2012年1月8日日曜日

現状を考えるための引用

「明確な定義を明かさないグローバリズムの背後に潜んでいる思想をあぶりだしてこそ、現在起きている様々な現象を統一的に理解することが可能となるばかりか、数十年後の世界を予想することができるのである。/数十年後には、理念として無限である「カフカの帝国」が閉じてしまうのである。先進国の中で先頭を走っている日本は、実は「カフカの帝国」以後に備える上で最も恵まれたポジションにいることを自覚することが重要である。/三・一一以後をこのような視点で考えなければならない。被災地・東北の問題は日本全体の問題であり、先進国の問題なのである。残念ながら、今の日本が直面しているのは、「がんばれ日本」で乗り越えられるような生易しい危機ではないのである。」(水野和夫著『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』 日本経済新聞社)

「このように、金利の歴史において前例のないほどに「革命」的な超低金利が実現したのは、その背後に「革命」的に変わろうとしている歴史の断絶があったからである。すなわち、十六~十七世紀の「利子率革命」は、中世と近世を画し、それは同時に「陸の時代」から「海の時代」への転換を示唆していたのである。…(略)…近代資本主義にとって、交易条件の数世紀にわたる持続的な改善と海外市場の拡大こそが、資本蓄積の必要十分条件である。だから、ニ〇世紀初頭に「海の国」となってアジアに進出した米国が、一九七五のベトナム戦争で事実上敗北したことで、利潤極大化原理は「電子・金融空間」で実行されるようになった。/一方、二度にわたる石油危機は、交易条件の趨勢的悪化をもたらした。それを少しでも緩和しようと、先進国は原子力発電への依存度を高めていった。それがニ〇~ニ一世紀の「利子率革命」となって表れている。…(略)…グローバリズム、「海に対する陸のたたかい」、そして「人件費の変動費化は、いずれも同じ根っこを有している。すなわち、これら三つは、ニ一世紀の「利子率革命」をいかに克服するかを共通課題として生じたのであり、これら三つは「利子率」、すなわち資本の利潤率を再び引き上げようとする反「利子率革命」として捉えることができる。…(略)…米「金融帝国」が「帝国」たる所以は、米消費者だけに依存するわけではなく、「帝国」の定義通り、外国に対しても影響力を行使する点にある。米「金融帝国」の狙いは、グローバル化することで世界の金融資本市場で新しいマネーを創出し、そのうえで新興国・途上国の六〇億人の近代化を促すことで、反「利子率革命」(=「空間革命」)を引き起こすことである。…(略)…マネタリスト的世界が成立するのは、「空間」が閉じられているときである。新しい「空間」ができると、一六~一七世紀や二〇~ニ一世紀の現在のように、旧い空間では金利が低下し、新しい「空間」では物価が高騰(新価格体系への移行)するのである。旧い「空間」で旧来のインフレを起こそうとしても無理である。」…(略)…「「価格革命」が収束するときが概ね、新しい「空間」と旧い「空間」が一体化するときである。」

「長いニ一世紀」の「空間革命」がいつまで続くかという問いに答えることは、日本のデフレがいつまで続くのか、そして資源価格高騰に代表される新興国の物価がいつまで上昇するのか、という問いに答えることと等しい。…(略)…長い一六世紀に起きた「価格革命」は、ヨーロッパ大陸が一つの価格体系に収斂していくプロセスであった。「価格革命」が収束に向った一六五〇年後には、次の二つのことが起きていた。一つは、ヨーロッパの先進地域と後進地域の内外価格差がニ対一になったことであり、もう一つは、新興国・英国が先進国・イタリアに一人当たり実質GDPで追いついたことである。…(略)…ニ一世紀の「価格革命」がいつ収斂するかを知るために、一六五〇年前後に起きた二つの現象を二一世紀に適用すると、次のようになる。まず、日本の一人当たり実質GDP(九〇年国際ドル基準)に中国のそれがいつ追いつくかを試算すると、およそニ〇年後ということになる。…(略)…次に、一六五〇年に内外価格差がニ対一とは、第一グループである先進地域・地中海と第三グループの東欧の間の物価格差のことである。そこで二一世紀においては、第一グループ(物価水準が最も高い)ドイツと、インドを比較するのが適当である。/九〇年国際ドルで測ったドイツとインドの内外価格差は、ニ〇〇八年時点で三・四対一である。今度、IMFの見通しに従って、ドイツの物価上昇率〇・五%、インドを同四・〇%とすると、インドの物価水準がドイツの半分に達するのはニ〇ニ四年である。/新興国の生活水準が先進国と肩を並べるのはニ〇年後であり、先進国と途上国の内外価格差がニ対一に縮まるのは一三年後である。アフリカのグローバリゼーションを考慮すると、「価格革命」が収束するのは三〇年から四〇年後となるであろう。/二一世紀の「空間革命」の始点を「利子率革命」が始まった一九七四年とすると、すでに三七年が経過した。ニ〇一一年現在、ようやくニ一世紀の「空間革命」は中間地点に到達したといえる。」

「「バブルの大きな物語」は、「成長とインフレ」のメカニズムが崩壊したからこそ登場したのであり、それまでのバブルとは性格を異にする。これまで幾度となく発生したバブルは「地理的・物的空間」(実物投資空間)の中で起きたのであるが、「利子率革命」下で生ずるのは、「電子・金融空間」における「バブルなくして利潤なし」なのである。一九七〇年代半ば以降、バブルと実物経済活動の関係において、主客が転倒したのである。/「バブルなくして利潤なし」の資本主義経済は、社会生活を崩壊させることになる。バブルが繰り返し生ずるのは、「大きなバブルの物語」が支配している中で、中間層にバブルに依存してでも「成長」を望む潜在意識があるからであり、その結果、国の借金が増えるだけであれば、現在の社会・経済システムを支えようとするインセンティブは働かなくなるからである。…(略)…「「バブルの大きな物語」は、「海と陸のたたかい」と同時並行で進行する。正確にいえば、「バブルの大きな物語」のもとで進んだ市場化と金融化は、「海の国」がそのたたかいを有利に進めるための手段であった。「陸の国」が地球上の多くの資源を保有する。米国は一九七〇年代の資源ナショナリズムで失った原油の価格決定権を取り戻すために、WTI先物市場をニューヨークに創設(八三年)するなどして、無から有のごとくマネーを生み出す「金融帝国」へと変貌していったのである。/しかし、歴史は思惑通りには進まない。事態は「海の国」の思惑を超えて進行する。その象徴が、二〇〇一年の九・一一であり、〇七年から急増したソマリアの海賊であり、〇八年のリーマン・ショックであった。」

「「海と陸のたたかい」は、新興国においてはいわゆるヘーゲルのいう「大きな物語」となって開花した。先進国は本来、「脱近代化の物語」に向うべきところなのに、現実には未だに成長物語を追いかけている。新興国における「大きな物語」にはモデルが存在するから、BRICsに象徴されるように、「輝く未来」が待っていると皆が確信している。一方、先進国における「脱近代化の物語」は未だ姿かたちもみえないし、それを指向しようとする意思もみられない。日本をはじめ先進国は今でも、「成長」によってさまざまな問題を解決できると信じているからである。…(略)…証券化商品バブルとその崩壊は、日本の土地・株式バブル崩壊がそうであったように欧米の財政事情を悪化させ、福島第一原発事故は名目GDPを増やすことを困難にしつつある。原発事故後、被災した東北が失った分だけ前進するから、そのほかの地域は後退する。九州、沖縄を含めて日本全体で自粛が起きるのは、もはや全員が前進するのは不可能であるという人々の直感の表れである。…(略)…東北地方の再興は、日本の未来の姿でもある。それは少なくとも近代社会の延長線上にはない。二一世紀は「脱テクノロジー・脱成長の時代」であるのは確実であり、それは「共存の時代」となるであろう。自然と人間の共存であり、陸と海の共存である。「定常」で成り立つシステムを構築することが必要である。貯蓄と投資がバランスし、ゼロ成長で持続する社会である。」

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以上の主旨を述べて、水野氏は、次のように待望する。――<そのために望まれるのは、シュミットが『政治神学』(一九ニ三年)で述べた「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者」の登場である。…(略)…シュミットは、『中立化と脱政治化の時代』(一九ニ九年)において、「根源に立ち返って新たな秩序が生れるであろう」と締めくくっている。この解釈に関して、長尾龍一は「危機に逆上した大衆により終末が始まり、最後に『完璧な知』をもつ大哲学者ないし大神学者が登場して秩序を創生するという趣旨か?」と述べている。/大哲学者であり、大神学者が例外状況において決断をするのである。そして、大哲学者や大神学者が決断する前に必要なのは、「成長教」の呪縛から解放されることである。>

この結論の是非と、引用してきた氏の説く経済政治史的な「大きな物語」の検討は、並列して読んだ東浩紀氏の『一般意志2.0』(講談社)と対比させながら、次のブログで言及していこうと考える。

2012年1月5日木曜日

夢を見れない年

「もし私たちが「想像力」を武器に現実を、「壁」を変えていこうと考えたとき――その武器となるのは存在し得ない<外部>に依存する<仮想現実>的想像力ではなく、<内部>を無限に多重化し得る<拡張現実>的想像力ではないだろうか?/「壁」をビッグ・ブラザー的な擬似人格と「彼」の語る大きな物語ではなく、リトル・ピープルの時代における(ゲーム)システムと(キャラクターの)データベースとして捉えなおしたとき、そこには<革命>ではなく<ハッキング>的に世界を変化させ得る想像力を私たちは手にすることができる。そしてその萌芽は、既に貨幣と情報のネットワークの中に豊富に発見することができるのだ。」(宇野常寛著『リトル・ピープルの時代』 幻冬舎)

ここのとこ例年、初夢を書くことからこのブログが始められてきたように思うが、今年は、そんな記憶に残るような夢をみることもなく、正月の朝をむかえた。しかし、一緒に目覚めた一希が、最初は見た夢を覚えていない、といっていたのが、布団の中でじゃれあっているうちに、ふと「あっ、おもいだした」という。話すところによれば、前を赤ちゃんがハイハイしているのだが、なかなかおいつけない。みんなで歩いていて、おいつこうとしてもおいつけないでいるうちに、森に出て、そこにトイレがあるので、おしっこをした、というのである。「そのときオネショしちゃったのかなあ」と。つまり、オシメをしている赤ちゃんを卒業して早くお兄さんになりなさいと「みんな」から重圧を受けている自分が、なんとか赤ちゃんを追い抜こうとしているがそれができずに、森に迷い込んでしまう、あるいは、森という立小便をゆるされるような空間に逃げ込むことで、安心感(トイレ)をみだした、が、その安心が実はおもらししてしまうという現実という不安でもあるので、その葛藤の強さに目が覚めた、ということかもしれない。小学2年生にして、自分を分裂しはじめることができるのかな、と私はおもった。そして私が夢を見れない(思い出せない)のは(それはたぶん、たいした夢でもないので…)、現実の日常生活自体の内に、夢から目覚めさせるような緊張感が挿入されてしまったからだろう。あの震災と原発事故で。仕事納めの年末から仕事はじめの年始までの空白の時間、私は脱力と突然せりあがってくるおぞましさの感覚に陥ってしまう。しかし今年は、そんな年の区切りを味わうにしては、すでにしてゆるめられない緊張と高揚が内心に巣食ってしまったのだ。

<あれから数ヶ月、特に原発事故の長期化がもたらした日本の「分断」による諸影響は計り知れない。そもそも、今回の震災はその被害が広範であったがゆえに、逆に日本社会分断の危機を孕んでいた。つまり、津波に襲われた東北地方東部と茨城県、そして計画停電や水質汚染の恐怖に断続的に襲われ続けている東京周辺、最後に被害が軽微だった北海道及び西日本といった具合に、地方ごとに異なる震災の被害度合いによって人々の生活感覚が分断されてしまう可能性が高かった。そしてそれが、原発事故の長期化によって現実のものとなってしまった。もちろん、震災の影響による企業倒産など、経済的には既にその被害は全国的なものとなりつつある。しかしそれ以上に、生活実感のレベルでの分断のほうが強い力として今の日本社会を支配しているように思える。>(前掲書)

私も冒頭で引用した宇野氏の実感と認識に同感する。ゆえに東京に住んでいる私が、「日常と非日常の混在」という場所にいることにも肯えるが、そこが、あるいはそこからそこを、「分断されつつある社会をつなぐ」ための「想像力」を発揮しうる特権的な場所であるとは考えない。むしろ私はその初夢を覚えさせなかった「日常と非日常の混在」という日常を生きさせられることになった私が、これまで抱えてきた時間こそが、やはり私の考える場所なのだ……正月の休みの内にして、私の中には、様々な時間が同期して蠢いているのがわかってくる。子ども時代の記憶、人生の流れを切断していったようないくつもの記憶群、独身時代の葛藤、現在の家族との時間、気遣ってしまう子どもの将来の時間……それらの時間は、その時々の情念を伴っている。私は、それらを統合することもできずに、そのことがこの際といように自覚させられた自己の無能を、苦虫を噛むようにして、今をにらみながら、自分たちがばらばらにならぬようなんとか統御している……あくまで、私の考える、想像力を発揮させうる場所とは、この自己(事故)状態だ。それら統合できない自分たちを、キャラと呼んでもいいかもしれないが、データベースと化した、つまり、通時的機能をもった自己物語群(歴史)が共時的に並列化したそれを、自由意志的に引き出せるわけではない。ゆえに私には、宇野氏の提言は、どこか呑気に、あるいは、リアルな道筋というより、期待を表明しているもののように思えるのである。おそらく私は、宇野氏からすれば、なお「仮想現実(外部)」を信じている、とされる時代遅れな思考態度、ということになるのだろう。氏の言う「いま、ここ」とは、いわゆる「現在」という曖昧な実感と同義のように思えるが、私が前回ブログで言及した中上氏にみる「今ここ」とは、むしろ出来事性としてしかないものなので、それを思考として持続的に使用するには、理念的に仮想しなくてはならず、実践としては、反復的になるほかはない。しかも、その理念(出来事)は、ありふれた日常的な出来事、常々反復されていることとして想定されるのである。(キルケゴールのイエスのように。)――私のこうした認識的立場は、デリダが精神分析を得意点的な学術としたように、あるいは、ラカンがそうであるよに、あるいは、そこからカントに系譜的にさかのぼってとされるような、一時代の教養的前提であるかもしれない。それ(外部)を信仰するか否か、という二者択一的な厳しさゆえに「転向」が問題ともなるだろう。宇野氏の認識枠には、そうした問題は生じない。ただ私としては、たとえば、認識と実践を同一化させたがる傾向にある柄谷氏のような偏狭さは、まさに実践とが自己統御を超えた外部性とかかわらざるを得ないがゆえに、もっと我慢する、いい加減になっていい、とする立場だということだ。

そうした認識的な前提をカッコにいれれば、私は宇野氏の「リトル・ピープル」の時代認識を首肯しえる。たとえば、子どものサッカーチームのコーチをするにつけても、そこには小さき父たちの闘争(日常)しかない。まだサッカークラブにははいっていないが、運動能力の高い、一希と同じ小学校の子どもたちの話をきくにしても、「〇〇ちゃんはね、センタリングが得意なんだ。いっちゃんが望んでいるところがどこだかわかって、そこにどんぴしゃにあわせてくるんだよ。やっているのは、空手だよ。〇〇ちゃんは、キックボクシングやってる。〇〇ちゃんは、レスリング。〇〇ちゃんは、英語の塾にいっているよ。この4人がいっしょにサッカーやったら強力なんだけどな。」――スポーツといえばみんなが野球をやっていたような時代、星一徹―飛馬親子のような父が子にスパルタ的に強靭な物語(「巨人の星」)を教えてきた時代……それが反面教師にしかならないという反省からある今の自分が、子どもにそれを反復できるわけもなく、またさせられるような環境ではないのである。サッカークラブに入っている子どもでさえ、様々な塾に通っている。そこでは、ボールを追うという動機自体を作っていくことがコーチングとなる。ゆえに、エリート的な専門技術としてサッカーを志向させる親たちがいる子供たちのクラブとは、差がついてしまう。かといって、その差を埋めるべく、サッカーという民主的育ちの若いコーチたちをだしおいて、かつての野球クラブのようなワンマン的な指導法を実践する気にもならず、なおサッカー小僧になりきれない一希にも、無理な自主トレでしごこうとも思えない。いや自身の習性からは、そうやってしまうのだが、すぐにこれではだめだと目前の現実認識がおこり、修正につぐ修正で、かつてのワンマン教育からは後退につぐ後退のような試行錯誤がつづくのだ。そしてこっちがそう後退戦をしているのに、わが女房はこりずに突撃をつづける、甘やかしてはいけない、と。元旦早々、見れない夢の続きのように、九九の暗記ができない子どもを女房は足蹴にしはじめる。いい加減私は耐え切れず、女房を突き飛ばすと、「こんど足蹴にしたら、俺がおまえをぶんなぐる!」と宣言する始末。まったく、「リトル・ピープル」な時代である。

しかし、そんな時代を超えて、革命(=民衆・日常)はやってくるのだと私には思えるのだ。それは宇野氏が期待するような、内側からの変革としてではない。外部からの、戦争的な事態としてやってくる。この日本でも、暴動はありうる。一希は、いつもふざけているようにみえる。クラスの係りも、お笑い係だという。私は、このふざけが、真剣さと裏腹であることを洞察している。(子どもは、すべてをギャクにしてしまえる能力がないだろうか?)。どこか、マラドーナみたいだ。クラブチームに子どもをいれるのは、真剣さを学ぶためだ、というのが親としての私の言い分なのだが、真剣になる時とふざけていい時とのヒエラルキーを決定するのは、その基準とはなんであろうか? ふと私は思い出す、まだ5歳ころの街の祭りで、近所の公園の噴水の中に、真っ裸になって風呂のようにつかった一希をみて、母子家庭のヤクルトおばさんが、「ここまでやらしちゃ駄目なのよ! 親がとめないとだめなのよ!」と叫んでいた場面を。歯止めのきかない世界……それは理念的な日常とは似て非なるものだが、その暴力がリセットさせた世の中に、偏差としての理念が反復されて刻印されている……つまり、意識的には反復しえないが、無意識にそうしてしまうものとして、それは実現される。ならば、意志的には、人は無力なのだろうか? なんとか、できないのか? 私が、震災後のここ数ヶ月、苦虫を噛んだようにどこかイライラしているのは、おそらく、そんな思いにかられているからである。もちろん、私の認識態度が正当であるかはわからない。だから、以上のように、より若い人の著作を暇あるときに読んで、自己の内で議論を闘わせているのだ。その自信のなさ自体が、「リトル・ピープル」であることをあかすとしても。

2011年12月17日土曜日

この日本で、誰ができるだろう? (中上健次と民衆)

「有力な豪族の連合を基礎として成立した古代王朝は、やがて集権化の傾向を強めて、直接的な支配の範囲を拡大する。豪族たちも、中央の権力を背景として領主化して、広大な土地と人民とを所有するようになる。群小の古代的な氏族はしだいにこれに抵抗する力を失って解体し、領主のもとに直属する民衆となり、公民となった。久しく氏族の閉鎖性の中に眠りつづけてきたかれらは、こうしてしだいにその氏族の核を離れ、白日のもとに解放された。しかしその解放は、同時により強力な政治的支配への従属を意味した。民衆は、自由のよろこびを獲得するとともに、また新しい時代へのおそれを抱かずにはいられなかった。そのよろこびとおそれとのうちに、古代歌謡の世界が成立する。」(『白川静著作集9』「詩経」 平凡社)


私が学生の頃よく読んだといえるのは、柄谷行人のほうであって、中上健次ではなかった。しかし二十も半ば過ぎから新宿の植木職人として働きはじめてからは、その職場の環境から、中上氏の小説世界がリアルにみえはじめた。当時の学生時の読み方といえば、記号論的読解やエクリチュールといった方法が主で、私もそれに類した中上作品論を書いたこともあったが、よくいって秋行の「空虚(がらんどう)」さと自分の「空虚」さを重ねあわせているのがマシな程度で、空々しいものだった。しかし東京に残存しているような新宿の世界に、紀州の田舎で展開されていたその作品の主人公たちが影のように付きまとい始めたのである。親方の家族は、まさに女(姉)たちがしゃべりまくる世界だし、そこに出入りする職人たちは、祖父の世代が博徒や岡引、若い衆たちも『地の果て――』以降の中上作品に出てくるチンピラくずれや、地元でのチーマーとかに通じる徒党を組むものたち。私はいま中上氏が生きていたなら、オレオレ詐欺の世界を描くだろう、と想像する。とにかくも、私は氏の作品を、唯物論だの物語論だのではなく、まずは普通のリアリアズムが基調素材な作品として読めないかと苦心してきた。そういう考慮を抱懐している者として、前回ブログで言及した守安敏司氏の『中上健次論』は、まさに作品の主人公への対等な共感から発せられているが故に、私には新鮮だったのである。

<漁師の多くは体に入れ墨をいれていた。幼い私がその理由を聞くと、漁師は、もし海で死んで「土左衛門」になっても、この入れ墨で身元が判明するからだ、と教えてくれた。次の夏、昨年同じ漁師仲間だった人が船に乗っていないので聞くと、去年の秋に船から落ちて死んだ、と言う。こともなげに死んだと言う。/日頃優しい漁師が、船上で漁になると目の色が変わり喧嘩腰になる。酒が入ると、暴力はいけませんよと生ったるいことを教えられていた私がびっくりするような大立ち回りもいくどか目にした。/生活の糧を大自然の海に求めて毎日を暮らす。漁があるかないかはまったく運任せの博打のようなものである。こうした優しくまた気性の荒い漁師の生きかたを見て以来、私はスポーツと称して魚釣りをやる人間を基本的に好きになれないのだ。…(略)…繰り返すが、私は中上と同じ風景を体感していたことになる。風景だけでなく、中上の作品の登場人物の語り口調、例えば私が海岸でひとり本などを読んでいる時に、漁師の子どもが、「敏司君、何しとるん。海に入ろらい。」と誘ってくれる口調とまったくと言っていいほど同じであるのだが、その口調にも、また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物の姿にも、私は表しようのない親しみを感じてしまうのである。>(守安敏司著『中上健次論』解放出版社)

その守安氏の、中上氏の知友である柄谷氏への批判は辛辣である。要は、柄谷は事実(作品年代順)をに反して自分の都合のいい切り口を物語っているにすぎない、ということである。中上の全集を読み通したわけでもない私には、守安氏の編年的な読みは勉強になるけれども、ではその守安氏は、何を言いたいのか? 他人の揚げ足取りではなく、自分が中上作品を通して読者に訴えたい意味はなんなのだろうか、と思ってしまった。なんで中上論を書いてみたくなったか、その原因はわかる。ではその結果として、何がでてくるのか? 生産的なものは? ……そうなれば、たとえ事実(史実)では証明できなくとも、抽象力という方法論によって、作品という素材を前方へ編集しなおして呈示する、という柄谷氏の読み方のほうが、たとえ間違っていても生産的であるかもしれない、となる。たしかに柄谷氏は、部落問題を一向宗起源説で切り、秀吉の刀狩りをヨーロッパと資本主義的なスパンにおいて同時代的と捉えうる「市民(自治)」の去勢と読んだ。部落史も、日本史も、事実的にはそうではない、という。しかし、『刀狩り』(岩波新書)で論証した藤木氏も指摘しているように、それはもともと「象徴的」な統制の仕方だった。つまり、藤木氏はあくまで「象徴的」にすぎず、全面的な展開とは言い難い刀狩りだったと言う。が、「象徴的」であるがゆえに「去勢」として重要なのであって、たとえそれが顕在(全般)的に事実とはいえないにせよ、以後そういう方向(サンス)で意味(センス)をもっていってしまった、というところに歴史の潜勢力があった、と抽象(読解)するならば、この精神分析的な柄谷氏の方法論は是であろう、というのが私の公平な意見である。また、小説家の端くれとして私が言うなら、作品を通時(編年・事実)的に読解することに依拠するだけでは人間の創造力を、あるいは潜在力を把握しきれない、とおもう。この作品を書き始めたならば、すでにその作品では書き得ないものにもまたすぐに突き当たってくるので、次の作品は並列的に派生してくるのではないか、と私は経験する。これでは書き得ないものをこの作品のなかに書き込もうという無限運動的な反復として、プルーストやジョイスがいたのかもしれないが、また小説の起源はその書くことの不可能性につきまとわれてそれを手放さず、と『ドン・キホーテ』やなんやかやが生れた、というのは文学教養のイロハでもあるだろう。

それにしても、中上氏の作中の共同体や、主人公や、『地の果て――』いこうで登場した若者たちの世界は、今はもうないのだろうか? 現実性が希薄で、残っていたとしても、もう意味(潜勢力)など持ち得ない代物なのだろうか?……どうも私には、そうはみえない。だから、中上作品の素材を、現在から将来へ向けて、そのセンス(方向・意味)を抽出して編集呈示したくなるのだ。たとえば、リビアでカダフィがたおれた。民衆兵士がひきずりまわした。気に食わない奴をやっちまえ、生意気だった女を犯しちまえ……と統制がきかない社会になっている、と報道で読むと、私は自分の職場の世界を連想してしまう。おそらく彼らが、カダフィにつくかつかないかは偶然で、思想的にはどちらでもよい、がそれゆえに、上からの統制がゆるんだ途端に、アナーキックな衝動が赤ん坊の泣き叫びのように発散されるだろう。日本でもその可能性は十分ある。しかしその世界の人間が価値とするものは、右左で思想化するならば右になろうが、それは上からの言うことに服従する、ということではなくて、たとえば、太平洋戦争が終ったとわかっていても、生き残った若者たちが小船にのって日本刀を武器に敵の艦船へ向けて出撃していって捕まった、というような人たちの価値である。私は、そんな史実もあったのだという映像をみたとき、その出撃まで、おそらくもはや先輩後輩程度の階級しかなくなったその生き残った若者たちの間で、どんな会話がなされて決行されたかが、聞こえてくるようだった。それはとても、勇ましい会話ではないのだ。国は負けたけどさ、そんなことじゃなくて、俺たちはさ……泣く泣く意地を張ってみせる突撃なのだ。赤ん坊がまだない我を張るように。が、彼らは列記とした大人である。それは気まぐれではなくて、もっと堅固な価値なのだ。そうとする仲間、共同体である。私の知っている範囲から推定すると、オレオレ詐欺も、地方から東京にでてきた見ず知らずの若者をアルバイトとしてやとって悪いことをするのは危険なので、そうした共同価値が生きている世界の仕業である。地方での者がかかわるとあっても、先輩後輩関係が生きていて、秘密を守っているかどうかが監視でき、簡単にはばっくれることができない付き合いがなくてはならないだろう。そこでの価値は、暗黙に資本主義世界に対抗している。騙し取って受けとった配分を、みんな遊ぶ金に費やしてしまうとしても。もちろん、私が言っているのは下っ端の使われる人たちの世界のことである。しかし、カダフィをたおしたのが「民衆」だというなら、私にはそれも「民衆」、いやそれこそアラブ革命の「民衆」の近傍に位置する者たちに思えてくるのである。彼らは、一度立ち上がったら、引き返せない、殺されるので。戦うしかない、泣く泣く意地を張って。そういうことを、この日本で、誰ができるだろう?

2011年12月9日金曜日

テクノロジーとカタストロフィー


「十六世紀末の日本の刀狩りによせる研究者たちの通念は、およそ次のようなものであった。豊臣秀吉の政権は、分裂していた戦国の国家の軍事統合に成功して、すべての暴力装置を集中独占すると、その力を背景に、武装解除をめざして、農村からあらゆる武器を徹底的に没収し、民衆を完全に無抵抗にしてしまった、と。/この見方は、いま、ほとんど国民の通念ともいえるほど根強く、「強大な国家、みじめな民衆」という通念は、十七世紀以後の徳川政権というアジア的な専制国家像を形づくるのに、決定的な影響を与えてきた。しかし、民衆の徹底した武装解除という奔放なイメージは、刀狩り研究の大きな欠落と空白に支えられて、じつに自在であった。だが、この通念ははたして事実であったか。「みじめな民衆」像ははたして実像であったか。」(藤木久志著『刀狩り――武器を封印した民衆――』 岩波新書)



七歳になる息子と一緒にその赤ん坊の時からのビデオクリップをみていてびっくりした。これまでも毎年2回くらいは、その私のHP上にも一希のプロフィールとしてアップしてある映像を息子はみてきたはずなのに、あたかもいまはじめて見るように見入り、5歳の頃に撮った自身がダンスをする姿をみて、げらげら笑いこけながらも、「こんなの見たくない! こんな格好つけ<いっちゃん>はいやだよ、もうやめてよ!」と言い出したのである。たしか半年ほどまえは、そんな反応もなく、素直にそれが自分なのかと受け入れていたのに。私は、親が子のビデオや写真をとりまくっているこのデジタル社会の環境の中で、子供はどう自身の記憶とつきあっていくのだろうかといぶかっていた。覚えたくもない思い出の暗記過剰になって、自分がおかしくなっていくのじゃないだろうかと心配もしていた。とくにその推定は、私の学生時代の教養の中でも、たとえば音楽家の坂本竜一氏と文芸批評家の柄谷行人氏などが、テクノロジー(シンセサイザー)が感性を解体するとか話していたので、科学技術の変革によって制度としての感性も変容していくのだ、とされていた延長にもあたるので、憂慮は知的な正当性を得ているとおもっていた。が今回の息子の様をみていて、それはどうも違うようだぞ、しかも、最近の自分の意見もこのブログなどで展開してきたように、サル的にというか人類的にというか、むしろ変わらない部分のほうが大きいのではないか、と思い当たったのだった。どうも、少なくとも人間は、自分という何かを維持していくために、都合よく本当に忘却してしまうようにできているのではないか、と。七歳の一希の自己嫌悪は、思春期に特有の、たとえばテープレコーダーの自身の声を聞いて違和を覚えるとかの症状と同じものなのだろうか? 「我は他者なり」というような存在論的次元への自意識化というような。…たしかに存在論的な、といえるのかもしれないが、どうももっと身体規制的な、つまりは遺伝的な生存本能に近いようなものにみえる。つまり自分を狂わすのではなく、あくまで健全な育成である。が、私はそこから、ベックがいった「全的なカタストロフィー」という意味のことを考えた。HP上の観覧記で倉数茂氏の『私自身であろうとする衝動』(以文社)の感想でその言葉にふれて、気になっていたからだろう。



私はそこで、今回の大震災や原発惨事を、かわいそうだが運が悪かったのだ、とみなされるしかないとする確率論的な社会観の是認は、悲惨を他人事としてみられることですんだ(戦後)平和ボケ時代の延長のままなのではないか、しかし我々は、もう他人事(部分的な)としてすまされない我が事(全的な)の事態として受容せざるをえない時代に転換してしまっているのではないか、といった。山城むつみ氏の『ドストエフスキー』を引用しながら、モーセの時代のように、と。つまり、ベックの認識背景にも、実はそんな平和ボケに回収されてすんでしまうのではない、「全的なカタストロフィー」が前提とされているのだから、と。しかし、「全的」とはなんだ? モーセが感受したものは、その現場・地域においての話じゃないか? 今回の震災や原発事故だって、日本だけのものじゃないか? かわいそうだが仕方のないこと、と募金やエールが飛んでくるのではないのか? テレビやパソコンで世界中の悲惨が受信できようと、そのテクノロジーの社会自体が、まさに平和ボケでしかありえない我々の感性を規定してしまっているのじゃないか?……



つまり、ここで、一希の出番なのだ。どんなにデジタルなテクノロジーが人間(子供)の脳髄を暗記過剰にさせようと、人間(子供)は忘れてしまう。それがなかった昔と同じように。つまり、あのモーセが世界を感受したように。この本源(健全)的な身体規制において、部分というのはありえない、のだ。今ここが、全的に更新されていくのである。もし一希(子供)が世界(他の地域や他の悲惨)と交わるとしたら、この一点においてである。というか、その一点でしか合点できない。子供に戦争の悲惨さや社会の恐さなどを説教しても理解されないのはそのためだ。一希は津波で死んでいった人々の映像をみても他人事である。しかし彼は、なぜか深く理解している。まさに当事者と同じ者として。忘れるのは、むしろその深い理解のためかもしれない。しかし忘れるとは、それを懐深くしまいこむことだとしたら? 大切なものとして。「全的なカタストロフィー」とは、それゆえ、「今ここの更新」という一点において感受される世界体験のことだろう。私にもそんな能力があるはずなのだが、平和ボケのほうが大きいのだろう。が、忘れていたその体験が、今回呼び覚まされたのではないか、ということなのだ。実際、3.11以降、気分的にそれ以前と同じではいられない。この変な感覚が、そのうち平和な日常感覚にもどっていくような気がしない。どこか、関節がはずれたようなのに、その箇所がまだつかめていないような……四十肩で生活している感じに似ている。(「腕があがらんが、どこか変だなあ」、と。)これは、私だけではないだろう。



一希のげらげら笑いを見ての「今ここ」と「世界」という飛躍的な概念連結の連想……ときたところで、今日、というかさっき、守安敏司氏の『中上健次論』(解放出版社)を読み終える。「今ここ」の肯定、といえば、やはり中上健次か、ということで。その守安氏の柄谷批判は、冒頭引用した、藤木氏の『刀狩り』論の構えと似ている。つまり、藤木氏が、秀吉の刀狩りによって民衆が骨抜きにされたというのは史実ではない、とするように、柄谷が中上作品に読んだ、一向一揆の部落起源説に対するまずは事実的な是正批判からの開始である。



<繰り返されるこの柄谷の主張は、完全な誤りである。もともと、当時、細工とは河原者と呼ばれた賤民であった人々が一向宗徒となり、信長と戦い、敗北し、後に、穢多や皮(革)田と呼ばれたのである。つまり、被差別部落になったのである。言いかえれば、賤民でなかった良民が一向宗になり、被差別部落とされた資料は、現在までのところ一切存在しないのである。故に、被差別部落が「近世市民革命」(近世に市民が存在したかどうかは、ばからしくて問う気にもなれないが)の敗北で成立し、「浜村孫一」の敗北で成立したとするのは決定的な誤謬である。…(略)…また、超時代的に言ったとしても、被差別部落民がそうでない地域と比して、特別温かかったり、冷たかったりするわけではない。ここに至っては、ある種、柄谷の差別性すら感じてしまうが、そんなことは、常識的に考えても判断のつくことである。>(前掲書)


柄谷氏の言説が説得的なのは、その文脈が、たとえば、日本ではデモが少ないじゃないか、といういかにもわれわれが首肯せざるをえない現実との関連において形成されてくるからである。やはり一揆から「刀狩り」され江戸体制で確立された制度的感性がなお我々を支配しているのかな、と。しかし「民衆(市民)」とが、中上の作品にでてくるような、「今ここ」しか知らないような馬鹿みたいな主人公だったらどうだろう? あるいは、守安氏が「はじめに」で触れてみせる、<また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物>のような者たちだったら? 『刀狩り』の藤木氏は、それが実際に武器をとるということよりも、むしろ尊厳を骨抜きにさせていくための「象徴的な行為」としてあったと指摘しているが、人間<(作家)の歴史(作品)>にとって重要なのは、「事実」ではなく、それ以前的に「今」をどうするかという意味や思想であったとしたら? なんで「今」デモがないのか? 私自身は、そんな柄谷氏の認識前提自体に懐疑的だが、次回のブログは、守安氏の中上論を中心に、そこら辺について追求してみよう。

2011年11月26日土曜日

論理と実践

「小出裕章の間違った行動提起については、彼一人の問題ではないので、きちんと批判しておきたいと思います。/問題は三つあります。/まず第一に、この行動提起は、問題を極端に個人化してしまっているということです。消費者が買うか買わないか、買いましょう、と言っているだけなのです。ここでは、放射能汚染の全体が見落とされています。あらためて言うまでもないことですが、物流には起点と終点があり、起点とは生産者、終点とはごみと下水の処理です。消費者が何かを買うということは、起点での農業・水産業を可能にし、終点でのごみ・下水処理を要請します。放射性物質を含んだ食品を買うといことは、それを生産するために消費者以上に被曝する人々がいて、被曝しながらの作業を継続させてしまうということです。そして放射性物質を含んだ食品を食べる人々は、使わなかった野菜くずや食べたあとに排泄する屎尿を、地域の公共施設に負担させます。ごみ焼却や下水処理といった作業の従事者は、福島から遠く離れた場所で思いがけない被曝労働を負わされてしまうことになる。そうした作業全体が「責任を引き受けるべき老人」によって担われているかというと、そうではありません。現場で働く若者たちは、小出氏らが勝手に引き受けようとしたもののために、望まない被曝労働を強いられるのです。」(矢部史郎著「3.11以前と以後」『atプラス10』太田出版)

科学的と称される事実をめぐる真偽ではなく、それを引き受けた(「解釈」した)者の態度(実践)が潜在させている論理(展開)の現実(実際)を批判する矢部氏の上記引用のような発言は、今回の事態の最中で、私にははじめて触れた発想で、説得的であると感じた。低線量は「安全か、危険か」というような二者択一を迫る科学に対しても、その二項対立の中では「危険」の立場に分類されてしまうとしても、問題としているのが原子力を扱う社会のあり方自体への批判なのであるから、たとえ低線量が安全である、とするのが科学だとしても、それを批判する構えは変わらない。氏が事故以前の著書『原子力都市』で抽出してみせたのは、原子力を扱うということが、どれほど社会を管理していくものになるのか、原子力技術とが、徹底的な社会管理の対策技術なのだ、ということだ。そして今回の事故で、「私たちはみな原子力に関する知識などまったくない、しかし、原子力政策というものがどういうものであるかはみな知っている」ようになってしまった。科学的真偽ではなく、それを成立させてきた権力のカラクリに私たちは直面しているのだ。確かに、私たちは放射能が恐いというよりは、こんなにもいい加減な国家運営の下で現在も進行・侵食形で生きさせられていることが恐いのではないか? 原発に反対する本音は、国家を止めてくれ、ということなのだが、それがどんなことかよくわからないので、原発を止めてくれ、と言っているのではないか?

しかし私は矢部氏の論理態度を説得的と感じるけれども、その実践態度に疑問を覚えてしまう。これは論理的反駁といった疑義ではなくて、理論的な社会運動を体験したことからくる印象である。つまり、論理的に反駁してみせることが、実践的に正しいのか、ということだ。もう少し原理的に言うと、その筆者に潜在的な思考の型を抽出して問題露呈することが必要なことであったとしても、それをそのまま実践過程に結び付けて批判してみせることが、現実実際上いいことなのか、意義あることなのか? それは、自己の知的優越さを論証して競うメディアの中だけの議論なのではないか、ということだ。たとえば、氏は言う。<結果として、小出氏らの主観的な「決意」は、政府が号令する「食べて応援」を容認し、追随するものだと思います。それは原子力国家を論難しているように見えて、実質的には、原子力国家との対決を回避しているのです。いま東北・関東の母親たちが子どもを連れて避難し、あるいは公園や学校を計測し、全国の親たちが学校給食を監視し、ごみ焼却場に問い合わせ、食品検査や土壌検査を独自に進めている、そうした実質的な戦争状態があるかたわらで、小出氏らはただなげやりに「食べるしかない」と言うのです。彼がこの問題について矢面に立って闘うことはないでしょう。彼らは批判的ポーズをとるだけであって、偽の、口先だけの、戦争ごっこに興じているのです。>――しかし実際、「母親」たちはその小出氏から活力をもらって実践しているのではないだろうか。近所で講演をしてもらうこと等でネットワークを作ったりしているのではないだろうか? だとしたら、というか、私のまわりではそう見えるのだが、小出氏の実践が「意味のない」こととは思えない。知的議論上無効だと論駁されても、実践的に意味のないことなどあるのか? どうなっていくのかが不透明なのが社会なのであってみれば、それはこうなるという論理展開の想定(潜在)は、実際にはその論理上の中だけに必要な手続きである。社会での自他の言動は、どう展開されてどんな意味をもたされていくのかわからない。それを肯定というよりは、その想定外を想定している気構え(寛容と緊張)が持てない論理態度は、実践態度として弱いのではないか? 矢部氏は、「フランス現代思想」は核の脅威のもとで営まれたのであり、そのことがドゥルーズやガタリの「国家装置」や「管理社会」という概念提起させたのだと指摘している。なるほど、と私は思う。同時に、このエセーでの結末文、<テレビや新聞がどんなに国民的号令をかけても、彼らはもう相手にしません。「専門家」の権威を信じていないし、性別に絡めた道徳的な非難中傷などまったく怖れません。それは、都市が教育し都市住民が獲得した、ハビトゥスであり知性なのです。こうした人々が、これからの戦争状態のなかで主導的役割を果たす前衛になるでしょう。彼女・彼らは粛々と放射線を測定し、被害の実態を告発し、避難民となり、避難民と結合していくのです。>……この物言いに、私は「分子革命」あるいは、「マルチチュード」といったフランス思想を連想する。つまり、なにか小さなロマンチズムである。文体上の期待、といおうか。むろんこの読後感は、論理的反駁などといったものではなく、単に私が氏の文体から感じた類推にすぎない。

この間の日曜日、「なかのアクション」主催の飯田哲也氏の講演をきいてきた。そこで飯田氏が呈示してくれた資料にびっくりさせられた。それは、「緊急災害対策本部」があの3月11日22時35分現在にネット上で公開していた随時速報で、おそらく現場の吉田所長からファクスされてきたものをそのままあげたものなのではないかというのだが……〔東京電力(株)福島第一原発 緊急対策情報〕〇2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想 21時40分頃と評価。炉心損傷開始予想:22時20分頃 RPV(原子炉圧力容器)破損予想:23時50分頃〇1号機は評価中――専門家が2号機にいわれたこの三つの情報をみれば、ネット上で公開された時刻には、すでに燃料棒が露出し溶融をはじめ、あと一時間ちょっとで圧力釜も壊れる、と評価報告を受けているのだから、何が起きてもおかしくないと思うのだそうだ。にもかかわらず、斑目班長は爆発はないと総理に断言し、翌朝ヘリで一緒に上空視察。無知の恐さ知らず、というのだろうか? 現場責任者からすれば、死ぬのは俺たちだけでいいからあとは来るな、といったはずなのに、一番の責任者が二人もそろって現れたのにはびっくりしたことだろう。しかし、いまなおこんなわけのわからないことが進行中なのだ。私は、ドストエフスキーの『白痴』での、ムイシュキンと花瓶のエピソードのことを思い出してしまう。君はパーティーでその花瓶を割ってしまうのではないかね、と言われたムイシュキンは、本当に割ってしまうような強迫観念にかられて、そして本当に割ってしまうのである! 私はこの挿話がどんな意味をもっているのか、心理学上もどんな心的規制が働いているとされるのか知らないが、やけにリアルに読めたのである。おばかな日本国家が、本当にもう一度やってしまうのではないかと怯えながら、本当にやってしまうのではないかと推論してしまうのである!

2011年11月19日土曜日

人と体制

「からからと鈴懸の枯葉転がれる 音をし聞きて 冬の喪に入る

枝伐られて すぐに葉繁れる鈴懸よ 斬られし腕の生えるごとし」(坂口弘著『常しえの道』 角川書店)

住んでいる団地の欅5本を、自分で切ることになる。もう7階まで頂上の枝が届き始めたその様を、これからどう伸びていくのだろうと、6階に住む部屋からデッサンしていた木だ。今年にはいってまもなくに銀杏から落ちたさい、それを余め知らせるように壁からはたと落ちた絵の枝だ。息子の誕生日に買った青い手乗りインコが、不吉に騒ぐようだったら、どうしようかとおもっていた。また逆に、この青い鳥は私を守るために遣わされたはずだから、落ちることもないだろう、とおもっていた。仕事も怪我で満足にできない時分、息子の友達づてで、団地の草刈に呼ばれたのだった。なんだ植木屋さんか、20年もやっているんだって、ならば角の欅が坂下の団地のBSアンテナの障害になっているから剪定予定になっているんだ、だから見積もりに参加できないか、と声をかけられたのだった。親方は、7万円とだした。団地の緑化委員はそれを見てたまげて、いや住人の申し出だからと低く見積もる必要はないですからと再度要求し、じゃあ10万円と……しかし、よその業者は、人力ではのぼれず、ユニックもはいらず、おまけに高圧線上に枝がかかっているから、鳶に頼んで足場をかけるとかで、その一本で80万円以上の話なのだった。私としては、あの角のはのぼれる、しかし他のものはのぼれないと親方に報告しておいた。緑化委員の人も、苦情のある角の欅を短く剪定するのはいいとしても、他のを伐れというのなら、裁判で受けてたつ、とかいう話だったのだが、こんなに見積もりが安いのならと、5本ではいくらになるのかという理事会の話になって、いくつかの業者の見積もりと比較しても、でかいのは一本あたり十分の一近く、全体の金額でも比較にならない位なので、全部やってもらおう、枯葉の苦情がひどいから、葉の落ちるまえに、という話になったのだった。自然樹形で縮約するような剪定は無理だし無意味なので、一度寸胴切りにしてから仕立て直す、ということにする。それならできるかな、とまだ地下足袋は足の腫れがひききっていないので履けず、運動靴でのぼっていく。見た目ではよく読めなくとも、二連のハシゴを木によりかけた段階で、すぐ終る、とみえてくる。3日で全部の作業をおわらす。結局、親方をふくめた手元二人をつけて、すべて一人でのぼって切り下ろしたのだった。無事安全に作業をおえたとき、ピー太くんに感謝した。

こういう作業をしていると、かならず、「なんで切るんだ」「商売のためか」「ばかものめが!」と声をあらげたり嫌味をいってきたりする人がでてくる。原発作業員よりも、「ただちに」死ぬ確率は高いのだし、それは見ればわかるだろうとおもうのだが、いわゆるヒューマンな人たちには、同情の余地はないのだろう。自然というものに対する理念的な思い違い、自然(樹木)を剪定する技術にたいする無知、そういう理論的に簡単に反駁できるような議論はおいとくとして(「里山」がまったく自然ではなく、手を入れたものであることを考慮すればすぐに理解できること――)、問題なのは、切ってしまうという体制側の人間として、目の前の下っ端労働者がいる、ということである。この労働者の顔をまえに、単に「ばか」と言ってすませられるような態度なら、そうした人たちの反動を食らうだけだろうから、(左翼)実践としてはそれこそ「ばか」な観念インテリになってしまうだろう。しかし、<体制>と<人(労働者)>を分けて実践するような理論(やり方)を具体的に考えて整理し、それを区分け不能であらざるをえない現実の中で実践してみることは、複雑に錯綜した運動であるように思われる。しかしそうした理論的なおもいやりがないと、末端の労働者はすぐに観念の偽善(言葉が浮ついていること)に気づくし、意地(死ん)でも理念とそれに寄りかかる者たちを攻撃するだろう。それは、なお福島原発の現場にとどまり作業をおこなっている者たちに、商売のためか、利権のためか、「ばかものめが!」と嫌味を飛ばすことが世の中でどんな実践になりうるのか、と考えてみればわかるだろう。

……しかし、東京の植木屋さんの仕事も、庭木の手入れというより、こりゃ除染作業だな、と日々おもうようになる。雨どいの下だの、小学校の芝生養生シートとかに検出されてくる線量率の報道に接していると、あまり事故現場30キロ圏内とかわらない。そういうところを、マスクもせず、箒やブローで埃をもうもうと噴き上げて掃除しているのだから、若い人の間では、数年後になんか症状がでそうな状態だ。しかしそのときでも、われわれ労働者の被曝が話題になることはないだろう。むしろ、体制に屈従するしかないバカな怠け者だからだろう、とおもわれるのだろうか?

*東京の都の許認可を受けて営業している植木残財処理場では、チップにした木材のはけ口が流通ストップしているために、残財の山となっている、と捨て場にいってきた職人が言っている。どうも、普段は牛の敷き藁や堆肥としてリサイクルされるようになっているのだが、牛が被曝するというので、東京のそれは引き受ける農家なり業者がいなくなっているのだ。都がどういう対策を考えているのかわからないが、牛ではないヒトであるわれわれは、それでも住民の苦情処理のためにと、せっせとあいかわらぬ除染剪定をしている、ということになるのである。

2011年11月3日木曜日

科学と文体

「母親は、人生の意味を失ったりはしていない。「死因は真性白血病」と書かれた死亡診断書を見せながら「私は原発には絶対反対です。ソ連の原発はすべて閉鎖してやりたいです……」と言う。「私の娘は助からなかったけれど、どうか他の子供たちは助けてやって下さい。私もこれからは他の子供たちを助けていきたいと思っているのです」と言った。私ははっとして彼女の顔を見る。とても今子供を亡くした親の言葉とは思えなかったのだ。でもそのような思いなしには、娘の死が犬死になってしまうと考えたに違いない。娘が浮かばれないのだ。娘の尊厳を守るためにも、悲しみを克服するためにも、人は他の人々の悲しみと希望とつながろうとする。」(広河隆一著『チェルノブイリ報告』 岩波新書)


「どうやって新しいネコを見つけたお話ししましょう。私のワーシカがいなくなってしまったの。一日待ち、二日待ち、一ヶ月待った。私はひとりぼっちになるところだったよ。話し相手がいなくなるところだった。村を歩き、ひとさまの庭でネコを呼んでみた。「ワーシカ、ムールカ……ワーシカ! ムールカ!」。私は歩きに歩き、二日間呼びつづけた。三日目に店の近くにネコがすわっておりました。目を見つめ合いましたよ。ネコもうれしそうだったが、私もうれしかった。ネコはことばがしゃべれないだけなんですよ。「さあ、おいで、うちに行こう」。すわったまま「ニャー」。なんとかして説得しようと思った。「こんなところにひとりでいてどうするんだい? オオカミに食われちまうよ、殺されちまうよ。おいで、私のうちには卵やサーロ〔豚脂身のベーコン〕があるよ」。私が先にたって歩くとネコがあとからついてくる。「ニャー」「お前にサーロを切ってあげようね」「ニャー」「ふたりでくらそうね」「ニャー」「お前の名はワーシカだよ」「ニャー」こうして私らもうふた冬もいっしょに越したんですよ。」(『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ著・松本妙子訳 岩波書店)

子供の誕生お祝いにと、インコを買った。青い鳥だ。ピー太くん、と呼んでいる。生まれたてから育てたので、今は手乗りになっている。子供はすぐに手でつかもうとするので嫌がってなかなかよりつかないが、私とは、朝食のトーストをいっしょに食べ、夕食ではこちらの箸の上にのってバランスをとっている。なんでまた急に小鳥を飼うことにしたのかは知らないが、女房の子供の頃になにかあったのかもしれない。寝言で、鳥に「ごめんね」とあやまっていた。私も父親が好きなので家にはいつもい、今でも実家では飼われているが、自分が可愛がって育てた、という記憶はない。ある時の文鳥は、やたら増えていったという記憶と、あるときは青大将にみんな飲み込まれてしまって、鳥籠の巣の中で、腹を膨らました蛇がどぐろを巻いて寝ていた、という思い出がある。しかしこう中年の大人になってから飼ってみると、言葉が通じない、だけど擦り寄ってくる、気まぐれだけど他意がない、というようなところからか、人あいてよりもずっとこちらの感情を移入できるようなきがしてくる。先月の志村動物園のテレビで、震災写真としても印象に残った、瓦礫のなかにうずくまって泣き叫んでいる若い女性の写真、傍らに赤い長靴……のは、実は肉親等が亡くなったからではなく、自閉症的だった自分と出遭って一緒に暮らすことになった捨て犬がいなくなって、というのだった。私は一瞬拍子抜けしたが、小鳥を飼ってからは、むしろなおさらそれ故に、と思うようになっている。幸いその犬は無事で、数キロ先の流された家の前で、ずっとその女性を待っているところを保護されたのだそうだ。……緊急避難ということで、飼い牛を置き捨てて逃げなくてはならなかった原発事故現場の農家の気持ちとはどんなものだろう?

低レベル放射能は危険視しなくていい、積算100ミリシーベルト未満に憂う必要はない、という臨床医、現場の医者の意見もある。その一人である東大病院の中川恵一氏の『放射線のひみつ』(朝日出版)を読んでみる。その主張の依拠するところには、疫学的統計事実だけではなく、生態的な文脈もがあるようである。――「しかし、私たちの細胞は、放射線によるダメージに「慣れて」います。そもそも、生命が地球上に誕生した38億年前から、私たちの祖先はずっと放射線をあび続けてきました。放射線によるDNAの切断は、突然変異を誘発する原因の一つですが、突然変異が起らなければ進化が起りません。自然放射線の存在は、進化の原動力とも言えるかもしれません。」

こうなると、やはり素人は不安になってくる。放射性物資の存在が限りなく消滅し、やっと低レベルな放射線量になったからこそ、その地球の表面にだけ生態圏ができ、われわれ生物が生きていることができる、というのも事実だからだ。「慣れて」いるのも事実かもしれないが、その影響がなくなってきたから我々は生きている、というのも事実だろう。どっちが<科学>なのだろうか? どっちの真実も科学なのだろうか? 事実としては、どっちも信用できそうだ。ならば、なのに、どうしてこうも対応(実践)の物言いが正反対になってしまうのだろうか? その現実(錯綜)を前に、不安と混乱にならない人がいるだろうか?

私、あるいは我々が、どう生きたいのか、その倫理・思想的な立場、前提(原理)があらかじめ決められていないと、事実もまた扱うことができない、ということの確認なのかもしれない。「事実というものはない、あるのは解釈だけだ」といったニーチェの近代批判の哲学にあるような。しかしまた、思想とは、そう明確な内容にあるものではないとしたら? 私の読んだ感じでは、つまりその文体から判断すると、意見が正反対な、低レベル放射線を問題視する小出氏とそうはさせまいとする中川氏は似ており、これまたそう意見が正反対な武田氏と山下氏が似ている。前者たちは誠実だが、後者たちにはいかがわしきところがみえる、というのが私の文学的判断である。前者には思想があるが、後者にはない、といってもいい。それは言っている内容や論理からくるのではなく、その物いいの力、感触からくる。読書量の少ない人たちはそのような判断の仕方をしないのかもしれないが、世間ではみなそうやって人を洞察しているはずだ。つまり言っていることではなく、その言い方によって。だから私は、言葉に誠実な小出氏と中川氏の両方をとる。反原発の立場をとりながら、放射能におびえない、ということだ。そしてその静かな覚悟、受容とは、つまり受苦的な思想とは、原発事故で愛娘や愛ネコをうしなった母親やおばあさんの、あの冒頭引用した言葉の姿勢に近いものなのではないだろうか?