2017年8月19日土曜日

夢のつづき(5)

「人間の記憶はある種のビッグデータ処理機と見なしてよいと思う。サヴァン症候群の患者は、記銘力と芸術的能力において特異な才能を持っていると言われている。…(略)…サヴァン症候群の患者は、驚くべき量と正確さの記憶力を示す。一方、健常者の記憶は正確ではないし、裁判での証言者の記憶は不正確である。証言者の記憶は解釈の都合で如何様にも歪んでしまう。これは人間の記憶特性である。コンピューターのように一次元のメモリアドレスから正確に参照される類の記憶とは異なる。その代り人間の記憶は脳という記憶空間内に、幾重にも重なって畳み込まれていると考えられる。このとき潜在意味分析の如く特異値分解でキーベクトルを与えたときに想起される内容が人間の記憶と同一視することができると考えるならば、人間の記憶とビッグデータとは親和性が高い(人間の長期記憶と潜在的意味分析、あるいはその元となった特異値分解)と考えることができよう。さらに自動符号化によって抽象化が起こると考えるならば、…(略)」(浅川伸一著『ディープラーニング、ビッグデータ、機械学習 あるいはその心理学』 新曜社)


「事物の認識はこの関係によってこそ行われるのであって、実は見かけ上の類似性などは意味をもたないのである。抽象とは外観に現れたかたちの抽出ではなく、この具体性にもとづいた認識であり、判断である。」(岡崎乾二郎「抽象の力」)

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「もう一度出発点に立ち返って、機械の画像認識を向上させるために何が必要かを考えてみたい。図7・4を見ると我々は、画像には幼児の顔が写っていて、その子が何か(スクリュードライバー…引用者註)を手に持ってこちらに向けている、という状況を理解できる。畳み込みネットワークを使って制限ボルツマンマシンを重ねれば、この状況を察するユニットが形成されるのだろうか? 素朴には答えはノーであろう。このような状況をモデルに理解させるためには、古典的な人工知能の手法を取り入れて宣言的知識をシステムに与えたくなる。
 しかし、そうする前にまだなすべき仕事は残されている。マーガレット・ウォリトン(Warrinngton. 1975)は、意味記憶が視覚的記述と機能的記述に分かれている可能性を指摘した。すなわち神経心理学的には、視覚の対語は聴覚でも運動でもなく、機能である。人間の意味記憶障害では動物と非動物とに大別される。動物は視覚的に記述されることが多い。トラとチーターの違いは、主として視覚情報の違いによる。ところがイスとテーブルの視覚情報にはそれほど差がない。同じ素材で作られていて、同じ色をしていることもあり、同じ場所に存在し、どちらも四足であり、かつ、大きさもそれほど違わない。縁日で売っているミドリガメとゾウガメの大きさの違いの方が極端である。イスとテーブルの違いは主として、どのように使われるかという機能によって判別される。…(略)…視覚情報だけでなく機能情報も同時に与えて制限ボルツマンマシンで多層化して視覚情報に機能情報を連携させれば、動物と非動物の二重乖離という神経心理学的症状を説明するモデルができるだろう。その知識を使えば、ディープラーニングは図7・4の画像をスクリュードライバーと認識できるのではないかと思われる。」(浅川・同上)

・もし、健常者をぶんなぐってサヴァン症候群が成立するなら(事故でもいいが)、それは異常さの中に普遍性が見えてくる、ということではないだろうか? 私が主観(自我・意志)を超えて、捨てて、ぼんやりとモノを見ているときにこそ脳みその力が発揮されているのだとしたら? モノを見ている者が、私以上の者だったら?

・心理学的視点から、「機能」に着目したのは面白いとおもった。が、「機能」は一義的だろうか? さらに、この図7・4の赤ん坊は、それをスクリュードライバーとして使っているのか? そんな通例的な「機能」ではなく、その道具の有限性的な限定から、想像力豊かに「機能」を新しく創りはじめている、というのが赤ん坊(子ども)の現実だろう。たとえ私たは、その新しさを、既存の社会的枠組みに触れたときにだけ、「ああそうしようとしていたのか」、と新鮮な感動を覚えるだけであっても。つまり大概な用法は、理解できないのだろう。

・中学生棋士で有名になった藤井氏が、モンテッソーリ教育を受けていたことが注目されている。→<しかし《フレーベルの教育遊具》は、その演習が、あまりに詳細な操作方法まで指定されていたことによって形式的すぎる、儀式的であるという批判もされていた。ここまで詳細に事物との関わりに指示を与えてしまうと、児童の自発性、自由はむしろ抑制されるのではないか。後続するモンテッソーリの《教育遊具》はそもそもマリア・モンテッソーリ(1870-1952)が知的障がい児の知能向上育成にあげた驚異的な成果をもとに発想されており、事細かな指示がいっさいなくても、ただ遊具と具体的に接していれば自動的に思考や感情が促されるように工夫されていた[fig.109]。まさにモンテッソーリの《教育遊具》は主知的な指導がなくても事物が身体を触発し、知性を生成させるという発想に基づいていたのである。

《感覚教育》として知られる、そのメソッドは以下のようなものだった。身体的な運動およびその感覚から、抽象的な概念、法則性の理解を自動的に促すこと。そして身体的な交渉、試行錯誤を繰り返すことで、その過程で与えられる具体的な感覚、感性的感受から高度な抽象概念の習得へと導くこと。すなわち事物との関わりこそ知性を維持し育成するきっかけになる。むしろ知性を誘うのは事物である。人は事物に触発され考えさせられるのだ。触発すなわち事物が与える感覚が人間を育てる。>(岡崎・同上)
私も、子どもへのサッカー指導から、オランダのトータルフットボールがどうして実践しうるのか、と調べてみて、その新しい教育実践のことについて知った→<オランダでは、1960年対後半、そうした制度から、いじめ問題が深刻化しました。オランダ人は、その原因を、近代国家によって導入された一斉集団授業という形式に問題があると原因特定しました。それゆえ、学校創立に自由を与え、生徒が一定数集まって場所もあると証明できれば、私立でも公立と同じく予算をだし、先生の給与全額を国が負担するという政策をとったのです。結果、ドイツはナチス政権下で弾圧されていた新しい教育理論を採用する人たちがあらわれ、一つの地区に色々な方針を実践する小学校が現れた。要約的にいえば、授業から「学習」という形態に移行し、それは近代以前の日本の寺小屋に近いです。教壇はもうなく、1から3年までが一緒の部屋 で勉強し、先生は個人の発達レベルにあわせた課題を与えて、定期的に、4人ぐらいのグループを作った机の間を見回ったり、床にすわっています。宿題を終えた子は廊下にでてもっと好きな勉強を一人ではじめたり、先生がレベルの高い自習問題をあたえます。そしてこの風潮は、なお数量的には主流にはならないとはいえ、EUを離脱したイギリスを除いて、ヨーロッパの理念的なメインストリームになっているといっていいとおもいます(最近の難民問題で次の課題に直面しはじめていますが)。なんで私がそんなことを知っているかというと、サッカーのクラブ活動だけで、トータルフットボールなどという、全員が一丸となって休まず走り通すモチベーションを育成することなどできないな、もっと子供が時間をすごす小学校に問題があるのではないかと、中野区の図書館程度でですが、調べたからです。>(D&P2016.92016.8)……というか最近は、小学校以上に「いじめ」を通り越した不登校が中学に入った途端びっくりするくらい増加するようなので(息子もその兆候あり)、もう一度探ってみようとおもっている。

・コンピューターはなぜそんな手を打てるのか、もはや人間にはブラックボックスになっているという。人がやれば何万年とかかってしまう場数経験を踏んだ上なので、私たちにはわからないのだと。が、そういう経験値レベルでのわからなさなら、遺伝子や身体レベルまで考慮したら、私がなんでこうしてしまったのかさえ、ブラックボックスである。しかし本当は、グーグルは、解析できるらしい。何年かしたら(おそらくはつまり、儲けを確保したら)、その解析本を出版するかもしれないらしい。しかしそんな参考書、ハウツー・テキストをみずども、すでに若い人たちは、コンピューター相手にゲームをしているのが日常的なのだから、何万年かの経験値をとり込んでいるのである。難しく正しい歴史的経緯など知らなくとも、そのノウハウ的結果、すなわち知恵はついてくる。コンピューターとまた互角に張り合える時期はくるだろうが、しかし、その時は、人間と自動車が競争しても意味がないように、疲れを知らない機械相手に戦っても、面白い見世物にはならないだろう。お笑いにはなるかもしれないが。

2017年8月11日金曜日

夢のつづき(4)

「もしそうだとすれば、国民国家と帝国の二層化は、数学的な必然で支えられた構造であることになる。人類社会がひとつのネットワークであるかぎり、そこに必ず、スモールワールドの秩序を基礎とした体制とスケールフリーの秩序を基礎とした体制が並びたつ。ぼくたちはもはやナショナリズムの時代に戻ることはないが、かといってグローバリズムの時代に完全に移行することもない。スモールワールドの秩序の担い手がいまのような国民国家でなくなる可能性はあるかもしれないが、人類が人間であるかぎり、世界がスケールフリーの秩序に覆い尽くされることはありえないだろう。
 人類全体がひとつのネットワークに包まれ、スモールワールドの秩序とはべつにスケールフリーの秩序が、すなわち、つながりのかたちとはべつに字数分布の統計的真理が見えるようになるためには、交通や情報の技術がある段階に到達する必要がある。動物たちの真理を二世紀にわたって政治と哲学的思考の外部に放逐し続けたヘーゲルのパラダイムは、技術がその段階に達せず、まだ多くの人々にスモールワールドの秩序しか見えていなかった時代の社会思想にすぎなかったのではないか。」(東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』 genron)

目をつぶったまま瞳だけを開いて見えるまぶた裏の光景。光の粒子が、私には赤っぽくみえる粒の群れが、まだら模様を描きながら動いている。それはイワシの群れ、あるいはPCディスプレイでのスクリーンセイバーのような動きとも見える。








そしてこの粒々をもっとミクロに、目を凝らしてみようとすると、何か規則性をもったいくつかの幾何学的パターンで織られているように見える。それは魚の鱗みたいだったり、格子縞だったりして、丸い粒なのではなくて、そうした規則性で密集した粒子群、それは星団のようで、まぶたの裏では、そんないくつかのミクロな規則的パターンで織られた星団があちこちと展開されている。が、それら銀河の群れは目を凝らそうとすればそれを受けるようにその都度動きを速めるので、はっきりとした形はみえない。それを追ううちに、眠りがやってくる。ある星団が展開した光粒子の形が、何かを私に連想させたらしく、粒々が画像として、動画として浮かび上がってくる。そのまま夢に移行していくようだが、寝入るときは、もちろんそのストーリーを思い出せるわけではないが、それが不眠癖のある私の、「羊がいっぴき」と羊の姿を思い浮かべながら数える言い伝えの代用、私的な工夫だった。
しかし、目覚めるときは別だ。繰り広げられる夢の物語を見ながら、これが夢であることに気づく、そしてそうっとうまく操作できたとき、その夢の画像がぼろぼろと光の粒子へと崩壊していき、その様を静かに凝視、目を凝らすことができたとき、その粒子の模様が拡大されて、夢物語とはまったく別の静止画が現前してくることがある。「夢のつづき(2)」で再現してみたのとは別に、2か月ほど前だったか、次のようなパターンに出くわした。
(1)
(2)

あるいは、2週間ほどまえだったか、光の粒子が、したたり落ちようとする水滴のように集まっているような光景もでてきた。これらは、なんなのか? 夢のつづきにすぎないのか?

私が見た印象からの推論。
視覚から入る光景は、情報量があまりに「ビッグデータ」なので、それを圧縮して処理する必要がある。意識のある目覚めた状態のときは、その圧縮の方法には、生活に適応しなくてはという重み(プレッシャー)がかかる。だから、分類/整理(圧縮)以上に、回帰(誤差処理)のループ(修正)に重点が置かれて、それは部分では対象認識の正確さが、全体では意味の統一性が保持された縮約的なものになる。つまり光粒子からの連想方は隠喩的・象徴的になる。が、寝ている時は、適応の重みから解放されるので、その連想方は、換喩的・寓意的となる。しかしどちらにせよ、人は光景(データ)を見ないように処理されている。実際、私たちは、ものを見て生活していない。そこにコップがあれば、それを見て認識するのではなく、そういうものだと概念認識して(言葉で処理して)、すまさなければ、次の動作に移れない。だから、どんなコップだったか、そこにどんな汚れがついていたかなどまるきり覚えていない。その人間の傾向は、夢においても同じ、というか、夢だからこそ伺えてくる、ということか。まぶた裏の光の粒子自体が、すでにしてデータを圧縮するためのフィルターなのだ。外の光で輝いた窓を見てからまぶたを閉じると、窓の残影が白い光となって赤っぽいまだら模様の世界に浮かび上がっている。生活上では、それは窓として一致して認識されなければ、私たちは不適応を起こしてしまうという圧力をうけている。が、夢では、そう認識されるだけとはかぎらない。窓枠に似た白い光の形が、この私の今を左右させているより精神的にダイレクトな連想を惹起させてくるかもしれない。が、それでも、それは自由連想というわけにはいかないのだ。というのも、まぶた裏のまだら模様自体が、実はすでに概念的に縮約された文字パターンで編まれているからである。その意味を、生活上における言葉のように私たちは理解できないが、結局は、その文字を通してしか世界=光景を認識できないようになっているらしい。おそらく、そう「ビッグデータ」を圧縮して過ごさなければ、この世界自体に私たちは適応できないのだろう。その外部があったとしても、私たちは、少なくとも、見ることはできない。目を開けていようと、つむっていようと。

追記;
(1)見る、という行為が、意識的かどうかには疑問がつく。生活に適応するため対象物の境界(輪郭・エッジ)に焦点をしぼって概念処理している傾向があるといっても、それに収まらない経験も在るようだからである。見た光景を細部にいたるまで写し描いてしまう人もいるとされるサヴァン症候群、と呼ばれる現象まではいなかなくても、私たち自身、ふとしたことから、なんでそんな細部まで覚えていたのか、とびっくりするようなフラッシュバックがないだろうか? 私は、眠れない夜、その日起きてから目に映ったものを再現してみようと映像的に振り返っていく場合がある。朝目を開けて何をみたか、次に何を、と順次思い出そうとしていく。結構変な細部まで記憶がよみがえる。文学作品で著名な例としては、プルーストの「失われた時を求めて」であろう。あるいは、柄谷氏が近代文学の起源、「風景の発見」として読んだ国木田独歩の「忘れ得ぬ人々」。どうでもいい見過ごしてきた人の方が記憶に浮きあがってくる。それを文学的な思想的意図(ロマン主義的イロニー)としてではなく、単に、日常生活的な出来事の一つ、と受け止めることも可能だろう。というか、そっちのほうが普通の現象なのではないか? としたら、私たちは、実は監視カメラのように、光景を写し取っている、ということになる。死の危機の前に、走馬燈のように過去がフラッシュバックされてくる、ともよく言われる。
(2)まぶた裏の光景は、脳内イメージと、同時に、重ねて見ることはできる。
(3)まぶた裏の光景は、外の風景と重ねられない。同時に見れない。
(4)脳内イメージと(想像)と、外の風景は重ねられる。同時に見れる。
(5)脳内イメージ自体が、実は概念的に処理されていることが多い。想像して脳内で見ているように思い込んでいるだけで、では実際それをよくみようとすると、まったく映像がないことに気づく。ないものを、思い出して見ていると錯覚することで次の動作に移っていこうとしているのだ。子どもの頃の、野球試合でのあの場面を思い出していると思っている、たしかにそれは印象にあるシチュエーションなので、言葉的にストーリ性を付属させて思い返すこともできるようなのだが、実は、映像としては再現されていない。あるいは、かすかな境界、メインな映像部分の輪郭が動いているだけである。その細部まできちんと映像化するには、意識的な作業では無理なようで、やはり何か無意識を発動させるきっかけが必要なのかもしれない。
(6)もともと、目自体が、可視光線しか見えない、それ以外はふるい分けるフィルターなのだから、私たちは、生物的に、何かを守るように作られているのだろう。しかしそれは、単に人間という種の生物的適応のためだけの限定ともいえる。人には見えないものを見て生き延びている生物もいるのだから。臭いでもなんでもそうだが。となると、人工知能と呼ばれるものの思想は、深かろうが浅かろうが、世界を変えていくというよりも、単に環境適応にすぎない、ということか? 農業革命に匹敵する「ディープラーニング」という発想の転換、とも呼ばれているが、そもそも、農業は、人間を、世界を変えた、と言えるのか? 社会は変えたろう。が、この身体と、世界の境界との、適応力自体の在り方を変えたか、変えられるのか、というのが、問題なのではないだろうか?

2017年7月2日日曜日

三つの柳田論―柄谷・大塚・絓/木藤の著作から

「この分析結果は、狩猟民の進出する先々で大型動物は次々に絶滅へと追いやられたというマーティン仮説とは合わない。絶滅は徐々に進んだもので、気候の変化が絶滅速度を速めた可能性も考えられる。…(略)…しかし、最終氷期やその後の間氷期に伴う気候の変動で、こうした大型動物が好みの生息地が大幅に失われたときには、すでに現生人類(ホモ・サピエンス)がヨーロッパの広い地域に進出していたので、その狩猟圧で、それ以前の気候変動のときとは異なり、大型哺乳類の絶滅が引き起こされやすくなった可能性は考えられる。
 一方で、日本で起きた大型哺乳類の絶滅はヨーロッパとは異なっている。ナウマンゾウやヤベオオツノシカのような大型哺乳類は三万~二万年前に絶滅したが、この時期に人口が急増していることが、五四〇〇か所を超える地域から出土した旧石器時代の考古学的証拠が示している。この時期の気候変動は比較的に穏やかだったが、こうした大型哺乳類が絶滅していった。マンモスも中国中部から姿を消してしまったが、アジア象や二種のサイのような大型哺乳類は歴史時代に入ってからも、中国中部の広大な落葉樹林で生き延びていた。」(『落葉樹林の進化史』R・A・アスキンズ著 黒沢令子訳 築地書館)

絓秀実/木藤亮太との共著『アナキスト民族学』(筑摩書房)を読み終える。これで、研究者というよりは、ジャーナリズム界で実践的な意図を持った柄谷氏の『遊動論』、大塚氏の『殺生の民俗学』と、三つの柳田論に触れたことになる。
私自身は、柳田国男について何かを言いえるような教養も見識もない。が、これらの著作は、私自身が今の世の中で生き続けていくための一助になり、その読書を含めた生の在りか、あがきをより前方へと意識化、言語化していくことで、少しは見透しがよくなって生きることが楽になる、そのために、こうして書いてみることを試みるのである。

『アナキスト民俗』と『殺生の民俗学』とは、同時的に出版されているためか、お互いの言及はない。ある意味ではどちらも、それらより前に提出されてある柄谷氏の『遊動論』への応答という向きがある。が、『アナキスト…』が、思想(思考)の系譜・文脈的に緻密な構えによっていることから、以前作『遊動論』だけでなく、同時期大塚氏の『殺生…』もを批判的に相対化しえる視点を既にして含んでいる、とはいえるだろう。大塚氏のこの作品の主張を思考の型で言い換えるなら、狩猟することに生起する「快楽」という「気質」=「科学」から、人類の書かれた歴史を超えた「環境」、つまりは人間をも超えた先史的な射程を孕む思考形態に着地しようとしているもの、と置換できるからである。そうした型の対応が、現在の定型的な思考に位置づけられるのである、と。

<むしろ、それは今日まで続く、ヘゲモニー国家アメリカの没落に対する応接であった。ともかく、「六八年」の「地平」から柳田を再び召還することは、ほぼ無意味である。「客観科学」に依拠することも「生活世界」に依拠することも、ともに相関主義における、ウェイトの置き方の相対的な違いに過ぎないからである。
 ところで、メイヤスーはカントのコペルニクス的転回は、真のそれではないと言う。科学革命が、人間以前の世界――メイヤスーは、それを「原石化」という比喩で語る――つまり「祖先以前性」へのアクセスを可能にしたことに応接しえないからだ。その時、それを脱却するために、超越論的観念論は、一種の神学の様相を呈する場合さえありうる。メイヤスーは、「相関性が乗り越え不可能なものとして提起される際には、超越論的な視点(そして/あるいは現象学的な視点)、または、思弁的な視点という二つの様相がありうる」という。柳田「神学」を問う場合、問題になるのは、後者の「視点」である。>(『アナキスト…』)

絓/木藤氏によれば、「戦後天皇制は、やはりトーテミズムとして完成した」という「思弁」によっている、とされる。柳田への国民作家的な参照も、その現れなのだ。柄谷氏の「世界史の構造」から「柳田論」への展開自体が、いわば「ディープ・ヒストリー」(神学的思弁)である。逆に、最近のAIの囲碁や将棋での勝利から話題になっている脳みその階層化された神経現象をモデルにした思考が「ディープ・ラーニング」と呼ばれているが、それは「超越論的な視点(現象学的な視点)」、ということになるのかもしれない。
しかし、いま考えていることのあがきを、思想史的な文脈系譜に位置づけてみせることは、内省的に必要な一つの構えであるとしても、あがくこと自体も必要であるかもしれないではないか? 盲目の中の洞察ならぬ、凡庸の中の洞察、といったものも生起するかもしれないではないか? 「ニュー・エイジ」的と絓視点では批判されてきた神秘主義的な思想系譜をもつある種の考え方にも、そう批判してみるだけではすまない思考の種が播かれていることを、岡崎乾二郎氏の「抽象の力」などは教示しているだろう。思考を時間軸で腑分けしてみることや、テキスト間を明解にしてみることを教養不足でできない者でも、自分との思考のあがきで読むことはできる。その凡庸さを内省してみる必要はあっても、やめるわけにはいかない。

たとえば、NAM以降の、柄谷氏の読解に関して、私と絓/木藤氏の『アナキスト…』との間では、違いがあるようだ。『アナキスト…』によれば、柄谷氏は、封建制を批判的な根拠として認める講座派的な構えから、その日本的特殊性を認めない労農派的な思考立場へと転回した、と捉えている(だから、天皇制という日本特殊的な文脈を思考しうる射程もが手離されてしまった、とされる)。が、まず植木職人世界での経験から、私は主従的な封建遺制のなかに、「可能性の中心」があるのではないか、と体感していたところに、NAM以後の封建制を再評価する柄谷氏の言葉を受容したのである。(参照HPブログ)そして封建制が、民主主義(互酬的)なユートピア性を将来させているだけでなく、それが狩猟民的な「遊動」性への反復契機でもあるのだ。つまりは、講座派的な見方の徹底が(それは、父系的な系譜の中に双系的な痕跡をみていく志向となるだろう――)、先史時代的な仮説(神話)をも射程に孕みこんだ最近の「ディープ・ヒストリー」に連なっているのである。だから、私の思考文脈では、大塚氏の柄谷批判の方が正鵠である。狩猟民の世界に、柄谷氏がみる互酬的なユートピア以上に、「殺生の快楽」という「リスク」をみようとしているからである。このブログの冒頭で引用した「落葉樹林の進化史」でも、とくに日本での数万年前での大型哺乳類の絶滅が、純粋に狩猟圧(食うことを超えた快楽の追求)によるのではないか、ということを示唆している。大塚氏によれば山民の狩猟儀式も、アスキンズによれば瓦屋根や樹皮を用いた屋根、イグサの畳など伝統的な和式建築の技巧も、動物や樹木の絶滅後の工夫なのである。ならば、人類の狩猟的な在り方から「可能性の中心」として互酬的なユートピア性を注視してみせることは、やはり片手落ちになってしまうだろう。
しかし、両手ではなく、片手で手探りしているところ、いわばあれからこれ、あれもこれもという「転回」ではなく不器用な徹底だからこそ、次の視点が獲得されてくるのかもしれない。大塚氏は、狩猟から「戦争」へのリスク(非道徳)をみた。そして絓/木藤氏は、この「戦争」を、とくには日本の二次大戦を、「王(天皇)の(象徴的)殺害」への「悔恨」という倫理的位相で了解した。が、「戦争」とが「快楽」であるのなら、それはモラル的な問題、倫理の位相ではなく、美学の範疇になってくるはずである。ゆえに、柄谷氏は、9条擁護の背景に、フロイトの戦争批判の言葉を引き合いにだしてくるのではないか? そのフロイトの引用を、柄谷氏の論からではなく、私の作品(「パパ、せんそうって、わかる?」)にリンク参照させる。そこで、フロイトは要は、戦争は残虐だから反対だ、と言っているのではなく、もうその快楽にあきた、だから嫌になった、と言っているのである。戦争反対の理由は、倫理にあるのではなく、生理的な、好き嫌いの美学、趣味判断によるのだ。柄谷氏が9条に読み込もうとているのも、そのような人類の前線的な趣味である。そしてもしかして、日本の象徴天皇制下でその戦争後も生きながらせられている天皇自身が、そうした理由で、もううんざりしているのかもしれない、ということだ。天皇ファミリーの「お気持ち」は、「退位」どころか、「廃位」なのが無意識かもしれない。

うんざりには、論理的文脈などないだろう。複雑な理由経路はあるだろうけれど、それは系譜的に遡行できるというよりは、遡行を突発的に頓挫させる身体的な反応だ。その「身体」もが、「不死の身体」なるものと同等なものなのかどうか。

2017年6月13日火曜日

夢のつづき(3)――河瀨直美「光」を観る

「 夢の中で見た真昼の光の残像を、真っ暗闇の中で目をさました熊谷は見たというのである。この残像は光学的なものでも生理的なものでもない、熊谷が見出しているのは、われわれの脳が直に把握しているところの知的構成物としての光である。」(岡崎乾二郎著「抽象の力」

雨の音で目が覚めたのだろう、見ていた夢は記憶にも消えて、少しだけ開けたドアを通して響いてくる欅や桜の葉にあたって反響する雨音は、もはや夢の作用でその文字通りな意味を変えて、他の音響へと転移していく籠ったリアルさを窺わせはしなかった。むしろ私は、目をつむったままで、この現実への意識を研ぎ澄まさせていった。4時前には鳴く向い側向こうの家の一番どりの鶏の声も起きていないようだから、まだ真夜中に近い時刻なのかもしれない。だいぶ土砂降りだ。今日はもう仕事をせずともいいだろう。その判断は、私にある、その期待に、もう一度眠るよりも目覚めることへと気持ちが急いていて、だから、もはや雨音が夢に転換されることを防いだのだ。私は頭の中で、今日やることを考えている。いつも通り6時過ぎにおきてコーヒーを沸かしトーストを焼き、朝刊を読み始めながら、7時に職人さんに仕事中止の携帯をいれ、7時30分まえに、元請けの社長息子にもその意向を伝え、それから、予約本が届いたと図書館からメールがあったけど、まずは区民健診を終わらせておこう、そのために8時半には家を出るのだから、そのついでに、カンヌでも何やら賞をとった「」を観に行こう、女房を誘った方がいいだろうか? 前作「殯の森」を一人でみにいったときは、あとから「何をみにいったの」と問いつめられるように質問されて監督の名を教えたけれど知らなくて……と意識がぐるぐると続いているうちに目覚ましが鳴り、寝床で考えていたように行動を始めたのだった。ただ、予定とはちょっと違っていた。朝の7時前頃に、雨がやんでしまっていたのだ。私は仕事にいくつもりはないし、あれだけ降ったのだから、職人さんには連絡をいれなくともわかるだろう。NHKのデータ放送でも、今日は雨傘続きのマークがお昼過ぎの時間帯までつづいている、親方は元請けの仕事など半端でいいという方針だから、むしろこんな雨模様で会社に顔をだしたら不機嫌になるだろう、が7時も10分もすぎると明るくなってきたので、職人さんには電話しとくかとかけてみると、息切れとともに、「おはようございます」と声が聞こえてくる。70歳に近くなる職人さんは、起伏に富む目白台近辺の坂を自転車でこいでのぼれない。いつもどおりアパートを出て、職場にむかって、会社の事務所というか親方の家の電気もついていず、私がいないのを見届けてから、またひとり坂を反対に上り下りしていくのだ。やっぱりそういう行動にでるのかもしれないな、と私は予想もしていた。元請けから何日までに公園の手入れを終わらせてほしいという話も昨日の作業中に聞かされているから、なおさらその通りな機械的な行動にでるのだ。そして考えの違う親方の顔に出会って、右往左往する。今は私が指揮をとっているので、私の顔色をうかがう。が、どちらにせよ、相手との駆け引き、暗黙な取引で判断をこちらはしていくのだから、結局は職人さんには読めてこない。元請けにしろ親方にしろ、都合のいい話に振り回されていたら、こちらの身が持たない仕事である。そうやって、職人さんも私も、木から落ちて死に損なってきたではないか? ハア、ハア、と息を切らす声を尻目に私は電話を切った。

そうして、映画をみてきた。女房は、両親の様子を実家と施設にみにいった。

別段泣ける映画ではないのに、3.11以降、涙もろくなって、思考回路の身体性が破壊されていると感じる。

私は色々考えた。1週間ほど前、冒頭引用した岡崎乾二郎氏の「抽象の力」という、豊田市美術館での常設特別展での論考を読んで、唯物論と神秘思想の繫がりが、理論的にも美術・思想史的にもあとづけられうることを知った。それは、柄谷行人氏の思考と中沢新一氏の思考とが相反しているのに似ているのは何故だろうというこのブログでも表明してきた私の疑問にも答えてくれ、また、「夢のつづき」で触れた私の夢分析の在り処をより明解にしてくれた。冒頭引用の絵描き黒田氏の日記の言葉などは、まさに私の注目したところそのものだろう。というか、すでにその問題群が問題であることを意識させてくれたのがそもそも岡崎氏だったので、当たり前なのだが。私の「サッカーIQテスト10問」も、その影響である。たとえば、以下の「抽象の力」の引用での道具を、サッカーボールへと考えてみればいいのである。

<いっさい馬のかたちと類似性を持っていない、ただの棒がこどもたちにとって馬なのは、それに実際にまたがって走ることができるからなのであり、馬とはこどもたちと事物の関係、またがって遊ぶ行為そのものを呼ぶのだ。事物の認識はこの関係によってこそ行われるのであって、実は見かけ上の類似性などは意味をもたないのである。抽象とは外観に現れたかたちの抽出ではなく、この具体性にもとづいた認識であり、判断である。

 一言でいえば、それは身体行為に組み込まれる道具のようなものだ。いや道具こそが身体行為を規定し、道具に沿って(効率よく)身体が動くことを導きもする(それは道具たとえば金槌が他の道具たとえば釘や木材などと関係し合うことと違わない、人間もまた同等の道具=事物として、その関連に関わる)。

 むしろ身体の諸性質は道具との触発によってはじめて生起させられるのだから、道具の中に身体が潜在しているとさえいえるだろう。道具を持てば誰の身体であれ同じように行為する。身体は道具によってはじめて具体化される潜在性である。>

そういう思考過程を持ったまま、私は河瀬氏の「光」をみたわけだ。映画中、音声ガイドによってだけ映画を観ようとする盲人や弱視者のためのそのガイド制作協力者のひとりは、自分たちは映画を超えた想像の世界に入って触れていくのだ、とその体験を告白している。視覚を超えた世界、そのリアルさ。むろんタイトルの「光」もまた、視覚を超えた輝きのことである。

そしてこの輝きが、老人(の痴呆)と、関係している。前作「殯の森」でのテーマが、「光」に連結されている。ガイド制作に携わる若い女性の「悪意」は、認知症の母と弱視になったカメラマンに媒介されるように、溶解されていく。夕日に、溶け込んでゆく。風の音(私は、この映画作者の木々に吹く風の音が好きで、その音を聞きに「光」を観に行ったようなものだ)。

見た帰り、新宿の紀伊國屋に立ち寄って、副島隆彦氏の「老人一年生」(幻冬舎新書)と、佐藤優氏の「悪の正体」(朝日新書)を買う。中学二年生になった息子には、影がでてきた。思春期特有な一般的なそれを超えて、単独的な暗い恐るべきものを私は感じ取りはじめている。そして昨日50歳になった私は、子どもが幼年期の頃のおぞましさと変わって、子どもとの関係に諦めの内での恐ろしさみたいなものを感じはじめている。その静かな怯えの予感は、世の中のことを曲がりなりにもわかった気にさせていたこちらの理解を、転倒させていかせるようなものだ。その感覚が、この新書2つを買うことに私をさせていた。おそらく、死と親しみはじめようとしている今、むしろわからないという真相に触れてきている、という感じだ。この感じを確認するために、まるで生きてき、これから生きていくような。わからない、それで死ぬのだ。……

帰り道、外では、雨が降っていた。折りたたみ傘をカバンからだして、さして歩く。事実どおり、今日は雨で中止になったから、私の「悪意」は、死を覚悟できているかもしれぬ職人さんへの口実となるだろう。しかし、もはや私自身が、それが通用する若い世界から足を踏み出して、それが溶解していく静かな音に満ちた別の世界へと入っていきはじめていることに、気づかざるを得ないのだ。そして私は、今記述してきたいくつかの要素たちが、どう「光」の世界で連関されているのかを知らない。父がどう記憶をとどめ、母がどうその忘却を愛し、子どもたちを見送ろうとしているのかを知らない。わからない、のはいい。しかし、知ってどうする?

2017年6月10日土曜日

「戦闘」をめぐって(6)

須藤(JFAユース育成ダイレクター) ヨーロッパの子どもたちはサッカーをよく理解しているという話を聞きます。それはなぜか。毎週レベルの高いゲームを見ているからだと言われています。しかし、私がFCバルセロナ(スペイン)の育成指導者にその話をしたところ、「それは違う」と言われました。確かに試合をよく見ていることはありますが、一番は「6歳から7歳で、すでにサッカーのリーグ戦をやっていることである」と言っていました。彼らは幼い頃からリーグ戦を毎週戦う中で、誰にパスを出したら点数がとれるのか、またはその逆の状況を把握し、どうやって勝つのかを考えているのです。…(略)…「小さい頃からリーグ戦を通じて子どもたちなりに勝ち方を考えていることが大きいのである」と言っていました。
山口(JFA指導者養成ダイレクター) 日本ではリーグ戦文化が産声を上げたばかりです。Jリーグは25年ですが、育成年代のリーグ戦は始まったばかりで、さまざまな課題があります。今後も皆で知恵を出し、リーグ戦を定着させることが重要になってきますね。」(『JFA TECHNICAL NEWS』「育成年代指導者 座談会」)

私も指導に関わる少年サッカーチームの子どもたちが、池上正氏の新作に伴うモデル・キッズに起用された。これまでの運動部・暴力的な指導や、大人の過剰な干渉を戒める言説を流布させてきた池上氏だが、今回の新作を立ち読みしてみると、結局は、自分の啓蒙思想は普及しなかったと認識しているようだ。サッカー界における氏の言動は、どこか日本教育界での日教組の機能に似ている。いまや現実政治への実践的な影響力は崩壊させられたが、その思想の本質的な部分は、無視はできない「ゆとり教育」として体制側にもとり込まれている。が、その愚直な実践では子どもたちの成績を世界上位まではあげられないと、あくまで建前的な保持としてその思想は掲げられる形で引っ込められてしまって、実際上は、官民が一体となって点数向上の手練手管を模索している、と。で、結果が思うようにいかなければどうなるのか? 森友学園で見られてしまったように、集団的なメンタル強化=洗脳という手段になるのだろうか?

しかし、今月あった息子の公立中学校の運動会の模様を改めて聞くに、もはや森友学園など必要もなく、洗脳教育制度ができているのではないか、という気がしてくる。去年、組体操が世間的に問題になったので、今年は集団行動だという。みんなして一斉にあちこち歩いてぶつからない、というやつだ。その発想の変わりなさに、唖然とする。人と一緒にいる感覚を小学生年代にまで味あわせる必要を私はおもうけれど、もう中学生になったのなら、大人へ向けて、自立できるよう後押ししてやる、という方向性を強くしなければならないのではないだろうか? 社会(世界)とは、集団というよりは、集合だ。それは、個人やグループとの連結の集まりであって、一体を期待できるようなものではない。一体とはなり得ないもの、個人、グループとでも、無関係な関係として、どこかで繋がっている、ので、やっていかなくてはならない、戦争よりは平和的に渡り合っていくメンタルやノウハウを身に付けさせなくてはならないのではないか? そこでのふんばりが、ホームが心にあるかないか、が大切になってくるけれども、それは幼年期、遅くとも小学生までにしか根づけえない。家庭の事情などで不安を根底に抱えてしまった人はもう取り返しがつかない。それを偽善で解消(一体化)させてみても、無理なのだから、その人格を認めて、そこから新たに作っていくしかない。

ふがいない練習試合の結果をメンタル問題としてあげつらわれたからか、もうキーパーは嫌だと3年の先輩たちと部活ボイコットした息子は、その3年生最後の地区予選大会、新入生にポジション奪われてずっとベンチにいた。私でも、息子の一希の扱いには手こずったが、この控え選手というより補欠選手のような干し方に、やめていった一希の友達もいる。誰が出場しても勝敗の行方は変わらないような有様なのだから、3年間やってサッカーの知識が増えた、小学生よりもっと余分にやってよかった、と思うようになってほしい。が、都心部の公立校の部活など、少子化で一昔前の運動部の根性考えなど機能しないことが明白なのに、どうもあの時が懐かしいのだろう。ゆえに、すぐには転向できないのだろう。私立のクラブチームのほとんどは、昔の運動部精神がそのまま移行したみたいに、子どもたちをふるいにかけていくようだ。24時間戦える日本企業として、新入社員をたくさんとってたくさんやめさせていく生き残りエリート競争のように。そうやってなお過労死者がで、活発だった子が中学にあがったとたん登校拒否をおこしたりする。先生に刃向かう校内暴力はどこかにいったが、いじめはいっそう深刻度を増しているようにみえる。

こんな状態では、まだ日教組の方がマシだろう。池上氏の教条主義の方がマシだろう。開き直りの保守主義より、リベラルの方がマシだろう。マシだけれども、問題はそんな対立軸にあるのではない。

*関連:「中学部活動問題の中身


2017年5月14日日曜日

認知症をめぐって

「しかし柳田の学問は普通の人々が学問の主体である。柳田学は「常民を研究する」のではなく、「常民が研究する」学問として設計されている。そこが柳田論では常にスルーされる。このことはアカデミズムの人たちは決して認めたくないのであり、こういう体質はばかばかしいが今もアカデミズム全体にある。
 そもそも柳田のアカデミズムへの批判は、「民俗学」と仕方なく彼が呼ぶものは観察と記録に基づく「社会」構築の方法そのものをいう。学問の目的そのものの違いに根差す。言うなればそれは、「日常の技術」なのである。
 例えばWEBの出現で、表現することや発信することの「民主化」が少なくともインフラの上では実現している。柳田が考える「民俗学」とは、そういう状況でこそ本当は意味を持つ「学問の民主化」に他ならない。そのためには民俗資料という研究者が抱え込みたいものをデータベース化しようと昭和の初めの時点で考えていたのだから、アカデミシャンから見れば何を言っているのかわからないのは当然ではあった。」(大塚英志著『殺生と戦争の民俗学』 角川選書)

去年のことだ。
父は、まだ夜半と言える早朝、切り倒した庭木の幹を、両の手に一本づつ持って、家庭ごみの捨て置き場へと運んでいた。幹は成人にとっても重いもので、八十も半ばになる父は途中、前のめりに倒れてしまった。両手がふさがっていたので、顔が道路にあたるのを防ぐこともままならず、そのまま強打した。運よくか、通りがかりの人が救急車を呼んでくれて、間もなく病院へと運ばれたようだ。その見舞いには、父の兄弟が、もう会うのも最後かもしれないと、やってきたそうだ。私は、兄からメールを受け、弟に確認をとったが、見舞いには行かなかった。まだ私が若いといえる時分にも、父が交通事故にあって入院したことがあったが、その時も行かなかった。どちらの時も、「だいじょうぶだから」という返事が、身内からあったとおもう。その字義通りの応答以外の感情が私には希薄で、イトコが見舞いに行くのに実の息子が来ないのか、という親戚の話もあったときく。
そもそも、上京した19の歳いらい、年に一度か二度、お盆や正月の時に帰省するだけだった。地元のかつての野球仲間などにも、母は、行方知れずだから、というように吹聴していたらしい。子どもの頃の友人とは、子どもの時いらい、まったく会っていない。

そんな自分が結婚して子どもができて、帰省する機会も増えた。息子の小学校の入学式には、父も東京までやってきたぐらいだから、なお丈夫だった。が、息子が上級生になった頃から、年ごとに、ボケの症状が深刻になっていくようだ、ということが、家の者の話から知れてくる。そういうこともあるし、息子ももう中学生にもなったので、実家には、私一人で帰ることが多くなった。

が、私には、ボケてきているのはわかるけれども、いわば認知症と呼ばれる高齢者の病気に父が本当になっているのか、わからないのだった。私の名前を間違えて、弟の名前で呼ぶときはある。というか、それが帰省した当日などはいつもなような感じである。さらに、自分が名前を間違えたことを父は自覚できるようなのだが、では私がなんていう名前なのかは、すぐには出てこないらしい。名前を呼ばれるのは、二、三日たってからであったりする。いや今回ゴールデンウィークに帰って、やはり名前は数日後に出てきたのだが、それでも、私が誰なのか、本当に次男坊のマサキなのか、腑に落ちていないのではないか、という気が私にはしてきた。が、私はそうしたことどもも、父が病気だから、という気がしない。たんに、老人になれば細胞がたくさん死んでいくのだから、当たり前なことだ、ぐらいにしか気にならない。帰省したその日、父の近くによると、小便の臭いがした。その夜、家の皆が寝静まった時刻に、代替の宅配便で、オムツをかねた新式のパンツがとどいて、私が支払った。翌日にもそれを穿いてと母から言われたからか、以後そんな臭いは漏れてこないのだったが、兄も、弟も、母も、父が糞尿をもらさず、怒鳴り散らすこともせず、大人しくしているのは、どうもマサキがいるらしいからだ、という。よそよそしい者が、家にいる、それが父を行儀よくさせるのか。弟が介護疲れで倒れた母を病院に連れて行っている間、糖尿病でもある父は、私の女房が作ってもたせたおかずをむしゃむしゃと食べ始め、さらに母が私にと出してくれたお菓子まで食べはじめたのだけど、私には、腹が減っているんだな、ことぐらいしかわからない。兄にいわせると、満腹感がもうわからなくなっているのだ、という。しかしそれが歳をとるということなら、そのまま病気をこじらせて死んでいっても、別に自然なことなのだから、なんでそれを病気として騒ぎ立てるのか、そうした家族の事態を目の当たりにしても、やはり私にはわからないのだった。

そんなあと、近所の家庭菜園の畑へと水やりにいった父は、そのまま徘徊してしまったようなのだが、もし私が家族から認知症という言葉を知らされておらず、それで家の者が困っているという話を知っていなかったら、探しにいくということもなかったろう。夕刻遅くに戻らなかったのならば考えるし、たとえその父の放浪が、近所の住民や公共機関への事故とうで迷惑や損害を与えたとしても、老人とはそういうものだという寛容さで、あまり騒ぎ立てることもせず、静かなわがままを皆で弔ってやることのほうが、ずっといい社会ということになるのではないか、と今の私は思い込む。それはしかし、介護がいる現場から、私がまだ遠いところにいるひとごとな立場でものを見ているからだろうか。

しかしそんな私でも、老化した父を、注目して見ていることがある。
父が、早朝に庭のゴミを運んでいるのも、それが父の特化した行動になっているからだった。今年の正月、父の散歩に息子と一緒に後ろからついていくと、道端に落ちている吸殻、紙くずなどを、たとえ小さなものでも、しゃがみこんで拾い上げて、服のポケットへと片付けてゆく。いやゴミだけではない、石ころが落ちていても、それを手に取って、道路の外の空き地へとぽいっと下投げに放り投げるのだった。そんなものだから、なかなか前に進まない。息子と私は、そんな父の行動を不思議そうに見て後追いしていたのだが、と、石ころがいくつも落ちている道端に出くわしたのだった。これをひとつひとつ処理していたら、大変だぞ、と息子も思ったことが感じられた。すると、父は、なんと足でその石ころを蹴とばして道の脇へとどけはじめたのだ。さらに、ちょっと道の中ほどにあった石ころを、インサイドキックで強めに蹴ると、それはころころと長めに転がって、側溝の蓋のつなぎ目の小さな穴に入って消えていったのだった。「おじいちゃん、すげえ」と、息子はつぶやいて、私と目を見合わせた。
外だけではなかった。家の中でも、ゴミ拾いに忙しかった。私が居間のゴミ箱に紙くずひとつ捨てても、それを炬燵からやおら起き上がってゴミ箱までよちよちと歩き、手を突っ込み、拾い上げ、洗面所にあるゴミ箱へとまとめていき、それが一杯になるまでもなく、いくばくかの時間がたつと、ゴミ箱に挿入されゴミをまとめているビニール袋をとりあげて、庭の隅においてあるゴミバケツに捨てにいくのだった。そして収集車がやってくるゴミの日になれば、まだ夜ともいえる早朝に、ひとりゴミ袋を運んでゆくのである。

私が、父といえば思い出す光景といえば、野球グランドにうずくまって、カマをふるい草刈りをしている姿だった。

この、どこか昇華してゆくような記憶の作用には、何か意味があるのではないだろうか? 余分なものが削除されていって、コアな何かが残って行く。父にとって、ゴミ拾い、雑草取り、これらは、何を意味しているのだろうか? 老年になって、強迫観念、反復にもなっているこの作法には、父にとっての意味と、その意味をもたせようとする形式があって、そこに、より普遍的な意義があるのであろうか?

(私はこの父の認知症を、私の不眠・夢の作法と関連しているのではないかと推察している。私事を超えた、一般的な関係があるのではないかと思っている。)

*以上の材料をブログに記入しておこうと思った昨日から、今日、冒頭引用した大塚氏の著作を読んで、面白く感じた。そしてさっきの夕食前、朝日新聞に、柄谷行人氏が、その大塚氏の著作の書評を書いているのを知った。柄谷氏は、氏の柳田読解を、大塚氏から批判されているのだが、書評中、その著作の内容紹介に終始しながら、最後にこう暗示的に付記する。<柳田―千葉―大塚という流れには、柳田にあった一つの面が抜けている。それは、柳田の学問の根底に、平田派神道の神官となった父親が存在する、ということだ。柳田が先祖信仰にこだわったのは、そのためである。>――柄谷氏の柳田論(「遊動論」)は、「世界史の構造」や、さらにトッドの家族人類学「世界システム」との文脈の重なり合いを踏まえて読み込まないと意味(方向)が指示されてこないと私は理解しているが、おそらく、その柄谷氏の読解を批判的にとらえようと、絓 秀実 /木藤亮太 著『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男』 (筑摩選書)という柳田論も出版されている。それをも読んで、総体的な視点に触れることができて、このブログに記入できれば、と思っている。

2017年5月10日水曜日

「戦闘」をめぐって(5)

「五年間日本に駐屯していた米軍は、戦闘部隊としての士気を失っていた。頼みになるのは制空権だが、韓国軍の遁走はとどまるところを知らない。一九五〇年の夏、戦争は重大な局面にはいる。国連軍は釜山の周辺地域に追い込まれ、あわやダンケルクの二の舞になりそうにみえた。マッカーサーは、米韓両軍に釜山を死守するように命令した。
 この時である。米国側がある噂を流布しはじめた。この噂は朝鮮で苦戦していた米軍の兵士の間でまことしやかに伝えられていた。これはダレスと国務省の観測気球が火元だったのであろう。
 その噂とは日本陸軍の精鋭部隊が応援に駆けつけて、北朝鮮の軍隊をやっつける、というのである。日本国会でも質疑応答があり、韓国大統領李承晩も、これをとりあげた。もし日本軍が投入されたら、韓国軍は北朝鮮と一緒になって、日本軍に抵抗するというのである。」(片岡鉄哉著『さらば吉田茂』 文芸春秋)

ゴールデンウィーク、予定どおりの帰省の前夜に、実家に電話しても誰もでない。まだ夜の8時だが、認知症の父も、統合失調症の兄も、すでに薬を飲んで寝ているのが習慣だ。母が起きているはずだが、でない。「腰痛になったというから、寝込んでるかい? とにかく朝早く帰るからね」と留守電をいれておく。そうしたら案の定、奥の納戸と化したような日本間の、家具の隙間に倒れていたのだった。いったん起きておかゆを作って食べたが、みんなもどしてしまったという。腰よりも、胃が気持ち悪いという。父と兄は、腹が減っていたのか、私の女房が作ってもたせたサバの味噌煮やイクラの煮込みなどのオカズをむしゃむしゃと食べ始める。私は、こんなにも衰弱した母をみるのは初めてだった。乏しくなった長髪をまばらに乱して、苦痛に顔をゆがめてお岩さんのような幽霊表情だったが、哀れという感情に襲われた。小さきものへの労りを、母と感じ捉えることとは、こういう体験なのか、と私は合点したような気になった。日常的に出会わしている兄には、もうそんな感性はないのか? 夫としての父は、もっと複雑になるのかもしれないが、両者とも、もうアパシーという風だった。母はまた寝入ったので、とりあえず午前中は様子をみることにしたと、弟にメールを送る。「祭日の当番医が新聞の地元欄に書いてあるはずだから調べておいて」と返信がくる。老人ホームの夜勤中だそうだが、ほどなくして、家に弟は現れた。「明日からは早番で病院には連れていけなくなるから、今から行くから。脱水症状なったら大事だから、点滴打ってもらうだけでもちがうよ。」と、気の進まない母を起こして、車に乗せた。「お父さんが徘徊するかもしれないから、留守番たのむよ」と私に。「疲労からくるウィールス性の胃腸炎」と昼過ぎにメールが届いた。私が庭の植木を手入れしている間、父は畑に水をやってくると、家の前の道路を50メートルほどいったところにある家庭菜園の所へと、ペットボトルを両手にして出ていっていた。刈り込んだ枝葉の掃除を終えてふと、まだ父が戻っていないと気付いて畑までみにいくと、いない。国道まで出向いて、セブンイレブンで何か買い食いでもしているかと、迎えにいってみると、ちょうどレジで菓子パンを買っている爺さんがいたので、「お父さん!」と声をかけると、ちらとこちらを一瞥しただけで反応が鈍いので変だと思って後追いしてすぐに、人違いだと気づいた。よろよろして顔つきも似ているのだが、あんなにしっかり歩けないなと。家に電話で確認すると、まだ戻っていないと兄は言う。今度は国道とは反対側の、土手沿いの散歩コースを捜してみることにした。こういうふうに、親を捜してあるく家の人たちが、いまいっぱいいるのだな、と、丈の高くなった雑草の濃いグリーンを揺らしてゆくそよ風を気持ちよく眺めながら、私は確認していた。これはやはり、深刻だな、と、あの母の姿を目にしたときにぞっとした認識を、眩しい日の光の中で再確認しながら、そして、自殺を思い詰めていた青春時、よくこの土手から川沿いの林の中をさまよった当時の自分をも思い起こしながら、私自身が認知症の父になってさまよっている気がしてくるのだった。河川敷に設けた菜園まで行ってみようか、まだ父も健康で、幼い息子の一希と一緒に犬の散歩によく行った場所。父がもう行けなくなったから、どうなっているだろう、あの犬のお墓は、まだ草むらに見えるだろうか……「戻って来た」と兄から携帯が入り、私は途中で土手を降りた。……「おまえの旦那は、歩ってるじゃないか」と、地区の班長負担は後回しにしてくれと頼むと、そう言ってくる人もいるんだよ、と少し気分が回復した母は言う。「いまに覚えてろよ」とも。菜園が荒らされたときもある。夜に、庭に保管してあった肥料が盗まれたりした。すでに近所の家庭では、どこもかしこも、認知症の両親を抱えたり、独り身になっていたり、子どもはよりつかなかったり、親が施設に入ったきりだったりしている。それでも、誰もが助け合いみたいにはならないらしい。生活レベルが似ているので、あるいは似ているように見えるレベルなので、疑心暗鬼になるのだろう。落差が見え過ぎるくらいだったら、足の引っ張り合いはしようもないのではないか。

そうしたで下世話な世間から世界をみると、世界情勢もそれに似ている、ことに気づく。その卑俗な世界での現実主義、政治的リアルとは、次のような意識によっているのであろう。

<ましてアメリカは、冷戦時代は戦略的に重要な日本を手放すわけにはいかないから、多少、日本のすることに不満でも大事の前の小事として目をつむっていてくれたが、これからはもう少し気をつける必要があろう。イギリスもスペインの脅威がある間は、オランダが滅びれば次は英国が同じ運命と思って庇ってくれたが、スペインの脅威が去った途端に、過去の同盟義務不履行までむし返してオランダを叩いている。…(略)…「あいつはどうせつき合わないのだから誘わないでおこう」と思われた時こそ、同盟の黄信号灯った時である。それを、「やっとアメリカは日本の平和主義を理解してくれた」とほっとなどしていることこそ、日米同盟の基礎を揺るがし、ひいては現在の平和主義体制自体の墓穴を掘り、軍国主義への道を開いているのである。>(岡崎久彦著『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』 土曜出版)

スペインやアメリカといった落差を感じさせる支配者が失墜して、誰もが揚げ足をとれるようになった。

で、そんな田舎世界で、平和を志向するとは、それをこの著者の元外務官僚にも説得提示できる論理とは、どんなものでありうるのだろう?