2020年8月2日日曜日

新型ウィルスをめぐる(14)

小池都知事の施策方針や、それに同調首肯している世の空気に対し、ホリエモンが「ふざけるな!」と、怒号を発している。2週間たったらとんでもない事態になっていると、前宣言時のようなことをマスメディアはあおったが、そうなっていないだろう、と。

飲食店の営業時間短縮に反対する理由を説明します

 

テレビのニュースや都知事会見などみずに、直接東京都がだしているWEBサイト(https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/)にいって、データ・グラフをみてみるのがいい。「新規陽性者数」は増加しているが、甚大に増加しているとされるここ最近、「熱等相談件数」は減少し、陽性率は横ばいか減少(マスメディアはこれを増加といっているが、七月にはいってからは横ばい状態といったほうが正確だ)、「重症者数」も20人超えるくらいから、いまは15人にまで減少した。「入院患者数」は顕著に増加しているが、症状なくとも用心のために入るひとも多いだろうから、症状あるなし等の内訳がないかぎり、わからない。また、私が注目しているのに、「救急医療の東京ルールの適用件数」というのがあって、私の理解では、これは自分から症状がでているのではないかと申告し、医療崩壊を防ぐために、保健機関が検査を受けたほうがいいか聞き取り判断し、東京ルールにのっとって検査を受けさせた数、ということだろう。その数は30人くらいと横ばいだったが、7月半ばからは40人ぐらいで推移している(つまり、症状が出ている人は、実際にはそれくらい、ということなのではないか?)。ということは、現在のPCR検査数の多くは、「夜の街」とかターゲットをしぼった半強制的検査か、濃厚接触者への後追い検査数をたしたものなのだろう。海外出張とかで、陰性証明書が必要とかで、自費検査している人もいるだろうが、現在4千人規模の検査の内訳がどういうものなのか、私は知らない。

 

こうみるかぎり、これからの熱中症対策のほうが深刻だろうが、都政が方針を転回することは、すぐにはできない。小池都知事自身、自分の見方に疑いがでているはず、と私はおもうが、だからといって、では何が真実か、となると、これは不明なままなのだから、用心しながら政策を緩めていくしかないが、たぶん、梅雨明けて熱中症患者が増えて不分明さは増すだろうから、このままの方針でやっていくしかなくなるだろう。しかも、「疑い」に正直になって政治転換しようとなれば、国民の態度を急転回させる大義名分、説得論理が必要になる。状況証拠(データ)しかない状況では、転回は無理だ。ひと昔まえなら、天皇が、「忍び難きを忍び、耐えがたきを耐え…」とかいうと、右から左へと大展開できたわけだが、もうそんなことはできないだろう。だから、「ワクチン神話」を使って、もう大丈夫だから安心、克服をアピールするオリンピックへGO! 外国人をいれなくとも、もともと死者数データ少なく、自然免疫とワクチン免疫で強化された日本人観客+検査がらみ国際選手団だけでもやります! とか、なるんだろうか?

 

ここ2日の作業だけで、私はどうも熱中症だ。この時期はいつも、発熱気味。もう、コロナだかなんだかわからないが、私がかかっていれば、持病持ちの女房は重症化しているはずだ。カナリアの役割。買い物たのまれてでかけて、マスクもってくのを忘れて、散歩だけして帰ってくる日もつづいた。植木手入れのお客さんでは、マスクなどつけて対応してくる人など皆無なので、当初はアベノマスクを挨拶時だけつけていた私も、いまは何もしていない。だからふだん、マスクのことなど忘れている。が、スーパーとかいくと、みな、マスク顔。とても、ひとり素顔では入れない。(この落差は、考察の対象にもなるだろう。)最近は、遠出できない女房をつれて、車で買い物にいくことが多くなった。が、せっかくすずしい場所にきたのに、マスクをつけて、息苦しい。マスクは、地元群馬の企業支援のつもりで、桐生産のクールマスクをつけているが。しかしその群馬に、お盆に帰れるのか? 道の駅で、東京ナンバーは、落書きされたりする事件もあるという。しかし、車を傷つけられるのと、親の死に目にあえなくなるのとでは、どちらが大切なのか、常識的、人間的に考えてみればいい。いや、おまえのその無分別な帰省行動が親をより早く死なせてしまうのだ、と世の空気はなっている。思いやりをもとうとか。ペストのように、感染してすぐに死んでしまうと明確ならともかく、そうはなっていない、という状況は明確になっている。親が、息子ともうしばらく会えずにいたまま亡くなっていくことを望んでいるのだろうか? そこまでして、自分が、長生きしたいのだろうか? 私には、そうは思えない。カナリアが鳴かないままならば、リスクはあっても、親にあいにいくべきである。私は、そう判断する。

 

いつもでも、ふざけた、真剣身のない、頭だけで恐れている人たちの言葉にまどわされるべきではない。

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