2011年3月23日水曜日

現状と今後


「大切なのは、希望を学ぶことである。希望がやる仕事はあきらめることがない。希望は、挫折にではなく、成功にほれこんでいるのである。希望は、恐怖よりも上位にあって、恐怖のように受け身でもなければ、ましてや虚無に閉じこめられることもない。希望という情動は自分の外に出ていって、人間を、せばめるどころか、広々とひろげていき、内側で人間を目ざす方向にむけさせるものが何なのか、外側で人間と同盟してくれるものが何であるのかについて知ろうとして、飽くことがない。この情動の仕事は、生成するもの――人間自身もそれに属している――のなかにとびこんで働く人間を求めている。存在するもの、見るもあわれな型にはまった、お定まりの、不透明な、存在するもののなかにただ受け身になげこまれているだけの、犬のような生活には、この仕事はとても耐えられない。生の不安と恐怖の策動に抗するこの仕事は、それらの元凶、大部分ははっきりそれと示すことのできる元凶どもに抵抗する仕事であり、この世界のために役立つものを世界そのもののなかに求めようとする。それはたしかに見つかるのだから。」(『希望の原理』エルンスト・ブロッホ 白水社)


とりあえず毎朝のネットテェックとして、気象庁アメダスの風向き、文科省の放射能調査、都内の環境放射線結果(水道水など)を見ている。事故のおこる以前と以後では、数値の桁が全然違うことがわかる。「ただちに健康に害はない」といっても、すでに法に定められた基準値を超えたりしているわけだから、じゃいったいなんのために基準値を定めたのだか、素人の頭は混乱するばかりだ。そこで知人からメールで知らせてもらった中部大学の武田邦彦氏のHPがわかりやすいので、紹介しておく。


その武田氏の発言のなかに、すでに大臣やら官僚およびテレビの解説者までが、勝手に法律を無視した法定外の発言をしているという。すでに福島県は、法で定められた「管理区域」に指定されなくてはならないほどの法的数値を超えた放射線量であるのに、「直ちに」健康に害はないということで許容(正確には、官僚の言い逃れが実践)されているという。原発事故直後、副島隆彦氏も「国家非常事態宣言」をだして、超法規的に指示・実行を強要できる体制にするべきだと発言していたし、自衛隊の内部でも、「数値はだいじょうぶですと嘘をいわなければ活動できない」というような冗談があったそうだ。トップが明確な判断(態度方針)を示さないということは、現場の自衛官や消防、電気屋さんが、市場では消費者が判断する、という負担を強いられるということである。つまりその責任を、現場に任せて、本来負うべき人たちのそれは棚上げにされてしまう、ということなのである。憲法9条の曖昧解釈なまま自衛隊がイラク戦争に派遣されていったときと同じ状況だ(ブログ「責任と個人の狭間」)。しかし今回が違うのは、それがまさに、9条でも保障された、本土防衛である、ことだ。イラク戦争では自衛隊員は引きこもったが、今度の彼らは死ぬ気で出て行ける、士気は高かったという。こういうところからも、われわれが本当は何を望み、理想としているのかがわかろうというもので、その日本人の本心は、アメリカに押し付けられたとされる9条の精神においても発揮されるものなのだ。

福島第一原発事故状況は、いい兆しが見えてきたとはいえ、植木職人である私は、むしろこれからが技術者の本番(困難)だと予想する。電気屋さんの彼らは、国家からの保障もない(曖昧な)まま、自らの仕事に対する矜持で、放射能をあびても続行するだろう。これまでは配線する程度だったのかもしれないが、それでも手元的な若い人は現場にいれないで、ベテランの少数先鋭で作業を続けてきたという。緊張の中での作業続行で、疲れもたまっているだろう。交代要員も少ない。海岸に停泊した休憩帆船で、疲れが回復されるといいが……。しかしこれからが、より難しく面倒な作業になるのだろう。高い放射能のなかで、つまり制限時間が法的に定められているけれども暗黙に無視されている外的条件のなかで、瓦礫のなかで、自らの体の異変にも気を配りながら、故障箇所を調べ、部品を交換し、ネジをきちっとしめ、……アメリカのスリーマイル島での事故も、技術者が制御装置のメモリを読み間違ったというケアレスミスから被害が拡大したという。悪条件の中で、交代要員も十分でなく、疲労がたまった彼らベテラン職人においても、ケアレスミスは高くなるだろう。私は、成功を祈るばかりだ。

政治の世界では、すでに事故解消後にむけての算段が動き始めているようである。震災以前の、経済危機をいっそうの国民犠牲でごまかしていくという体制が、震災後、より加速度的に緊密化していくような向きがありそうだ。自然災害には黙って処そう。しかし人災に関しては、黙っていてはいけない。寡黙な東人(あずまびと)の精神は、かつての大戦をも自然災害として受容してしまったといわれもする。しかしこれから、ほんとうの人災がやってくる。それは近代の、国家の、官僚の、大資本家たちの、延命のための人為的な陰謀としてやってくる。役人は黙っている大人しい人にはつけこんでくる。クレーマーには親切になる。そんな変な人種だが、そういう人たちが合作してくる世界に急激に突入していくことになるのだろう。庶民は監視し、声をあげなくてはならなくなる。

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