石牟礼道子の代表作『苦海浄土――わが水俣病』は、当初『海と空のあいだに』というタイトルだったそうである。講談社の担当が、自費出版ならいいが商業出版ではそれではだめだ、ということで、机上にあった仏典か何かを開いて「苦海」という言葉が目に入ったので引き出し、同席していた石牟礼の夫もその文献を手に取り「浄土」という言葉を発見して提示し、二人が見つけた言葉を足して「苦海浄土」となったそうである。とにかく出版してお金を稼がなくてはならなかった石牟礼は黙認したが、そこでの不満を渡辺京二への手紙に書いている。
私の三十年ぶりの小説タイトルは『いちにち』だが、まさに自費出版なのだから、それでいいだろう。副タイトルとして、「二〇二〇~二〇二四」とした。書き始めたら妻が入院手術し、コロナが発生し、戦争が起き、そして死んでしまった……講談社学芸文庫に『妻の死』という、妻を亡くした作家の作品集が編まれているのがあるが、そのどの悲しみの形とも重なり、どれとも違う。
石牟礼の副タイトルは、「わが水俣病」である。まったく「浄土」になどなっていない水俣の埋め立て地なのに意味不明だな、と本タイトルに思うわけだが、このサブタイトルは、なおさらわからない、これはどこから来ているのだろう、と疑問に思っていた。「水俣病事件史」とかならわかるのだが。最近、もしかしてここからか、という推察にであった。森崎和江の「わがおきなわ」だ。石牟礼は筑豊炭鉱地帯から発刊されていた「サークル」活動で、森崎の女坑夫への聞き書き文章の影響も受けている。ここでの「わが」とは、ネームバリューのある特権的場所の我有化とは正反対の、我が事の現場からの文脈の交差性を意味しているらしい(『闘争のインターセクショナリティー 森崎和江と戦後思想史』大畑凛著 青土社、を参照)。
とにかく、ひとつの経過としての作品を提出した。電子出版では無料公開、オンデマンド方式の紙本出版にも対応しているが、印刷や送料で、2189円かかるそうである。
BCCKS
/ ブックス - 『いちにち』菅原 正樹著
※とにかく、次はまず、いく子からの課題に暫定的にせよひとつの解答=小説を提示しなくてならない。いく子が亡くなった65歳と同年齢までの、あと10年以内ほどに、『ガーベラは・と言った』、そして死ぬまでには、『家と庭』へ向けて認識を深めて、仮説的な答案を提示しなくてはならない。があせっても無理なので、それはやって来ないので、とにかく「事件、あるいは出来事」に巻き込まれても、なんとか正直に生きて、寝て待つことだ。
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