2011年4月1日金曜日

危機(人間)回避と全体


「なぜ近代社会においてアジールの存在を考えることが困難なのだろうか? 私たちがまずなすべきことは、アジールの今後の可能性を祈りによって予断することではない。まずはアジールの歴史的な変遷を近代に至るまでたどったうえで、この困難の構造を考察することが我々の目下の課題である。」(舟木徹男著「アジールの近代」・『アジール――その歴史と諸形態』オルトヴィン・ヘンスラー著 国書刊行会)


「最悪の事態」になっても、その被害は50キロ圏内だろう、チェルノブイリのような大事故にはならない、というのが福島原発事故をめぐって落ち着いてきた一般の見解なようである。


「本当に最悪の事態になったときには東日本がつぶれるということも想定しなければならない。(東電は)危機感が非常に薄い(毎日新聞)」と菅総理が発言したとされる記事がでたのは3月17日。国会でもこの「最悪の事態」が議論されているとの記事が報道されはするものの、ではいったいその「最悪」とがどんなものなのか、具体的な内容が言及されないままなので、それはなぜなのか、となおさら疑心暗鬼に不安になっていた。その間、米市民団体の試算として、<放射性物資「スリーマイルの19万倍」>、フランス原子力安全機構の話しとして、「半径100キロ圏を優に超える地域で、放射能汚染が確認されても驚くべき状況ではない」(ともに毎日・3/29)、とうの記事がでたりする。いったい「最悪の事態」とはどういうことなのか、そのときどうなるのか? ……「圧力容器の底が一気に抜けて大量の核燃料が格納容器内の水と反応し水蒸気爆発を起こす「最悪のシナリオ」」と毎日新聞で言及されたのが3/31日。なるほどそういうことか。ではそのときの被害は? 


友人からのメールで、田口ランディ氏のブログが、この素朴な不安と疑問に答えているとの知らせが入って、それを読んで一安心したのが今日。また、副島隆彦氏の現地報告と、田中宇氏の最新報告が入ったのも今日。とりあえず、東京に居住している私はあわてなくてもいい、という話になる。いま子供は、小学校のキッズクラブで、砂場遊びをしているというので心配だが。


ただ、覚悟を決めている副島氏の意見は別としても、こうした意見の前提になっているのは、現在日本政府がとっている、ずるずるいく方針体制、ではなく、あくまで、爆発的な事態のそのときは、ということである。つまり、一時的な話しであって、長期的な被害の場合はどうなるのか、という人間的な話が前提から抜け落ちているようにみえる、ということである。そこには、原発作業員体制のこと、風評被害ということも現実的な事態として想定しなくてはならなくなるだろう。この<ずるずるべったり>体制を、かっこにくくって度外視し、危害は大きくならない、とわれわれを安心させていいのだろうか? と私は逆におもえてくるのである。とくに、「圧力容器の底が一気に抜けて」という「最悪のシナリオ」の可能性、田中宇氏のいう「第2の正念場」は、作業員の、つまり人間の身体という限度性とかかわってくる。また日雇い職人である私が一番気にかけるのも、この点である。週刊文春によると、孫受け会社の作業員日当は八千円だそうである。(また、一番の危険箇所はアメリカ人など外国からの出稼ぎ者だという。)


毎日新聞3月25日では、「通常運転時は4000~5000人がいるが、事故後、ほとんど避難し、一時は東電社員と協力会社員ら57人まで減少」としたうえで、東芝が約100人派遣が「電源復旧や海水くみ上げポンプの設置」、日立が「電気系統の技術者120人派遣」、原子炉圧力容器など納めたIHIでは「約30人が2号機の注水作業を手助け」、関西電力が1400人を「送電網の復旧や、原発周辺の放射線測量測定」などにあたっていると報告している。

朝日新聞では、3月31日、「長期戦を支える人を守れ」と社説に。またその日、「疲れからくる事故を防ぐためにも、作業員の待遇改善が今最も重要だ」という話しも紹介されている。


作業をしていて一番いやになる、ばかばかしくなる、むなしくなるのは、それがなんのためにやっているのかわからない、ということである。穴を掘っては埋めさせられたというドストエフスキーの刑務所体験、カミュが言及した、永遠に山への岩運びをくり返すシジフォスの神話……下っ端の労働者といえども、全体の見通しがない、あるいは、トップが示さないでやみくもにやらされることは、とてもしんどいことなのである。せっかく自衛隊員と消防隊が命がけで放水をしたのに、それが漏れている、しかしそれでも放水を繰り返さなくてはならない、いつまで? やりつづけてどうなるというのだ? 総理大臣を指揮トップとしたいまの体制が、下っ端のこの質問に答えられない限り、作業員の士気は落ち、不満がくすぶり、より事故の危険度は高まるだろう。型枠をヘリコプターで作って生コンながせばというアメリカは日本の生ぬるい体制に業を煮やし、ロシアの高官も「日本の複雑で硬直的な官僚的運営」を批判しているという(週刊文春4/7号)。ずるずるいくという方法を選ぶにせよ、それがどうなるのか、という全体の見通しを現場にしめすことができなければ、「最悪の事態」想定から短期的に解決していこうとする欧米各国の強引な政治文化対応のほうがましだった、ということになるだろう。そしてほんとうに、「第2の正念場」が現実のものとなったときは、すべての労働者の安全を考慮しながらという名目での、ずるずる体制自体が、批判されることになるだろう。そのときは、チェルノブイリ事故みたいにはならないから心を落ち着けて、という態度事態が呑気にしかならなくなる次元が前面にでてくる。遠方での被害のあるなしではなく、現場のことを身をもって考え、切迫することを敬遠し、遠方から傍観しているだけのようなわれわれの態度事態が間違っていたのではないか、と問われるのだ。


しかし、「第2の正念場」とは、いつくるのだ? 戦時中でも、大本営は嘘をついていたのではなかった。負けるという全体の見通しのことはいわないで、局地的な戦況の事実を伝えつづけたのだ。それもいまの状況と似ている。ということはつまり、佐藤優氏が指摘しているように、大本営の発表をよく吟味すれば、その向こうも推論することはできるのである。NHKの解説者は、アナウンサーに冷却装置の復旧はいつごろできるのか、と問われ、一度目はまだ見通しがついていない、と答えたが、二度目には、「数週間で目処をつけたい、と(東電が?)いっていましたが…」と口をにごらすようにもらした。毎日新聞では、学者のひとりが「一ヶ月以内に」と発言している。ということは、数週間から一ヶ月以内に電源復旧して冷却装置を駆動させないと、第二の爆発、「最悪の事態」が発生する、ということを意味しているのではないだろうか? つまり4月2週目から末日くらいまでに。


……本当に機械をなおせるのだろうか? その見通し自体はなお語られていないようにおもうが、本当はどうなのだ? ということが、いまわれわれが一番知りたいことであるだろう。中央制御室の機械類に電気が通れば、どこの箇所が破損しているかがわかってくるというが、そのこと自体が可能なのか? 豆電球(照明)がついた、とは何も意味していないのではないか? 前回ブログの冒頭で引用した広瀬氏の発言に、海水の塩分濃度は高くないのだ、というような修正もあったようだが、ネジにちょっと粒がついただけでも作業が困難になるのが現実であり、すでに破損が推定されている圧力容器の底には、修理しなくてはならない複雑な構造もった機械類があるのも自明的である。となると、なにが安心なのかわからない。人を驚かすようなおおげさな言動ではあっても、広瀬氏の見通しがまだ間違っていることにはならないだろう。私たちがなお危機のなかにいることは、現場にいる作業員の切実さを想像すればあまりまる。



0 件のコメント: