2011年7月5日火曜日

「安全か、危険か」を超えていく隙間

武田 福島市長は、おそらく山下さんが100ミリということは、もう事前に聞いてあって、政治的には100ミリって言ってくれることによって福島市民の心の安定を得ようと思ったんでしょう。それで、しかし――。 副島 それで今、逆に福島県に動揺が広がっているんですか。 武田 うん。広がっている。ジワリジワリと。山下さんの言っていることを最初は信用した。福島市の人が僕に送ってくるメールによると、彼は細かく福島市を講演し、住民を説得してまわった。100ミリシーベルト年間は大丈夫だと。それを最初聞いて信じていた人たちは、内閣の参与の小佐古さんが辞めたり、僕が「1ミリ以上は危ないですよ」とか言ったものだから心配し始めた。その波は4月の中旬ぐらいからのことです。心配し出した一つの表れが、郡山市の洗浄作業です。郡山市の人たちが1ミリシーベルト年間を超えてはいけないと思って洗浄を始めたんです。僕はいいことだと思ったけど、このことが周囲に与えた影響が、いいか悪いかという判断は難しい。しかし、庶民はもう少し強いんじゃないか。つまり、かつて有名な労災がありました。ベンジンを使ってスリッパを作る仕事をしていればがんになるということは前から分かっていたけれども、自分はベンジンでスリッパを洗浄しないと生きていけないからベンジンで洗浄したというものです。ぼかにも僕が言う話があります。アルミ缶入りのビールは素晴らしいんだというものです。なぜなら、昔は酒屋の丁稚というのは、重たいビンビールの20本入りケースを運んでいたので、だいたい50歳前後で腰痛になって死んだ。割合と若くして死んだ。しかし、彼らはそれは分かっている。その後、アルミ缶入りのビールができたために、腰痛で死ぬ酒屋の丁稚はいなくなり、その分、寿命が延びた。だから今回の問題は、放射線による害というのを正しく伝えること、主婦が計算できるようにするということが、現地の人たちにとって耐えられないかどうかですね。金持ちしか逃げられないという現実は、まさにその通り。貧乏な人は、どうしてもそこで生きていかなければならない。そういうことはありますからね。……」(副島隆彦vs武田邦彦著『原発事故、放射能、ケンカ対談』 幻冬社)



「今の基準(20ミリシーベルト/年)は、安全か? 危険か?」と帯された上記引用の著作を読んでいても、少しもすっきりしないのは、やはり問題の立て方自体がすでに社会のカラクリにはまっているからではないか、というのが私の理解である。私の理解では、副島氏が科学的根拠として信憑する山下氏の発言にしても、100ミリシーベルト以下は「安全」だと言っているわけではなく、医学的にはわからない、と言っているのが、副島氏自身が根拠として自身HPの掲示板で引用している山下氏の文章からもみてとれ、それはおそらく、顕微鏡で見てもわからない、とかの、現時点の医療技術では突き止めることができない、ということを言おうとしているのだろう、と推論される。がしかし、と山下氏が続けるのは、それでも、原爆を落とされた広島市民や長崎市民のように、福島市民の人々も生きていくことができるのだ、汚染された水を飲み、残留した放射能をあびつづける生活であっても、という社会的な事実が挿入され、ゆえにその教訓として、今の放射能下を生きる人々の人生における自覚の話しに転換されているのである。つまりそれは、あくまで「科学」の話しではなく、むしろ社会の話しなのである。そして、ウルリッヒ・ベック氏の「リスク社会」という呈示によれば、現代は放射能に限らず、副作用社会が前提になっている。そこで事故が起きれば、副作用それ自体において科学的に「安全」な数値などないのであるから、ではいったいどの数値までそれを許容するか、という社会的なコンセンサスの議論が惹起されてくる。平時においてあった前提が、事故時には泥縄式に沸騰するということになる。上の議論のように。つまり、上のケンカ対談は、それ自体がリスク社会の産物であり、症状なのである。ならば問題は、われわれはわれわれを前提とさせているリスク社会そのものから脱することができるのだろうか? という話しになってくるだろう。


昨夜、「なのはなプロジェクト なかのアクション!」主催の、「未来バンク」を運営している田中優氏の「自然エネルギーシフト」への講演をきいてきた。たしかに、自然エネルギー社会が前提させてくるものには、副作用問題は希薄になってくるかもしれない。が田中氏自身が、脱原発から自然エネルギーへ議論を直接うつすことには反対だ、なぜなら、そうするとすぐにその欠点をあげつらう議論に取り込まれてつぶされてしまうからだ(それは副作用、というより、一長一短の話しであるだろう)、だから、それ以前に、現段階での節電、東電の料金体系等をも視野にいれた節電という中間項で現問題が解決できるのだ、ということを示す議論や問題提起を媒介させたほうがいいのだ、と前置きしていたように、われわれもまず、なお「カラクリ」のなかにとどまって議論を煮詰めておく必要があるのだろう、と私も考える。それはひとえに、自分が福島市に生きる子供を抱えた親だったなら、どうしたらいいのか、と想定してみれば、そんな素早く自然エネルギーの話しなどする余裕がなくなるだろうからだ。


しかし、放射能から逃げる、逃げない、という話しだけなら、答えは簡明だ。事実貧乏階級に属しているので、あるいはそこに身を置くことをひとつの思想にしているので、逃げるわけにはいかない、ということだ。3月の事故直後でも、当時の私の知識教養レベルでは、原発が爆発する、ということがどういうことかわからなかっただろう。また今から推論するに、誰もどうなるかわからず、頭には広島・長崎のきのこ雲、原爆のようなイメージしかなかっただろう。そしてそう爆発が大きくならなかったのは、設計ミスのおかげという、不幸中の幸いだったようだ。もしがっちり設計建造されていたものだったなら、原子炉ごと吹っ飛んで、甚大な被害が広範に及んだものと私は思う。とにかくも、原発からの爆風を想像しなくてはならない範囲内に居住していたとしても、私(たち)は逃げ遅れただろう。では、その逃げ遅れた私たち家族が、「安全か、危険か」が騒がれる福島市に残っているとして、私はなにをどう判断するだろうか?


(1)夫婦喧嘩を極力おさえて、子供にストレス影響を与えないようにする……地震津波で離縁する、という夫婦はないと思うが、原発事故後のどうするかをめぐって離婚までいった世帯がいる、ということが私にはよくわかる。たとえばわが女房、最近ようやく水を買うのをやめた、事故直後、私があれほど停電と放射能で水がどうなるかわからないからポリタン買ってためておけ、といっていたのを平気で聞かず、結局は松葉杖の私がホームセンターでタンクを買って水の貯め置きをしたのである。そんな呑気だったのに、もうだいじょうぶだという頃になって、女房わざわざミネラルウォーターを買って料理をしはじめ、私が貯め置いたタンクの水は匂いがいやだから使わない、とほざく。ヨウ素はそのうち減るし、セシウムだって沈殿するから下まで使わなきゃだいじょぶだ、俺たち貧乏階級の分を弁えまえろ、といっても、もともとグルメ穣さんだからいうこときかない。けっきょく貯め置きのポリタンはゴールデンウィークあけのベランダ掃除に使うことになった。てなぐあいで、わが女房はいつも遅れてパニックになる。もう逃げる段階はおわったのに逃げようと考え出したり。しかし貧乏人は帰ることを前提にした逃亡などできない、やるときは移住、ということになるので、私は地震と原発被害の少ないところ、しかもツテのあるところをと調べていた。広島から長崎に逃げてしまった人にならないように。すると、熊本県の一部、と群馬県の一部、とでた。というか、ほとんど日本はだめだから、逃げてもしょうがないのではないか、という結果だったが。しかし、私がどう考えても、そのときの女房が呑気なので、実践は伴わない。そこでの軋轢を、子供はじっとみている。小学2年生にもなってオネショがなおらないのも、すさまじい夫婦喧嘩がトラウマになっているのではないかともおもう。その子供をめぐっての教育法にも喧嘩が生じる。女房はママゴンのように宿題をみて、漢字の書き順がどうのこうのとしつこくいって子供も毎晩のように泣かせている。「けっきょく原発事故の原因ってなんなの?」 とたまに女房がきいてくるが、「だからおまえのような教育を子供にしていくからだよ。文字の操作で現実に対処できるとおもう本末転倒な連中が世の中を仕切るからだろ。東大でてそういう世界にいくのと、途中でおちこぼれて引きこもりになるのはコインの表と裏でおんなじだ。宿題など親がみるな。間違ったら先生に直されればいい。叱られるのになれなきゃだめなんだ。いやならそんな宿題やらなくといい!」しかし一昨日も、学校に漢字ノートを忘れたから宿題できないと泣く子供にわざわざ金だして新しいのを買ってきて女房はやらせる。私は子供には、チラシやカレンダーの裏に漢字を書いてだせばいいだろう、といったのだが、なんでこうもいい子ぶりになるのだ? 俺たちは、貧乏人だろ?


(2)くたばる貧乏人はどこまで迷惑をかけられるのか?……100ミリシーベルトでもだいじょうぶだ、安全かはわからないが、安心できる、と説く山下教授の話しをきくと、武士道とは死ぬここと見つけたり、などという「葉隠れ」の言葉を想起してしまう。かつては、知らぬが仏で放射能世界を生きれたかもしれないが、いまはそんなことを説教するのは、人々を聖人か仙人にでも見立てないと通じないだろう。かといって、科学的根拠など呈示できないのだから、不安をぬぐいさることは根底的にできず、その根底自体が新しく定義しなおされる次なる時代にまで待たないといけない、ということなのかもしれない。だから貧乏人にできることは、くたばる、ということだ。武士道、というと格好はいいが、実際には、端の人にだいぶ迷惑がかかるのである。高倉健やとらさんの映画世界では、その迷惑どころは割愛されている。震災前に、私は木から落ちて入院した。その残りの仕事を、団塊世代の職人さんが代わってやって、やりとげたあと腰痛で入院した。(もともとは、福祉老人介護をしていた娘の腰痛検査の付き添いで病院にいったさい、父親のほうが重症だと発見されてしまったのが端緒なのだが……) 私は退院し、仕事に復帰した。その職人さんは、なお通院し、また手術かもしれない。私には労災がおりたが、その先輩職人におりるかどうかはなおわからない。私には貯金があったが、その職人さんはみんな飲んでしまって一銭もない。高度成長とバブル経済と働いてきているので、金の使い道のない私なら、1億円ぐらい貯金できているかもしれない。が、職人さんは一銭もない。仕事柄、たまに公園で暮らす野宿者の近くで作業することがあったが、職人さんのその人たちをみる目つきは、「俺もやりたいな」、という感じに私にはみえた。はじめから、宵越しの銭はもたない、と職人気勢を示すことわざにもあるようの、そのときはくたばればいい、というのが前提(覚悟)にあるだろう。「ずっと働けるわけないんだから、歳とったっとき、どうする気だったんだい?」と親方はきいたらしいが、おそらく親方にもわかっていて、だから、法的な対処などに従えず、ホームレスにさせるわけにもいかないから、毎月の家賃や光熱費たぐいの生活経費ニ十万円相当を、立て替えて支払っているのである。くたばる、とはそういうことをはらみ、相互扶助とはそういうことを意味し……そんな社会をみてきている私には、いわゆる左翼な共同体論を、鵜呑みにして人間現実に適用してみるわけにはいかないのである。

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