2020年1月5日日曜日

初夢にかえる短歌


<正月、群馬に帰省中の散歩から。短歌をやる兄を習って。>



霜おりて土手をいろどる枯れすすき

朝日の花道われひとりゆく



息白く空に散るかや初霜の

枯れ草の土手われひとりゆく



朝日うけ雲に包まる浅間山

姿見せずも立ち現れおり



陽を浴びて光とどまる榛名山

したたる雫の赫くように



赤城山朝日に射抜かれ座りおり

腹あかくして空の屏風に



地にふして刃をかくすか妙義山

空を切り裂きいざ躍り出るために



空と地のあいだに広がる山々よ

坂東太郎をやさしくつつむ



嵐すぎなぎたおされた川べりの

木々を知らぬか玉石と水



青空の下嵐のあとの土手の上

ひとりたたずむ朝の気が過ぐ



※ だいぶしばらく、熊や洪水におそわれる夢を見なくなっていたが、去年の暮れぐらいか、また、あふれるように流れる川がでてきた。身内や過去の友人がいるなか、人助けのために、実際は泳げない私が、飛び込んで水をかいていったりする。そんな葛藤が、短歌にも出てくるものなのか、とおもう。水に呑み込まれたとき、狂うのだろう。

※ 「まだ上州の山はみえずや」とうたった朔太郎。その「帰郷」という詩の一節は、群馬県に帰省する人々だけでなく、山のおおい日本では、だいぶ多くの人が抱きうる感慨かもしれない。

浅間山と妙義山
榛名山
赤城山

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