2017年1月1日日曜日

初夢から

「われわれには、「教皇はそう言うが、聖書にはかく言う」という形で、憲法をもって絶対の権威に抵抗したという歴史は、ありそうに見えて実は存在しない。「法」は、ミュンツァーを生み出さず、千年至福的エネルギーで市民革命を追求するという衝動を起させない。というのは「法」はいわば合理性の象徴であり、それは非合理性の”制御”とはなり得ても、それ自体が、何か改革さすか、あるいは自らを破滅さすかの”力”とはなり得ないからである。従って「不磨の大典」をあるいは「平和憲法」を守るという意識自体が、その制御装置がある”力”に破られるか、一部破られているか、いまに全部破られそうだという意識ではあっても、一つの新しい合理性への追求に、一つの非合理性が”力”として作用しているから、その”力”には新しい合理性という新しい制御装置が必要だという意識ではない。」(山本七平『「空気」の研究』 文春文庫)

夜半にトイレに行って時計をみると、三時半すぎ、ということはと思い起こした。「さっき見ていたのが、初夢になるのだな」。寝床にもどって、枕元の電灯をつけて何を見ていたのかメモしようとした。目覚めたそのままで意識化しようとしたわけではなく、すでに日常の意識にもどって無意識に忘れようとした一時のあとだったから、判然としない。ただ奇妙な夢だった。その雰囲気は、『マトリックス』か何かのSF的な映画に似ていた。実際、私達は、黒いスーツを着た相当数の男たちに連行されたのだった。

私達とは、夜勤の荷物担ぎのバイトで仲がよくなったペルーの友達らとである。彼ら数人と、中学の頃の部活動で使っていた、河川敷の野球グランドの淵を歩いていた。土手へと向かう草むらにできた道の向こうから、黒服の男たちが一列に並んで、その土手の坂道を降りてこちらにやってくるのが見えた。警察だということが私にはわかった。「テイコウ、という言葉を使うと、日本ではつかまりますか?」と、隣を歩いていたラファエルが私にきいてきた。警察の男たちが私達の所までくると、ひとりが私に何か尋問し、私達はそのまま土手の方へ連行された。途中、私は私を連れる男に、女房が朝のトレーニングに私が出かけているのを知らないから電話をかけると断り、携帯をかけた。朝の6時5分だった。その横を、キケか誰かが、やはり携帯電話をかけて私を追い抜いて歩いてゆく。それをみて、私はまずいとおもった。警察に誤解されるだろう、そして私が電話をかけているのを見て、彼らは私を裏切者と誤解するだろう、という考えがよぎった。この場面の前で、私達はどこかで、もしかしてペルーの一室で、何か密談らしきものをしていた。「フジモリ」、そんな言葉があったような気がする。

いやそもそもそんな場面の前に、私は、学生の頃住んでいた上落合のおんぼろアパートからどこかに引っ越そうと、東京の街を歩いていた、かもしれない。(この夢は実は、その夜すでに見ていた違う夢なのかもしれない。)若いころから何度かみている、東京駅まえのビル街から、池袋のほうへ抜ける道を歩いている。そしてこれも何度か夢でみている、その駅ホームで迷ったすえにその迷う世間知らずさを隠すような気分で、人混みに流されながら、何番線だかのホームの階段をおり、、埼京線のようなものに乗って、しかし今回の夢では、すでに以前の夢で迷ったことがあるとわかっていたので、その意識をもって、すぐに次の駅で降り、意図どおり池袋の高層ビルの前へと出れたのだった(しかしその街の風景は、実際の池袋とはだいぶ違うが、サンシャインと西武百貨店前を重ねたような映像かもしれない)。以前の夢ではこっちへいってだいぶ遠回りして行ったものだったな、と私は思い起こして、高層ビルの周りを迂回するのではなく、その中を通り抜けていくような道を選んだ。

その夢の場面と一続きだったのかは判然としない。が私は、そうやって都会の街を抜けていく近道を選んで、裏街の路地道のようなところに入ったのだった。そこは、ソウルに行ったときの、オンドルのある旅館へ続く路地の雰囲気に似ていた。まるで茶室のように、その露地路のように枯れ木が風情よく斜に傾いた部屋の脇を通ったとき、新しいアパートはここがいいな、とおもう。ちょっと通り過ぎてから思ったので、私はまたその路地道を引き返した。その場面との一続きだったのかはまた判然としないのだが、私は上落合の古いアパートの自室にたたずんでいた。隣部屋との共同トイレにいけるドアを開けると、隣の部屋の扉が開いていて、私はそれを押して中をのぞいた。蒲団が敷かれていて、髪がぼさぼさの年老いた男が寝ていた。ホームレスだということがわかった。私は彼に何かを言ったかもしれないが、そうして自室に戻り、いまのホームレスが、内山隆氏か、飛騨さんに似ているな、と思った。いや「似ている」と思ったのは目覚めてからで、夢の中では、誰かと受け止めることもなかったとおもう。私が目覚めたのは、この古いアパートのトイレを使用としたからか、思い出せないが、私は目覚めて、トイレに行ったのだった。……

私がなんでそんな初夢を見たのかはわからない。最近の夢は、ここまでストーリ性はなかったとおもう。むしろ、目覚めても夢をみていたことさえ覚えていなくて、だから気にもしていない時のほうが多い。それぐらい、いまは健全に近いのだろうと思っている。今度のも、初夢という縁起がなかったら、小便とともに流し忘れていっただろう。しかし逆に、健全であるからこそ個人的な精神分析的範疇を超えて、どけて、より思考的な、つまりは自分がいま何を考え、考えようとしているのか、その材料の扱い方とかが見えやすくなっているのかもしれない。

本年からは、自然災害だけではなく、人為世界の災害世界にも、当事者として日本本国が参与していくようになる気がする。9.11はなお対岸の火事的であったが、今年からは、そうもいかなくなっていくような気がする。庶民の一人として、無事息災を祈願する。

2016年12月1日木曜日

「なめんなよ!」、その時<中島岳志「愛国と信仰の構造」と大澤真幸「革命の論理形式>――トッド著『家族システムの起源』ノート(5)

中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。
 批評家の江藤淳が一九七0年に「『ごっこ』の世界が終わったとき」という論考を書いています。彼はそこで、戦後日本人はずっと「ごっこ」だったと言っている。つまり最終決定は全部アメリカがするのだから、国会の審議なども全部「ごっこ」にしかすぎないと。ところがそれから四五年以上もたって、安倍首相はこの「ごっこ」遊びをもっと強化しようとし、それを「戦後レジームの解体」という矛盾に満ちたことを言っているわけです。
 しかし、アメリカは遠からずアジアから距離を置き始めるでしょう。そのとき、日本は大きな不安に見舞われる。しかも中国との関係性はきちんと構築されていない。そうなれば、一瞬の出来事をきっかけに、根のない大衆が、権威主義的パーソナリティーに飛びつく可能性が十分ある」(中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』 集英社新書)

約束したそばから反故にされてアメリカより帰国した安倍総理、ロシアとの関係も、内輪での強気は外への弱みだとして食いつかれいいようにしゃぶられているような状況のようである(参照ブログ)。先代がイロニックに従ってきた言動も、もはやそのニュアンスがわからなくなってくるのが3代目のようだから、真面目な「ごっこ」になってしまっているのだろう。が、もはや相手に通じない。こちらはママゴトの延長戦のつもりでも、先方はそんなお付き合いはやめて真剣勝負を挑み始めたのだろう。しかし当方は、その違いがわからない。気づけない。なんでこんなに誠実に対応してきたのに、冷たくなったのだ? そんなとき、3代目坊ちゃんのとる行動様式はどんなものだろう? 私には、都はるみの「北の宿から」のような演歌になるのでないか、という気がする。

<あなたかわりはないですか?
 日ごと寒さがつのります
 着てはもらえぬセーター(TPP/北方領土)を
 涙こらえて編んでます>

しかしならばその時とは、日本の民衆が本気で安倍氏を支持するときである。「判官びいき」で小池氏は都知事になったのではないか、と浜矩子氏の評価を引用し私も同意した。民心のあり方を無視し逆なでした自民党の権力が、対外的な関係では逆転して、小池支持がそのままで敗北感ある安倍政権への同情(世俗権力的な米露中への嫌悪)へと連綿していくことはあり得るのではないか、と私は思っている。

大澤真幸氏は、『日本史のなぞ』(朝日新書)として、「なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」と北条泰時をとりあげる論理的前提として、権力の「二元関係」を抽出してみせている。たとえば、鎌倉時代だったならば、<天皇:幕府=将軍:執権>という構造である。俗にいえば、「無能に見える社長と、経営に辣腕を振るう専務」とか。そして明治時代であるならば<天皇:元老>、そして戦後、この元老の位置に、アメリカが入っているのだと。そしてこの「二元関係」は、論理形式的には、日本に特有のものではない。易姓革命の中国や、キリスト教との関係でも、ヨーロッパとてそうである。が、日本では、「<一者>にあたる要素が――超越的な外部性ではなく――内在的な人間であることの代償は、次のことである。社会システムをある意志によって主体化する「決定」の操作が、「すでにあること」「与えられたこと」をただ追認するという空虚な身振りへと転換すること、それは「天」や「神」のような、現状に抗すること、現状を否定したり改変したりすることを求める意志や帰属点としては、機能しない。これでは、絶対に革命は起きないだろう。」

しかし上の論理は、人類学的にいう、人類の知恵、「権力と権威」の区別という経験知と同等な論旨なのではないだろうか? 共産圏(中国)でははっきりと宗教的権威を否定(区別)し、欧米では形式的・儀礼的には権威を取り入れている。が、近代を経てなお、日本ではその区別が実践的・日常的にも利用されているので、天皇制は手ごわい、ということではなかったのか? 政治のプロとして、飼い犬の吠え方によってその人が自分に投票するかどうかわかるといった小沢一郎氏、論理を理解する近代的な政治家だと江藤淳氏からも称賛された政治家でも、天皇には触れてはだめだと用心しているという。明確には区別したことがなく、なお「二元関係」的に生きているからこそ、論理を超えて、タブーが感じられてくるのではないか? しかも広義には、天皇制とは、天皇とは関係がない。大澤氏自身が社長と専務の卑俗な例をあげてるように、それはいわば、「出る杭は打たれる」、打ってしまう行動様式として、私達の心性としてもあるのだ。出る杭(権威)とそれを打つ権力との関係とは、<天皇:執権(判官)>との関係ということである。権威につくものが偉そうにしていると、揚げ足をとりたくなる。そうやって、自民は都知事選に負け、トランプやプーチンには一生懸命やったけれども、と。むろん、彼らは外人なので、日本人の心情理屈は当てはまらない。が、うまくやれば、マッカーサーのように「まれびと」となって二元関係の神的位置へと内面化されうるようにも振る舞えるだろう。がそれ以前に、日本の民衆自身が、かつてロンドン軍縮会議での政府の世俗権力駆引きの失態から政権に不満を持つことで、元老なきあとの天皇を輔弼する者として軍部自体を二元関係に掬い上げてしまったように、出しゃばりを嫌悪する判官びいき心性を維持するアイデンティティーの確保が、ファシズムを惹起させてくるかもしれない。代表する者とされる者とが恣意的な関係になるという代表政治を媒介に、小池氏がその意図通りで当選したわけでもないように、安倍総理が三選されるのかもしれない。

しかしまた、大澤氏が北条泰時を評価するのは、その論理を「否定的に活用」したからだった。――「<例外的な一者>を肯定的に活用するような革命は、日本では起きなかった。天皇は、社会システムとの関係で、真の<超越性・例外性>をもっていなかったからだ。しかし、それを否定的に活用するのであれば、日本でも、革命が起こりうる。」

否定的に活用する、とはどういうことか? それは泰時が天皇を成敗しながら、それを活用したことが例であるとされる。その権威を借りるのではなく(それは安吾が批判したように日本史で反復されてきたことだ――)、それを否定した上で、その在り方に「忠義を表現した」と(――信長のように端的に否定するだけでなく)。わかりにくいが、大澤氏は、パスカルの神の存在証明を超えた賭け(神の不在が証明されても神に賭けることに損は発生しないという論理)への批判的継承としての、ディドロの「不在の神への信仰」態度を例示している。パスカルの賭けは、なお損得勘定があって不純だが、ディドロのそれは「神なき信仰」であり、泰時のそれは「天皇なき天皇制」だというのである。私も、論理形式としては、それを受け入れてもいい。トランプやプーチンにやりこめられた安倍をはじめとした日本人が「なめんなよ!」と立ち上がろうとするその時、私たちが実践すべきなのは、退位を表明した天皇に同情しその権威を借りて9条を錦の端にして現状を否定してみせようとすることではない(そんなのは自己満足的な身振り、つまりは「判官びいき」という「二元関係」を無自覚に肯定的に活用しているということになる――)。自分たちの世俗の力のなさ、世渡りの下手糞さを自覚して、まずはそんな感情(空気)に左右されてしまう自分たちを立て直そうと我慢することだ。私としては、その大きな集団的行為とが、憲法改正して、天皇の条項を憲法から削除すること、だと思っている。そして、別立法で、天皇を庇護するよう税法や財産の件などをじっくりと考えていけばいい。それこそ、泰時がやった実践=革命であろう。まずは、我々の甘ったれた「権威主義的パーソナリティー」からゆっくりと決別する手だてを実践していかなくてはならない、それが先決だ。が、その、大澤氏ならば論理的な実践と呼ぶかもしれないその論理形式の内実、あるいは文脈が、我々の実感、経験を踏まえたものでなければならない。そうでなければ、その論理実践から、私達は、疎外されたままであろう。空虚な感じにつきまとわれたままだ。

では、その内実、文脈とはなんだろうか? 大澤氏は、泰時の御成敗式目から、次のように引用付記している。

< 女が養子をとることについて。律令ではこれを認めていないが、頼朝の治世から今日まで、子のいない未亡人が養子を迎え、その養子に所領(夫から受け継いだ領地)を譲渡するのを認めた例はたくさんあり、すべてを数え切れないほどだ。のみならず、一般にそうしたことは広く行われ慣例にもなっている。女性の養子を認める評議の内容は信用に足るものである。

 このような条文を含む複数の条文から、律令の公式の規定とは異なり、御成敗式目が女性の財産に対する大きな権利を認めていたことがわかる。
 このような法を定めたことは、日本社会の歴史の中で、まことに画期的なことであった。御成敗式目が、完全に固有法だからである。法制史には、固有法と継受法という区別がある。継受法とは、他国の法律を、自国の事情に照らして改変した上で継受した法律である。…(略)…内容の点でも、また文体の点でも、御成敗式目は、律令とはまったく独立している。無学で、漢字が苦手な武士でも、この法は理解できるようにできている。>

また、『雨月物語』から「白峰」を引用し、「…何の落度もなかったのに、父親の鳥羽上皇の命令によって仕方なく、その位を、異母弟である三歳の体仁に禅った。体仁、つまり近衛天皇が早世したのだから、崇徳院の子の重仁(崇徳院の第一皇子)が天皇になるのが本来の道理だったのではないか」という崇徳院の霊に反論する西行の言い分を、大澤氏は紹介している。これらの引用から連想されてくるのは、どちらも父系的な共同家族という文明中心からの影響下での、核家族(双系制)的な土着の抵抗の文脈である。大澤氏は、中国の易姓革命に関し、皇帝のことを「別の父系集団に属する人物」としても註しているから、もしかして、トッド氏の家族人類学的な分析を意識しているかもしれない。現在の中国に対しては、「今や、皇帝を輩出するのは、同一の姓の父系集団ではなく、共産党である」とも注記している。ともかくも、大澤氏は、論理の形式的な同等性以前に、自然発生的な、自生的秩序をそれが踏まえていなければならないとしている、と言っているようだ。つまりその論理が成功するには、論理的な前提として存在している文脈=自然=自生的な運動がある。

<自生する秩序の尊重は保守主義のアイデアであって、社会に革命的変動をもたらすものではないのではないか。そうではない。確かに、自生的秩序の肯定は保守主義の基本テーゼかもしれないが、そのことは必ずしも革命とは矛盾しない。というより、革命は、一般に、自然発生している秩序や運動を徹底的に肯定することを通じて、自らもその秩序や運動に参加することによって実現するのだ。革命は、自然発生している秩序に抗して為し遂げられるのではなく、逆に、それを、徹底して、過剰なまでに肯定し、引き受けることによって可能になる。言い換えるならば、自然発生しつつある秩序や運動を十全(以上)に肯定することは勇気を要することであり、一般に困難なことである。>

しかしそれは、「困難」なだけではない、「恐ろしさ」でもあるのだ、というのが、冒頭引用の中島氏の洞察である。

中島 しかし、「自然的作為」や「自然法爾」という考え方は危険だから持つべきではない、と言いたいわけではありません。一方でこれらの概念は、民衆の自生的秩序を生み出す力とも結びついています。
 たとえばレベッカ・ソルニットが『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』で描いたように、大震災などが起きた時に、突如として人々が水や食べ物を分け合い、そこに秩序というものが自生的に生まれ、そして国家の介入なしに安定した社会を作ろうとしていく。
 こうした力も、「自然法爾」という概念は含み持っていて、それが親鸞の魅力でもあるわけです。
 ですから吉本隆明の問いかけというのは、私にとっては親鸞思想の魅力と恐ろしさの両者をどのように考えるのかという問題をつきつけられた感じがしたわけです>(前掲書)

中島氏は、トッド的な人類学的な文脈を意識しているわけではないようだが、私は、秋葉原事件のルポから、氏の「血盟団事件」への考察を読み、そのトッドがみる「自然的作為」としての家族人類学的文脈を想起せざるを得ない。私は、血盟団事件の首謀者である井上日召が、自分と同じ出身地だとは知らなかった。が、その激情的な情念は、よくわかる。内村鑑三などとも、似ている。血盟団の若者たちは、媒介者を排した直接的な、空虚を介在させない直接的な感情の発露を欲した。しかし、政治が代表制という選ぶ者と選ばれる者との恣意的な結合という記号論的な制度であるかぎり、そこに、今の祭りごとに、そんな欲望充足を求めても詮無いことである。が、大澤氏の説く革命の論理形式も、たとえ自生的な動き=文脈に乗っかっても、それが政治的であろうとするなら、つまりは代表制という論理形式をも排除するわけでもないのであるなら、実現可能な論理的整合性を持ち得るのだろうか? 

私には、ただ直観があるだけだ。「なめんなよ!」(SEALDSの政治的コールでもあったそう――)、その自生的な激情は、脱原発を意欲しながら核武装も可能にさせる。安倍が自ら意図したように選ばれるわけではないように、民衆は意欲しないものを選ぶことができる。選んでしまう。その意欲の生け捕り方法は、果たして、大澤氏の説く論法なのだろうか? 少なくとも、上州生まれ、坂東太郎育ちの私には、その論法は理解できるとしても、心服されるものからは遠く感ぜられるのである。

2016年11月20日日曜日

直系家族のエピソード――トッド『家族システムの起源』ノート(4)

「脳は、一雄一雌関係を保つことにいちばん「頭を使って」いるのではないか。あなたは夫や妻の短所や欠点に苦労させられたことはないだろうか? もしあなたが、パートナーとの関係を続けるのも楽じゃないと思っていたら、まさにそういうことだ。鳥類でも哺乳類でも、体格のわりに脳が大きい種はまずまちがいなく一雄一雌だ。反対にその他大勢の群れをつくり、乱交にはげむ種は脳が小さい。
 さらに鳥類をくわしく見ると、脳の大きさにほんとうにかかわってくるのは一雄一雌だということがわかる。それもちょっとやそっとのことでは揺らがない。長続きする関係だ。一雄一雌関係にも二種類あって、ヨーロッパコマドリやシジュウガラは繁殖期のたびに相手が新しくなる。そのいっぽうで、フクロウなど獲物を捕まえて食べる鳥や、カラス、オウムなどは一度決めた相手と死ぬまで添いとげる。そして後者の脳は、相手を一年でとりかえる鳥よりはるかに大きい。体格や食性などの生態を考慮しても、この事実は変わらないのだ。
 哺乳類になると、一雄一雌関係は全体のわずか五パーセントと少数派に転落する。それでもイヌ、オオカミ、キツネ、レイヨウの仲間は一雄一雌だ。彼らの脳は、大きな社会集団のなかで相手かまわず交尾する種より大きい。」(ロビン・ダンバー『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』 インターシフト)

高校野球部の同期会ということで帰省し、伊香保に行ってきた。大学進学でほぼみな上京していたが、今はほぼみな地元で生活している。19歳いらい、つまりは世の中のことを意識的に見られる年頃以降は、地元での生活がなかったわけだから、私には生まれ故郷がどんな人のつながりで動いているのだかわからない。しかも、野球部という集団場所に子どもの頃から所属していたとしても、私はどちらかというと、イチローみたいな一匹狼タイプだったろうから、遊びでつるむような友達というのもいなかった。酒を飲みながら話を聞いていると、たとえ私が東京の職人下町のようなところに参列して生きてきたとしても、他所からきた私のようなものをとり込んで成立することを前提としているような都会よりも、地元でのほうが封建的なメンタルやしきたりが動いているのだな、と思われてきた。家の会社を継いでいる者の話を聞いていても、長男という存在がずっしりとくる。

そんな話のなかで、私が子どものサッカーチームのコーチをしていると近況紹介していると、現高校野球部父母会会長が、私を次の監督にしたらどうなのかと口をはさんだ。一瞬、幹事役をはじめとした、この地元世界の仕切りに末席している男たちの間で、妙な沈黙がおこった。子ども二人が、旧制中学からの伝統ある男子進学校に入学でき、その長男が野球部の選手になっているということでその役についていた者、現役時代はキャッチャーだったのだが、どこか空気を読めずまわりからばかにされるところのある者だったのだが、いまは「偉い」役職ということで、発言に力があるようだった。「俺は教師じゃやないから」と私も驚いて沈黙を破ると、もうそこには触れないとそらしていく話がつづいた。ということは、本当に次期監督を探しているところがあるのだろう、そして私が子どものサッカーで話していた流れから推論すると、自身が甲子園出場経験があり、数年前に球児をその三十年振りだかに甲子園へ連れていった現監督の指導法に、批判的な声が結構ある、ということなのだろう。それは昔ながらの、指導者への問答無用な暴力的なものであるらしい。去年、元部長の傘寿の祝いで100以上だかの元部員が集まったときにも、「意味がないよ」と、その強圧的な指導に対し苦言をもらしている先輩にも出会っていた。しかし、そうした体制に意識的な疑問をはさめないのが、この地元での野球界なのだろう。現地高校野球界で、周りから信頼の篤いとされる現役監督は、私の中学野球部の1年上の先輩だった。「腰が低くてすごい評判がいい」とは、父母会会長の言葉である。「だけど、知り合いにきくと、怖くて誰も近寄れないんだよ。」選手の指導でも、暴力は当たり前のようだ。ミスをした選手へのおおふくピンタが、外野へとつつづくファウルライン上をあとずさりしていく選手を追いかけていったという。ということは、大会中にそうなったのだろうか? 私が中学のとき、その甲子園経験者の先輩からショートのポジションを奪い、先輩がサードにコンバートになったと知ると、「えっ、だ、だいじょうぶだったの?」と父母会会長は驚く。「まあ、先輩からレギュラー奪って、リンチされなかったのは俺だけだったけど。」おそらく、空気の読めない会長は、私の立ち位置を感じて、無邪気に思ったこと、認識していることを言ってしまったのだろう。

しかし、ここ東京のサッカー少年クラブのコーチ間で議論したことなど、とても地元では無邪気にできはしないだろう、と私は思わされた。それは野球とサッカーの日本での系譜的な差異、というより、地域差のようにおもわれる。

一希が、よくTV「ドクターX」をみている。私の経歴からすると、私は「御意」の側ではなく、群れを嫌うほうだろう。ネクタイ・スーツいたしません、接待ゴルフはいたしません、満員通勤電車は乗りません……それが、就活にあたって、意志的とはいわないまでも、意識的なポリシー、生理だったはずだ。だから、あの24時間戦えますかのバブル期、ほぼ不可能なモラルだったので、私は消極的に動けず、つまりは就活などいっさい行わず、ウサギ小屋でじっとしていたのである。最近になって、小池都知事が、「満員電車」など恥ずかしい、と言っている。小池氏も、「ドクターX]タイプな帰国子女だから、集団倫理の掟を潔しとはしていないのだろう。が、私は、「御意」の群れを、否定する気はないし、否定するのはよくないと思っている。それが、トッドの保守的な学術をも受容的に注目する態度につながっているだろう。あるいは、柄谷氏が、NAMの散会が意識しはじめられたころ、コアなメンバーにむけて、「これからは前衛党のようになる」と、その続行のためのアイデアに転回しようとしたとき、むしろなおさら興ざめてしまった感性とも通じているだろう。そういう意味では、私はなお地元の封建意識を手離していない。それが何故であったのかを、NAM解散後、意識的に理論的に追求している、ということにもなるだろう。

息子は、とりあえず、「御意」の群れを好む性向のようにみえる。それでもいいから、自分の道を探っていってほしい。

2016年11月19日土曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と

林羅山の子々孫々の墓

日本が、「直系家族」的な家族人類学的類型の価値イデオロギーの中に在る、と言われても、その価値がどういうものなのかはわかりにくい。今月の『文芸春秋』12月号の、トッド氏と磯田氏との対談は、その家族的枠が、どう価値的に社会に作用してくるかの具体例にふれているので、メモしていく。その価値は、日本の社会思想史の文脈からみたら、どこか追認的な懐かしい見解にみえる。中根千枝著の『タテ社会の人間関係』、村上 泰亮著『文明としてのイエ社会』、あるいはその日本的伝統なるものを批判的に論じた関ひろの氏の『野蛮としてのイエ社会』などを連想する。その発想枠の源典には、丸山眞男氏の『日本の思想』や、最近都知事の小池氏の紹介で話題になった山本七平氏の『空気の研究』などもあげられるかもしれない。要は、敗戦を受けての反省から、ムラからでよ、という主体的・意志的なイデオロギー価値の提出へとつらなっていく系譜。ただトッド氏の見解が違うのは、これまでは日本の特殊性の主張に収斂していく閉鎖的な議論だったが、その我々の固有的な価値が、実はもっと大きな世界史的な文脈に通じていることを前提にしていることだろう。そこから、実践的な方策を考えていくにも、現状から出る、という個人主体を問題とするというよりも、他の家族類型からくる価値とのバランス、集団的な調整を趣向しやすい。それはだから、地政学的なリアル・ポリティクスと親近してくるようにみえる。トッド氏が、中国という共同体家族的な価値を中心とするアジア地域において、日本の核武装の必要性(バランス)を喚起させるのも、そのような地政学的な均衡=平和という、現実主義以外の発想をとり得ない学問的な枠組みがあるからだろう。そこが、双系制(≒核家族)を遡行的なユートピア=統制的理念として握持する、「世界史の構造」の柄谷氏とは違ってくるポイントだ。しかし、トッド氏も、文明的な共同体家族の価値イデオロギーに反動的にその地域に固有的な家族形成が発生してくるというのだから(母系制は父系的な価値への反動として出来するとされる――)、潜在的には、フロイト的な回帰理論、抑圧された心理の永続性、持続・反復性を認めているのである。おそらく、それを理論的には排除しているので、「反動」における動きを理念型的に捉えてみようとするような問題自体が発生してこないのだ。

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トッド 天皇家は、直系家族、つまり日本的な「イエ」とは異なる何かです。明治期の法制化で天皇家にも直系家族的な「男子長子相続」の原則が適用されましたが、本来の天皇家のあり方からすれば、あまりにも人工的な措置だったようにも見えます。
磯田 その通りです。天皇家が日本の家族システムと決定的に異なっている点がひとつあります。それは現在に至るまで、婿養子をとったことが一度もないのです。近世以降、日本の家族には二割五分から四割は婿養子が存在します。婿養子をとるのは血縁の継承よりも、家名の存続に重きを置いているからだと思います。…(略)…
トッド (世界的にみると)直系家族は血統が何代も長く続くことには重きを置いていません。血統よりも、プラグマティックに家業の継続性などのほうが重要だと考える傾向にあります。」(エマニュエル・トッド/磯田道史「日本の人口減少は「直系家族病」だ」『文芸春秋』2016・12月号)

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<双系制は、家の血のつながりから独立させる。このことは、柳田がいう固有信仰の特性とも関連する。固有信仰では、父系と母系は区別されず、いずれも先祖と見なされる。しかも、このことはたんに、両方を先祖にいれるにとどまらない。むしろ、先祖を血縁と無関係に考えることになる。たとえば、血のつながりがなくても、何らかの「縁」あるいは「愛」があれば、先祖とみなされる。逆にいうと、養子制度が一般に承認されたのも、このような先祖観があったからである。日本では「遠い親戚より近い他人」という考えが一般的である。それは、祖霊に関してもあてはまる。「近い他人」が先祖となりうるのだ。>(柄谷行人著『遊動論』 文春新書)


トッド 日本はドイツと同じ家族システムの国ですが、ひとつ違う点は、イトコ婚(イトコ同士の結婚)の存在です。ドイツのイトコ婚は、ほぼ皆無ですが、日本では歴史的に許容されてきました。第二次大戦直後でも婚姻全体のうち七・二%です。イトコ婚は同じ親族グループ内での結婚(内婚)なので、社会の閉鎖的・内向的な傾向を示すものと考えられています。…(略)…イスラム世界だとイトコ婚は三割ほどを占めるのに対して、ドイツのようにキリスト教文化圏は内婚を厳しく排除します。そう考えると日本の内婚率は、ユダヤ民族と同じくらいの割合ですね。…」(前掲書)

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<神が人を愛する、というような考えは、呪術や自然信仰から来ることはない。ゆえに、それは先祖信仰から来るというほかない。もちろん、先祖信仰がそのままで普遍宗教となりうるわけではない。そもそも、先祖信仰は限られた氏族の間でしか存立できない。国家社会は、多数の氏族神を超えた超越的な神を必要とする。神の超越化は同時に、祭祀・神官の地位を超越化する。神の超越性は、専制国家の成立とともにさらに強化され、世界帝国はその極に達して、「世界神」が生じる。
 だが、それが普遍宗教かといえば、そうではない。そこには「愛」が欠けている。つまり、神が人を愛する、および人が神を愛する、という関係が存在しない。セム族の宗教、すなわちユダヤ教にそれが存在するのは、そこに、先祖信仰が回復されているからだ。もちろん、それは先祖信仰のままではない。ここでは、先祖信仰がいわば”高次元”で回復されているのである。ゆえに、先祖信仰を否定すれば、普遍的になるというのは錯誤である。>(柄谷前掲書)


トッド …ヨーロッパでも日本におけるのと同じように、直系家族は、数世紀という長い時間をかけて、ゆっくりと定着していったのですが、知識や技術の伝承に長けている家族システムなので、これが広がる過程で社会が飛躍的に進歩します。直系家族とは、継続性と柔軟性を兼ね備えたダイナミックな社会なのです。
磯田 家を継ぐ長男以外は、外に出て仕事を見つけなければなりませんから、直系家族は、近代化に不可欠な工場や軍隊を作るのに、とてもマッチしています。
トッド ところが、直系家族がいったん完全に確立してしまうと、今度は社会全体が継続性だけを重視するようになり、やや「化石」化の傾向に陥りがちなのです。先ほどのスクラップ&ビルドが苦手という話を聞くと、磯田さんは直系家族にあまり肯定的ではないようですが?」


磯田 さらに興味深いのは、組織を守り続ける直系家族社会の中で、”破壊者”の役割を担ったのが、薩摩を中心とした西南日本の勢力だったことです。明治維新を引き起こした革新的エネルギーは、薩摩をはじめ、佐賀、長州、土佐といった中世的な様相を残していた地域から生まれました。
トッド 直系家族というシステムは、核家族がいわば進化した新しい形態なので、それよりも古い原初的な家族システムの残滓が、そうした地域に残っていた可能性もありますね。…(略)…日本の社会が、秩序を重んじる直系家族によって固定化してしまったとき、それを打開するために薩摩の人たちが、あるいは薩摩風の人たちが無秩序というか、フレキシビリティを発揮するのですね。それは直系家族より前に存在した、原初的でアルカイック(古風)な家族システムによるものかもしれません。 
 普段、日本人は非常に規律正しく礼節を重んじる民族ですが、と同時にもっと柔軟で、「自然人」とでも言うべき奔放な側面も併せ持っている気がします。同じ直系家族のドイツやスウェーデンで「自然人」を見つけようとしたら、もっともっと深く地層を掘り返さないといけない(笑)
磯田 なるほど。丸山真男が言うところの「古層」のようなものでしょうか。」

↓↑

<私の考えでは、柳田のいう固有信仰は、出自によって組織される以前の遊動民社会にもとづくものである。母系であれ、父系であれ、出自による集団の組織化は、定住段階に始まった、と考えられる。定住とともに、多数の他者との共存、さらに、不可避的に生じる蓄積、そして、それがもたらす社会的不平等や対立を、互酬的な縛りによって抑えるようになった。だから、そこには、愛があると同時に敵対があるのだ。
 ここから見ると、柳田国男のいう固有信仰の背景には、富と権力の不平等や葛藤がないような社会があった、と推定することができる。それは水田稲作農民の共同体ではなく、それ以前の遊動民の社会である。>(柄谷前掲書)



磯田 …普段は遠く離れて核家族で暮らしているのに、このときだけは日本人は直系家族としての意識を取り戻す。帰省ラッシュがなくなったら、日本の直系家族は消滅すると速水先生が言っていたことを思い出します。
トッド つい最近、日本で直系家族的価値観が今もなお保たれていることを実感した出来事があります。十月十二日に東京電力の施設で火災が発生したために、都内で大規模な停電がありましたね。その時、私はちょうど都内のホテルに滞在していましたが、避難する宿泊客たちの規律正しい姿に驚くと同時に、やっぱり、とも思いました。フランスだったら考えられない事態ですよ。これ
は”ゾンビ直系家族”と言っていいでしょう。家族構造がモダン化した核家族になっていても、直系家族の価値観はなくならない。江戸時代、そうしたイデオロギーはまだ発展途上でした。現在のほうがむしろ、より強くなっているのではないでしょうか。
磯田 もっと細かく見ていくと、私は最近、”ゾンビ万葉集”の可能性もあるのではないかと思っています。
トッド 万葉集? それは何年ごろのものですか?
磯田 七世紀から八世紀ですね。フランスだとフランク王国のメロヴィング朝のころでしょうか。
  なぜ万葉集かというと、直系家族から万葉集の時代のシステムに戻ったものがあるからです。その筆頭が、相続の仕方です。長男が総取りするという直系家族的原則がなくなりました。次に、結婚したら妻の親側の家に住むことが増えてきました。特に子どもが生まれてから移り住む人が多くなった。さらに、おおっぴらに婚前交渉をするようになった。万葉集のころは、日本史上、一番性愛に大らかだった時代ですから。
 一方、変わらなかったのは、親を養うという意識です。実際にそうするかどうかは別として、今でもアンケートをとると「親を養う」という直系家族的な考え方は意外と根強いです。あとは、子どもができたら結婚するという考え方。…」


トッド 核家族システムのフランスでは、親を養おうという意識なんて希薄ですよ。婚外子の存在も普通のことですし、片親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も二・0一にまで押し上げられています。日本では、直系家族の価値観が、ますます少子化を進めていると思います。歴史人口学者として言っておきますが、日本における最大の問題は、人口減少と少子化です。…(略)…移民をもっと受け入れるべきだとしても、根本的な解決にはなりません。今日の日本社会の最大の問題は、直系家族的な価値観が育児と仕事の両立をさまたげ、少子化を招いていることです。家族のことを家族にばかり任せるのではなく、出生率上昇のために国家が介入すべきです。政府が真っ先に取り組むべきは、経済対策よりも人口問題だと考えます。」

2016年11月11日金曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2)

父から孫イツキへの墨絵<登り竜>

「Ⅰ ユーラシア」の「第4章 日本」の個所からのみ抜粋

原型的な……

「縄文時代末期のものと推定される墓穴の中の骸骨の遺伝子分析を用いた最近の研究は、日本の南西部の異なる二つの地域に位置する二つの共同体において、婚姻後の夫婦の居住は双処居住だったことを検証した。」

「喚起された唯一の地域多様性は、いずれも直系家族であるが、遺産相続の変異によってその様態が異なるというものにすぎなかった。男性長子相続は、息子がいない場合の娘による相続を妨げなかった。それは、前工業時代の人口条件の中で二○%の家族に見られた状況である。性別による相続の分析は、日本では養子を相続人とすることが頻繁に行なわれたことによって、込み入ったものとなっている。相続人を養子に取るという手法は、ヨーロッパでは排除されている。…(略)…養子縁組は、実際には、母方居住の入り婿婚を形式化したものであった。これによって、娘による遺産の継承が可能になるのである。養子となる者は、親族の中から選ばれるのではあるが、世帯主の親族から選ばれるのが義務ではなく、時として世帯主の妻の親族の中から選ばれた。父系親族しか養子として認めない朝鮮のシステムとは、非常にかけ離れている。…(略)…日本の標準型では、実際上、女性による相続が二○%に達するということになったわけである。それは<レベル1の父系制>に相当するということになる。」

東北の前提的な……

「日本の北東部で観察されるのは、中国風の父系制の度合いの強い父方居住共同体家族ではない。日本では、北東部でも南西部でも、家族モデルは、必要に応じて女性による財産の相続を許している。実際、いくつかの指標によると、女性の地位は、主要な島である本州の中心部よりも、狭い意味での北東を意味する「東北」で、時としてより高いことがあるように見える。それは日本における絶対長子制、すなわち、女子が最年長なら相続するというあの規則の地域である。彼女の夫は、婿として家族の一員となる(姉家督)。…(略)…それは、兄弟間の不平等の原則と、女性の地位が依然として無視できないという、二つの最も特徴的な直系家族的価値が、中央部よりもはるか北東部で顕著であるという、単純にして正当な理由から言えることである。世帯の目に見える構造を無視して、これらの変数だけに従うならば、北東部の家族はなお一層「直系家族的」であると考えられるだろう。」

「北東部のシステムは、容易に相互に相関しやすい他の特徴を示している。すなわち、父親の引退は早めであり、子どもの結婚年齢もやはり早めである。この慣行はもちろん、世代間の集住を容易にする。早期に引退した父親はまた、家を離れて、同じ囲い地の中の別に切り離された家屋に住むこともある。時には他の子どもも父親について行く。最終的には最も若年の息子が、父親の家を相続する。これが<隠居>の手順である。分離は別々の台所の開設にまで至ることがある。これは、厳密に言えば、人類学者なら二つの核家族があると知覚するはずの事態である。しかし、現地共同体と国家の見方を表現する住民登録簿(戸籍)は、この全体を一つの単位として定義する。跡取り息子が家長でありその代表者ということになる。また。このように次々に起こる核分裂によって出来た世帯の間には、やはりより強くより序列的な繫がりが見られるのである。」

関西前提的な……

「この貴族階級の成員たちによって残された数多くの日記の詳細な分析を行ったマックルーは、きわめて巨大なクランを組織・編成する父系原則と、男性配偶者の住居についての母方居住の優勢との共存を証明することができた。このシステムの中で、支配的なクランである藤原一族は、皇帝一族と連携して、独特の地位を占めていた。マックルーは、人類学における父系制と母方居住の組み合わせの希少性に言及している。とはいえ、…(略)…厳密に言うなら、このような婚姻後居住モデルは、おそらく母方居住屈折を伴う双処居住と定義されるべきものであろうが、しかし、父系原則を含むシステムとしては、それだけでも大したものである。…(略)…しばしば、母方居住的住居様態は、祖父である藤原の者が、自分の娘の息子である未来の皇帝を育てることを可能にしていた。シモーヌ・もクレールは、藤原クランに所属することは、宮廷での地位を獲得するための競争のグラウンドに入場することを許す一つの条件でしかなかったということを示した。藤原一族の中でも、継承規則に関して不明瞭さが支配していた皇帝一族の中でも、堅固な長子相続の原則は全く観察されない。
 一見して複雑なこの布置について、相対的に単純な解釈は可能である。父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった。しかし、家族システムがまだ主要部分では双処居住的で、親族システムが双方的であったと考えられる日本の社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した。風俗慣習に関して、女性によって頻繁に書かれた当時の日記を通して感じられるのは、両性の関係という面では均衡がとれているが、中国的父系原則と日本的双方基底との間のある種の二元性の作用を受けている、そうした文化である。この二元性は、文書の中に刻み込まれている。男性の行政文書は中国語で書かれたのに対し、女性の個人的文学は、日本語とカナで書かれたのである。それに、この時代の当初における、女帝の出現と中国との関係の再開とが、同じ時期に起ったというめぐり合わせにも、驚く他ない。」

関東での変移から……

「現在入手可能な歴史データが示すところでは、男性長子相続が本当に日本に、その貴族層の中に登場したのは、鎌倉時代後半になってから、すなわち、十三世紀末から十四世紀初頭までの時期においてであった。」「要するに直系家族の台頭は、中国と同様に、日本でも父方居住現象と女性のステータスの低下の始まりを伴ったわけである。日本は<レベル1の父系制>に達するが、その後、これを越えることはないだろう。親族用語は一般的特徴としては双方的なままである。」

「直系家族の台頭は、農業経済の稠密化と集約化の段階に相当する。十一世紀から十二世紀の大開拓の後、十三世紀半ばに、瀬戸内海沿岸では二毛作が出現する。米を収穫した後、穀物を栽培するわけであるが、これは土地を疲弊させるよりはむしろ豊沃にした。そしてまたしても、戦争は稠密化と直系家族を促進した。」

「長子相続は、京都の宮廷の権威をはねつけた戦士的貴族たちによって<関東>にもたらされたのである。家族の地理的分布が示す微妙な差が、このような仮説を確証してくれる。直系家族が、最も純粋な形態とは言えないまでも、絶対長子制や末子相続のような逸脱的要素をあまり含まない形で存在するのは、<関東>においてである。絶対長子制は、日本の北東部、<東北>の特徴であり、末子相続は、西部では数多くの例が見られるわけであるが。…(略)…本州の人口密度の高い部分の西と東の間の違いは、とはいえ、単線的な直系家族類型の中の微妙な差にすぎない。」

「日本北東部のケースの中に感じられると思われるのは、もともと存在した一時的双処同居を伴う核家族システムの上に、不平等という直系家族的概念が直接的に貼り付けられたということである。もともとの兄弟姉妹の夫婦家族を連合する双処居住集団の痕跡さえ知覚することができる。直系家族的な序列原則が兄弟間の関係の上に直接に取り付けられたようなのである。父親は早期に引退する。<本家・分家>集団の中では、同じ株から枝分かれした世帯間の付き合いが重要となる。娘が長子である場合、その娘を跡取りとする絶対長子制の規則は、それが存在するのであるなら、もともとの双処居住の痕跡に他ならない。先に記述されたような、分離した住居を伴う<隠居>は、核家族間の関係を組織していた柔軟なシステムの痕跡である。
 以上提案された解釈に従うなら、追加的な一時的同居を伴う直系家族は、日本北東部では、それほど必要としていなかった社会に直系家族的概念が輸入された結果であるということになる。」

沖縄から……

「理論面で重要なのは、またしても、接触前線上におけるように、母系制は父系制から、母方居住は父方居住制から生まれているということを確認することである。後にも本書中に、他の例から多数見出されるはずであるが、特に、沖縄島ではより平凡な形態の例が見られる。…(略)…またしても、母方居住制は父方居住制の輸入に対する反動と考えることができるのである。実際にそれ以前に存在した、おそらく双方的であったシステムは、姿を消したのだろう。この母方居住という分離的否定が起こった時期は、日本の権力下であったか、あるいはより早く、中国の影響下の時代においてなのかについて、仮説を立てるのは難しい。」

アイヌ人……

「私としてはアイヌ人の家族を一時的双処同居もしくは近接居住を伴う核家族のカテゴリーに入れるものである。ユーラシアの北東の果てに位置するというその位置取りからして、アイヌ人の家族は周縁部的かつ古代的と定義される。要するにそれは、双処居住集団に組み入れられた核家族を人類の起源的類型と考える本書の全般的仮説を検証するわけである。」

イトコ婚……

「日本の直系家族は、軽度の内婚傾斜を持つところが、ドイツや朝鮮の直系家族と区別される。」

※上のような、人類学的な客観的視点の正当性とその是非の程度と、差異(実感)の強度の具合を、柳田などの古典民俗学的な視点や、日本人としての私から内省してみること。あるいは文学を利用して、たとえば家族をあつかった中上の実践は、人類学的な客観からみてどう当てはまってくるのか、その作品の世界史的な意味、作家の実践的な企図はどのようなものになるのか? アキユキは、どんな価値交換をリュウゾウと果たしたことになるのか? 妹との禁忌、内婚、津島佑子の作品とう、とりあえず図式で追ってみること。絵解きすること。また、第Ⅱ巻のヨーロッパの文脈で、ドストエフスキーのカラマーゾフなどを読み直すとどうなるのだろうか?

・<父(権)>が降りたということが、ソ連の崩壊とともに、中上作品の意味としてその時期言及された。そして、共同体国家(家族)=共産圏が消滅して浮上したのは、本当の敵、自分を支配しているものは母親的なものだ、とも。中上は、血盟団事件(テロ)にかこつけて、「死のれ、死のれ、マザー、マザー」と主人公に歌わせはじめたわけだ。現在、プーチン、ドゥテルテ、トランプとか、父権的な見かけの政治家が出てきているが、実際には権威(象徴)で引っ張るというより、実務的な強引さで民衆をひきつけようとしている点で、女性的とも言える。空威張りより生きた実感を、と。そういう世界的な風潮が、共同体家族(ロシア)、直系家族(日本)、核家族(アメリカ)、という家族形態によってその風潮(思想・価値)の実質が変形されて継承(交換)されていく、ということだ。アメリカのトランプが勝ったのは、地方(田舎)においてである。日本でのトランプ現象と類似しているものは、大阪での橋本運動と、東京での小池運動という都心部においてである、と変移されている。生きた実感をという核家族的な反動が、本場のアメリカと違って、日本の地方では、結婚後でもなお母方居住なり父方居住という直系的な家族システムの歪曲形態の残存(双方的居住)がフィードバックとなっているからで、都心部に暮らす文字通りな<パパーママーボク>の核家族的な現実=苦しい生実感がまだ遮蔽されているからか? もし私が、長屋住まいのようなアパートではない居住地でイツキを育てなくてはならなかったら、どうなっていただろうか? 隣部屋の老夫婦や、大家さんが、子どもの面倒をみてくれて、イツキにも逃げ場がなかったら、どうなっていただろうか? 本当の核家族の価値を教育(価値交換)されてきているわけでもない若い夫婦には、とても残酷な社会として日本はあるだろう。母子家庭であるなら、なおさらなはずである。昨日も、パート従業員の母親を殺めてしまったらしい、16歳の高校男子が飛び降り自殺したという事件が、埼玉県は大宮市であったらしい。日本でのトランプ現象の本当の姿とは、こういうものかもしれない。核家族の孤立保障は、国家的な共同体の支援が社会的前提であるが、直系家族社会では、それはまさに家族(父親)自身に任されてしまうのが価値なのである。

2016年10月17日月曜日

<家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1)

歴史人口学者と紹介されるエマニュエル・トッド氏の『家族システムの起源』(藤原書店/石崎晴己監訳)を読み始めている。

思い浮かんだことをメモしながら、気になったところを引用していく。まとまった感想は、あとで整理する。

      *****     *****     *****     *****

「『第三惑星』の中で、私がこの二つの純粋核家族類型を定義したのは、演繹の実施によってだった。自由と権威、平等と不平等という二対の価値を掛け合わせると、共同体家族(権威的にして平等主義)、直系家族(権威主義的にして不平等主義)、平等主義核家族(自由主義的にして平等主義的)、絶対核家族(自由主義的にしてかつ平等主義的でない)という四つの区分に至る、というわけである。だから二つの純粋核家族カテゴリーは、ある種のピタゴラス的幻想の痕跡を残しているのである。…(略)…というのも、完璧に一貫性のある類型体系を先験的に定義するのは、不可能でもあれば無用でもあるのだ。なぜ今になって、人間精神の力の中に世界の現実性を探し求めるピタゴラス派ないしデカルト主義の呪術的宇宙へと退行しなければならないのか。実を言えば、類型体系とは、図面なり図式のような具合に、データを展示する便宜を提供するにしても、それ自体ではいかなる科学的有用性も持たないものである。それにとって外部的な、一つないし複数の他の変数との関係の中に置かれるのでなければ、興味を引くものではないのだ。」

・そう前作を反省しているわけだが、このピタゴラス的、構造主義的4類型は、柄谷氏の『世界史の構造』における4象限と重ね合わせることができる。
<パリ>とは、もちろん近代の思想基礎になる革命の理念が立ち上がったとさるところとして、である。地理的にはパリ盆地とかより具体的に限定されてくるのだが、ここではより抽象化して図式的に短絡化している。またもちろんトッド氏は、構造的に世界を把握してみせることから、「伝播」的な時間軸を基軸に据え始めたわけだから、この4象限は定型的なものから、座標軸的なものとして読まなければならない。交点をゼロとして、たとえば日本は直系家族の中にあってもどのような座標位置にあるかが、より特定指示されうるかもしれない。トッド氏はこの著作の中では、15の家族類型を提出しているので、その類型のグラデーションから、日本をより統制的理念の方向へ近づけるには、どんなベクトル強度でネーションと国家の2方向を強化していけばいいかの、実践的度合(バランス)が座標空間として把握できる、ということになる。実際、トッド氏は、前回ブログでの引用著書で、そのように、日本では国家の再導入の検討、自衛軍隊の強化を提言し、アメリカやロシアとの関係強化を示唆している。

「ユーラシアでは、父兄原則の出現は農耕の出現より大幅に後になる。」
「しばらくの間、狩猟採集民の原初的社会形態、ということはすなわち人類の原初的社会形態は、双方的な親族の絆によって組織編成された現地バンドの中に組み込まれた、一時的同居を伴う核家族であった、としておこう。…(略)…
 定住化は、農耕への移行と同じとすることはできない。…(略)…
 流動的なバンドに組み込まれた核家族という当初の仮定にたつなら、定住化がどのように、凝縮した、複合的な家族形態の出現をもたらすことになるかを、構想することが可能になる。そうした家族形態の中で、現地集団の上位レベルが、安定性と重要性を次第に帯びて行ったわけである。しかし定住化はまた、場合によっては、少なくとも居住という意味では、純然たる核家族の絶対的自立化を容認するものであった。
 稠密化の過程にあるシステムの中では、居住先家族の選択について固定した選好が姿を現すと、想像することができる。それが父親の家族なら、父系原則の出現へとつながり、母親の家族なら、母系原則の出現へとつながることになるが、ただし後者は、後に見るように、より稀に起こることである。ひとたび原則が確定すると、父系性もしくは母系性は、その厳密さそのものによって、家庭集団の追加的稠密化を促進して行く。」

・トッドの論考は、「定住」以後を目指すもの、経験的に限定するものである。そこでは、バタイユ的な、またフロイト的な、それ以前を思考しようとする狂気は含まれない、というか除かれる。柄谷氏の構造には、定住以前のもの、核家族(ファミリーロマンス)の内的現実が古いものとして周辺にとどまっているという歴史的考察だけではない、仮説的な飛躍が導入されている。それは死への欲動として回帰してくる、とされる。この伝播と構造の関連は、論理的には明確ではない。真の問題設定として成立しうるのかも、明解ではない。

・トッドの思考の型は、フーコーを連想させる。日本を憧憬したバルトとともに。要するにフーコーも、理性的なヨーロッパなどと学問世界ではいっているが、本当は(古代的には)ヨーロッパも日本と同じサルのセクシュアリティーが、双系制が、核家族が基礎なんだ、と言っていたのではなかったろうか? 父親なんか強くない、と。そんなのは上っ面だと。

2016年10月16日日曜日

教養雑感

「現下の歴史的転換は、経済に関する転換である前に、その基盤において家族、人口、宗教、教育に関する転換です。大学の優先的課題の一つは、大学が提示する課題、資金を投入する研究の中に、人類の人類学的要素、宗教、教育、芸術などの変容の内部に経済史を組みこむような経済史へのアプローチを再導入することであろうと思われます。審美主義でこんなことを言うのではありません。われわれ人類に起こることの多次元的な性質を知ることが切迫した必要となってきているから言うのです。」(エマニュエル・トッド著/堀茂樹訳 『問題は英国ではない、EUなのだ』 文春新書)

蓮實 一方で、今おっしゃったように、大学に学部というものが存在するのは世界的にかなり特殊なことなのです。もちろん、ドイツには学部が残っていますが、フランスには学部は存在しないし、そもそもアメリカの大学には、学部など存在していない。ハーバード大に唯一あるのはArt & Sciences の学部だけです。つまり、リベラルアーツ教育が大学の主流であるのですが、それが日本では受け入れられておらず、「あの子、法学部受かったんですって」みたいなことがまかり通っている。十八、十九のガキが自分は法学部に入ったなどと思うなと、私は言いたい。たんなる学校秀才でしかない若い男女が真のエリートへと変貌するには、数年間の知的な放蕩生活が必要なのです。本来専門分野は大学に入ってから選択するものでしょう。…(略)…
渡部 その場合、やはりアメリカ式で四年間リベラルアーツをみっちりやらせて、その後二年間ぐらい専門をやるというビジョンですか。
蓮實 そうです。社会に出るまでにそのくらいの年齢的な余裕があるべきでしょう。日本のように二十一、二歳で就職するなんていう国は他にありません。しかも、就職にあたって大学の学部教育に対する信頼は企業の方にまったくありませんから、三年が終わったぐらいの段階で採ってしまう。すると何が起こるか。途方もないミスマッチです。だから何年か経って会社を辞める人の数がずいぶん増えている。大学を卒業してすぐ入った会社で、「自分の未来はこれだ」と思ったとしたら、そいつはバカでしょう。自分の未来はもっともっと先で決めなければいけないはずなのに。それで良い人も半分ぐらいはいるかもしれないけれども、残り半分はそんなことでやっていけるわけがない。
渡部 将来をもっとゆっくり決めるというのは理想的だと思うんですが、社会がどうしてもそれを受け入れる方向に行かない。そこはどうしたらいいんでしょうか。
蓮實 それは社会が悪い、大学も悪いし、やはり日本はつぶれると思ったらいいんじゃないでしょうか。」(「「文学部不要論」の凡庸さについてお話しさせて頂きます」『文学界』2016/9月号)

トッド氏の考察に注目したのは、今から十年以上まえ、ちょう柄谷氏がはじめたNAMが解散を決めたころだったようにおもう。アート系のプロジェクトの会合だか飲み会で、ディドロを研究していた仏文学者の、今年『脱原発の哲学』を上梓することになる田口君に、この人の思考は面白い、と紹及したことがある。統計的な実証的・経験的方法は信用がおけない、というのがそのときの返答だった。それはそうなのだとしても、トッド氏の思考は、近経的なアプローチというよりも、やはり演繹抽象的なマルクスの発想に近いように思えるのである。しかし、トッド氏は、経験・実証的にわかるところ、目に見えるところで抑えて論じる、という節度を維持している。家族関係が原理的にすべてを動かしていると言っているのではなく、経済や宗教、国家といったものが別原理で関わりながら世界を動かしているだろう、ということは経験的に明白なので、その明白さの限りにおいて関わりを述べるだけだ。だから冒頭引用箇所の次では、氏は、自分の「知的姿勢」は「体系的ではないにせよ」と解説している。柄谷氏の「世界史の構造」は、家族(互酬)、経済(商品・資本)、国家(収奪・再配分)との関連は体系的に演繹(仮説)されているのが前提(原理)である。またそこから、両者の決定的な相違、柄谷氏のいう「高次元」を認めるか否か、理念するかいなか、つまりは経験からの飛躍を志向するかいなか、の思想的な個人的態度の有無が生じてくるだろう。トッド氏はおそらく学問態度的には、それを認めない。

ところで、その柄谷氏が『世界史の構造』を出版したとき、私は、それをトッド氏の論考に引きつけて論じている。( http://www.geocities.jp/si_garden/kansekaiko.html

トッド氏にとって「教育」とは、家族関係の進展に影響を及ぼす関数的な「変数」ということになろう。家族の骨格は変わらなく進んでいくとしても、その進行度合いや一時的な歪曲などが、とくには「高等教育」の普及度合いによって知れてくる、とされる。とくには、女性の識字率や進学率の高騰と、逆に男のそれの低下、または、中産階級者の「自殺率」などだ。

そうした統計的変数は、まったくひとごとではないな、とおもわざるをえない。
私の父は大学出だが、母はそうでない。おそらく、女房のほうもそうなのではないだろうか? そして、女房自身は高卒である(妹は進学しているが)。そして今のところ、イツキが大学まで勉強したいと思えるような雰囲気はない。これは階級的には、低落になろう。社会的には、活力の減退を意味してくるかもしれない。蓮實氏と渡部氏の「文学界」での対談は、そんな減衰を追認しているような話になるのかもしれない。が、自殺への衝迫を鬱として抱えこみはじめている世の空気のなかにあって、蓮實氏の久しぶりに聞いた辛辣な饒舌は、何か活力を奮起させてくれる叱咤激励として機能していくところがあるのかもしれない。私には、鬱屈のなかでも必死に読書していた学生の頃の自分が、ふと我に返ったような感じになった。