2022年2月28日月曜日

「春になったら」

 


とりあえず、かつてホームページ上で掲載していた映画感想を添付。

 

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「春になったら」は18歳のチェチェン青年ティムール・オズダミールさんが、99年にはじまった第二次チェチェン戦争を目撃した子供たちの描いた絵をもとにアニメ化した03年の作品。「金色の雲は宿った」は、スラム・マミーロフ監督が、1944年のロシア人とチェチェン人との衝突を、その地コーカサスへと移住しにきたモスクワからの孤児の視点を中心にして描いた89年の作品である。

 

「ディアスポラ特集 ~故郷を追われた人々~」として近所の映画館で組まれたこの上映会とトークショーにいってみようと思ったのは、まずは「チェチェン」という地で何が起きているか知らないからである。ソ連邦崩壊後、91年にかの地が独立を宣言し、94年に第一次の戦争が勃発する。「金色の雲は」は、それ以前からの歴史的軋轢の重層において紛争がつづいてきたことを教えている。しかし、そうした教養的理解とは、なんなのだろうか? ……女・子供もふくめてみんなが庭に引き出され、銃をこめかみにつけられて銃殺された、そのあとで生きているものがいないよう機関銃で一掃された、カラスが群がるなか、埋葬しようと母親から赤ん坊を引き離そうとしてもその手がほどけなかった──とは、ティムールさん本人を交えたトークショーで、彼の母親と当地近辺へと旅する企画を実行した作家の姜信子氏がその生き残りの祖母から聞いたという話である。「きれいな戦争」とかいわれた湾岸戦争は91年の事である。アメリカのパイロットは、朝家族と朝食をとったあとで、いってきますと戦争にでかけ、ピンポイント攻撃と称する爆弾を落として帰宅し、夕食の団欒を家族と楽しむのだ。ティムールさんの母親ザイールさんは、アゼルバイジャンに逃げてきた難民の子供の証言を集めたビデオ記録を撮っているが(「子どもの物語にあらず」)、その中のほんの5歳くらいの子供たちは、戦争とは人を殺し泥棒することだ、と言う。このほぼ同じ時期に起きている「きれい」と「きたない」の落差はなんだろうか? いや、テクノロジーの美名に遅れて、「きたない」戦争の有様がようやくメディアにのってきた、という感じだ。最近では、スーダンでの虐殺がクローズアップされている。私は、その地で起きていることも知らない。メディアではよく、その紛争の背後にある歴史的・文化的な理解を求めることが宣伝されるけれど。

 

トークショーでは、姜氏との企画に同行した映像作家の岡田一男氏が、こう発言していた。チェチェンには、「アダート」と呼ばれる不文律な慣習法があるが、そこでは連帯責任と客への歓待の掟のようなものがある。それ自体が、つまり不文律な文化自体が破壊されてしまっていることが、最近の小学校占拠爆破事件などにいってしまっているのではないか(チェチェンの知り合いでは誰もあの事件を肯ってはいない――)と。ここで把握される「文化」と、メディアが教養理解を求める「文化」とは、正反対なようである。岡田氏がチェチェンで感じた文化には、そもそも他者を客として受け入れるということがもともと折り返されているからである。ならば、戦争が起こるのは文化の違いがあるからだ、という論理は前提的におかしいことになるだろう。

 

密入国した中国人の捜索のため、和歌山県などではいわば山狩りがおこなわれた。が、その地の住民たちは、借金までして日本にきてこんな目にあうとは可愛そうだと、おにぎりを作って訪れるのを待っていたりしたそうだ。あるいは、ティムールさんにしても、新潟県の心ある人たちによって、そこのコンピューターの専門学校に通って今回の映画を作り上映するにいたっているのである。文化の活動とは、本来的にこうした他者との関わりの在り方を内包しているものだろう。そこでは、すでに戦争で何人も人が殺されてきたという、汚い現実が折り返され、それに対処する術が蓄積されてきているのである。ロシア人から親兄弟・親類を殺された子供たちの多くは復讐を語らない、そのうちのひとりの女の子の意見はこうである。大統領を山に閉じ込めて、いつまでも泣いていてもらう、それだけで十分だ。だって、兵士たちは、大統領の子供たちでしょ? 戦争を生き延びてきた子供たちは、すでにして文化的な存在者なのである。

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