「状態ベクトルや密度行列を外界にあるものと見ないと(註;量子情報として割り切ること)こんなにも簡単なのである。サイコロの六つの状態の各自の出る確率分布が六分の一だったのに、振って結果が3という目なら確率分布は3目状態が1、他の目は0に「収縮」することなのである。
幽霊はなぜ浮いていられるかを物理現象として説明するのは難しいが、幽霊が頭の中のものなら悩む必要もない。」(『量子力学の100年』 佐藤文隆著 青土社)
年末、NHKで、「量子もつれ アインシュタイン最後の謎」という番組をやっていたのでみてみた。ほとんどは、一般解説書をそれなりに読んできていたので目新しいものはなかったが(『陰謀論者はお客さま』)、最後にでてきた、ファン・マルダセナの話は知らなかった。スマホで調べると、弦理論から展開されたホログラフィー理論なるものを提出した科学者だそうだ。その理論名はきいたことがあったが、胡散臭そうで、追っていなかった。
が、テレビで提示されたグラフィックな図説をみると、これはスモールワールド、世間は広いようで狭いのが世界だということを図示する二次元図を、球体に置き換えたもののようにみえた。量子もつれの宇宙での密度分布をモデル化すると、そのような計算結果になるらしいのである。テレビ解説でも、「量子は人間のようなもの」、「近くにいる者どうしは多く、遠くにいる者どうしは少ない」と本人が解説していた。だから、やはりスモールワールドの世界観とだぶらせているのだろう。見知らぬアフリカのある人に手紙をだすに、知人づてに、6人だかで届いてしまうのが現実だ、という数理的というより、実証実験で得られた結果を数学的にモデル化したものだったのではないかと思う。多くの人間関係は近接的だが、その中には、時折、移民や海外旅行などで、遠方に知人ができている人もいる。その人に手紙がわたったとき、いっきに円の対角線上にある人間関係の密度分布のところへ配達されていくというわけだ。量子もつれも、そのような見えない物質の繋がりとして、立体的にからまっているというのである。だから、番組紹介のコピーのひとつに、見えない糸でつながっている、という文句がでてくる。これはもちろん、男女の出会いは見えない赤い糸でつながっている、から来ているだろう。
しかし私は、そこから、こんな想像をしてしまう。
私は、何万年か前の、ラスコーの壁画で牛を描いていた人物に、私の描いた牛の絵を送りたいと考えるのだ。すると、量子もつれには同期(同時)しかないようなものだろうから、時間(記憶)が空間化されて折りたたまれていると言えるなら、量子もつれの現実から、六人目ぐらいでラスコーの洞窟に手紙が届けられる、となるのではなかろうか、と。
スモールワールドを成立させる、同期の現象、ウィキペディアでは、コオロギの鳴き声が同期してしまう例が紹介されているが、植木の世界でもある。蜜柑や柿などの実は、生る年と生らない年がある。しかも、生らない年は、ある一本だけではなく、その地域なりの広い一帯でそういう現象が起きると観察されてきた。だから、ばらつきがあるのなら平均で一定の収穫として安定するが、みなで同期されると、収穫量の変貌が大きく、困ってしまうことになるのだ。この同期現象は、いまだに原因不明だそうだ。
サケやハトの帰巣本能の集団実現、わたしはこうした生物世界の不思議にも、量子もつれな事態が関与しているのでは、と推察している。
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