2020年5月6日水曜日

新型ウィルスをめくって(6)


〈友人のメールへの返信〉
女房のことは、私がなにいっても受けつけないので、連休あけにあるという持病の検査にまかせます。ただ薬はきいているようで、普通に呼吸できるようになりました。
私の腰は、いろいろリハビリを工夫してやったんですがよくならず、明日からの仕事が大変そうです。

おそらく、緊急事態宣言も、5月半ばにまたいったん再検討という話ですから、そこから、東京でも、開放にむけての段取りになっていくと思います。大阪知事に負けじと、小池も、検査データ自体はねつ造はできないけれど、処理方法や発表の仕方を組み合わせて、五輪まえの逆バージョンで、国より先に開放路線の具体的処置をこうじていくのでは、と予想します。疫学的現実と経済的現実のバランスというより、たんに、予算の現実としてですね。疫学的には1ヶ月おくれの現実政策になると私は判断しますが、その遅れでも、100%の救済を恐怖心にかられて要求というか、悲鳴をあげてる国民世論を反対にかえていく言論をもたないといけないわけですから、難しいですが、小池は、総理ねらっているでしょうから、賭けるんではないか。政府任せだと、社会的犠牲者がおおくなって、世情が自然的に反対になってから追随する、というパターンですから、もう手遅れ。このコロナ1波が欧米みたくならないだろうのは、神風が吹いたようなものでしょう。社会政策の無策がまた犠牲を最小にしてくれる、第二の神風がふいてくれるかどうか。

が、例えば、息子の学校がはじまれば、必ずそのうち感染して帰宅しますからね。どんなに工夫しても、手洗いうがいをしっかりしろ、ということしかできないような現実は、運任せといっしょです。しかし、それを生きるほかないのは、どの時代もおなじでしょう。戦後の途中から平和ボケになったから、過剰な要求、というより、悲鳴があがるようになったのでしょう。

0 件のコメント: