2023年12月12日火曜日

四十九日


妻の四十九日を迎え、祭壇から仏壇に切り替える。

 

といっても、ここでいう「仏」とは、仏教のそれというよりは、より一般的な、亡くなったもののことを指す意味になるのだろう。四十九日といっても、その仏教的な物語を信じられるわけでもない。が、メンタルや身体生理が落ち着いてくるのに、ちょうどそれくらいの期間がかかる、と自然的な推移と重ね合わせられるような気もする。

 

葬儀までの五日間は、夜寝入るのが怖くなるのか、意識を失うと、そのまま狂気の世界へ落ち込んでしまうような切迫感に、ほぼまったく眠れなかった。が葬儀を終えて、とりあえず、眠れるようになったのも、儀式と生理になんらかの重なりがあるからなのか。

 

ただ眠れても、それがやけに深く、夢は見ているようなのだが、はっと起きると、何も思いだせない。それが四十九日が近づくにつれ、夢の内容はこれまでにない、たぶん父や母といった家族のでてくるものが多く、目が覚めても、覚める直前くらいまでのイメージは脳裏に残っている。そして四十九日を迎えた最近は、以前の、不可思議な、精神分析の対象になるような奇妙なストーリーをもった夢に落ち着いてきて、起床後も、そのおおまかなストーリーを辿っていくことができるようになるのだった。いや、以前以上に、奇妙奇天烈で複雑なストーリに変貌している。

 

仏壇は、妻がどこかからもらってきた木製の椅子に、妻の妹のトルコからのお土産であった布を使った。スマホの検索によると、個々人の創意工夫で設けられる、「簡易仏壇」と呼称される形式が、一定の流行りをみせているようである。私も、その流れの中にいるということなのであろう。

 

世界宗教にもなるビッグネームな宗教が世界を騒がせているいま、大きな宗教物語を信じるわけにもいかない名もなき人たちが、小さな祭壇を設けて、死者とともに過ごす様式を、暗中模索的に探しているのだとおもわれる。

 

この遺った骨を、どうするのか? 残され者たちの心との間で、そのモノとどのように折り合いをつけて未来へと向かうのか、子供たちら次の世代を含めて、暗闇の中での手探りな模索がはじまっているのだろう。

 

小さき者たちの小さき社は、普遍的な意味をもって成長していくことができるだろうか?

 

妻の遺影をみると、身に迫る感情がなお高ぶってきてしまうので、閉じることにした。その妻の脳出血の原因は、不明であって、診療予約の日取りを使って、新宿女子医大の担当医のところへ聞きにいったりもした。八月に感染した菌が脳内に入って悪さをしたということはないのか、脳腫瘍ということはないのか、と問いただしたが、ストーリとしてはありうるが確率はひくい、という話だった。

 

妻の妹が、最近の医学論文を探し出してきた。コロナを含めた感染症と脳との関連を示唆する論文が、提出されているそうである。

 感染症と脳血管障害:感染性心内膜炎と 新型コロナウイルス感染症 - J-Stage https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnd/27/1/27_75/_pdf

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