2019年12月22日日曜日

大学入試改革をめぐる

佐藤 一例を挙げると、早稲田の文化構想学部の入試問題は、近代文語文、要するには江戸末期から明治時代の文語文で出題されます。これを出題範囲に入れているのは、後は一橋大と上智大学の経済など。高校では普通学ばないので、「東大文Ⅲには受かったけれど、早稲田の文化構想は落ちた」ということが、実際に起こるのです。
 ところで、これらの大学がなぜそういう入試をするのかというと、入学後の授業に必要だからではありません。「うちの入試問題は、最低二か月は近代文語文を勉強しないと、点がとれませんよ」という意思表示なのだと思います。つまり、「特別の勉強をしてでもこの大学に入りたい」という「第一志望の学生」を集めるための入試戦略なんです。」(『教育激変』池上彰・佐藤優著 中公新書ラクレ)

渡部 …で、その変化の流れを、今回の出来事が大きく加速することになった。早稲田はこれを機に思い切りコンプライアインス系に変わってきたといいます。…(略)…自分のことを棚に上げて済みませんが、その気持ち悪さが、「戦前的」なものにみえてなりません。しかし、戦前はそれでも、中等高等教育だけは、しっかりしていたわけですよね。少年少女に難しい本を、遠慮なく読ませる。大学生ともなれば、英語以外にもう一つ、二つ原書を読めねば、周囲が納得しない。ところが、現在の「戦前」は、その文系教育までも決定的に否定しはじめているんですね。新しい大学入試制度と、それに準拠した高校の新指導要領。これは大問題で、高校の国語の指導要領が大きく変わります。紅野謙介さんの『国語教育の危機』という新書本に詳しく書かれていますが、それによると、三年後の二〇二二年から指導要領が変わって、国語が「論理国語」と「文学国語」の二本立てとなり、驚くべきことに、「文学国語」を受講しなくても高校は卒業できるようになってしまうんです。その「論理国語」とは、駐車場の契約書の内容を読むとか、いくつもの文書を整理するとか、つまり、ただの情報としての日本語を学習するそうです。簡単に言うと、今度こそ本当に、教科書から『こころ』も『舞姫』も消えるようです。」(「特別インタビュー 文芸評論家・渡部直己はなぜ、早稲田大学文学学術院教授を「解任」されたのか その2」『映画芸術』2019.469号)

「しかし、「民主主義社会」において存在しうるのは、たかだが相対的に目立つコソ泥に過ぎない。それが「原父」であるかのように自身を見誤ったとすれば、遅かれ早かれ「殺される」ことは、まま起きるだろう。渡辺直己に間違いがあったとすれば、その批評それ自体ではなく、誰もが村上春樹の批判者になるべきだし、誰もがユングをバカだと思うべきだと信じたところにある。もちろん、そんな大学のありかた自体が今や過去のものである。現在の大学が求めているのは、学生が聞いていようがいまいが、つまらぬ精密なシラバスどおりきっちりとニュートラルな――せいぜい、辛口の書評ライターがやる程度の?――授業をやってくれる教員であり、ゆくゆくは、それもAIに取って代わられようとしている(のかもしれぬ)のは、すでに述べたとおりだ。」(絓秀実著「自由と民主主義万歳! われらコソ泥たち――ケーススタディ」 『G-W-G(minus)03 特集 天皇/制と文学』2019.5)

延期になった大学入試の新テスト導入。
その国語テストの主な理由は、記述式になるので、採点が曖昧になって公平性が保てそうにない、ということらしいが、本当は、何か政治的、経済利害的な駆け引きがあるのだろう。もともと正解のある答案なので、採点にぶれなどそうは生じないはずだ。これまでだって何字以内で記述せよ、というのは二次試験でやってきたはずで、しかももっと答えがはっきりするものになるのだから、マニュアル的に対応できるはずだ。一昨年だかに公表された新問題を私はやってみたが、上記引用著作での佐藤氏の肯定的な評価よりも、私は渡部氏のような印象と評価をもった。文学が読めるものはマニュアル書も読めるようになるだろうが、マニュアル書しか読んでこなかったものは、文学など読めないだろう。ということは、その文字どおりな答えの理解で終わってしまって、相手の返答の真意まで読み込めず、コケにされるような人間教育となるだろう。前回ブログでもいったように、「官僚を育てたいのだな」、というのが私の感想だ。もちろん、明治時代からの教育目標はそうだったわけだが、なお江戸的な教養のあり方が尾を引いていて、今回、それがもっと純粋に目的化される、ということなのだろう。

そして早稲田大学の教授であった渡部氏がセク・パワハラの容疑で「解任」されたのは、氏の解釈では、そうしたことどもの政治的駆け引き、大学改革にまつわる政治的変化の背景に巻き込まれた、ちょうどよい生贄を自ら提供してしまった、ということになるらしい。私も、そういうことなんだろうなとは思うが、それも呑気に大学の先生をつづけ、今さらながらの遅れた、遅すぎた認識だ、というのが絓氏が示した評価であろう。また、ネット上で渡部氏をつるし上げるに一役買ったであろう私の知り合いの範囲の感触では、PC的な観点からというよりは、大学変革の瀬戸際時点で抵抗していた認識前提を、今になってひけらかして偉そうな弁解をするな、ということのようである。それは実践的に、もっともな批判なのではないのか?

そう批判した友人のメールでの突っ込みがなかったら、私は、そもそも渡部事件に興味はもてなかっただろう。今回ブログで取り上げようと思ったのは、冒頭引用の池上・佐藤の対談本を読んだからである。素材として、上記の雑誌文章などをその友人からメール送付してもらった。当初、つまり私が今年に入ってからの新聞で、渡部氏が「辞任」したという記事を読んだときの第一印象は、日大アメフト部の事件と同じなんだろうな、だけど、何もやってなくとも、つまり無罪であっても、「心で姦淫したものは姦淫したのである」というのが文学の洞察的立場なのだから、すぐに「辞任」というのはさすがな対応だ、というものだった。だから、おそらくはネット上では相当PCでやられてるな、とおもい、自身のブログで、絓氏と入れ替わりで早稲田の文学部に教えにやってきた渡部氏の最初の年の教え子の一人な私なので、「一番弟子」だという自認を表明してみたりしたのである。ところが実際のところは、事件時期も日大アメフト部事件後の2017年のことでほぼ同時期、「辞任」ではなく「解任」であり、そのフェイク・ニュースに抗する渡部氏の弁解は、私にはあまりに当たり前的、つまり文学的でないので、がっかりしたのだった。あの当時の、現皇嗣の女房・紀子様のことを「白豚」と読んで授業していたように、何か過激なことでも言っているのかと期待したのである。とくには、ネット上の炎上で人が殺される、などというのは、柄谷氏のはじめたNAMに主体的に関わっていれば、経験ずみのことであるはずであり、少しは慣れて技術も習得していただろうに。あの組織の瓦解が、一人の女性(現私の女房)への魔女狩り裁判(評議会)での全員一致な決議を端緒に伝播していったことを、私はどこかの総括WEBみたいなところで指摘していたはずだ。

日大アメフト事件をめぐっては、自身のブログでも何回か書いたが、要は、スポーツや文学をやる学生の質が落ちた(変わった)、前提(育成)的な考えが共有されなくなっている、ということだ。真剣にやるスポーツで、ファウルがあるのは当たり前だが、それはギリギリな線でやるというところに技術とスポーツマンシップ(友情)がある。鹿島アントラーズにいた内田選手が日本代表としブラジルのネイマールとマッチアップしたとき、最初にしかけたのは内田選手だった、それ以降、二人での削り合いの姿自体が一つの見ものだった。が、日大選手のアフターファウルは、論外で話にならないが、問題なのは、そのスポーツ的にはとろい選手が日本代表候補である、ということである。文学でも、男女の性関係問題などサシで勝負・対処できなければしょうがないのに、そういう前提がないものが大学院で文芸創作をめざしている女性だという。ヤクザがなぐられて交番に駆け込むのが正当的な時はあっても、おかしい話ではないか。そこにあるニュアンスが共有されていない、つまりは、暗黙の前提である共同体が崩れているのだ。すでにして、新テストでしか受からないような、文字通りな理解しかできないような、監督や教授の話を鵜呑みにしかできないようなプロの卵になってきていた、ということだ。

暗黙の共同体が崩壊していくのはしょうがない。しかし、ニュアンスのわかる生徒、子供を育てていかなくてはいけないのではないか? 佐藤優氏が教育の前提とする、「共感」する能力といってもいい。たしかに、それを身につけさせる方法の一つとして、きわめて日本的な、部活動的な、といおうか、教師の人格的感化、という作法というかやり口もあるだろう。渡部氏はそう意識的に実践してき、佐藤氏にも、根本はそうだという共有がある。が、そんな根底的なことが、大学という現場で、つまりはすでに成人に近い人が集まる場所で、そもそも可能なのか? それが不可能だからこそ、渡部氏は、まずは生徒の人格前提を破壊するショック療法からはじめ、佐藤氏は、教える前から自分の著作を読んで語学や数学の勉強もしてきている良い子にだけ教えるのがメインになる。つまり両者とも、実践的には無理をしており、理論的には偽善的だということだろう。私自身は、子供(小学生年代)にサッカー(パパ)コーチとしてかかわることで、若い父母とうに接しながら、結局は、世界の動きに現場で負けて、ただその運営転換に巻き込まれないよう手早く身を引いた。ということで、実践的にはお手上げ状態ということだ。

理論的にはどうか?
サッカーを通して、子供にどうその技術を教えるのか、だいぶ翻訳をふくめた書籍もでていて、勉強して分かったのは、少なくとも、もはやあちらでは、部活動顧問のような渡部氏のやり口はしていない、主流にはなりえない、ということだ。子供を楽しませていつの間にか技術を習得させる練習メニューの開発をふくめ、コーチの指導法とう、驚くべき科学である(NHKの「奇跡のレッスン」とかいう番組の、テニス指導の様子が典型的だ)。しかし考えてみれば、それこそが日本が世界大戦で負けた、負けた原因の思想性ではなかったか? おそらく欧米の大学教授が、スパルタ的に教えるなんてことはないだろう。渡部氏は、留学はしていないのだろうか? しかし厳密には、あちらの思想の根底が変わった、真に反省したということではなく、いわば女の口説き方がうまくなった、ちゃんと歴史教訓を科学的に検証して取り入れている、ということだろう。パパ(コーチ)の位置を、譲っているわけではないのだ。強い「原父」にかわる、柔らかい「コソ泥」パパ。
絓氏の現代思想的な言い方では、次のようになるだろう。

<男根中心主義的あるいは男性中心的パースペクティブは、今日では、デリダやフェミニズムをはじめ多くの立場からの批判にさらされている。男根中心主義の権化のように批判されていたラカンでさえ、「すべてーではない」女の享楽の存在を主張しているとして、そこに可能性が見いだされている(しかも、そう言う論者の多くは、あたかもファルス享楽が簡単にのりこえられるかのごとく主張している)。男根中心主義をあからさまに主張することは、いかに保守派といえども、はばかられる。保守派が、なお「民主主義」を拠りどころにせざるをえないのも確かだろう。現在ささやかれている「民主主義の危機」なるものも、一夫一婦制の危機とそののりこえ不可能性に深く関係しているはずである。>(前掲書)

この箇所を、私は、このブログでも書評した、河中郁男氏の『中上健次論』への応答と読む。が、それは私の考えている最中の問題でもあるので、一言する。

エマニュエル・トッドの家族人類学と柄谷行人の世界史の構造をふまえていえば、「一夫一婦制(核家族=双系制)」とは、近代(民主主義)においてはじまったのではなく、むしろ歴史(文明)以前の人類、狩猟的な遊動生活時にまでさかのぼる習性となる。フロイトの「ファミリーロマンス」とは、文明(帝国)に接したことによる、葛藤の症状である。それは、「原父(帝国=共同体家族)」に一元的に支配されてしまったことへの、「抑圧されたものの回帰」である。自由とは、家から出られるということであり、平等とは、その遺産の兄弟姉妹への平等的な分配である。が、文明(歴史・帝国)は、そうさせないような制度をもった。父が、死ぬまで子供を手放さず、相続は長男(男系)へとされて、その体制の保持・伝播が図られた。が、人類の基底習性には、むしろ「父」ではなく、「母」に影響されやすい自然趨勢が強いのが実情で、そこを問題として把握しておかなくては、父権性への対抗も十全たりえない。柄谷氏の、歴史以前(核家族)にあったろう「贈与交換」を「高次元で回復」というアイデアや、ラカンの、キルケゴールの哲学、「ドン・ファン」という概念から示唆された「すべて―ではない」という発想も、そういうことではないか? 私は、去年、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を今さらなように読んで、キルケゴールの女性の「献身」というヘーゲルへの対抗概念を想起した。実際的には、女房と息子との関係、そして、やたらユニクロのパンツを私(夫)のために買ってくる女房の行動形態を観察していることからくるが。むろん、「献身」などといったら、それこそPC的に非難の的となる。換言・敷衍すれば、トッドや柄谷の理屈も、結局は、男根中心主義批判の一ヴェリエーションとして現状に包摂されるだけなのである、とするのが、絓氏の立論、見立てなのだろうか?……

マッチョ的でない教え方、教育をめぐるあり方に関しては、岡崎乾二郎氏の『抽象の力』(亜紀書房)というのもある。私は、サッカー勉強の途上で、将棋の藤井聡太氏も受けたというモンテッソーリの幼児教育方法などにも触れていたし、「アクティブ・ラーニング」という実践の肯定的な理解も、その延長としてあった。が岡崎氏の複数主体という概念提出をめぐっては、絓氏が「簡単にのりこえられる」ように表現していると脱男性主義的な主張に言うように、安易な主体超克ではないかと疑義を述べたのだった。

中上健次論を上梓している渡部氏は、私の知る限りでは、河中氏へは応答していない。
渡部問題を河中氏の中上論で揶揄すれば、次のようなるだろうか?――渡部氏は、『地の果て至上の時』の秋幸の父・浜村龍造(「大学」)が、原父としての荒くれ者から、「資本家(企業)=文化人」へと変貌しているにもかかわらず、その変化に気づかないまま、相変わらず小「原父」として、「中本の一統」たる若い衆のようにふるまい「殺されて」いった、ということなのだ。フリーターになることも辞さなかった秋幸にはなれなかった。さらに、図書新聞での文芸連載再開の様とは、龍造に裏切られて精神病になり、アル中になって嘆き悲しみ語りに没頭する、『奇蹟』のトモノオジのような立場になっていく、ということだ。坪内逍遥賞に貢献したのに、早稲田ブランドに手を貸したのに、あの頃の文学は……と。龍造に切り捨てられ、ジンギスカン伝説を妄想するようになった『地の果て――』の「ヨシ兄」ではないだろう。とにかくも、私はそういう生き方を、悪くはないとおもう。が、河中氏によれば、そうなってしまうのは、渡部氏の批評のあり方、文学の考え方からくる、論理的な必然なのだ、として論考されているのである。それに対し、渡部氏は、なお何も言っていないのではないか?

しかし、ここからの「文学」の問題は、次のブログにまわす。渡部事件をめぐって提出された、ネット上の議論と、先に上げた河中氏の論考などをからめて、もう少し、突き詰めてみたいとおもう。

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