2018年9月14日金曜日

平和条約をまえに

「冒頭でも述べたように、敵国条項とは「敵国認定されている日本が戦争の準備をしていると判断した場合、例外的に安全保障理事会の許可を必要とせず攻撃しても構わない」というものです。
 この条項に照らし合わせれば、たとえば、日本が日米安保を破棄して独自の軍隊をつくる憲法を制定した途端、侵略戦争の準備をしているとみなされ、世界中から袋叩きに遭う可能性もあります。これは何も突飛な死文化した条項ではなく、古くはソ連との北方領土をめぐる交渉から近年の尖閣諸島をめぐる中国との争いまで、実際、事あるごとに外交テーブルの場に持ち出され、譲歩を迫られているのです。…略…唯一、残された道は国連を脱退し、敵国条項が適用されない別な国として再加盟する。つまり、「JAPAN」ではなく「NIPPON」という新たな国として加盟し直すことです。夢物語のように聞こえるかもしれませんが、それくらいしなければ日本が本当の主権国家として独立を果たすことは叶わないのです。」(苫米地英人著『真説・国防論』TAC出版)

プーチンが、また面白いことを言った。まずは無条件で平和条約を結ぼうと。日本にではなく、真意は、トランプに対してなのかもしれない。北朝鮮と、まずは無条件で平和条約を結べる度量はあるかい? と。そして間接的に日本に対し、まずは核保持容認をしての平和、という世界の現実に、あなたがたは、どうスタンスするのか? 耐えられるのかい? と。
私なら、受けて立ちたいところだ。しかし、条件をだす。それが、冒頭引用した、苫米地氏の国連憲章「敵国条項」の撤廃の履行だ。私はこの条項に関しては、大学の一般教養の政治の講義だかで知っていたが、その現実を踏まえての苫米地氏のアイデアには恐れ入った。氏の国防論は啓発的だ。
が、そのまま国名だけ変えても、説得力はない。だからまず、プーチン及び世界にだす条件の条件として、憲法を改正すると。天皇を象徴として謳う第一章を削除して前文もろとも改定し、形式的にも実質的にも国民が責任を負う主体であることを宣言する、その態度の是是非を国民投票にかけ、国民が主体であることを望んだら、と。

フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を今さらながらのように読んだ。ソ連崩壊時に言われていた論調とは違って、興味深い。大もとのヘーゲルは、まだ私には読みこめないだろう。が、パックス・トクガワーナ(平和ボケ)との関連で、次には整理したい。

*先月パソコンが壊れた。前回ブログを書いている最中、フリーズが起きた。大した作業でもないのに、パソコンがカタカタ動いている。ウィルスかとも思えたので、配線抜いて強制終了。このグーグル・ブログの統計みると、定期的に、ウクライナからのアクセスが瞬時に集中することがあるようだ。何を読んだかには反映されずに可能なアクセスらしい。検索ロボット? しょうがないので、ガラケーから変えたばかりのスマホで打つている。疲れる。苫米地氏のサイバー空間での三次大戦勃発の話など、もう私にはついていけないような。

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