2016年11月19日土曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と

林羅山の子々孫々の墓

日本が、「直系家族」的な家族人類学的類型の価値イデオロギーの中に在る、と言われても、その価値がどういうものなのかはわかりにくい。今月の『文芸春秋』12月号の、トッド氏と磯田氏との対談は、その家族的枠が、どう価値的に社会に作用してくるかの具体例にふれているので、メモしていく。その価値は、日本の社会思想史の文脈からみたら、どこか追認的な懐かしい見解にみえる。中根千枝著の『タテ社会の人間関係』、村上 泰亮著『文明としてのイエ社会』、あるいはその日本的伝統なるものを批判的に論じた関ひろの氏の『野蛮としてのイエ社会』などを連想する。その発想枠の源典には、丸山眞男氏の『日本の思想』や、最近都知事の小池氏の紹介で話題になった山本七平氏の『空気の研究』などもあげられるかもしれない。要は、敗戦を受けての反省から、ムラからでよ、という主体的・意志的なイデオロギー価値の提出へとつらなっていく系譜。ただトッド氏の見解が違うのは、これまでは日本の特殊性の主張に収斂していく閉鎖的な議論だったが、その我々の固有的な価値が、実はもっと大きな世界史的な文脈に通じていることを前提にしていることだろう。そこから、実践的な方策を考えていくにも、現状から出る、という個人主体を問題とするというよりも、他の家族類型からくる価値とのバランス、集団的な調整を趣向しやすい。それはだから、地政学的なリアル・ポリティクスと親近してくるようにみえる。トッド氏が、中国という共同体家族的な価値を中心とするアジア地域において、日本の核武装の必要性(バランス)を喚起させるのも、そのような地政学的な均衡=平和という、現実主義以外の発想をとり得ない学問的な枠組みがあるからだろう。そこが、双系制(≒核家族)を遡行的なユートピア=統制的理念として握持する、「世界史の構造」の柄谷氏とは違ってくるポイントだ。しかし、トッド氏も、文明的な共同体家族の価値イデオロギーに反動的にその地域に固有的な家族形成が発生してくるというのだから(母系制は父系的な価値への反動として出来するとされる――)、潜在的には、フロイト的な回帰理論、抑圧された心理の永続性、持続・反復性を認めているのである。おそらく、それを理論的には排除しているので、「反動」における動きを理念型的に捉えてみようとするような問題自体が発生してこないのだ。

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トッド 天皇家は、直系家族、つまり日本的な「イエ」とは異なる何かです。明治期の法制化で天皇家にも直系家族的な「男子長子相続」の原則が適用されましたが、本来の天皇家のあり方からすれば、あまりにも人工的な措置だったようにも見えます。
磯田 その通りです。天皇家が日本の家族システムと決定的に異なっている点がひとつあります。それは現在に至るまで、婿養子をとったことが一度もないのです。近世以降、日本の家族には二割五分から四割は婿養子が存在します。婿養子をとるのは血縁の継承よりも、家名の存続に重きを置いているからだと思います。…(略)…
トッド (世界的にみると)直系家族は血統が何代も長く続くことには重きを置いていません。血統よりも、プラグマティックに家業の継続性などのほうが重要だと考える傾向にあります。」(エマニュエル・トッド/磯田道史「日本の人口減少は「直系家族病」だ」『文芸春秋』2016・12月号)

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<双系制は、家の血のつながりから独立させる。このことは、柳田がいう固有信仰の特性とも関連する。固有信仰では、父系と母系は区別されず、いずれも先祖と見なされる。しかも、このことはたんに、両方を先祖にいれるにとどまらない。むしろ、先祖を血縁と無関係に考えることになる。たとえば、血のつながりがなくても、何らかの「縁」あるいは「愛」があれば、先祖とみなされる。逆にいうと、養子制度が一般に承認されたのも、このような先祖観があったからである。日本では「遠い親戚より近い他人」という考えが一般的である。それは、祖霊に関してもあてはまる。「近い他人」が先祖となりうるのだ。>(柄谷行人著『遊動論』 文春新書)


トッド 日本はドイツと同じ家族システムの国ですが、ひとつ違う点は、イトコ婚(イトコ同士の結婚)の存在です。ドイツのイトコ婚は、ほぼ皆無ですが、日本では歴史的に許容されてきました。第二次大戦直後でも婚姻全体のうち七・二%です。イトコ婚は同じ親族グループ内での結婚(内婚)なので、社会の閉鎖的・内向的な傾向を示すものと考えられています。…(略)…イスラム世界だとイトコ婚は三割ほどを占めるのに対して、ドイツのようにキリスト教文化圏は内婚を厳しく排除します。そう考えると日本の内婚率は、ユダヤ民族と同じくらいの割合ですね。…」(前掲書)

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<神が人を愛する、というような考えは、呪術や自然信仰から来ることはない。ゆえに、それは先祖信仰から来るというほかない。もちろん、先祖信仰がそのままで普遍宗教となりうるわけではない。そもそも、先祖信仰は限られた氏族の間でしか存立できない。国家社会は、多数の氏族神を超えた超越的な神を必要とする。神の超越化は同時に、祭祀・神官の地位を超越化する。神の超越性は、専制国家の成立とともにさらに強化され、世界帝国はその極に達して、「世界神」が生じる。
 だが、それが普遍宗教かといえば、そうではない。そこには「愛」が欠けている。つまり、神が人を愛する、および人が神を愛する、という関係が存在しない。セム族の宗教、すなわちユダヤ教にそれが存在するのは、そこに、先祖信仰が回復されているからだ。もちろん、それは先祖信仰のままではない。ここでは、先祖信仰がいわば”高次元”で回復されているのである。ゆえに、先祖信仰を否定すれば、普遍的になるというのは錯誤である。>(柄谷前掲書)


トッド …ヨーロッパでも日本におけるのと同じように、直系家族は、数世紀という長い時間をかけて、ゆっくりと定着していったのですが、知識や技術の伝承に長けている家族システムなので、これが広がる過程で社会が飛躍的に進歩します。直系家族とは、継続性と柔軟性を兼ね備えたダイナミックな社会なのです。
磯田 家を継ぐ長男以外は、外に出て仕事を見つけなければなりませんから、直系家族は、近代化に不可欠な工場や軍隊を作るのに、とてもマッチしています。
トッド ところが、直系家族がいったん完全に確立してしまうと、今度は社会全体が継続性だけを重視するようになり、やや「化石」化の傾向に陥りがちなのです。先ほどのスクラップ&ビルドが苦手という話を聞くと、磯田さんは直系家族にあまり肯定的ではないようですが?」


磯田 さらに興味深いのは、組織を守り続ける直系家族社会の中で、”破壊者”の役割を担ったのが、薩摩を中心とした西南日本の勢力だったことです。明治維新を引き起こした革新的エネルギーは、薩摩をはじめ、佐賀、長州、土佐といった中世的な様相を残していた地域から生まれました。
トッド 直系家族というシステムは、核家族がいわば進化した新しい形態なので、それよりも古い原初的な家族システムの残滓が、そうした地域に残っていた可能性もありますね。…(略)…日本の社会が、秩序を重んじる直系家族によって固定化してしまったとき、それを打開するために薩摩の人たちが、あるいは薩摩風の人たちが無秩序というか、フレキシビリティを発揮するのですね。それは直系家族より前に存在した、原初的でアルカイック(古風)な家族システムによるものかもしれません。 
 普段、日本人は非常に規律正しく礼節を重んじる民族ですが、と同時にもっと柔軟で、「自然人」とでも言うべき奔放な側面も併せ持っている気がします。同じ直系家族のドイツやスウェーデンで「自然人」を見つけようとしたら、もっともっと深く地層を掘り返さないといけない(笑)
磯田 なるほど。丸山真男が言うところの「古層」のようなものでしょうか。」

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<私の考えでは、柳田のいう固有信仰は、出自によって組織される以前の遊動民社会にもとづくものである。母系であれ、父系であれ、出自による集団の組織化は、定住段階に始まった、と考えられる。定住とともに、多数の他者との共存、さらに、不可避的に生じる蓄積、そして、それがもたらす社会的不平等や対立を、互酬的な縛りによって抑えるようになった。だから、そこには、愛があると同時に敵対があるのだ。
 ここから見ると、柳田国男のいう固有信仰の背景には、富と権力の不平等や葛藤がないような社会があった、と推定することができる。それは水田稲作農民の共同体ではなく、それ以前の遊動民の社会である。>(柄谷前掲書)



磯田 …普段は遠く離れて核家族で暮らしているのに、このときだけは日本人は直系家族としての意識を取り戻す。帰省ラッシュがなくなったら、日本の直系家族は消滅すると速水先生が言っていたことを思い出します。
トッド つい最近、日本で直系家族的価値観が今もなお保たれていることを実感した出来事があります。十月十二日に東京電力の施設で火災が発生したために、都内で大規模な停電がありましたね。その時、私はちょうど都内のホテルに滞在していましたが、避難する宿泊客たちの規律正しい姿に驚くと同時に、やっぱり、とも思いました。フランスだったら考えられない事態ですよ。これ
は”ゾンビ直系家族”と言っていいでしょう。家族構造がモダン化した核家族になっていても、直系家族の価値観はなくならない。江戸時代、そうしたイデオロギーはまだ発展途上でした。現在のほうがむしろ、より強くなっているのではないでしょうか。
磯田 もっと細かく見ていくと、私は最近、”ゾンビ万葉集”の可能性もあるのではないかと思っています。
トッド 万葉集? それは何年ごろのものですか?
磯田 七世紀から八世紀ですね。フランスだとフランク王国のメロヴィング朝のころでしょうか。
  なぜ万葉集かというと、直系家族から万葉集の時代のシステムに戻ったものがあるからです。その筆頭が、相続の仕方です。長男が総取りするという直系家族的原則がなくなりました。次に、結婚したら妻の親側の家に住むことが増えてきました。特に子どもが生まれてから移り住む人が多くなった。さらに、おおっぴらに婚前交渉をするようになった。万葉集のころは、日本史上、一番性愛に大らかだった時代ですから。
 一方、変わらなかったのは、親を養うという意識です。実際にそうするかどうかは別として、今でもアンケートをとると「親を養う」という直系家族的な考え方は意外と根強いです。あとは、子どもができたら結婚するという考え方。…」


トッド 核家族システムのフランスでは、親を養おうという意識なんて希薄ですよ。婚外子の存在も普通のことですし、片親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も二・0一にまで押し上げられています。日本では、直系家族の価値観が、ますます少子化を進めていると思います。歴史人口学者として言っておきますが、日本における最大の問題は、人口減少と少子化です。…(略)…移民をもっと受け入れるべきだとしても、根本的な解決にはなりません。今日の日本社会の最大の問題は、直系家族的な価値観が育児と仕事の両立をさまたげ、少子化を招いていることです。家族のことを家族にばかり任せるのではなく、出生率上昇のために国家が介入すべきです。政府が真っ先に取り組むべきは、経済対策よりも人口問題だと考えます。」

2016年11月11日金曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2)

父から孫イツキへの墨絵<登り竜>

「Ⅰ ユーラシア」の「第4章 日本」の個所からのみ抜粋

原型的な……

「縄文時代末期のものと推定される墓穴の中の骸骨の遺伝子分析を用いた最近の研究は、日本の南西部の異なる二つの地域に位置する二つの共同体において、婚姻後の夫婦の居住は双処居住だったことを検証した。」

「喚起された唯一の地域多様性は、いずれも直系家族であるが、遺産相続の変異によってその様態が異なるというものにすぎなかった。男性長子相続は、息子がいない場合の娘による相続を妨げなかった。それは、前工業時代の人口条件の中で二○%の家族に見られた状況である。性別による相続の分析は、日本では養子を相続人とすることが頻繁に行なわれたことによって、込み入ったものとなっている。相続人を養子に取るという手法は、ヨーロッパでは排除されている。…(略)…養子縁組は、実際には、母方居住の入り婿婚を形式化したものであった。これによって、娘による遺産の継承が可能になるのである。養子となる者は、親族の中から選ばれるのではあるが、世帯主の親族から選ばれるのが義務ではなく、時として世帯主の妻の親族の中から選ばれた。父系親族しか養子として認めない朝鮮のシステムとは、非常にかけ離れている。…(略)…日本の標準型では、実際上、女性による相続が二○%に達するということになったわけである。それは<レベル1の父系制>に相当するということになる。」

東北の前提的な……

「日本の北東部で観察されるのは、中国風の父系制の度合いの強い父方居住共同体家族ではない。日本では、北東部でも南西部でも、家族モデルは、必要に応じて女性による財産の相続を許している。実際、いくつかの指標によると、女性の地位は、主要な島である本州の中心部よりも、狭い意味での北東を意味する「東北」で、時としてより高いことがあるように見える。それは日本における絶対長子制、すなわち、女子が最年長なら相続するというあの規則の地域である。彼女の夫は、婿として家族の一員となる(姉家督)。…(略)…それは、兄弟間の不平等の原則と、女性の地位が依然として無視できないという、二つの最も特徴的な直系家族的価値が、中央部よりもはるか北東部で顕著であるという、単純にして正当な理由から言えることである。世帯の目に見える構造を無視して、これらの変数だけに従うならば、北東部の家族はなお一層「直系家族的」であると考えられるだろう。」

「北東部のシステムは、容易に相互に相関しやすい他の特徴を示している。すなわち、父親の引退は早めであり、子どもの結婚年齢もやはり早めである。この慣行はもちろん、世代間の集住を容易にする。早期に引退した父親はまた、家を離れて、同じ囲い地の中の別に切り離された家屋に住むこともある。時には他の子どもも父親について行く。最終的には最も若年の息子が、父親の家を相続する。これが<隠居>の手順である。分離は別々の台所の開設にまで至ることがある。これは、厳密に言えば、人類学者なら二つの核家族があると知覚するはずの事態である。しかし、現地共同体と国家の見方を表現する住民登録簿(戸籍)は、この全体を一つの単位として定義する。跡取り息子が家長でありその代表者ということになる。また。このように次々に起こる核分裂によって出来た世帯の間には、やはりより強くより序列的な繫がりが見られるのである。」

関西前提的な……

「この貴族階級の成員たちによって残された数多くの日記の詳細な分析を行ったマックルーは、きわめて巨大なクランを組織・編成する父系原則と、男性配偶者の住居についての母方居住の優勢との共存を証明することができた。このシステムの中で、支配的なクランである藤原一族は、皇帝一族と連携して、独特の地位を占めていた。マックルーは、人類学における父系制と母方居住の組み合わせの希少性に言及している。とはいえ、…(略)…厳密に言うなら、このような婚姻後居住モデルは、おそらく母方居住屈折を伴う双処居住と定義されるべきものであろうが、しかし、父系原則を含むシステムとしては、それだけでも大したものである。…(略)…しばしば、母方居住的住居様態は、祖父である藤原の者が、自分の娘の息子である未来の皇帝を育てることを可能にしていた。シモーヌ・もクレールは、藤原クランに所属することは、宮廷での地位を獲得するための競争のグラウンドに入場することを許す一つの条件でしかなかったということを示した。藤原一族の中でも、継承規則に関して不明瞭さが支配していた皇帝一族の中でも、堅固な長子相続の原則は全く観察されない。
 一見して複雑なこの布置について、相対的に単純な解釈は可能である。父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった。しかし、家族システムがまだ主要部分では双処居住的で、親族システムが双方的であったと考えられる日本の社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した。風俗慣習に関して、女性によって頻繁に書かれた当時の日記を通して感じられるのは、両性の関係という面では均衡がとれているが、中国的父系原則と日本的双方基底との間のある種の二元性の作用を受けている、そうした文化である。この二元性は、文書の中に刻み込まれている。男性の行政文書は中国語で書かれたのに対し、女性の個人的文学は、日本語とカナで書かれたのである。それに、この時代の当初における、女帝の出現と中国との関係の再開とが、同じ時期に起ったというめぐり合わせにも、驚く他ない。」

関東での変移から……

「現在入手可能な歴史データが示すところでは、男性長子相続が本当に日本に、その貴族層の中に登場したのは、鎌倉時代後半になってから、すなわち、十三世紀末から十四世紀初頭までの時期においてであった。」「要するに直系家族の台頭は、中国と同様に、日本でも父方居住現象と女性のステータスの低下の始まりを伴ったわけである。日本は<レベル1の父系制>に達するが、その後、これを越えることはないだろう。親族用語は一般的特徴としては双方的なままである。」

「直系家族の台頭は、農業経済の稠密化と集約化の段階に相当する。十一世紀から十二世紀の大開拓の後、十三世紀半ばに、瀬戸内海沿岸では二毛作が出現する。米を収穫した後、穀物を栽培するわけであるが、これは土地を疲弊させるよりはむしろ豊沃にした。そしてまたしても、戦争は稠密化と直系家族を促進した。」

「長子相続は、京都の宮廷の権威をはねつけた戦士的貴族たちによって<関東>にもたらされたのである。家族の地理的分布が示す微妙な差が、このような仮説を確証してくれる。直系家族が、最も純粋な形態とは言えないまでも、絶対長子制や末子相続のような逸脱的要素をあまり含まない形で存在するのは、<関東>においてである。絶対長子制は、日本の北東部、<東北>の特徴であり、末子相続は、西部では数多くの例が見られるわけであるが。…(略)…本州の人口密度の高い部分の西と東の間の違いは、とはいえ、単線的な直系家族類型の中の微妙な差にすぎない。」

「日本北東部のケースの中に感じられると思われるのは、もともと存在した一時的双処同居を伴う核家族システムの上に、不平等という直系家族的概念が直接的に貼り付けられたということである。もともとの兄弟姉妹の夫婦家族を連合する双処居住集団の痕跡さえ知覚することができる。直系家族的な序列原則が兄弟間の関係の上に直接に取り付けられたようなのである。父親は早期に引退する。<本家・分家>集団の中では、同じ株から枝分かれした世帯間の付き合いが重要となる。娘が長子である場合、その娘を跡取りとする絶対長子制の規則は、それが存在するのであるなら、もともとの双処居住の痕跡に他ならない。先に記述されたような、分離した住居を伴う<隠居>は、核家族間の関係を組織していた柔軟なシステムの痕跡である。
 以上提案された解釈に従うなら、追加的な一時的同居を伴う直系家族は、日本北東部では、それほど必要としていなかった社会に直系家族的概念が輸入された結果であるということになる。」

沖縄から……

「理論面で重要なのは、またしても、接触前線上におけるように、母系制は父系制から、母方居住は父方居住制から生まれているということを確認することである。後にも本書中に、他の例から多数見出されるはずであるが、特に、沖縄島ではより平凡な形態の例が見られる。…(略)…またしても、母方居住制は父方居住制の輸入に対する反動と考えることができるのである。実際にそれ以前に存在した、おそらく双方的であったシステムは、姿を消したのだろう。この母方居住という分離的否定が起こった時期は、日本の権力下であったか、あるいはより早く、中国の影響下の時代においてなのかについて、仮説を立てるのは難しい。」

アイヌ人……

「私としてはアイヌ人の家族を一時的双処同居もしくは近接居住を伴う核家族のカテゴリーに入れるものである。ユーラシアの北東の果てに位置するというその位置取りからして、アイヌ人の家族は周縁部的かつ古代的と定義される。要するにそれは、双処居住集団に組み入れられた核家族を人類の起源的類型と考える本書の全般的仮説を検証するわけである。」

イトコ婚……

「日本の直系家族は、軽度の内婚傾斜を持つところが、ドイツや朝鮮の直系家族と区別される。」

※上のような、人類学的な客観的視点の正当性とその是非の程度と、差異(実感)の強度の具合を、柳田などの古典民俗学的な視点や、日本人としての私から内省してみること。あるいは文学を利用して、たとえば家族をあつかった中上の実践は、人類学的な客観からみてどう当てはまってくるのか、その作品の世界史的な意味、作家の実践的な企図はどのようなものになるのか? アキユキは、どんな価値交換をリュウゾウと果たしたことになるのか? 妹との禁忌、内婚、津島佑子の作品とう、とりあえず図式で追ってみること。絵解きすること。また、第Ⅱ巻のヨーロッパの文脈で、ドストエフスキーのカラマーゾフなどを読み直すとどうなるのだろうか?

・<父(権)>が降りたということが、ソ連の崩壊とともに、中上作品の意味としてその時期言及された。そして、共同体国家(家族)=共産圏が消滅して浮上したのは、本当の敵、自分を支配しているものは母親的なものだ、とも。中上は、血盟団事件(テロ)にかこつけて、「死のれ、死のれ、マザー、マザー」と主人公に歌わせはじめたわけだ。現在、プーチン、ドゥテルテ、トランプとか、父権的な見かけの政治家が出てきているが、実際には権威(象徴)で引っ張るというより、実務的な強引さで民衆をひきつけようとしている点で、女性的とも言える。空威張りより生きた実感を、と。そういう世界的な風潮が、共同体家族(ロシア)、直系家族(日本)、核家族(アメリカ)、という家族形態によってその風潮(思想・価値)の実質が変形されて継承(交換)されていく、ということだ。アメリカのトランプが勝ったのは、地方(田舎)においてである。日本でのトランプ現象と類似しているものは、大阪での橋本運動と、東京での小池運動という都心部においてである、と変移されている。生きた実感をという核家族的な反動が、本場のアメリカと違って、日本の地方では、結婚後でもなお母方居住なり父方居住という直系的な家族システムの歪曲形態の残存(双方的居住)がフィードバックとなっているからで、都心部に暮らす文字通りな<パパーママーボク>の核家族的な現実=苦しい生実感がまだ遮蔽されているからか? もし私が、長屋住まいのようなアパートではない居住地でイツキを育てなくてはならなかったら、どうなっていただろうか? 隣部屋の老夫婦や、大家さんが、子どもの面倒をみてくれて、イツキにも逃げ場がなかったら、どうなっていただろうか? 本当の核家族の価値を教育(価値交換)されてきているわけでもない若い夫婦には、とても残酷な社会として日本はあるだろう。母子家庭であるなら、なおさらなはずである。昨日も、パート従業員の母親を殺めてしまったらしい、16歳の高校男子が飛び降り自殺したという事件が、埼玉県は大宮市であったらしい。日本でのトランプ現象の本当の姿とは、こういうものかもしれない。核家族の孤立保障は、国家的な共同体の支援が社会的前提であるが、直系家族社会では、それはまさに家族(父親)自身に任されてしまうのが価値なのである。

2016年10月17日月曜日

<家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1)

歴史人口学者と紹介されるエマニュエル・トッド氏の『家族システムの起源』(藤原書店/石崎晴己監訳)を読み始めている。

思い浮かんだことをメモしながら、気になったところを引用していく。まとまった感想は、あとで整理する。

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「『第三惑星』の中で、私がこの二つの純粋核家族類型を定義したのは、演繹の実施によってだった。自由と権威、平等と不平等という二対の価値を掛け合わせると、共同体家族(権威的にして平等主義)、直系家族(権威主義的にして不平等主義)、平等主義核家族(自由主義的にして平等主義的)、絶対核家族(自由主義的にしてかつ平等主義的でない)という四つの区分に至る、というわけである。だから二つの純粋核家族カテゴリーは、ある種のピタゴラス的幻想の痕跡を残しているのである。…(略)…というのも、完璧に一貫性のある類型体系を先験的に定義するのは、不可能でもあれば無用でもあるのだ。なぜ今になって、人間精神の力の中に世界の現実性を探し求めるピタゴラス派ないしデカルト主義の呪術的宇宙へと退行しなければならないのか。実を言えば、類型体系とは、図面なり図式のような具合に、データを展示する便宜を提供するにしても、それ自体ではいかなる科学的有用性も持たないものである。それにとって外部的な、一つないし複数の他の変数との関係の中に置かれるのでなければ、興味を引くものではないのだ。」

・そう前作を反省しているわけだが、このピタゴラス的、構造主義的4類型は、柄谷氏の『世界史の構造』における4象限と重ね合わせることができる。
<パリ>とは、もちろん近代の思想基礎になる革命の理念が立ち上がったとさるところとして、である。地理的にはパリ盆地とかより具体的に限定されてくるのだが、ここではより抽象化して図式的に短絡化している。またもちろんトッド氏は、構造的に世界を把握してみせることから、「伝播」的な時間軸を基軸に据え始めたわけだから、この4象限は定型的なものから、座標軸的なものとして読まなければならない。交点をゼロとして、たとえば日本は直系家族の中にあってもどのような座標位置にあるかが、より特定指示されうるかもしれない。トッド氏はこの著作の中では、15の家族類型を提出しているので、その類型のグラデーションから、日本をより統制的理念の方向へ近づけるには、どんなベクトル強度でネーションと国家の2方向を強化していけばいいかの、実践的度合(バランス)が座標空間として把握できる、ということになる。実際、トッド氏は、前回ブログでの引用著書で、そのように、日本では国家の再導入の検討、自衛軍隊の強化を提言し、アメリカやロシアとの関係強化を示唆している。

「ユーラシアでは、父兄原則の出現は農耕の出現より大幅に後になる。」
「しばらくの間、狩猟採集民の原初的社会形態、ということはすなわち人類の原初的社会形態は、双方的な親族の絆によって組織編成された現地バンドの中に組み込まれた、一時的同居を伴う核家族であった、としておこう。…(略)…
 定住化は、農耕への移行と同じとすることはできない。…(略)…
 流動的なバンドに組み込まれた核家族という当初の仮定にたつなら、定住化がどのように、凝縮した、複合的な家族形態の出現をもたらすことになるかを、構想することが可能になる。そうした家族形態の中で、現地集団の上位レベルが、安定性と重要性を次第に帯びて行ったわけである。しかし定住化はまた、場合によっては、少なくとも居住という意味では、純然たる核家族の絶対的自立化を容認するものであった。
 稠密化の過程にあるシステムの中では、居住先家族の選択について固定した選好が姿を現すと、想像することができる。それが父親の家族なら、父系原則の出現へとつながり、母親の家族なら、母系原則の出現へとつながることになるが、ただし後者は、後に見るように、より稀に起こることである。ひとたび原則が確定すると、父系性もしくは母系性は、その厳密さそのものによって、家庭集団の追加的稠密化を促進して行く。」

・トッドの論考は、「定住」以後を目指すもの、経験的に限定するものである。そこでは、バタイユ的な、またフロイト的な、それ以前を思考しようとする狂気は含まれない、というか除かれる。柄谷氏の構造には、定住以前のもの、核家族(ファミリーロマンス)の内的現実が古いものとして周辺にとどまっているという歴史的考察だけではない、仮説的な飛躍が導入されている。それは死への欲動として回帰してくる、とされる。この伝播と構造の関連は、論理的には明確ではない。真の問題設定として成立しうるのかも、明解ではない。

・トッドの思考の型は、フーコーを連想させる。日本を憧憬したバルトとともに。要するにフーコーも、理性的なヨーロッパなどと学問世界ではいっているが、本当は(古代的には)ヨーロッパも日本と同じサルのセクシュアリティーが、双系制が、核家族が基礎なんだ、と言っていたのではなかったろうか? 父親なんか強くない、と。そんなのは上っ面だと。

2016年10月16日日曜日

教養雑感

「現下の歴史的転換は、経済に関する転換である前に、その基盤において家族、人口、宗教、教育に関する転換です。大学の優先的課題の一つは、大学が提示する課題、資金を投入する研究の中に、人類の人類学的要素、宗教、教育、芸術などの変容の内部に経済史を組みこむような経済史へのアプローチを再導入することであろうと思われます。審美主義でこんなことを言うのではありません。われわれ人類に起こることの多次元的な性質を知ることが切迫した必要となってきているから言うのです。」(エマニュエル・トッド著/堀茂樹訳 『問題は英国ではない、EUなのだ』 文春新書)

蓮實 一方で、今おっしゃったように、大学に学部というものが存在するのは世界的にかなり特殊なことなのです。もちろん、ドイツには学部が残っていますが、フランスには学部は存在しないし、そもそもアメリカの大学には、学部など存在していない。ハーバード大に唯一あるのはArt & Sciences の学部だけです。つまり、リベラルアーツ教育が大学の主流であるのですが、それが日本では受け入れられておらず、「あの子、法学部受かったんですって」みたいなことがまかり通っている。十八、十九のガキが自分は法学部に入ったなどと思うなと、私は言いたい。たんなる学校秀才でしかない若い男女が真のエリートへと変貌するには、数年間の知的な放蕩生活が必要なのです。本来専門分野は大学に入ってから選択するものでしょう。…(略)…
渡部 その場合、やはりアメリカ式で四年間リベラルアーツをみっちりやらせて、その後二年間ぐらい専門をやるというビジョンですか。
蓮實 そうです。社会に出るまでにそのくらいの年齢的な余裕があるべきでしょう。日本のように二十一、二歳で就職するなんていう国は他にありません。しかも、就職にあたって大学の学部教育に対する信頼は企業の方にまったくありませんから、三年が終わったぐらいの段階で採ってしまう。すると何が起こるか。途方もないミスマッチです。だから何年か経って会社を辞める人の数がずいぶん増えている。大学を卒業してすぐ入った会社で、「自分の未来はこれだ」と思ったとしたら、そいつはバカでしょう。自分の未来はもっともっと先で決めなければいけないはずなのに。それで良い人も半分ぐらいはいるかもしれないけれども、残り半分はそんなことでやっていけるわけがない。
渡部 将来をもっとゆっくり決めるというのは理想的だと思うんですが、社会がどうしてもそれを受け入れる方向に行かない。そこはどうしたらいいんでしょうか。
蓮實 それは社会が悪い、大学も悪いし、やはり日本はつぶれると思ったらいいんじゃないでしょうか。」(「「文学部不要論」の凡庸さについてお話しさせて頂きます」『文学界』2016/9月号)

トッド氏の考察に注目したのは、今から十年以上まえ、ちょう柄谷氏がはじめたNAMが解散を決めたころだったようにおもう。アート系のプロジェクトの会合だか飲み会で、ディドロを研究していた仏文学者の、今年『脱原発の哲学』を上梓することになる田口君に、この人の思考は面白い、と紹及したことがある。統計的な実証的・経験的方法は信用がおけない、というのがそのときの返答だった。それはそうなのだとしても、トッド氏の思考は、近経的なアプローチというよりも、やはり演繹抽象的なマルクスの発想に近いように思えるのである。しかし、トッド氏は、経験・実証的にわかるところ、目に見えるところで抑えて論じる、という節度を維持している。家族関係が原理的にすべてを動かしていると言っているのではなく、経済や宗教、国家といったものが別原理で関わりながら世界を動かしているだろう、ということは経験的に明白なので、その明白さの限りにおいて関わりを述べるだけだ。だから冒頭引用箇所の次では、氏は、自分の「知的姿勢」は「体系的ではないにせよ」と解説している。柄谷氏の「世界史の構造」は、家族(互酬)、経済(商品・資本)、国家(収奪・再配分)との関連は体系的に演繹(仮説)されているのが前提(原理)である。またそこから、両者の決定的な相違、柄谷氏のいう「高次元」を認めるか否か、理念するかいなか、つまりは経験からの飛躍を志向するかいなか、の思想的な個人的態度の有無が生じてくるだろう。トッド氏はおそらく学問態度的には、それを認めない。

ところで、その柄谷氏が『世界史の構造』を出版したとき、私は、それをトッド氏の論考に引きつけて論じている。( http://www.geocities.jp/si_garden/kansekaiko.html

トッド氏にとって「教育」とは、家族関係の進展に影響を及ぼす関数的な「変数」ということになろう。家族の骨格は変わらなく進んでいくとしても、その進行度合いや一時的な歪曲などが、とくには「高等教育」の普及度合いによって知れてくる、とされる。とくには、女性の識字率や進学率の高騰と、逆に男のそれの低下、または、中産階級者の「自殺率」などだ。

そうした統計的変数は、まったくひとごとではないな、とおもわざるをえない。
私の父は大学出だが、母はそうでない。おそらく、女房のほうもそうなのではないだろうか? そして、女房自身は高卒である(妹は進学しているが)。そして今のところ、イツキが大学まで勉強したいと思えるような雰囲気はない。これは階級的には、低落になろう。社会的には、活力の減退を意味してくるかもしれない。蓮實氏と渡部氏の「文学界」での対談は、そんな減衰を追認しているような話になるのかもしれない。が、自殺への衝迫を鬱として抱えこみはじめている世の空気のなかにあって、蓮實氏の久しぶりに聞いた辛辣な饒舌は、何か活力を奮起させてくれる叱咤激励として機能していくところがあるのかもしれない。私には、鬱屈のなかでも必死に読書していた学生の頃の自分が、ふと我に返ったような感じになった。

2016年9月20日火曜日

中学生の自殺(3)――教育と育成


<○○さんが伝えてくれた、「文学界」(2016.10)での柄谷VS高澤対談を、石原VS斉藤環対談とともに、昨日読んできました。
中上健次をめぐる柄谷対談から改めて確認したのは、なお私の「母殺し」の主題が続行している、ということですね。私の父も、最終的には父の審級から降りて、その降格過程で、本当の敵とは母だと気付いていくわけですが、その殺しの機会=歴史を、私一代ではつかめず、後退戦を選び、いま(というか数年前から)、一希とともに共同戦線を闘いはじめた、という感じですね。女房=母親と闘うことを通して、認知症と化した父を庇護しながらその自由を奪うグレート・マザーを、どうやったら仕留められるのか、ということを、最近の母系論議が再燃した天皇退位問題をにらみながら、身体的に実験している、という感じです。私(父)と息子と妻の間には、やはりエディプス・コンプレックス的な問題もあります。が、現代のいじめ問題を考察した『友だち地獄――「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義著・ちくま新書)の作者の指摘にもあるように、今風の両親は、親というよりも友達に近く親しくなっているので、第三者的な仲介者としての相談相手になりえず(友達に迷惑をかけたくないと)、ゆえに悩みを内に抱えてしまう傾向があるのだと。私も、ある意味、父というよりは一希の友人に近い。はじめから、父になることを放棄しているところがある。が、一方、母(女房)が息子をなぐるとき、「子供もをなぐるなら俺がおまえをぶんなぐる」とその間に立ちはだかったこともあるように(今は戦略を変えていますが)、「父」であることの必要性を人為的に、知的に立ち上げている。そうしない と、母系的な母ー子の癒着に子が飲み込まれてしまうと認識しているからですね。他の家庭では、そういうことはありません。まったくの双系制よろしく、父親は黙って女房の尻にしかれるか、見て見ぬ振りですね。しかし、私が体を張って子を守ることで、息子は人間的には私の方を信用しています。が、自分の腹を痛めて産まれてきた子が母にとっては分身でもあるように、子にとって母は、やはり依存に吸い込まれやすい相手なのです。同時に、思春期にはいると、母が女として、その女をものしている相手の男として、対抗者としても父を見始めます。ゆえに、息子は、友人のように信頼できる父がライバルとしての男でもあるというエディプス的なダブルバインドに入ってきます。インテリとしての私がそこで模索する実践とは、母子癒着を断ち切る父としての審級=振舞いが、本当に必要なことなのか(文化的にも、人間的にも、あるいはどちらか一方においてなのか、両方ともになのか――)どうかを見極めること、そしてその癒着を断ち切るのは、父としての審級以外にはないのか、と探ること(あるいは逆に、太宰的なダメ父として逃走論的に振る舞うことに本当に実効性はあるのか?)、友人として女(=母)を奪うことをみせつけ、漱石「こころ」の先生のように、息子(K)を自殺に追い込む可能性は本当にあるのか、あるとしたらどれくらいの確率か、それとも必然的か、それともそんなことはないのか、――息子を、我が子を、どうやったらそのダブルバインドから解放させ、真に自由な存在として羽ばたかせていかせられるのか? そのことで、私は人間としての強さ、成人(カント的な啓蒙的意味での?)になれるのか? 私達は、天皇に依存することなく、真の自由主体としてどうやったら屹立できるのか? 権威(天皇)と権力(政治)を区別しておくというのは(象徴であれなんであれそれが天皇制ということだ――)本当に人類の智慧なのか? なおそれが有効なのか? 嘘っぱちなのか? 現憲法1条を憲法から削除することは(天皇家は否定しない)、本当に日本の国体を混乱に陥れるのか?


昨夜は、サッカー・クラブのコーチ会だったのですが、少子化を見込んで、この地区のいくつかの小学校の上級生5・6年生をひとつにまとめ、子供の因数を増やし、そこでレギュラー組と控え組を作って競争させればモチベーションもあがってチームが強くなって勝っていけるはず、頑張れない子はやめていくはず、とエリート優生主義=ナチスみたいな話にまとまっていきました。同じ団地に住み一希と同級生のいたコーチ(なお娘が5年にいる)と私だけがその話にのらなかったのですが(他5人は賛同)、それでやりたければやれば、というのがこちら側の態度。絵描き連中がいくら集まってもすぐ来季に今年以上に悲惨になってつぶれていくだろうから、こちらとしては理念の共有がはっきり区別できてすっきりして好都合。4年生までの中学年までで十分、そのうちそんなチームに進級したがる子は少なくな ってくるだろうから、いやもう再来年でも進級を望まなかったモチベーションが低いとされた余りものとされた子供たちで十分戦え勝つことができるようになるだろう。……と、石原くんの優生思想、相模原事件を起こした青年はDNA的にオカシイのではないかと、自身がその青年みたいなことを言う石原君の主張、またそれがいまの市民の空気なのかと、再確認されてきたのでした。小学校を合併して人数増やせば競争できて成績あがると合作する日本官僚人政策と同じですね。>

*こう友人にメール返答した三日後、試験勉強をめぐる口論中、イツキ突然と椅子に座っていた女房へ向かって走り出しタックルする。女房後ろにそっくり返って危うく後頭部打ちそうになる。パソコンに向かっていた私は無意識のうちに反射して、イツキを追う。イツキはベランダに逃げる。そのぐるぐる追いかけっこから逃げ場を失ったイツキのベランダから飛び降りる姿が思い浮かぶ。「なぐるんじゃないんだから、座りな」と、立てこもり犯人を説得する刑事になったよう。頭をなでながら、イツキの言い分をきき、文句を言いながらも好きなことだけママはしているのではなくその間もご飯をつくってたでしょ、とか、なんで勉強をするのかとかの話をしながら、息子の高ぶった気持ちを落ち着かせる。台所の食卓椅子に座り直しただろう女房は、反省しただろうか? ちょうど、身内間による殺人事件報道がつづいていた。ササイナコトからオトウトをコロシテしまってイタイにコマリバラバラニシタ、とか。子供も女房も、そうした事件が他人事ではないと自覚しただろうか?

*そんな事件の間、サッカー・コーチ間では、上位チームを作るとかいった案が、ヨイショしていたコーチの腰砕けによって中座するような、かけた梯子をはずしてしまうようなメールのやりとりがなされていた。チームを実質的に支えている私たち2名が参加しないと表明し、口先で操ることできないとわかったからだろう。そこで、以下のような論考を、コーチ間メールに投げかける。

     *****     *****     *****     *****

<鈴木です。(長くなります)
会議の件、私の理解では、少子化に向かうなかで一つのチームでは存立できなくなってくるので、その受け皿として○○地区での単体・独立チームを目指して、まず○五・六小のみで、そしてまずは来季その両5・6年生合同チームで(多人数になっても)やってみよう、ということだったとおもいます(○五・六各単体は4学年までのチームとして存続する)。ただそれへ向けてのチーム方針や理念的なところで、私や△△さんが違和感をもち、コーチ間でばらつきがある、というような体制だったと認識しています。その受け皿自体の立ち上げと、来季からやってみること自体には私は反対していません。むしろ、☆☆コーチが来る前に、「民主的にではなく、俺がやるぞ!」という軸となる人がいないと無理ですよと私は言っていました が、☆☆さんがまさにその意気込みを見せられたので、ならばやってもいいのではないか、やったほうがいいのではないか、と思い直し、それ自体への疑義は発しなかったと思います。また、大勢として、来季はそのFC○○の線で行こう!、という感じになって散会したようにおもったのですが…。ただ、あせることではないとおもいます。<


その帰り道、◇◇コーチと話したことは、ゆえに統合FC○○を認めた上での、それを超えたより一般的なサッカー・チーム方針や理念をめぐってのことでした。以下、その時言い足りなかったことを付け加えて、その私の説の論証とします。

(1)人数が増えて競争が発生し、選手のモチベーションがあがるということはない。――今年のユーロでも活躍したウェールズの人口は千葉県民ぐらい、北アイルランドにいたっては新宿区レベルです。それでもああした結果がでてくることは、その質、サッカーの理解度にあることを証明しているのではないか? 一希世代の多人数の内藤新宿、当初は競争的な切磋琢磨があったのですが、のちに先発Aチームと予備チームとにヒエラルキー的に安定し(しかも、ゲームへの自発的なモチベーションをあげるために子供・選手自体に先発メンバーを選ばせるというやり方自体がそれを誘発させた――)、それではいけないと中○コーチは都大会直前になってもその階層を崩そうと、大会当日にフォワードのキャプテンやサイドの子を下げ、結果いきなり先発した選手との間での連携ミスの失点から1回戦敗退、ということになったと私は分析しています。つまり、人数の多少とは関係なく、単にモチベーションをあげていくコーチの手腕が問われるだけです。多くなれば自動的に競争が発生し、それが良い結果に連なっていくことにはならないのは、私は人間的な現実だとおもっています。むしろそうした競争は、子どもたちの間に深刻な事態を引き起こすのです。

(2)オランダでは、1960年対後半、そうした制度から、いじめ問題が深刻化しました。オランダ人は、その原因を、近代国家によって導入された一斉集団授業という形式に問題があると原因特定しました。それゆえ、学校創立に自由を与え、生徒が一定数集まって場所もあると証明できれば、私立でも公立と同じく予算をだし、先生の給与全額を国が負担するという政策をとったのです。結果、ドイツはナチス政権下で弾圧されていた新しい教育理論を採用する人たちがあらわれ、一つの地区に色々な方針を実践する小学校が現れた。要約的にいえば、授業から「学習」という形態に移行し、それは近代以前の日本の寺小屋に近いです。教壇はもうなく、1から3年までが一緒の部屋 で勉強し、先生は個人の発達レベルにあわせた課題を与えて、定期的に、4人ぐらいのグループを作った机の間を見回ったり、床にすわっています。宿題を終えた子は廊下にでてもっと好きな勉強を一人ではじめたり、先生がレベルの高い自習問題をあたえます。そしてこの風潮は、なお数量的には主流にはならないとはいえ、EUを離脱したイギリスを除いて、ヨーロッパの理念的なメインストリームになっているといっていいとおもいます(最近の難民問題で次の課題に直面しはじめていますが)。なんで私がそんなことを知っているかというと、サッカーのクラブ活動だけで、トータルフットボールなどという、全員が一丸となって休まず走り通すモチベーションを育成することなどできないな、もっと子供が時間をすごす小学校に問題があるのではないかと、中野区の図書館程度でですが、調べたからです。しかし、一月前のTVフットブレインで、本田選手が、安倍総理に、サッカークラブだけ変えても日本代表は強くならない、学校の制度を変えていかなくては、と直談判したそうですね。私の勘では、まずオランダのチームへの移籍からはじめた本田選手は、そんな小学校の現状を当地で見たのだとおもいます。本田選手は、おそらく廃校間際の学校法人を買い取って、本田学園でもはじめるつもりなのでしょう。

(3)メンタル(モチベーション)だけが問題なのではない。――会議中、清水代表がスクール的なクラブチーム立ち上げ風潮の中で実質的に解散し、がいまの各年代表チームの成績不振を受けて 、そこに携わったコーチたちの話をきくインタビュー集などが刊行されはじめていると報告しました。高校部活動の名物コーチの言い分は、そんなプロあがりのスクール・コーチの態度はサラリーマンみたいなもので、自分たちはサッカーを知らなくても、家族を犠牲にするくらいまでの情熱で子供と向き合ってきた、その感化が清水に関わって来た子供たちを何人も日本代表へ送り出すということにつながっていったので、いまは逆に、テクニックはうまくなってもメンタル的に十分でない選手が育成されている、だからうまい選手が増えて一定のところまで昇っても、そこで突き当たって停滞するのは当初からわかっていたことだ、という事のようだと紹介しました。私は、そうした名物コーチの認識は正しいのだとおもっています。しかし、もうもどることはできない。そしてこの不可逆は、日本のサッカーの進展だと認識しています。ト○ボの◆◆コーチが新宿代表監督をやめて自らのチームを立ち上げたのも、いきなり6年から巧い子が集まってきても、サッカーとしてはどうにもならない、もっと低学年の時からめざすサッカーに向けて体系的に構築していく必要があると、たぶん、他の地区の進展に接して危機感をもったからでしょう。つまり、運動能力任せで伸び伸び任せなスポーツとしてサッカーがあるのではなく、集団スポーツとして、仲間との連携を作っていく知的作業としてあるのがサッカーの本質だということですね。素人ながら、日本はまだこのサッカー理解度、識字率のレベルが十分ではないのだとおもいます。メンタル云々以前です。◇◇さんとも野球を例にあげて話しましたが、野球では、6年生までに原則的な判断事項(法則)は、すべて教えますね。ワン・アウトでランナー1・3塁の場面、守備者は何を考えなくてはならないか? まず試合の流れからチーム方針を決める、前進守備で1点もやらないのか、中間守備で情況によってはゲッツーも取れるようにしておくのか、1点をあげても確実なワンアウトかゲッツー狙いで深い守備を内野手はとるのか、それに連動して外野手はタッチアップを確実にとれるように浅目なのか、2失点以上の失点は確実に防ぐことをメインに深めに守るのか。ランナーはその守備位置をみて、どういう打球ではゴーするのか、用心するのかの態度準備しておく。中学生以上 レベルなら、その守備位置から打者はピッチャーの配給を読む、プロレベルなら、わざとそう守備位置から読ませておいて逆をついて仕留めていくサインプレーを導入する。が、原則はすべて小学生時代に訓練させられるし、できることです。日本の代表レベルのサッカーをみていると、要は中継・連携プレーがなっていないので、外野を抜けたらみなホームランみたいな、カウンターでまず失点になってしまっている。プロだったらやってはいけないこと、ヨーロッパではありえないことが、まだ代表レベルでも平然と起きているのだ、というのが、スペインなどに育成チームに飛び込んで、向こうの生の情報をとってきている若いコーチたちが指摘していることです。おそらく、小学生の育生年代で、長友や内田選手でさえ、教わってこなかったのだと。一月前のNHK特集で、今治で試行錯誤する岡田元監督が発言していました。「日本では子供のときは自由にやらせて、中学・高校になってから教えていけばいいという風潮があるけど、逆だよ。小学生のとききちんと教えて、じゃあそれで自由にやってごらん、と中学・高校でやっていく、それが普通だよ。」◇◇さんも自分の経験を思い出したように、そういえば中学生になって野球を教わったことはないな、もう応用があるだけ、と。いまは野球も少子化で、体験的にやってローカル大会だけに出るチームと、昔ながらの方針でやっていくクラブチームとに二分されているようですが、サッカーもおそらくはそうなっていくでしょう。が、子供のサッカー(野球)と大人のサッカー(野球)があるわけではない。単に、サッカーや野球があるだけです。そして誰でもできるスポーツにすぎないので、実はそんな難易度は高くない。むしろ、スポーツの面白さは、そうした知的なところにあると思います。オシムじゃないけど、単に走って気持ちいい、のではなく、「考えて走れ」と。

(4)坪井健太郎著『サッカー新しい守備の教科書』(KANZEN)からの引用――<結論としては、育成年代で守備の練習時間が足りていません。日本サッカーの特徴とも言える、圧倒的なテクニックの反復練習と最近では攻撃戦術がレベルアップしてきましたが、守備の戦術とテクニックレベルのための練習がまだまだヨーロッパのレベルには追いついていません。特に小学生の低年代では、未だボール扱いのトレーニングばかりが行われています。まるでサッカーはボールを扱うことが目的で、ボール扱いさえよければ試合に勝てる、ボール扱いが優れている選手が素晴らしい選手である、といったサッカーの本質からはかけ離れた価値観があるようにも見て取れます。低年代で守備を教える必要はなく、それ は年齢が上がった時にやればよいと考えられているのかもしれません。>このスペイン育成にもたずさわる坪井氏は、『ジュニアサッカーを応援しよう 12歳までに身につけたい守備の基本』(VOL.41・2016)で、 相手キーパーの足元・手元にボールが 収まっている時の守備戦術を例としてあげ、結局キーパーにサイドへパントをあげさせてマイボールにしていく弱小チームの守備戦術を紹介し、 スペイン少年サッカーのレベルの高さを指摘し ているのですが、これは去年のFC○○でも実践できていたことです。新宿代表戦や最後ライオンズ杯の対○K戦 を見ていた人は、ビルドアップ時のパスコースをふさぐ組織的な守備連携で(マークではないですよ。マンツーマン・マークは強いチームにはすぐにはがされます――)何度もキーパーやセンターバックを困らせボールが直接タッチラインをわり、マイボールになっていったことに気づいたはずです。まず■■君にはほぼ年間毎試合、トップのプレスのかけ方を確認させ、その動きと間合いに他選手 が連動できるくらいの習性がついていたのです。坪井氏は、スペインでは結局バルサをどう抑えるかでまず弱小チームの戦術が進化していくのだ、それにどう対応するのかで動いていくのだと指摘していますが、こちらも、どうト○ボと張り合えるかのまずはコーチの中での緊張感で戦術思考が密になり、そうしたお互いのチーム間の切磋琢磨で、シ○スや戸○もレベルアップしていったと私は認識しています。そういう意味でも、やはり内藤代表をやめ(ある意味つぶし)、背水の陣の覚悟で自分のチームを立ち上げた◆◆コーチは、相当新宿サッカー界のレベルアップに貢献していると、私は認識しています。

(5)コーチライセンス取得者に配布される「Technical news vol/73」からの引用――

森山(U-16代表監督) ただ、今のサッカーに限らず若い世代の課題として、コーチに言われないとできないとか、やれと言われたことはできるけれども、そうではないことはできないなどがありますが、そういう部分はすごく物足りなく感じます。特に下の年代になればなるほど色濃くあるように思います。」
内山(U-19代表監督) リーグ戦もトレセンも携わってきた中で、懸念していることが一つあります。各チームがスタイルを持っているけれど、どこも結果重視ですね。(イビチャ・)オシムさんが「今日の結果を求めたら、明日の日本はなくなるぞ」と言っていました。リーグ戦をやっていくことはいいけれど、もう少しそれを司る全体観が必要だと思います。余裕を持った環境に整えてあげないと、たぶん良い選手は生まれません。毎週毎週戦って、選手のことに関わり、ましてや選手は18歳。サッカー以外の問題もあるし、プロとメンタルもまた異なる。そういうものを抱えて、「世界を勉強しろ」なんて言うのはなかなか難しい。結果を求められてくる雰囲気がすごく強い。この環境を解いてあげな いと難しいと思います。」 
手倉森(U-23代表監督) 今言われたように、本当に勝つことだけに行きがちかなと思っています。もちろん、プロのJリーグだから勝たなければいけないのですが、勝つための工夫ということに対して、少し幅が足りないのかなというふうに、客観的に今は見ています。…(略)…自分の中では勝つこともあるけれど育てなければいけないというのもあります。思い切ってこの選手を使ってみようというのがうまくいって、育てながら勝つことが究極だと思います。そういう幅のある指導者というのがなかなか出てこないですね。」/「自分であれば、勝つために育てなければいけない、育てれば勝てるという、このフレーズがあった方がいいのではないかと思います。今の社会では、監督だったらもう勝たな ければ駄目。勝っていればいい。けれど、あの監督、あの指導者は良い選手を育てるとか、こういう選手を育てるとか、そういうことが以前は多かったと思います。自分はそっちの方が格好良いと思いますね。」

(6)はらだみずき著作の、「サッカー・ボーイズ」五巻シリーズはご存知でしょうか? 半年前、サッカーの本なら読めるかと一希のために借りてきたのにやっぱり読まないので、自身で読んでみて面白いので一気に読んだのですが。これは、今の日本のサッカー界育成年代でどういう問題が発生し、その中で子供たちをふくめ大人たちもどう悩み実践しているか、よく取材をして書かれた思春期小説です。まずは小学生年代、運動部根性主義の古典的なコーチと、その同級生の池上理論を実践していくようなコーチとの対立を背景にしながら、どう子供たちがサッカーを作っていくかが描かれます(最初KANZENから出版されているので、池上理論に呼応して書かれたとおもいます)。とりあえず、一巻目は 、池上側に軍配があがります。が、中学生になって、部活動とクラブチームとの2項対立を背景にしながら、ほとんどが部活動チームにはいった主人公たちのもとに、先生コーチにかわって、さらなる筋金入りの、トレセンにも顔がきく名物鬼コーチが赴任してきます。同時に、転勤していく先生の薦めで池上理論コーチが、自分の息子とともに、中学の部活動にもたずさわってきます。モチベーションが様々な子供たちの雑居する部活動チームが、どう強豪クラブチームにはりあっていくのか、そのチーム作りの方針をめぐる子供たちを巻き込んだ展開をおっていくと、鬼コーチにすごい洞察と人生的な深さと理論があって、池上理論の正当性が一概にはいえなくなって、すごく複雑な現実の中で読者は考えさせられ るよう設定されています。もう10年以上もまえの作品なんですが、いわば新宿区界隈では、そうした現状が今遅れてやってきて、私たちがこの小説の主人公たちのように考えさせられるはめになっているわけです。新宿内藤の説明会開催の必要性にしろ、これまでそんな問題はなかったのです。ト○マ君、テ○、○っちゃんの3人しか6年になる子がない状況のなかでは、私的にト○マ君に声かけるだけで十分で、○っちゃんのまえで代表とは、と説明しても、どこか可笑しな事態になるだけです。学校単位の地域活動のクラブなのだから、サッカーというよりは単に体を丈夫にするために参加をはじめた親御さんだって多かったというか、それが説明するまでもない前提ですんでいた。が、この近辺でもスクールができてくると、自然そんなクラブチームも競争させられる。パパコーチも、いやでもプロあがりのスクールコーチと競争させらてくるわけです。そういう状況下でのセールスポイントは、私はこれまでの方針を押さえることだとおもっています。そして私個人は、サッカーの話に関連した他の領域の雑談で、子どもたちの関心をひく、というのも意識的にとっている態度です。これまでも、子どもが喧嘩し「なんで俺だけせめる」といえば 戦争の話をし、サッカーのスペースといえばコンピュータのDSのデジタル原理の話をします。グループ戦術を教えたいのだったら、君たちは祖先のおじいさんがマンモスと闘って勝って生き残ってきたその子孫なんだ、どうやって仕留めたかわかるか、とかの話から始めるでしょうね。学校の授業でも、印象に残るのは、先生の雑談だとおもいますので。そうやって、私は子供たちの視野を広げたい。>

中学生の自殺(2)

 
太宰の作品は、高校から大学に入ってくらいまで、よく読んでいたので、その『晩年』に入っていたという 「魚服記」も読んでいたのでしょうが、全く記憶になかったようです。今回読んでみて、何かを考えさせられていますね。ブログの「中学生の自殺」と結びついていくことなのかなおわかりませんが。一月前だかに、全国からの怪奇伝承を集めたのや(「山怪」)、3.11後の東北での霊事象を収集した大学院生の研究本(「霊性の震災学」)なども読んでいて、それをまず連想しました。「天狗の大木を伐り倒す音がめりめりと聞えたり」との太宰の報告は、いまでも山では聞こえてくるそうです。チェンソーの音でなんだそうですが、誰も作業していないのに。ただ、柳田の「遠野物語」の方からたどると、太宰の作品から始動しはじめた思考は、遠ざかっていくような。『晩年』という処女作を読み返したくなりましたね。
私が中学生のころは、むしろ三島由紀夫をよく読んだんですね。難しそうな漢字が多いのがよかったというのもあるのですが、今でも謎です。「豊穣の海」とかは学生か卒業後に読んだのだとおもうのですが、今でもその読んでるときの感じを思い起こすと、蓮實や浅田的にばっさり切リ捨てられない変な感じを呼び起せるんですね。逆に、太宰にはない。もしかして、太宰の方が知的に構成されているからなのかもしれません。この「魚服記」も、(1)風景紹介(遠)(2)場面導入(近)(3)主人公導入(4)蛇への変身譚民話挿入から、(5)「おめえ、なにしに生きでるば」という突然の変調と、そこからの幻想譚まじえての短い場面展開のつなぎには、やはり文学的・物語的なコードでは読み切れない不可解な論理がありますね。(5)の質問など、一希でも突然言いそうな怖い突っ込みですよ。そういう意味で、中学年代思春期に出てくるリアルさを掬い取ってる作品なんでしょうね。それが、性的な大人の生態的現実に触れて、知って、ここでの女の子は取り乱して”飛び込んで”、だけど明るく泳ぎ、しかしそこで、また淵へと「吸いこまれ」ていく選択をした。青森の女子中学生も電車への飛び込みですね。私がブログで書いたのもベランダからの飛び込みで。たしか漱石の「こころ」のK先生の自殺も飛び込みだったろう、と文字ずら分析したのがスガ氏やワタナベ氏だったような。
太宰のこの思春期にみられる垂直的なリアルさが、性(人生)的な次元においてだけでなく、もっと雑な事象でも分析・敷衍されるとき、ユニークなパースペクティブを開いてくれるでしょうか? もしかして、なんとなくブログで冒頭引用したSEALDsについての認識も、そこら辺に感応していたのかもしれません。


----- Original Message -----
From: ○○
To: SUZUKI
Date: 2016/9/8, Thu 22:56
Subject: 夏の終わりに


昨晩は菅原さんのブログの更新を拝読しながら、太宰治の「魚服記」を、坂口安吾が最も讃えた太宰作品を連想して帰り、自宅で朝刊『文學界』の広告を見てから寝て、今晩は19:40に会社を出て、三省堂に入り、20:00閉店までに最新号掲載の柄谷行人と高澤秀次氏による「中上健次と津島佑子」をめぐる対談を読み、高澤氏からの飛騨五郎氏への言及も目にしました。その他、ブログと対談との内容の重なり合う部分には今更、特に驚きもありません。
「魚服記」は『中上健次全集』や『坂口安吾全集』を読んだ大学すなわちNAMのころ以来の記憶かと思いますが、ページを開くとまさに13歳の少女の話です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1563_9723.htm
この「中学生の自殺」から考えれば、三島由紀夫の腹切りなどはもちろん、ひたすら醜悪ですが、他方、太宰自身の入水は、むしろその系譜で美しくもありうるのではないか、という気が私にはしてきます。が、柄谷は決してそうは言わないでしょう。菅原さんと柄谷との違いが、<そこ>を語るか、でもあるでしょう。

2016年9月7日水曜日

中学生の自殺

「若いSEALDsがそれまでの左派リベラルの因習を知っていたとは思えず、したがって彼らは「国民」という言葉をそのままなんの抵抗もなく使っただけなのではないかと思う。しかしそれはSEALDsが、これまで堂々と「国民」を名乗ることのできなかった中途半端な「市民」、つまり「国民」であることを拒否した人々ではなく、サッカーの国際試合で熱狂して日の丸を振る多くの普通の国民に近い存在であることを示している。すでにSEALDsはあざらしと違って「何者でもない人々」ですらないのであった。」(野間易通「国民なめんな」/『3.11後の叛乱』 笠井潔・野間易通著 集英社新書)

夏休みももうじき終わるという頃になって、中学生の自殺の報道がつづいた。2学期目の開始をひかえたこの時期に多くなるのは、一般的だそうだ。
息子の一希と女房の、勉強をめぐるバトルも過激さを増してくる。塾に行って専門家に見てもらうようになれば女房も引くのかと期待したが、塾の批判をしはじめるようになって、検閲・監視はやまない。一希が消しゴムか何かを投げ、女房がひっぱたき返し、ベランダに逃げるイツキを追いかけ、2LDKの狭い中をぐるぐると回りはじめ、とイツキが裸足で外の廊下にでていく。「ふざけたことやってると、そのままベランダから飛び降りるよ。ここは、6階だからな」と、畳部屋で寝ころんで本を読んでいた私は、二人に何度となく跨がれ越されていたが、女房が一人取り残されたところで低くつぶやく。私には、まだ真剣さと遊びの区別が曖昧な息子の死骸が目に見えてくるようだった。「殺すぞ!」とドスをきかした女房の声が聞こえてくることもある。3.11以降、いまだこんなことで子供に挑んでいく親がいることが信じられない。しかも、その時代的な出来事を受けての、市民活動に参加していることがひとつの矜持にもなっているらしいのに。いったい、どう後悔するというのか? ばかばかしくも本当のことが起きてしまったら……。(サッカー部の他の家庭でも、宿題を終わらせていない子供と母親との間で、似たようなドタバタはあったようだ。)

夏休みの生活の感想書と印鑑証明の仕事が、そんなてんやわんやで、私の所へまわってきた。畳に寝ころびながら、さて何を先生に向けて書こうかなと考える。…

<・サッカー部活動の合宿には、父母共に、応援へ行ってきました。ゴール・キーパーからの掛け声のなかに、どう生きていくかの思想的な価値が出ているのには驚きました。
 ・勉強や宿題は、いつも母親と口論しながらやっています。その流れで、この感想も私―父親の所へまわってきたようです。そんな身近な難題を、平和的に解決していけるよう、勉強してもらえればと思います。そのためにも、もう少し文字に慣れて、読書してもらえたらなとおもいます。自身で選んで借りてきた、中学生の”家出戦争”の話は、面白かったようです。>

まだ幼児の頃は、異界がすぐ隣に存在してつきまとってくるような、強烈なおぞましさが死の意識としてあった。が、小学生も高学年になり、中学生にもなると、その死とともにある感覚が変わってくる。遠くなるのだが、逆に異界というより、リアルな感じになってくる。幼児は、存在自体が異界=死のようだが、少年となると、親とは別の人格として疎ましくなりながら、死を現実問題として突きつけてくる、といおうか。だから、具体的に、自らの意志で、どう死ぬかまでがイメージされてくるのだ。幼児なら事故死や誘拐への怯えだが、もう少年自らの主体で訴えこちらを身構えさせる怖さ。もし自ら死を選んだとしても、それはなお子供で死への恐怖が薄いとか、命の大切さに気付いていず軽んじているからだ、ということではない。ないのではないのか、と息子を見ていておもうのだ。むしろそうしてしまったら、”切腹”に近い。過ちを殿様にお詫びする、という儀礼のものではなく、自分の潔白を証明するために、自分を陥れた犯人の前で自らの内臓を広げてみせる、そんな本能的な論理としての行動である。命を軽んじているどころか、命をかけて、母親から逃げ回り、家出していくような。論理とは、有言実行のことだと数学者でもある小室直樹氏はいったが、まだ言葉では論理化できないので、不言実行してしまう果敢さ、無邪気さ……。

青森県で、いじめを苦にか自殺していった女の子の遺書は、どこか明るい。相手をうらんではいない、ただ自分の命をかけた行動によって、考え直してもらいたいと静かに訴えている。この子だけではなく、この年頃の子供たちには、そんな人間への純粋な願いを行動で示す筋道があるようである。