母系制を追求した高群逸枝をめぐる論考を中心にした読書が続いているが、疲れてもくるので、息抜きしようと、買い置きしたままだったこの作品を手に取ってみた。たしか夏頃、近場の千葉駅ビルに入っているくまざわ書店をぶらついていたとき、一冊だけこの著作が置いてあって、なんだこれは、と購入しておいたのである。
一読して、びっくりしてしまう。著者は、安倍元総理を殺害した山上徹也の件で明るみに出てきた統一教会信者の二世であるという。山上の母が中途信者としての「人の子」であるなら、自身は集団結婚の祝福を受けた者から生まれた「神の子」であるが、やってしまった山上のことを「兄」として受け止める。そして自分たちが受けた「痛み」を、中上の物語論を読み通すことで、その由来と在り方を解明し、まず苦しみを抑えること、そして「生き血を吸った言葉たち」(宗教的な物語のことであろう)を、「生者」の世界から祓うことを願い意図して書かれたもののようである。
実は、私の父方の従妹が、集団結婚して韓国に暮らしている。群馬は富岡製糸場方面の親戚だが、私が子供のころ、〇〇ちゃんは集団結婚で韓国に行ったんだって、と母から聞いていた。今回の元総理殺害の件のときにも、〇〇ちゃんはどうしてるかねえ、と母がもらしたのを聞いた。私自身は、従姉やこの件をめぐって特別な心情を抱かず、傍観的だけれども、なんで母が関心を維持しているのか、そのことが不思議でいる。
しかしより一般的な問題としては、私も関心は持続してきた。私が早稲田二文の学生だった1990年前後頃は、蓮見重彦の「物語批判序説」をはじめとして、「闘争のエチカ」として、中上を「小説家」として擁護しようとする議論が目立っていた。俺が言ってるのは蓮見の薄っぺらな物語ではなく、「切って血の出る物語だ」、という中上が柄谷行人を前にした発言も記憶に残る。私は中上が羽田で荷物担ぎをしたように佐川急便の夜勤務で外人らと共に荷物をさばき、そして新宿区の職人街にある植木屋に入り土建業の世界で三十年働いた。千葉で独立して一年目、柄谷がはじめたNAMで知り合い結婚した妻が亡くなった。彼女は中上亡きあとの熊野大学の常連で、NAMの創生にもかかわっていた。妻が亡くなるひと月前にやっと中上を通して言語化し問題意識を描写した『中上健次ノート』を電子出版し、妻はそれを入院中に読んだ。亡くなる数年前から書き始めた小説を、妻の一周忌を迎えたあと、『いちにち』として仕上げた。
その作品『いちにち』で、山上事件のことを取り入れている。それは、父殺しという文脈でだった。作品自体は、『カラマーゾフの兄弟』を日本の現実文脈で書きなおすという、高校生の頃からの物語の続編六作目くらいで、長男が父殺しなら、次男が母殺しのテーマをもたされている。
野浪の、中上の小説ではなく、エセーや対談だけを文献素材としたようなこの論考でも、山上事件、あるいは統一教会問題を、「父殺し」の文脈、日本での「父の不在」の問題系で受け止めているようである。
<私の父はまさにそんなありふれた力を物語の緒としつつ、神の積年の恨(ハン)を語りはじめた。すると、三島由紀夫事件の起きた一九七〇年ごろから、物語の呼びかけに呼応する若者たちがあらわれ、人類史の禍根を解くための尖兵へと転身してゆくようになった。それは単に戦後生まれの若者の無知ゆえ、物語への免疫の欠如ゆえのことではない。そうではなく、むしろ戦時中に蔓延した八紘一宇の物語、現人神の物語が、その変異種としての再臨主を到来させる土壌となっていたということ、それが団塊世代のナラティブ・ハビトゥスをひそかに育むものでもあったということなのだろう。私の父はまず、創世記の昔話を梃子にして若者たちの魂に小さな傷穴を穿った。そして、それを時空間を超えるような物語の抜け道とすること、それを一種の代理物(プロキシ)として経由することによって、過ぎてしまったものの痛み、歴史の禍根を、積年の恨みを、冷戦下における今の痛みとして蘇らせることができた。そのような手続きを踏むことで、素のままであれば単なる時代錯誤や歴史修正主義として切り捨てられていたものが戦後生まれの魂にまで触れ、痛みを感染させるようになる。私の父がそのような痛みの感染源となることができたのは、ただ単に半島生まれの彼が被差別を潜りぬけるなかで日本への恨みを募らせてきたからではない。そうではなく、戦後に口を噤んだ昭和天皇に代わり、その沈黙の隙をつくようにして、不可視のものとして蔑ろにされつづけてきた痛みにむきあう意志があったためなのだろう。勝手に戦争を終わったことにしていいはずがない。痛みをなかったことにしていいはずがない。だから、怒りとともに、時代を巻き戻さねばならない。>
「少し長めのエピローグ」として書かれたあとがきの上のような言葉たちは、本文の、中上の「物語」という、エセー等での曖昧な概念変遷をたどって追及していった文章よりも強烈である。本文の構えには、限定がある。――「折口がなにより人間の身体に付着、感染、憑依する霊的、神秘的な存在としてモノ=マナを捉えていたのは確かだが、そのような存在論的なあり方はここでの関心の対象にはならない。」つまり、神(霊)は本当に実在するのか、という問題は問わない。あくまで、記号論的に、言語世界に限定して追及してみること。
本文を読んでいると、背後に、量子力学の考え方を念頭にしているのではないか、という記述や比喩にであう。「音の粒立ち」「音の波動に物語の発生の粒子」……野波の本文での立場は、量子論でいう「観測問題」、人が月を見ていない時は月は存在していないとでもいうのか、というアインシュタインの素朴な疑問を棚上げしたところでの現今の応用科学、情報論と構えが似ているように私には伺える。「神の子」を前提にできるのは、それが言葉として限定されているからだ。エリ、エリ、レバサバクタニ、神よなんで私を見捨てるのか、と十字架上のイエスは、本当に神はいるのか、と疑った。そして、全てをあなたにゆだねる、と息をひきとった。
私は、妻に会いたい。言葉ではなく、本当に会いたい。不思議な現象が時たまあるようだけど、すぐにこの世だけになる。妻が遺した宿題を解くとは、物語を追求発展させることだ。中上の小説を読めば、父不在の葛藤に生きる秋幸ではなく、むしろメインキャラクターが、『地の果て至上の時』で、ジンギスカン妄想を抱く父を端的に殺してみせた鉄男に移っていることにも気づく。そしてそこには、エクリチュール(漢字=中国)の問題系が露岩してき、「宇津保物語」の反復という書記実験に続いてゆく。要は、私には、中上は、野波の言葉を敷衍すれば、「物語」の「敵意」という前期から後期の「畏怖」へ、そして死後を前に、物語に身をゆだねる十字架上のイエスへと転身したようにみえるのだ。ここでの「物語」とは、シュタイナー哲学でいう、「カルマ」と重なるのではないか、と野波の物語論考を読んでいるうちに思えてきた。が野波のスタンスは、『地の果て――』までを評価するような中上論評を受け入れている。私には、それ以後の方に着眼点を見出す。
私が初めてみた妻のダンス公演での芸名は、「Nobody」だった。前作での「やまたいこく」から、ジム・ジャームッシュの映画『デッドマン』に出てくるインディアンの名からとった、と遺品のパンフにはあった。最近そのパンフを見ていて、『デッドマン』を私は見ていないことに気づいた。おととい、帰省してきた息子のアカウントを借りてアマゾンプライムで見てみた。負傷した失業中の白人青年が、植民者を撃ち殺して逃亡してゆくなかで、インディアンに助けられ見守られながら、死を前に、魂の生まれてきた場所へとひとり船に寝かせられ海へと送られる、という話だ。私との出会いで、四十半ばの彼女が、そんな物語を背景にした公演を見せていたことに、今はじめて愕然とする。
私は、妻の遺品を飾った二階の部屋の中央に、少女のシルエットを象った彫刻品を掲げていた。なんでだが、これはそこだろうと飾ったのである。妻の妹さんに、これは何か、と聞いてみたが知らないといい、でもそれアイヌ人じゃないの? と言う。いく子は、アフリカはモロッコに行ったことがあるからその土産かな、と思ってもいたのだが、スマホ検索してみると、北海道のアイヌのお土産品がヒットする。私は、妻の生まれ故郷の水俣の作家石牟礼の島原の乱を素材にした作品の続編として、津島祐子の『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』があるのではないか、とその文庫本を購入したばかりだった。
物語に、神に、身をゆだねろ、本当にそれは実在するのか、とこの世にひきつけられながら。私の今の立場は、そんなところであろう。

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