2014年2月14日金曜日

詩情と個人 --映画・「ある精肉店の話」をみて

「彼らは『奥の細道』を記すために旅をしたわけではない。このときの旅の目的は、もちろん「物見遊山」ではなく、普通のサラリーマンの旅と同じなのである。しかも「藍のセールス」という、そのときどきの出来・不出来(現代とは違うから、その年の天候や施肥、藍玉製造の巧拙によって非常にばらつきがあった)、その年の景気に基づく需給、先方の信用度、先方の支払い能力に対応した延払いと自己の資金力との関係、それらを総合した形での価格の決定、そのための駆引等々は実に複雑なものであったらしい。それはある意味において、「そのときどきの状態に対応する感覚」すなわち「流行」を要請される。だが同時に彼は、これとは全く別の世界、それがどう変転しようと、それとは関係なき「一貫している詩の心」をもっていた。それは彼が十七歳のときの、埼玉と長野の間の小さな世界の中でのことではあっても、この態度が青年時代にすでに確立していたことは、日本全体の大転換に際しても、変転する世界情勢に対しても、常に同じ態度をとり得たことを示すであろう。われわれは将来に対処するため、近代化の犠牲として失ったこのことの重大さをもう一度考え、あらゆる方法でそれを回復せねばなるまい。もちろんそのことは栄一と同じ内容の「不易」へもどれということではない。栄一の「不易」の内容は芭蕉の「不易」の内容と同じではないように同じでなくていい。言いかえれば記すのが「漢詩」ではなく「英詩」でもよい。いわば「自分の詩的世界をつくり自らその中に居る能力」こそ人間のみが持つ「不易」なるものであろう。それは確かに人を「不倒」にしうるし、それがあれば変転する「流行」に対応しうる。」(山本七平著『渋沢栄一の思想と行動「近代の創造」』 PHP研究所)

東中野ポレポレ座で纐纈あや監督の映画『ある精肉店の話』をみた。この監督の前作で原発地開発をめぐる、瀬戸内海の小島の漁村民を撮ったものも見た記憶があるが、今回も「部落差別」という社会問題的な素材という捉え方を超えた、より普遍的、というよりはより「普通的」な領域へと鑑賞者を誘うので爽快だ。前作では漁師たちやその村の生活、住民という集団的な様相に隠れてよくみえなかった個人の顔が全面に出てきていて面白い。いや私はこの肉屋の精肉職人の顔にとても共感したのだった。年齢は私よりひとまわり上といえど、なんか眼鏡をかけた私の顔に似ている。太鼓作りの職人に様変わりしようとしている彼の弟の顔も実にいい。いいというか、いわば親近感を抱くのだ。いやどこかで見たような……と思い返してみると当たり前で、私のまわりの年上の職人たちは、みんなあんな感じの面構えをしているのだ。じゃあなんで、あのどこか目の座ったというか、腰が据わったというのか、肩肘の力が抜けたというのか、シニックじみた落ち着きをみせても生き生きした感じが抜けないところが、大阪の生野区の肉屋から東京の新宿区の植木屋の界隈にきても似てくるのか、と考えれば、おそらく、死の意識だろうと私は思う。植木屋さんが危ないときといえば、それは木の上にいるとき、と答えは明快だろうが、肉屋さんは、牛を屠場へ連れていくとき、そして屠場で一撃を加えて牛の頭を割る瞬間なのだそうだ。そう映画で知らされ、奥さんたちがその間は気がきでなくなる、牛があばれたら命がない、と聞けば、なるほどな、とおもえてくる。植木屋がシルキーや剪定ばさみで指を切ったりするのがよくあることなのだから、肉屋が包丁で牛をさばいているときに時折ははやるのだろうな、とかもかんぐってみたりする。
 死を無理やり意識させられて生活させられていると、いやでも肝がすわってくる。私は最近胃もたれがひどく、寝ている間も胃液が口腔にあふれてきて、子どもから臭いといわれたりもしたのだが、それは歳のせいで胃腸がよわってきたのだろうとおもっていたが、よくよく内省してみると、高所恐怖心をコントロールしているところからくるストレスなのだと気が付いた。小食にして摂食し胃の負担を減らしていく生活を心がけていたのに、なんでここ数日になっておかしくなったのだと、普段とかわっていたところはと考えれば、高木作業をしていて、たしかにその木上での体の中の感覚と、この胃もたれの感覚が続いている感じなのに気が付くのだ。もちろん、若いころはそんなことはなかったけれど、もう抑えが効かないのだろう。この映画でも、牛を屠場へと連れ歩く弟のほうが、「ふう、ふう」と大きく頬を膨らませて息をし、疲労と恐怖をその息のリズムで制御しようと内心の懸命さでもがいていて、「もう歳ですわ」ともらしたのだった。

しかし私がいいたいのは、そんな死の意識の話ではない。誰でもそうなるそこからたちあがる「個人」の顔のことである。この兄弟は、部落という地区で生まれたこと、またこの仕事にまつわる差別のために、単なる生活人ではすまなかった。解放運動に参加し、社会活動にも精力を注いだ。しかし弟が、ため置いた牛の皮で太鼓をつくる、その技術を残したいと小学校でボランティアの体験講習会を開いたのは、一般的な運動では解消しきれない強いおもい、個人的な特異性があったからだろう。兄のほうも、弟のように、何かを伝えたい、という。唯一残っていた近所の屠場がなくなり、この地区の肉屋も近代産業化の煽りをうけ先の見通しは暗いであろう。そんな時代が変転する中で、「もちろん肉屋はつづけますよ、だけどそれ以外にね」、と。その伝えたい何か、その思いを言葉にするのは容易なことではないだろう。しかし彼を支えてきたのは、むしろ「肉屋」以外の何か、言葉の核と化してきた「詩情」のようなものであろうと私は推察する。弟が、太鼓という楽器作りに、この生活を超越した音の伴う伝承に惹き付けられているのには道理がある。「はったりの世界」を生きている父親の後姿をみて、「俺はこの仕事を継がなあかんのやろ」と納得したその若い時から、打たれて強くなる鋼のように次第に固く鬱積していった心の髄。それが、人間の骨だ。魂の背骨なのだと私はおもう。そこから、手が生え足が生えるように言葉が生えるのだ。むろん、それを他人に通用するよう論理然と述べるには別の訓練が必要だろうが。

しかし、この心の骨なくしてどんな個人もない。船乗りが堂々とロシア皇帝に謁見し、漁師が変転する世界の中を自己主張し渉猟する。なんでかつてそんな個人を輩出していた日本が世界と戦争をはじめそれに負けたのか、その屈辱を考察した山本七平氏の冒頭引用の言葉には、その言葉以前の言葉の核(「詩情」)を、われわれ現代の日本人はもっているのだろうか、いつからどうしてなくなったのか、と問いかけている。つまり、無名世界のなかに、庶民生活者のなかに、個人はいるのか、と。

この映画は、ここにいるよ、と教えてくれる。

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