2020年9月20日日曜日

引っ越しをめぐる


「庭師のあんたにゃこんな人足仕事は面白くねえだろうがな、俺たちゃ日がなこうやって、土と埃にまみれて嬶(かかあ)や子を養ってるんだ。……いかな植辰の若い衆でも見下げやがるとただじゃおかねえぞ、この野郎っ」
 頭は低く吐き捨てると、男たちの群れに戻って行った。何ひとつ、言葉を返せなかった。狸はもうとっくに姿を消している。
 ちゃらは独り、取り残された。
 石くれと木の根の残骸が剥き出しになった裸地にざらついた土埃が吹き上がる。ここに庭を造るためにいかほどの木々を抜き、どれほどの命を踏みつけたのだろう。人は自らだけに飽き足らず、生き物や木々にまで身分をつけて蔑視(さみ)するのだ。身分の低い木々は命ある物ですらない。…(略)…流行り病の死者は月光時だけで百人を超え、小石川の養成所や他の寺社に担ぎ込まれた数を合わせれば既に千人を超えるらしいと噂になっている。
 しかし正確な数はわからない。御広儀(おかみ)がその数を把握しようとしないからである。調べに乗り出せば伝染(うつ)るとでも思っているのだろうかと疑いたくなるほど疫病に対し弱腰で、遠巻きに見ているような気がする。」(朝井まかて『ちゃんちゃら』講談社文庫)

「ほんとに、この物件がいいとおもっているのかい?」と私は、女房にきいてみた。実見にたちあってくれた不動産屋の女性事務員は、いまは二階家のなかで、電気を消したり戸締りをしているのだろう。玄関前で挨拶をかわしながら、私が手にしていたマスクをつけようとすると、「いやしなくて私はぜんぜんオッケーですよ。暑くてたいへんでしょう」と彼女は案内してくれたのだった。その物件は、息子が通っていた小学校との隣地にあった。子供たちに教えていたサッカーの練習場が校庭でもあったので、その地帯を知らなかったわけではなかった。が、いざ格安だから買うといいだした女房と一緒に、その家というより敷地一帯をみてみると、いわくありげな気がしてきた。その家は、高台の墓地の崖下にあった。小学校の校庭自体が、南側を5メートルほどの高さのコンクリート擁壁で仕切られた下にあった。その地続きの一区画で、おそらくかつてあった何件かは、校庭に吸収されて花壇となり、また役所の管理下にはいって、金網に囲われているだけのものもあった。この区画へは、幹線道路へとあがっていく車道の中途から路地道にはいってこなくてはならないのだが、下は、暗渠だという。乗用車一台がぎりぎりで、百メートルほどいくと擁壁につきあたり、その突き当りには鬱蒼としげった庭木のなかに甍を広げた二階家が構えていた。売り出しになっているのは、その手前側の一軒家である。崖下から玄関敷地までの道路幅が、4メートルに満たないので、再建築不可物件だ。改装はできても、柱や壁といった構造物をいじったり、更地にして立て直すということはできないという法規制がつけられている。つまり、将来は朽ちるにまかせ空き地になることがめざされている、ということだろう。学校の校庭とともに、洪水がおきれば水没地帯となるのだ。

が私が気になった、というか気が付いたのは、そんな地理的環境ということではなかった。そこで暮らす、人間環境だった。この地域には、寺と墓地がおおいのは、江戸時代、火災の被害にあったりそれを避けるために、移設されてきたからである。となれば、墓を守るひとたちも連れてこられただろう。暗渠になった路地道は、早稲田通りへと続く坂道をよぎって、さらに家々の密集する間を細ぼっていって、江戸時代半ばからつづく火葬場の下をくぐり、関東大震災から逃れた下町からの人々で興されたという三ノ輪という界隈へと抜けていく。私が勤める植木屋もその一角にあった。おそらく暗渠は、目白の高台の下にあるそこから、染め物の産地としても残る妙正寺川へと注いでいるのだろう。植木屋に努めて間もない頃の酒の席で、親方は言っていたものだ。「いちばん狂暴なのは、火葬場の連中だよ。でも安心しろ、もういねえから。」

家の作りはおそらく、しっかりしていた。築40年はたつが、構造的には問題なさそうだった。玄関をはいれば階段、廊下にそってトレイと奥に風呂、反対側は台所とリビングで、そこに奥座敷がつづき、床の間があった。女房はしきりに、床をぜんぶはりかえてフローリングにするだの、二階のトイレをなくすだの、あなたにも本を置く部屋を作ってやるとかいってはしゃいでいる。二階の窓をあけると、隣家がみえた。突き当りの壁下の二階家とはべつに、その裏に、平屋がもう一軒あった。屋根は、相当むかしのスレートの類いで、たしかこの感じのアパートが、いま私が住んでいる団地から三ノ輪界隈へと坂をくだった途中、鬱蒼とした林の中に埋まるように立ち並んでいたはずだった。私が植木職人になって数年後に取り壊されてなくなったから、もう20年以上はたつだろう。現在も、都の管理の広大な空き地のままで、最近その一角が、工事部の資材置き場として使われはじめたようだ。若い頃、はじめて自転車でそこを素通りしたとき、まったくの異界に突入したような感じになった。真夏に通ると、いきなり涼しくなるのだが、気配が暗かった。その長い坂道の南側に広がる一帯のてっぺんに、当時としてはハイカラな構成をもつ団地が二棟建築されたわけだ。が、そこ自体、地元を知る人にとっては、いわくありな敷地なのだ。引っ越しすると、知り合いの職人は、「え、乞食山にいったの?」と聞き返した。大戦下、崖に穴をくり抜いて防空壕にしていたのだがそうだが、戦後しばらく、そこに住み着いた人たちがいたのだ。団地敷地内のそこは、いまでも土砂災害指定地域になっていて、補強工事の予定も視野にはいってきているときく。しかしそんな以前からも、三ノ輪界隈に住んでいた作家の林芙美子の一小説のなかで、「乞食部落」として言及されてあった。坂道の南側が「乞食部落」で、北側の妙正寺川沿いが、朝鮮人部落だったのだ。私の知り合いの不動産屋は、そこを紹介しなかった。テレビでもコマーシャルをうつ看板をかかげた駅前の不動産屋から、紹介されたのである。今回も、ちょうど暑中見舞いの営業ハガキがとどいて、手数料半額とあったそのハガキをもって、女房が再び出向いたのだ。団地の2LDKの間取りでは、息子が高校生にもなると、手狭になる。一人で眠りたいと、息子は毎晩、食卓の下に布団を敷いて寝ていた。引っ越しするのはいいだろう、しかし、初老をまえにした私が借金してまで家を買う必要があるのか? 毎月高い家賃を払うくらいなら、買ったほうが得なのだ、と女房はいう。頭金は、親が残した遺産があると。私自身としては、女房がもう年金をもらえる歳なのだから、その分の上乗せ金額の3LDK賃貸物件で十分だ。経済情勢、世界情勢も、一寸先は闇になった。コロナ禍で仕事がなくなり、家を手放す家族がではじめたというNHKの特集番組も放映された。日常物価がインフレになれば、そのなかで不動産を買う一般客などいなくなるから、物件は暴落するだろう。自分たちで住まなくなれば、売れば、貸せばいいと女房はいう。日本ではそんな家を買ってくれる、中産階級はいなくなるだろう。不利な環境にある物件は、廃墟となり、自然にかえっていくだろう。少子化で、日本人の買い手がいなくなれば、条件のいい場所は、国際的に生きのこった資産家なり投資家たちの間でまわされるだけだろう。無駄に動かないで、必要に応じて動けばいい。いまは、息子の部屋だけではないか……。

隣地を囲む金網と二階家との間に敷設された側溝を通って、家の南側の庭に行ってみる。庭といっても、木があるわけでもないどころか、足下は土ではなく、拾ってきたような平板が適当に並べられているだけだ。隣家の平屋の住人が、こちらとの境界に、自身で木製のフェンスを設置したのだろう。土台が、ブロック一段のみで、モルタルがもられっぱなしで敷きならしてあるわけではなく、目地もはいっていない。さわるとぐらぐらで、それを自身の家の庇の梁から何本かの垂木をフェンスの頂上へのばして釘打ちし、倒れるのを予防していた。それでも寄りかかったり、子どもが押しくっても、倒れてしまうだろう。境界杭がどこに埋設されているのか、地面をみても、わからなかった。

実見をおえて、不動産屋の女性事務員とわかれてから、もうひとつ学校側の校門へとつづく路地道の方からか入り直して、その崖下の一帯を覗いてみた。誰の所有物ともわからない砂利敷地に、軽自動車が一台とまっている。車の背後から、先ほどみた木製フェンスがたちあがり、フェンス沿いが、平屋の敷地へ入るための狭い通路になっていた。門はなく、花壇用の鉄さくで通路口がふさがれていて、雑草が踏まれることで道となっていた。インターフォンはない。どうやって、奥にある家の住人を呼ぶのか。学校側の金網側に、洗濯物がほされていた。この軽自動車も、平屋の住人のものだろう。現場の人間だな、私には、そうにおってきた。事務員が物件の戸締りをする音が伝わってきた。

団地の六階にある家へともどって、どうやって女房の気を変えさせられるのかを、私は思案していた。おもいつめたら、壁に突き当たるまでいってしまうのが性格だ。欲望は、何がなんでも手にいれる、みたいな性分だ。いい面もあれば、悪い面もある。そもそも、なんでまた、いわくありそうな物件に食指がのびるのだ。おもしろそうだからなのだろう。その感性はいいとしても、ほんとに、ついていけるのか? 植木屋の女房であっても、その階層に付き合いがあるわけではない。どうにか高台にある団地では、近所の生活クラブの奥さんたちとつきあっている。旦那が、いい企業に勤めている人がおおく、私には、そのクラブ運動の一面とは、そうした奥さん方の罪滅ぼし、良心の呵責なのではないかと思えている。つい最近辞任した安倍総理を病的に否定するのは、自分がその保守地盤にこそ属している現実への無意識的な否認の身振りにみえる。女房もまた、育ちとして、その身振りを共有している。そんな彼女が、あの物件の一角に、適応できるのか? 俺はそこで生きてきたようなものだからいいだろう……。考えているうちに、ふと、二人で最近レンタル屋から借りてみた映画のことをおもいだした。そこで、女房にいってみた。

「あの住宅地は、この間みた映画にそっくりだよね。更地になった空き地があって、そこを一角に三件が向き合っている。空き地の隣のほうに主人公夫婦は引っ越してきて、奥の家が犯罪人で、その隣は火事になって……俺の、実家もそうだよね。空き地があって、裏には元軍人の屑屋が掘っ立て小屋を作って住んでいた。結局はそこを実家が買い取ったわけだけど……」女房は、まだ私が何を言っているかわからないようだった。が、ちょうどそのときだったのだ、つけていたテレビで、黒沢清氏のヴェネツィア映画祭での銀獅子賞受賞(『スパイの妻』)のニュースが流れたのは。
「これだよ。この監督の『クリーピー』。あれは、日野市がモデルで、郊外の現実が問題になっているんだけど…」住宅が、敷地が人に作用して罪を犯させているというような視点。クリーピーな変態に夫婦がだまされ、はめられていくのは、すでに、現代の家族が虚偽意識にさいなまれ、実質的に空虚であるがゆえに催眠術にかけられやすくなっており、洗脳されやすい状態になっているからだ。クリーピー(変態)なのは、猟奇殺人を繰り返す隣人というよりは、普通にみえる現代の家族のほうこそなのだ。去年、カンヌで最高賞をとった是枝氏の『万引き家族』も同様だ。万引きで生き延びていた子供たちは、ほんとうの父母ではなく、にせものの犯罪者家族のほうにこそ、人間味をみ、心を通わせる。普通に潜む空虚。

私のこの説得で、女房は、その物件は「ババ」だったとあきらめた。そして、さらに高価な、高台の、新築物件に食指を伸ばすのだった。「植木屋の妻」はどうした? 持病の潰瘍性大腸炎を悪化させてまでこだわる妻の「欲望」はどこからくるのだ? そしてどこへ行くのだ「普通」? どこまで行くのだ「空虚」! 「空虚」! 「空虚」!

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