2011年8月22日月曜日

「食べる」vs「食べない」を克服するために

「…まず見捨てられる地域と勝ち組の地域を分けようとする動きが出てくるのでは。分配するパイ、資源が減少する中、仕方ないじゃないかとね。米国では、保守派の草の根運動『ティーパーティー』がそう。現に明暗をはっきり分けるような首長や政治団体が地方の大都市に出てきている。それは日本をより分裂させていきます。」(姜尚中発言 2011.8/19 毎日新聞・夕刊)


昨日、福島県に入り、小名浜のほうからいわき市をとおり、郡山市をかすめ、第一原発事故現場より20km地点の川俣町、そして福島市をみてまわってきた。線量計をもって。グループの目的は、川俣町の隣にある二本松市は東和町のNPO団体「ゆうきの里東和」での農業取り組みの話しを聞き、東京は中野区で行ないたいグループの企画を説明しにいくためである。私はその予備運転手として参加させてもらうことになったのだ。けっこうな雨がふるなか、傘もささず、カッパもきず、20km近辺で立小便をしていると、線量計で放射能を測っていた人たちが、9マイクロシーベルトを超えた、と声をあげてくる。30km近辺では1.68ぐらいだったのが、それ以降の10kmで、どんどんあがっていったということになる。これはさずがに、雨に濡れたりするとやばいのかな、とおもいながら、傘をさすことにした。しかし、計測器の中の数値がかわっても、何もかわらないし、その変化を実感もできないのだから、奇妙な感じだ。恐怖心というより、変なの、と。しかし封鎖するおまわりさんと話して車をUターンさせて走りはじめると、胸が痛くなる感じになる。呑気なようでいて、内心にはストレスがかかっていたのだ。そこにずっといるということはどういうことか? 30km圏内の警戒区域では、ほとんどの民家に人影はない。田んぼ、車道脇、山では草や蔓が繁茂し、このまま1年ほうっておいたら、またもとにもどすには(放射能がなくとも)、何年もかかるだろう。
今の世論の動向はどうだろうか? 私はおおまかには、自己犠牲的に福島の野菜を食べてゆくようなみんな一つにの右側の人たちと、生命第一主義的な近代開明派の個人主義的な左側の人たち、とに分かれてきているようにおもう。いわば、「安全か、危険か」の二分である。しかしこの分裂は、イデオロギー的にあるだけではない。陸前高田市の松の薪をめぐって京都の町との間であったことが象徴しはじめているように、それは東日本と西日本とで分断しはじめているのだ。そのうち、福島の野菜を食べた人たちのウンコが問題になるかもしれない。それが下水を通して処理場にゆき、猛濃度汚泥として堆積していくのだと。そこまでいけば、稲藁だけでなく、東西での人との交流自体が忌避されていくのは時間の問題だ。私は原発事故発生当初、東日本が切り捨てられる形で日本が東西に分断されてゆく可能性がある、とこのブログでも書き、女房からおおげさな妄想だと一蹴されたが、現在の世論動向は、その潜在的であった現実を露呈していく方向に向っている。チェルノブイリ事故からの300km境界という一般的法則を確認するかのようにでてきた静岡県でのお茶っ葉問題から隠見し、岩手県の陸前高田市からもちあがってきた事態は、その顕在化の徴候であり症候なのだ。朝鮮半島が世界的な構造のなかで分断統治されているいように、いまや日本では、北朝鮮のような自己献身的な集団派の東日本と、韓国での口では統一といいながら本心ではどうか知れないような個人主義の西日本との分断、という内政状況になりつつある。世界基軸としてのアメリカ(ドル)の失墜からおこる次なる親分や信用構造を決めていくためのこれからの仁義なき世界大会のなかで、そうした分裂が、諸外国にとって有利に働いていくだろうのはいうまでもない。冒頭にあげた、在日の姜氏の洞察と見立ては、私の認識を妄想ではなく、後押ししていくものと読めた。では、安全か危険か、福島野菜を食うか食わないか、との二分法ではない、どんな実践があるというのか?
京都大学の研究所の小出氏の話は、どうも一般には放射能は「危険」という立場に立つことから「食べない」派のように受けとられている、あるいはそちら側の(教養ある)人たちに受け入れられているように見えるが(「食べる」側は知識教養のない無知な大衆、ともなっているようにみえる……)、私がネット上での発言を聞くかぎりでは、むしろ「食べる」側なように聞こえた。というか事故後出版された書籍では、そう「食べる」べきだと書いているのだそうだ。ラジオ発言などでは、そこらへんは意識的に曖昧にする、というか広範な知的大衆をおもんぱかって口ごもる、という感じだった。といってもこれは、「安全」だから「食べる」、ではない。「危険」でも「食べる」べきだ、ということと私には思えた。しかしそれゆえに、きちんと調べ、情報開示しよう、と。そういう話をきいてこれは具体的実践としてはどうなるということなのかな、と思い浮かんでくるのが、ダイエットのやり方だ、ということだった。商品に値段ラベルだけでなくカロリー表示がされていたりするように、ベクレル表示が印字され、カロリー計算しながら食生活を管理してゆくように、ベクレル計算しながら食品消費をコントロールしてゆくのだ。ここんとこはこれだけのベクレルの肉を食いすぎたから、今月は体を休ませるためにひかえておこう、とか。小出氏が具体的にどうイメージしているのかわからないが、私には話を聞きながらそんな生活が思い浮かんできたのである。それだけどうしょうもない、逃げられない、あとにはもどれない現実なのだと。しかし条件として、と小出氏は書いているのだそうだ。子供たちは巻き込まない。日本の農業をどうすべきか、を考えること、と。
NPO「ゆうきの里東和」では、高額をだして線量計やベクレル測定器を導入している。それだけでは数が足りない、だから時間がかかってしまう、と。理事菅野正寿氏は話す。……手入れをすればするほど放射線率は落ちてくるのです。隣の川俣町では背丈ほどの草でぼうぼうです。それではいつまでたってもそのままです。たしかに刈った草は、畑の脇におくだけだったり、中には深くすきこむことで処理したりする人もいます。できるだけ外にだすように指示してますが。しかしそれでも畑が除染され農作物の線量が落ちるのです。セシウムはアルカリ金属なので、堆肥をまぜれば作物への吸着がさがります。堆肥の放射能が問題となっていますが、家庭菜園ではまとめて使うとしても、畑ではばら撒いて使う程度なのです。農作物のなかにはカリウムがはいっていて、その自然放射線の量も計測されてしまうのですが、それと同等くらいまで落ちるのです。それでも入っていないものが入っている、だから食べないという人たちもいるでしょう。それは消費者の判断に任せます。しかし新聞などが、根菜類は移行係数が高くて放射能物資が多く含まれやすい、などとチェルノブイリでの研究論文かなにかをひっぱってきて書くと、すごい影響がでます。しかし実際に測ってみると、そんなことはないのです。たぶん、チェルノブイリと東和では、土が違うのでしょう。そういう学者もいます。3月25日に政府のほうから種まき中止令がでて、4月12日に解除されました。作っても売れないのじゃ作らないという声もありました。だけどお願いして、種をまきました。そのとき作っていなかったら、いまは売るものがなかったかもしれません。売り上げも、9割ぐらい回復してきました。しかし、福島県ぜんたいでは、3割程度に落ち込んでいるのです。――『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ)でも「次代のために里山の再生を」と書いている菅野氏の話の表情は、物静かだったが、悲壮を押し殺し悔しさが滲み出て来るようにみえた。「じいちゃんばあちゃんと、孫の食卓が別々なんです。」「心の除染も必要なんです。」
東和町のような取り組みは、福島県でもまれなようだ。しかし2年成功が続けば、他の地区も後追いするだろう(しかし高額な線量計やベクレルモニターをそろえるだけでも大規模な支援が必要になる)。しかしまた、自営業的な方々が、数年もちこたえる、というのは大変なことである。そしてここ数年で、世界経済の情勢は激変するだろう。戦時中のように、農家へモノをもって食い物と交換してもらう、放射能入りでも、という時代がくるかもしれない。そのとき、単なる個人主義者のいやしさと、狂乱的な集団主義者のあさましさとが陰険な対立をはじめるのかもしれない。そうはならないためにも、われわれ日本人は、中庸の実践を模索しなくてはならない。世界に開かれた形で。むしろ次なる世界へのヘゲモニー争いで、負けないように、われわれの思想を呈示し率先していけるように。

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