2011年3月20日日曜日

親の神経質と子供の無邪気さ


「私たちは誰なのか。どこから来たのか。どこへ向って行くのだろうか。私たちが待ちうけているのは何なにか。何が私たちを待ちうけているのだろうか。 多くの人はただ当惑するばかりだ。大地はゆらぎ、人びとは、それがなぜなのか、何のせいなのか、知らない。人びとのこうした状態は不安であり、それがさらにはっきりしたものになれば、恐怖である。」(エルンスト・ブロッホ『希望の原理』 白水社)

とりあえず自衛隊と消防の放水作業が順調なようで、原発現場も小康状態となってほっとする。国際原子力機関の人はまだ楽観視していないというし、なにせホウ酸をたくさん支援してもらっているということは、核爆発という最悪事態も想定しているということになるそうなので、予断はゆるせないのだろう。しかし少なくとも東京での憂慮が、地震災害から事故災害への移行にともなって、親の子供への関係はより神経質さを増してきた。この小康状態を利用して、一希はいま近所の公園へあそびにいっており、親としても、神経を休めることができるひと時になっている。

というのも、まずは震災直後の余震がつづくなか、私と女房の間柄が緊迫してくる。過小評価して呑気な女房と、最悪の事態を想定しながら、ネットとうで情報収集し、いまはこうしたほうがいいという私と。人より先回り的に来るべき事態を予測しパニックに巻き込まれないよう行動する、というのが知性と教養の実践形態のひとつでもあるだろうから、日用品なくなるよ、停電だとマンションは水がこないよ、停電とは別に原発の状況いかんでは水道の水も飲めなくなるよ、だからこうしようと発言しても、どうにもならないことを言ってとばかにされるだけで、実行がからまわり。その結果、いつもの朝食のパンがない、米がなくなりそう、塩がない、など、普段でさえそうなのが、この緊急時にさらに高じるのだった。片足の私では買い物にはいけない。最悪時には篭城しかないのだから、政府の支援が出動してくるまでは私的に対処しなくてはならない。なのにすでに腹が減っている。そんな両親のイライラどたばた劇を目前にしながら、6歳の一希はどう受けとめ、どう影響されてくるのかな、と思うのだった。

震災のテレビ番組にうんざりしている一希が、その深刻さや現実性を理解しているようにはみえない。自分とどんな関係があるのか、という感じだ。志村けんの動物愛護の物語には感動しているのに、いま人に起きている事態には無頓着、無邪気なものである。人として成長するのにこれでいいのか、とも思うのだが、これまでの観察と、現今でもふとした契機に、子供の理解の仕方がたんに体制化された大人のそれとは違うだけで、実はその深刻さを深刻に理解していると予想できるのである。だから、ヒューマンな価値観をそこで子供に押しつけることは、その正当な理解の仕方を、ゆがめてしまうことになると懸念されてくるのだ。志村動物園の動物愛護の物語、とくに動物の心が読めてしまうという女性の話などをきくと、動物が飼い主のことをみていないようでよくみている、わかっている、ということに驚く。子供にも、そういうところが多分にあるのだ。理解の仕方が断続的というか、蛙が獲物の動きがあったときにだけさっと気付いて舌をのばして食いつき、すぐにまた普通の状態にもどってしまうようなあり方だ。気まぐれともいえるが、しかしその理解の深さには、人間的、あるいは自然的な調和を促す実践力があるようにおもう。両親が神経質だと、子供もハイテンションになって、普段より明るくなってくるのは、その関係が危機的であることに対する、調整の試みを無意識に行なっているのである。だから、そこをこんなときに無邪気に騒いで、と子供の陽気さを否定していく親のヒューマンな教育は、自然に反した悪影響を子供に刻み付けていくことになるだろう。将来的に、根強い反発心を植えつけてしまうかもしれない。

もちろんこれは、テレビの向こうでこの悲惨さを見ている親子の立場においてのものである。津波にさらわれた瓦礫の町のなかで、父親の腕にしがみつき泣き叫んでいる一希と同じ年頃の子供がうつると、私の胸ははりさけそうだ。一希はなんでもないかのように、関心がないかのようにぼけっとみている。目の前で、母親が流されてしまったのかもしれないその子は、どんな痕跡をどのように心に刻み付けることになるのだろう? 私には、想像もできないのである。

仕事もできず、ずっと家にいて、食卓の椅子に腰掛けていることしかできないような私は、そのぶん、午前中の授業で給食もなく帰宅する息子といつも一緒にいられる。一希はよく私の膝の上にのって、私をソファがわりにテレビをみるようになった。樹上から落ち命拾いした私は幸せ者だ。この悲惨さの時代の中での膝の上の幸せを、一希はどう活かしていくのだろうか?

2011年3月16日水曜日

国家と国体、そして地球


「しかし、富士山の山の神を祀ることが十分でなかったのか、神を怒らせたことに対する誤り方が不十分であったのか、再び富士山は大噴火をする。…(略)…このときの(註、864年)大噴火による溶岩の流出によって、かつて富士山北麓に存在した戔リ(せ)の海は埋められて消失し、あとに精進湖と西湖という小さな、現在も残っている湖が造られた。広大な富士山の北麓を溶岩が埋め尽くして、そのあとが、現在青木ヶ原樹海と呼ばれる、溶岩の上に木の生い茂る地帯となったのである。報告によれば、溶岩流はさらに河口湖に向って進行中なのである。民家が溶岩に埋められて、多くの人命もこのときに失われた。歴史時代における最大の富士山の起こした災害であった。」(上垣外憲一著『富士山――聖と美の山』 中公新書)

石原都知事は、この大地震に対し、「天罰」と発言し、撤回・謝罪することになった。私もこのブログで、自身に降りかかった労災を「天罰」と捉えた直後だったので、この地震をそういう文脈上で捉えた。しかし先のブログで、そういう言葉をださなかったのは、自分ではない人にむけてそんな言葉遣いをしてはいけないと考慮したからである。しかも、私の母親の実家は宮城県の多賀城市にあって、幸いおじさん、おばさんは、水没孤立したソニー工場とは別地区に居住していて無事だったのである。両親にきくと、一回目の地震で無事を確認した電話の最中に大きな地震があったようで、叫び声とともに電話が切れたので心配したそうである。

しかし、私のいう「天罰」と石原氏のそれとは、位相が違うようだ。石原氏は、そうとらえる例として、「おじいさんが30年前に死んだのを隠して年金搾取する、こんな国民は世界中に日本人しかいない」ことをあげたそうだ。人にそこまでの行動をとらせたのは、知事がおこなっているような行政国家によるというのに! つまり、石原氏が依拠している国家とは、あくまで人民を統治する行政機能に収斂されていくものなのだ。それゆえ、彼の行政の続投がこの震災後に意味してくるものがどんな統制であるのかは、想像がついてくるだろう。しかし、私にいわせれば、そうまでして、つまり親の死さえ葬儀(宗教)的に解消せず、精神的な宙吊りのままでも地を這うように生きていこうとする、この静かな日本人の根性にこそ、現国家を支柱している国体があるのだ。いま諸外国が日本人は冷静に助け合っていると評価しているように、この国体的態度が、行政国家のジャーナリズム情報操作のためということではなくパニックをおこさず、現困難を耐えていかせているのだ。おおざっぱな比喩でいえば、石原氏の国とは、弥生時代以降の官僚行政機関的な国家であり、私が評価するそれは、縄文時代的な心の在り様なのである。このブログでも追求して言ってきたことだが、その先史時代的な文化的遺伝が、大和魂や、武士道や、特攻隊的な献身や、大戦に対しての「国民は黙って処した」という道に貫通しているのである(そして実は、日本だけでなく世界中で)。しかも、もしかして、そもそもこの諦念に似た黙々さは、自然災害の記憶に由来しているのかもしれないのである。

私は、死を受け入れて、爆発する原発の前で作業をしている特攻作業者のことをおもう。戦争中の作戦で、自身のまわりで3割が亡くなったら逃亡していいというのが兵士の法則であり、100%死ぬ作戦は戦争をするプロとして失格なので、そういうことはしないというような欧米の価値観ではなく、現場から逃げず、玉砕的に献身ししていく人たちの姿を。しかし、たとえそれが文化的な遺伝子だとしても、人間的な確率では、実際にそうした人は多くはないだろう。それは、しょうがないことだ。20日間は水で冷やさなければ鎮火しないのだそうだが、被爆して交替という人員であるなら、いったい何人の神風労働者が必要なのだろうか? 私がそのうち人員がつきるだろう、というと、女房は、東電のトップが特別に支給すると保障して特攻ボランティアを募れば、人は集まるんだ、死んでもいくという人はたくさんいると豪語する。私はそこまでは疑問だし、自然に燃え尽き爆発するまで待つしかなくなっているのではないかという気がする。ならば、チェルノブイリの事例からすると、300kmが被爆の範囲だそう、ならば、横浜へんから新潟以北までの東日本はほぼ全部ということになる。そこでは、半永久的に、他人に売れるような食品も工業製品も作れないだろう。復興ボランティアの人たちも被爆するとなれば、いけるだろうか? おそらく、被爆しても復興に向う大勢の人たちがでてくるだろう、それが日本人だ。しかし、一方で、近代以降のおいしい生活に依存したアイデンティティーであるのも確かなので、この生活態度を維持する方向性も強いだろう。ならばどうするか? 復興の予算は、少なく見積もって25兆円と試算する報道もでた。景気が普通で税収40兆円に借金40兆円が国の予算、GNPは500兆円くらいだそうだ。……私の勝手な連想は、日本人は、この生活を生き延びさせるために、東日本を切り捨てることになるのではないかと……ロシアは、燃料の供給を申し出ている。北方領土の開発で天然ガスパイプラインがひかれ、米ソ冷戦体制時代にドイツや朝鮮が分割支配されたように、東日本はロシアの傘下に、西日本は中国の傘下に、となりうることもあるのだろうか? 韓国などの新聞には、阪神大震災のときと違って、すでに日本は世界経済の15%ほどしか占めておらず、影響力はなくなっているので、ひどくはならない、と報道されたりもしている。ならば、見捨ててもかまわない、というのが政治世界なのか?

しかし、この地震が、日本一国のものではないのではないか、という科学者の意見発表もあいついでいるようだ。日本列島が2.4メートル動いた、とか、地軸が12cm動いた、とか。韓国の研究者は、とりあえず自国の火山活動に異常はないので、これから日本のそれを調べるとも報道されている。太平洋プレートの影響で大陸プレートが影響して長野と新潟県で地震がおき、ならばフィリピンプレートでもあるのではないか、富士山が爆発するかもという研究者もいる、とか友人と話し合ったあとの昨夜、事実フィリピンプレートを震源とする東海地震があって、富士山周辺が揺れている。気象庁は、既知の範囲ではいわゆる東海大地震とはちがうが、ほんとのところは、そのメカニズムはわからない、と地震直後の会見で述べていたようだ。今おきていることは、人間の活動のことになど全く関知しない、地球レベルの周期変動なのかもしれない。温暖化で極地での氷が融けている、という話しも、実は人間がだす排気ガスなどまったく関係がないのかもしれない。ほんとうにそうなったら、入院中読んだ『神々の指紋』や、退院してからレンタルしてみた映画『2012』みたいな話しになってしまうのだが。

とにかくも、次は、この災害時の子供の情況と教育について、書く予定です。

2011年3月13日日曜日

自然と世界史


「ここでひとつ興味深いのは、なぜ人類が、この物資と出会ってから五万五千年もの間、金は貴重だという考えをほとんど起こさず、このわずか五千年の間にそう考えるようになったのかである。」(『先史時代と心の進化』コリン・レンフリー著 ランダムハウス講談社)

木から落下している最中の記憶が、トラウマ的なフラッシュバックとしてよみがえってくるのに気味の悪さを覚えていたのに、一日中余震にゆさぶられている今は、揺れてもいないのに揺れていると錯覚してしまう船酔いのような気持ち悪さの方が強くなってしまった。テレビで壮絶悲惨な映像をみるにつけても、元気がなくなってきてしまう。このブログを今日書いてみようとおもったのも、そんなことではいけないと、自分を励ます意味もある。9.11からアフガン戦争へ向けての動きのときもそんな脱力的な気持ち悪さを味わったが、ナショナリズム的な感情があるのか、そのときの情緒を超えている。

大地震まえは、在日献金問題をめぐる前原前外務相の辞任劇から菅首相へと飛び火した件と、前沖縄総領事メア米日本事務部長の発言問題の件について言いたいことがあったのだが、変更せざるをえない。というか、この大地震の悲劇が、そのような人為的な問題をなくして解決してしまうことはないだろうので、それをうやむやに誤魔化すことでさらに悪化方向で進んでいくかもしれない世界史的な流れ自体をふまえて、と、より大きな枠組みの中で言い換えざるをえなくなったのである。

たとえば、現在報道中の福島原発からの放射能もれにまわつわる件にしても、おそらくこのことで、たとえ世界的に原子力エネルギーへの反対の声が高くそれが議題にあがるようになっても、日本の自然史的事態が世界史の趨勢を変えることはおそらくなくて、むしろ、その流れ=利権・権力体制をかたくななものにしてしまうだろう、ということだ。クリーンなエネルギーとしてエコロジカルにその推進と海外への日本技術売り込みを測っていた民主党(日本)の営業力は喪失されるとしても、その失墜に乗じた他諸外国が、談合的にしのぎを削ることになるかもしれない。田中宇氏の世界記事をみると、この地震まえの事件として焦点をあびていたのは、中東でのイスラム化、それと関連したイスラエルでのアメリカの影響力の低下、アメリカ国内でのドル離れから州単位での金本位制的貨幣の構築、中国元の国際決済化容認とそのフィードバック政策としての金の買占め貯蓄体制への移行、日本がロシアと手を組んで東アジアで経済活動し中国を牽制しろとのアメリカの遊動発言に対する日本の自立的対応策のなさ、などである。つまり、この地震は、よりアメリカを頼りとしてしまう日本の旧世界史的資本体制への反動を導いてしまうように機能するだろう、ということだ。国内政党的には、一度選挙で失墜した旧勢力が連立反動的にでてくるかもしれない。選挙支持基盤が被害地域県になっている小沢氏がどう対応してくるかが、それに抵抗する動きとして、より注目をあびるという事態も考えられるかもしれないが……。

私は、前原氏の辞任劇に際し、せっかく頑張れと献金したかもしれない「おばちゃん」はどうおもうのだろうか、ということだった。人間関係を、政治関係が裏切った、という話しではないか? だとしたら、なんと悲しいことか。法律の主旨は外国からの影響力を防備するためということで、その本源的な意図には抵触していないようなのに、なんで簡単に前原氏は辞任してしまったのか、と私はおもった。潔癖をたもって次期総理をにらんで、という意見もみられたが、そんなていたらくな政治レベル、というわけでもあるまい。そして菅首相も、ならば……とジャーナリズムでの批判体制がつづいていった最中での地震だったわけだが……。私はこの批判体制と、メア氏への沖縄人の反発に迎合する日本(大和)側のジャーナリズムの批判体制は重なって見えた。在日や沖縄の人という当事者の影に隠れて、つまり自分の保身を確保しながら相手を批判しているような感じである。しかし、前防衛省事務次官守屋氏も、沖縄人に対し似たような視点をとって対応していたのは、氏の退職後の著作でもほのめかされたていたことではなかったろうか? 大城立裕氏の『小説 琉球処分』では、この大和人と沖縄人との間での、お互いが「わからない」ことからくるすれ違いのことが幾度もくり返される主題の一つであるようなのだが、その相互非理解は、「けっきょく、弱い者は、そんなとぼけかたで急場をしのぐということなんでしょうね」と明治官僚の認識によって要約されているのかもしれない。日本(沖縄)人が建前でアメリカをのらりくらりとかわすのに対し、アメリカが露骨に正々堂々とものがいえるのは、単に強い権力をもっているから、というより一般的な権力構造からくるのであって、なにも文化的な違い、ということではない、ということだ。メア氏は自身の発言を「オフレコ」としたかったようだが、「オフレコ(記録しない)」と「本音」とはちがうのか? それが違うといえる馬鹿馬鹿しさに居直れるのも、アメリカ側が強いからか。実際、グアムの移転処置にはいっているのに、堂々とお金ほしさにまだ沖縄にとどまるといいつづけるのは、まさに人をなめきった堂々さだ。本音も建前もない。明治政府も、「琉球」に対し、結局は強行的に「処置(日本構造改革)」の推進を断行した。メドベージェフ大統領は、ロシアの農奴改革を祝う講演で、改革はいつもこう批判されて邪魔される、そんなことをしたら社会が混乱すると、しかしそんな批判(のらりくらり)を乗り越えていかなくてはならないと。

命拾いした労災による骨折を契機に、私が次ぎの手(アイデア)をほのめかしただけで、実家は混乱した。父はアル中を高進させ、兄はおびえ、弟は疑心暗鬼し……私は、だいぶ腹立たしかったが、改革を断行しようとはおもわない。私は、自分のできることなど、たかがしれているとおもっている。しかしこの優柔不断さは、旧世界史構造(アメリカ)から抜け出せない日本人的なものと、同等ということなのだろうか? しかしこの地震で、日本はより取り残されるだろう、落ちこぼれるだろう、しかし、そのことは、わるいことではないのではないのか? 他国が原発を推進しようと、自ら降りて次の道を、違う方へゆくべきだ。むしろこれを契機に、世界史の構造からドロップアウトし、遅れてきたものが先に出る道と技術を模索すべきだ。それを「のろまで怠慢」と批判する権力構造は強くなるかもしれない。しかしそんなことを気にすることなく、ひとつひとつ、われわれを襲った人為の瓦礫を取り除いて進むべきだ。私は、そう考える。

2011年2月28日月曜日

落下2――森と自由


「政治的エリートに属する人が自分で自分を選択するとすれば、それに属さない人は自分で自分を排除していることになるからである。このような自己排除は、恣意的な差別どころか、われわれ古代世界の終わり以来享楽している最も重要なネガティブな自由(リバティー)の一つ、すなわち政治からの自由に、本当に実質とリアリティーを与えるものであろう。」(ハンナ・アレント著『革命について』 志水速雄訳 ちくま学芸文庫)

「植木屋が木から落ちるのは当たり前だ」と父は言ったそうだ。そのとおり。しかしつづけて、「そんな仕事についているのがわりいんだ」と言うのには、うなずけない。単にそれは、差別だろう。父、そして母もそうだが、私が大学に通うために上京し、卒業して植木職人をやっているということを、親戚や近所の人に言うことが恥ずかしくてできないのだ。それは禁句になっているようだが、私が親戚に「何やっている?」ときかれれば、平気な様子で「植木屋」と答えると、父母は渋い顔にうつむくが、驚いた表情をみせた親戚はすぐにも「それはいい仕事だね」と応じてくる。もともとは村長をやっていたような家系であっても、田舎の人たちは自らが土をいじってきているので、本来は違和感は生じない。ただ子供の頃ヤギの乳搾りが仕事だった父も、そして県下の進学高校を卒業した私も、そうした世界から離脱して官僚的なピラミッド・コースに参入したはずだという世間体があるので、それを崩してくるような現実を隠そうとする習性がでてくるのだ。しかも、父母がもっている植木屋のイメージはよくない。かつて、父の勤め先の大学や理事長の邸宅の庭手入れをしている植木職人に、自宅の角に何を植えたらいいかときいて言われたとおりヒマラヤスギを植え、それがでかくなりとんでもない目にあったこととか、松の手入れをしてもらったら、それ一本で何万円もとられたとか、で、口達者な者のインチキ仕事なんではないかと思っている。去年、私の職場が新宿区のケーブルテレビで紹介されて、そのDVDを両親にみせたら、私と一緒に仕事をしている職人さんが、まさに理事長宅出入りの職人とそっくりな北島三郎似のものだから、やはりいかにもな、という受けとめ方をしたようだ。私はその偏見を否定しはしない。実際、職人世界は卑屈な閉鎖性で世間と対置し自己を守ってきていることが見られるからである。誤解されてもしょうがない。値段ひとつ、オープンにしない風潮がなお残っている。しかしそう堂々としない(――本当は堂々としたほうが受けはいいのだが、それに伴う対処の仕方に知恵をまわすことを怠ってやろうとしない。)のは、そうもできない過去を背負っている、まさに差別の現実があったからだと、これまた了解しえるのである。しかし、自由競争的な市場原理は、オープンでないものを淘汰していくだろうから、そんな不要な差別は解消されていくだろう。つまり両者の溝は、自然的に埋められていくだろう。が、それはあくまで、市場経済的な形式上でのことである。問題は、その向こうにあるのだ。

私が見た感じでは、経済構造上の転換が、ヒトの身体的な価値観を即応的に変えていくようになるとは思えない。私のプチブル的な育ちは、国家(官僚)主義的なヒエラルキーと、それに結びついた給与体系をもった資本(市場)主義の価値観を注入(教育)してきたけれども、私がそれを自己否定するとき、私は根本的に破壊され尽されるわけではない。まだ正確にはわからないけれども、16歳で自己懐疑的に発病した私は、7歳から15歳までの自分を打ち消して、それ以前の、記憶としては思い返せない幼児期の価値観を取り返そうとしているのである。
外務官僚だった佐藤優氏には、次のような発言があるが、私がやっていることも、そのような「文学」的な営みである。

<私の著書の中でまともなものは、二〇〇二年以前の回想だけです。要するに、時間がそこで止まっていて、過去に経験したことをどうやって自分で納得するかというのが、残りの人生の課題だと思っているのです。さまざまな「トランス」をしながら、そのことについて考えている。>(佐藤vs柄谷「国境を越える革命と宗教」『中央口論』2011.1月号)

フランスの詩人ランボーは、「時計がとまった」と言った(『地獄の季節』)。私も、16歳で時計がとまっている。それ以降は、余生なのだ。身を切るような。記憶のない幼児期を回復する運動思考といっても、それは病気になり、官僚路線から脱落し、仕事もせず、そして木から落ちる、という営みとして現象してくる。しかしこの余生があったおかげで、私は人生のはじめから官僚路線に参入していることから排除され自身でもそんなことを思いもつかない庶民階級的な価値観を見ることができたのである。いや正確には、私自身子供のころの遊び相手は、石屋さんや農家のせがれ、そして近所の工場勤めの息子たちであったから、学びなおすことができたのだ。そこは、卑屈な閉鎖性でガードされているとしても、そこにある価値は、官僚・市場的なものよりも人間的であり、マシである。つまりベストではないかもしれない。しかしマシであることを認めることからはじめることは、ヒトが自由であることを認めること、その価値を理念的に前提としていくという思想の営みなのだ。どういうことか?

とにかく動けないので、一日中椅子に座って、本を読んですごしている。午前中は、国家試験になっている「森林インストラクター」の試験問題集などを勉強している。森林知識的なものはいいとしても、そこでのレクリエーション活動知識とかとなると、官僚たちが相当無理して作った問題だというのが見えてくる。山(森)での集団的な活動には、自然と自分との関係、他者と自分との関係、そして自分自身との関係を考えさせてくれるもので、ゆえに余暇を超えた生涯教育的な良き推奨に値する価値、なのだそうだ。事実そうだとしても、それをだいだいてきに、つまり上から教えるとは、そういう啓蒙の仕組みを作るとはどういうことなのか? 息苦しい話しだし、実は子供は、そんなお膳立てされた経験からは何も記憶しない。あるいは記憶されるものは、その啓蒙とは違ったものになろう。あるいは、最近では大企業が森林保全の活動広報にだいぶ参入しているし、地域復興と結びついたNPO的な活動も盛んになってきているようだ。すでに余生を生きているような私からすると、こんな雁字搦めでは森(山)にはいっていく気がしなくなる。山(森)がいいのは、それがアジールだからではないのか? つまり、そこに自由があったからではないのか? 世間からも、法からものがれて、その庇護からも離れて。事実的にはすでにその山林の所有権が制度化されているとしても、発想の、思想の自由として、その身体的な自由の余地が現今の思想から排除されていく傾向があるのは、ヒトの生活を行き詰まらせないだろうか? 病院のベッドにずっと寝かせられていると抜け出したくなる身体の自由は、森から抜け出したサル=ヒトの集団の、その価値の習性であるかもしれないではないか? 国家官僚制と定住の技術体系が結びついているとしたら、そのたかが1万年ほどで形成された価値よりも、数百万年とつづいた遊動の生活の価値観のほうが、身体的に根強いのではないだろうか? さらには、この性懲りもない習性=自由を、たかが数百年の市場(資本)主義の価値がくつがえせるわけもないのではないだろうか? ならば、われわれは、この自由を認めるところからはじめるほかはないのではないのか? それが、より自然に、その観念に近く、近づいていく、回復していく運動思考なのではないのか? すでにわれわれは、そんなサル=ヒトの幼児期のことを思い出すことはできないけれども。

2011年2月18日金曜日

落下――天罰・守護霊・人


「今、明白な事実として、人類の一回性を例にあげたが、天地創造の世界観にあっては、天地万物、空間から時間にいたるまで、神によってある時創造されある時終る、一回限りの現象として認識されているのであるから、そこでは、人間以外のすべての現象についても法則の存在は不可思議になるはずである。/天地創造の世界観を持つ欧米の学者も法則の追及をしているから、証明とか法則とかいった問題は、人類共通の問題であるようにも思えるが、日本の学界の、法則定立への強い志向、証明ということに対する信頼ないし幻想は、目にみえている範囲のことをきちっと組み立ててゆく森林的思考方法に、よりなじむためであると考える。森林のなかでは時間は無限であり、万物流転、すべてのものはくり返している。目にみえないところまで、いずれ、きちっと、知識が積み上げられてゆくであろう。森林の学者はこう考える。/砂漠の学者は、世界は認識しきれないという前提から出発するから、私にはこうみえると主張するだけで、その「証明」は本質的に必要ではなく、ただ、他への伝達の手段として「証明」を利用する。」(鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』 NHKブックス312)


退院してきて3日ほどたつ。作業中に木から落っこちて、かかとを粉砕骨折。20メートル以上あるイチョウの木の下枝10メートル近くのところから、気付いたときは落下最中だった。すでに30メートル近くある銀杏並木を手入れしはじめて三週間目、その頂上にいながら、すでに注意力の忍耐が神経疲労で切れていることにはきずいていた。真下は保育園送迎のママチャリがいったりきたり。月曜日で調子もあがらず、労災が月曜日に多いのもうなずけるな、この木の手入れが終ったら10時の一服を長めにとって、なにか違った手を打たないと危ないな、と思い巡らしたりもしていた。相棒は二日酔いだったので、すぐに樹上から降ろして歩道のガードマンをやらしていた。まだ切りおわりもしないのに、「もう10時ですよ、速いですね、きょうあと三本くらいいけるんじゃないですか。」などと他人事のようにほざいてくる。怒るとなおさら集中力が鈍るので、一服のジュースを買いにいかせ、ために私が落ちたときはマグドナルドにいたのだった。一通り枝おろしがおわり、切り枝のひっかかりをとりにまたハシゴをのぼっていって処理したその帰りだった。枝からハシゴのほうへ降りようとしたそのとき、まだ枝が木にひっかかっているのじゃないかと、ふと魔が差したように上を見上げてしまったのだ。降りようとしながら上をみる、同時に二つのことをしてしまうというケアレスミス、普段ならやるはずもないことを、すでに注意力の切れていた状態では無意識のうちにやってしまうのだろう。空がまわった。目まいのように。手は中空をひとかきあえぎ、下をみると、コンクリートの屋根が迫っていた。あすこに頭を打ち付けて、後にそっくり返って死ぬ、そんなイメージが静かに浮かんだ。が次の瞬間、何かが起こったのだ。気付いたときは、地面側に倒れていた。足と肩に痛みがあるが、首がまわる。半身不随じゃない。意識がしっかりしている。携帯電話をだして相棒をマクドナルドから呼び、元請けの社長に電話をかけると旅行宴会中なので、会社にかけかかりつけの病院へおくってもらう手配をする。それから親方にかけると、なんで落ちるんだ注意しろといっただろこんな小さな会社が事故をおこしたらどうのこうのと長い説教がはじまる。そのうちに、元請け社長の息子と二日酔いの相棒が現場に到着する。二人に抱き起こされて病院へむかった。事故原因は? 目先の売り上げとその場しのぎ重視のため、若手育成のノウハウを思索せず、少数のできる者に危険仕事を押し付けっぱなしだからだ、落ちたのは私だけではない。落ちてみて、そういうことだったのかと改めて気付く。しかし私は、そんな馬鹿馬鹿しい世俗のわかりきったことになど、興味がない。しかし、都会のど真ん中の高木を、機械がはいらないため人力の木登りで切っていく仕事とは、いままでの歴史にはない、新しい作業である。その手仕事の新しさのこと、その馬鹿馬鹿しい弱者への押し付け処理を、だれも気付こうとしない。ならばそれは、見殺しということになるのである。実際、私の落下を、バス停で待つ人たちは目の前(上)でみていたのだから。

何がおこったのだろう? 本当なら、死んでいてもいいはずなのに。いや仕事柄、いつ死んでもいいように、子供には遺言めいた言葉をいつも残していて、女房にもヒステリックになって子供と喧嘩(教育)するのは逆効果だからもっと信頼しろ、といっている。自身のホームページでも、仕上げする前にこんな怪我をしてしまって、怪我後すぐにアップした一希との共同作『サンタさんへの贈りもの』も、遺書みたいなものだった。しかし本当にそうなるとは……松葉杖で帰宅後、私は机の下をみた。あの事故を起こした日の朝、私が仕事へいこうと食卓を立ち上がったそのとき、はらっと落ちたものがあったのだ。机と壁の脇に、私はそれを見つけだした。去年のぎっくり腰のさい、座位したところから窓の外にみえた欅のてっぺんの枝ぶりを、デッサンしたものだった。また私は、あのイチョウの木の下枝を、前回の作業終了まぎわの時間調整に切ってその片付けが終ったさい、聞いたこともない小鳥の鳴き声を頭上にきいた。その姿を探したが、甲高い鳴き声が中空に響いているだけだった。そして私は、この二つの小さな出来事を、不思議な気味の悪さとして感じ、覚えていたのだった。私は、机の下から欅のデッサンを手にしてみたとき、だからはっとしたのだ。兆しがあったのではないか? 私の身に迫る危険のことを、教えてくれるものがいたのではないか? そしていざ本当にその危険が発動された最中、私を助けてくれたものがいたのではないか? あちこちにある痣や擦り傷から推理すると、私は落下途中、ズボンの脇ポケットのタオルを入れた膨らみが、ハシゴのつなぎ目にひっかかり、20cmくらい体の向きがかわったらしい。ためにコンクリの平屋根をかろうじてかわして、そこには肩だけが激突し、体が一度ハシゴにのってから、植え込み地側の地面へと跳ね落ちたのだろう。私を落下地点とは反対のほうへひっぱる力が働いたのだ。

一瞬のふとした人間のスキやミスにつけ込んで介入してくる何か、私はその動きを、神とか自然と呼ぶ。職人や、スポーツの世界では、この感覚は日常的なものだろう。それは常に復讐であり、天罰的なものだ。食物連鎖のある生物界はむろん、人の世界(存在)それ自体がなんらかの齟齬・軋轢なのだ。しかしそれでも、その天をなだめるかのように、仲介にはいってくれる存在がいる、いるらしい。世間ではそれを精霊とか守護霊とか呼んでいるけれど、ニヒリストの私には憑いているものではないとおもっていた。しかし私の身の回りにも、私を見守ってくれているそんな霊たちがいるとしたら? だとしたら、私に何をしてもらいたいというのだろう?  ……むかしアニミズムの世界では、そう自然からの意味を読み取って、自分(たち)の物語を構築し、そのことで生と死の充実を図っていた。物語(先)を構築できること、その意志を持てること、それが人間にとっての希望であるだろう。閉じこめられた洞窟で、一じょうの光がさすとき、そこの穴をこじあけていけば外にでられる、と物語=希望が想像されてくるように。私は身の回りから、どんな意味をすくい上げて、霊に答えるような共同の物語を、希望を作り上げていくことができるだろうか?

実家からは、「植木屋やってれば落ちるのは当たり前だ、そんな仕事についているのがわるいんだ」と父親がほざいているのがきこえてくる。そう伝えてくる兄は私が構築しようとする物語に怯え、俺は病人だからとあとずさりする。親兄弟は、怪我人のもらした一言にパニックになる。仕事より大切なものがあるではないか? 身近な雑音は、退院してきた私を混乱させる。生活することではなく、生きることそれ自体の……春一番になるのか強い風が、ベランダの洗濯物を竿ごとふきとばし、空を割るような高い音をたてて、いま落としていった。

2011年1月9日日曜日

子孫へ


「チンパンジーやゴリラが一日のうちの長い時間を毛づくろいしながらすごすように、初期人類は彼らの原初的な言語を使ってムダ話を楽しみ、あるいは、気のきいた挨拶を交わして緊張を解消し、棒で殴り合うかわりに言葉で殴るといったことのために使うのである。そういった言語がやがて適応的な意味を持つようになったのは、生まれ故郷の熱帯を離れ、狩猟に大きく頼って暮らし始めた人類の歴史の後期になってからのことであろう。その後の人類史において、「仕事をする言語」はしだいに成長し、そしてついには現代日本の社会では、「安全保障の言語」が「仕事をする言語」のあまりの肥大膨張と過大な評価によって、急速にその力を失いつつあるように思える。教室や家庭における暴力が社会問題化しているが、「安全保障の言語」の衰退の徴候と読めはしないだろうか。(西田正規著『定住革命』 新曜社)

夜はいつも8時すぎには床につく。仕事で疲れているときは、7時には寝ている、ときが月に何度かはある。今日も、正月休みの年明けに欅の高木に登って作業をしていたので、8時には寝入った。本当に疲れていると、朝まで起きないが、精神的に何か心配事でもあると、夜半に目覚めてしまう。そして、それから寝付かれない。今夜もそうだった。おそらく、実家に帰って、親しくもおぞましきもの、に触れてきたからだろう。たしか去年の最初のブログは、「初夢」と題して、精神分析的な夢の解析を記述したかとおもう。昨夜は、なぜか目覚めた後、「子孫」という言葉を思いめぐらし始めていた。……年明け早々、自転車に乗った息子の一希がタクシーと正面衝突しそうになり(年末に友達の一人が事故にあって大怪我したときかされたばかりだった)、川崎大師へ元朝参りにいった祖父母から「交通安全」のお守り(――私が両親に頼んだのだった――)をもらったばかりだった。「あぶない!」と叫んだとき、そしてそのあとにきた感情。また私と一緒に社会運動に参加した若者が、できちゃった結婚をするときいたのも年末だった。そのとき、私は女房と結婚すると伝えることになったときのことを思い出した。すでに腹の中に子供がいると知ったのは、新婚旅行で香川県の石切り場(山)へ登った後からのことだったが、そう決断したときのあがきのことを思い起こした。性欲などおよびもつかない生存欲、本能、一人じゃだめだもちこたえられないという直感、底から突き上げてくるもの……自分が、こんなにも生きたいのか、そんなおそるべき力があったのか、と自身で驚いたのだった。サッカーの岡田元日本代表監督が、W杯出場をかけた絶体絶命の危機にあって、人類が生き延びてきた遺伝子のスイッチがはいったような、と表現していたが、そうインタビューでの返答をきいたときも、私はあの自身の本能のことを連想した。……おそらく、そんな年末から年始においての生活が、疲労のあとの不眠のなかで「子孫」という言葉を想起させてきたのだろう。帰省中に、群馬の山奥に追いやられた織田信長の子孫の墓を見に行ったのも関係しているかもしれない。

子供をもってはじめて、悲しみ、というものの深さのことがわかる気がする。死んだら、と想像するだけで、身がひきちぎられる痛みを覚えるくらいだ。人間の歴史とは、この「悲しみ」の連続であることをおもうと、またそれが歴史であるかぎり、自分ひとりではない他の人との共有であるのだから、それを知るとは、知ることができるには、この「悲しみ」を知っていなければならないことになる。というか、実際の子供の死と隣り合わせの生存の傍らにいることで、なにか人類の歴史、といったものをより深く考えるようになってきたのだった。しかし、冒頭で引用した西田氏が「定住革命」で述べるように、400万年以上の人類の遊動生活の間は、死体は置き去りにしていけばすむものだった、定住するようになったこの1万年ほどにおいて、それを埋葬して物理的に処理し、それが及ぼす精神的な処理も葬儀(宗教)として必要とされてくる、とするなら、私の悲しみも、400万年分の1万年分程度の話なのだろうか? といっても、サルでも親しいものの死への悲しみに沈んで、朽ちていく死体のそばでずっとすごしていた、という事例も観察されているようだが……。

このブログを、私は古本屋の店主からCDコピーしてもらった小林秀雄の講演をパソコンで聞きながら、同時に打ち込んでいる。演題は「考えること、信じること」となっていて、たまたま、本居宣長がおもう「考える」とは、「まじわる」、「つきあう」ということ、「信じる」ということに近いのだと、母親が子供を育てることを例にして述べている。親は子のことを一目でわかってしまう、それは長いあいだ、ずっと一緒にいて考えてきたからだ、と。歴史を知る、ということも、そういうことなのだ、と。まだバブル期の頃だったろうか、文芸批評家の小林氏を超えてと登場してきた柄谷行人氏は、子供に財産など残さず自分で使い切る、と思想的な宣言のような発言をしていたときがあった。いまは、「未来の他者」のことを、手段だけでなく目的としても扱え、と言うようになったのだが、その「未来の他者」には、自分の子孫のことは入っていない、ということだろうか? 子供が大きくなるにつれ、この野郎、なんでおまえはこんな奴になって……と否定的な見方へ傾いていくものなのかもしれないが、いまの私には、実際には残せるものなど何も所持していなくとも、何か残していきたい、このブログが考えることや生きるヒントになるだけでもいい、そういうものだけでもいいから残しておきたい、と切に願っている。

2010年12月25日土曜日

大事なもの

「サッカーを教えているだけでは、選手は育たない。教えるよりも「気付かせる」ことです。選手自身の口から、答えを言わせること。指導者が言ってはいけない。気付かせれば脳細胞が増えて、「こういう場面はこうしよう」と自分で判断するようになる。/プジョールのような選手を育てていかなければ、彼のような謙虚さや優しさがなければ、世界チャンピオンにはなれない。戦術を植えつけるだけではない。もっと大事なものがある。/問われるのは人間としての芯の強さ。いまここで、何をするべきかを感じ取る力。サッカーを教えているだけでは勝てない場所なんです。」(山本昌邦・戸塚敬著 『世界基準サッカーの戦術と技術』 新星出版社)

公園サッカーを卒業し、地元に根付いたクラブチームへと入部した一希。地区のフットサルに近い大会でさっそく2年生にまじってプレーし、6試合4ゴールを決めて準優勝。それでも悔し涙を浮かべて泣きじゃくるのにびっくりする。そして今朝も、「サンタさんが来なかった!」と、泣きわめいていたのを後に、私は仕事へと向ったのだった。「いっちゃんには、サンタさんは来ないといったでしょ。だって、もう知り合いのじいちゃんからメッシのユニホームを買ってもらって、夢がかなったじゃないか? サンタさんは、世界中をまわって忙しいんだよ。おもちゃをもらえない貧しい人から平等に配っていくんだよ。」と、適当なストーリーを言い置いて。「こんなユニホームなんかいらない! ぼくは、人生ゲームがほしいんだよ! きょうのサッカーになんかいかない!」、と叫んでいた一希の具合がどうなっていったのかは知らないが、どうにかじいちゃんに買ってもらったバルセロナの10番を身につけて、河川敷の練習場には向ったようだ。というのも、子供の報告では、ママが練習中にあれこれと声をはりあげて指示をだすので、コーチから黙るようにとイエローカードをもらったということだから。そのうち、レッドカードにかわるだろう。

しかし、人のことはともかく、私はどうするか? 「いまここで、何をするべきかを感じ取る力」をもっているか? いや、感じ取ってはいるだろう。具体的なアイデアもある。仕事(サッカー)よりも、「もっと大事なものがある。」とは、w杯解説者だった山本氏の言うとおりである。あとは、人を説得し、勇気をだして実践にうつすことなのかもしれない。自分の認識が、間違っているかもしれない。他の人は、そう揚げ足をとって保守するだろう。自分の想像(創造)は、単に前方への保守であり、作家の村上龍氏ふうにいうならば、「成功のためではなく、生き延びるため」の方策なのだが、それが前方に投げかけられるかぎり、生活を変える変革としてうつるだろう。いや具体的に、子供を犠牲にしてしまうことになったら? まあもうっちょっと、一希が大人に近づけば、というところだろうか? サッカーの試合をみていても、2年生にもなると、試合の流れをみて、ポジショニングや攻守の切り替え判断ができるようになるらしい。一希はそんな先輩からストライカーとして認められて、ボールだけを見た連動で前線に飛び込んでいくけれど、来年には全体的な判断力が培われるようになるだろう。女房が、黙っていれば。……