2020年7月18日土曜日

新型ウィルスをめぐる(12)

雨つづきで、仕事休みがつづいている。晴耕雨読、みたいで、わるくない。個人的な文脈では、いまは量子力学にまつわる哲学的な本や、そこに流入してきた時間、記憶、映画、とかの問題を探究していく読書をつづけている。開館された区の図書館で、本を借りたついでに、ウィルスにまつわる雑誌掲載の文章も読んできた。ジジェクの意見が気になっていたので、『世界』や、『文学界』の特集も読んできた。そこらへんで、感じたこと。

 

(1)   日本の状況としては、なんだか非常事態宣言が発令された以前の状況と似ている。元都知事の舛添氏の考察では、本当のピークは、オリンピック開催するかどうかと瀬戸際交渉していたと日本ではされる、3月末にかけてがピークで、非常事態宣言がだされた4月初めには、そのピークは終わっていたのではないか、だから、本当に宣言をだす必要があったのか、とあった(ウィルスる(8))。現状況については、舛添氏はトーンを変えているが、今のピークは、発症には2週間ぐらいかかる、といわれていることからだろう、今より二週間前の状況、つまり、非常事態宣言の解除の時(5月末)が反映されているだろう、と言いたいようだ。つまり、その頃から実は感染が広がりはじめ、その2週間後に発症してくる、最近の検査自体は夜の街中心の若い世代が対象であるから、その人たちが中高年に広めるのは、さらにその2週間後として、6月末くらいからピーク期に入る、と。だから、これからの1週間、中高年の間でも広範囲に感染者が広まったというデータがでてくるのではないか、と。ということはつまり、今度は、宣言を解除したのはよかったのか、という話になってしまうのだが、それは、前回発令を手おくれだったとした現都政への批判的政治態度としては一貫しているともいえるが、認識的には、つじつまがあわない。そのまま、疫学的には、宣言を解除しなかったほうがよかったのか、という話になるからだ。(そうすれば、夜の街で集中検査がおこなわれても、陽性の若者がでることはなかったのか?)あるいは、オリンピック開催を早期に断念し、3月の半には、パシッとロックダウン的な対策をとらなかったことが、後手後手の対応になってきている、といいたいのかもしれない。(実際は、舛添氏は、判断基準ている。前回は、感染者一人が、何人の人に感染しうる能力を持つのかを示す指標データを根拠にしていたが、今回は、単に陽性者数である。)世論的にも、前回の、宣言発令は不要、は少数派だったろうが、今回の、これから中高年での発症者が増える可能的事態は、宣言解除が早まったから、もっと自粛要請を厳しく続行となるのは、多数派の意見に重なるだろう。

 

なんで、このような矛盾した認識態度がうまれるのか? そして、本当に、これから中高年への陽性者、というより、実際に症状をみせる感染者数が、つまり様子見していればいい陽性者数ではなく、入院措置が必要になってくる感染者数が増えるのだろうか? いまのところ、検査数が増えたことに応じる陽性者数が増えただけであって、実態がなんなのかは、データからはみえない。

 

(2)   だから、こう仮定してみよう。実際に、中高年の感染者入院数が増えれば、世間が怖がっているような認識に近くなるわけだから、認識的には、それは問題ではない。正解に近いということで。しかし、検査数に応じて陽性者数は増えていったけれど、感染者数がそうでもなかったら、ウィルスにまつわる私たちの認識が本当にこのままでよいのか、と問われることになるだろう。(感染者数は増加したが、微妙な数で、なんともいえない、というデータ状況になることも予想されるが、その場合は、認識判断は延期、としておこう。その延期自体が、前回の反復になってしまうのだが。また、集団免疫が機能しだした、という解釈は、常識的に時期早々だろう。このウィルスが抗体を作らせない、とか、すぐ消える、とかの問題は、怖がる世間の認識が正解、という仮定の方向で出てくる次の問題になるだろう。)

(3)   仮定;陽性者数は増加したが、感染者(発症入院患者)数は少ないのはなぜか?――しかしこの仮定は、そもそも、これまでの「感染」の定義からは、ありえない問題設定になる、というのが、「学びラウンジ」での大橋氏の意見になるだろう。なぜなら、「感染」とは、たとえば気管にくっついたウィルスが、細胞内にとりこまれ、細胞を破壊して増殖し、拡散しうる能力(発症)をもって、はじめて「感染(者)」、といってきたのだそうだからである。ところが、今回普及的に使用されているPCR検査では、気管に一粒でもウィルスがついていると、それを百万倍とか一億倍とかにして検出してくるので、ほとんどの人がその一粒なら排出したりする免疫力があったとしても、陽性者として指定してくる。そして、無症状者でも感染力があったとする状況証拠的なドイツ論文(大橋氏によれば、その状況も矛盾的で怪しい)が根拠とひきだされてきて、ゆえに、陽性者=感染者、という等号式が自明視されて受容されているのだと。しかも、PCR検査では、実は、ほかのインフルエンザウィルスや肺炎を引き起こすウィルスの類いでも、陽性として判定する確率があることを、検査キットの説明書自体にていという

 

私は、自分の肺炎で入院したときのことを思い出す。佐川急便の夜勤務をしていたときのことだ。他会社のヤクザ者の一班長との現場闘争、過重労働のなかで、免疫力が落ちていたのだろう、高熱がつづき、肺炎と診断された。治療法は、まず症状や問診、現在流行っているウィルス等から、点滴を選択する。それが効かないとわかったら、次に予想されるウィルスを退治してくれるものを、ダメなら次へ、と処置していくのだそうだ。ネットで調べると、いまでもそういう考えとやり方でいくらしい。私は、一発目の点滴で改善したので、一週間で退院できたが、もしこれが、当たらなかったらどうなるのか? 長引く重症化、ということだろう。つまり、原因不明というか、予想に入っていないウィルスの存在、ということになる。そういうものが、これまでもあったのではないだろうか? 実は、コロナ発症者は、日本でも去年から存在していた、とか報道するニュースも散見した。大橋氏がいうように、ほぼ誰もがもって無症状的な、常在的なウィルスに検査が反応し、本当は何を検出しているのかわからないのではないか?――これは、先ほどの仮定に対する、一つの仮説的な解答にはなるだろう。普段とくべつに悪さをするわけでもないウィルスに検査が反応しているので、陽性者数が増えるが、感染者数は少ないのだと。

 

(4)   しかしそれも、死者数が少なく、身近に実感がわかない日本の、あるいは東アジアの状況だから、一つの説得力をもっているだけ、とも言える。そういう状況を実証するかのような抗体検査をしてきた医学者が、今回、東京発の変異ウィルスの存在を指摘し、さらに、埼玉型もあるとか国会報告と、深刻になるどころか、笑ってしまう。地理的に分割されていたり、人口密度が明確に違うなら、ウィルスも県境の影響を受けようが、連綿としている都市圏では、いったい、どこから埼玉県なのか? それだけ大変だといいたいのだろう。たしかに、世界ニュースをみていると、どんどん人が死んでいる印象を受ける。が、私には、判断しようがない。本当に、そのニュース現象どおりなのかどうか、疑わしくも思っている。田中宇氏は、この第二波現象も、実態とはかけ離れたフェイクに近いものだと、国際ジャーナリズム言説状況から判断している。というか、そう疑う論調がある種の根拠をもって増加してきているのだ、と指摘しているのだろう(新型コロナ「第2波」誇張)。

 

(5)   が、それでも、世界は、新型ウィルスの実在を前提に、破局的に動いている。そのことが、何をもたらすのか、その思想的、哲学的な意味を探る参考として、ジジェクの意見に接したいとおもった。すでにウィルス(4)4月当初の文章を紹介しているが、今回、『世界』6月号と、『文学界』8月号にのっているものを読んでみた。だいぶ、トーンがかわっているように感じられた。ジジェク氏は、地球規模的にせっぱつまった環境問題とかの現実に直面している世界は、全体主義的な政治体制でのぞむべきだ、みたいなことを言っていたとおもう。ところが、このウィルスの実在とされるものが、資本主義のメカニズムを停止させ、実際に全体主義的な統制の世界的な現実化を目にして、それを受け入れたうえで、おおざっぱには、どちらの全体主義、コミュニズムがいいのか、と次なる質問をしているようにおもえる。中国かアメリカ、というより、トランプでさえベーシック・インカムみたいなことを言い出したのだから、問題の設定は、国家対立を超えた、より普遍的、世界的な次元で全体主義(コミュニズム)を考えていく必要があり、そのジジェクが予想する実装は、「それぞれが能力に応じて働き、それぞれの必要に応じて受け取る」(マルクス)だけの「慎ましい世界」であるべきだ、となる。そうでなければ、ナオミ・クラインが「災害資本主義」と呼んだ、人々のショック状態につけこむ二次大戦後に顕著な歴史現状にそのまま「新たな1章」をつけたすだけにおわるだけだ、と。グレタさんのような過激な論調から、常識的な論調に変貌しているように、私にはおもえる。

  *追記すれば、小池知事が、陽性数が増えていても、検査数を増やしたためで陽性率は変化していないので、経済自粛要請はまだする必要はない、というとき、その発言対応が、都民を安心させるどころか、よりショックを維持し不安にさせることは、計算ずみであろう。しかも、そういいながら警戒レベルをあげるのだから、心理的だけでなく、認識的にも、都民の頭は混乱する。その上で、国の施工の甘さを突いてみせることは、都民の不安をガス抜き的になだめるよう機能するだろうが、実際には、ガスがより注入されているのであって、意識のしっかりしなくなった都民を、統治しやすくなるだろう。この手際は、国政のほうが無自覚で下手くそにみえる。

 

(6)   しかし、「災害資本主義」と、「慎ましい世界(コミュニズム)」は、対立的なのだろうか? 私たちが、慎ましくなれるのは、災害の果て、そのあとでも、寸断された共同体が、なんとか世界交通あるいは地域交通を維持して、文明(技術)の絶滅を逃れた場合だけだとしたら? このコロナ騒動のなかで(そして、気候変動のなかで)、理性的に「新しい世界秩序」が形成されるということが、ありうるのだろうか? ジジェク氏は、慎ましくマスクし自粛する世界市民の方向性で考えているようにおもわれる。そこにおいて、自粛が得意な日本人はどう位置づけられるのか? 世界市民として同様に考えていいのか? 外在的な現象としてではなく、内在的な論理を検証していく文脈(おおざっぱには天皇制ということ)は、そこでは有効さをもっているのか? もうご破算でいいのか? さらに、このウィルスが、実は恐るべきものではなかった、と世界世論が変調したとき、つまり、私が(3)でたてた仮定の方向へバイアスがかたむいたとき(ウィルスの本当は何なのかは、歴史事実と同じで、曖昧なままだろうから、あくまで、もはやデータを解釈次元でしか受容できなくなるだろう――)、「慎ましさ」の意味はどうなるのか?

 

というようなことを、雨のいちにちに、考え、整理してみた。

2020年7月9日木曜日

都知事選を受けて(2)――新型ウィルスをめぐる(11)


今では、党派をこえて、あるいは個別利害こえて、一般大衆的な人気をとる言動をふりまくやり方を、ポピュリズム、と通称しているとおもう(政治学概念としては、そういうことではないらしいが)。そうした政治現象が明白になったのが、1993年に連立政権としての総理についた細川護熙氏のときであった。その情勢を受けて、文芸批評家としての柄谷氏が、マルクスの「ブリュメール18日のクーデタ」分析を、ソシュールの言語学を援用しながら、意味するもの(代表するもの)と意味されるもの(代表されるもの)の結びつきは恣意的であって、ゆえに、現実的にはまったく自己の利益に反する者が代表者として選ばれてしまうことは、代表制というシステム原理において必然性をはらんでいるのだ、と説いたわけだ。この間接民主制という制度を利用して、ボナパルトというナポレオン3世という著名さだけしか持っていないような無能な男が、党派を超えて代表するものになっていった複雑な過程の成立と同型な事態を、「ボナパルティズム」と呼ぼうと提唱して。ファシズムも、そうした民主主義の隙間から登場しうる形式的には同じ構造をもつとしても、政治社会的にもいろいろな含蓄がついてしまうその言葉にかえて、より純粋形式的にそう呼んだらどうか、と。がいまは、もっと不純端的に、ポピュリズム、となっている、というわけだ。ということは、少なくとも、巷では、そうした情勢のおおざっぱな成り行き自体は、一般にも共有されていった、というわけだろう。つまり、細川という殿様ネームバリューから安倍三代目まで、この「ボナパルティズム」的な構造が反復されているわけだ。

構造的な反復とされるからには、それは空間的な把握であって、事態の新旧をみる時間的見方はとりあえずどけられる。今回の都知事選、宇都宮氏以外は、ポピュリズム、代表と被代表との恣意的な結びつきが明白になっている浮動票をどうとりこむか戦略の、ボナパルティズムの反復だった、ことは確認できるだろう。しかし、たとえば、当選し、時期総理ねらいも公にささやかれはじめた彼女には、三世のような、ネームバリューはない。ウィキペディアで経歴をうかがっても、やはり、陽樹というより、陰樹にちかい半陽樹な育ちにみえる。というか、日陰者として研鑚したクノイチにもみえる。が、ゆえに、日本的な特殊性の文脈もくっついてくる。陰影礼賛、だ。小池氏は、出る杭は打たれる側の戦術、判官びいきな心情に一度復讐されたからよりその心情に返って、慎重に影を宿したまま表に露出しているだろう。俗に言いかえれば、かかあ天下の正妻になる女性ではなく、側室妾あつかいされてもそれでもあなたについていくという態度(戦術)をにじみださせる、演歌の情念だ。私と一緒に仕事をしている団塊世代の職人の、「小池さん」というときのトーンは、まさに演歌調だ。びっくりしたが、その連想は発展して、なぜか、日の丸ハチマキに「なめんなよ」と書いた猫の姿や、「小池命」とかのハチマキで応援する男たちの姿までが思い浮かんだ。本人は淡いグリーンなイメージに呼応するような浮動票狙いがあるのだろうが、その部分の大半は、前回ブログでも示唆したように、新規投票者は懐疑的にであって、今回は、日本の保守的な層の一部をコアな支持として確定的にした、ということがあるのではないか、と思う。となるとこれは、広義の意味での、天皇制の文脈とかさなってくる。狭義的には、天皇=権力者、となるが、広義的には、権力と権威を意図的に二重化して、天皇はあくまで陰の、権威として利用される傀儡性が自然視されてくるという日本文化の構造的問題だ。「女帝」とか形容されたりしているが、そもそも、日本で中国の皇帝のように偉そうにしてたら、大衆的支持などえられない。もちろん、支持などえられなくとも、代表制の間隙をうまく利用して泳いでいけば、現総理なように、四選か、ということも現実味をおびる。おそらく、天皇制とボナパルティズムには、親和性がある。みながいっしょくたになる翼賛会的体制の現実化とは、ボナパルティズム+α=天皇制(「未完のファシズム」片山杜秀)ということだろう。理論的に、私はその結びつきをうまくいえないが、女系天皇、女性総理、という現実的な文脈のなかで、構造反復を異化していくような、特殊な差異が、時間的新しさがみえてくるのかもしれない。が、そうであるにせよ、それは、ガラパコス諸島での進化みたいなもので、内輪の議論にしかならない。三流国になっていく実際のなかで、そこに住む当事者としては切迫な問題だとしても、世界でどうやっていくのか、という文脈からは切れてしまっているだろう。情けない日本から脱出、移民、亡命だ、とか想像してみると、世界では、中国人と日本人の区別などついていない。コロナ下でも黄禍論がみえてきたわけだ。自分が世界帝国の中国人とあつかわれる三流国の日本人として、どうメンタル的にも現実的にも立て直していくか、の方が、理論上としても、世界に開かれた本当の切迫した問題になってくるのだろう。それとも、多和田葉子氏的に、すでに非存在となった日本を前提に、ユートピア言語のヴィジョンを見ていける希望的方向で、つきつめていったほうがいいのだろうか?

で、その世界情勢をなおおびやかしている新型コロナ・ウィルス。
また、東京を中心に陽性者増加していることに関し、東京発の変異ウィルスが拡大しはじめているのでは、といわれる新局面にさいし、以下、ふたつリンクをはる。

ひとつは、いま指摘した話のもの。
デモクラシータイムス「ワクチン神話を疑え!

もうひとつは、田中宇氏の論考。「新型コロナのウィルスは存在する?
このブログでも紹介した、「学びラウンジ」の考証。
*追記; 田中氏の考証を受けて、「学びラウンジ」の大橋氏も応答している。大橋氏の本意は、肺液から純粋な遺伝子情報をとってきたという非慣例的なやり口論文を根拠にしようとしていること事態に、国際的な陰謀が伺えるのだ、ということのようだ。

素人でも、玄人でも、断定的に考えることはできない。考えるだけでなく、じっさいの生活の場面ではなおさらだ。これでは、お盆に実家に帰ることもできなくなってくる。私としては、以前の野球バッターの心構えのたとえでいえば、(1)少なくとも、東アジア人には大したことない説4割、(2)今回、そう抗体検査した学者が、東京での新変異ウィルスをいいはじめたので、ここも危ないを3割、(3)世界的にも風邪みたいなもの2割、(4)無症状の若者も歳がいってから免疫異常がでてくるかもしれないエイズ等と遺伝子操作した人為的ウィルスで危険、ゆえに、対処はほぼどうしょもない説を1割、と頭を整理し、打席にたつ。この思考割合から状況をみて、女房から頼まれた千葉の実家への芝草刈り、や、植木手入れをふくめた群馬への帰省をどうするか、判断することになるだろう。旅行して息抜きもしたいが、女房の手術もあるので、コロナ用心もかねて、それは当分おあずけになるのか?

2020年7月6日月曜日

都知事選を受けて


寄らば大樹の陰、という言葉がまず思い浮かぶ。といっても、この大樹は、まだそう想像=期待されているだけで、しかも、それ自身がなお隠れていないといけないという条件下にある。松のような、荒れ地でのパイオニア的な陽樹ではなく、日陰でも成長していくことのできる陰樹で、樹高ある周りの成長がとまって衰弱してくるのを辛抱強くまって、いつ自分の頭をその樹冠からだし、君臨するかの気配をうかがっている。しかしこの樹木はおそらく、日本の生態系に天然林的な、シイやカシの類いではない。だから、安定的な陰樹林からなる原生林としての極相にはたっしないだろう。どこか孤立した、一匹狼的になりやすく、木にたとえるなら、陽樹ではあるが日陰から高木成長し、沢の近くでひとつ育って屹立している、カツラ、という感じだろうか。街路樹にも使用されるが、夏の暑さや乾燥に弱い。だから、時期をあやまって日の当たる頂上に頭をだすと、たたかれる。

小池氏はもちろん、「排除します」発言で苦い目にあっているのだから、用心するだろう。だから都知事選歴代2位の300万超えの得票という現象は、あくまで心情的な支持、隠然としたままの支持なのだ。もし小池氏が、衰弱しはじめているとはいえ陽樹樹冠帯を形成している自民党にかえったり、その支持を明白に受け入れたりしたならば、その支持の大半が反転する。自身を支えくれはじめていた養分は、どこかに流出してしまうのだ。しかしこの不安定なバランスのなかで立っている樹木に、下草をふくめた森林全体が依拠しなくてはならない生態系の危機があるということなのだ。それはなおあくまで、危機感という信号、森林内部での植物どうしのなんらかの化学物質的交換、隠然とした心情的なものである。

私は今回、たくさんの人が立候補するなかで、ホリエモン新党として出たということになるのか、立花孝志氏にいれようかと考えた。体感として、下積み労働者の泥臭さを感じて、共鳴するところを感じたからだ。しかしそれだけでなく、資本主義機能が不全になっていくなかで、延命に賢明な既得権益は国家主義的な管理をつよめている。この目前将来の生きづらさをおもえば、すでに負け組、ずっこけ資本主義派のホリエモン・グループに頑張ってもらうほうが、よほど風とおしがよくなるだろう、と、あくまで思考実践にしかならないとしても、それを行ってみようと思ったのである。友人から、それはやめてくれ、と選挙に行くこと自体がおっくうで寝ていたら、そんなメールがはいったので、棄権でいいかとおもったが、女房から買い物をたのまれたので、そのついでに投票所にゆき、鉛筆もって少し悩んだが、そのまま白紙でだしたのだった。が、ホリエモン・グループ、たった四万票あまり、との結果をみると、やはり負け組に出しておけばよかったか、とおもえてくる。これは、イロニーということではない。ファシストから拳銃をつけられ、踏み絵のような選択をせまられたら、現にある何かを選ばねばならない。似たようなケースは、深刻度はちがえど、人生で何度もあっただろう。思想的・信条的な選択肢など、とくに仕事上ではないだろう。今回の選挙は、なおぜんぜん深刻ではないとはいえ、現実的な思考訓練をしていたほうがいい、だから、いくだけはいったのだ。

ホリエモンのような、他人にあまり関心のないおちゃらけた不良たちが、ファシストになることはないだろう。堅実な安全パイだと、私はふんだ。よくはしらないが、あとはみな、全体主義的な管理傾向として、グラデーションの違いにおもえた。私には、山本氏の目の表情の動きが、信用できない。これも、労働をしてきたものの体感だ。

しかし、今回の選挙結果で、私がいい結果、兆候の潜在的道筋なんではないか、とおもえたのは、投票率がさがった、ということである。前回よりも、5%近くさがっている。数十万ぶんか。予想では、投票率はあがって、小池氏が独走するとしても、他がいろいろ揚げ足をとって健闘、ぐらいにはいくか、とおもっていた。が、棄権した人が多くなった、ということは、小池氏を支持していく隠然とした心情の中にも、だいぶためらい、躊躇があって、ほんとうは思案中ということなんではないか、ということだ。

さて、ネット上で、新しいメディアで、新しい知的大衆を動かしているかにみえるホリエモン・グループは、どう現実政治に参入していける道筋、文脈をつくっていくだろうか? 少なくとも数十万、多いものは300万人をこえるユー・チューブ視聴者数を獲得してきた番組があるのに、都選で立候補三人の票を合計しても、5万票くらい。地方のほうが人気がでるともおもえない。日本維新の会推薦の小野氏も一緒にやっていたといえるが、彼までいれると、翼賛会のグラデーション、濃艶の一環ということになるだろう。たしかにそのうち、小池氏に投票した人たちが政党を超えて合流しているように、一本の想像(期待)上にすぎない樹木を支持していくことになる、という傾向は強まるだろう。が、うまくいくことはない。なぜなら、日本という生態系自体が、世界の気候変動への対応の動きから取り残されていくから、結果、果実をともなわないからだ。捕鯨問題で国際社会からの離脱の方策が、今後の日本の世界史上での選択のひな型的前例になっていくだろうと私は思ったことがあったが、オリンピックが、誰の目にも見えやすい、日本の孤立の現前化の歴史となるだろう。だから、なお、みせかけ成果が作りやすい、内ゲバ的な争いが激しくなって、国内管理が厳しくなるだろう。

そういう時のためにも、やはり、ひとつの思考訓練として、ホリエモンたちずっこけ資本主義者の戦略を、参考として私は注視したい、ということなのだ。

私の政治的態度は、大文字の政治ではなく、あくまでミクロな、日常的な現場が、大文字の政治に通じていこうとする、というフーコー経由のポストモダニズムのものだ。だから、末端の政治と、大文字の政治は、単線的には関係がない。関係が見えてくることもあるだろう。そのときは、大文字の政治に参加できる、という現実的契機をもつだろう。しかし、現場の政治性がなくなる、ということは原理的にありえない。そこが、むしろ政治の本来性、本場であるからだ。代表制は、そのシステム自体が、ミクロとマクロ、現場と政治を複雑化、不透明化、断絶化、幻想化していく。だから、棄権も、ミクロ観点からは、立派な政治的選択になる。

で、私の植木職場、もはや、現場たりえている感じがしない。大きな政治より、まずそこで、つまりは職場や家庭での闘争こそが、本来的な政治性だが、もはや、闘っているという気がしない。若社長では、相手にならないからだ。女房との決着も、思想的にはついてしまっているような気がする。こんなところで闘っても、からまわりするばかりだ。つまり、その感覚が、マクロな政治への文脈が希薄になっていたり、寸断化されている、という感性的な証しなのだ。コロナ騒動は、その寸断を意識的につくっている。本当の政治的闘争の惹起を、コロナを利用して防ごうとしている。この既得権益保守層の防御とのせめぎ合いは、他国では顕在化しているが、日本では、都選で棄権が増えた、ということぐらいだ、ということだ。

さて、下草は、どう、樹冠を支配する森林生態で、闘っていくだろうか? その道筋をつけられるだろうか? 土の中で種のまま休眠、というのが楽ちんそうだが。

2020年7月5日日曜日

夕飯




 夕飯まえの食卓について、目薬をつけながら、氾濫した河川と水没した家屋の映像をながしつづけるニュースをみていると、団地の粗大ゴミ置き場から拾ってきていた球形のソファで寝ていた息子がおきあがり、テレビの前をよぎって、「風呂はいれる?」ときいてくる。土曜の夕刻はいつも、ガソリンスタンドへバイトにいくはずなのだが、今日はないのだそうで、その理由を聞く気もおきないまま、プラタナスの葉裏の粉でなおごわごわした瞼とこぼれる涙をタオルでふいて、非常事態宣言のコロナ下でもよくつづけてくれたと一万円の報奨金をもらっていたはすだがと思い返す。コンビニのトイレが使えなくなって、スタンドで用をすましにくる人たちがおおくなって、息子は、そのトイレ掃除をしてその日の仕事を終えるのだといっていた。その息子が使用した、バイト先と高校で配布された使い捨てのマスクを回収して洗濯し、ため置きしていたものが私の植木仕事で役にたつとはおもわなかった。あてどなくコンビニの袋の中で増えていったマスクは、しかし日に二・三個は文字通り使い捨てになる街路樹の剪定作業が一週間つづいて、みななくなった。雨と汗でずぶ濡れになったマスクは、呼吸ができなくなるばかりか、口にあてがっただけで、咳がとまらなくなる。目に見えるほどの、毛ばった黄色い粒子が鼻や喉を突いてきて、匂いも、食べものが据えたようなツンとくる感じで、一・二度洗ったぐらいでは、作業着からもとれることはなかった。私が木にのぼり、3代目の若社長が高所作業車にのって外から切っていく。私のあとから、七十歳すぎの職人がつづいて登ってくる。木の下では、熊手をもって、ある日は若社長の姉の高2になる長男と、若社長の女房の大学生になる甥っ子が、またある日は、町内会の付き合いからか、近所の学生の何人かがアルバイトとしてついて来る。そしてその周りを、元請けの会社のまだ20代だろう現場監督の青年や、入社したての女子が見上げている。「去年より予算さがって余裕がないんです」「レンタル車を早く返したいので雨でもやります。ご協力お願いします」と、土砂降りのなかでの作業後に若社長からメールがはいり、「つまり人の命より、レンタル料のほうが大事だってことですよね。アメリカの大統領だって、少しは自粛したんですけどねぇ」と、七十を過ぎて平気で木に登れといわれた職人さんとうなずきあったりもしたのだった。もう、下請けとなって手伝ってくれるよその会社もいなくなって、年寄り二人にしか頼れなくなったということなのか。
 昨夜から再び降りはじめた雨は、朝になってもふりつづいていた。そして朝の段階ではなお警報だったものが、夜には家屋をのみこむ洪水として報道されていた。私が弁当を用意しているあいだ起きてきて、食卓の椅子に腰掛けてニュースを見入りはじめた妻は、子供のころ、小学校の下駄箱がよく水没したものだと語りはじめたのだった。年に五・六回は、だめになった靴をもって、靴下で校庭をあるかなくてはならなかった、とまだ回復していない声帯をふりしぼって言う。妻は、熊本が育ちだった。その地方での災害が警報されていて、夜には実際のものとなっていた。私は、去年、台風にみまわれた実家とのやりとりをおもいだしていた。利根川に近い河川が氾濫し、避難勧告がだされた夜、ネットから情報収集した私は、「避難の必要はない」と母や兄に助言したのだった。実家のすぐ北側をはしる堤防が決壊することはなかったが、その判断が正確だったのか、偶然だったのか、今もって、わだかまったままだ。「大仰にさわいで」、と私は妻から非難された。
 その妻はいま、台所に立つ。寝室としている和室で横になっていたが、息子が起きあがる少しまえ、風呂から私があがったことを確認してからなように、やおら居間へとでてきて、「昼間からずっとこのニュース」、と子供向けのアニメの動物キャラのような甲高くはねあがった声を落としていった。心臓のオペを操作するカメラは、喉からとおされるのだとか。全身麻酔で意識がなかったわけだから、息苦しさなど感じなかったろうが、意識がもどってからの、医師が集中治療室からかけてきた電話口での応答は、ただ、ぜえぜえという息のもれる音だけが伝わってきて、そこに女性の医師の声が、「うなずいているので、わかってますよ」と重なってきたのだった。そもそも、医師が連絡をいれてきたのも、回復すべき検査数値が予定どおりでなく、そのための点滴を増やしていくことの了解を身内からとるためだった。おそらく、金銭的な件が暗黙にあったのだろう。手術まえの、執刀医から説明を受けるにあたっても、お金の件は質問しなかった。とりあえず、その心配はなかった。その代わりにか、息子には、俺の稼ぎで母親の医者代が払えてるとおもうな、おまえのじいさんが残してくれたお金があるから母親は手術をうけられる、そしてその金は、教科書にもでてくる公害で人をたくさん殺してしまった会社のものかもしれないんだぞ、と伝え、青空文庫にある有島武郎の「小さきものへ」のリンクをラインに添付し、おまえの学校でもコロナでみえてきた格差があるだろう、少しは文学を読めと書き添えて……あれから、まだひと月もたっていないだろう。退院した妻の心臓検査での数値もおもわしくないようで、それは盲腸と関係があるのかもしれないと、現在なお服用している、血液をさらさらにする薬がきれる9月はじめころに、盲腸切除の予定がたてられていた。8月のお盆には、夫婦でその説明を医師から受ける予約もはいっている。
 テレビのニュースが、東京都で新たに131人、三日連続で感染者数が三桁との報道にかわったころ、息子が風呂からあがってき、着替えるや食卓下の床に座りこみ、スマホをいじりはじめる。もれてくる音声から、みているものがスポーツであり、サッカーだということがしれてくる。そういえば、スポーツ専門のネット配信番組に入っていいか、と女房にきいているのを一昨日だかにまた聞きしたような気がする。妻はだめだと言っていたはずだが、自分でお金はらうからいいよね、と息子は話をうちきり、そのまま入会したのだろう。台所にも、実況をつたえる音声はもれているはずだし、息子もとつぜん「おう」だのなんだの感嘆の声をあげているのだから、わからないはずはないのだが、妻は黙ったまま台所にいつづけている。「それは、Jリーグかい?」とテーブルでさえぎられて顔のみえない床上の息子にきいてみる。「今日が、開幕か?」息子は、「再開だよ」と答えて、また「おう」と頓狂な声をあげる。「お金は、クレジットなのか?」と私はきく。「ちがうよ。コンビニで、カードを買って、そのコードを打ち込めばいいんだ。五台までだったかな、パパのスマホでもみれるよ。テレビにも、回線つなげればみれるようになる。みる?」ときいてくる。「スマホでみてると頭痛くなるから、いいよ」と、二人で受け答えしている間も、女房が割ってはいってくることはなかった。声が、うまくだせないからだけではないだろう。勉強しろ、という勢いも伝わってこない。体力が落ちて、熱意を発揮できないだけというのではなく、入院し、手術をし、変わったのだ、と思える。死ぬことを意識したようだ。風呂上りなど、アトピーでかゆくなった体を息子がかきはじめると、塗り薬を手に取って、全身に塗りたくってやる。最近は、一日おきの学校のため、休みのときは友達とフットサルをやって筋肉痛になってくる息子の、マッサージなどもやっているようだ。「ぎゃあ!」とかの、息子の苦痛の悲鳴が、寝室で寝ている私の耳元までひびいてきた。母子関係上の気味の悪いものも感じてくるが、自分がいつ死ぬかもしれないという意識に、なにか最期の別れをこめて、我が子とスキンシップをしているような気がするのだった。
 ニュースは、明日の都知事選にかわり、やがて、特集番組の、「人体VSウィルス」になる。ノーベル賞をとった教授が解説として席についている。新型コロナが人体に入り込んでいくアニメーション的な画像や、電子顕微鏡で撮影したという免疫細胞の様子などが視覚できて、私の体のなかでこんなことが展開されているのか、気づきもできないのにと、面白くなる。が、いま問題のウィルスの特徴というより、ウィルス一般の話に還元されてしまえるのではないか、とおもえてき、それはタイトルからしてそうであると気づかされる。これは新しいといいながら、実はこれまでのものと同じ、と言っているに等しい。その新しさ、特異な現象、無症状な若者たちから感染がひろがるという解釈に根拠があるのか。夜の街で、金を落としていくのは稼ぎの少ない若者たちではないだろう。免疫力の強い若者たちから若者たちへと、たとえ感染なるものが拡大していても、症状がないのならば、べつだん問題ではないだろう。感染が、免疫力の落ちた中高年にとって問題であるのが現実であるならば、その年齢でこそやはり感染者数は増えていくと、症状を訴えてくるはずの彼らの行動から知れてくるはずだ。がただ、数だけが増えていく。積極的な検査体制のもとで夜の街の若者たちの感染が明確になってきているということで、非常事態宣言を再発令する必要はないと政治は解説しているが、それは、ターゲットをしぼって検査すればどんどん出てくる、つまり、どこにでも、ほぼ誰にでもある、誰もがもっているウィールスということになるのではないか? それが、その私たちにとっての常在ウィルスとよべるものが、他の人種には本当に致命的な感染症をひきおこすのかはわからない。そこでの違いを、テレビの教授は、ファクターXとか呼ぶのだろう。番組は、四回にわたって放映されるということで、何か、新しさを示す根拠が提示されるのかもしれない。がだとしても、それはすでにネット上では伝わっているものでしかないのが、いまのメディアの状況なのだから、私は何をぼけっとみているのやら、という気もしてくるのだった。

 夕飯は、まだできてこなかった。妻が退院してきたばかりの2・3日間だけ、私がひきつづき食事をつくってみたが、家事をすることは女房にとっての存在証明にもなっているように感じられ、また実際、私のワンパターンの飯よりはバラエティーにとんでいた。なんで無理して面倒なものを試みて失敗するんだと以前はおもっていたが、いまは、そうは思えなくなっていた。食えればいい、すきっ腹がおさまればいい、というものではないのが、文化であって、社会的に評価されるわけでもない日々の用事の積み重ねのなかに、少しづつの新しさ、新しいメニューが反復されてゆく。しかしその反復も、歳とともに、病とともに、ゆっくりなペースになって、崩れていく時も、あるのかもしれない。無症状だった若者が、中高年になって、突然にか、次第にか、発症するようになったらどうだろう? 被爆や、公害の被害者のように。私は、妻や、白血病になったその妹の様をみて、もしかして、これは水俣病なんではないのか、とおもうことがあった。彼女たちは、子どものころ、加害者側の家族として海辺で遊んでいたとしても。妻は、魚が好きだった。

 特集番組がおわるころ、料理がでてきた。キャベツの豚肉巻き、というのか。あとは、メンマ、トマトとゴボウのドレッシング和え、カブの漬物、そしてアボガドのはいった味噌汁……「これ、変な味しない?」と、テーブルの上にスマホをたてかけて、もう試合も終わりそうなサッカー観戦をしていた息子が、箸で緑色の物体を赤茶色い味噌汁のなかからつまんでとりだし、顔のまえにもってくる。「そうかもしれない」と、妻は調子のはずれたままの声をだす。「アボガド? 俺だめなんだよ。レバーとアボガドはだめなんだ」、と女房の味噌汁のお椀のなかへとひたすら箸をもってゆく。ひとつ、またひとつとつまんでゆく。
 女房は、黙ったままだった。「なんでも食えるようにならなきゃ」と私は言ったが、独り言のようになったのは、母子二人の関係に、そのままでは入っていけないほどの不透明さがでてきていることを感じているからだな、と内省されてきた。肉巻きは、ほぼ息子が次から次へと食べていった。残りがひとつになったとき、私は、少し間をあいて、席をたった。おそらく、その間を、この残りは、あまり食べていない母親の分だぞ、というメッセージだと息子は理解したのだろうか、息子も箸をその間にはださなかった。私自身、ふた巻きを茶碗一杯のご飯ですましただけで、まだ腹は減っていた。「そればっかりじゃなくて、いろいろやってな」と息子の脇を通りぬけるさい、女房のかわりなようにひと言いった。最後のひとつを、どちらが食べたのだろう? 歯をみがいているあいだ、背後の気配で感じとろうとしたが、静かなままだった。自身のおもったことをすぐに口にだす妻と知り合ったのは、社会運動の会合でだった。その運動を立ち上げた男は、組織が混乱していくなか、評議会のメールにて、「こんな女には、徹底的に冷淡にすべきだ」と告発していたのだった。みなが、賛同し、押し黙った。私は事務員として、端からそのメーリングリストをながめていた。

 明日は、選挙になる。女帝と呼ばれはじめた現都知事が再選を果たすのだろう。私はおそらく、国営放送をぶっこわすと声をあげた男に、立場の考えはちがうけれども、労働者の匂いのする彼に、投票することになるのだろう。

2020年6月21日日曜日

ポストコロナというものをめぐって――新型ウィルスをめぐる(10)


ポストコロナ、とかいわれる。インテリはその思想的意味をとき、政府は「新しい生活様式」を推奨している。私としては、その国内的な意味は、昨日朝日新聞に掲載された、大塚英志氏の「日常に入り込んだ公権力」と題して意見された論を共有する。それは「新しい」のではなく、戦前の大政翼賛会が説き女性中心に実践された「新生活体制」や「自粛」の反復であると。国際的には、人類は何度もウィルスと戦ってきた経緯をもち、いまの常態もその構造的な反復であることを確認している論調が目立つ。反復ではなく、変化だと受け止める論調としては、テレワークに象徴されるような、あともどりできない人間関係の変化の社会的必要と意味を、世界規模的なテクノロジーを前提依拠してその必然を説いているものが目立つ。私としては、世界的な文脈においては、エマニュエル・トッド氏が朝日新聞にのせていた、変化ではなく、それ以前の現実問題が加速されただけだ、という論点を共有する。



その論点は、このブログで再三説明してきたことであるが、コロナ文脈において、また確認する。



いわゆる近代社会においては、現象として、二つのベクトルが共存していた。個人(アトム)化と集団(ナショナリズム)化だ。古典的な意味での共同体が崩れていって、個人がバラバラになった大衆になり、ゆえに、近代政治的な集団性にからめとられたのだと、と解釈される。農地からおいだされた人々が、都会での工場労働者になっていったという、囲い込み運動の歴史をふりかえれば、いわば、資本とネイションという相反した二つのベクトルが、一体となって人々をからめとってきた、という事態である。ポストコロナ風にいえば、テクノロジー的に可能的なソーシャル・ディスタンスをとったがゆえに、ナショナルな集団的再編成が新しくやりやすくなった、ということになる。が、このこれまでの一般的な解釈に、異議を導入したのがトッドだった。近代化(アトム化と集団化)が民主主義として成功裡に成立した社会とは、実は、文明中心(ユーラシア)地域から周辺や亜周辺に位置した、文明伝播が中途半端に遅れた地域においてであって、そこではそもそも、文明以前の核家族的な、個人の方向へのバイアスが強かったのであって、そうした世界史的風潮のなかでも、実は、文明中心地では、中央集権的な村(共同体)は共産主義として生き延びていたのだ、ソ連が崩壊し、いっとき「歴史の終焉」として自由民主主義しかなくなったとおもわれたが、現在は「帝国(文明)」とその価値の逆襲の時期にのみこまれている。最新のテクノロジーを屈指して社会全体をコンピューター管理しはじめた中国をみれば、それが、「新しい生活様式」なのか、これまでの「中央権力的な共同体」の基盤が補強されただけなのか、判然としないだろう……私風な言葉使いでいえば、こうなるだろうか。



しかし上の文脈で、私が考慮しておきたい視点は、近代化にともなって発生した「少子化」という事態だ。トッド氏は、それを女性の識字率の上昇ということに、一番に関連づけている。ナショナルな集団は、「濃密接触」であったはずなのに、子どもはうまれなくなる。再生産が、うまく機能していかなくなるのだ。女性が、産むことを回避してくるからである。逆にいえばおそらく、民主化(一夫一婦制)の下では、そう簡単にハーレムなりレイプはできない、女性の避妊が通りやすくなる、ということでもあるだろう。だとしても、中央集権化(男=父性中心化)していく村落共同体にせよ、民主的な国家主義の社会下においてにせよ、女性は、そうした集団性の濃密さを嫌う、そんなところでは子どもを産みたくない人がおおくなってくる、という歴史は構造的反復というよりは、不可逆なのだ。ポストコロナとかで、社会的距離を問題にするならば、テレ何とか、というテクノロジーの推奨ではなく、この男女間に象徴的にうかがえる距離感を焦点化できなければ、なんら問題把握にもならないだろう。ここで「象徴的」といったのは、性の問題にはとどまらない射程をはらんでいるからだ。たとえば、コロナ下でのテレ学校で、集団一斉授業という近代形式になじまず、教室での引っ込み思案や引きこもりの子が、遠隔個人授業的になったら、会話をし質問をするようになった、という事例がでてきている。ならば、何が「濃密(深く考える、ということ)」なのか、一概には言えなくなるだろう。(この近代化での一斉集団授業の件に関しても、子どものサッカー問題をとおして、このブログでも再三いってきた。)男女間の距離に関しても、何をもって「濃密接触」というのか、ということだ。レイプされて子を産んでも、それは、濃密接触なのか? 他者との交通が、戦争をも含めるのだとしたら、そうともいえるのかもしれない。それは、ウィルスと共存・交換してきたように、人類史的な構造的反復なのだ、と。柄谷行人氏は、それを、ポストコロニアル(植民地主義)という思想との駄洒落で、「ポストコロナリスム」とか呼んでいる(『群像』7月号「コロナウィルスと古井由吉」。)このエセーでは、我と汝(ウィルス)との、単独―普遍的関係と、個―類一般関係という位相が古井の引用をとおしてごっちゃにされているわけだが、人類史という、同一性の構造的反復としてだけの理解ではすまない、不可逆な、一回性的な、つまりは単独的な関係の現実もが浮き彫りにされている、ということなのだ。



また別に、そういう観点をふまえた議論があることを、最近知った。芸術(美術)関係の人があつまってテレ議論した、「文化/地殻/変動」訪れつつある世界とそのあとに来る芸術」である。そこで、造形作家の岡崎乾二郎氏が、人間とではなく他の生物との出産アイデアを提示したりしている長谷川愛氏の作品をとらえて、「再生産」という意味を読みかえている。生物的な意味での再生産ではなく、文化(事物)としての再生産が残ればいいのだと岡崎氏は言い切りたいらしいのだが、私はそこまではわからない。ショーヴェ洞窟でのように、何万年と隔てて、いわば時空のソーシャル・ディスタンスをもって、熊とネアンデルタール人やクロマニヨン人が交流し絵画を再生産している。その下地の視点は、このブログ紹介した。



私は、人類史的な反復をとくインテリに対しては、それは現象としては当たり前な話だろうとおもい、社会現象的には、大塚氏が意見した認識(反復)を共有し、しかしそこに、不可逆(変化)的な現実もが控えている、と認識するが、それは現テクノロジーとは直接的には関係なく、本来的な人間能力としての距離感にまつわる現実としてだ、ということだ。東日本大震災の時にも、3.11以降の思想とかが説かれた。社会現象的には、何も変わらなかった、人間は変わらなかった、くだらないものが反復された、かもしれない。が、私は、あれ以来、涙もろくなってしまった。関西の人たちは、阪神大震災の衝撃で、そうなったのか、とも遅れてきた人間として、そう推察したりする。が、あの時、私は若く、テレビも所持していなかった。3月11日の時は、松葉杖で家におり、ずっとリアルタイムでテレビをみていた。体の芯のタガが外れてしまったのは、その年齢と環境の違いからなのだろうか? あるいは、テレビとスマホとの違い? たしかに、マスメディアより在野の個人からの情報を選択するようになっているだろう。しかしそれでも、あの放射能におびえた当時と、このウィルスにおびやかされた現在が、似たような心理状態を惹起させても、これが二度目であることが、私を身構えさせたのだ。おそらく、このウィルス騒動は、フェイクだ。どこまでが陰謀であり、その思惑がどこまでうまくいっているのかもわからない。近所の火葬場で、死体が山積みにならなかったのだから、日本では大したことはない。が世界をみると、より大変なニュースになっている。が、ニュースで日本をみても、大変なままになっている。虚構(先の設計図)を実現していこうとする人間の意志、能力。それが、その想像力が、人類を繁栄させた、と人類史は説くわけだ。ネアンデルタール人が滅んだのは、その虚構の共有ができなかったからだと。が実は、彼らも虚構世界を想像できてた、というのが最近の学説になってきているようなのをうかがうと、むしろ、想像力のあるなしは、種の繁栄と絶滅には関係がない、ということなのかもしれない。いま人類が、虚構の共有によってこそ破滅へと自らを追い込んでいるのかもしれないとしても。


よりよく生きるとは、どういうことだろうか? 涙もろくなった身体の変異のあとで、それを抱えて、考えているのだろう。

2020年6月19日金曜日

新型ウィルスをめぐる(9)

〈それにひきかえ、今の世の人間は死からも隔離された了見で生きているようで、昔の人の生きた心を思うのもしょせん身にそぐわず、埒もないことになるばかりだ、とやがて振り払い、これでも明日になれば、すこやかならぬ眠りの後でも、身心が多少は改まって、変わりもせぬ一日を、寿命も知らぬげに、先にまだ宛てでもありげに、時計のうながしに従って、殊更らしくまた繰り返すことになるのか、と長い息を吐いて立ちあがり、近頃は足も手ものろくて、めっきり閑のかかるようになった寝仕度の、一日の仕舞いの面倒に取りかかる。〉(古井由吉「雨の果てから」『この道』講談社)

田中宇の国際ニュース「新型コロナはふつうの風邪の一種?

2020年5月24日日曜日

ふろ


 湯船の底にひざをついて、背中を立ててつかる。実際に湯が沈めているのは腰あたりまでなので、手ですくったお湯を肩、腰上の筋肉へとかけてあたためていく。腰を丸めて、体操すわりのようなことはできないので、こんな風呂の入り方が、もうひと月近くつづいていた。しかしそれでも、散歩でよりかたくなった筋肉はほぐれてくるように感じられて、気持ちも弛緩してくる。ただ気をぬけきってしまうと、しぜん腰は丸まってきて、またピキッと、ドイツ語では魔女の一撃というそうな、力の芯をぬいてしまう衝撃がはしりかねない。そうなってしまえば、せっかく普段の姿勢に気をつかって、ゆるんできた緊張、おさまってきた炎症がぶりかえされて、もとの症状にもどってしまう。そういえば、都知事も似たようなことを言っているな、と湯を肩にかけながら連想する。あともうちょっとのところまできています、気をゆるめたら元も子もなくなってしまいます……他県での宣言解除を間近にして、すでに都心の外れにあたるだろうアーケード街は、若い人たちを中心にごった返していたのは先週になる。昼飯どきとしてはもうおそかったが、あちこちの店先では列ができていた。「もうあきがきてますよね」と、野球仲間の焼き鳥屋の主人が言ったのは、夕食のオカズにと買いにいった一昨日だったか。それは冗談ではなく、真実な皮肉で、「しのげそうですか?」とのこちらの問いに、「借金だらけで」と、さえない真顔で答えたのだった。彼には、今年進学をひかえる子供が二人いた。首都圏でも、明日には解除されるのだろう。

 膝立ちのままで前を向いているのには無理があるのか、しぜん首はうつむいてくる。いや背筋をぴんとのばし加減なのだから、むしろ顔は上向くはずだが、首筋までこってきてはと防御がはいるのか、片方の手を腰に手をあてがったまま、顎が引かれて、湯の向こうで揺れる自身の下半身をみるともなくみるようになる。水面のすぐしたで、くらげのように広がっている黒い陰毛が、波に洗われる海藻ように浮き沈みする。岩場に張り付いたウニか何かにもみえるが、脇腹からほぼまっすぐにおりる肉の断崖のか細さが、あまり命をいとなむ生き物を感じさせない。「やせたわねえ」と、いまは心臓をわるくして入院している女房が言ったのは、ウィルス騒ぎがはじまったあとのほんの数か月まえだったはずだ。「食べないようにしているから」、そう答えた私に「どうして?」ときいてきたが、それ以上言うのもはばかられて黙ってしまったのが、記憶の強さとしてなお脳裏に残っていた。一瞬、飢えという危機を体が覚えているときのほうが免疫が強くなる、というどこかできいた知識が頭に浮かんだが、その想起が相手に対する嘘ではなく、自身に対する抑圧であるとすぐに知れ、入定、という悟りとも決意とも知らぬ作法に誘われて自分がいま実践している、餓死という境地のために、もうすでにはじまっているのだとは、自分に対してもおそろしく、ましては、妻子に向かって言えるわけもない。理解されるわけもない。けれども、その覚悟とも憧憬とも感じとれるはばかりは、湯に浸かるいまもって心の底にぐつぐつと煮え立っている。いや煮え切れないで、悶々と、ぎっくり腰の衝撃とたたかっている。直してみせるという意欲は、健康という生への回復ではなく、死を慕う葛藤からきている。その葛藤は、両手をふさいだ買い物袋の重力の引っ張りが、脇腹の筋肉をのばしてほぐしてくれると知れると、風呂の残り湯をバケツいっぱいにしてあげさげするというポンプ操法ストレッチとして日課にとりいれてきた。草取りや脚立の上での立ちっぱなし、椅子に座っての長時間の物書き作業も、筋肉をひとつ縮こませる方向へと硬化させていく。だから、逆にひっぱる、伸ばす運動が、癖に固まってしまった習性を矯正させる。腰痛のときの穴掘り作業では、スコップで土をすくうときはやばいが、土を突き押す作業では、楽になっていく。土方仕事でも、ハツリ機でコンクリを突き刺して壊していく作業を無理やりつづけていると、腰痛がなおってしまうこともある。そんな運動はないかと、相撲の突きや突っ張りをストレッチにとりいれてきたのだった。そして今回、水のいれたバケツを体の横で脇腹を伸ばすようにして上下する、というのが加わった。死ぬために、体を鍛えている、まるで、三島由紀夫じゃないか、という思いもこみあがる。しかし三島の体が虚構の、虚栄の肉体だとしたら、この湯の上で隆起する腹筋の断崖は、生活の、必要な労働の産物だった。親方は、私の肉体をみて、まるでレンジャーだな、と言った。職人自身は仕事で偏った作業をつづけているので、右腕まわりだけがやけに太かったり、神輿担ぎで肩だけに瘤ができてもりあがったりして、むしろ不格好であるだろう。自分の場合は、中学の時の部活でのしごきで、軍隊式に腕立てや腹筋・背筋、終わりなきスクワットといったいじめに耐え抜いてしあがっていたのが下地で、そこに、あとからの肉体労働や、植木仕事で必要な節々が堆積してきている。暴飲暴食をするでもなく、むしろ食うことをひかえだしたこの頃だったから、腰まわりの脂肪が落ちたぶん、よりアスリートな身体になっているのかもしれない。着やせするので、見た目はか細くとも、肉体は強健だった。しかしそのぶん、歳の衰えには敏感で、正直なのかもしれない。いつまでも青春気取りがつよい、団塊世代の職人さんの強がりは鼻にきた。強がりは、醜い、嘘は、醜い、それよりか、老いを老いのまま演じる世阿弥の作法のほうが、美しくないだろうか、いや自然に死ぬまで生きながらえるのも醜い、いや、それは善くない、やることをやれたら、やることをあきらめられたら、そこを目安に、少しづつ、自らの意志で、死を作っていきたい、そんな憧れはしかし、子どものころから抱いていたような気もする。

 水辺に打ちあげられた廃材かなにかのように、寄る辺なくただよう黒い揺曳のさらにむこう陰に、私の男根はあるはずだった。常に小さく、生きる意欲もないようなそれが、元気な男の子を産めたというのには、不思議な感覚がつきまとう。「おまえたつのか?」「精子がでるのかよ」とは、職人の世界にはいりたてのころ、よく酒の席で、親方はじめみなから攻撃された口癖のようなものだった。もう三十歳をひかえたころだったから、中学時代の軍隊式に鍛えられた精神と、ひたすら本を読んできた脳みその力は、そう言われつづけても動じなかった。あと一年もすれば、この人たちは何も文句が言えず、黙るようになるだろうのは、私には彼らの顔をみただけで明白だった。そのとおりになり、稼ぎ頭と呼ばれるようになって、俺の女房とやってくれてもいいんだ、と、夫婦仲をとりもってくれたらと期待されるようになるのに、何年もかからなかっただろう。遊びなれた不良あがりの職人たちの奥さんは若く、尻軽そうどころか、端正で利発そうな女性が多くみえた。そんな話を怪訝に通り過ぎていった私にも子ができたと感づいたのは、新婚旅行としていった関西での、女房の友人の家でのことだったろう。四国は香川で石工の山に登り、石切り現場の説明を職人からきけたその日は、岡山までもどり、プロテスタントの牧師の嫁にはいったという友人の自宅、教会の宿舎で寝泊まりしたのだった。起きてすぐに、山奥にある、大刈込みで有名な寺の庭をみる予定なのを、女房は気分が悪いからととどまり、私ひとりでいって帰ってきた夕食時、木肌や木目のはっきりした茶色い家具に囲われたただ広い食卓でかわした牧師夫婦との会話から、妻につわりがおきていると予測ができただろう。ただその場で、私は感づいただけで、意識はできなかった。おそらく、新しい環境を見慣れるのに精いっぱいだったのだろう。それからだいぶたって、たぶんは子どもが生まれてしばらくたって落ち着いてから、あああの時の会話は、牧師夫婦が、四十も半ばを過ぎた女が妊娠したのだがそれをどう思うのか、気づいているのか、と暗にこちらに知らせるなり問いただしたりするつもりの話しだったのだな、と思い出されてきたのだった。あれは、春先だったろうか、息子が生まれたのは、十月だった。女が子を宿してから、どれくらいで産み出すものなのか、いまもって私にはよくわからない。私は、腹のなかで、射精したのか、いつしたのか、できたのか、この子は、ほんとうに自分の子なのか、わからない。そのわからなさは、気になるわけではなく、情愛の生活を日々いとなんでいても、それとはべつな感覚として、宙づりにされた不思議さ、不可思議さをつきまとわせる。そしてその疎隔さは、世の中の現象として目前にあることと、同じようなこととしてかさなってくる。

 散歩がてらにいったいつものマッサージの店では、ベテランがひとり常住しているだけだった。整体師として国家試験をとおってはいるのだろうが、やはり技術が未熟な者たちが幾人もいたはずだが、もう顔をみなくなって二か月はたつだろう。三つあるベッドも、中央のひとつだけをつかうだけで、あとはカーテンを閉め切ったまま、ひっそりとしている。三密とやらをふせぎ、ソーシャル・ディスタンスを設ける、とかいう世の方針に従い、お客は予約だけのひとりだけを中にいれてやる、ということなのだろう。だとしても、客がくるわけではなかった。雨で仕事休みの日、週末と、非常事態宣言のなか、私は通うこととなった。その間、店には、電話ひとつかかってくることも、ドアをあけてマッサージを頼んでくるものもなかった。この店は、全員が中国人の若者たちがやっていた。郊外や住宅街に近くなる都心部のはずれに位置する商店街通りには、いくつもの整体屋があって、客の入りをみかけることはたまにあったが、ここはさっぱりだった。一軒家も多い住宅街でもあるから、人通りが閑散とすることはない。比較的値段の安いここは、まだ腕が素人だろうという整体師もおおく、また中国の女性たちもおおいゆえか、客にも主婦風の女性や若い女の子もみかけた。がぱたりと、いなくなる。しかし私には、予約も確実にとれ、店は静かで、よかった。常住になった眼鏡の青年も、きょうの客が私ひとりで、暇をもてあましているのか、余分に熱心にやってくれる。「かたいねえ」と、日本語としてはイントネーションのありどころのちがう声音を発しながら、どうこの凝りを崩していくかと、試行錯誤をくりかえすように、やってくれる。一時間のはずが、アラーム音が鳴り終わっても、技術者としてのおさまりがよくなるまでと、つづけてくれる。凝りをほぐされながら、その痛みと気持ちよさに沈んでいきながら、なんで自分ひとりなのだろうという意識が浮上してくる。カーテンの向こう側からは、音楽がながれてくる。以前は、中国をおもわせるようなメロディーがおおかったが、このベテラン青年ひとりになってからは、いつもおなじ、風の谷のナウシカをアレンジしたような曲になっていた。その何種類かのバージョンが、繰り返される。そのか細い旋律を、うつむきになって耳にしながら、弛緩していきそうな全身から幽体離脱でもするようにして、不可思議さの感覚がもたげてくるのだ。

 湯がさめるのもおそくなった。もう、夏がくるのだろう。息子に湯冷めを注意していたのはついさっきまでのことのようにおもわれてくる。アトピーの息子は、季節の変わり目でもなくとも、すぐに風邪をひきやすい。いまは風邪でも医者にみてもらえないんだぞ、そう口をすっぱくしていたのは、逆にとおい昔のようにおもえてくる。遊びにいった息子は、まだ帰っていなかった。部屋には、誰もいない。心臓の弁がはずれたのは、サッカー・クラブで三年生と一対一をやっていたからだ、と検査後の医者からの説明におもいあたる節でもあったのか、女房はラインをいれてきていた。おそらく、来週、手術をすることになるだろう……湯からあがるとき、黒い毛の塊が足蹴するように水をきって、下に落ちた。