2011年3月20日日曜日

親の神経質と子供の無邪気さ


「私たちは誰なのか。どこから来たのか。どこへ向って行くのだろうか。私たちが待ちうけているのは何なにか。何が私たちを待ちうけているのだろうか。 多くの人はただ当惑するばかりだ。大地はゆらぎ、人びとは、それがなぜなのか、何のせいなのか、知らない。人びとのこうした状態は不安であり、それがさらにはっきりしたものになれば、恐怖である。」(エルンスト・ブロッホ『希望の原理』 白水社)

とりあえず自衛隊と消防の放水作業が順調なようで、原発現場も小康状態となってほっとする。国際原子力機関の人はまだ楽観視していないというし、なにせホウ酸をたくさん支援してもらっているということは、核爆発という最悪事態も想定しているということになるそうなので、予断はゆるせないのだろう。しかし少なくとも東京での憂慮が、地震災害から事故災害への移行にともなって、親の子供への関係はより神経質さを増してきた。この小康状態を利用して、一希はいま近所の公園へあそびにいっており、親としても、神経を休めることができるひと時になっている。

というのも、まずは震災直後の余震がつづくなか、私と女房の間柄が緊迫してくる。過小評価して呑気な女房と、最悪の事態を想定しながら、ネットとうで情報収集し、いまはこうしたほうがいいという私と。人より先回り的に来るべき事態を予測しパニックに巻き込まれないよう行動する、というのが知性と教養の実践形態のひとつでもあるだろうから、日用品なくなるよ、停電だとマンションは水がこないよ、停電とは別に原発の状況いかんでは水道の水も飲めなくなるよ、だからこうしようと発言しても、どうにもならないことを言ってとばかにされるだけで、実行がからまわり。その結果、いつもの朝食のパンがない、米がなくなりそう、塩がない、など、普段でさえそうなのが、この緊急時にさらに高じるのだった。片足の私では買い物にはいけない。最悪時には篭城しかないのだから、政府の支援が出動してくるまでは私的に対処しなくてはならない。なのにすでに腹が減っている。そんな両親のイライラどたばた劇を目前にしながら、6歳の一希はどう受けとめ、どう影響されてくるのかな、と思うのだった。

震災のテレビ番組にうんざりしている一希が、その深刻さや現実性を理解しているようにはみえない。自分とどんな関係があるのか、という感じだ。志村けんの動物愛護の物語には感動しているのに、いま人に起きている事態には無頓着、無邪気なものである。人として成長するのにこれでいいのか、とも思うのだが、これまでの観察と、現今でもふとした契機に、子供の理解の仕方がたんに体制化された大人のそれとは違うだけで、実はその深刻さを深刻に理解していると予想できるのである。だから、ヒューマンな価値観をそこで子供に押しつけることは、その正当な理解の仕方を、ゆがめてしまうことになると懸念されてくるのだ。志村動物園の動物愛護の物語、とくに動物の心が読めてしまうという女性の話などをきくと、動物が飼い主のことをみていないようでよくみている、わかっている、ということに驚く。子供にも、そういうところが多分にあるのだ。理解の仕方が断続的というか、蛙が獲物の動きがあったときにだけさっと気付いて舌をのばして食いつき、すぐにまた普通の状態にもどってしまうようなあり方だ。気まぐれともいえるが、しかしその理解の深さには、人間的、あるいは自然的な調和を促す実践力があるようにおもう。両親が神経質だと、子供もハイテンションになって、普段より明るくなってくるのは、その関係が危機的であることに対する、調整の試みを無意識に行なっているのである。だから、そこをこんなときに無邪気に騒いで、と子供の陽気さを否定していく親のヒューマンな教育は、自然に反した悪影響を子供に刻み付けていくことになるだろう。将来的に、根強い反発心を植えつけてしまうかもしれない。

もちろんこれは、テレビの向こうでこの悲惨さを見ている親子の立場においてのものである。津波にさらわれた瓦礫の町のなかで、父親の腕にしがみつき泣き叫んでいる一希と同じ年頃の子供がうつると、私の胸ははりさけそうだ。一希はなんでもないかのように、関心がないかのようにぼけっとみている。目の前で、母親が流されてしまったのかもしれないその子は、どんな痕跡をどのように心に刻み付けることになるのだろう? 私には、想像もできないのである。

仕事もできず、ずっと家にいて、食卓の椅子に腰掛けていることしかできないような私は、そのぶん、午前中の授業で給食もなく帰宅する息子といつも一緒にいられる。一希はよく私の膝の上にのって、私をソファがわりにテレビをみるようになった。樹上から落ち命拾いした私は幸せ者だ。この悲惨さの時代の中での膝の上の幸せを、一希はどう活かしていくのだろうか?

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