2017年6月10日土曜日

「戦闘」をめぐって(6)

須藤(JFAユース育成ダイレクター) ヨーロッパの子どもたちはサッカーをよく理解しているという話を聞きます。それはなぜか。毎週レベルの高いゲームを見ているからだと言われています。しかし、私がFCバルセロナ(スペイン)の育成指導者にその話をしたところ、「それは違う」と言われました。確かに試合をよく見ていることはありますが、一番は「6歳から7歳で、すでにサッカーのリーグ戦をやっていることである」と言っていました。彼らは幼い頃からリーグ戦を毎週戦う中で、誰にパスを出したら点数がとれるのか、またはその逆の状況を把握し、どうやって勝つのかを考えているのです。…(略)…「小さい頃からリーグ戦を通じて子どもたちなりに勝ち方を考えていることが大きいのである」と言っていました。
山口(JFA指導者養成ダイレクター) 日本ではリーグ戦文化が産声を上げたばかりです。Jリーグは25年ですが、育成年代のリーグ戦は始まったばかりで、さまざまな課題があります。今後も皆で知恵を出し、リーグ戦を定着させることが重要になってきますね。」(『JFA TECHNICAL NEWS』「育成年代指導者 座談会」)

私も指導に関わる少年サッカーチームの子どもたちが、池上正氏の新作に伴うモデル・キッズに起用された。これまでの運動部・暴力的な指導や、大人の過剰な干渉を戒める言説を流布させてきた池上氏だが、今回の新作を立ち読みしてみると、結局は、自分の啓蒙思想は普及しなかったと認識しているようだ。サッカー界における氏の言動は、どこか日本教育界での日教組の機能に似ている。いまや現実政治への実践的な影響力は崩壊させられたが、その思想の本質的な部分は、無視はできない「ゆとり教育」として体制側にもとり込まれている。が、その愚直な実践では子どもたちの成績を世界上位まではあげられないと、あくまで建前的な保持としてその思想は掲げられる形で引っ込められてしまって、実際上は、官民が一体となって点数向上の手練手管を模索している、と。で、結果が思うようにいかなければどうなるのか? 森友学園で見られてしまったように、集団的なメンタル強化=洗脳という手段になるのだろうか?

しかし、今月あった息子の公立中学校の運動会の模様を改めて聞くに、もはや森友学園など必要もなく、洗脳教育制度ができているのではないか、という気がしてくる。去年、組体操が世間的に問題になったので、今年は集団行動だという。みんなして一斉にあちこち歩いてぶつからない、というやつだ。その発想の変わりなさに、唖然とする。人と一緒にいる感覚を小学生年代にまで味あわせる必要を私はおもうけれど、もう中学生になったのなら、大人へ向けて、自立できるよう後押ししてやる、という方向性を強くしなければならないのではないだろうか? 社会(世界)とは、集団というよりは、集合だ。それは、個人やグループとの連結の集まりであって、一体を期待できるようなものではない。一体とはなり得ないもの、個人、グループとでも、無関係な関係として、どこかで繋がっている、ので、やっていかなくてはならない、戦争よりは平和的に渡り合っていくメンタルやノウハウを身に付けさせなくてはならないのではないか? そこでのふんばりが、ホームが心にあるかないか、が大切になってくるけれども、それは幼年期、遅くとも小学生までにしか根づけえない。家庭の事情などで不安を根底に抱えてしまった人はもう取り返しがつかない。それを偽善で解消(一体化)させてみても、無理なのだから、その人格を認めて、そこから新たに作っていくしかない。

ふがいない練習試合の結果をメンタル問題としてあげつらわれたからか、もうキーパーは嫌だと3年の先輩たちと部活ボイコットした息子は、その3年生最後の地区予選大会、新入生にポジション奪われてずっとベンチにいた。私でも、息子の一希の扱いには手こずったが、この控え選手というより補欠選手のような干し方に、やめていった一希の友達もいる。誰が出場しても勝敗の行方は変わらないような有様なのだから、3年間やってサッカーの知識が増えた、小学生よりもっと余分にやってよかった、と思うようになってほしい。が、都心部の公立校の部活など、少子化で一昔前の運動部の根性考えなど機能しないことが明白なのに、どうもあの時が懐かしいのだろう。ゆえに、すぐには転向できないのだろう。私立のクラブチームのほとんどは、昔の運動部精神がそのまま移行したみたいに、子どもたちをふるいにかけていくようだ。24時間戦える日本企業として、新入社員をたくさんとってたくさんやめさせていく生き残りエリート競争のように。そうやってなお過労死者がで、活発だった子が中学にあがったとたん登校拒否をおこしたりする。先生に刃向かう校内暴力はどこかにいったが、いじめはいっそう深刻度を増しているようにみえる。

こんな状態では、まだ日教組の方がマシだろう。池上氏の教条主義の方がマシだろう。開き直りの保守主義より、リベラルの方がマシだろう。マシだけれども、問題はそんな対立軸にあるのではない。

*関連:「中学部活動問題の中身


2017年5月14日日曜日

認知症をめぐって

「しかし柳田の学問は普通の人々が学問の主体である。柳田学は「常民を研究する」のではなく、「常民が研究する」学問として設計されている。そこが柳田論では常にスルーされる。このことはアカデミズムの人たちは決して認めたくないのであり、こういう体質はばかばかしいが今もアカデミズム全体にある。
 そもそも柳田のアカデミズムへの批判は、「民俗学」と仕方なく彼が呼ぶものは観察と記録に基づく「社会」構築の方法そのものをいう。学問の目的そのものの違いに根差す。言うなればそれは、「日常の技術」なのである。
 例えばWEBの出現で、表現することや発信することの「民主化」が少なくともインフラの上では実現している。柳田が考える「民俗学」とは、そういう状況でこそ本当は意味を持つ「学問の民主化」に他ならない。そのためには民俗資料という研究者が抱え込みたいものをデータベース化しようと昭和の初めの時点で考えていたのだから、アカデミシャンから見れば何を言っているのかわからないのは当然ではあった。」(大塚英志著『殺生と戦争の民俗学』 角川選書)

去年のことだ。
父は、まだ夜半と言える早朝、切り倒した庭木の幹を、両の手に一本づつ持って、家庭ごみの捨て置き場へと運んでいた。幹は成人にとっても重いもので、八十も半ばになる父は途中、前のめりに倒れてしまった。両手がふさがっていたので、顔が道路にあたるのを防ぐこともままならず、そのまま強打した。運よくか、通りがかりの人が救急車を呼んでくれて、間もなく病院へと運ばれたようだ。その見舞いには、父の兄弟が、もう会うのも最後かもしれないと、やってきたそうだ。私は、兄からメールを受け、弟に確認をとったが、見舞いには行かなかった。まだ私が若いといえる時分にも、父が交通事故にあって入院したことがあったが、その時も行かなかった。どちらの時も、「だいじょうぶだから」という返事が、身内からあったとおもう。その字義通りの応答以外の感情が私には希薄で、イトコが見舞いに行くのに実の息子が来ないのか、という親戚の話もあったときく。
そもそも、上京した19の歳いらい、年に一度か二度、お盆や正月の時に帰省するだけだった。地元のかつての野球仲間などにも、母は、行方知れずだから、というように吹聴していたらしい。子どもの頃の友人とは、子どもの時いらい、まったく会っていない。

そんな自分が結婚して子どもができて、帰省する機会も増えた。息子の小学校の入学式には、父も東京までやってきたぐらいだから、なお丈夫だった。が、息子が上級生になった頃から、年ごとに、ボケの症状が深刻になっていくようだ、ということが、家の者の話から知れてくる。そういうこともあるし、息子ももう中学生にもなったので、実家には、私一人で帰ることが多くなった。

が、私には、ボケてきているのはわかるけれども、いわば認知症と呼ばれる高齢者の病気に父が本当になっているのか、わからないのだった。私の名前を間違えて、弟の名前で呼ぶときはある。というか、それが帰省した当日などはいつもなような感じである。さらに、自分が名前を間違えたことを父は自覚できるようなのだが、では私がなんていう名前なのかは、すぐには出てこないらしい。名前を呼ばれるのは、二、三日たってからであったりする。いや今回ゴールデンウィークに帰って、やはり名前は数日後に出てきたのだが、それでも、私が誰なのか、本当に次男坊のマサキなのか、腑に落ちていないのではないか、という気が私にはしてきた。が、私はそうしたことどもも、父が病気だから、という気がしない。たんに、老人になれば細胞がたくさん死んでいくのだから、当たり前なことだ、ぐらいにしか気にならない。帰省したその日、父の近くによると、小便の臭いがした。その夜、家の皆が寝静まった時刻に、代替の宅配便で、オムツをかねた新式のパンツがとどいて、私が支払った。翌日にもそれを穿いてと母から言われたからか、以後そんな臭いは漏れてこないのだったが、兄も、弟も、母も、父が糞尿をもらさず、怒鳴り散らすこともせず、大人しくしているのは、どうもマサキがいるらしいからだ、という。よそよそしい者が、家にいる、それが父を行儀よくさせるのか。弟が介護疲れで倒れた母を病院に連れて行っている間、糖尿病でもある父は、私の女房が作ってもたせたおかずをむしゃむしゃと食べ始め、さらに母が私にと出してくれたお菓子まで食べはじめたのだけど、私には、腹が減っているんだな、ことぐらいしかわからない。兄にいわせると、満腹感がもうわからなくなっているのだ、という。しかしそれが歳をとるということなら、そのまま病気をこじらせて死んでいっても、別に自然なことなのだから、なんでそれを病気として騒ぎ立てるのか、そうした家族の事態を目の当たりにしても、やはり私にはわからないのだった。

そんなあと、近所の家庭菜園の畑へと水やりにいった父は、そのまま徘徊してしまったようなのだが、もし私が家族から認知症という言葉を知らされておらず、それで家の者が困っているという話を知っていなかったら、探しにいくということもなかったろう。夕刻遅くに戻らなかったのならば考えるし、たとえその父の放浪が、近所の住民や公共機関への事故とうで迷惑や損害を与えたとしても、老人とはそういうものだという寛容さで、あまり騒ぎ立てることもせず、静かなわがままを皆で弔ってやることのほうが、ずっといい社会ということになるのではないか、と今の私は思い込む。それはしかし、介護がいる現場から、私がまだ遠いところにいるひとごとな立場でものを見ているからだろうか。

しかしそんな私でも、老化した父を、注目して見ていることがある。
父が、早朝に庭のゴミを運んでいるのも、それが父の特化した行動になっているからだった。今年の正月、父の散歩に息子と一緒に後ろからついていくと、道端に落ちている吸殻、紙くずなどを、たとえ小さなものでも、しゃがみこんで拾い上げて、服のポケットへと片付けてゆく。いやゴミだけではない、石ころが落ちていても、それを手に取って、道路の外の空き地へとぽいっと下投げに放り投げるのだった。そんなものだから、なかなか前に進まない。息子と私は、そんな父の行動を不思議そうに見て後追いしていたのだが、と、石ころがいくつも落ちている道端に出くわしたのだった。これをひとつひとつ処理していたら、大変だぞ、と息子も思ったことが感じられた。すると、父は、なんと足でその石ころを蹴とばして道の脇へとどけはじめたのだ。さらに、ちょっと道の中ほどにあった石ころを、インサイドキックで強めに蹴ると、それはころころと長めに転がって、側溝の蓋のつなぎ目の小さな穴に入って消えていったのだった。「おじいちゃん、すげえ」と、息子はつぶやいて、私と目を見合わせた。
外だけではなかった。家の中でも、ゴミ拾いに忙しかった。私が居間のゴミ箱に紙くずひとつ捨てても、それを炬燵からやおら起き上がってゴミ箱までよちよちと歩き、手を突っ込み、拾い上げ、洗面所にあるゴミ箱へとまとめていき、それが一杯になるまでもなく、いくばくかの時間がたつと、ゴミ箱に挿入されゴミをまとめているビニール袋をとりあげて、庭の隅においてあるゴミバケツに捨てにいくのだった。そして収集車がやってくるゴミの日になれば、まだ夜ともいえる早朝に、ひとりゴミ袋を運んでゆくのである。

私が、父といえば思い出す光景といえば、野球グランドにうずくまって、カマをふるい草刈りをしている姿だった。

この、どこか昇華してゆくような記憶の作用には、何か意味があるのではないだろうか? 余分なものが削除されていって、コアな何かが残って行く。父にとって、ゴミ拾い、雑草取り、これらは、何を意味しているのだろうか? 老年になって、強迫観念、反復にもなっているこの作法には、父にとっての意味と、その意味をもたせようとする形式があって、そこに、より普遍的な意義があるのであろうか?

(私はこの父の認知症を、私の不眠・夢の作法と関連しているのではないかと推察している。私事を超えた、一般的な関係があるのではないかと思っている。)

*以上の材料をブログに記入しておこうと思った昨日から、今日、冒頭引用した大塚氏の著作を読んで、面白く感じた。そしてさっきの夕食前、朝日新聞に、柄谷行人氏が、その大塚氏の著作の書評を書いているのを知った。柄谷氏は、氏の柳田読解を、大塚氏から批判されているのだが、書評中、その著作の内容紹介に終始しながら、最後にこう暗示的に付記する。<柳田―千葉―大塚という流れには、柳田にあった一つの面が抜けている。それは、柳田の学問の根底に、平田派神道の神官となった父親が存在する、ということだ。柳田が先祖信仰にこだわったのは、そのためである。>――柄谷氏の柳田論(「遊動論」)は、「世界史の構造」や、さらにトッドの家族人類学「世界システム」との文脈の重なり合いを踏まえて読み込まないと意味(方向)が指示されてこないと私は理解しているが、おそらく、その柄谷氏の読解を批判的にとらえようと、絓 秀実 /木藤亮太 著『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男』 (筑摩選書)という柳田論も出版されている。それをも読んで、総体的な視点に触れることができて、このブログに記入できれば、と思っている。

2017年5月10日水曜日

「戦闘」をめぐって(5)

「五年間日本に駐屯していた米軍は、戦闘部隊としての士気を失っていた。頼みになるのは制空権だが、韓国軍の遁走はとどまるところを知らない。一九五〇年の夏、戦争は重大な局面にはいる。国連軍は釜山の周辺地域に追い込まれ、あわやダンケルクの二の舞になりそうにみえた。マッカーサーは、米韓両軍に釜山を死守するように命令した。
 この時である。米国側がある噂を流布しはじめた。この噂は朝鮮で苦戦していた米軍の兵士の間でまことしやかに伝えられていた。これはダレスと国務省の観測気球が火元だったのであろう。
 その噂とは日本陸軍の精鋭部隊が応援に駆けつけて、北朝鮮の軍隊をやっつける、というのである。日本国会でも質疑応答があり、韓国大統領李承晩も、これをとりあげた。もし日本軍が投入されたら、韓国軍は北朝鮮と一緒になって、日本軍に抵抗するというのである。」(片岡鉄哉著『さらば吉田茂』 文芸春秋)

ゴールデンウィーク、予定どおりの帰省の前夜に、実家に電話しても誰もでない。まだ夜の8時だが、認知症の父も、統合失調症の兄も、すでに薬を飲んで寝ているのが習慣だ。母が起きているはずだが、でない。「腰痛になったというから、寝込んでるかい? とにかく朝早く帰るからね」と留守電をいれておく。そうしたら案の定、奥の納戸と化したような日本間の、家具の隙間に倒れていたのだった。いったん起きておかゆを作って食べたが、みんなもどしてしまったという。腰よりも、胃が気持ち悪いという。父と兄は、腹が減っていたのか、私の女房が作ってもたせたサバの味噌煮やイクラの煮込みなどのオカズをむしゃむしゃと食べ始める。私は、こんなにも衰弱した母をみるのは初めてだった。乏しくなった長髪をまばらに乱して、苦痛に顔をゆがめてお岩さんのような幽霊表情だったが、哀れという感情に襲われた。小さきものへの労りを、母と感じ捉えることとは、こういう体験なのか、と私は合点したような気になった。日常的に出会わしている兄には、もうそんな感性はないのか? 夫としての父は、もっと複雑になるのかもしれないが、両者とも、もうアパシーという風だった。母はまた寝入ったので、とりあえず午前中は様子をみることにしたと、弟にメールを送る。「祭日の当番医が新聞の地元欄に書いてあるはずだから調べておいて」と返信がくる。老人ホームの夜勤中だそうだが、ほどなくして、家に弟は現れた。「明日からは早番で病院には連れていけなくなるから、今から行くから。脱水症状なったら大事だから、点滴打ってもらうだけでもちがうよ。」と、気の進まない母を起こして、車に乗せた。「お父さんが徘徊するかもしれないから、留守番たのむよ」と私に。「疲労からくるウィールス性の胃腸炎」と昼過ぎにメールが届いた。私が庭の植木を手入れしている間、父は畑に水をやってくると、家の前の道路を50メートルほどいったところにある家庭菜園の所へと、ペットボトルを両手にして出ていっていた。刈り込んだ枝葉の掃除を終えてふと、まだ父が戻っていないと気付いて畑までみにいくと、いない。国道まで出向いて、セブンイレブンで何か買い食いでもしているかと、迎えにいってみると、ちょうどレジで菓子パンを買っている爺さんがいたので、「お父さん!」と声をかけると、ちらとこちらを一瞥しただけで反応が鈍いので変だと思って後追いしてすぐに、人違いだと気づいた。よろよろして顔つきも似ているのだが、あんなにしっかり歩けないなと。家に電話で確認すると、まだ戻っていないと兄は言う。今度は国道とは反対側の、土手沿いの散歩コースを捜してみることにした。こういうふうに、親を捜してあるく家の人たちが、いまいっぱいいるのだな、と、丈の高くなった雑草の濃いグリーンを揺らしてゆくそよ風を気持ちよく眺めながら、私は確認していた。これはやはり、深刻だな、と、あの母の姿を目にしたときにぞっとした認識を、眩しい日の光の中で再確認しながら、そして、自殺を思い詰めていた青春時、よくこの土手から川沿いの林の中をさまよった当時の自分をも思い起こしながら、私自身が認知症の父になってさまよっている気がしてくるのだった。河川敷に設けた菜園まで行ってみようか、まだ父も健康で、幼い息子の一希と一緒に犬の散歩によく行った場所。父がもう行けなくなったから、どうなっているだろう、あの犬のお墓は、まだ草むらに見えるだろうか……「戻って来た」と兄から携帯が入り、私は途中で土手を降りた。……「おまえの旦那は、歩ってるじゃないか」と、地区の班長負担は後回しにしてくれと頼むと、そう言ってくる人もいるんだよ、と少し気分が回復した母は言う。「いまに覚えてろよ」とも。菜園が荒らされたときもある。夜に、庭に保管してあった肥料が盗まれたりした。すでに近所の家庭では、どこもかしこも、認知症の両親を抱えたり、独り身になっていたり、子どもはよりつかなかったり、親が施設に入ったきりだったりしている。それでも、誰もが助け合いみたいにはならないらしい。生活レベルが似ているので、あるいは似ているように見えるレベルなので、疑心暗鬼になるのだろう。落差が見え過ぎるくらいだったら、足の引っ張り合いはしようもないのではないか。

そうしたで下世話な世間から世界をみると、世界情勢もそれに似ている、ことに気づく。その卑俗な世界での現実主義、政治的リアルとは、次のような意識によっているのであろう。

<ましてアメリカは、冷戦時代は戦略的に重要な日本を手放すわけにはいかないから、多少、日本のすることに不満でも大事の前の小事として目をつむっていてくれたが、これからはもう少し気をつける必要があろう。イギリスもスペインの脅威がある間は、オランダが滅びれば次は英国が同じ運命と思って庇ってくれたが、スペインの脅威が去った途端に、過去の同盟義務不履行までむし返してオランダを叩いている。…(略)…「あいつはどうせつき合わないのだから誘わないでおこう」と思われた時こそ、同盟の黄信号灯った時である。それを、「やっとアメリカは日本の平和主義を理解してくれた」とほっとなどしていることこそ、日米同盟の基礎を揺るがし、ひいては現在の平和主義体制自体の墓穴を掘り、軍国主義への道を開いているのである。>(岡崎久彦著『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』 土曜出版)

スペインやアメリカといった落差を感じさせる支配者が失墜して、誰もが揚げ足をとれるようになった。

で、そんな田舎世界で、平和を志向するとは、それをこの著者の元外務官僚にも説得提示できる論理とは、どんなものでありうるのだろう?

2017年4月28日金曜日

「戦闘」をめぐって(4)

「私が若し開戦の決定に対して「ベトー」(拒否権行使)したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない[後略]。
 
 内乱が起きて、側近のみならず、自分も殺されるような事態が起きたかもしれないと、天皇自身が回想している。このような空間が、四一年八月、九月にできてしまっている。天皇は、一九三六年の二・二六事件を、まさにつぶさに目撃し、青年将校や、それに呼応しようとした軍部のトップの姿を見てしまっていたわけです。二・二六事件では、当時の内大臣だった佐藤実、大蔵大臣だった高橋是清、陸軍の教育総監だった渡辺錠太郎などが、蹶起将校らによって殺害されていました。まさに天皇が「信頼する側近」が殺された事件が四年前に起きていました。」(加藤陽子著『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 朝日出版社)

ゴールデンウィーク中の少年サッカー大会、3年生の部は2戦が不戦敗となる。連休中なのだから、そんなものだ。しかし私が「そんなものだ」と自己納得できるようになるには、それなりの時間が必要だった。私の子どもの頃、父親が監督をしていた少年野球クラブは、お盆三日と正月の三箇日にしか休みはなかった。だから、私と息子がサッカー・クラブにお世話になりはじめた7年前当時、ゴールデンウィーク中であっても、練習に通い詰めるのが普通というか、癖が抜けないような状態だった。案の定というべきか、開始5分前になっても、私と息子しか校庭にはいない。「こんなものなのだな」と普通ということをなんとか了解しようと、子どもとボールを蹴っていた。

休みを家族で過ごす、それは普通なことかもしれない。が、サッカー・クラブを通してその家族・親子関係をみるにつけ、そして晩婚だった私よりひと回り若い世代になるのだが、この普通のあり方が気がかりになってきた。

統計的にはどうだか知らないが、今は団体競技よりも、個人競技のほうに親は子供を参加させたがる傾向があるのではないだろうか? 水泳が一番多い気がするが、体操なども多い。要は、自分の子どもだけの健全さに関心を集中できる種目形式である。体育的なことにも、だから母親が主導的だ。仲間との一体的な感動を味あわせたい、喜びを他人と共有することを体験させてあげたい男親は、ゆえに体育館ジムとグランドを掛け持ちすることになる。グランドの方の競技には、関心を示さない母親もでてくる。むろん、父母会やその連絡網には参加しない。参加している母親たちからは不公平だというような不満もでてくる。その声を背景に、コーチをしているから父母会への選出から免れているわけではないのだから、女房を説き伏せて父母会に参加させるかコーチを控えろ、それが公平だ、と揚げ足をとろうとするコーチ陣もでてくる。

こうした様が、私には、現政権の安倍首相への高支持率とつながっているような気がするのだ。森友学園の事件をめぐって、まるで北朝鮮の「将軍様」を連呼するような映像が放映されても、支持率はあがっていく。その北朝鮮をめぐって紛争でも起きれば、おそらくもっと支持率はあがるのだろう。なぜなら、集団(国家)的なことは、それに興味を持つ人、そしてその持ち方が強烈な人ほど任せられる、自分はタッチしなくていい、という話になるので、状況がひどくなればなるほど、自分には好都合、ということになるからである。あの人に任せていて大丈夫なのかどうか、という判断は必要ない。政治への関心を排除させられればそれだけ自分のこと、自分の子どものことに関心を集中できるので、一方的に強権的なほうが都合よくなるのだ。

もちろん、どこまでそんな非現実的なことが持ちこたえられるかは疑問である。他人事のままで済んだのなら、単に運がよかっただけの話だろう。

2017年4月6日木曜日

「戦闘」をめぐって(3)――『シン・コジラ』を観る

「こうした大本教が思想的な軸としたミロク信仰については、従来いくつかの研究成果があるが、ミロクが下生する時に、その世界はユートピアとなる。しかし、破壊と混乱の中で救世主を迎えるという期待が民衆の間に薄いのであり、つきつめた「終わりの日」という認識が少ないのである。これは一つに東洋の時間認識によるところが大きい。日本人にとっての時間は、あくまで現在=今が中心であり、現在に向かって未来のイメージがつくられるといった表象でとらえられるのである。キリスト教的終末論に対比される東洋的神学としてのミロク信仰の特徴が、アジアに共有の時間認識から生じたのだとすると、何故そのような認識論が優位を占めるようになったのかを問うて行く必要があるだろう。
 このことと対比して、たとえば現代アメリカの終末論を検討した荒木美智雄は、日本からは想像もできないような、激しい終末的緊張が、アメリカの社会・文化にみなぎっていることを指摘している。」(宮田登著『終末観の民俗学』 弘文堂)

今週末で、ようやく子どもより長い春休みが終わる。やっと休みに慣れてきてこれからだ、という時なので、名残惜しい気もするが、これ以上の休みは、休みというより失業に近いだろう、という気もするのだが、ちょっと昔は、みな職人さんはそうだったはずだ。ただ、それでも意義深く生きていけた共同体がもはや見える形ではあるわけではないので、やはり私にも不安はある。そういう不安が底流するなかで、暇なので、レンタル・ビデオがはじまったという映画『シン・ゴジラ』を借りて来て観た。

面白かったが、前向きな作品ではないな、とおもった。総監督を務めた庵野氏の「エヴァンゲリオン」も引用編集な作品だったというが、この作品も、既存作品・テキストの引用というだけでなく、実際世界の映像の引用、編集で満ちている。避難所での段ボールで仕切られた生活風景や、官邸での動きの有様なども、私たちは近過去を既視・追体験させられるようにできている。リアリズムであると同時にパロディーであり、希望的なスタンスを見せて終わるところで劇画的である。だから、いいのだろう。ゴジラの漢字表記「呉爾羅」をクローズアップさせたり、その退治作戦名で古事記を連想させるところなど(参照WEB「続 島の先々」)、おそらく、形式的には、日本人の民俗的学的な学説をなぞるように意識して文脈づけられているのだろう。が、本当に意識していたら、私はこうした一般受けする劇画調にはなりえないのでは、とおもった。私は、東京の高層ビル・文明都市社会が見事に破壊されていく様を唖然とした痛快さで追いながら、その破壊者ゴジラに新幹線や山手線などが特攻していったときは、なぜかおもわず笑い出し喝采したくなる自分を発見した。電車は無人運転であったとしても、そこに、私たちは自分の魂、神風で散った遠くない先祖を戦後の文明が無駄にしているわけではない日本人としての魂を乗せて、突っっ込んでいった気になってくる。弁解と鎮魂、そんな虚偽で複雑になった苦渋した感情が、ゴジラの足元で大破するのではなく竜のように空を駆け登っていったとき、一瞬、昇華されたような気にもなるのではないだろうか? 私はならなかったが、しかしそれは、その手前で、戦後の電車が竜になったとき、考えがやってきてしまったからである。

この映画を観る前日まで、前回ブログでも引用した、白井氏と内田氏の『日本戦後史論』を読んでいた。そのなかで、白井氏が佐藤建志氏の『震災ゴジラ』での意見、ゴジラの日本破壊は日本人がそれを待望し、破壊欲望をもっているから、というものを賛同紹介したのに内田氏が呼応し、<ゴジラは日本人の罪責感と自己処罰の欲動を形象化したものですね。><反近代・反中央・反都市・反文明というさまざまな「反」がゴジラという形象をまとって近代日本を破壊するために登場してくる。>(――となると、この『シン・ゴジラ』は、近代の日本という特殊的な傍流から生まれたオタク的延長からその近代を肯定してみせる論理をイメージ化してみせた、ということで「シン」、新しい、ということになる。というか、「ハン・ゴジラ」ということだ)――そしてどうも、内田氏は、そんなゴジラ観に内蔵させるように、現総理の「戦後レジームからの脱却」思想を捉えているようなのだ。

<安倍さんの「戦後レジームからの脱却」がある種の人々の暗い情念に点火するのは、その自己破壊衝動に共感している日本人が多いからでしょう。「こんな国、一度壊れてしまえばいいんだ」という自棄的な気分は右左を問わず、多くの日本人に共有されていると感じます。>

私には、この内田氏の発言はよくわからず、眉唾物なのではないかとおもっていたが、なぜか、この『シン・ゴジラ』を見ている自分の心の動きに出くわして、もしかしたら氏の洞察は当たっているのではないか、とわかってしまったのである。シン・ゴジラとは、アベクンだったのか! 私はそれを面白いと見た、そういうふうに、今の政治風景を見ようとしている、ということではないか? 破局を期待しながら……

しかしそれはまだ、「忖度の構造(天皇制の本質)」(白井氏)の内における破局観である。『シン・ゴジラ』でも、最後は、この破局の中から日本は再生してきたのだ、という歴史的教訓からくる希望(観測)に焦点化させるように結末させている。が、今回ブログの冒頭引用での民俗学からの指摘にもあるように、<つきつめた「終わりの日」という認識が少ない>のだ。それはアメリカでの<激しい終末的緊張>とは違う。彼らの政治的脅迫、政治のリアルが、この<終末>から来ているとしたらどうだろう? 破局と終局の違い。私たちは、破壊のあとに再生がありえるとおもいこんでいる、が、彼らは、終わりなのだ。そこには、楽観の入り込む余地はない。この『シン・ゴジラ』は、そうした他者性に直面して描かれたといえるだろうか? アメリカの政治的脅迫を、破局へ向けてのいちエピソードとして挿入・消化してみただけだろう。他者はイメージ化できない。そのできないことをしようとする努力を映画製作の中で試みようとしたら、まともな形式ではできなくなるだろう。もちろん、私はそれをこの映画に求めているということではなくて、この映画から考えさせられてしまった、ということである。

しかし私は、文化が内面化している時間意識の違い、みたいな比較をしているのではない。破局にしろ、終局にしろ、どっちにしても幻想である。アメリカの他者性は、そんなところにあるのではない。そして日本人の他者性、現実も、そんなところにあるのではない。「忖度の構造」が日本人の現実などではない。それは文化という幻想にすぎない。そうではなくて、たとえば、もし、本当に、アベクン(シン・ゴジラ)の破局が映画ではなく、本当に訪れたら、笑ってはいられない、ぞっとする一瞬がある、その一瞬にだけ、私たちは現実を見れるのであって、またすぐ見えなくなるだろう。が、その一瞬を理念的に握持していないかぎり、まともな現実政策など思考しえないのだ。終局に緊張したアメリカの恫喝も、当人にとっては幻想にすぎない。むしろ、私たち日本人のほうが、その現実表象を経験している。アメリカの歴史では、やっと9・11で、ということかもしれない。ビルいくつかの倒壊でヒステリーを起こしているのだから、彼らの政治的リアルに飲まれているほうがばかばかしい。こっちがしてきた経験知からしても、相手にならないだろう。私たちの破局幻想のほうが、ずっと腹がすわっているに違いないのだ。何を恐れるのだ? もうやられてるのだから、またやってみろ、核爆弾落としてみろ、とすでに挿入されている私たちの民俗学的事実をつきつけてみればいいだけの話ではないか?……とこう、すでに私の思考自体にニヒリズムが入っている。それでも、無意識の願望が本当に実現したとき、私はぞっとするだろう。そんな破局願望は、一瞬にして、吹き飛ぶだろう。

が、政治的リアル、というものを考えた時、私たちのニヒリズムは、現実的に有効なのではないか? それを使ってみるということが、真にリアルなものを踏まえた本当の現実政策に近づくのではないか?

2017年4月5日水曜日

「戦闘」をめぐって(2)


<ところで鳩山首相がやめた原因が、北朝鮮の核だったのではないかとPART1で書きましたが、これはあてずっぽうで言ったわけではありません。実は細川護熙首相が辞任した理由が「北朝鮮の核」だったことが、非常に有名な関係者の証言によってあきらかになっているのです。その証言者とは、小池百合子・元防衛大臣です。…(略)…
 文字通りの盟友だった武村長官を切ることに悩みぬいた細川首相は、ついに内閣改造を決意したものの、社会党の連立離脱をちらつかせた反対にあって断念。4月8日、辞任することになります。最初に小池議員に電話をしたときから、わずか2か月後のことでした。マスコミは突然の辞任の理由として、国民福祉税の導入失敗や、佐川急便に関するスキャンダルをあげていましたが、側近として苦楽を共にしてきた小池議員は「私の見方はまったく違う。ずばり、北朝鮮問題だ」と断言しています。それは辞任前に本人の口から、こう聞いたからだというのです。
「北朝鮮が暴発すれば、今の体制では何もできない。ここは私が身を捨てる〔辞任する〕ことで、社会党を斬らなければダメなんです。それで地殻変動を起こすしかないんです」

細川内閣で官房副長官をつとめた石原信雄氏は、この1994年2月の日米首脳会談の「相当な部分が北朝鮮問題だった」とのべています。(『内訟録――細川護熙総理大臣日記』)そして北朝鮮に対して海上封鎖を行うつもりだったアメリカから、その場合、北朝鮮は機雷を流してくるだろうから、それを日本が除去してほしいと頼まれたが、内閣法制局の判断でダメだったということも証言しています。「北朝鮮が暴発すれば、今の体制では何もできない」とは、おそらくそういうことを言っているのでしょう。

社会党に反対されて武村官房長官を更迭できず、機雷の除去にも応じられない。核を持つ北朝鮮が、いつ「暴発」するかわからないのに、アメリカからの要望にこたえられず、うまく協力関係が築けなくなって辞任に追い込まれてしまった。これは鳩山首相が辺野古案に回帰することになったときと、ほとんど同じ状況です。
 このときアメリカ側のだれか、または日本側のだれかが、意図的に細川首相を辞任へ追い込んでいったかどうかはわかりません。細川首相の独自の安全保障構想が警戒されたという話が本当かどうかもわかりません。
 ただ言えるのは、安全保障面でアメリカと距離をおこうとする日本の首相があらわれたとき、いつでもその動きを封じこむことのできる究極の脅し文句を、このとき「彼ら」が発見したのはたしかだということです。それは「言い方や表現」は別にして、「北朝鮮が暴発して核攻撃の可能性が生じたとき、両政府間の信頼関係が損なわれていれば、アメリカは「核の傘」を提供できなくなります。それでもいいのですか(=北朝鮮の核をぶちこまれたいのか)」という内容だと断言して、まずまちがいないでしょう。>(矢部宏冶著『本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること』 書籍情報社 2011年発行)

日本がアメリカから独自的な判断で動こうとすると、テポドンが飛ぶ、とか言われていたことがあった。北のナンバー2は、アメリカのスパイだとか。上の話をきくと、言うこと聞かないと北の核をぶち込ませるぞ、という脅迫現実が本当にある、ということなのだろう。それを身近に見知ってきた小池都知事は、ではそれをどう教訓とするのだろう? 相手の手の内はわかってきたからもっと逆をついて独立スタンスを作っていこう、とするのか、自分の地位を維持するためにも以前の首相たちよりもっとうまくやらないと、と思うのか……。もしかして、すでにこうした件で、安倍と話しがついて共闘体制に入っているか、あるいはさらに、現総理を飛び越して、アメリカ側からのコンタクト(要望)に応えようとしているのかもしれない。週刊誌の見出しによると、佐藤優氏は、アメリカの金正恩暗殺計画に協力するしかない、ような立場らしいが、庶民はいったい、そんな政治のリアルを、どう受け止めればいいのか? 協力しないと、逆に、北の核をぶち込ませるぞ、となるのだろうか? それはあくまで脅迫だが(アメリカ軍隊を撤退させたフィリピンでは持ち得ない被爆経験者の恐怖だろう…)、それを本当にそうなるかもなこととして腹をくくって、それが陰謀であるとすることに依拠しない(証明など不可能なのだから)、誰とも共有しうるより誠実な論理を紡いでいくことは、あんまり難しくないのではないだろうか? みな戦争はきらいだし、仲良くしようよ、という話が前提なのだから。そこに、個々の具体的な文脈を流し込んでいけばいいだけの話だ。そのバカみたいな話を、大胆に言える勇気があるかないか、の話だろう。脅迫に負けてずるずると悲惨さを味わう生き地獄のほうが、大変なのではないだろうか?

2017年4月4日火曜日

「戦闘」をめぐって

白井 現場のプロは冷静ですね。全然現場を知らないような連中に限って、タカ派的な言動をする。基本的には安倍晋三もそういう気質だと思うんです。最近やっていた『NHK特集』の自衛隊についての番組を非常に興味深く見ましたけれども、やっぱり自衛隊の現場と「積極的平和主義」のような政治のスローガンとは、まったく乖離していると感じました。ここ一〇年、二〇年ぐらい自衛隊がやってきたPKO活動というのは、国際的にも結構高い評価を得ている、と。そういう実績を積み重ねてきたところで、安倍さんの路線は「ますます活躍してもらいますよ」というのだけれど、自衛隊の現場からすれば「それは全然違う話じゃねえか」と思っているのが伝わってくる。もちろん彼らは政治的発言を規制されていますから、ストレートには言わないんですけれども、間違いなくそれが本音だろうと思うんですよね。そこら辺はどうですか。防衛研究所なんかで話されていて、今の政権が取っているような方向性と現場のトップとかの温度差について知りたいですね。
内田 僕を講演に呼ぶというわけだから、バランス感覚はいいですよね。クールな人たちです。できるだけ広い範囲で情報を取ろうとしている。情報を解釈する文脈もできるだけ多様であった方がいい。憲法集会で護憲の発言をするというので、後援を拒否した神戸市に比べると防衛庁の方がはるかにオープンマインドです。それだけ自分たちの職務に本気だということです。
白井 そう。だから、「積極的平和主義」なんて、現場からすればもういい加減にしてくれ、という話だと思うのです。」(内田樹・白井聡著『日本戦後史論』 徳間書店)

南スーダンでのPKO活動に参加するために派遣された自衛隊の、「戦闘」と記述された
日報の隠ぺい問題。とりあえず、防衛大臣からの指示調査ということで、宙づりにされたままなようだ。現場仕事をする職人としてこの件の記事に目を通していきながら、これは現場の人間が、基幹方針・設計をする会社=政府を告発するために仕組んだリーク事件なんだろうな、と感じた。昨日、冒頭で引用している、2年ほど前に出版された内田・白井対談の中で、私がそう感じたことがすでに言及されていたので、次期遅れだが改めてブログで書き留めておこうとおもった。

おそらく、現場の意図には、次の3点があったろう。
(1)事実を知ってくれ。
(2)事実を捻じ曲げたところで成立する政策・方針のもとでは、仕事をする態度が決まらない。これでは俺たちはやってられないぞ。
(3)誰か助けてくれ。

日報を隠ぺいしたのは、防衛省側ということになっているが、実体はそうではないだろう。もちろん、省内や自衛隊幹部の中にも、政権よりに動いていく役割を引き受けた人もいるだろうから、そういう人が、リークが確認されたあとで、削除という忖度行為に出たのかもしれない。追求の追っ手は、自民党内部から、あるいはこの件では共闘できる野党の一部との協力ではじまったように伺える。が、結局は、問題を喚起しただけで、権力側追求の手はひっこめたようにみえる。もちろん、まったく逆の見方もできる。隊員が単に意図なく書いた日報を読んで、法の根幹に触れる恐れがあると気付いた幹部の一部が削除し、その早まった処置を知った政権側が、それを出汁に、より強固・全面的に自衛隊を統制し牛耳っていく手段にした、とか。現政権よりよっぽど文民的な軍隊を、より軍隊の名にふさわしいものとするために。内田・白井両氏も、上のような指摘をしながらも、冷戦後にアメリカを仮想敵国の一つとして政策立案する必要性を説いた自衛隊幹部候補生は、除隊を迫られた例がある、とも報告している。とにかく、アメリカの真の友人となるために、自衛隊員に血を流すことを求める勢力の方が声高のようだ。といっても、おそらく自衛隊のメンタル的実情を知っている総理大臣自身は、なおそこまでの覚悟はできていないので、撤退の決断にしたのかもしれない。もちろん、まったく逆の見方もできる。この隠ぺい問題から、何を事前に処理しておかなくてはならないかも見えてきたので、次にはより巧妙に大胆なことができるだろう、それをするために、今回は撤退を世論に見せておく、とか。

前線の隊員たちは、私たちのメンタル的な実情を露わにしてみせてくれているけれども、そこにいない私たちには、なお自分たちのことがわかっておらず、勇ましい言葉に流されている。私たちが強くない、というよりも、そういうふうに、強くあること自体が本心は疑問なのだ。サッカー界で、清武選手や山口選手が、なんでヨーロッパでないと駄目なのかな、と考え直して、日本に舞い戻ってきたのに似ている。そのまま無理してたら、戦争後遺症になってしまうかもしれない。この内向きな態度を、(若手研究者にも多くなっているのだそうだが)、各々個人の人生の是非を超えて、考えてみなくてはならない。

いま、<忖度>という言葉が国会でも議論になっている。これは、小池都知事が、日本の体制的あり方を批判する根拠として引用した<空気>という概念同様、私たちの構造的な心性、敗戦の原因として原理論的に考察されてきたものだ。それが国会で、政治家に、ギャグにされている。<忖度>・<空気>があると<忖度>する<空気>があるだけじゃないか、と。政治のリアルは、そんなものじゃないよ、と。

おそらく、その通りなのだろう。私たちの内的な構造(心性)など考慮してくれない世界=政治のリアルがある。そこでは、<忖度>ではなく具体的な強迫が、<空気>ではなく具体的な強圧があるだろう。豊洲問題、地下水と建造物は構造的には別なので基準値以上の毒素が検出されても科学的には安全だ、というのだから、もはやなんで検査が必要なんだかもわからないくらい、つまりは事実が問題なのではなく、豊洲か築地かという空気・世論風潮をどう操作して決定していくか、という内的な政治談議になっている。しかしおそらく、そんな内向きな関心を超えて、横やり的に、外圧が入るのだろう。そして私たちは、自分たちの関心から物事を決定していく道筋を提出してくれている政治勢力をほぼ失っており、ただ、外圧と真の友人となろうとする勢力が、実質は少数派なのに、現場を仕切っているのだ。前線に触れず自分のことにも気付いていない私たちは、その勇ましい人たちをなお支持している。本土空襲まで戦争の実際を気づけずにいたかつての庶民のように。だから、気づいて、率先して戦おうというのか?

が、私たちが本当に戦えるメンタルを付けるには、清武選手の決断の方向からによって、と私は考える。もちろん、個人の人生問題ならば、ヨーロッパでチャレンジしていく若者が出てくることは奨励すべきことだ。が、私たちの気分、こんな「戦闘」やってられねえぞ、そこに正直に帰って立て直すことからしか、負けない持続的なメンタリティーを構築していくことはできないだろう、と、弱者の少年サッカー・クラブに関わる現場職人さんは思うのだ。