2011年3月16日水曜日

国家と国体、そして地球


「しかし、富士山の山の神を祀ることが十分でなかったのか、神を怒らせたことに対する誤り方が不十分であったのか、再び富士山は大噴火をする。…(略)…このときの(註、864年)大噴火による溶岩の流出によって、かつて富士山北麓に存在した戔リ(せ)の海は埋められて消失し、あとに精進湖と西湖という小さな、現在も残っている湖が造られた。広大な富士山の北麓を溶岩が埋め尽くして、そのあとが、現在青木ヶ原樹海と呼ばれる、溶岩の上に木の生い茂る地帯となったのである。報告によれば、溶岩流はさらに河口湖に向って進行中なのである。民家が溶岩に埋められて、多くの人命もこのときに失われた。歴史時代における最大の富士山の起こした災害であった。」(上垣外憲一著『富士山――聖と美の山』 中公新書)

石原都知事は、この大地震に対し、「天罰」と発言し、撤回・謝罪することになった。私もこのブログで、自身に降りかかった労災を「天罰」と捉えた直後だったので、この地震をそういう文脈上で捉えた。しかし先のブログで、そういう言葉をださなかったのは、自分ではない人にむけてそんな言葉遣いをしてはいけないと考慮したからである。しかも、私の母親の実家は宮城県の多賀城市にあって、幸いおじさん、おばさんは、水没孤立したソニー工場とは別地区に居住していて無事だったのである。両親にきくと、一回目の地震で無事を確認した電話の最中に大きな地震があったようで、叫び声とともに電話が切れたので心配したそうである。

しかし、私のいう「天罰」と石原氏のそれとは、位相が違うようだ。石原氏は、そうとらえる例として、「おじいさんが30年前に死んだのを隠して年金搾取する、こんな国民は世界中に日本人しかいない」ことをあげたそうだ。人にそこまでの行動をとらせたのは、知事がおこなっているような行政国家によるというのに! つまり、石原氏が依拠している国家とは、あくまで人民を統治する行政機能に収斂されていくものなのだ。それゆえ、彼の行政の続投がこの震災後に意味してくるものがどんな統制であるのかは、想像がついてくるだろう。しかし、私にいわせれば、そうまでして、つまり親の死さえ葬儀(宗教)的に解消せず、精神的な宙吊りのままでも地を這うように生きていこうとする、この静かな日本人の根性にこそ、現国家を支柱している国体があるのだ。いま諸外国が日本人は冷静に助け合っていると評価しているように、この国体的態度が、行政国家のジャーナリズム情報操作のためということではなくパニックをおこさず、現困難を耐えていかせているのだ。おおざっぱな比喩でいえば、石原氏の国とは、弥生時代以降の官僚行政機関的な国家であり、私が評価するそれは、縄文時代的な心の在り様なのである。このブログでも追求して言ってきたことだが、その先史時代的な文化的遺伝が、大和魂や、武士道や、特攻隊的な献身や、大戦に対しての「国民は黙って処した」という道に貫通しているのである(そして実は、日本だけでなく世界中で)。しかも、もしかして、そもそもこの諦念に似た黙々さは、自然災害の記憶に由来しているのかもしれないのである。

私は、死を受け入れて、爆発する原発の前で作業をしている特攻作業者のことをおもう。戦争中の作戦で、自身のまわりで3割が亡くなったら逃亡していいというのが兵士の法則であり、100%死ぬ作戦は戦争をするプロとして失格なので、そういうことはしないというような欧米の価値観ではなく、現場から逃げず、玉砕的に献身ししていく人たちの姿を。しかし、たとえそれが文化的な遺伝子だとしても、人間的な確率では、実際にそうした人は多くはないだろう。それは、しょうがないことだ。20日間は水で冷やさなければ鎮火しないのだそうだが、被爆して交替という人員であるなら、いったい何人の神風労働者が必要なのだろうか? 私がそのうち人員がつきるだろう、というと、女房は、東電のトップが特別に支給すると保障して特攻ボランティアを募れば、人は集まるんだ、死んでもいくという人はたくさんいると豪語する。私はそこまでは疑問だし、自然に燃え尽き爆発するまで待つしかなくなっているのではないかという気がする。ならば、チェルノブイリの事例からすると、300kmが被爆の範囲だそう、ならば、横浜へんから新潟以北までの東日本はほぼ全部ということになる。そこでは、半永久的に、他人に売れるような食品も工業製品も作れないだろう。復興ボランティアの人たちも被爆するとなれば、いけるだろうか? おそらく、被爆しても復興に向う大勢の人たちがでてくるだろう、それが日本人だ。しかし、一方で、近代以降のおいしい生活に依存したアイデンティティーであるのも確かなので、この生活態度を維持する方向性も強いだろう。ならばどうするか? 復興の予算は、少なく見積もって25兆円と試算する報道もでた。景気が普通で税収40兆円に借金40兆円が国の予算、GNPは500兆円くらいだそうだ。……私の勝手な連想は、日本人は、この生活を生き延びさせるために、東日本を切り捨てることになるのではないかと……ロシアは、燃料の供給を申し出ている。北方領土の開発で天然ガスパイプラインがひかれ、米ソ冷戦体制時代にドイツや朝鮮が分割支配されたように、東日本はロシアの傘下に、西日本は中国の傘下に、となりうることもあるのだろうか? 韓国などの新聞には、阪神大震災のときと違って、すでに日本は世界経済の15%ほどしか占めておらず、影響力はなくなっているので、ひどくはならない、と報道されたりもしている。ならば、見捨ててもかまわない、というのが政治世界なのか?

しかし、この地震が、日本一国のものではないのではないか、という科学者の意見発表もあいついでいるようだ。日本列島が2.4メートル動いた、とか、地軸が12cm動いた、とか。韓国の研究者は、とりあえず自国の火山活動に異常はないので、これから日本のそれを調べるとも報道されている。太平洋プレートの影響で大陸プレートが影響して長野と新潟県で地震がおき、ならばフィリピンプレートでもあるのではないか、富士山が爆発するかもという研究者もいる、とか友人と話し合ったあとの昨夜、事実フィリピンプレートを震源とする東海地震があって、富士山周辺が揺れている。気象庁は、既知の範囲ではいわゆる東海大地震とはちがうが、ほんとのところは、そのメカニズムはわからない、と地震直後の会見で述べていたようだ。今おきていることは、人間の活動のことになど全く関知しない、地球レベルの周期変動なのかもしれない。温暖化で極地での氷が融けている、という話しも、実は人間がだす排気ガスなどまったく関係がないのかもしれない。ほんとうにそうなったら、入院中読んだ『神々の指紋』や、退院してからレンタルしてみた映画『2012』みたいな話しになってしまうのだが。

とにかくも、次は、この災害時の子供の情況と教育について、書く予定です。

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