2023年3月30日木曜日

昏い眼

 


「接近した台風の影響で天気が崩れ始め、昼近くからついに雨が降り出した。雨が降るという予報が出ていても用意周到に傘を持って外出する人は少ないらしく、ホテルの玄関のタクシー乗り場には、人の列が出来ていた。台風の到来を心待ちにしていたように、人の列ははしゃいでいるように見えた。」(『軽蔑』 中上健次全集11 集英社)

 

中上健次の作品では、いわゆる「路地」出身の主人公は、「昏い眼」をしていると表現される。一見、生命力を歌う作品のように見えながら、その目は生き生きしているのではなく、「昏い」のだ。暗い、のではない。

 

当初、私はこの漢字が読めなかった。たそがれ、とはわかるから、くらい、と読むのだろうな、とは推測できたが、純文学をそれなりに読んできた経験でも、あまり記憶にない表記の仕方に思えた。しかも、では、どんな「眼」だと言うのだろう?

 

スマホ検索してみると、ガンダムや馳星周氏などの作品で「昏い眼(目)」とされる主人公たちが出てくるようだ。おそらく検索にひっかかったwebページは、大衆小説とされてきたものを扱っているのだろう。

 

中上の全集を読み返してみてて、改めてこの「昏い」という表記のことが気にかかった時、ふと、漫画の『進撃の巨人』のなかで、ひとり大陸へと渡って陰謀をくわだてて仲間の下へと救助されて帰還したエレンに、特殊部隊の隊長であるリヴァイが声をかけるシーンが重なってきた。幼少の頃から貧民窟で育ってきたリヴァイは、エレンの「面(ツラ)」のような者をその「地下街」で腐るほど見てきた、おまえもそんな連中と同じようになったのか、と問うたのである。漫画では「面」と文字表記がはいるが、画では、エレンの「眼」がでてくる。リヴァイの言葉にはっとしたエレンの目、一瞬我に返った目も続く。その目の表情の変化の意味や、リヴァイの「…」の文字表記も謎だが、それゆえに、作者がこのシーンに意味深い拘りを持たせていることが知れる。

 

中上の「昏い眼」も、あのエレンのような「面」に見られたものなのではないだろうか? 路地消滅以降の作品では、あまり出てこない表現となる。むしろ、「暗い」、と表記される主人公もでてくる。未完となった『異族』では、「昏い」のは日本の路地出身者だけで(しかも意義ありげには記述されていないとみえる)、在日やアイヌや沖縄、フィリピンの「異族」たちではそう表現されない。

 

 

私が以上のような感想を書きつけておこうと思ったのは、先週だったか、テレビで、ゼレンスキーが前線で戦う兵士たちに勲章を与える様を見て、その兵士たちの「眼」が、みな、とろんとしていて、くらかった、からである。大統領と抱き合う時、女性兵士は笑みをみせたが、それでも、もう、人間感情が失われているようだった。BBCのニュースでも、前線の塹壕を案内する、女性的な表情をした若者の「眼」も、とろんとしていて、くらかったからである。たぶんあれが、「昏い眼」なのだ。

 

その戦場へ、日本の総理大臣が、激励の広島産必勝しゃもじだかを届けたそうだ。国会審議で野党側が「不謹慎」ではないかと疑義を申し立てたが、本当に度し難い仕打ちである。戦争が、甲子園になっている。普通の人間関係なら悪意なのか、と思われるが、おそらく、総理やそれを取り巻く官僚・官邸側は、本当に、善意でやったのだろう。首領同士の握手の新聞見出し写真では、ニコニコする総理の横で、不満げな大統領の顔が映っていた。ちょうど、WBCで、日本がアメリカを破り優勝したシーンが一面記事に並列されていた。大統領は、日本人が闘争的なのか、平和ボケのアホなのか、わけがわからなくなっただろう。(こういう脅しが、負けたとはいえアメリカに戦いを挑んだという歴史事実も含めて、なお効いているのだから、日本人が第三者的な仲介の役割を果たすことはできるのだろうと推測する。)

 

佐藤優は、結果的には無暗に戦争に巻き込まれる実地の一歩にならないですんだ今回の戦場会談を、これですんでよかった、ともらしている。まあそうではあるだろう。が、この日本人の世間知らずのナイーブさが、結局は、絨毯爆撃プラス原爆を落とされるまでにいたったのである。鈴木宗男は、もっと早く降伏をしていたら原爆を落とされずにすんでたくさんの命が救われたのだ、と言うが、それさえ、甘い認識なのかもしれない。なぜなら、おそらく科学実験がしたかったのだろうから。広島と長崎で二種類の違う爆弾が投下されたわけだが、どっちかが失敗していたら、科学実験が成功するまでもう一度、と降伏も受け入れられなかったであろう、と私は思うのである。

 

そんな戦争の焼け跡のなかで、「昏い眼」が育まれていった。そして今も。戦争に賭けて死ぬことが有意義な生なのだと、施政者たちは説くが、兵士たちの「眼」は、決して生き生きとはしていない。

「地獄への道は善意で舗装されている」、とのことわざを思い浮かべる。

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