2020年1月9日木曜日

多和田葉子をめぐる(1)


(1)キラキラネーム



『献灯使』から検討してみよう。

むめい、とフリガナつきで綴られた「無名」という子供の名前からはじめられるこの作品。その名は、曾祖父の義郎がつけたものだった。

「これがお前の息子だ、名前は無名とつけた。名前が無いという名前だ。文句あるか」

生後13日目にして病院に現れた孫の「飛藻(とも)」に、彼にとっての祖父はそう言ってみる。飛藻の妻は、出産後3日して亡くなっている。飛藻が遅れたのは、賭博依存症を治癒するための施設に入っていたからだ。彼の母、義郎の娘にあたる「天南(あまな)」は、夫とともに沖縄へ移民しており、東京にある病院には来られない。彼らにとっての祖母、義郎の妻「鞠華(まりか)」も、地方にあるのだろう施設長をやっていて、仕事を抜けられないらしい。

「無名の面倒は俺がみるから、安心して、ちゃんと病気をなおしてもどっておいで」

しかし結局、飛藻は「雲隠れ」のように、子供をおいてどこかへいってしまったのだった。その子が、本当に自分の子かどうかもわからない、という含みを残して。妻が、腰の軽い、浮気が日常的な飲酒好きな女性だったのだ。

この物語は、そんなふうに子供を預けられた曾祖父と曾孫が、どうやら原発事故後に出現したらしい日本社会の中で、どのような心持ちで生きていったらいいのか、を説話していくものである。言い換えれば、生起したディストピア社会のなかで、未来へ向けて、どのような倫理があるかを模索してみせた作品である。しかしその模索は、カタストロフィ後の社会というSF的設定のなかで、それを乗り越えていけるような理想像に思いを馳せていくようなものではない。むしろ設定は、原発事故があろうがなかろうが、すでに制度として偏在していた社会のカリカチュアだろう。現在を拡張させて実験的な近未来を描いたというよりは、その現在を、原発事故後も持続させているものを告発すべく、舞台が設定されているのである。この作品のストーリーは、無名くんが朝おきて、小学校へいき、その一時間目の授業までの話である。小学二年生の無名は授業中に気を失い、物語はそこで飛躍して、15歳の無名になるのだが、それは気を失っていた間の夢なのかもしれない、という暗示でこの作品は終わる。その短い時間軸の間に、ブラックな社会と世界の説明が挿入されるのだ。

しかし読者は、そんな深刻な設定であるにもかかわらず、この作品が、多和田葉子的なと呼ぶべき言葉遊びに満ち溢れ、その言語活動によって字数が埋められていく、という印象の方が強いだろう。ほぼ全編に、同音異義語や、音韻からの意味飛躍な連想が散りばめられている。原発問題を、こんな言葉遊びで扱うのは、不謹慎ではないか? そう言う批評家の声が聞かれないほうがどうかしているくらいだ。ならば、それが不謹慎で不真面目でないのなら、どうしてなのか? 事故の悲惨を言葉で茶化す言語活動の、どこに、真剣さがあるのだ? 日本を離れ、ドイツで活動をしはじめた多和田氏が、諸言語の狭間で、稀にみる文学活動を続けていることはみな知っている。そういう活動の延長として自明なのだから、つまり文学活動はお笑いではなく高尚なのだから、その下で、原発事故を扱うことは、当然、真剣なものになるはずだ……そういう前提のもとで、最近、被災者の現場にも足を運ばない言葉の世界だけで作られた盗作まがいの作品が、芥川の名を冠した賞を受賞したのではなかったか? 同じ文学として、差がない、たいしたものだ、ということなのか?



私がここで、多和田氏の作品を通して作業したいのは、そう大差のなくなり自明視されはじめた感がある文学の、腑分けである。それはひところ、柄谷・蓮見両批評家のもとで掲揚された、小説と物語の区別、ということではない。いや俗語革命(言文一致運動)と出版ジャーナリズムとがあいまって惹起した近代小説、という教養的な枠をふまえながら、その前提共有とされるはずのものさえもが無効化されている文学言説の場で、もう一度小説活動のあり方を一現代作家の中に掘り起こしてみることで、その前提を違った形で反復してみることである。つまり多和田氏が、具体的に実際、どんな文学活動をしているのか、自明とされ茫洋とされてしまっている様に、ひとつの社会的視点、教養前提を共有しない者たちへも通じる見方を架橋してみたい、ということだ。そしてその橋は、まずは子供たちの名前から架けられるのである。



<しかし何といっても多いのは、虐待による犠牲です。最近の例をあげても、親の虐待で亡くなった子の中に、心(ここ)ちゃん、龍空(りく)くん、憂(ゆい)ちゃん、咲華(さいか)ちゃん、碧(へき)くん、成智(なち)くん、月(るな)ちゃん、桃々(もも)ちゃんといった名前の子がいます。これらはまちがった読み方で人に読めなかったり、男女がわからなかったりするといった珍奇ネームの典型です。>(牧野恭仁雄著『子供の名前が危ない』 ベスト新書 2012.1初版)



 無名くんが通う小学校の生徒たちの名前をみてみよう。

「賀露(かろ)」ちゃん、「安凪(やなぎ)」くん、「窯(かま)」ちゃん、そして「龍五郎」くんというのもでてくるが、これにはフリガナはない。そのまま「りゅうごろう」でいいのだろうとおもうが、「義郎」以外の名前のわかる主人公の身内が、みな珍奇ネームで出てくると、まともに読んでいいのかがわからなくなる。「安川丸」、とフリガナなしだと、名前だか苗字だかもわからない。だから、無名と一緒に「献灯使」に選ばれたのかもしれない隣近所だった「睡蓮」ちゃん、フリガナなし、は、ほんとうに「すいれん」ちゃんと呼んで、いや読んでいいものなのか、さらに不安になってくる。

 自身もが珍奇ネームで、だれも「くにお」と読める人がいなかったという前掲書の命名研究科の肩書きをもつ牧野氏は、珍奇ネームの発生を、親の「無力感」「欠乏感」「孤独感」そして「劣等感」の「代償行為」なのだと分析する。<名づけこそ、自分が主導権をもって行った証であり、なおかつめずらしく見た目もよければ、自分の心が満たされることにもつながります。だからそういう名前をキラキラネームと呼びたくなるのでしょう。言いかえれば「主導権がない」という欠乏感、「力がない」という無力感が、珍奇ネームを生んでいるのです。>

牧野氏は、誰もが抱きうるネガティブな感情が、個人には抱えられなくなる現象を、「文明社会」のなかでの「人間の競争」という背景でとらえ、「平成」になってから珍奇ネームが増えはじめ、児童相談所であつかわれた虐待件数が、「平成はじめに年間1100件ほど」だったのが、「2010(平成22)年は44000件を超え、20年で40倍に増え」たことを指摘している。令和に入ってからの虐待事故で、世間を騒がせた名前は、「結愛(ゆあ)」ちゃんだろうか。

多和田氏の『献灯使』にもどれば、すでに「ママ」という言葉が死語になっており、家族崩壊が当然の生徒たちが集う小学校という舞台以前に、すでにして三代前の「義郎」の妻の名前が「鞠華(まりか)」というキラキラネームである。作品設定のディストピアは、原発事故後、暗示的には平成23年に起きた、東日本大震災に伴う放射能汚染によってもたらされたわけではない。子供の名づけにみられる、より根底的な社会制度、文字と名にまで直結する人間の行為が前提とされているのだ。

その人間の行為を、小説という構築現場でみるならば、作者という親と、作品という子、という主従関係として一般的には置き換えることができる。牧野氏は同書で、森鴎外が自分の子につけた名前を列挙している。「於莵(おと)」「茉莉(まり)」「杏奴(あんぬ)」「不律(ふりつ)」「類(るい)」「半子(はんす)」と、洋風にしたかったのが意思であったようだという。そういう自身のペンネームでも奇抜なものを好む文筆家たちは、言文一致運動の過程では、小説の中では、あくまで自然風な、奇抜ではない主人公のネーミングをしてきたわけだ。キラキラネームでは、自然主義ふう(リアリズム)ではなくなってしまうからである。そこに、なにか象徴的な意味をもたせるにも、世間的にみてもおかしくない字面と語感で知恵をしぼることが、近代文学の文体を維持していくための工夫でさえあっただろう。志賀直哉の「直子」とか、三島由紀夫の「鏡子」とか。大衆文学として区分けされたジャンルではともかく、純文学の異名をとるそうした近代文学の伝統のなかに、大江健三郎氏の、「根津蜜三郎」というネーミングが登場する。江藤淳氏は、その様を、日本の文学を脱した「ノーベル賞」の方を向いた作家行為だと批判した。しかし柄谷行人氏は、そのいかにも象徴的な名前をもった作品『万延元年のフットボール』を、アレゴリー的に読解し擁護した。一方で、主人公に固有名のない村上春樹氏の作品を対置させ、その「鼠」なり「小指のない女」や「100パーセントの女の子」なりという作者の名づけ行為に、他人を交換可能な存在と見下すイロニックな、不真面目な態度を読んだのだった。その批評を受けた東浩紀氏の最近の論考では、村上氏が、おそらくはその柄谷氏の指摘に影響され、内省を積んで一転した作品が『ねじまき鳥クロニクル』であり、そこでは固有名に転換され、皮肉という自意識をこえた「井戸」=(無意識)というメタファーが導入されることで、柄谷氏の論考を凌駕していくような寓意(アレゴリー)を提出しているのだ、と主張している。その言論の是非はここでは問わないが、主人公の名前をめぐる、上記のような議論を確認しておく。

それでは、多和田氏の作者としての作品、ここでは『献灯使』にみられる名づけ行為はどうなのか? キラキラネームのほかに、医者の苗字として「佐鳥(さとり)」、小学校の先生の苗字に「夜那谷(よなたに)」、「蓮連」ちゃんのお母さんかもしれない女性の苗字は、「根本」(フリガナなし)、である。一見、意味をもたされたシンボリックな名前にみえるが、どうも「佐鳥」は「悟り」を開いたような医者の態度からの音韻連想であり、「夜那谷」は、「ヨナタン」という外国人名を隠すために、あとから意図的に創作された名前だということが説明されている。主人公本人による、同音異義語的な当て字ということになるだろう。そしてそもそも、多和田葉子という名は、どうなのか? 言の葉が繁る日本の風土、を連想させる文字面である。本名なのか、ペンネームなのか、私は知らない。が言い得ることは、キラキラネームから言葉遊びによるネーミングには、親の立場としての、権力関係的には上位にあたるだろう主体に、亀裂が入って錯乱的になっている、ということだ。実際に、珍奇ネームをつける親の主体が、自身も虐待を受けてボロボロなんではないか、というような社会学的推論はどけておこう。小説という文学の場で、多和田葉子と著名された作品の主人公の名が、世俗社会でも日本人に読めない珍奇ネームであるとは、どういうことなのか? 江藤氏が大江氏に言うような、「ノーベル賞」向けに、日本という特殊ではなく、普遍的な場所を志向した、ということではなくなるはずである。作中でも、その賞が賭博対象となっており、その賭け事で無名の父飛藻が入院することになったと揶揄・批判されている。しかも、主人公の名前たちは、原発事故以前から想定される日本人の名づけ行為に見られる、世俗風景の自然主義風描写、リアリズムにもなっているのだ。この作者名の眼下には、言語錯乱した名、文字とフリガナの乖離と一致が、その言の葉の戯れが、たわわに実る大和の田園風景として広がっている。これは、どんな事態なのか? その事態が文字通り告げているのは、日本語自体が、錯乱している、ということになるが、実際、日本語でなくして、こんな名づけは可能ではないだろう。放射能に汚染されるはるか以前に、私たち日本人が、日本語で読み書きする者たちが、主体をぼろぼろにされ、「無力感」、「欠乏感」、「孤独感」、そして「劣等感」の「代償行為」に勤しんできた、きている、という姿が、多和田として遍くゆきわたっている、という風景なのではないか? 言文一致をめざした近代文学は、そんな様を模糊してきた。多和田氏の作品は、その文字と音声を慎ませてきた隠蔽が、一時的にすぎなかったことを告げている。が、世俗の普通の親たちが、そんな文学の活動とは直接的には無関係に、せっせと自身の破綻した主体を取り繕おうと、子供の名づけ行為に専横をふるい、身をもって破綻してみせることで、日本語が抱えてもつ問題規制を暴きだしていたのだ。

となれば、次の私の作業は、その問題規制を、理論的に明確化して提示し、その上で、再び多和田氏の作品にもどって検討してみることだろう。



が、その前に、もっと深く、その「民なる」者たちの身をもっての暴露行為を内省し、遡行してみよう。「民なる」とは、空港「ターミナル」の多和田氏の言葉遊びだが、terminalには、いやターミナルという日本語(?)には、「末端」の「民」のほかにも、「終末」という意味もが付加されているだろう。ターミナルケアとは、安楽死を考慮した終末期医療として、日本語になっている。しかしこの日本語のターミナル(「終末」=「民」)とは、日本語の常態なのであるから、終わりではなく、日常、ということなのだ。末端に生きる民の終末的な日常、こうした重層的なイメージ連鎖の中で、私たちの頭は混乱し、錯乱しだす。西洋のエクリチュールのように、無意識のうちに文字が文の構成を操ってしまっている、ということではなく、意図せずともいやでも意識されてきてしまう、という存在のあり方になってきてしまう、ということだ。そこから、やったことは意識しながらも、意図的ではないという、敗戦に伴う責任者の無責任な答弁さえもが、日本語下では論理的な必然、として導かれてもきよう。私たちは、それを「錯乱」とは認識できないだろう。盲目的に、日本語の最中で生きているのだから。ドイツ語と日本語の狭間で、多和田氏は、その最中を相対化しえる洞察を得ているのかもしれない。しかし、多くの日本人はなお、錯乱を健全に過ごす日常=終末のなかにいるのだ。

私が、そのあり方を認識するために、もう少し「内省と遡行」をおこないたいのはそのためだ。外国語をふくめた語彙量の多寡は関係がない、より原理的な根底で発生しているだろうということは、鴎外も現世間の親たちの子供の名づけの発想も同様だろう、という事象が状況証拠になる。

私は、私の内面をみつめる。私自身が、自分の息子に、キラキラネームをつけているからである。

<多和田葉子をめぐる(1)ーキラキラネーム
多和田葉子をめぐる(1)―※付記
多和田葉子をめぐる(2)―日本語をめぐる
多和田葉子をめぐる(2)―付記「視覚のカイソウ」岡崎乾二郎(豊田市美術館)

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