2025年12月7日日曜日

町の文化祭

 


2年に一度の、住んでいる町内会の文化祭に、今回は、妻の遺品で出てきたスクラップブックと、その妻を歌った私の『千葉集』という短歌集を展示した。(前回初展示作品は、「庭と戦争」と題した解説と、私の庭論冊子だった。)

妻のものは、おそらく東京は中野区の団地に住んでいるとき、やはり地域のこうした展示会があって、それに出品したものなのだろう。東電原発事故の記事を集めたものに、自身の衝動から共感したアーティストの言葉の抜き書きや、ダンサー黒沢美香のパンフの端切れなどを張り付けてある。(ちなみにいく子が社会運動NAMでとっていた関心系は、環境と理論であって、芸術系はない。)

 

しかし、この千葉市にある町の文化祭も、今年が最後か、中止の段取り一環としてのものになるのだろう。これまでは土日の2日間だったが、日曜日だけの開催となった。会場作りなどの理事が若返り、となると、共働きで、今の働き方は随時合理性になっているから定期の週休二日となっているわけでもないらしいので、そんな暇はない。また、若手で趣味的な絵や手芸などを創作している人もほとんどおらず、万年作品を展示することに意義などないだろうと、若い理事、女性が中心となって年寄体制を突き上げているからである。

 

が、私はこの町内会から派遣され、市直轄のスポーツなんとかやら委員会は、そうもいかない。オリンピックやらなんやらと、行政利害に関係した国策末端組織だから、圧力も強い。がそうも言ってはいられないので、コロナ以来の開催になるらしい、先週の地区バレーボール大会では、委員に圧力かける役割の振興会の会長をつきあげる。これは伝統ではなく高度成長期の現実政策ですよ。委員だって成り手などボランティアで出てくるわけがない。コロナで中止になった大会というのはコロナのためではなく、それ以前から実質がなくなっていたものがコロナではっきりしたというのが本当だ。もう若い世代はわざわざお膳立てされたちっこい大会などモチベーションが起きないのは目に見えている。千葉市の大会だけで十分で、練習試合みたいなのは自分たちで開催してやっているとさっき聞いたら選手が言っていましたよ。もと役人の委員が動いたから、役所も動かざるを得なくなっただけでしょう。しかも以前は14チームの内の4チームが集まらなかったら中止の前提で、今日も3人来るというはずだったのに一人しか役人は来ていない。若い子育て世代が日曜日つぶしてくるんですからね。運動会だって小学校側の先生たちは手伝いから手を引き始めたでしょう。私の地区で運動会に参加しているのは、医者や税理士の親子で、アパート暮らしの土方親子や母子家庭の子は来てませんからね。誰がこれをやりたいの? ずるずるべったりゆくわけ? 先輩のあとを引き継ぐというならあの元役人の後輩はどこにいるの? 伝統だというなら、その人の息子はなんで引き継いでいない?

 

今日の、各町会長、地区連、校長、などが集まるはずの懇親忘年会でも、私は発言せざるを得なくなるのだろう。

 

しかも、最近の女性総理大臣の存立危機事態発言後である。この働いて働いて働いた仕事の結果として、法形式上の宣戦布告になってしまったという話である(苫米地英人解説)。アメリカの同盟国、オーストラリアやフィリピンや韓国になど中国が侵出するわけはないので、これまでの表向きには中国は関与しなかったが、台湾有事にはそれが成立するのは「どう考えても」そうだというのは、まだ公には国家としても公認されていない台湾を軍事同盟国とみなして、そこが自分たちの国の一部だと前提している中国にとっては、その軍事侵攻では尖閣諸島付近の日本領海を通ることになるので、総理発言は相手より先に宣戦布告の喧嘩を売ったも同然となる、と言うのである。日本がそうすれば、国連憲章の敵国条項を援用して中国は日本を抑える大義も持つ、と。もちろん、日本の首相には、そんな意図はなかっただろう。だからこそ、日本人あるある事態、誰も望んでいないことに、ずるずると入ってしまって、中国どころか、またアメリカを、世界を相手に戦ってしまうこともあるのではないか、と私は危惧してしまうのだ。

 

町内会にあっても、誰かが千葉市に、隣組を作ってお互い励ましあう絆組織を作っていけばいいのではないでしょうか、などとアイデアをだし、それは素晴らしいと採用されて懸賞金付与政策実施となれば、当人たちには無自覚に、戦時中の末端組織体制、陰険な監視社会が成立してしまう。もちろん、誰もそんなことはのぞんでいないのに。が、あるある日本人じゃないか。

 

町内会の展示では、一番この伝統に文句を言って施策方向転回で動いていた女性が、アート経験があったのか、一番の大作を展示していた。妻の妹さんにその作品写真を送ると、三日月に座る、これは「星の王子さま」ではないかしら、と言う。私は、草間彌生の、黄色に黒のかぼちゃを連想していたが、たしかにそうだ。「すずきさん笑って」、と私が王子様になって座る写真を撮るとき言った彼女は、私の歌集を読んでいたのであろう。

 

もちろん私の展示は、自己表現ではなく、ずるずる社会への、認知戦である。



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