2021年4月10日土曜日

花粉、ウィルス、量子(3)


いまもって、PCR検査での陽性者数の増減で、右往左往し、一喜一憂している。

もう一年以上たっている。

非常事態宣言を二度もだしていても、本当に重症者が激増して通常の医療体制ではやりくりできなくなるかもしれないことに備えて、プレハブでもいいからコロナ専門病棟の土地借用や輸送手配、程度段階に応じた医療従事者の名簿作りや交代勤務段取り、医学生からの支援体制制度化など、臨時法的な備えなど、してはいないのだろう。たしか二度目の宣言前だったかの記者会見で、ビデオ・ドットコムの神保氏が、なんで時間があったのに、緊急な医療体制をつくろうとしなかったのか、世界有数な医療体制だと日本は言われながら、欧米の100分の1くらいの病状でパニックになっている、これでいいのか、と問いただしたことがあった。が、その提言は、その当時の状況下での医者を脅かすのに利用されただけだった。「藪蛇」みたいになってしまったと、神保氏はもらしていたとおもう。

私自身は、PCR検査では感染の実体を把握できず、ロックダウン的な処置は、少なくとも日本では必要はないだろうと思っている。だから、陽性者の人数の増減にかかわりなく、変な後遺症があるということは変なウィルスが出回っていることは確かであり、国民も不安なのだから、医療体制のバックアップは構築しておくべき、という考えだ。現場の熟練で、死亡までにはいたらせない手順ができあがってきている。節度をもって、普段の生活を営むことに安心していい、と。

グーグルなどでの、世界各国の感染者数のグラフ等をみると、日本でも第四波とかいわれているのと同様な、上昇傾向がみられる。英と中国とか、いくつかの国をのぞいて、ほぼ同じような、三つの山をもった折れ線グラフを描いている。それが、四つ目になろうとしているような現段階だ。が、お隣の韓国もそうであり、南米もそうである、とは、どういうことだろうか? ドライブスルーなどを導入して、検査数も国民規模であったとされる韓国では、検査数は今は日本と同じ規模になっていて、やはり、アプリ使用などを徹底化させてのぞんで抑え込んだとおもわれたものが増加しはじめている。ただまあ、地理的に近いのだから、日本と同期していても了解できる。が、南米は? 飛行機便も少なくなって、交通はほぼとだえており、季節も南北で正反対な遠距離地域においても、同期している。

ほんとうに、人から人へと感染しているのか? 地球を全体で囲っている大気環境とか、宇宙とのつながりとか、そういう範囲で考えないと、理解できるような事態ではないのではないのか? ウィルス感染症状は二次現象であって、本当の原因作用が、グローバルにある、ということをグラフは示唆しているのではないか? 地中で眠っていた雑草の種が、よしいまがチャンスと芽生えてくるような、日和見感染みたくなっているのではないだろうか? 風邪にもウィルスはあっても、夏の寝冷えや、冬場の湯冷め、の方が原因だろう。もうウィルスは世界中に蔓延していて、誰もが体の中に抱えこんでいる、その発症のスイッチは、ウィルスそれ自体にあるのか? 花粉症も、それ以前から花粉はあったのだから、花粉が原因とは言えないだろう。

私が最近、このコロナ現象に関し、リアルと感じられたニュースは以下のもの。

「あまりに孤独に慣れすぎた日本人」の超危険 どんな時も「1人で過ごす人」が多いことに驚く>(東洋経済4/4  ニューズウィーク日本版ウェヴ編集部)

この異文化コミュニケーションアドバイザ―の肩書きを持つテヘラン生まれの石野シャハラン氏の記事は、私に、ヤクザとマフィアの在り方の違い、という、柄谷行人が指摘していた日本人理解をおもいださせる。マフィアは裏に隠れてみえないが、ヤクザは表にでて肩で風を切って歩いていられる。外国でなら、つかまるだけだ、と。そういう文化現象と同じように、ロックダウン、非常時代宣言下で、外国では、人は表にでたら罰金なり逮捕されてしまうし、だからといって孤独というのは人間として受け入れられることではないと了解しているので、実はロックダウンなどなんのその、と、自宅に友人などを招いてパーティーをして食っちゃべっている。が、日本人は真に受けて自粛しはするのだけれども、平然と表通りを歩いて買い物していられる、と。言葉の建前だけは良いこと、優等生的なことを、街のインタビューでも、出歩いている人々が答えている。が、世界標準では、悪いことなのだから表にはでず、みつからない裏で騒ぐ。どちらがいいか、という話ではない。これは、近代化の植民地主義を真に受けて、その優等生通りな言動をしていた日本が、裏ではもう植民地主義のルールは変わって、人間的な現実を受け入れたほうへ変更されはじめているのに、その現実に気づかず、あいかわらず人真似を続行して、おまえらと同じことして何がわるい、と居直り、いまもって居直りづつけたい勢力が政権を握っている、それでいいの、ということが、また問われてくる可能性がでてきている、ということだ。

果たして、日本は、日本人は、世界のありえるルール変更に、気づけるだろうか? 変化に、適応できるだろうか?

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