2015年11月15日日曜日

覚悟について

「とはいえ、私の場合には、白状してしまえば、地獄の消滅は明晰と公正というただそれだけの道を通して実現された方がなおよかったと思う。そしてとりわけその際私が望みたかったのは、虚勢からにせよ、くやしまぎれにせよ、あるいはまた絶望からにせよ、昔から存在し、近寄ることのできない死者たちの逗留地の代わりに、身近にあって、是認すべき、折衷的な代替物を考え出す想像力というものが、このようにして錯乱したり、なかば自己放棄したりし、その結果、恐るべき、そして脅威を孕んだ反対物としての姿を取って出現することがないようにということだった。ところで、消滅した地獄の代替物は、今度は挑発者としての相貌をおび、かつてのようにこの世の不正の埋め合わせをするものであることをやめてしまったのである。たとえそれが、想像力というこの野蛮でもあり、豊穣でもある力、恐らくもしそれが一定の方向に導かれさえすれば豊穣なものとなり、それが自らの暴虐性に委ねられれば、世界を荒廃へと導くことになるであろう力、私にしてみれば、なんらの刺激も必要としないとさえ言えるようなこの激しい力に平衡を保たせることを目的としたはずみ車のような具合にでしかないにせよ、もはやこの地獄の代替物はこの世で犯された不正に対する補正力を失ってしまったのである。」(ロジェ・カイヨワ著/中原好文訳『斜線 方法としての対角線の科学』「地獄の変容」 講談社学術文庫)

木の上から落ちて、命拾いて以来、久しぶりに、高木の枝おろしを2・3日つづけた。一日だけの作業なら、あったかもしれない。が、3日となると、しかも太枝はロープでの吊るし切りになるケヤキの剪定をやったのは、たぶん、4年ぶりくらいだろう。幹自体はそれほど太くはなかったので、腕はまわる、枝はつかめなくとも、抱き着いてのぼれる、体力が心配だけど、試してみるよ、と元請けの会社にOKしたのだった。で、結果は、真向いのアパートの電灯のプラスチックカバーを破損、裏のお寺の塀の瓦一枚を破損。一現場で二つもものを壊したのは、はじめてのことだったろう。一日めの、一本目は無事終了させたが、二日目となると、すぐに疲労を感じ始める。神経的な体力の目減りを感ずる。20メートル以上もあるてっぺんで、親指より幾分太いが、長さは4・5メートルはある枝をおろすのに、真下にしかない植え込み地の隙間を狙って投げようか、と最初考えたが、やはり大事をとろうと、ロープで吊るしておろすと判断。が、地面にもう少しで届く、というところで、棒のような枝にはロープの輪っか部分にひっかかりがないものだから、すっとはずれる。枝先が地面に当たって弾んで、枝元が剣道の竹刀のように、ゴミ袋で一応は養生してあった電灯へコツン、ひび割れた。そして同じ木、二日目、もう一つのてっぺんの枝を、吊って失敗したのなら、やはり投げれるものは空き地めがけて投げおろそうとほうると、途中、幹にあたって方向かわり、養生していた毛布の脇へ斜めに突き刺さり、瓦の端がかける。手元をしていた団塊世代の職人さんは、木上でショックをあたえないために、私が作業を終えるまで黙っていてくれたが、さすがに二回目の破損となると、精神的ショックを受ける。以前だったら、私が自費で修理するか、下請けのこちらもちだったろう。が、もうこういう作業を頼める人もいず、私も死にぞこないのようなものだと元請け社長もわかっているから、「物損でよかったよ。人だったら大変だからね。」と慰めるだけ。というか、年明けには、またクレーン車入れない場所での、人力ケヤキ伐採があるので、逃げられても困る、との計算もあったかもしれない。

もはや、木上では、余裕がなかった。以前ならできた、まわりの景色をめでることもない。途中、気を抜くと、そのまま足がすくみ、体が萎縮してしまって、身動き不能、へなへなとなりそうな気がした。幹に足を巻き付けながら、頭上の枝をつかみ、自分の体重を懸垂の要領でもちあげていくときには、気合をいれて吠えないと、恐怖心におしつぶされそうになる。下見で予想していたよりも、よじ登る個所が多かった。しかし一番おそれていたのは、のぼっている途中で、ぎっくり腰になること。二日目終了時には、やはり腰がぴりぴりしてきたので、ここ二年ほど通っている近所の整体師のところでマッサージを頼もうとしたのだが、予約できなかった。少なくとも、そこに通ってからは、年に一度はなっていたぎっくり腰からは解放されていた。二か所破損させたとはいえ、無事な体で生還できたのが、何よりだった。

そんなふうに、以前よりは、勇気がなくなっているようなのに、変な落ち着きがあるのに気付く。木から落ちた時、仕事を替えようか、というような気も生じたのに、今はむしろ、そういう仕事をしているのだから仕方ない、という諦めというよりは、静かな了解だ。あのとき、父は言っていたと兄は報告していた、「そんな仕事をしているのだから当たり前だ」と。それを伝え聞いたとき、私はイラっとした。大学まで出ているのに事務仕事をやらず、ひねくれてそんな仕事をしているからだという、いわば差別の表現と思ったからである。が、いまは受け止め方がちがっている。父親は、百姓でだ、子供の頃、ヤギの乳しぼりをよくしてたと、孫の一希のまえで、牛の乳しぼりを実演してみせもする。私の思い出のなかでは、河川敷のグランドの草を、繁みにしゃがみながら、ひたすら鎌を振るう父親の姿の印象が焼き付いている。たぶん、父は、そうした人たちの生活を知っていて、だからむしろ、それを肯定して発言していたのだ、「当たり前」とは差別ではなく、否が応でもそうあってしまう覚悟のことだったのだろうと。

私は以前、出自が違うインテリでの私は、どんなにその職業をやって技術を身に付けたことになろうと、自分が職人になることはありえないのだ、という、中野重治的な、階級無意識的な思想を自覚として書いていた。職人とは技術の所持如何ではなく、その社会で生きていた技術の総体、つまり生活の態度に在るのだと。が、いまは、訂正しなくてはならない。私でも、なってしまうもののようだ、と。私がどんなに本を読み、頭に思想を膨らまそうと、身体の思考がそう動かなくなりはじめている。物事の判断、日常的な対処、そして世間、世界を騒がせる事件に対して、まず私の体からにじみ出るような判断、想い、処理が発生してくるようだ。幼少期や青春時代に刻まれた骨格的な判断ではなく、大人になってから身についていった体臭のような判断。それは決して消極的なものではないようだ。しかし、積極的なものなのかどうか、わからない。骨に滲みていくようなものなのかもわからない。それは、死を恐れているかもしれない。勇気が若いときよりよりなくなっているかもしれない。しかし、死を受け入れているような判断。死とともに生きているような静かな感じ。こんなんでいいのか、私にはわからない覚悟のようなもの。

2015年11月10日火曜日

杭打ち問題

「ミレニアム・ブリッジの騒動は二〇〇〇六年一〇日、その開通日に起きました。この橋の建設は新世紀の幕開けを記念するプロジェクトの一つでしたので、当日はエリザベス女王のテープカットでオープンしました。ところが、橋を渡る群衆が数百人に達したところで、橋は明らかに揺れはじめました。初日は約九万人押しかけ、常時二〇〇〇人くらいの歩行者があったそうですから、橋は揺れ続けていたことでしょう。…(略)…強い力が橋を周期的に揺さぶり、それが橋の固有振動、つまり橋が最も敏感に反応する周期の振動と共鳴することで大きな揺れが生じたというだけなら、話は簡単です。それは、東日本大震災の揺れが首都圏の高層ビルの固有振動と共鳴して、それを大きく揺るがしたのと原理は同じです。…(略)…しかし、ミレニアム・ブリッジ事件の本質は別のところにあります。そもそも、橋と共鳴するような大きな力がなぜ生じたかということこそが問題なのです。…(略)…歩く人を振動子と見なすのは、かなり荒っぽい見方かもしれません。しかし、同期現象の面白さは、モノを選ばず、リズミックにふるまうものなら何にでも出現するというところにあります。人の歩行には意識の介入が大きく影響するのではないかと思われるかもしれません。しかし、ミレニアム・ブリッジの上で、歩行者は他人の足の動きや全体状況を眺めてそれらに影響されたわけではないでしょう。メトロノームの振り子がその場その場での台の揺れを「感じ」ながら機械的にそれに反応したように、歩行者はただ足元の揺れに機械的に反応して、バランスを保つため体勢を取ったに過ぎないのでしょう。」(蔵元由紀著『非線形科学 同期する世界』 集英社新書)

ビル建築の基礎・杭工事におけるデータ偽装とかいう問題は、施工者の旭化成建材だけではなく、他の業者でもそうした偽装があるのではないか、と調査するような方向がでてきている。

この事件での当初の私の反応は、もともと杭を地中深くまで垂直に掘っていくなんて、そもそも可能なことなのかが、疑問だった。むろん、今のテクノロジー段階で、そこだけを純粋にみるのならば、可能ではあるだろう。が、私が考慮するのは、それを支える現社会体制化において、ということである。たとえば、ボーリング調査といったって、杭打ち工事をする全ての個所をやってみて、地下の岩盤地層の深さを知っていこうとするわけではないだろう。金をかければ、今ならボーリングではなく、エコー調査のようなやり方もあるかもしれない。また、いざ工事中、ドリルの刃がすり減ってしまっていて、ちょっと固くなってきた地盤をこれ以上掘り下げることはできなくなってしまった、という場合だってあるかもしれない。がそんなとき、せっかく何段とつなげた鉄杭を抜いて、新しい刃に取り換えよう、なんてことをしえるのだろうか? とおもう。植木屋でも、木を植えたさい支柱をするが、役所の仕様では、何センチの杭のうち、何十センチを地中に埋める、とか決まっているが、とてもまともに掘れたものではない。コンクリのゴミや石は埋まってるし、水道や排管にもぶつかったりする。そういう場合は、上を切るか、一度取り出して下を切って、よくついておくか、になる。一般の民間家庭での植栽の場合は、マニュアル的にやるというよりは要は倒れなければいいので、はじめからそんな強迫はない。まあこれでだいじょうぶだろう、と経験的に判断するだけだ。もちろん、建物の基礎工事は、そんなのではすまないだろうが、程度の違いはあれ、最後はそうなってしまうのではないか、と予測していた。

テレビの取材で、現場の基礎杭工事をやっているというオペレーター(機械操作者)が、こうインタビューに答えていた。「実際に、設計書が雨でぬれたり汚れたりで読めない、提出できる代物ではなくなるとか、風でとばされるとかはあることです。設計どおりの深さに固い地盤がでてこない場合だってあります。だけどそれでも、建物は倒れないものだとおもっていました。」と。

私は、それが正直な現場の話なのではないかとおもう。技術的には可能であっても、社会体制的に、それを可能にさせてくれるようになっていない。ドリルの刃を替えてくれ、その分工期遅らせてくれ、とは、たとえ言える人がいたとしても、そうにはならないだろう。

いや、杭を打つだけではない、抜くほうはどうなんだ? 植木の支柱取り換えでも、新しく打つよりも、古いのを抜くほうが大変な場合も多い。たまに公園工事で土を掘り返していると、以前の建物の布基礎の塊が、そのまま残っているのにでくわす。コンクリートも腐食するから、そのままでは、陥没の危険がでてくるだろう。高層建築物の建て替えなどのときは、本当に、地中何十メートルだか打ち込まれた鉄筋コンクリートの杭を、きちんと抜いて、きちんと転圧しながら埋め戻しているのだろうか? それも、私には怪しい。

しかし、私たちは、そうした怪しさを前提にした社会に住んでいる。欠陥とされる高額な商品を購入してしまって、その直接的な施工・管理会社を訴えたくなる住民の気持ちはわかるような気もするが、自分には、縁もない階層の話だから、もし自分が宝くじにでもあたってマンション買って、そういう破目になっても、「別に倒れないなんだろ? 住めるじゃん。家賃や月賦をだいぶ下げてもらったりでいいんじゃないか」、という反応になるのではないだろうか?

しかし、現場の人間も、購入者も、そんな開き直りをするわけにはいかない。せせこましく社会に適応しようと、バランスをとる。あくまで、人間の常識とか知恵とかに従うのではなく、今の利害計算、収支のバランスシートで動かされる。そうして、意識しない同期が、社会を揺さぶってゆく。揺さぶる大きな力になってゆく。むろんその力は社会をマシな方向へ変えるものではなくて、それを維持するように働くことで、我々と社会との橋梁を壊してゆくものになるのであろう。

2015年11月2日月曜日

代表戦をめぐって

「……世界では数え切れないほどの戦争が繰り返し起きている。それをいま、私たちはテレビやインターネットを通してどこにいても見ることができる時代に生きているわけだが、こと「日本の戦争」に関しては言えば、70年前にさかのぼることになる。そのため、私たち日本人が「戦争」というテーマで何かしら議論しようとするときには、つい「モノクロ写真の戦争イメージ」をもとに考えてはいないだろうか。…(略)…残念ながら、私たちの生活を豊かにしている最先端技術の活用によって、軍事兵器は想像をはるかに超えるスピードで進化を遂げている。ロボットや無人機など新型兵器の登場により、既存の「戦争のルール」も急速につくり変えられているのである。ニューズウィーク日本版(2013年4月9日号)では、「未来の戦争」と題してその脅威を特集した。主なトピックは、「無人機」と「サイバー攻撃」である。…(略)…私たちが「戦争」のことを語るときも、そのイメージを常に最新版に「アップデート」しておかなくてはならない。」(伊藤剛著『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピースコミュニケーションという試み』 光文社新書)

あす、都大会がはじまる。一希の所属する新宿の代表チームも、なんとか第七ブロックで4位にはいって、その出場を果たした。1位、2位は、どちらも地元を超えたクラブチーム。3位は、小中高と一貫のサッカーでは名門の私立小学校のクラブだ。こちらも確かにいくつかの地元クラブから優秀な選手が集まっているとはいえ、時代の流れのなかでは、分が悪いどころか、存在意義さえが危うくなっている。おそらく、日本でも最後の代表形式をもつ少年クラブなのではないか? Jリーグができて、サッカーのレベルの底上げが、小学校単位のクラブから地元をこえた専門スクール系のクラブを中心になされるようになってからは、そこへ代表をおくるクラブチーム数自体が減少してきたのだ。かつては、運動能力の高い子がゴールめがけてドリブルをしかけ、駄目ならパス、その偶然の数珠つなぎのようなやり方でも勝てたものが、いまは能力がそれほどではなくても、低学年より一貫した方針と体系でサッカーを学んだきた者の集団のほうが強くなり、ゆえに運動・身体能力の高い子どもたちがよりいっそうそうしたチームに集まってきて、成績上位はそんなチームが独占することになる。私立小学校のチームが強いのも、もともとが専門クラブと類型的だったからだろう。きくところによると、成績が校内50番以内でないと、サッカーをさしてもらえないそうだ。運動力任せではなく、賢くやるサッカーが日本でも普及してきて、ゆえに、親やコーチの話をよく聞ける優等生チームのほうが成績も上位になっていく。

日本代表でもそうだが、代表チームとは即席的な寄せ集めだ。そこに子供を送るチームは、パパコーチやその出自のチームがほとんどで、おそらく、練習メニュー自体が古い。単純に、ボールタッチ、ボールコントロールを低学年時に習得させるノウハウを確立・保持していない。だからむしろ、運動能力任せの古風な選手たちが集まってくる、といえるかもしれない。そして体系的に教わってきてないとは、思考や態度もエスタブリッシュメント、体制的になっていない、やんちゃなまま選ばれてくる。代表コーチは、そんな6年時にあつまってくる子供たちを短期的にまとめあげていかねばならないのだから大変だ。ボールコントロールの基礎的な練習から、道具の整理整頓などメンタル的なことまで、一から練り上げていくようなものだ。チームとしてのサッカーなど、なかなか機能しない。それでもここまでこれたのは、代表という枠が暗黙に強いてくる結束力のようなもののおかげかもしれない。ゆえに、重圧がすごい。都大会出場を決める決勝リーグ戦など、足がガチガチ、震えていただろう。最低限のノルマが都大会出場と、かつてだったならばまだ通用していたといえる前提を背負わされたまま、挑戦者とわりきってやってきたチームの猛攻を、なんとか0点におさえて引き分け、獲得した出場権だった。予選リーグでは、私が率いたチームが、はじめて新宿代表と0対0のまま後半に突入したチームだったが、そのときも、同じ新宿区のチームに負けるわけにはいかないと、1点をとるまでは相当追いつめられていた。このままあと何分かいけば、あの子たちは折れてしまうのではないか、と対戦コーチの私が心配しはじめた。息子の一希はその日、頭が痛いと、風邪で欠席。朝グランドで、代表コーチにそのことを告げた際のコーチの顔の表情から、「ああ切られたな」とおもった。予選リーグで、相手は代表に4選手を送り込んでいる格下のチームとはいえ、どちらも無敗できて激突する、リーグ優勝をかけた大事な試合だ。そこに、いない、しかも、自分の所属しているチームが相手なのに。一つだけ駒として不足しているとみえる左サイドバックを、それまでは3人で補っているような感じだった。まずは守備のしっかりしている選手からはいり、後半、様子をみながら、ドリブルで駆け上がれる一希か、ミドルパスが持ち味のもう一人か、と見極めながら、選手起用をしていたきらいがあったけど、一希欠場となってからは、その3人一組の線が消えて、フォワードから2人をもってきて、対処するようになった。

もともと一希は、なお一線級の相手チームで通用するような運動能力や脳みそ・メンタルの成長をしていない。私が監督でも、怖くて使えないだろう。だからといって、チーム戦力にはいっていない、ということではないから、いつでも準備しておけよ、とアドバイスしている。「おまえの出番は、2対0で負けていて、残り5分のとき。それを逆転しようとするときだぞ」と。ベンチでは、交代選手に水筒をもっていって声をかけるなど、いい働きをしている。皆からも、ムードメーカーとして信頼された、中心選手の一人なのだ。サッカーの技術的・戦術的な理解力の成長は、続けていけば解決されていくだろう。言われたことを疑問を抱かないまま素直に実行するよりも、自分の頭の力で理解してから進んでゆく、「遅れた者が先にゆく、ようになるんだよ」とも言っている。が、女房がそうはさせないのだった。「能力がないのだから、サッカーなんか選んでいるのがおかしい。立ってるだけなのは、あんたがフォワードやらしてまえに立ってろと言ってたときのクセが抜けないからだ。だからディフェンスができないんだ。あなたのためにサッカーをやっている!」……女房だけではないのだが、おそらく、母親は、自分の腹を痛めて産んできたからだろう、だから我が子に過保護になるのは仕方がない。しかしそのなんでもかんでもな過干渉、癒着を断ち切る文化・制度が機能しなくなっている。フェミニズム的観点を日本に普及させた上野千鶴子氏は、そこにある問題を、江藤淳、あるいは江藤氏が参照引用した小島信夫などで女を排除した「<母ー子>問題として論じてみせたけど、私には、そうした社会学的枠組みよりも、より人間と自然との根源的な関係性が問われているような気がしてならない。もう一度、文化の発生現場にもどって、それがなんで人間に必要であるのか、理解しなおす状況にあると。参照対象として想起するならば、ヘミングウェイ、あるいは、三島由紀夫かもしれない。もちろん、マッチョな志向ではないのだが…。

「夢をあきらめないでください。誰でも、僕のようになれます。」とは、イチローや本田選手とう、プロになった選手がいうことだ。村上龍、北野武など、はこうしたきれいごとは子供に迷惑がかかるだけと批判し、もっと現実をみつめたアドバイスを、と説くが、私は、イチローや本田選手のほうが、科学的事実にもとづいた信念だとおもっている。人間にとって、能力差など、大した差ではないのだ。「自分は、バロテリやカカといった選手の運動・身体能力を超えることはできませんよ、それは絶対的な差ですよ、でも同じ人間なんで、大差ない、自分の他の能力や持ち味で対抗してレギュラーを奪うことはできるんです。」というような発言は、ホッブズが説いた、「人間は狼である」・「万人による万人の闘争」といった、代表選出で政治体制を築けるといった民主主義の基調にある原理認識と同等だ。人間には、羊と狼がいるのではなく、みなが狼なんだ、だから、弱い狼でも、2・3匹でよってたかって強いやつを退治することは可能だ、そんな程度の差だ、だからまた、一匹一匹が他の一匹を妬むことができるような差でもあり、他人との競争が発生するんだ、お互いが疑心暗鬼になって闘争が常に潜在している、それが自然状態であり、ゆえに人間にとって自然は戦争状態なのだ。これを回避するには、自分が自然として持っている妬み闘争する能力を自然権(自由)として捉え返して、多数意見的に合議された体制にその各人の能力=自然権(自由)を譲りわたしたほうがよい……。私がイチローや本田選手のようなプロ選手になれる能力を持つのは事実だが、そこまでその一事をやっていくほど好きではない、闘争をつづけることには疲れてしまう、平和が欲しい、ゆえに、私はその自分の能力をプロ選手として集められた代表制度にあずけて観戦に身を引くので、もうイチローや本田選手を妬むことはない。むしろ、その一事を、闘争を続行している人間として、彼らを尊敬するだろう。

子離れができず、なお我が子と一心同体と勘違いして、子供の競争がそのまま親同士の闘争となって、妬みうずまく自然状態。自意識=他人意識が未熟な子供たちは、実はレギュラーからはずれても、あんまり気にしていず、チームと一体となっている感覚、遊び感覚のほうを楽しんでいたりする。子離れ=親離れ、つまり自立とは、発達した自分の妬み競争能力を、超越的な主体、制度に譲り渡すこと、自身の内部においては、自分をコントロールしえる超越論的な主体、自我をもつことであるだろう。が、もうその必要性が、母親にして感じられない。あるいはその主体が、これまでの目に見えない文化制度、慣習だったものが、ブランド幼稚園から大学まで、就職先までと、目に見える世俗の表象にすがりつくようになっているのだ。その世俗にもまれている父親たちは、そのブランドの体たらくを知っているし、もうどうしょもないともわかっているが、それに代わりうる価値ある文化、制度を知っているわけではない。だから、女房に強い文句もいえず、影で、おやじの会などの飲み会で、ぶつぶつぼやいているだけだ。親子(母子)の癒着が断ち切れないことからくる犯罪が、このところ多くみえるのも、気がかりだ。かといって、代表戦(国家間戦争)も、時代錯誤になって、機能していない。だから、その機能不全の論理構造がそのまま延命して、以下のような、新しい戦争の表象に更新されるのだろうか?

<「自衛隊無人偵察機、南シナ海沖で国籍不明の無人機と交戦」
 ああ、またかと思う。最近では、毎月のように自衛隊と海外軍隊の交戦が報じられる。さすがに数年前、自衛隊が創設以来初の交戦をしたというニュースが流れた時は、日本中が大騒ぎになった。ついに「戦争」が始まった、と。…(略)…だけど、その戦争は人々が恐れた「戦争」とはまるで違うものであることがわかった。はるか南シナ海で、数機の戦闘機が交戦するだけ。結局、宣戦布告も終結宣言もなく、数日で「戦争」は終わった。
 当初、交戦による犠牲者は自衛隊員だと発表されていたが、それは自衛隊が委託した民間軍事会社の社員であることがわかった。彼もまた日本人だったが、自衛隊員ではない民間人を靖国神社に合祀するのかといった議論が一部では盛り上がった。
 それから、時々こういった「交戦」のニュースを聞くようになった。だけどもう誰も「戦争」とは呼ばない。特に最近は無人機の配備が増えて、各国の兵士たちが命を落としたというニュースも聞かない。「交戦」はすっかり、自然現象の一つのようになっていた。…(略)…しかし、僕たちの毎日の生活の何かが変わったわけではない。>(古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』 講談社+α文庫)

2015年10月12日月曜日

今の気分

「それに<戦争>は人間の知性がよく制御できるものではないようです。先ほども言ったように、原初の人間にとって日々の生存が闘いであって以来、人間は<戦争>をやめたことはないのです。いやむしろ戦争の歴史のなかから現在の<人間>が形成されてきたのかもしれません。そして戦争は概念規定できる、つまり知性によって把握できるとなると、そのように手なずけられたはずの「戦争」は、きっと次の戦争によって反故にされてしまうでしょう。だから戦争をまともに考えようとするなら、自分が戦争から超越していると、つまり自分が<戦争>を免れていると思わないほうがよいのです。戦争はもちろん人間が火付け役になりますが、そしてひとは平和の秩序のなかでは戦争をひとつの考察の対象にすることもできるし、戦争を企てることもできますが、いざ戦争が起こると、ひとはいつも「こんなはずではなかったのに」と思いながら、すでに<戦争>のさなかにいてしまうのです。」(西谷修著『夜の鼓動にふれる 戦争論講義』 ちくま学芸文庫)

夢のなかでも、戦争をみるようになってしまった。……日本に越境してきたロシアの軍用輸送機のようなジャンボ機を、日本が撃ち落としてしまって、これからロシアが復讐攻撃にでてくるのではないかとなった。総理大臣は逃亡し、責任を主体する代表者がいなくなってしまった。誰もなりたがらない。その状態に乗じて、ゲリラ人民とみなされてしまう日本元国民は虐殺されてもおかしくない、そう戦争をしかけてくるのではないか、とみながおびえはじめた……そんな情勢を、まるで映画のように自分は見ている。そしてもちろん、自分も人民の一人としておびえていて、目が覚める。

山場にさしかかった子供のサッカー大会で忙しく、神経もそちらですり減らしているというのに、9.11以降から、腹の底に居座ったような気持ち悪さが、やはり抜けきらない。自分の個人的な鬱とは別に、時代的な鬱、どこか無力・脱力感を誘う気持ち悪さ。だからまた個人的な鬱とは別に、つまり自分の子供の頃のことが原因であろう病とは別に、自分の子供のためにも、頑張らねば、鬱に負けてはいけない、と元気をだそうとする。そしてそれ、その気持ちが今度は一般化した方向へと知性化されて、若い者に任せるみたいな態度はよくないな、中年の自分がまずしっかりしなくちゃな、という意識を昇らせてくる。一希がもう来年は中学生だからだろうか、若者の働き口の社会問題も他人事ではなくなってきて、なおさらそんな意識が強くなるのだろう。青春期が戦争状態で奪われる、なんて事態にならないでほしい、と願わずにはいられなくなる。が、今度はそこまで思いがいくと、そこに個人的な鬱が重なってくる。自分もまた、すでに、戦争を生きてきていて、というか、死ねなかった生き残りの感覚で今まで在ったではないか、という思いにさいなまれるのだ。三島由紀夫や大江健三郎のような、戦争を子供のころに体験して、遅れてきたと実感できる世代だけではなく、高度成長期に生まれたのちの世代でも、やはり校内暴力や引きこもり、いじめなどで、その戦争体験が挿入されている、その個人の人生で受けた鬱、それ以降の生とは、上引用の西谷氏の言う「死ぬことのできない」世界の生存、3.11の大災害を生き延びた人々も、それはもはや単なる自然災害で納得できない複雑さ、気持ち悪さを心の底に抱え込んで生きて行かねばならないだろう。

「<アウシュヴィッツ>と<ヒロシマ>のところで、そこに露呈した生存の状況が、人間が「死ねない」ということの<現実>なのだという話をしました。昔から人は死を恐れてきたわけですが、ここでは人は死ぬことができず、それが無限の<災厄>なのだ、と。そしてそれが<災厄>だったのは戦争のためですが、「死ぬことができない」人間が<死>を見失うという状況は、<世界戦争>以後<人間>の基本的な生存状況になりました。」(上同)

「けれどももし核戦争が起こって全世界が破壊され、人類が一挙に死滅してしまうなら、そんな簡単なことはありません。数十分のうちに地上から人間がひとりもいなくなってしまうとしたら、万事解決です。人間がいなくなれば、地球の荒廃を嘆く者はだれもいないし、人類の滅亡に涙する者もいないでしょう。それに、それまで人間が苦しみながら解決できなかったあらゆる問題は、いっきに解消されます。人間がもういないのだから問題もありません。だから核戦争で人類がほんとうに滅亡するとしたらもって瞑すべし、こんな気楽なことはありません。ところがそうはいかない。そんなことでは人間は死ねないのです。」(上同)

しかし、気持ち悪いとばかりもいってられない。この4月からはじまった全日本予選はリーグ戦なので、まだ終わらず、長い闘い。大人の自分でもモチベーションを維持するのが大変で、神経がへとへとになっている。その体調の悪さと、時代的な気持ち悪さとが合い重なって、仕事も鬱と戦いながらやっているような状況で、毎日が、ほんとに生き延びている、いや死ねないでいる、といった感覚。テレビのニュースをみても、暗いものばかり。日本ラグビーが勝っても、喜ぶ気力もおきない。それは、自分だけの気分だろうか?

2015年9月20日日曜日

芸術家的応答――侯考賢監督『黒衣の刺客』をみる

「ただでさえ山賊などの多い鈴鹿の山を、飼いならした馬に銀の鞍を置いてお乗りになったのでは、かえって道中の邪魔になろうというので、御馬は宿の亭主に与えられ、座主は裾を引いた長絹の法衣に、檳樃創りの裏なしの草履をはかれ、経超僧都は衵のうえに黒衣をまとい、水晶の珠数を手に持たれたが、もう足も進まないそのありさまを見ては、誰しもこれは落人だなと思わない者があろうはずもなかった。それでも日吉山王権現の御加護によるのだろうか、路上に出会う木樵や草刈などが御手を引き御腰を押して、宮はことなく鈴鹿の山を越えられたのであった。」(「太平記」 『日本の古典15』河出書房新社)

雨つづきの日、ホウ・シャオシェン監督の映画『黒衣の刺客』を見に行く。
上映時間までまだ余裕があったので、紀伊国屋書店に立ち寄る。哲学関連コーナーは、「戦争」にまつわる本が集積されている。もうすぐ戦争が起きるぞ、といわんばかりに。立ち読みで同感した意見は、佐藤優氏の、「もう世界大戦ははじまっているのかもしれません。」というもの。ならばすでに時機を逸しているのかもしれないが、この「戦争」にまつわる特集をのぞいていると私の頭も混乱してきて、三冊ほど買うはめになる。古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』(講談社α文庫)、小熊英二著『生きて帰ってきた男』(岩波新書)、西谷修著『夜の鼓動にふれて』(ちくま学芸文庫)。

そうして、映画を観た。
新聞の紹介などでは、物語性は希薄で、映像美でみせる趣向、という論調が目立ったが、私には、これは明確に政治的なメッセージだろう、とおもわれた。現今の、とくには東アジア情勢に対する、いち芸術家の応答だ。それは、単純に、ストーリーをおってみればわかる。
中国は唐の時代。辺境に接する地方では、中央から派遣された節度使(県知事のようなものだろう…)が独立的な動き、勢力をもち始めている(現今の中国も、そうであろう)。中央と地方の平和維持のため、独立的な節度使を暗殺する動きがでてくる。その節度使と従妹であり婚約者でもあった女刺客は、なかなか殺せない。節度使である夫を操ることで権力を維持しようとする正妻は、懐妊した側室を参謀の西洋人らしき男を使って暗殺しようとするが失敗し、影であやつる参謀は殺される。その正妻―西洋人参謀は、辺境に左遷されてゆく女刺客の養父の暗殺も企てていたが、その危うい現場で、遣唐使としてきていた日本人青年の果敢な介入もあって失敗する。女刺客は、節度使を暗殺する密命を辞退し、その現場で出会った日本人青年を、新羅まで送る仕事に同行する。その最後の出発シーンで、はじめて刺客は笑みをみせる。

映画おわって、幕に出演者のリストが流れるさいのバック音楽には、映画中、独立的なシーンとして挿入・演奏されていた、唐の踊りと日本の舞い、いわば唐の楽と雅楽とが融合された音楽がながれていた。ということは、この映画の主張、願いもまた、そういうことだろう。中国、朝鮮、そして日本と、仲良くやれ、いい関係はできるはずだ、われわれはすでに、そうした歴史文脈をもっているではないか、ということだ。

こうした政治的メッセージ性を、映画の物語背後に感じたのは、2003年に日本公開された、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の『HERO(英雄)』以来だ。あれは、中国の天安門事件に対する応答だった。興味深いのは、どちらの著名監督も、「刺客」(テロリスト)をとりあげていることだ。ここには、司馬遷の「史記」以来の、なにか中国の伝統的な文脈があるのだろう。そしてその刺客の視点を通して、現権力を、暴力的・暴言的に批判するのではなく、自分たちの正統的な歴史的振舞いを喚起することで、戒める、権力の方向性を誘導修正させていかせる意図をもつような、どこか冷静・沈着した姿勢を感じさせる。

雨のなか、同じ新宿の通りでは、安全保障関連法をめぐる、反対デモ行進があったようだ。少なくとも、今の私は、とても今の反戦デモみたいなものに参加しようという気が起きない。理由はよくわからないが、気分がおきない。すでに、世界大戦ははじまっているよ。現憲法護持下でも。そしてならば、戦争にはしっかりと参加しなくてはならない。個々人の意志と考えで、参加しなくてはならない。シリアからの難民を受け入れる体制を表明したらどうか、という意見が出ているが、そうした意識が、参戦態度というものだろう。戦争に参加すること、おそらくはどうも、それだけが、人類を反戦させる経験意識を高じさせるのだから。反戦している自分は、戦争には無関与な正当性を握っているという意識で国民の大半がやり過ごすなら、また日本は世界から取り残され、遅れた意識のまま孤立するしかなくなるだろう。というか、そういう、敗戦ではなく、終戦被害者意識が、そのカラクリが、いまのデモに結びついているような気がする。それは、かつての世界大戦でさえ、ひとりひとりが、しっかりと参戦できてこなかったことを意味しているだろう。

われわれは、またその過ちを、繰り返すのだろうか?

関連 ダンス&パンセ2004 11/11

2015年9月2日水曜日

日本少年サッカーにおける文化的現状

「そもそも、日本の文化領域においては、ハイカルチャーだろうとサブカルチャーだろうと、日本に「なる」ことに尽力するよりも、むしろ日本ならざる何かに「変身」することに高い評価が与えられてきた。…(略)…しかも、問題なのは、こうしたモラルも目的もない変身願望がいわゆる「神国」思想と平気で両立することである。日本はしばしば別物になりたがる。しかし、その変身願望の背後には、海に囲まれた日本の同一性が脅かされることは決してないという暗黙の安心感がある。日本が唯一無二であることは厳密に証明するまでもなく、当然の前提として捉えられているから、いくら変身願望を語ってもアイデンティティーの真の危機に見舞われることもない。逆に、この「自然」な唯一無二性に頭までどっぷり浸かってしまえば、むやみに高い自己評価――神国日本――が出現するのも、ある意味で当然のことだろう。したがって、日本以外の何ものかに変身したがることと、日本を無反省のままに唯一無二の神国と考えることは、結局コインの裏表だと言わねばならない。そこに欠けているのは、日本が長年かけて蓄積してきた経験とは何であり、そのストックを現代の課題とどうぶつけていけばよいかを考える、粘り強い「証明」の作業なのである。今日、日本について思考することは、一所懸命に日本に「なる」というアクションを含まねばならない。」(福嶋亮大著『復興文化論 日本的創造の系譜』 青土社)

先月末に、U-12ワールドチャレンジ2015大会が行われ、その準決勝からの試合を、同じ年代の新宿代表の子供たちとみた。準決勝で東京都選抜がバルセロナFCに1-1の末PK戦で勝ち、決勝では、同じくスペインはカタルーニャ地方からきたエスパニョールに0-0のあとPK戦で敗れた。私には、これは東京都選抜を日本育成現状の象徴と考えるなら、バルサに勝ったからといって、とても喜んでいられはしないだろう、というのが第一印象だった。その印象はすぐには言語化されなかったが、トレセン制度から即席的に選んで一週間の仕上げで大会に臨んだ指導者たちも、おそらくそうした危機感をもったのではないか、ということが、大会後の取材記事で想像される。

バルサ以外のチームは、まあ小学生の上手な子たちのチームだな、まだボールコントロールのミスも目立つし、という感じだ。一方バルサだけは、もうプロそのもの、ただそのレギュラーにはなお遠いだけだろう、といった感じだ。1対1での駆引きを含めたボールコントロールのレベルが違う。ミスがほとんどないように見える。これでスピードとパワーがついてチーム戦術的な動きがマスターされたら、とても太刀打ちできず、ボールに触れなくなるんではないか、という恐ろしさ、つまり彼ら子供たちの伸びしろが強く感じられてくるのだ。逆に他のチーム、とくに選抜東京チームは、理屈的にはなおボールコントロールレベルでまだまだなのだから、伸びしろはこちらのほうがあるはずなのに、そういう風な印象を受けない。もうこの子供たちは目いっぱいなんではないか、と心配されてくるのである。東京選抜の子供たちは、本当に必死になって、フィールドを走っていた。しかし、そうした全体的な印象に、躍動していくもの、大人として成長していく落ち着き、子供たち自身には意識できないだろう雰囲気的な何かが、生きていないのである。取材記事によれば、バルサおよび決勝でのPK戦でも、誰一人俺が蹴るといわなかったどころか、失敗を恐れ辞退したり、だったという。おそらく、各自が所属するクラブチームでだったなら、そんなことはなかっただろう。が、こうした重圧下で、彼らの意識を超えて出てきてしまうものがあるのだ。バルサの子たちは、PK戦になったとき、試合途中選手交代をめぐり中断があったのに、ロスタイムが少ないのはおかしいと猛然と主審、審判団へ抗議をはじめた。バルサのコーチは試合後のインタビューでそれを謝罪したが、規則を律儀に推進するよう試合進行する審判団をはじめ、むろん審判に異議など唱えない日本の子供たちとの違い自体は問題ではない。勝ちたいという同じ気持ちが、表にでるか裏に秘められるか、の違いだけだ。そして謙虚なのは、いわば日本文化の地としての表象であり、良さでもあるだろう。が、そうした遠慮、思慮深さ――自分が今感じている重圧ではPKをはずしてしまう可能性があると冷静に自己分析してしまう、ここは代表チームだから俺よりあいつが、あるいは誰が蹴っても、とまわりの空気を読み始めてしまう――、いわば内向的な在り方が、悪い方向で機能していく、させていく世の中の風潮、雰囲気が、各クラブの育成中に、すでにして挿入されてしまっているのだ。(そしておそらく、そうした子を選抜・スカウティングするようになってしまっている。)すべての試合に「負けられない戦いがある」と放映するテレビとうメディアの作る営業方針も、そうした風潮を地固めしているだろう。つまり、技術以前の在り方、いや正確にえば、技術を成立させる私たちの在り方自体が、おかしくなっているのである。
取材記事には、アルゼンチンからのチームのコーチの発言がある。南米、とくにアルゼンチンの選手は、球際で激しく体を入れてとりあう。ボールに足をだすのではなく、まずガツンと体を当ててくるのが習わしだ。が、そんなことは教えてはいないのだ、とコーチは言う。「それがアルゼンチンの文化なんだ」と。バルサの8番、これはこのチームにとって、伝統的にゲームメイクするのに特権的に選ばれた選手がつける背番号だ。今回のチームでは、とても背の小さな、ジャマイカ・レゲエー風の風貌をもった子だった。日本人の感覚では、とてもなぜ彼が中盤の底に選ばれているのかわからない。このわからなさは、こちらがサッカーをよく知らないことからくるだけではなく、バルサが勝ち負けを超えて、こういう持ち味をもった選手をここにおく、というポリシーを一貫させていることからくるだろう。その8番のチャビくん、東京戦で、ファールで勝ち取ったPKを外してしまった。それが、敗因の大きな理由となってしまった。3位決定戦では、ベンチスタートからだった。中盤の底には、6番、シャビではなくイニエスタの背番号をつけた大柄な選手がはいった。一見では、この選手のほうが機能しているようにみえただろう。が後半、チャビくんがはいる。コーチは信頼し、成長させようとしているのだ。試合まえ、ベンチに向かう途中、ずっとチャビくんの肩を抱きながら、優しく何かを語りかけながら歩いていった。その姿は、清水市での草サッカー大会での、生き残った少年団のコーチの指導姿を思い起こさせた。バルサも、いまのポゼッション・スタイルで、はじめから勝てていたわけではなかった。自分たちに何ができるかを検証し、その自覚のもとに子供たちから教え始め、たとえそれで負けても、基本原理・哲学を変えてはこなかったのだ。それが、第一世代的なシャビやイニエスタといった選手で花開いたのである。次には、その育成方に危機感をもったドイツが試みはじめた。それが、その第一世代的なゲッツェで前回のワールドカップを制した。かつては、小学生レベルでは、日本の子供たちは世界に負けていなかった。清水代表も、全勝で遠征から帰って来たのだ。だから問題は、それ以後に開き始める育成制度だと指摘されてきたのだが、そうした問題把握が間違っていることが証明されてしまっているのが昨今だということになる。ワールドチャレンジを戦った西が丘のスタンドには、バルサのスクールに通う子供・父兄ように、特別指定席が設けられていた。東京戦、そんな子供たちが、「バルサ! バルサ!」と応援コールをおくる。もしアルゼンチンからボカ・ジュニアーズのチームが来ていたら、南米コーチのラテンのノリで、踊るような声援や応援歌が聞こえただろうか? しかし、バルサをコールする声援は尻すぼみになる。おそらく子供たちは、東京(日本)相手に戦う自分たちの応援の在り方に、何か奇妙なものを感じ取ったのだろう。日本では、スペインのほかにも、オランダやドイツからのスクールがたくさん営業している。そうした風潮にのっかって、諸外国チームの一員として、日本に対して応援してしまう自分たちの存在のおかしさに、彼らは黙ってしまった、ということになるかもしれない。清水FCの代表チームに選抜されプロになり、ドイツでも活躍し、いまは川崎フロンターレの監督をしている風間氏は、サッカーは「一」を教えられれば、あとは教えなくとも二、三、四と覚えられてゆく(サッカーだけではないが…)、そして最初の「一」とは、技術ではなく、「物事の本質や人間というもの」なのだ、と発言している。スペインで教えられる「一」と、ドイツで教えられる「一」は違うのである。日本の大工や植木屋は、木を切るさい、ノコギリを引いて切るが、欧米では、押して切る。ノコギリの歯自体がそうできてもいる。純粋な技術などないのだ。ボールを奪う際にも、アルゼンチンは体を当てる、教えなくても、そのようにやってしまうようになる。チャビくんが一番評価されている能力は、セカンド・ディフェンダーとしてのカバーリングの予知能力だ。最初にボールを奪いにいったものの後ろにつくポジションニングのすごさ。しかし、ドイツでは1対1を重視するので、基本的にカバーにはいかないのだ。ならば、日本における「一」は? 私たちの原理とはなんだ? そのうち、まさにその「一」に迷ってチャランポラな戦い方をする日本代表チームがでてくるだろう。というか、もう出てき始めている、ということではないか?

私は、スクール的な方向、純粋技術を仮想している現状、その寄せ集め的な、「雑種文化」(加藤周一)をそのまま現状追認していく方向から、良いサッカー、面白いサッカーが出来上がってくるとはおもえない。審判に抗議したり、ファウルまがいのプレーを真剣さの証しとしてとらえて推奨しだす「変身願望」がいいとおもわない。中田英寿やイチローが説くように、謙虚のまま、大人しいままでいい。あんなのはベースボールじゃないと批判されても、イチローはポテンヒットや内安打を技術的に量産しつづけた。こんなのサッカーじゃない、と本場の人たちから言われても続けられる私たちの「一」とはどのようなものだろうか? 縄文時代からでなくとも、日本と総合されてもいい文化的なまとまりの歴史は古い。すでにあるに決まっている。風間氏も、それを当時の清水市の指導者たちに認めたのだ。しかしその在り方は、決して自然(条件、島国だからと)に、自明なものとして発生してきたわけではない。その継承者たちは、世相が風潮に負けて、実際の試合や大会で勝てなくなっても、「語り」つづけている。つまり現状に抗って。敗戦になった戦争を語りつづける生存者のように。あくまで、日本の文化も、いまある自然への抵抗としてだけ反復される。おそらくバルセロナFCも、そうやって自分たちを「復興」してきたのである。

2015年9月1日火曜日

身を以って

「超自我はたんに「父」の内面化としてあるのではない。たとえば、親は子供に攻撃性を抑制するようにきびしくしつけることができるだろう。が、それはしばしば暴力的な人間を育てることになる。逆に、フロイトが指摘したように、非常に寛大な親に育てられた子供が強い倫理観(超自我)をもつことがある。この場合、親は子供に強制しなかったとしても、身を以って子供に示したのである。したがって、フロイトは、超自我は親そのものではなく、親の超自我を規範として形成されると考えた。親が攻撃性を自制するような超自我をもつとき、それは子供に伝わる。また、超自我が個人だけでなく、集団にもありうるのは、そのためである。それが文化=文明だといってよい。」(柄谷行人著「Dの研究[第3回] 宗教と社会主義(承前)」『atプラス』25号)

引き続き「at」を読んでいて、上のような柄谷氏の言葉にであった。親(大人)たちの言う内容ではなく、その身振りや仕草が、つまりは「身を以って」示してしまうことが、子供に継承されていく、と。前々回のブログ「価値について」で、似たようなことを私は言ったが、それは、近代的な現状から、ネガティブな傾きでの言及だった。また、思想の型として、言論内容よりも身振りにこそ歴史を動かしている文化的継承があるとは、考古学でも、民俗学でもとられてきた一つの発想であるとは、教養的なことでもあるだろう。柄谷氏は、その親の身振り=文化を、戦争に反対する、つまりは暴力に訴える行いを「嫌悪」および「恥」と感じるフロイトの文化理解と結合させるのだが、その接合の仕方自体が新しいのかもしれない。私も、「戦争」を、「罪深さを訴えたり、法的・政治的に禁じることによってではない」発想へのとっかかりとして、フロイトのその引用箇所に言及したWEB絵本を息子の一希と一緒に書いたけれど、ここでは、もっと具体的に、ならば親として私は息子にどう振る舞えばいいのか、と思い悩んだ。

厳しくしつけると子供は暴力的になる場合があるのなら、暴力的な親を見て育つと子供はどうなるのだろう? 私は、なお自制的な家庭環境を作れているとは、とても言えないだろう。減っているとはいえ、夫婦喧嘩は絶えない。新宿の代表チームの母親は、グランドわきで叫び散らす女房を大人しくさせようとなだめたりで、ずっと自制的なようにみえる。彼女自身たちも大学でなのか、頭もかしこそう。子供も大人しい。恥ずかしがりやだ。一希といえば、恥も外聞もないように、お笑い芸にいそがしい。他の親たちは、一希が感情表現豊かなのも、まさに親子そろって川の字で寝ているような下層の家庭環境あってこそ、とおもっているかもしれない。一希は、自制的な自分をもてるようになるだろうか? しかし、私よりかもっと暴力的な職人階級の息子たちは、気性の激しさはそのままでも、年相応に大人しくなっていくようにおもわれる。むろんそうなっていくのは、階層の一般的状況ではなくて、各家庭での親の愛情の真実性如何に、その成長の度合いや質が関わっているだろう。最近のドメスティック・バイオレンスとは、共同体的な関係が崩れてきたところによる、社会から孤立した家族関係が誘発しているだろうから、同じ暴力でも似て非なる在り方かもしれない。逆に、一見自制的な良家の子弟は、見かけは節度あっても、それが他者への関与を忌避する偽善の装いになったりもする傾向があるかもしれない。そう想像しえてみて想起するのは、ヨーロッパのサッカー・クラブチームが、ペットの犬でも、かわいいからと生まれてすぐに売りにだすと大人になってからもキャンキャン吠えて躾けられなくなるので、3か月は母犬と一緒にさせておくように、U-12歳のジュニア世代は、地元の子供たちだけを育成し、才能があるからといって外からの子供を受け入れるのは成分的に規制している、資本の技術とは一線を画そうとする科学忠実的な文化であろうとすることである。となると、大切なのは、まさに言語習得以前の、ヒトが生まれてから3年ぐらいまでの子育てだ、その期間愛情をしっかりそそいでやれば、のちの人生の逆境でも乗り切れる人間に勝手に育っていくものなのだ、という通論、科学的というよりは、大衆の自然性を経験的に肯定する吉本隆明氏に近くなる。

が、たとえそうだとしても、それはなお形だけの話であって、その中身が重要なのだ、というのが柄谷氏の言わんとしていることであろう。なぜなら、そうやって育った子供は、互酬的な交換Aの心性を反復するだけであって(それ自体、個人の心身としては健全なものであろう――)、それを”高次元”で、交換Dとして反復するわけではない、とされるからである。われわれの文化=文明自体が、そこまでに一般化されて、つまりは意識的に進歩しているわけではないのだから、自然的には、戦争を封じるような多勢的な子供たちが育ってくるわけではないのである。カント的にいえば、なおわれわれは幼児であって、成熟した大人からはほど遠いのが現状だということだ。

しかし、「高次元」とはなんであろう? 私はその物言いについひっかかるのだが、フロイトの反戦論と結びつけられたそれは、戦争を避けていかせるヒトの関係性として理解できるから、なるほどそれは高尚な交換形態、ということになるのかもしれない。物言いはかわれども、その趣旨は、私が「身を以って」示す価値こそが子供に伝わってしまうと指摘した前々回のブログ「価値について」の以下の言葉と同じなのかもしれない。――<そこでは、子供のころは文字通り長屋住まいで過ごした職人たちがいた。彼らは、隣の家の醤油は我が家のもの、みたいな共同所有を前提にしてきた人たちであり、ゆえに、あとから世の当然となった私的所有が前提の社会から、自分たちが取り残されていることに半ば自覚的である。私は、自他の区別がつかない赤ん坊のようなところのあるそんな意識世界に批判的でもあるけれど、偽物な個人主義としか思えない今の世の風潮よりかは、マシな方向へ向けての前提としてなさねばならない価値の一面だろうと思っている。

つまり、互酬的な交換形態Aは、前提としなくてならないが、それはもっとマシな方へ向けて、ということだ。それが、「高尚」な交換形態Dと同等なのか、正確には私にはわからないが、物言い違えど発想の在り方は同等なようだ。

で、マシな方向へむけて、私自身は、具体的にどうしようというのか? ひとえに、夫婦喧嘩をしないこと(とくに子供のまえでは)。その影響で、力をつけて反抗期にはいった子供が女房をぶっ殺したり、逆に女房が子供を殺したり、といった事態を避けなくてはならない。しかし、こうした具体的な発想のなかに、後退戦がそのままで文化的な頽落というワナにはまってしまう可能性も大だ、ということは自覚しておくべきなのだろう。福島亮大氏の『復興文化論 日本的創造の系譜』(青土社)によれば、結局日本人の文学は、ホモソーシャルな「男どうしの絆」としての「われわれ」をみせただけで、私の特異性にこだわることに傾き、ゆえに「連帯よりも他者化」に精を出すことになると指摘している。ポストモダン風にいえば、文化的な地がスキゾ的、ということであろう。――「昨今では「声に出して読みたい日本語」式のマッチョな声が国民的同質性をでっちあげようとする。こうしたマッチョな声が出てくるのは、それだけ日本近代文学の社会的な「声」――<わたし>の固有性と<われわれ>の連帯性を結び直す声――が幽(かそけ)きものであったことを暗示している。」家族的な互酬関係でさえ、バラバラな方向へのバイアスが強い、集団文化的な他者化、孤立化に負けている、ということだ。私や女房は親である以前に子供だが、高齢な両親との関係というよりは生活を、具体的にどうするのか、ということも問い詰められている。そこでも自然にほったらかしていれば、スキゾ的な無関心な関係に逃走する、しやすい、ということになるだろう。しかし、だからこそ、この一番身近な集団性、連帯性から、つまりは家族からやり直してみよう、というのが、私のNAMプロジェクトだったはずだ。一から「身を以って」やり直してみること、それは後退戦だが、そこまで頽落する必要があったのだ。