「私は、国体なるものの本質とその戦後における展開の軌道を見通し得たと信じる。問題は、それを内側からわれわれが破壊することができるのか、それとも外的な力によって強制的に壊される羽目に陥るのか、というところに窮まる。前者に失敗すれば、後者の道が強制されることになるだろう。それがいかなる不幸を具体的に意味するのか、福島原発事故を経験することによって、少なくとも部分的にはわれわれは知った。してみれば、われわれは前者の道をとるほかない。その定義上絶対的に変化を拒むものである国体に手を付けることなど、到底不可能に思われるかもしれない。しかしながら、それは真に永久不変のものなどではない。というのも、すでに見たように、「永遠に変えられないもの」の歴史的起源は明らかにされているからである。それはとどのつまり、伊藤博文らによる発明品(無論それは高度に精密な機械である)であるにすぎない。三・一一以降のわれわれが、「各人が自らの命をかけても護るべきもの」を真に見出し、それを合理的な思考によって裏づけられた確信へと高めることをやり遂げるならば、あの怪物的機械は止まる。なぜならそれは、われわれの知的および倫理的な怠惰を燃料としているのだから。」(白井聡著『永続敗戦論』 太田出版)
中学1年の少年が犠牲となった、川崎市での事件は、私には衝撃だった。その子が、息子の一希のように思えたからだ。新聞に張り付けられたその笑顔写真とともに、誰からも好かれた人気者で、その感性は島根県の小島の村落自然のなかで、村人の爺さん・婆さんたちから可愛がられて育まれたものだろうとの記事を読んで。一希はむろん住んでいるのは東京の大都会の真っただ中だか、父親は雨天中止の植木職人で、かつての長屋アパートの隣人だった爺さん・婆さんに今でも可愛がられて、週に三度はそちらのお宅で夕食を食べてくる。そうして育った天真爛漫的な子が、都会の人間関係に傷ついてくる……そして、その原因を作ったのが、脱サラした父親なのだ。その子の父親は、漁師になろうと川崎から島根県の小島へと渡ったのだった。この第一歩の問題を、問題としてとらえて記事にする論考を私は知らないが、資本社会に雁字搦めにされて擦れてくる人間関係、無駄に廃れて疲労していく自分を刷新しようと、自然により近い農業を中心とした営みに転身していく人たちは他にもたくさんいただろう、そして特には、ある知的方面によって、その思想的意義を説いて推奨していなかっただろうか?
私は、この事件の最初の記事を読んで、まずは上のように、犠牲者の父親との関係のことを思ったのだった。それから、この事件の有様を新聞とうで追ううちに、自分が当初想像した以上の深刻さを湛えているのではないかと思うようになった。ゲームセンターで知り合った不良グループが、イスラム国をまねて「川崎国」と自称していたこと、東南アジア系の移民の子が多かったので、「ハーフ軍団」と呼ばれていたこと、その殺し方も、カッターナイフで首を斬首する気配があったこと……しかし私に書く衝動を引き起こしたのは、これらなお真偽定かではない社会学的表象ではない。私はふと、首を切られた上村少年が、そうなると知っていたがゆえに、むしろ自ら殺されに出向いたのではないか、と気づいたからだ。
彼は、同じ中学へ通ういわゆる「普通」の少年たちとも仲がよかった。事件の引き金は、この普通の仲間たちが、おそらくは勇気をだして、殺人にいたってしまうことになる不良グループのリーダーの家へ、友をいじめるな、と抗議しにいったことだとされる。不良グループとはちがう他のコミュニケーションツール(ライン)に入って「ちくって」いたことを知った18歳のリーダーは、そこで制裁を考えるようになったようだ。上村少年は、「殺されるかも」ともらしていたそうである。しかしにもかかわらず、なんで、逃げなかったのだろう? 自分を応援してくれる「普通」の友人たちに付き合いを限定していく、そういう振る舞いや駆引きはできなかったのだろうか? 事態が深刻になる以前に、どうして一方と手を切り、普通にならなかったのだろうか? 私はそこで、彼の自然な感性をおもったのだ。彼が、相反する二つのグループとの交流をつづけたのは、「平和」を願ったからではないだろうか? なんで、同じ人間なのに、お互いが反目しあうのか? なんで、あっちの人が好きで、こっちが嫌いと分かれるのか? 人種や、自分のような貧乏で片親のような境遇がそれを生むのだろうか? 僕は、みんなと仲良くしたい。それは、できないのだろうか?
私のそのような想像は、当然のように、後藤さんの姿を呼び起した。少年の父は、後藤さんのように脱サラして、真の人間関係を求めた。その子も、偽りのない、区別のない平和な関係を求めて、覚悟して、自分を殺すかもしれないグループの所へと出向いたのだ。……
一希は、どうなるだろう? 区の代表サッカーチームに入った息子は、その新しい人間関係を、悩みながら構築しはじめている。その素材のなかには、自分の自然的な感性とすでに都会ずれしている者たちとの思考の違い、アパートに住んでいるか持ち家か、父親の職業や収入、どれくらいDSをもっているか、携帯電話は?……とう、いろいろ混入してくる。その混在のなかで、お笑いスタンスでごまかし、道化的な立場をとっているようだ。むろんこのポジションは、上村くんのように、トリックスターの位置、どっちつかずのイエス的両義性、ゆえにいかがわしいと生贄の子羊にされやすい構造化にある。
そして2年後、3・11の地震でヒビの入った11階だての築40年以上はなるこの団地は、団地住民の町会上は、建て替えが決まって、立ち退きをせまられることになる。実の祖父・祖母だけでなく、昵懇の爺・婆も、もう亡くなるかもしれない。サラリーマンよりずっと両親と同じ部屋にいることが多かった息子、それゆえに、人間的感情の豊かさとその起伏も人より大きく育った一希は、自分の願望を、自然的な感性を、どのように折り畳んで成長していくだろうか?
*イスラム国の人質(3)で、10年前騒がれた「自己責任」風潮とはちがう、それを変えていかせようとするイデイロオギー的転換が権力側によって企まれているのではないか、と私は推論したが、それを冒頭引用した白井氏が自身のブログでより正鵠に分析記述してくれている。とはいえ、私は、氏が分析する戦後の「国体」の有様については賛同できるが、それが明治政府によって意図どおり創作されたものとすること、またその近代的起源から、個人の「命をかけても護るべきもの」への発見へと至る論理には、なお疑問である。後藤さんや上村くんは、「命をかけて」願ったのかもしれない。が、その個人の平和希求と、国体的な位相は、論理文脈としてつながらないとおもうからだ。実践的には、国家には、やはりそれに準ずる集団的なものでなければ、論理としても、対置できないとおもう。出自がちがうのだ。つまり、伊藤博文を中心とした明治インテリの創作で、国体が成ったのだとは、私は考えない。
2015年3月10日火曜日
2015年3月2日月曜日
宮崎駿『風立ちぬ』を録画鑑賞――日本技術史の反復と転向(引退)
日本の科学・技術の思想面を担う人物群が、ノーベル賞をとった湯川秀樹の弟子たちで、彼らがマルクス主義、左翼思想に傾倒していった者たちだったという指摘は、たとえば、最近のネット上では、副島隆彦氏の学問道場でも取り上げられている。が、より緻密にその思想史を考察している著作とは、スガ秀実氏の『反原発の思想史』である。
ジブリの『風立ちぬ』に関わるだろう部分を、物語仕立てになるよう引用列記してみる。
=====以下引用(すが秀実著「武谷三男の技術論と新左翼」『反原発の思想史』 筑摩選書)
「一種の科学主義に基盤を置く社会党・共産党はもとより、社共を批判して登場した日本の新左翼の理論にも、原子力の平和利用といったパラダイムをこえられない限界が、当初からあった。それは、初期新左翼の理論が、先行する戦後主体性論/技術論の摂取という問題系から出発したことに規定されている。」
「新左翼の創設にもっとも影響を与えた理論家の一人であり、革マル派の最高指導者となった黒田寛一の、きわめて晦渋な最初期の代表作『ヘーゲルとマルクス』(一九五二年)は、「技術論と史的唯物論・序説」と副題されているとおり、武谷三男の「技術論」と、特異な主体的マルクス主義者として知られる梯明秀の「物質哲学」との「統一的把握」を問題としたものである。」「『ヘーゲルとマルクス』には、「本書を/戦争の犠牲者たちに/そして いま/ふたたび 戦争を 肯んじない人たちに/――捧ぐ」というエピグラフが掲げられ、本文には、武谷三男の戦時下を推察してであろうか、「『戦力増強』のための生産活動や殺人兵器の研究に対する、良心的な技術者や科学者の『苦悩』」についても、言及されている。」
「意識的適用説は、戦時下の武谷が逮捕、取り調べされた時の「特高調書」に記されており、敗戦直後発表された「技術論」では、先に引用したその定義も含め、調書それ自体が引用されている。このことは、戦中後を一貫する武谷の戦時下抵抗の輝かしいあかしとして、戦後の出発を飾った。
しかし、中村静治が、武谷の批判対象であった戸坂潤や、武谷の協働者であった内田義彦(経済学者)を引用して指摘するように、それは、「戦時下の技術者運動とのつながりにおいて、さらには所与の生産手段の有効利用という『生産工学』的観点から発想されたもの」(『新版技術論争史』)ではなかったか。そこでは、「主体的」に生産力増強にコミットすることが技術の本質であると言われ、そのことは、総力戦体制に適合するものだった。
武谷の意識的適用説は、その「転向」の完成だったのである。そして、その転向の論理が、そのまま「戦後主体性論」として、無傷のまま流通していった。言うまでもなく、これは、他の戦時下マルクス主義者において、繰り返し起こったことでもあり、近年の研究でも多くの指摘がある。
すでに公害問題が大きくクローズアップされ、科学者の反原発論も顕在化していた一九七一年、武谷の忠実な後継者・星野芳郎は「戦後日本思想体系」の一冊として『科学技術の思想』(筑摩書房)を編んだ。星野は、その本と同名の巻頭論文で、公害や労災を克服しうるのは「高度の技術」を必要とするが、資本主義はそのことを阻んでいる、反公害闘争や反労災の闘いこそが「技術発展を促進する」と述べていた。つまり、反核・反原発闘争こそが、原子力の平和利用を促進するというわけである。」
=====引用終わり=====
宮崎氏の『風立ちぬ』が、いわゆる左翼思想に共鳴していることは、いわばソルゲと思しき人物の登場と、おそらくは彼との接触により、主人公二郎が特高から追われてしまう、という設定から推察できる。ただそのセッティングだけでは、むろん、その思想へどんな関係をもっているのかまではわからない。が、二郎は技術者であって、戦闘機を作る設計者である。すでに原子爆弾の開発に携わっていた上記引用の武谷氏でさえ、特高に捕まるぐらいなのだ。映画の主人公が、自身が実際に行っている仕事に、どうも「良心的な技術者や科学者の『苦悩』」を感じていないらしい、としても、それは彼が捕まらなかったから、という物語的な理由ではすまされない。そういう現実・歴史を、日本人が抱え込んできているのだから。宮崎氏は、映画を作るための資料読みで、そんな技術者のこと、技術史のことは知っていたはずである。が、にもかかわらず、少なくとも映画物語の表向きでは、二郎は葛藤しない、というか、作者は頑固にもさせない。主人公二郎は、どこか歴史から超然としている。そしてこの感じ、スタンスは、恋人の菜穂子との関係でもそうである。ネットの感想でも、彼は実は残酷ではないか、というのが多いのもうなずける。「美しいところだけ」をみて、その背後には感知しない。が、本当だろうか? 彼は、純粋に、自身の天命に、夢にまい進しているのだろうか? そうではない、ということが、タバコを吸う、というシーンの反復と、その意味を開陳する恋人同士、その時は夫婦になった二人の最後のシーンではっきりするのだ。
この「タバコ」問題も、日本の医学界をも巻き込んで賛否の議論が発生した。一方は、体に毒なシーンが多いといい、一方は、これは一時代の風景にすぎす、余分な意味をもたせるな、みたいなことをいう。が、このタバコを吸うシーンが反復されること自体が、単なる風景ではなく、意味を持たされていることをしめしている。結核で寝込む妻の隣でタバコを吸っていいか、と夫は尋ね、妻は肯定する。むろんそれは、害があっても肯定する、ということだ。そうやって、二郎は菜穂子を捨てて、ではなく、受動的に捨てられて、仕事に成功していくのである。菜穂子が自ら立ち去っていったのが、可憐であるのか、男のもとに押し掛けたと同様強気なものであるのか、明白ではない。明白なのは、夫の二郎のスタンスが、実はイロニックであるということだ。害があると知っているのに、「美しいところ」だけをみて、それへの対処は頭にはまわらない、というよりも、頑固にものぼらせまいとしているからである。これは、「眠れる美女」だけをめでてみせる川端康成に代表されるような日本浪漫派的なイロニーであって、現代ならば、村上春樹であろう。菜穂子とは、左翼時代を描いていた『ノルウェーの森』の「直子」かもしれない。ともに、その時代を、「風景」としてだけ伺えるように描きながら、その実、裏にある現実や歴史をほのめかしている。いわば、無知の知、ソクラテスのイロニーを装うのだ。戦時中の技術者の歴史・現実を素材にしながらも、ロマンが主題であるかのようにみさせているのも、そのイロニックな手法である。単純に、タバコとは戦争にも連なるような科学や技術のことである。しかしそこに、敢えて、快に通じる美しいものしかみようとしない。作者は、むろんその背後にある毒や害を知っているのである。飛行実験が成功したとき、サナトリウムに帰った菜穂子は、抑圧された者のように回帰し、二郎の幻覚として迫る。この突然の強迫観念の生起こそが、彼が意識的に苦悩を生きていたのではなくて、無意識にそれを追いやっていたことを証しているのだ。そしてそのとき、菜穂子は、あなたは生きて、と言ってくる。あなたは、とは、もはや二郎のことではないだろう。より一般的な問題提起として、科学者・技術者のことになるはずである。主人公二郎の意識を超えて、彼の無意識にこそ当時の現実にもまれた科学・技術者の苦悩が露呈してくるのだから。あるいは、もっといって、その苦悩とは、当時の科学技術の進展の最中でそれを使用して生きざるを得ない、我々自身のはずである。そんなわれわれに、菜穂子は言ってくれるのだ、毒や害のことにもまけず、死んだ私のことなどかまわないで、そのまま生きよ、突っ走れ! と。となると、これはもう、吉本隆明ではないか?
そう。宮崎駿氏もまた、その世代に特徴づけられる思想的立場を感受し、創作していたのではないか? ならば、「生きよ」とメッセージのあった『もののけ姫』だったか、のその意味は、この氏の最後の作品からみれば、その意味はだいぶ変わってくるはずである。当時のそれは、いじめられて自殺してしまう少年・少女たちへのエールと読まれていたが……。今回、この映画のキャッチコピーは、「生きねば」、というものだそうである。たしかに、われわれは、放射能にまみれながらも、タバコの害を分煙として区画排除しながらも、生きねばならない。が、この生は、単なる現状肯定(平和利用)とどこがちがうのか? 氏は、当初、この『風立ちぬ』の企画を持ち込まれたとき、「子供」むけのものではない、と拒否していたという。しかし逆に、いわばこの現実を受け入れる、妥協する大人の、生活者の生の視点に焦点をあててみれば、ニーチェ的に過剰な生を礼賛・肯定するかにみえた、『もののけ姫』的な「生」は、むしろ自殺をも肯定して現状を超越していかせる志向こそが本位なのだから、実はまやかし的な期待にすぎなかったのではないか、とおもわれてくる。子ども当事者の苦悩をそのままで肯定するのではなく、あくまで大人的に、もっと生きてみればそれが、当時のことなどたいしたことなどないと気付くものなのだ、と諭していくものとしての「生」、レトリックとしての「生」である。むろんその在り方は、イデオロギー的な欺瞞である。それで、子供の、(当時の、当事者の)苦悩が解決されるわけがない。ただ、言葉である。解決する技術ではないのだ。
しかしおそらく、宮崎氏は、それが欺瞞であると気づいているのだ、暗黙に。この映画を、引退作品として提示するまでになったのは、3.11でひきずりだされた自分の在り方に、その欺瞞的な在り方に、図らずも直面してしまったからなのではないか? 原発に反対、憲法改正に反対しても、その言葉を生み出している深みには、それ(技術と戦争)をそのままでむしろまい進させていかせてしまう論理が、思想がある。その自身が陥っている論理の帰結を、夢として美的に肯定提示することですまされるのか? 飛行機の、原子力の、技術の美しさに魅せられるのは、私の趣味でしかないのか? 人間の問題なのか? 主人公二郎は葛藤しなくても、やはり、宮崎氏には葛藤があることを、「引退」という決断が示してはいないか?
*ジブリの『風立ちぬ』の公式HPでは、二郎が葛藤し、ズタズタに引き裂かれている、と宮崎本人は言っているのだが、私はネット検索で多くみられた鑑賞者と同様、一度みたかぎりでは、そう描写されているようにはみえない。ただ作者自身が引き裂かれているということではないのか、と作品からは読めてくるのである。しかし、作者は、スガ氏が指摘したような技術者の思想的反復、現在の転向問題に連なるような、つまりは毒があってもそれを吸う、放射能があってもそれを開発していかなくてはならない、とするその発想自体の問題・論理性には葛藤を覚えていないようである。だから私は、「図らずも」、この問題群に触れて、「図らずも」、引退=転向してしまった、というのである。また、この作品が3.11と通称される東北大震災の影響のもとにあるとするのは、作中当時の、関東大震災での地震が、津波のように波立つ大地、として描写されていることに端的に示されているとおもうが、その物語から逸脱した突然のカットは、圧巻である。
*飛行機がよくて、原発はだめだ、というのは欺瞞ではないか、という見方の真偽性は、次のような指摘を考慮すればだいぶ納得がいかないだろうか? 化石燃料によるCO2の濃度上昇が地球温暖化を招いているというのが真実であるならば、むろん、重油で飛ぶ飛行機のほうが、原発ゴミの放射性物質拡散の危機という「ただちに害はない」時間軸においてではなく、ずっと近い将来の地球破壊・破滅に寄与している第一の技術産業、しかも、地球を保護している大気の間近に害をまき散らしているという事実。しかし誰も、だからといって航空産業を問題視しない。おそらくは、原子力村よりもずっと世俗的な利害が大きいからだろう。CO2による温暖化説がまやかしだという槌田敦氏は、ゆえに、飛行機も、原発にも反対なようである。
私は、ジブリの映画は一通りはみているが、なにか感性的に好きになれないところがある。やはり趣味的に、村上春樹氏の読後感に似ているように思えるのだ。『風立ちぬ』の冒頭、空にすわれし少年が、夏の積乱雲の向こうから、大きな飛行物体が姿をみせてくる幻覚をみる……そのシーンはいいのだが、あの飛行物体の形、そこでの感性がフィットしない。私は、もっとメタリックなものがいいのかもしれない。が、主人公や飛行機が飛んでる感じ、疾走する感触、空中を浮遊する感じはいい。私もよく、そんな夢をみる。その夢での感じが表現できているのがすごい。が、フロイトによれば、それはマスタベーションの感じであり、ナルシストということなんだそうだ。
2015年2月18日水曜日
イスラム国の人質(3)
「まず、理屈だけからいえば、現状でも日本が「テロリスト掃討作戦」に参加することは、「憲法違反」とならない場合がありえます。憲法第九条が禁じているのは「国または国に準ずる組織」への武力行使であり、「国際紛争の解決の手段」としての武力行使です。テロリストは「国または国に準ずる組織」ではありませんし、テロリストとの戦いは「国際紛争」とは別物です。したがって、憲法がこれを禁じているわけではない、ということになります。…(略)…
仮に日本人がテロの被害に遭ったとして、「許せない。報復せよ。相手を殺せ」とはなかなかならないのではないでしょうか。現に、9.11テロの際にも二五名の日本人の犠牲者がありましたが、この時にそのような声は国内からはほとんど上がりませんでした。」(石破茂著『日本人のための「集団的自衛権」入門』 新潮新書)
たしかに石破氏が言うように、「許せない。報復せよ。相手を殺せ」とはなかなかならない、のが日本人の集団的な心性であるかもしれない。がゆえにこそ、安倍総理が「許せない。その罪を償わせてやる」と売られた喧嘩を買うように主張したときには、日本人の心からは乖離したぞっとするような違和感を、多くの日本人が抱いたかもしれない。が同時に、たとえば自分の子どもや肉親が殺された親が、その犯人へ「死刑」という復讐を望むのも一般的なようである。ならば、一見忍耐強い日本人の集団的心性というものが、その実は、本心を隠したものであるか、他人のことには無関心でいたいという、消極的な対応表現でしかないのかもしれない。身内の事件でなくてよかった、あとは我関せずでいこう、が大勢であれば、「報復」してやりたい個人の気持ちは孤立する、だからこそ、その一般的ではあるがバラバラなままの気持ちを集約していくためにも、総理大臣の強気な発言が人為的に必要となってくる、という構造というか成り行きなのかもしれない。
湯川氏や後藤氏の振る舞いをめぐって、10年ほどまえに騒がれたような「自己責任」批判の風潮は盛り上がっていないようにうかがえる。もう若い者というよりも、大人がやったことだから当然と冷静になっているというよりも、そういう風潮にもっていかせたくない別の風潮の方が強い、という印象をメディアから受ける。上いった日本人の集団心性が本当に近いなら、もともと「自己責任」論議のほうが日本人にはあうことだろう。むろん、それは西洋的な文化圏の考えとは出自も結果もちがって、欧米の人権が責任をもって行う個人への連帯という集団性をもって生起してくるとすれば、我々のそれは、無関心なバラバラなままの現状を追認するように揚げ足取り的・野次馬的な掛け声で終始してしまうだろう。だから、その日本文化的な自然(=風潮)にあらがって、なんとか個人の責任問題においやってしまわせない、集団的な動員の風潮を形成していかせようとする政治的な作為が、だいぶ発動されている、ということか? アメリカ経由の新自由主義的なイデオロギーに親和した日本人の集団心性の「構造」をそのままにした「成り行き」で、そこに一般的に潜在している「報復」につながる強い気持ちを生け捕りにしようと。
安倍総理の報復発言は、そうした作為の一環なのかもしれない。だとしたら、形としては、それは間違ってはいないのではないか? 我々は、自然なままに、無関心なままでいるわけにもいかないのは本当であろうから。だから、とりあえず見えている方向性は二つということになる。その無関心を、欧米人権的な責任論の集団行動性へと、つまりはより一層の近代化へと自己陶冶するか。あるいは、安倍とは違う集団を対峙させてゆかせるか。少なくとも私は、いま「表現の自由」をめぐって世界連帯的な動きが発生しているような、その近代的な価値観に便乗してみたいとはおもわない。私は北朝鮮といえど人をバカにしたような映画などみたくもないし、風刺とはまずは自己批判の延長だとおもうので、自分の所属集団を離れたものへの批評は慎重にやるのが道理だと感ずる。やはりこちらの自己責任実践も、私には「日本人の心からは乖離したぞっとするような違和感」をもつ。そして安倍総理の発言も、むしろそうした欧米エリートの口真似のようでぞっとしたのではなかったか?
私は、もっと自然な作為を欲する。もっとうまくやってくれ。あるいは、もっとうまい手だてはないのか?
2015年2月1日日曜日
イスラム国の人質(2)
「加害者を憎んではいない」と言った私の言葉に、家族の者たちは唖然とした。その顔が怒りに変わっていった。
「あんな奴は、焼き殺してやる」
「あんな奴を放置しておくからこんな目に遭うんだ」
「憎むべき、だ」
家族の者たちの言葉を「つぶて」のごとくに聞いていた。
私には、「加害者」を「憎めない」という自由もないのか。こうして人に厄介をかけて生きていかなければならなくなった人間は、ただ言いなりになっていくことしか許されないのか。「自分」を剥奪され、行き場を失って叫び声を上げてしまった加害者Mと、私も同じ……。
悪いのは、「加害者」だけだったのか……。
晩夏の庭には柿が実のっている。私は家族の会話を耳にしながら無表情を装い柿を見つめていた。柿はまだ、青い。
――大丈夫。いつまでも生きてはいないよ。大丈夫だよ。今だけ。今だけのこと。柿が赤くなる頃には私は死んでいる。」(杉原美津子著『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』 文芸春秋)
後藤さんが殺されてしまったようだ。ビデオに映る後藤さんの毅然とした表情から、私は彼らの友情が発動されるのではないかと希望していた。交渉が可能な相手ではないと世間は言うが、私は、彼らはそれ、友情を理解したとおもう。ただその心の動きに従うには、世界に動かされているそのことの情動に駆られるのが大なのだろう。心の芽吹きに耳を傾けさせる余地をあたえまいと、世界が、国家群が、より大きなうねりをひねり出して、人々を、後藤氏を殺した彼らのように、押し流してしまうのではないかとおそれる。戦争を抑止するために意図した同盟関係が、たった一人の殺害を契機に、意図しない拡大を招いて世界大戦になってしまった、という現代史の警告を紹介しているのが佐藤優氏と手嶋龍一氏の最近の対談である(『賢者の戦略』新潮新書)
かつて、私の女房のダンス公演を論じたものをおもいだした。――2003年「テロリストになる代わりに」
また、チェチェンの紛争の犠牲者になった子供たちの映画に言及したものを、自分のHPから再引用、再確認したくなった。
2015年1月27日火曜日
イスラム国の人質
「人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為と云 ったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。
けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応 なく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶 な死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以 て敬愛したいと思うのだ。」(坂口安吾著「特攻隊に捧ぐ」http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html)
やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。
<後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>
たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。
イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。
「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。
けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として
やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。
<後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>
たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。
イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。
「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。
2015年1月8日木曜日
サルのホームと原発社会
「それでも、恐怖心を一〇〇%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。」(吉本隆明著『反原発異論』 論創社)
「サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。…(略)…弱いものにしてみても、食べ物をめぐって無駄に争うよりは、遠慮したほうが結局は得だという知恵があるのです。/ これは非常に経済的なシステムです。絶対的な序列の中にいるから、効率がいい。サルが群れているのは、集まっていたほうが得だからにすぎません。その証拠に、サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。」(山極寿一著『「サル化」する人間社会』 集英社インターナショナル)
ホーム、ということを、昨年末のブログにつづき、もう少し考えてみたくなった。いや、なお考えていることに気づかされて、この冬休みの際(13日までで子供よりながい)に、もっと突っ込みをいれてみようと。昨年は、算数や高校数学までの復習をやりはじめ、数学理論書の概説書や柄谷氏の「内省と遡行」なども昨日は読んでいた。それがなぜなのか、「ホーム」ということに、どうつながるのか、といまようやく思い至ったのである。
まず私は、ホーム、ということを、サルから考えようとしていたことがかつてあったはずだ、とおもいだした。探してみると、それは、柄谷氏の『世界史の構造』への感想文として提示されている。そこでは、エマニュエル・トッド氏の『世界像革命〔家族人類学の挑戦〕』(藤原書店)が引用され、大家族から近代への核家族へとむかうという通念とはちがって、むしろ人類の原初期の方こそが核家族であったこと、そしてその上での引用として京都大学学術出版会の『集団ー―人類社会の進化』から、その人類学的新知見が、類人猿の研究成果からも後押しされている、と指摘した。サルからヒトへの初期段階、なおサルの生活形態を継承していたかもしれない人類は、父ー母ー子を中心とした、核家族的、単雄単雌集団で縄張りを形成していた、という仮説を。だからならば、近代化してこそサル化に再び近づいた我々は、なおサルのままでいるものたちのサル知恵から学ぶべきことがあるのではないか、とサルを肯定評価したのだった。
ところが、この冬休み中に読んだ、冒頭引用した二著者は、サル化に否定的である。吉本氏は、原発開発をやめることは、サルにもどってしまうことだと批判し、逆に山極氏は、そうしたアトム(個人)化がサル社会に近づくことだと批判するのである。資本主義の個人利害優先の進展と、その自然的限界を乗り越えて資源問題を解決していくため、原発技術を基礎的に据えていこうとする社会に対し、行くも退くも「サル」だということだ。もちろん、私がいう「サル」と、山極氏のいう「サル」は意味がちがう。山極氏によれば、私のいう「サル」はゴリラ的であり、研究者はそこを区別し、氏自身の批判する「サル化」のサルとは日本猿のような分類に属するものである。そしてその両サルの違いは、前者(ゴリラ)は核家族的集団であり(現歴史での実際は単雄複雌的)、後者のサルは単に個的な群れであって、集団的なアイデンティティーはない、とされる。ならば、このサル内の区別は、核家族的な近代と、個人=群としての、ドゥルーズ的なかつてのポスト・モダンという概念上の区別ともつながる。むろん後者は、その実践結果としては、資本主義の形式的な戯れ進行を肯定してきたわけだ。吉本氏も、この人類の歴史の進展は不可逆だとして、そのアトム化を、文明論・技術史的に首肯している、ということだろう。しかし、比喩的には「ヒトからサルへ」となるだろう近代を起点とした進化は、本当に不可逆なのだろうか? 原発を開発させた技術の根底には、数学史上の変転、数学基礎論として問われた根底的な問いからの解放として、つまりは、対象の真実を極めるという真剣さからの解放として、そのアイデア体系が無矛盾ならばよしとする形式的な戯れ態度の受容がある。
数学者の岡潔氏は、その数学者の態度変更を批判していたわけだ。高瀬正仁氏は、その岡氏と、カルタンに代表されるような形式主義的態度の数学者を区別し、前者を評価する。前者とは「わかる」という「発見の喜び」があり、その感情が共有されうるが、後者は「理論は簡単な論理の連なりであるから難解ということはありえず、だれにもやすやすと受け入れられる」が、その「論理の連なりが非常に長いため、途中で退屈のあまり放り出してしまいたくなることはある。車の運転を習ったり、コンピューターの使い方に習熟するという感じ」で、「機械操作」だと(『近代数学史の成立』東京図書)。この感じの区別は、山極氏のヒトとサルとの区別と似ているだろう。前者は他者と共感しえる集団性をもつが、後者は個人的な習熟や満足=満腹で終わってしまうと。そしてこの後者の数学が現今にいたるまでの科学技術を支え、我々はそこで唯一その数学態度を有益的として存続証明してみせている原発社会を生きている、ということになるのである。ならば、吉本氏の前提とする不可逆史観は、少なくとも数学基礎論的には、むしろ怪しい、というべきだろう。むろん、我々はもはや何万年と消えない原子力のゴミを抱え込んでいるのだから、実際的には、吉本氏の常識に反論することはできない。可逆だ、その近代の起点に帰ってやり直すこと、今の態度を変えることは可能なのだ、といっても、それはまさに言っているだけにしかならないのである。つまり、我々にできることは、ただ態度を変更することだけなのである。その実現した態度変更が何百年とつづけば、何万年後に原子力のゴミの害がなくなったときに、洗浄されたユートピア社会が実際的に機能してくるだろう、と夢見ることができる、ということか?
少なくとも、たとえ原発社会からもはや脱出することが不可能であっても、私達はやはり、ホームということ、他者と共感しえる喜びのある社会のほうがましだろう、それをめざそう、と思わざるを得ない。志向=思考せざるをえない。津波のなかでの逃げまどいと、放射能からの逃げまどいには、違いがあったろう。前者は助け合いだったり人間の尊厳がみられたが、後者の際には、夫婦の間でさえ考えの違いが問われ露わにされ、つまりは人をアトムとして孤立させて対立させてきたのではないだろうか? この逃走、夫婦喧嘩のなかで、私たちは、もう原発社会はこりごりだ、とおもわなかっただろうか? その感情は、もはや原発社会から抜け出せない、という史的事実とは、別次元にある、違う位相にある態度を要請しないか? 少なくともその根底にある感情は、「恐怖心」ではなく、もういやだ、ということである。そしてフロイトは、それこそが「戦争」に反対しえる不可逆な態度だ、とアインシュタインとのやりとりで表明したことなのだった
数学をはじめからやり直そう、おそらく昨年、私が算数からやり直しはじめたのには、そんな願いがあったからだと、いまわかるのだった。
「サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。…(略)…弱いものにしてみても、食べ物をめぐって無駄に争うよりは、遠慮したほうが結局は得だという知恵があるのです。/ これは非常に経済的なシステムです。絶対的な序列の中にいるから、効率がいい。サルが群れているのは、集まっていたほうが得だからにすぎません。その証拠に、サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。」(山極寿一著『「サル化」する人間社会』 集英社インターナショナル)
ホーム、ということを、昨年末のブログにつづき、もう少し考えてみたくなった。いや、なお考えていることに気づかされて、この冬休みの際(13日までで子供よりながい)に、もっと突っ込みをいれてみようと。昨年は、算数や高校数学までの復習をやりはじめ、数学理論書の概説書や柄谷氏の「内省と遡行」なども昨日は読んでいた。それがなぜなのか、「ホーム」ということに、どうつながるのか、といまようやく思い至ったのである。
まず私は、ホーム、ということを、サルから考えようとしていたことがかつてあったはずだ、とおもいだした。探してみると、それは、柄谷氏の『世界史の構造』への感想文として提示されている。そこでは、エマニュエル・トッド氏の『世界像革命〔家族人類学の挑戦〕』(藤原書店)が引用され、大家族から近代への核家族へとむかうという通念とはちがって、むしろ人類の原初期の方こそが核家族であったこと、そしてその上での引用として京都大学学術出版会の『集団ー―人類社会の進化』から、その人類学的新知見が、類人猿の研究成果からも後押しされている、と指摘した。サルからヒトへの初期段階、なおサルの生活形態を継承していたかもしれない人類は、父ー母ー子を中心とした、核家族的、単雄単雌集団で縄張りを形成していた、という仮説を。だからならば、近代化してこそサル化に再び近づいた我々は、なおサルのままでいるものたちのサル知恵から学ぶべきことがあるのではないか、とサルを肯定評価したのだった。
ところが、この冬休み中に読んだ、冒頭引用した二著者は、サル化に否定的である。吉本氏は、原発開発をやめることは、サルにもどってしまうことだと批判し、逆に山極氏は、そうしたアトム(個人)化がサル社会に近づくことだと批判するのである。資本主義の個人利害優先の進展と、その自然的限界を乗り越えて資源問題を解決していくため、原発技術を基礎的に据えていこうとする社会に対し、行くも退くも「サル」だということだ。もちろん、私がいう「サル」と、山極氏のいう「サル」は意味がちがう。山極氏によれば、私のいう「サル」はゴリラ的であり、研究者はそこを区別し、氏自身の批判する「サル化」のサルとは日本猿のような分類に属するものである。そしてその両サルの違いは、前者(ゴリラ)は核家族的集団であり(現歴史での実際は単雄複雌的)、後者のサルは単に個的な群れであって、集団的なアイデンティティーはない、とされる。ならば、このサル内の区別は、核家族的な近代と、個人=群としての、ドゥルーズ的なかつてのポスト・モダンという概念上の区別ともつながる。むろん後者は、その実践結果としては、資本主義の形式的な戯れ進行を肯定してきたわけだ。吉本氏も、この人類の歴史の進展は不可逆だとして、そのアトム化を、文明論・技術史的に首肯している、ということだろう。しかし、比喩的には「ヒトからサルへ」となるだろう近代を起点とした進化は、本当に不可逆なのだろうか? 原発を開発させた技術の根底には、数学史上の変転、数学基礎論として問われた根底的な問いからの解放として、つまりは、対象の真実を極めるという真剣さからの解放として、そのアイデア体系が無矛盾ならばよしとする形式的な戯れ態度の受容がある。
数学者の岡潔氏は、その数学者の態度変更を批判していたわけだ。高瀬正仁氏は、その岡氏と、カルタンに代表されるような形式主義的態度の数学者を区別し、前者を評価する。前者とは「わかる」という「発見の喜び」があり、その感情が共有されうるが、後者は「理論は簡単な論理の連なりであるから難解ということはありえず、だれにもやすやすと受け入れられる」が、その「論理の連なりが非常に長いため、途中で退屈のあまり放り出してしまいたくなることはある。車の運転を習ったり、コンピューターの使い方に習熟するという感じ」で、「機械操作」だと(『近代数学史の成立』東京図書)。この感じの区別は、山極氏のヒトとサルとの区別と似ているだろう。前者は他者と共感しえる集団性をもつが、後者は個人的な習熟や満足=満腹で終わってしまうと。そしてこの後者の数学が現今にいたるまでの科学技術を支え、我々はそこで唯一その数学態度を有益的として存続証明してみせている原発社会を生きている、ということになるのである。ならば、吉本氏の前提とする不可逆史観は、少なくとも数学基礎論的には、むしろ怪しい、というべきだろう。むろん、我々はもはや何万年と消えない原子力のゴミを抱え込んでいるのだから、実際的には、吉本氏の常識に反論することはできない。可逆だ、その近代の起点に帰ってやり直すこと、今の態度を変えることは可能なのだ、といっても、それはまさに言っているだけにしかならないのである。つまり、我々にできることは、ただ態度を変更することだけなのである。その実現した態度変更が何百年とつづけば、何万年後に原子力のゴミの害がなくなったときに、洗浄されたユートピア社会が実際的に機能してくるだろう、と夢見ることができる、ということか?
少なくとも、たとえ原発社会からもはや脱出することが不可能であっても、私達はやはり、ホームということ、他者と共感しえる喜びのある社会のほうがましだろう、それをめざそう、と思わざるを得ない。志向=思考せざるをえない。津波のなかでの逃げまどいと、放射能からの逃げまどいには、違いがあったろう。前者は助け合いだったり人間の尊厳がみられたが、後者の際には、夫婦の間でさえ考えの違いが問われ露わにされ、つまりは人をアトムとして孤立させて対立させてきたのではないだろうか? この逃走、夫婦喧嘩のなかで、私たちは、もう原発社会はこりごりだ、とおもわなかっただろうか? その感情は、もはや原発社会から抜け出せない、という史的事実とは、別次元にある、違う位相にある態度を要請しないか? 少なくともその根底にある感情は、「恐怖心」ではなく、もういやだ、ということである。そしてフロイトは、それこそが「戦争」に反対しえる不可逆な態度だ、とアインシュタインとのやりとりで表明したことなのだった
数学をはじめからやり直そう、おそらく昨年、私が算数からやり直しはじめたのには、そんな願いがあったからだと、いまわかるのだった。
2015年1月7日水曜日
初夢と老い
「いふまでもなく戦争の為に倒れたものの大部分は血気盛んな若者であるから、その落ちつく先は皆幽界じゃ。目下幽界に入って来る霊魂の数は雲霞の如し、しかも大抵急死を遂げて居るので、何れも皆増悪の念に燃ゆるものばかり、そのものすごい状態は実に想像に余りある。多くの者は自分の死の自覚さへもなく、周囲の状況が変化して居るのを見て、負傷の為に一時頭脳が狂って居るのだ、位に考えてゐる。/が、霊界がこの戦争の為に受くる影響は直接ではない。新たに死んだ人達を救うべく、力量のある者がそれぞれ召集令を受けて幽界の方面に出動することがこちらの仕事ぢゃ。すでに無数の義勇軍は幽界へ向けて進発した。目下はその大部分は霊界の上の二境からのみ選抜されているが、やがて私達の境涯からも出て行くに相違ない。」(『死後の世界――浅野和三郎著作集②――』 潮文社 *旧字は新字に改め。)
正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?
「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……
死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?
偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。
正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?
「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……
死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?
偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。
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