2020年9月22日火曜日

石川義正著『政治的動物』(河出書房新社)の読書感想


月に一度ほど、本屋にいって、いろいろと立ち読みするようにしているが、そのなかで手に取った一冊。タイトルにある「動物」という語から、現代思想的に連想するものがあるので、いかにもな切り口なのかなとおもったが、どうもそれ以上の射程があるらしくおもわれ、「植物」の知性についておもいめぐらしはじめた私の最近の思考を啓発してくれるかもしれないと購入した。 

一読して、私はこのブログでも書評した、河中郁男氏の『中上健次論』を想起した。時代転機を、中上の『地の果て至上の時』にみているともいえるからである。ただ、河中氏が、そこにいたるまでの文学・歴史を検証し、日本の言説界に形成されてきた批評的パラダイムに変更を迫る大上段な、「観点」の複眼化とでもいえるような論点を提出しているのに対し、石川氏は、むしろ『地の果て―』以降の文学をとりあげながら、最近までつづいた(る)のかもしれぬそのパラダイム形成の立役者といっていいだろう、柄谷行人の論理破綻を示しながら、パラダイム形成のもうひとりの重鎮、蓮見重彦の路線を継承させ、その小説的営みの方からこそ自らの批評を構成し直している、という違いがある、といえるだろう。だからどこか、党派的な切り口をかんぐらせるが、石川氏の論点は明確であり、説得力がある。中上よりもか津島裕子を、柄谷が思想立場的に自らとだぶらせている坂口安吾に金井美恵子を対置させたりするところに、ひところの時代的論説のいかにもな付置を惹起させながら、しかしそこに、論点立場として明白な文脈形成が仕組まれている。おおざっぱにいえば、柄谷の方向にカント的な理念や「父の名」をみる男性性をよみとり、蓮見のほうに、その論理的からくりにははまらない、資本と国家の歴史性を体感する女性的、いわば「動物」的な予感する力をみている、といえるだろうか。女を動物にたとえるとは、それこそが差別ではないか、と思われもするが、とりあげられる女性作家たち、津島裕子に連なる笙野頼子や川上弘実、そして多和田葉子ら当事者が、動物と同居することを超えて動物になっていくような作品を提示しているのだから(私自身が試みた多和田論も「イカ=タコ」への変身で中断しているのだが)、そう単純なPC観点ではすまないだろう。というか、石川氏の論点の要が、ラカンの「全てではない」という女性性をとらえようとした概念との重なりを、カントの「崇高」論における区別、「力学的崇高」と「数学的崇高」に読み込み、マッチョな柄谷論理の行く末を前者の概念で解析し、それとは他の理論的可能性を後者にみてとるところからはじめられるからである。この「全てではない」というラカンの概念は、河中氏も中上論で、戦後民主主義のゆきづまった論理をブレークスルーしていく観点なのではないかと示唆している。が、たとえばPC(ポリティカル・コレクトネス)という正義は、男に対し女、女に対し同性愛者、黒人、身障者、etc…と無限に差異化されうる。だから、誰が一番の正義的立場か、と決着をつけようとも、なお「全てではない」と、「数学的無限(崇高)」、ヘーゲル的には「悪無限」とされる論理へと陥っていく。しかし、石川氏の引用するカントールの定理でいえば、「実数は自然数よりも濃度が大きい」。

<数学的崇高は力学的崇高に比べてあまり重視されてこなかった概念だが、もし悪無限が数学的崇高の呈示不可能性の彼方に実在するのならば、おそらくそれは吐き気そのものとしてそこにあるのではないのか。無限のさらに残余としてある吐き気。わたしたちはそれを「吐き気とは別のものが入り混じった不純な感情」として享楽するのではなく、ただの(just)――正しい(just)ではなく――かすかな吐き気として思考することは可能だろうかーーたとえそれがある種の人間性を放棄することにつながるとしても。>(石川前掲書)

つまり、女性性がかかえる「全てではない」無限の「彼方」に「実在」するかもしれぬ「動物」的な論理=倫理があるのではないか、ということだ。資本の全てを「享楽」化していくのとは別の回路としてのjustな「吐き気」。そして「その不可能にかぎりなく接近した営為として金井美恵子」がおり、蓮見重彦の『伯爵夫人』が分析されることになるのだ。

石川氏の文脈は明確であるようにおもう。哲学的な教養がしっかりしていない私には、カントやヘーゲルに立ち返ってそこにある概念を検討することはできないが、「崇高」という概念をキーとして出発したこの論考に、少し違った角度からの光をあてることはできるだろう。というのは、植木屋の私自身、「庭へ向けてのエセー」(現在ネット閲覧不可)という小論を20年前くらいに書いたさい、柄谷のいう「崇高」の理解に両義性を見だし、それを読みかえてみせることで論を成立させてみた経緯があるからである。

柄谷は庭園における「借景」という技術は、じつは「縮景」なのであり、それは「実無限」としての「崇高」なのだ、と説いた。その戦国時代の庭園技術は、グローバルに地球が閉じられることで成立した「世界交通(資本主義)」の実現(実無限)と平行した事態なのだと(「批評空間」1998、17号)。そして、その実現の地点に、中世的なものを「切断」するルネサンス的な力と、自治というものの意志を指摘してみせたのだ。しかしならば、まさに「戦国(ルネサンス)という「力学的」な地点には、世界資本主義に相乗していく方向と、死をおそれずそれに抵抗していくナショナルな美的方向性もが胚胎されているだろう。さらに、「縮景」のような小型に押さえ込んでいく力技には、ソニーのウォークマンにつらなるような、新たな、江戸的なとも形容しうる文化的な様式美や、切腹という死を恐れない=無意味化するようなスノビズムもが芽吹いている。そして最近の柄谷は、石川氏がその『憲法の無意識』に対し「ロジックが破綻」と告発するように、この江戸的な延長において、両義的な様相をみせる。憲法を擁護するとは、その天皇制(反ルネサンス)を肯定しているのか、9条を擁護するとは、その切腹倫理(自己犠牲=非自治)を肯定しているのか、よくわからなくなるからである。ならば、そこに落ち着いていく『世界史の構造』の認識とは何なのか、となる。石川氏によれば、「力学的崇高」を目指していくものであるかぎり、「交換X」という理念を担保する「帝国」という地盤はもはや存在しえず、「プロレタリアート」というような「「欠如のシニフィアン」も存在しない、となるだろう。「それらもまた国家と同じく個別的普遍にすぎないことが明白となったのが現代」だからである。

が、私としては、どうも柄谷の態度は両義(曖昧)なままなのだ。江戸や日本的なものを批判してきた経歴から、パックス・トクガワーナを肯定しているような「転向」のうちに、私にはなお理論的に不明瞭なもの、理解できないものを感じている。それは、「切腹」を肯定したくなる私自身の内にもあるものとして。

石川氏が柄谷にみる「力学的崇高」には、「安全な場所」にいるという「距離」をもった立場前提がある(河中氏の知識人批判の立論も、この「距離」感だったろう)。植木職人である私は、その前提を捨象することで、「庭園」というより、職人の庭を理解しようとした。その具体例が、富士信仰において築造された富士塚だった。つまり、富士山の縮景である。その築山は、観賞が前提ではなかった。富士山の実物の溶岩石を運んで組み、自ら登っていくという実践性(信仰)のために造られた。富士山は「安全な場所」でみられるものとしてではなく、身をもって危険をおかし征服すべき無限対象、死を恐れる自己自身を克服するという信仰そのものだった。もちろん、富士塚は、実際に行けなかったものたちへの代用であり、富士山自体もが、物見遊山的に受容された面もある。富士山の洞窟(胎内)にもぐって生まれ変わって変容する主体とが、立派な江戸っ子だった、という草本みたいなのも当時出ている。しかし、その滑稽本自体が、「安全な場所」ではない庶民の現場から発せられたユーモアであったろう。自己の卑小さを突き放し乗り越えていかせるメンタル・コントロール。そんな対応は、戦争に駆り出されて死んでいった職人(戦友)たちへの弔いの場として、私自身が手入れにはいる新宿区の戦後造られた富士塚の造景にもいえるのではないか、と読み込んだのだ(「朴石と富士講」)。つまり、柄谷の「崇高」を、ナショナリズムには回収しきれない、実践的な「信仰」として読み替えたのである。つまり、柄谷の両義性の一方の論理的可能性を切ったのだ。だから私自身は、憲法1条は変えるべき憲法改正論者だが、9条という切腹倫理は、ドストエフスキー的に(その『白痴』で切腹を擁護している)より徹底化すべきだ、という説である。そんな態度が、カント的に、あるいは哲学教養的に成立しうる論理文脈があるのかどうか私にはわからないが、気概としては、そんな感じになるのである。

だから、そういう観点に立つものとして、石川氏の論考を振り返り、柄谷と蓮見、どちらが「安全な場所」にいるのですか? と、問いたくなるのである。これは、論理的な話ではなく、具体的な、「身を以って」な話である。柄谷は、NAMのような実践をおこし、自らファルス的な滑稽さを実現してみせた。私には、これは、「安全な場所」から降りていった行動にみえる。東大総長にもなった蓮見はどうなのか? 批評ではなく、小説を書いて見せ、そこで東大総長にもなった男が「熟れたまんこ」と書いてみせることは、「安全な場所」から降りていく勇気ある実践だというのだろうか? 私には、こちらもまた「滑稽」な姿にみえる。そしてどちらかといえば、柄谷の文字通りな実践のほうに分がある。実際に木から落ちて死に損なった私からすれば、両者の差異は相対的なものにすぎないだろう。がもちろん、私はこの「安全な場所」ではない場所、「距離」のない場所、ということが、具体的であるとともに、理論抽象的な文脈に挿入されていることを知っている。

私がNAMにいたとき、芸術系担当の岡崎乾二郎氏から、樹齢何百年以上だかのケヤキの木を伐採して新聞沙汰になった件で、PC的に揶揄されたことがある。新宿は大久保の都営団地をつくるのに、その大木が邪魔になったのだ。何度か切ろうとしたが、その都度住民の反対運動に囲まれて、作業が中断されていた。そこで、私が元請けから呼ばれたのだ。雨の日だった。普段なら作業もおわる、夕刻は6時を過ぎていた。たしか、秋も深まったころで、暗くなるのも早かった。すでに、樹木のまわりは、ユンボで穴をほり、根切りされていた。あとは、木に登り、ロープをかけ、それをまたユンボでひっぱって引き倒すだけの段取りまでいっていた。「俺、きのう上までいったんだけど、『降りろ』コールがあって、おろされたんだよ」と、この現場に長らくはいっていたのだろう太っちょの職人がいう。となると、昨日までは、地面があったわけだ。もう、ない。だから、ハシゴは使えない。しがみついていくだけだ。雨で、幹はすべるだろう。安全帯をつけられる木の太さではない。雨で住民がでてこないのを確かめると、詰所からでて、夕闇のなかを、木にちかづいた。ハシゴを穴の中におろし、また、穴から根の上の面にかけなおし、ケヤキの真下に立った。「どうやってのぼるの?」私は、一緒にきた太っちょにきいた。「このロープ、あの一番下の枝に投げられるかい?」彼の父親は、空師だった。高木専門の山師のことだ。だから、庭師には知らなないロープワークを知っている。何度か投げて成功して下枝をまわって落ちてきたロープで、いまならハイネスとかいう道具に似た座席をつくり、そこに座ってロープをひっぱっていけば自動的に座席があがっていく結びを作って私に手渡した。手の力だけではなかなかあがっていけないので、幹を足で蹴って登っていく。雨で、足がすべる。下枝までついてからは、とにかく、しがみついて枝の上に上体をだして、またがないといけない。今度は、手がすべり、何度か、ずりおちそうになる。下枝に立ってからも、できるだけ上を目指して、容易には手の届かない枝をつたっていく。…

木の上は、ほぼ誰も気づかない。間違って枝を落としてしまえば、通りをゆく人々にケガをさせ、殺してしまうかもしれない。安全柵など、言い訳的な役所処置にすぎない。鉄パイプで足場を組んでいく鳶職人の現場も、そうだろう。男気発揮するやんちゃな彼らも、内心はびくびくものであることを私は知っている。それを抑えるには、熟練したメンタル・コントロールが必要だ。誰も、気にも止めてくれないような場所で、人々の「安全な場所」を維持するよう強要されるのは、孤立した孤独であり、行き場のない悲しさにおそわれるときもでてくる。だから、私がイラク戦争に反戦するデモで、息子をのせたバギーに掲げた幟にはこう書いた。「自衛隊員を見殺しにするな!」

「安全な場所」などなくなったとき、人は、なにを選択すればよいのか? いやそもそも、動物たちには、安全な場所などあったのか? 植物は? どうふるまって、生命ある物たちは生存してきているのか? 私は、石川氏が多用するフーコーやデリダではなく、死刑執行人に恋したジュネのことをおもう。この作家には、どんな論理があったのだろう? ――「庭師は庭のなかで一番美しい薔薇である。」(ジュネ『葬儀』)

*石川氏の『政治的動物』は、以上のような立論をめぐる考察のほかに、資本主義と国家をめぐる河中氏の中上論との比較、そして、前回ブログにも書いたように、引っ越しの最中なので、家(建築)と文学をめぐる指摘などをより身に受けて考察してみたくなる。が、それはまたの機会とする。

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