素材が移行するようにはおもえなかった。が、他にもいくつか探っておきたい視点があったので、それを記しながら、少し自身の思考過程を整理しておこうとおもった。
・ひと月まえぐらいの副島隆彦氏のwebサイトで、副島氏が、妻のあとを追うように自殺したとされる江藤淳氏の最期の現場を知っている出版関係者の間では、ベッドの上での暗殺かもしれないとささやかれている、と暗示させるような一文を記していた。アメリカでの公開文献を掘り出して日本への検閲問題を探っていたのだろうから、そんなことがありうるのか、とおもったが、この評伝では、江藤夫婦が実際に用心・警戒していたことが記されている。風呂に水を張って手首を切る、というくらいの現場記述しかないが、お湯ではなく水なのは、夏の夕刻ならありうるのか? と少なからず疑問はでる。突発的だったのなら、わざわざ風呂をたくのか、裸だったのかどうか、は知らない。
・個人的なことで、私の母方の親戚には、日露戦争に参加し、海軍中将にまで出世した斎藤七五郎という人がいる。江藤淳氏の祖父も海軍中将だったというから、重なり合うところもあったのだろうかとの興味だ。この評伝からは不明だが、スマホでついでに調べると、1902年明治35年5月10日に、一緒に明治三十三年従軍記章というのを天皇からもらっている。江藤の方が5歳年上で、海軍大学校甲種の一期首席卒業、斎藤の方は、同じく甲種の四期首席卒業だそうだ。しかし私がついでに調べてびっくりしたのは、この海軍の斎藤氏、海軍から派遣されたロンドンで、南方熊楠に大英博物館を案内してもらって知人となり、のちに、わざわざ和歌山の田辺まで訪ねている、ということだ。また、この評伝ではそこまで言及されていなかったが、江藤淳の父の弟が、水俣病を起こしたチッソの社長や会長をやった経歴があるということを知った。評伝では、興銀に勤務というようなことしか書かれていなかった。私は女房に知ってたか、と聞くと、なんとなくきいていた、という。小和田雅子嬢が皇太子妃の候補とされていたとき、親戚にチッソの社長がいるということで騒がれたのだそうである。つまり、私の方でも、女房の方でも、江藤家の部下の親戚がいた、ということになる。
・私が、学生の頃いらい読んではいない江藤淳の作品群に、再度興味を持ちはじめたのは、トッドと柄谷の交差点、民主主義(ローカル)と普遍(帝国)の原理の現在と将来的状況を見極めたいから、という視点からだ。より文学に引き寄せていえば、それは江藤淳が、大江健三郎に対し、日本ではなくノーベル賞を向いた文章を書きはじめたことへの批判の再考、ということになる。この江藤の批判は、村上春樹までは、妥当な有効射程に入りそうだが、では、今回のノーベル賞候補になっているのではないかと言われた多和田葉子には当てはまるのか、と問えば、もう無理な批判ではないか、と私は感想する。しかしなぜ、無理、無効になるのか? この問いは、蓮見・渡辺的な、文学オタク的な読解視点からは解明されない、というより、捨象されてしまうだろう。それは、オタクが、現実的な葛藤をカッコに入れることで成立する、純粋世俗だからだ(渡辺直己は、それを「不純な力」と呼ぶ――「話芸と書法」から)。が、文学を生きる、のではなく、文学が生きる、とするのが私の立場であろうとき、世俗(話芸)と文学(書法)は峻別できない。かつて、私小説作家は、それを書く知人の嘘(文体)に敏感だった。江藤淳も、この敏感さの系譜にあると言っていい。が、その文学外の感受性は、文学の、文字の世界に触れることで磨かれる。その批評的視点は、どこで確保され、理論化され、立場を明確(担保)化してきたのだろう? テクスト論以前の主題論的読解は、その担保を問わない独我論(小林秀雄的)だった。が、作品に埋没していくオタク読解は、そういう風に文学が好きなのではない者にとって、空々しい。江藤淳は、自分の感性を、上野千鶴子に評価される心理・社会学的視点だけでなく、いちおう、言文一致につらなるエクリチュールのレベルでも考察しようとした。もう一度そこらへんを突き詰めて意識化してみることで、ローカル(俗語)と普遍(文学)とのあり様と、そこに関わる私(たち)の態度如何が、より見えてくるのではないか?
先々週、村上春樹を翻訳しているデンマークの女性を撮ったドキュメンタリー映画をみた。なぜ世界の広範囲で村上が受け入れられているのか私には謎なので、少しは解明のヒントがあるか、と見に行ったのだ。で、見る以前の推定通りなことが提示されているので唖然としたが、要は、世界の帝国化の背後で、世界のオタク化もが同時進行なのだろう。なぜ私が村上を受け入れられないのか、も映画を見てはっきりしたので、次のブログで書き留めておこう。
・江藤淳が、ミッチーブームを、冒頭引用のようにとらえている、そういう受け止め方がかつてあり、今のマスコミからは完全に消え失せているのを知るのは驚きだ。今は、退位した平成天皇とともに、美智子氏は尊敬すべき人物として崇拝一辺倒な印象なのだから。しかし図式的な延長で考えていけば、もう上流などなく、中流もなくなりはじめて、そのミッチーブームを支えた中流の下しかいないような民衆状況になったのだから、当たり前か。そうした中流から脱落し始めた人々が、五か国語をあやつる現天皇夫妻を羨望をもって見守っているのかもしれない。逆に、語学も優等生的でなく、軽薄な男につかまる娘がおり、息子も情緒不安定と報道される庶民に近い弟家庭は、見たくないのか評判が悪くなっている。けれでも、次は、男系にこだわるなら、より庶民像に近い彼らが、天皇になっていく、のだろう? そのうち、ツイッターやインスタグラムをする王子やお姫様もあらわれるかもしれない。へそ出しダンスより過激な写真が流布されて。私は、そうなるべきだとおもい、そう皇室を擁護・保持したほうがいいとおもっているが(「人間宣言」の徹底――私の見立てでは、弟が悪役をかって、家族の思いを忖度して言動している…)、本当は、そうなるまえに、憲法から天皇をはずしておいたほうがいいのに、と考えている。そうなってしまったとき、それが国民の象徴です、なんてあったら、私たちが恥さらしみたいではないか? が、落ちぶれていく一億総中流は、自身を慰めてくれるブランドが必要なのだろう。その価値が列記として下がってからでないと、気づけないのだろう。そしてその「気づけ」には、二通りある。そこには世界の価値(ブランド)などなかった、ということと、しかしそれでも、大切なものだった、ということだ。しかしそのとき、消費者でしかなくなった国民は、もう要らない、と捨ててしまう可能性もあるのだろうか?
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