2023年3月2日木曜日

面白い認識

 


「ペローやグリムがこのような物語を採集しはじめたとき、見出したのは、民族も国(その記憶)も神のような大いなる存在によって創られたものではなく、むしろその神のような崇高な権威が存在するという畏怖すら、森の中を走り回る小さな動物たちの足音、小鳥たちや昆虫の囁き、草いきれ、そよぐ風、川のせせらぎ、という自然の無数のかすかな気配から沸き起こった小さな思い、思わず起きるくしゃみのような、ひそやかなうわさの集積から発生してきたものである、という事実である。

 印象派が風景を形成する光の粒子を見つめはじめる前に、物語のはじまりとなる粒子も自然の小さな動きの観察から発見された。自然との接触から入り込んだ無数の観念の祖型は、やがて人の思考を支配する怪物にまで成長していく。」(「水の精の服を奪い(ひごうのさいご)『絵画の素』岡崎乾二郎著 岩波書店」

 

 

「夢でも幻でもなく、風で揺れて立つ草木の音ではない動く気配の度に体に当たり払われる草木の音が立ちのぼり、確実にこちら側に近づいてくる。

 目の届く距離まで来て四人は声を上げた。女が肩までの長い髪をザンバラにし、口に櫛を啣えて歩いてくる。一人なら逃げ出しかねないところを、タイチもイクオもカツもシンゴも、声を上げて逃げれば後で連から笑い者になるし、逃げようと試みたところで雑木の茂みに行く手を立ち塞がれる事は決まっている。四人は金縛りにあったように立ち竦んだまま、ザンバラ髪、櫛を啣えた女が四人の脇を通りすぎるのを待った。

 オリュウノオバは中本の若衆四人の魂消ようを独り笑った。

 昔からそんな事は路地によくあった。男ならどんな夜道であろうと怖れる事は要らないが、女は違う。路地がいまのようでなく、まだ蓮池のある頃、道は蓮池の脇の水の浸った細い畔か裏山の頂上の一本松の根方についたドウと呼ばれる道しかなかった。ドウとは一本松の根方にある天狗を祭った祠を御堂と呼んだからだが、夜遅くそのドウを行き来するのに、女らは髪を解き口にそれを啣えたりしてたまたま出くわした男らが夜道に女一人が歩いていると思って悪さをしないように、幽霊か魔物のような振りをしたのだった。

 男らは震え上がり、一物は縮み上がる。たとえ擦れ違ってそれが幽霊や魔物の振りをする物の用に足つ女だと気づきむらむらと悪戯心を起こそうと、よほどの者でない限り気だけあせって一物は縮み上がったきりで使い物にならない。ひ若い衆が若い衆になろうとオリュウノオバは何の忠告も与えなかったが、娘には折に触れて、たとえ親や兄弟であろうと男は女と違うので暗いところへ行くな、暗いところで二人になるな、と説いたのだった。」(「七つの大罪/等活地獄」『奇蹟』 中上健次全集10 集英社)

 

 

※ ほんのささいなつもりの呟き(ツイッター)が、怪物(戦争)になっていく。アニミズムが、世界を覆う一神教的な観念として肥大化する。してしまった世界=深淵に呑み込まれないために、またその怪物と闘うために、私たちにできることはなんであろうか? どんな知恵であり、技術、振る舞いだろうか?

 

*参照ブログ;

ダンス&パンセ: 自然哲学の基礎的自然<安定から怪物へ>――内山節(5) (danpance.blogspot.com)

ダンス&パンセ: 怪物と反復――柄谷行人の『憲法の無意識』を読む (danpance.blogspot.com)

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