2026年1月23日金曜日

映画『WHO?』を観る

 


「お父さんは、チッソの会社の社長をやっていたの?」と、娘さんがいく子に会いたいからと自宅にてきてくれた妻の妹さんにきく。娘さんは、私たちが結婚したばかりの身内での食事会や、妻の葬儀のときも、わたしはいく子おばさんのようになると思っていた、と発言していた。

「そう」と妹さんは言う。次の創作にあたって、文房具が必要になってきそうなので、妻の家族それぞれの用具を入れた押し入れを整理していたら、大学ノートから、ひらひらと、熊本県知事の名前の入った建築許可証のコピーが数枚落ちてきたのだった。県知事に対応するように、岳父の名前が自筆されていた。ここには会社の代表取締役名が入るのが普通だろうから、というと、と推論されてきたのである。チッソ開発会社とある。創作にあたって、妻のまた古い文献をたどっているとき、中学時代の名簿の父親職業欄には、チッソ企画課課長の肩書が読まれた。「それは、企画課が独立して起きた会社?」と、妹さんに聞いてみる。ホームページを覗くと、JNC開発会社として、水俣のあの大きな工場街の一角に今もある。その会社の年譜から、細川護熙らの署名のある建築許可証の年月にあてはまるものは、水俣の自動車教習所建築、ゴルフ場、敷地内のか工場増設のようであるらしい。「そうではない。」と妹さんは答える。教習所では所長もやっていて、他にも二十だか三十くらいの会社があり、父はそれらの社長もやっていたのだ、という。以前に発見した退職にともなう挨拶文には、サン・エレクトロニクスの会社名もあった、ということは、そこの社長退任としての報告でもあったのだ。このサン・エレクトロニクスは、2019年に撤退し、そのことの地域経済への影響が問題となった。現在は、日本の半導体会社がその跡地の開発を進めているらしい。「本体の会社では、動力部の部長が最後だったのではないかしら」と妹さんは、つけくわえた。もともと岳父は、東北大の工学部出身で、電力系の技術者だったようである。農家でで、戦時中は家族で北京におり、貧しく、飢えをしのいで帰国し、猛勉強して大学にいったそうである。

その岳父の大学ノートの一冊の表紙には、「累積国債 現状と課題 昭和59-8-29-13」「企業課題を問う」と表題がある。が記入のあった中身は破られていて、白紙のページだけが残っている。「プラ加工」のタイトルのノートのも同じだ。が表題もないノートを開くと、「農基センター」とタイトルされた、箇条書きのメモが数ページほどつづられていた。モンサント社とチッソの比較メモもあったりするが、おそらくこれは、父の夢のようなものがデッサンされているのではないかと思われる。水俣でのハウスみかん栽培の案にとどまらず、有機農法的な技術の開発センターを、中国からインドネシアやタイ、韓国で契約にもっていきたいという抱負が、人員数と数十億の予算規模で想定されていたらしい。ハンガリーとの契約合意が発効しない、との記述もある。正確な意味はわからない。

 

水俣病は、解決していない。解決しないのは、開発を進める基本的な思想(思考態度)がそのままの延長であるからだ。大きく言えば、石牟礼道子がこだわったように、近代化そのものの発想にある。それはテクノロジーの分野に限らず、裁判闘争でも露呈された、官僚分業的な各人のメンタリティーにまでおよぶ。私見でより時代範囲をしぼれば、まだ量子力学が発見された20世紀当初くらいまでは、科学精神には真理とは何かを問う遡及性があったが、その原理的理解の不明さから、応用科学へと方向性が転換されていった。このブログでも、ノーベル賞をとった、たしか東ドイツからアメリカへの移民女性科学者の発想を批判した。遺伝子装飾の試みによって、コロナのスパイクタンパク質の細胞内での増殖スピードをあげられることの発見が、mRNAワクチンの実用化への道を開いた、とされる。が真理を問う科学者ならば、なぜ自然はその実用的には緩慢なスピードなのか、と他との系との関連のなかで問う方向へと進むべきなのではないか、と。

そしてこのワクチンを、世界中の人々が体にとりいれた。日本では、2回や3回も打った人が9割近くになるとか。佐藤優とかは、ワクチン反対派は、他者を受け入れることを怖がる人々なのだ、という。ならば、ほぼパーフェクトに体内化した日本人とは、さぞ他者に寛容な社会であったのだろう。未知のウィルスに対する相対的には過剰な反応が、目先の人工物へととびつかせる。ならば、未知の現実に対する対応として、戦争をも素直に受け容れるのではないかと思ってしまう。

 

映画のパンフレットから撮った写真を冒頭で示したように、公的な発表データからも、新ワクチンとその後の死亡数といった人口動態には関連がうかがえる。が体内の因果関係など、わかりようがない。とくには細胞内のことなど、宇宙の果てと同じで未知の世界だ。が状況証拠的には、何かあるだろうと思わざるを得ない。水俣病も当初は、工場の因果関係は科学的に不明とされて、発覚後10年ほど、マスコミも含めて訴えを無視してきた。当時チッソを潰してしまうことは、プラスチックの原材料を自国で調達できないことになり高度成長を頓挫させることになるので、次の石油製品開発までの10年の見込み中は、隠蔽することが国策になったからである。排水溝の近海では、魚が死んで浮かんでおり、漁師たちには、自明な因果にみえていた。

 

現在の、次の開発製品とは、AIを支える半導体や医療でのバイオテクノロジーになるのだろう。原発の再稼働も、AI使用にこれまで以上の電力が必用になってくるからだそうだ。

 

いく子の中学時代の名簿をみていると、仲の良い友達は、水俣の対岸にあたる牛深漁港の網元や、漁船会社の娘たちもいたことがわかる。暑中見舞いのハガキでは、牛深の海は、まだ青く澄んでいるよ、と微妙な言い回しも勘繰られ、泳ぎにおいでよ、などとやりとりされている。私が天草から向かう途中で寄った御所浦島からの友達もいたと、今になって知れる。支援団体相思社発行の聞き取り冊子を読んでいくと、牛深や御所浦でもだいぶ被害者がでているとわかる。

 

まだ、終っていない。いく子が亡くなって2か月後の年末、水俣病被害者の厚生省での訴え中、官僚的態度の実行としてマイク切った事件が起きた。支援者らの抗議と要望に、国は応えると言いながら、お茶をにごしているだけだ。数億円もかけて水俣病資料館を建設し、まるで被害者が悲劇のヒーローであるかのような等身大以上の写真パネルをかかげている。が一番親身に寄り添っている団体の考証館には、一銭もださない。雨漏り等がしているのでクラウドファンディングするかもとかの日経の新聞記事を読んで、私が水俣をみてきたあと、相応な寄付をおこなった。もともと岳父がチッソで稼いだ金でもあるだろう。

 

WHO? 世界組織が問われるというより、わたしたちは、誰なのか? と問われてくる。この地球上で、この地球をいじくりまわしているおまえは誰なのか、と問われてくる。

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