2021年3月2日火曜日

憲法論議(1)――高橋源一郎著『たのしい知識』から


なんでこうもみな、天皇主義者になっていくのだろう?

とくには、現上皇の退位へむけての「おことば」、当時の安倍政権との対比的な言行、とうを受けて、いわゆる天皇の戦争責任を追及すべく左翼といわれる言論陣営者のなかからも、だいぶ擁護者というより讃美者的な発言が見受けられた。

高橋源一郎氏も、そんな一人であったような気がしたので、「ぼくらの天皇(憲法)」と文句を副題にもつ本書を読むことで、そういう人たちの転向思考の軌跡が把握できたら、という問題意識で、新書『たのしい知識』(朝日新書)を購入した。

が、源一郎氏は、改憲を提起しているのだった! その経緯がよくわからないので、図書館から、『憲法が変わるかもしれない社会』(2018年発行/文藝春秋)を借りてきた。もちろんこのタイトルは、当時の安倍自民党が、憲法改正へと迫る勢いをみせていたので、その時代への危機感から護憲的に言われたものである。が、この明治学院大で設けられた講演セミナー以後、そこでの討議を受け再勉強しながら、源一郎氏は、よく考えたのだろう。その結論が、現憲法の前文や8条までの天皇に関する条項を削除した、新憲法を作る、という改憲あるいは改正案なのだった。天皇という制度ではなく、その人格をもった個人への尊敬と敬愛さはかわらないが、むしろそれゆえに、変革すべきだ、という思いなのだろう。

私自身も、そんな感じでの改憲派だ。

昭和天皇は、もういない。王の首切り、のような深追い的な責任追及は、それこそ人権侵害だろう。この源一郎氏の著作での引用を受けて、加藤典洋氏の『9条入門』も読んでみたが、私たちが考慮すべきなのは、昭和天皇から平成へ、令和の天皇へと変遷していった、いっている、天皇個々人の考えにも変遷がある、ということだ。加藤氏は、昭和天皇は、理想主義的な平和など信じていないリアリストであり、9条の実現などまったく信じていないニヒリストなんだ、と言う。そういう面が強いのだろう、そういう時代を生きてきたのだから。が、平成、令和の天皇はどうだろうか? 親から子へ、その信条が、そのまま継承されるわけではないだろう。平成天皇の「おことば」に、ニヒルさは感じられない。安倍が伊勢神宮にいくならば自分は田中正造のところへ、小池が関東大震災で亡くなった朝鮮人への慰霊祭を切るなら自分は高麗神社へ、と政治的にもリアルな反応をみせる。そこには、父から受け継いだものを意識的によく考え、新しく進化させたような思想もあるだろう。

そうした進化は、庶民の私たちにだってあるはずである。なおあまり意識化していないとしても。天皇のような地位にいるわけでもないから、大概は、この件に関し、のほほんとしてきているだろう。が、そののほほんのうちにも、よく考えれば進化になるような思想があるだろう。だから、9条を、発生当時のゼロ地点にかえって、揚げ足をとることに精を出すような態度はニヒルというか、皮肉屋である。 庶民(「非専門家」)の意見だと問題提起していながら、庶民への愛がないようだ。ひねくれたインテリの自意識を感じる。源一郎氏は、誠実だ。

が、9条問題、というか、9条にかかわる問題群、といおうか、は、天皇制を超えた人類的な普遍認識にたち、理想以前の現実認識に依拠している、と私は考えており、このブログでも言及してきた。私は、源一郎氏の9条認識とも少し違う。ので、改めて、<憲法論議>というブログ・タイトルでも、考察を進めていこうかな、と考える。

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