2011年2月18日金曜日

落下――天罰・守護霊・人


「今、明白な事実として、人類の一回性を例にあげたが、天地創造の世界観にあっては、天地万物、空間から時間にいたるまで、神によってある時創造されある時終る、一回限りの現象として認識されているのであるから、そこでは、人間以外のすべての現象についても法則の存在は不可思議になるはずである。/天地創造の世界観を持つ欧米の学者も法則の追及をしているから、証明とか法則とかいった問題は、人類共通の問題であるようにも思えるが、日本の学界の、法則定立への強い志向、証明ということに対する信頼ないし幻想は、目にみえている範囲のことをきちっと組み立ててゆく森林的思考方法に、よりなじむためであると考える。森林のなかでは時間は無限であり、万物流転、すべてのものはくり返している。目にみえないところまで、いずれ、きちっと、知識が積み上げられてゆくであろう。森林の学者はこう考える。/砂漠の学者は、世界は認識しきれないという前提から出発するから、私にはこうみえると主張するだけで、その「証明」は本質的に必要ではなく、ただ、他への伝達の手段として「証明」を利用する。」(鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』 NHKブックス312)


退院してきて3日ほどたつ。作業中に木から落っこちて、かかとを粉砕骨折。20メートル以上あるイチョウの木の下枝10メートル近くのところから、気付いたときは落下最中だった。すでに30メートル近くある銀杏並木を手入れしはじめて三週間目、その頂上にいながら、すでに注意力の忍耐が神経疲労で切れていることにはきずいていた。真下は保育園送迎のママチャリがいったりきたり。月曜日で調子もあがらず、労災が月曜日に多いのもうなずけるな、この木の手入れが終ったら10時の一服を長めにとって、なにか違った手を打たないと危ないな、と思い巡らしたりもしていた。相棒は二日酔いだったので、すぐに樹上から降ろして歩道のガードマンをやらしていた。まだ切りおわりもしないのに、「もう10時ですよ、速いですね、きょうあと三本くらいいけるんじゃないですか。」などと他人事のようにほざいてくる。怒るとなおさら集中力が鈍るので、一服のジュースを買いにいかせ、ために私が落ちたときはマグドナルドにいたのだった。一通り枝おろしがおわり、切り枝のひっかかりをとりにまたハシゴをのぼっていって処理したその帰りだった。枝からハシゴのほうへ降りようとしたそのとき、まだ枝が木にひっかかっているのじゃないかと、ふと魔が差したように上を見上げてしまったのだ。降りようとしながら上をみる、同時に二つのことをしてしまうというケアレスミス、普段ならやるはずもないことを、すでに注意力の切れていた状態では無意識のうちにやってしまうのだろう。空がまわった。目まいのように。手は中空をひとかきあえぎ、下をみると、コンクリートの屋根が迫っていた。あすこに頭を打ち付けて、後にそっくり返って死ぬ、そんなイメージが静かに浮かんだ。が次の瞬間、何かが起こったのだ。気付いたときは、地面側に倒れていた。足と肩に痛みがあるが、首がまわる。半身不随じゃない。意識がしっかりしている。携帯電話をだして相棒をマクドナルドから呼び、元請けの社長に電話をかけると旅行宴会中なので、会社にかけかかりつけの病院へおくってもらう手配をする。それから親方にかけると、なんで落ちるんだ注意しろといっただろこんな小さな会社が事故をおこしたらどうのこうのと長い説教がはじまる。そのうちに、元請け社長の息子と二日酔いの相棒が現場に到着する。二人に抱き起こされて病院へむかった。事故原因は? 目先の売り上げとその場しのぎ重視のため、若手育成のノウハウを思索せず、少数のできる者に危険仕事を押し付けっぱなしだからだ、落ちたのは私だけではない。落ちてみて、そういうことだったのかと改めて気付く。しかし私は、そんな馬鹿馬鹿しい世俗のわかりきったことになど、興味がない。しかし、都会のど真ん中の高木を、機械がはいらないため人力の木登りで切っていく仕事とは、いままでの歴史にはない、新しい作業である。その手仕事の新しさのこと、その馬鹿馬鹿しい弱者への押し付け処理を、だれも気付こうとしない。ならばそれは、見殺しということになるのである。実際、私の落下を、バス停で待つ人たちは目の前(上)でみていたのだから。

何がおこったのだろう? 本当なら、死んでいてもいいはずなのに。いや仕事柄、いつ死んでもいいように、子供には遺言めいた言葉をいつも残していて、女房にもヒステリックになって子供と喧嘩(教育)するのは逆効果だからもっと信頼しろ、といっている。自身のホームページでも、仕上げする前にこんな怪我をしてしまって、怪我後すぐにアップした一希との共同作『サンタさんへの贈りもの』も、遺書みたいなものだった。しかし本当にそうなるとは……松葉杖で帰宅後、私は机の下をみた。あの事故を起こした日の朝、私が仕事へいこうと食卓を立ち上がったそのとき、はらっと落ちたものがあったのだ。机と壁の脇に、私はそれを見つけだした。去年のぎっくり腰のさい、座位したところから窓の外にみえた欅のてっぺんの枝ぶりを、デッサンしたものだった。また私は、あのイチョウの木の下枝を、前回の作業終了まぎわの時間調整に切ってその片付けが終ったさい、聞いたこともない小鳥の鳴き声を頭上にきいた。その姿を探したが、甲高い鳴き声が中空に響いているだけだった。そして私は、この二つの小さな出来事を、不思議な気味の悪さとして感じ、覚えていたのだった。私は、机の下から欅のデッサンを手にしてみたとき、だからはっとしたのだ。兆しがあったのではないか? 私の身に迫る危険のことを、教えてくれるものがいたのではないか? そしていざ本当にその危険が発動された最中、私を助けてくれたものがいたのではないか? あちこちにある痣や擦り傷から推理すると、私は落下途中、ズボンの脇ポケットのタオルを入れた膨らみが、ハシゴのつなぎ目にひっかかり、20cmくらい体の向きがかわったらしい。ためにコンクリの平屋根をかろうじてかわして、そこには肩だけが激突し、体が一度ハシゴにのってから、植え込み地側の地面へと跳ね落ちたのだろう。私を落下地点とは反対のほうへひっぱる力が働いたのだ。

一瞬のふとした人間のスキやミスにつけ込んで介入してくる何か、私はその動きを、神とか自然と呼ぶ。職人や、スポーツの世界では、この感覚は日常的なものだろう。それは常に復讐であり、天罰的なものだ。食物連鎖のある生物界はむろん、人の世界(存在)それ自体がなんらかの齟齬・軋轢なのだ。しかしそれでも、その天をなだめるかのように、仲介にはいってくれる存在がいる、いるらしい。世間ではそれを精霊とか守護霊とか呼んでいるけれど、ニヒリストの私には憑いているものではないとおもっていた。しかし私の身の回りにも、私を見守ってくれているそんな霊たちがいるとしたら? だとしたら、私に何をしてもらいたいというのだろう?  ……むかしアニミズムの世界では、そう自然からの意味を読み取って、自分(たち)の物語を構築し、そのことで生と死の充実を図っていた。物語(先)を構築できること、その意志を持てること、それが人間にとっての希望であるだろう。閉じこめられた洞窟で、一じょうの光がさすとき、そこの穴をこじあけていけば外にでられる、と物語=希望が想像されてくるように。私は身の回りから、どんな意味をすくい上げて、霊に答えるような共同の物語を、希望を作り上げていくことができるだろうか?

実家からは、「植木屋やってれば落ちるのは当たり前だ、そんな仕事についているのがわるいんだ」と父親がほざいているのがきこえてくる。そう伝えてくる兄は私が構築しようとする物語に怯え、俺は病人だからとあとずさりする。親兄弟は、怪我人のもらした一言にパニックになる。仕事より大切なものがあるではないか? 身近な雑音は、退院してきた私を混乱させる。生活することではなく、生きることそれ自体の……春一番になるのか強い風が、ベランダの洗濯物を竿ごとふきとばし、空を割るような高い音をたてて、いま落としていった。

2011年1月9日日曜日

子孫へ


「チンパンジーやゴリラが一日のうちの長い時間を毛づくろいしながらすごすように、初期人類は彼らの原初的な言語を使ってムダ話を楽しみ、あるいは、気のきいた挨拶を交わして緊張を解消し、棒で殴り合うかわりに言葉で殴るといったことのために使うのである。そういった言語がやがて適応的な意味を持つようになったのは、生まれ故郷の熱帯を離れ、狩猟に大きく頼って暮らし始めた人類の歴史の後期になってからのことであろう。その後の人類史において、「仕事をする言語」はしだいに成長し、そしてついには現代日本の社会では、「安全保障の言語」が「仕事をする言語」のあまりの肥大膨張と過大な評価によって、急速にその力を失いつつあるように思える。教室や家庭における暴力が社会問題化しているが、「安全保障の言語」の衰退の徴候と読めはしないだろうか。(西田正規著『定住革命』 新曜社)

夜はいつも8時すぎには床につく。仕事で疲れているときは、7時には寝ている、ときが月に何度かはある。今日も、正月休みの年明けに欅の高木に登って作業をしていたので、8時には寝入った。本当に疲れていると、朝まで起きないが、精神的に何か心配事でもあると、夜半に目覚めてしまう。そして、それから寝付かれない。今夜もそうだった。おそらく、実家に帰って、親しくもおぞましきもの、に触れてきたからだろう。たしか去年の最初のブログは、「初夢」と題して、精神分析的な夢の解析を記述したかとおもう。昨夜は、なぜか目覚めた後、「子孫」という言葉を思いめぐらし始めていた。……年明け早々、自転車に乗った息子の一希がタクシーと正面衝突しそうになり(年末に友達の一人が事故にあって大怪我したときかされたばかりだった)、川崎大師へ元朝参りにいった祖父母から「交通安全」のお守り(――私が両親に頼んだのだった――)をもらったばかりだった。「あぶない!」と叫んだとき、そしてそのあとにきた感情。また私と一緒に社会運動に参加した若者が、できちゃった結婚をするときいたのも年末だった。そのとき、私は女房と結婚すると伝えることになったときのことを思い出した。すでに腹の中に子供がいると知ったのは、新婚旅行で香川県の石切り場(山)へ登った後からのことだったが、そう決断したときのあがきのことを思い起こした。性欲などおよびもつかない生存欲、本能、一人じゃだめだもちこたえられないという直感、底から突き上げてくるもの……自分が、こんなにも生きたいのか、そんなおそるべき力があったのか、と自身で驚いたのだった。サッカーの岡田元日本代表監督が、W杯出場をかけた絶体絶命の危機にあって、人類が生き延びてきた遺伝子のスイッチがはいったような、と表現していたが、そうインタビューでの返答をきいたときも、私はあの自身の本能のことを連想した。……おそらく、そんな年末から年始においての生活が、疲労のあとの不眠のなかで「子孫」という言葉を想起させてきたのだろう。帰省中に、群馬の山奥に追いやられた織田信長の子孫の墓を見に行ったのも関係しているかもしれない。

子供をもってはじめて、悲しみ、というものの深さのことがわかる気がする。死んだら、と想像するだけで、身がひきちぎられる痛みを覚えるくらいだ。人間の歴史とは、この「悲しみ」の連続であることをおもうと、またそれが歴史であるかぎり、自分ひとりではない他の人との共有であるのだから、それを知るとは、知ることができるには、この「悲しみ」を知っていなければならないことになる。というか、実際の子供の死と隣り合わせの生存の傍らにいることで、なにか人類の歴史、といったものをより深く考えるようになってきたのだった。しかし、冒頭で引用した西田氏が「定住革命」で述べるように、400万年以上の人類の遊動生活の間は、死体は置き去りにしていけばすむものだった、定住するようになったこの1万年ほどにおいて、それを埋葬して物理的に処理し、それが及ぼす精神的な処理も葬儀(宗教)として必要とされてくる、とするなら、私の悲しみも、400万年分の1万年分程度の話なのだろうか? といっても、サルでも親しいものの死への悲しみに沈んで、朽ちていく死体のそばでずっとすごしていた、という事例も観察されているようだが……。

このブログを、私は古本屋の店主からCDコピーしてもらった小林秀雄の講演をパソコンで聞きながら、同時に打ち込んでいる。演題は「考えること、信じること」となっていて、たまたま、本居宣長がおもう「考える」とは、「まじわる」、「つきあう」ということ、「信じる」ということに近いのだと、母親が子供を育てることを例にして述べている。親は子のことを一目でわかってしまう、それは長いあいだ、ずっと一緒にいて考えてきたからだ、と。歴史を知る、ということも、そういうことなのだ、と。まだバブル期の頃だったろうか、文芸批評家の小林氏を超えてと登場してきた柄谷行人氏は、子供に財産など残さず自分で使い切る、と思想的な宣言のような発言をしていたときがあった。いまは、「未来の他者」のことを、手段だけでなく目的としても扱え、と言うようになったのだが、その「未来の他者」には、自分の子孫のことは入っていない、ということだろうか? 子供が大きくなるにつれ、この野郎、なんでおまえはこんな奴になって……と否定的な見方へ傾いていくものなのかもしれないが、いまの私には、実際には残せるものなど何も所持していなくとも、何か残していきたい、このブログが考えることや生きるヒントになるだけでもいい、そういうものだけでもいいから残しておきたい、と切に願っている。

2010年12月25日土曜日

大事なもの

「サッカーを教えているだけでは、選手は育たない。教えるよりも「気付かせる」ことです。選手自身の口から、答えを言わせること。指導者が言ってはいけない。気付かせれば脳細胞が増えて、「こういう場面はこうしよう」と自分で判断するようになる。/プジョールのような選手を育てていかなければ、彼のような謙虚さや優しさがなければ、世界チャンピオンにはなれない。戦術を植えつけるだけではない。もっと大事なものがある。/問われるのは人間としての芯の強さ。いまここで、何をするべきかを感じ取る力。サッカーを教えているだけでは勝てない場所なんです。」(山本昌邦・戸塚敬著 『世界基準サッカーの戦術と技術』 新星出版社)

公園サッカーを卒業し、地元に根付いたクラブチームへと入部した一希。地区のフットサルに近い大会でさっそく2年生にまじってプレーし、6試合4ゴールを決めて準優勝。それでも悔し涙を浮かべて泣きじゃくるのにびっくりする。そして今朝も、「サンタさんが来なかった!」と、泣きわめいていたのを後に、私は仕事へと向ったのだった。「いっちゃんには、サンタさんは来ないといったでしょ。だって、もう知り合いのじいちゃんからメッシのユニホームを買ってもらって、夢がかなったじゃないか? サンタさんは、世界中をまわって忙しいんだよ。おもちゃをもらえない貧しい人から平等に配っていくんだよ。」と、適当なストーリーを言い置いて。「こんなユニホームなんかいらない! ぼくは、人生ゲームがほしいんだよ! きょうのサッカーになんかいかない!」、と叫んでいた一希の具合がどうなっていったのかは知らないが、どうにかじいちゃんに買ってもらったバルセロナの10番を身につけて、河川敷の練習場には向ったようだ。というのも、子供の報告では、ママが練習中にあれこれと声をはりあげて指示をだすので、コーチから黙るようにとイエローカードをもらったということだから。そのうち、レッドカードにかわるだろう。

しかし、人のことはともかく、私はどうするか? 「いまここで、何をするべきかを感じ取る力」をもっているか? いや、感じ取ってはいるだろう。具体的なアイデアもある。仕事(サッカー)よりも、「もっと大事なものがある。」とは、w杯解説者だった山本氏の言うとおりである。あとは、人を説得し、勇気をだして実践にうつすことなのかもしれない。自分の認識が、間違っているかもしれない。他の人は、そう揚げ足をとって保守するだろう。自分の想像(創造)は、単に前方への保守であり、作家の村上龍氏ふうにいうならば、「成功のためではなく、生き延びるため」の方策なのだが、それが前方に投げかけられるかぎり、生活を変える変革としてうつるだろう。いや具体的に、子供を犠牲にしてしまうことになったら? まあもうっちょっと、一希が大人に近づけば、というところだろうか? サッカーの試合をみていても、2年生にもなると、試合の流れをみて、ポジショニングや攻守の切り替え判断ができるようになるらしい。一希はそんな先輩からストライカーとして認められて、ボールだけを見た連動で前線に飛び込んでいくけれど、来年には全体的な判断力が培われるようになるだろう。女房が、黙っていれば。……

2010年11月23日火曜日

戦争(死刑)と取り違えの論理


「都市の出現や国家や王、さらには文字の出現に文明の誕生をもとめる文明史観ではもはや二一世紀の人類の未来は切り開きえない状況に追い込まれつつある。さらに、現代文明の危機そのものが、じつは都市や王あるいは高等宗教や文字・金属器の出現に文明の誕生をもとめる文明概念から発しているといっても過言ではないのである。いま問われているのは、文明の価値観の転換であり、新しい文明概念の創造なのである。」(安田善憲著『縄文文明の環境』)
北朝鮮と韓国との間での砲撃事件と、石巻で殺傷事件を犯した当時18歳だった少年に対する死刑判決の報道が、ひきつづいてテレビニュースで流れた。それを見ていた七歳になったばかりの一希が、なんで戦争しているの、なんで死刑にするの? と聞いてくる。子供の「なんで」には答えられないので、韓国では「もう我慢できない」報復すべきだ、という国民の意見の高まりと、自分の子供が殺された親は犯人に死刑という復讐を望む人が多いのだ、という状況説明を付け加える。それでも、子供が怪訝な様子をしているので、人は戦争がしたいのだし、死刑もやったほうがいいとおもっているってことだよ、と率直に言い換えてみせる。「なんで?」と子供はまたきいてくる。「じゃあ、いっちゃんは、」とたとえ話をしてみせる。「いっちゃんが殺されたら、いっちゃんは、パパとママに犯人を殺してもらいたくおもうかい?」一希は首をふる。「殺さなくていいよ。」「じゃあどうする?」「ずっと牢屋にいる、というのはありかなあ……」
戦争も死刑も、何か根本的なところを取り違えた大人(権力者)の、思い込み的な思いやり(復讐)、ということで同じ態度、論理なのかもしれない。北朝鮮への拉致被害者の親の会の言動を見聞きしていても、拉致された当人(子供)がいきなり日本へ連れ戻されたり、親がそれを強烈に願う運動をしていることをどう思うだろうか? と考えてしまう。むしろ困惑するだろう、自分の人生が否定されたような気がするだろう、たとえ無理やり連れ去られたとしても、もう相応な月日がたっている、いや年月になど関係なく、子供は「復讐」など望んでいない。親(国民)の怒りは、もう取り違えなのだ。ならば、我々がまずすべきこと、試みることは、怒りを慎むこと、そして、あくまで親が子を見守るような態度を保とうとすることではないだろうか?
この根本にある取り違えに、最近流布するエコロジーだの、生物多様性だの、森の保全だの、といった言説態度が、有効になりえる論理たりえているのだろうか、と考える。それらはどうみても、経済的に調整させること、つまりあくまで根本はそのままで、利害がなければ人は動かないからそれに乗じることで以前より数値的にましになってくれれば儲けものだ、ということのように覗える。しかしそう考えること事態に取り違えがある、ということだろう。経済(利害)的なやりとりだけが、人の動機ではない、ということを子供たちは訴えているのだから。いやどうも、いわゆる世界史では常識な、世界四大の古代文明でさえ、すでにの取り違え、ということになってきつつあるらしい。100年後の世界史の教科書は、根本から刷新されてくる可能性さえあるようだ。冒頭および、以下の引用を参照。
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「しかしそれだけではなく、縄文人は農耕社会へ突入することを意識的にさけていたようなきらいさえある。富を貯蔵し、貧富の差を生み出し、その富を背景とした権力者が、貧しき人々を搾取するそのような社会に突入することをさけていたように思えるのである。」「一方、日本の縄文文明は、三000年前頃の気候の寒冷化のなか、大陸から稲作という生産様式に立脚した、まったく新しい文明システムを持った人々の渡来の中で終末をむかえた。しかし、その自然=人間循環系の文明原理は、その後の弥生時代から歴史時代に入っても受け継がれてきた。そして、高度経済成長期以前の日本の山村には、いまだ縄文時代以来の伝統が残存していた。トチモチやドングリ団子など縄文時代の人々が作ったのと同じ方法で作る食物まで残存していた。山村の人々の暮らしは、まさに自然と人間が季節を媒介として循環的に営まれた縄文時代の人々の暮らしの延長線上にあった。」(安田喜憲著『縄文文明の環境』 吉川弘文館)

「ラスラップのアマゾン「文明」の根本概念は「家の庭」仮説に象徴されている。「家の庭」仮説とは、古代アマゾン人が社会を建設する際に、アマゾンの自然を大規模に切り開いて開発するのではなく、緩やかに「半」人工化して自然と共生する方法を選んだというものである。半人工化にはさまざまな方法があるようだが、最も単純な方法は、原生林から生活に役に立ちそうな木、あるいは植物を住居の周りに移植して小規模な果樹園、菜園を造園することである。そこで自生の樹木、草木を人工的に栽培して、人間の手を入れて生活に役立つよう改善してゆくのである。この方法は現在のアマゾン先住民の間でも使われているが、自然の生態系を一部切り取って、小規模な人口生態系を創る試みである。一見日本の里山を思わせる発想であるが、ラスラップは、古代アマゾン人はアマゾンの自然を半人工化することで資源として活用し、環境的に永続できる文明社会を構想したと考えた。(実松克義著『アマゾン文明の研究』

2010年10月31日日曜日

自然と理論――『世界史の構造』をめぐって


「この問題は「人間と自然」の関係にかかわっている。ここまでこの側面を捨象してきたのは、「人間と自然」の関係は、人間と人間の交換様式を通してのみ実現されるからだ。「人間と自然」の関係は根本的である。しかし、それを強調することによって「人間と人間の関係」を忘却させるイデオロギーに注意すべきである。一般に、それは、工業社会批判、テクノロジー批判といった文明批判のかたちであらわれる。それは概ね、ロマン主義的な近代文明批判の型を踏襲している。だが、環境破壊をたんに「人間と自然の関係」という観点だけから見ることはできない。なぜなら、環境の破壊=自然の搾取は、人間が人間を搾取する社会において生じるからだ。」(柄谷行人著『世界史の構造』 岩波書店)
久しぶりに、かつて社会運動を一緒にやっていた仲間数人と顔をあわせて話す機会をもった。当時二十歳まえだったような少年も、もう三十歳の青年となる。会社をやめて、中国への旅行から帰ってきたばかりで、またネパールへ旅するという。彼は運動創設者の近著『世界史の構造』など読んでいなかったが、世の情勢に左右されまいとする個人のそんな単独行動(自由)がなかったら、そもそも社会運動など生まれもしなければ必要もないだろう。むしろ、かつての会員らが集まってまた読書会をはじめたというそんな動きのほうが、私には怪訝におもわれる。そこで、その久しぶりの話あいで知ることになった、その著作出版にともなう文学系雑誌での座談会を読んでみて、やはり運動解散後に感じたことを、ここでもう一度確認して書き付けておこうと考えた。すでに何回となく、このテーマパークでも指摘したことなのではあるが。

私の見立てでは、柄谷行人氏がNAM運動後に自分の考えを明確にさせるとっかかりとして使ったのは、その運動プロジェクトとしてあったRAM、というか、その芸術系企画の引率者岡崎乾二郎氏の言説である。柄谷氏は、岡崎氏のNAM原理批判としてあったかもしれぬ「贈与(ハウ)」という観念、柄谷氏が忌み嫌ったムラビトを連想させもする観念を、自分の思想の中で受け入れてみせることで、その概念を批判的に差異(区別)化してみせたのである。言いたい問題点はわかるが、そんなのではだめだ、と。

『文学界』10月号、もうひとかた大澤真幸氏を交えた対談「ありうべき世界同時革命」では、この差異(区別)が衝突することからはじまっている。岡崎氏は、まず「贈与」によって生ずる返礼への「ハウ(呪力)」を、『世界史の構造』の文脈に沿って読み替えてみせるのだが、そこを柄谷氏は「おっしゃる意味がわかりませんが」と切り替えしている。そして、「先ほどの、交換様式Dを最初に想定する意見だとしたら、僕は賛成できない。」と岡崎氏に否定的に釘を刺す。私の判断では、一般的、悟性的理解では、岡崎氏の意見の方が正しい。それが先に(前提として)あるとするから「構造」なのだから。しかし柄谷氏の方が、「専門的用語や概念を正確に理解」しようとはしない、実践的用法として、つまり単なる比喩と開き直って「構造」という言葉を使っているのかもしれない。自分は「門外漢」だとまずは岡崎氏は自分にとみせかけて柄谷氏のそんな言葉への非厳密さに釘を刺してみせたのかもしれないのだが、それが方向(意味)を屈折させて自分のほうに向けられてきたような感じである。しかしそうなると、一般的な理解をまずはしなくてはならない読者としては、柄谷氏の意見は理解困難になるのである。つまりそれ(構造)は、先(無意識)として前提的なのか、後(意識)から作りだしていくものとして考えられているのか? 柄谷氏本人はどうも後者だと言いたいらしいのだが、そんな「構造」というものがあるのだろうか?

この不可解さは、『群像』11月号での対談「世界同時革命――その可能性の中心」でも、島田雅彦氏によってやりとりされている。島田氏はそこで、「抑圧されたものとして回帰」されてくる「構造(無意識)」は、いわば「プログラムされている」ということではないか、と理解しようとする。が柄谷氏は、「違います」と返答する。またむしろ、その「反復(回帰)」が無意識的に再起してくるとする「自然の狡知」という理解、そういう「自然」の概念をもちだしたくない、と付け足す。私の立場(実践)では、この「自然」の区別、その理論的差異はどうでもいいので、<自然が復讐してくる>、と単に互酬的に言っていればよいのだが、柄谷氏はそういう植木職人的、あるいはかつての柄谷氏の江戸研究の用語でいえば陽明学的な自然理解という非厳密さはいやだと言うのである。では、人為的な構造、先にある、のではなく、後から来る、という構造とはどんなものなのか?
*『中央公論』2011.1月号での佐藤優氏との対談「国境を越える革命と宗教」でも、佐藤氏から類比的な突っ込みをなされている。――<柄谷 …だからこそ、構造論的な視点が必要なのではありませんか。前にお話ししたとき、佐藤さんは、右翼の前で、「高天原というのは『統制的理念』である」というと、理解してくれるといっていました。それなら、高天原は交換様式Dだ、といってもいいわけですね。その場合、高天原の意味が変わる。たんに高天原という固有名詞でやっていると、右翼的になる。しかし、本当に目指しているものが交換様式Dだといえば、ほかの者とも連帯できるはずです。佐藤 その考え方ができるのはわかります。そうすると、そこで出てくる数学的なるものは、これもまた変な言葉を使いますけども、リアルなものなのでしょうか。柄谷 それは、まさに普遍論争みたいな話です。佐藤 普遍論争に引きずり込みたいので、こういう問いかけをしたのです。柄谷 簡単にいうと、形而上学というのは、「物があること」と「物の関係があること」の違いを見出したところから始まったと思います。そのとき、二つの世界があるかのように考えられた。物が存在するフィジカルな世界と、関係が存在するイデア界。佐藤 その両者とも、ものごとを観察するという発想から出てきていますよ。柄谷 それはそうですが、われわれは一定の関係をあらかじめ把握していないと、物を観察しても物が見えない。実験は仮説にもとづいておこなわれます。それがないと、実際に物を見ても見えない。佐藤 でも逆に、実際の物を見て、何も悪いことをしていないように私には見えるけれども、国後島にディーゼル発電所をつくるときには賄賂を受け取ったんじゃないかと、検察官の心眼では見えるというふうになるわけです。だから、仮説というのは怖いのです。>

柄谷氏はこの疑問へ、具体的な用法・用例によってイメージ化させているようにみえる。つまり、理論化としてではなく。

<……自然状態というより、たんに「戦争状態」といったほうがいいわけですが。その場合、ホッブズは戦争状態を脱して平和状態を創設するためには、国家を設立するしかないと考えたのですが、彼は明らかにまちがっていた。たとえば、氏族社会には平和状態があった。イロクォイ族の部族連合体が一例です。これは、ホッブズのような「社会契約」でなく、贈与の互酬性による「社会契約」にもとづいていた。>(『文学界』10月号前掲書)

<クラ交易のようなものは、それ自体が交易なのではなく、贈与によって、平和状態、友好的な関係を創りだすためのものですね。そのあとで交易する。だから、このような贈与は「贈与への衝動」というよりも、むしろ、自然状態への恐怖、そこから出たいという衝動、と見るべきだと思います。/ホッブズは、自然状態からの脱出を、全員が一者(レヴァイアサン)に服従するような形態、つまり、国家に見いだした。それが「社会契約」と呼ばれています。しかし、そうでない平和の創出がある。つまり、暴力にもとづくのではないような「社会契約」がある。それは贈与の互酬にもとづくものです。…(略)…つまり、カントのいう「永遠平和」を実現するためには、そのような贈与の互酬性にもとづく社会契約に鍵を見いだすということです。それは、交換様式Aの「高次元での回復」ということになります。>(『群像』11月号前掲書)

上のような言述から言えることは、それが<ヒトの「知恵」>、と呼べるようなものだ、ということだ。この洞察認識前提から、日本国憲法9条による軍備放棄という世界史への贈与実践、という実例、提議案がでてくる。つまり知恵とはある先にある認識が前提とされる意識的な実践だが、それが後知恵とならないためにも、先に提示しておくべきだ、という発想である。だから、自動(自然)的に、次の世界戦争の次に世界同時革命が起こる、というロシア革命時のような期待は批判される。後からくるかもしれない「抑圧されたものの回帰(無意識)」は、意識的に先に「回復」されなくてはならないのである。しかし理論レベルでいえば、この発想は、論理として筋が通っているのだろうか? 私には不透明である。

*憲法9条による軍備放棄ということに関し、私は、それを日本サムライの切腹という贈与儀式の実践として、伝統的に提示した。その提言は、ドストエフスキーの『白痴』』にみられる世界的作者の切腹への共感、あるいは、トムクルーズの『ラスト・サムライ』にみられたインディアン(=縄文人、狩猟採集民的、恥と名誉の倫理)にみられる世界史的類似構造性、ということにも結びつけられた。私は「門外漢」な素人なので、まったく理論的ではないとしても、私の現場では、とくに右翼的な現場では、こちらのほうが説得力をもつだろう。国連重視の柄谷氏の発言自体は、すでに他の運動家でも言っていたことではあったろう。が、氏の発言がある種の説得力を持つとしたら、心情的、信念的、根拠なき運動家の意見とちがって、そんなことをいうのは「なぜ」か、という「ヒトの欲求」に答えられるような文脈、背景をふまえて意味づけられているからだろう。しかしならば、なおさら氏の理論化しようとする「知恵」が、論理的に提示されているのか、提示されることが可能なのか、を問うこと、つまり、その原理の根幹を明確にしようとすることは、必要な原理論作業の一つかもしれない。

悟性重視にみえる岡崎氏は、論理推論的に、原子力や情報テクノロジーのカタストロフに言及する。それは一見、安易な取り込みにみえるけれども、氏の現場と結びついた事例である。その思考が論理に厳密たろうとするのは、氏に実践があるからで、逆に、柄谷氏の理論が非論理な実践性を提示しているのは、氏の立場が理論家である、ということからきているのかもしれない。岡崎氏の批判が正当であるようでも、柄谷氏のほうに説得力が感じられてしまう<ねじれ>にこそ、原理論の難点、盲点、アポリアがあるということだろうか? つまり、あくまでその内容如何ではなく、原理発想の出所において。出所の論理の理論的不明瞭さは、実践上の具体的現場において、当思想家本人の判断や嗜好の恣意性に左右される。あるいは一般会員をしてふりまわされているように感じさせる。ならば、この新しい著作をいくら読書したとて、同じ過ちが繰り返されるだろう。ネットで調べてみると、読書といっても、岡崎氏のように自らの現場からどう読む=使うか、という実践性によってではなく、あくまで哲学・文学史的な教養文脈の延長によって支持者に解説されようとしている。しかし、そんな文脈は、現実のどこにもなく、あるとしたら、かつての大学の体系の中においてだけだろう。
われわれNAM残党は、同じ過ちを繰り返さないためにも、柄谷のことなど知ったことかと、自らの現場の単独(固有)性こそをまずはより自立すべく努めるべきである。それなくして、連帯(連合)などない。

2010年10月22日金曜日

野球、サッカー、そしてダンス


桑田 そうですね。ぼくが飛田穂洲の思想を表現するにあたって「絶対服従」という言葉を使ったのには、理由があります。野球は監督の指示に従ってプレーしますから、絶対服従のスポーツではあるのですが、じつは試合で絶対服従がどれだけ生きるかというと、生きないんです。言われたことしかやらない、言われたこと以外をやると怒られるわけですが、じつはそれでは勝てないんです。
 なぜなら野球では、1球1球状況が違って、飛んでくるボールの速さや角度も違えば、風もあり、打順、点差、さまざまな要因で、なにもかもが変わってくる。だから本当は、自分で考えて動ける選手じゃないと、首脳陣からの信頼は得られないんですよ。でも、練習では絶対服従で、自分の言うことをきく選手をつくっているわけだから、試合に勝てるわけがない。勝てないから猛練習をする。また勝てない。これは悪循環ですよね。」(桑田真澄 平田竹男著『野球を学問する』 新潮社)

野球界が抱える問題を根底から考えてみたいと早稲田大学の大学院で研究し、首席で卒業したという元巨人軍の桑田真澄選手。私と同世代の桑田氏によれば、その研究の端緒とは、先輩や指導者からの「いじめ、体罰、無意味な長時間練習」という体験であり、いわば「悪しき精神主義、根性主義」がどうして成立していったのか問うことだったという。私はまず桑田氏のその態度に敬服する。同時に、父親当人は野球などしたこともないのに、ジャイアンツのV9に感化され、長嶋選手にあこがれ、漫画『巨人の星』の一徹親子よろしく、我が子とマンツーマンで野球と取っ組みあう父子関係をもった最後の世代であるかもしれないながら、少年時代には清原選手のように、封建的というよりはより民主的な『ドカベン』を面白くテレビ観賞してきたわれわれ世代だからこそ、問いかけはじめられた疑問なのではないか、とも思う。そう私が振り返るのは、高校での野球生活で、私自身が桑田氏のような疑問に苛まれ、はややる気が崩壊していた、という経験があるからである。高校の頃の私は、昼に起きて登校し、部活の野球だけをやって帰宅し、夜には漠然と芽生えた疑問がなんなのかと、哲学書や文学書などを朝方まで読み続ける、という生活を続けたのである。いや夜学の早稲田文学部にいき、卒業後も夜勤務などをしてしのいでいた私は、27歳ぐらいまで、そんな昼夜逆転の回り道生活をしていたのだ。まがりなりにも疑問をはらすのに、10年近くの歳月がかかったのだ。ただ私に懐疑を抱かせたのは、桑田氏が体験した「絶対服従」的な部活生活ということではなく、あくまで、それと戦後(?)民主主義的な在り方への落差においてであった。つまり、軍隊生活的な中学の野球部から、私はその数年前に甲子園に初出場して世間を騒がせた公立の進学校の野球部にはいったわけだが(山際淳司著『スローカーブを、もう一球』角川文庫、のモデル高校)、そこはすでに、桑田氏がPL学園で自ら勝ち取っていった練習のような、民主的な自主トレだったのである。(…しかしそれは、甲子園出場をなしえた監督のなせる方針だったかもしれない。きくところによると、いまは猛練習だという)――なんだこの生ぬるい練習は、と先輩たちをみておもいながらも、先輩たちは強かった。入部してすぐの関東大会では、横浜のY高をやぶり、東京の創価を破り、そして決勝では、同じ群馬代表の、いまはプロ野球西部ライオンズの監督をしている渡辺投手ひきいる前橋工に1-0でおしくも負けた。その後、打倒渡辺対策のバッティングピッチャーにかりだされた私は、肩を壊したが……。しかし、おそらく桑田氏も、その野球体験はただ封建社会的なものだけだったわけではもはやなかっただろう、とおもう。いわば、われわれは、『巨人の星』と『ドカベン』を、「一身にして二世を経る」(福沢諭吉の言葉、だと思うが…)、ような体験として出くわしたのである。

私はいやだった、封建社会も、民主主義も。その絶対服従も、要領のよさも。世間も、官僚も。

桑田氏の対談相手であり、サッカーJリーグの創設にも携わったという平田氏は、「おそらくサッカー界は、野球の軍国主義的なやり方をすごく否定してきた」のであり、「言ってみれば、野球を反面教師にがんばってきたつもり」なのだという。しかしその過程で捨ててきてしまったものがあり、「絶対服従はいけないが、礼儀正しさとか、丁寧さとか、日本人として守らなければならないものまで捨ててはいけない」、と。

作家の村上龍氏がインタビュアーになるテレビ番組「カンブリア宮殿」で、元サッカー日本代表監督の岡田氏は、リスク(責任)を負って監督から言われたこと以外の個人判断を選手に実践させていく、その苦労のことにふれられていた。日本は文化伝統的に、個人が大人しくなってしまう、という話のなかで。対して村上氏は、松井選手の切り替えしセンタリングを落ち着き払ってシュートを決めた本田選手をほめ、しかし勝敗を決めるのは、そのような個人の才能だったり、経験だったり、ひらめきだったりするんですね、と返答していたようにおもう。私も、あのゴール前であわてずにきちんとボールを「止めて、蹴る」、という基本を実行できた本田選手に新しさを見出したが、しかしそれは、今までだったらあわててはずしてたんですが、と村上氏も伝統(個人のひ弱さ)をふまえて前置きしたように、私はむしろ、今まで(伝統)があったからこそ、あの個人が生まれたのだ、と理解する。城選手の急いたボレーシュートの失敗があったからこそ、本田選手の基本技が新しい伝統として創造されてくるのだ。つまりまた、そのように個人の緊張がなければ、伝統は継承されないのだ、と。

一人親方として仕事をすることが多い植木屋の技術とてそうである。系列にはいって言われた仕事だけをこなしているのならば楽だが、状況の変化に弱くなる、つまり個人でどう動くか、という鍛錬を積むことができていなければ、単に倒産してしまう。かといって、そこに入らなければ、選ばれなければ、信用を得なければ、年を越せる仕事量にありつけない。つまりやはり失業してしまう。この個人と組織集団(系列)の緊張の中でこそ、技術が生き、生きた個人の間にだけそれは継承される。

歴史とは、固有名の連続、持続、ということではないだろうか?

岡崎 ……ピナやマースといった固有名が消えたあとも、それが継承できる形式になりえていたかどうか。もしそれが、既成のジャンルには回収されえないようなものであったならば、むしろ、それが固有の形式をもっていたかどうか、本当に表現ジャンルとして(本人なしでも)自律していたかどうかが問われる。亡くなってしまうとはっきりわかりますね。確かにそれは影響を与えただろうけれど、本人たちがもっていた過激さは失われてしまう。回収できる影響しか残らないということがある。>(「ピナ・バウシュ追悼・身体技法の継承と制度化」 浅田彰+岡崎乾二郎+渡邊守章 『表象04』所収)

伝統あるヨーロッパや南米のサッカーチームが強いのは、かの地の子供たちが草サッカーで名前を引き合いにだし、成りきって実演するための固有名を幾人も抱え込んでいる、ということではないだろうか? カズ、ナカヤマ、ナカタ、……この連なりが多くなるほど、逆にいえば、そこに名を残そうとする個人が持続的に発生し、積み重なればなるほど、日本サッカーの伝統が反復創造されてくる、ということではないのだろうか?

2010年9月16日木曜日

政(まつりごと)と果実


「したがって、『人間学』は文化の歴史でもなければ、文化の諸形態の分析でもなく、あらかじめ有無を言わせぬかたちで与えられている文化の実践となる。この実践は人間に対して、自分たちの文化そのものに世界の学校を認めるよう教えるのだ。」(ミシェル・フーコー著『カントの人間学』 王寺賢太訳 新潮社)

カブトムシの幼虫が育ったあとの、糞だらけの培養土をただ捨てるには忍びないと、ベランダ菜園をはじめてみた今年。とりあえずはトマトとナスとシシトウ。この土再利用のアイデアは面白いと自惚れながらも、野菜を育ててみる土にしてはカブトの糞がでかすぎなのではないのか、糞が多すぎで果実の味がおかしくなるのではないか、と心配していたのだが、ちゃんと結実し、食べてみても問題はなかったのでひと安心。ただ普通のミニトマトとシシトウは、次から次へと果実を得ることはできるが、、ちょっと高価なシュガートマトだの、ナスだのは、一度採れると土の栄養が切れるのか、もう終わってしまう。やはり追肥が必要なのかな、と思うのだが、土にはなおたくさんの幼虫カブトの糞が残存している。女房は、有機肥料などと呑気なことをいってないで、液肥を買ってプランターにさしこんでいればいいのよ、と息巻くのだが、金かけてやるようなものじゃない。米のとぎ汁をとっておいてよ、といってもいまなお協力の気配なし。でもまあ、やはり野菜は土作りから、と実感できただけでもやらないよりはやったほうがましだったとおもう。6階に住んでいると、植木鉢には雑草も生えにくい。たまに生えてくるクローバーを、女房が根こそぎ抜いてしまうので、マメ科は窒素を固定化するから養分蓄積にはいいんだから抜くなよ、としかる。が逆に、土の中での微生物も寄生しにくいらしく、さなぎや成虫になってから死んだカブトムシの死骸が、プランターの土の上にいつまでもその原型のまま残存している。金魚の死骸と一緒に。アブラムシやイモムシに葉を食われる心配もそうしなくてもよさそうだが、だからこそ土作りをきちんとやらないとかんのだな、と考える。じゃあ今度ははコンポなんとかという腐葉土作りの入れ物を残材で作って、そこにカブトムシの幼虫の糞交じりの培養土をいれ、ミミズを捕まえてきていれ、ベランダに飛んでくるケヤキの枯れ葉をいれ、残飯をいれ、たまに米のとぎ汁をかけて栄養価たっぷりの土をつくってやろう、それでうまくいったら、次には収穫物から種を採取してそこから育ててみよう、と実践欲が湧いてくるのだった。
とまあ、私が試みる実践などとはこんな程度のことになる。庶民の度素人な自己流趣味だ。それは、世の中を変えることとは関係がないかもしれない。しかし、私がここのベランダに立っているのは、青年時の引きこもり登校拒否からフリーター、植木屋になって三十歳半ばをすぎて結婚し一児の父になるまでの過程があってこそ、である。その試行錯誤自体が、ベランダ菜園という試行錯誤を産出している。その実践は、山に登り、子供と田植えをし、といった観念への渇望を生み出すことにつながっている。この夏の異常な暑さで、ぎっくり腰がなおったとおもったら日射病にやられて、田植えした里山への稲刈りには参加できなかたったが、たまたまこの団地の会が、親睦交流を結んでいる群馬赤城山麓への稲刈り体験を募集している。私の地元群馬県の高校の同期会にいけば州県制の話であり、中学の同期会にいけば市町村合併の話だった。私の軌跡と、身近な実践と、観念と、現状は、からまりあっている。おそらく私にできることは、そのそれぞれの糸を私の身近において編んでいくことなのだろう。
民主党選挙では小沢氏が負け、菅氏が勝った。一般的には、インテリ層が小沢氏支持で、大衆層が菅氏の支持であったと見受けられる。しかし新聞で報道する傾向とは違って、一人一票の得票率では大差はなかった、と私は受けとめる。小沢氏自身、党員・サポーター票が9万対13万という結果だったことに、そう認め、おそらく次の戦略の具体性を思い浮かべてきただろう。選挙前の世論調査という新聞報道自体が世論(特には態度曖昧な国会議員への)操作だとか、アメリカと対等に付き合おうとする小沢派と、対米追従の財政をとろうとする菅および官僚側という対外的闘争が、「政治とカネ」という偽装された内輪問題でごまかされた、という意見もある。その通りだとしても、こうした大きな政(まつりごと)は、なぜかもはや私の身体には反応してこない。むしろ、その世間的には意義ある真剣さだったかもしれぬ祭りは、ゆえに国家の権能を一層神秘化させることになったのではないか、その目に見える一契機だったようにおもえる。つまり、日常的にも、目に見えた動きが、緩慢だった日本(アジア)でも見えてくる。サプライズといわれた選挙後の政府・日銀による市場介入は、そうした国家の神権化の趨勢の成り行きだったのではないか? 小沢氏は介入すべきと選挙ではいっていたが、それに反対ではあった菅氏でも準備するはめになったのは、政治家個人の力量を超えた波に流され始めたからではないのか? 
ベランダのプランターに実るミニトマトは、大きな政とは関係ない実践果実かもしれない。けれども、そのささいな出来を注視する日常・庶民的な注意を忘れることは、実際の実に繋がっているかもしれないより糸を、選挙された国家神秘主義(ファシズム)という魔法の一手で、一挙両断されてしまうかもしれない。