2025年1月19日日曜日

『愛と性と存在のはなし』(赤坂真理著 NHK出版新書)と『性と国家』(北原みのり 佐藤優 河出書房新社)を読む。



『愛と性と存在のはなし』;

 「でも、わたしが人間を見ていて思うのは、本当はその人が隠しているようなところが、いちばん美しく、豊かだということ。そしてそれは性に関することが多く、性には、愛が分かちがたくくっついている。

 どうかそこをこそ生きてほしい、生きる価値がある、と願わずにはいられないところが、その人自身にとってはコンプッレックスだったりする。わたしもそうだ。

 いつか誰もが、本当の話ができたらいい。そうしたらこの世はもっと豊かで思いやりにあふれるだろう。でも、すぐにはそうならない。ならばわたしができることは、自分の心もとない探求を、ふるえながらでも、差し出してみること、それだけだ。」

 

「現代は、女の不満をおおっぴらに言えばいうほど共感を得る言語空間だったのである。女の不満は比較的言いやすいし、聞かれやすい。言う定式もかなりの程度確立されている。しかしそれには危険な側面もあると、この頃思うようになった。

 言葉を与えられることで、女の不満はさらに燃え上がり、それは目的を失ってゆく。

 男という他者をよく理解し、彼らと共にしあわせになりたいのか、男(相手)をただ批難して溜飲を下げたいのか、女自身にだってわかっているのかあやしい。感情がとめどもなくなるとはそういうことだ。女性的な言語空間はすぐにそうなりやすい。」

 

「女が誘い、最終決定は男にゆだねる。

 そういうかたちをとる言葉だ。責任は最終的には、男にあるかのようにする。ここでも決定的な瞬間は男に渡す。最終的にそれを受諾したのは男だ、というかたちにする。

 これを古いタイプの女と呼ぶことはできない、とわたしは思う。自己決定ができないというわけでもないと思う。

 エネルギーの流れとして、最終的には、プラス極からマイナス極に流れるのが自然だ。

 それが恋愛の快なのだ。

 女の欲求とはつまるところ、「それを起こしたい」ということではないか、と思う。想う男に最後のスイッチを入れたいということ。そして「襲わせる」こと。見ようによっては「女の罠猟」「囲いこみ猟」。

 こういう女のやり方を嫌悪する女も、現代ではいる。

 また、こういうあやふやさを読み解き、さらに責任は自分にある、というかたちにされることが嫌だという男も、いそうだ。たくさんいそうだ。」

 

「人類はまだ、ホルモンと外形レベルで性別を変えるという実験を、近年までしたことがないのだ。それが人の心に何をもたらすのか、その結果までを追跡した研究はないのだ。

 最初で最後の問題は、心である。

 身体を変えて本当に変わるか、もっと言えば本当にしあわせになれるか、それはまだわかっていない。

 身体を変えても心は全とっかえにはならない。だとしたら、少しちがう心で、新しく生まれた問題を悩むのにちがいなかろう。

 性同一障害は、ほとんど自然状態で存在する。

 自分の生まれついた性に、一〇〇パーセントくつろげる人はいない。

 どこがどうずれているのか、そのかたちを可能なかぎり精密に知ることが、人が生きていく必須の知恵となるだろう。

 そしてそれは「治療」ではない。

「生き方」だ。」

 

「極と極。

 女と男というのは、固定でなく、相対性で成り立つものかもしれなかった。

 男になるものがあって、女になるものがある。

 とつぜんそうなる。好みとも関係なく。

 +(プラス)極になるものがあって、-(マイナス)極になるものがある。

 そのとき不思議なことに、わたしは初めて同性愛の体験を理解する。

 同性愛とはきっと、同性を異性として感じる感性のことだ。

 そうでなければ電気は流れない。

 だから、女と男の間にある可能性をまず語りたかったんだ。」

 

「そしてすべての人は、モザイク状にできていて、男であり女である。比喩でなく、多様性のお題目でもなく。

 細かく、いろいろなことがずれている。

 そのモザイクのピースが、女と男、どちらに生まれたボディと適合したりしなかったりする。

 すべての人は、性同一性障害を持つ。

 ずれたピースが小さいからと言って、それが決定的でないということはない。どこがつらいのか。どこが受け入れがたい自分か。どこが他人と折り合えないと思っているか。自分で知るしか、自分の人生の舵を取る方法がないように思える。」

 

「わたしは性同一性障害になりたくなかった。

 さいわい、その定義にもあてはまらなかった。

 が、「身体の性と心の性がちがう」なんていう、内外がちがうような大雑把な性の在り方を持つ人は、きっといない。その定義を通さずまっさらに見れば、もっと繊細に、人の中のずれを見ることができる。

 そしてずれとは、豊かさである。要素やグラデーションが多いのだから。」

 

「女と男から生まれてくる、女か男。それが人間だ。そして、そうして人が生まれてきたのが家族という空間だ。多くはそのもつれた愛情関係や、やはりもつれた性愛関係の中に、無力な子どもが生まれるというのが、家族だった。」

 

「だから、男の子に生まれていれば、愛されたのだと思った。

 今は次のような理解ができる。

 仕方がない。おかあさんが女で、わたしが女だから。

 仕方ない。誰でも女と男から、女か男として生まれる。まれに両性の特徴を具えて生まれるとしても、生まれる限り性の特徴がある。そこにごく自動的に発生してしまう、原初の不均衡、原初の痛みがある。

 誰のせいでもない。

 でもほんの小さな子には、そんなことはわからない。

 自分が悪い子なのだとしか思わない。そして生存戦略を決める。自分を消す。こんな世界から消えたいと思う。でもここに存在するこの物質、肉体という大きなものを消すことはできなくて、わたしはいつも、半分、肉体から出ていた。半分しか肉体にいなかった。身体に力が入らない。いつも、生きる気は半分しかない。やればできるのにと、いろいろな先生に言われていた。でもわたしはここにいながら、ここにいない。成功できてもしたくない。なぜならそうしたら、しっかり存在しなければならないから。わたしは半分退場していたい。早く退場したいんだよ。

 すべては、言葉と自我の構造を持つ前に起きて、ゆえに、記憶として取り出せなかった。

 それをたどるには、自分が繰り返し出してくる物語だけが、糸口だった。わたしが繰り返し出す、わたしに関する物語は、わたしにわたしの取り扱い説明書を出しているようなものだった。」

 

【男が、女の身体をやっている。その男は、女の身体を愛している。だから、心と身体はずれたままで一緒にいられる。けれど、女ボディの乗りこなしには苦労する】

 

「あまり思い出せなくなっていた父が、わたしが女の子であることを、まるごと肯定して、愛して、守ってくれていた。

 

「存在」のうた

 ふと、身体が消えるような感覚がした。

 大事な人によりかかっていたとき、一瞬。

 ほんの一瞬の無限。ほんの一瞬の、永遠の空。

 触れるものも、触れられるものも、ない世界。

 境界が消え去って、空にゆっくりふんわり落ちる。

 わたしがなく、あなたもない。性もない。誰でもない。

 あ、ここが、「存在」の領域。

 そんなふうに思った。」

 

    セクシュアリティーとジェンダーの問題は混同されているとして、まず自身のセクシュアリティーの考察からはじめられた。著作中、クイーンの中心ボーカルの人生を撮った映画「ボヘミアン・ラプソディ」が例題としてあげられている。妻の遺品には、まだ封が開けられていないクイーンのCDがあった。この読後、プレーヤーに入れても再生されなかったそれを、いく子のダンスを見るのに買ったデッキに入れてみたら、それが実は、DVDであったのを知った。ので、クイーンの彼(女)の、ミュージック・ビデオを見ることができた。最後の赤坂真理の「存在」のうたは、たぶん、父に抱かれる女の子の感覚のような気がする。私が最初に見たいく子の、大きな公演としては最後のダンスになった「青空×干渉するものたち」を想起させる。いく子はそこで、「Nobody」という芸名を使ったのだ。

 

『性と国家』;

 

佐藤 北原さんは一九七〇年生まれ、私は一九六〇年生まれと、ちょうど一〇歳違いでひと世代離れています。きっと見てきたものが、かなり違うと思います。

北原 私は、中学生のときに男女雇用機会均等法ができて(一九八五年制定)、これから時代が変わるんだ! 女の時代だ! と夢が持てた世代だったと思います。でも数年が経ってみれば、バブル期にさんざん持ち上げられていたのに、バブル崩壊後に真っ先に切られたのは女たちでした。後に起きた東電OL事件に代表されるような、先に歩んでいた女性たちの絶望しか目に入ってこなかった。」

 

「北原 …(略)…

   いま日本でも、身体的に安全でもなければ将来の保証もされない社会で、自分もそうなるかもしれないって想像力を持てる人が多いはずなのに、女としての話や、父と兄としてしかその悲惨を想像できないとなると、いつまでたっても男と女のギャップは埋まらないだろうなって思うんです。

佐藤 確かにそうだ。指摘されてそう思うけれども、家族としてあなたの側にいる人ということで考えるならば、側にいる人がいない人は想像力が及ばないわけですよね。

北原 そうなんですよ。

佐藤 「私は孤立だから構わない。別にパートナーはいない」とか、「俺、ひきこもりだし」「別に金はあるし」「別に親とか関係なし」とか。

北原 そう、それは実際にいま起きていることです。

佐藤 だから、そういう考え方は、父権的なブルジョワ的なシステムの中でしか説得力をもたないし、そこの中には権力的な構造がたしかにある。

北原 うんうん。

佐藤 「あなたと私は違うんです」ということを理解していくことかもしれない。無理やり知ろうとすることじゃなくて。

北原 そうなんです。」

 

「佐藤 話しながらさっきから考えていたんだけど……「あなたの妻や子どもだったらと考えないとわからない」というのは、たしかにイエスはそういう言い方を一度もしたことがないですね。

北原 さすがイエス(笑)。

佐藤 キリスト教は、「隣人を自分のように愛しなさい」(「ルカによる福音書」一〇章二七節)と、自分自身をどういうふうに愛しているかというところから他者のことを考えろと言っている。あなたの隣人との関係で他の人との関係を測れと言うことは一度もない。そういう発想は彼にはないんですよ。北原さんに手厳しく指摘されないとわからなかった。

北原 私、手厳しかったですか(笑)。

佐藤 手厳しいですよ(笑)。北原さんは私よりもキリスト教ということになりますね。私がなぜああいう発想になったのかというと、たぶん和辻哲郎の言う人間の関係の間の倫理学みたいな感じで、父権的だということで家族主義の残滓があるからですよ。理屈では多様な家族形態があるとわかってるつもりでも、ぼそっとそういうことが出るわけですね。

北原 でも、そういうこともありますよね。猫が虐待されてると、自分の猫だったらってやっぱり思うし。

佐藤 でもそこで自分自身を基準として判断しないといけない、というのはキリストの言ったことなんだ。だから、「あなたの近い人が」じゃなくて「あなたが」「僕が」売春せざるをえないという状況になったときに「僕が」どういうふうに感じるか。そういう方向で立てないといけない。だから、あなた自身が売春するような状況に置かれたときに、あなたはどう考えるかということですよ、やっぱり。

北原 そう、それが通じないことが怖いんですよ。本当にそうですよ。

佐藤 でも、それが通じなくて、イエス・キリストは殺されたと思うんだけども。

北原 え……私も殺されますかね(笑)。これが結論でいいんでしょうか。」

 

 

    慰安婦問題とうの社会問題を、どう受けるかの暫定的な解答として、「自分を愛するように他人を愛せ」という、イエス的な実践にある根底の考えにゆきついた。が、ということは、ここで、ジェンダー的問題が、セクシュアリティーの問題として折り返されてきた、ということだ。自分を愛すとは、どういうことだろうか? そうは容易に愛せないからこそ、赤坂真理のような悩みと問いかけが生まれるのである。もしこの両作品が循環的に示すアポリアを突破できるとしたら、その視点は、「父権制」から「権」を除いて、「父性愛」に転換してみることになるだろう。


2025年1月12日日曜日

『庭の話』(宇野常寛 講談社)を読む




ダンス&パンセ: 『家の哲学』(エマヌエーレ・コッチャ 松葉類訳 勁草書房)と『庭の話』(宇野常寛 講談社)を読む のつづき。


世界の現状を変えていこうと、現在日本の運動の中にその可能性の萌芽を秘めたと著者が認識する具体例を挙げながら、庭、という日本の古語概念を掬い上げることを通して、その変革実践を理論的に追及してみせた作品だ。

 

私は、東京の植木職人の世界に入り始めてから三年ほどした三十年ほどまえ、庭に生きる職人階級の世界やそこでの技術をめぐったエセーをいくつか書いていた。それは、はじめて所持したパソコン、アップル社のパフォーマーシリーズの一つで、何かやってみたいなと思い、会社の了解を得て、その植木職の会社のホームページを作ってみたのだ。その内容物として、植木職をしはじめたばかりの私のそこでの考えをまとめてみたのである。それはパソコンをウィンドウズ系に変えてから閉鎖してしまったが、そのエセーのいくつかをまとめて、数年前に、電子出版形式で再録してみていた。『庭へ向けて』とタイトルされたそれは、まずは、庭、という日本語の意味を再考することからはじめられた。

 

当時は、造園の現場は、大手の現場監督でも、高卒出が中心で、地方の卒業生を受容する就職口、どこか支援策のような印象を受ける感じだった。一方、造園学会では、ランドスケープという用語の方を重視する学説的傾向がでていたと感じられ、その中心となる学者の、庭=自然=風景、それを模して囲んだ園、という俗にも想定される概念が基底されはじめた、と見受けられた。そして今は、あくまで私の推察だが、東京農大でのその先生の教え子たちが、ゼネコンのような会社を作って、造園会を仕切り、現場監督も大学出となり、お話し付き合いの宴会では、農大出の監督たちが酔いにまかせて壇上にのぼり、大根音頭を踊りだす……やってらんねえよ、と高卒出の親方のひとりが、そうぼやいて話してくれたことがある。私の親方は、東京都を仕切っていた会社の話し合い世界を破って公共事業に参入していったのだが(「つぶすぞ」、と営業のボスが脅してきたが、新宿下町職人の顔つき働きぶりをみて、かなわん、とおもったのか、一升瓶をもって「仲良くしましょ」と会社に持参して現れたそうだ。)、その会社も、いまやゼネコンみたいな新会社の傘下に入っているような感じになっているのではないだろうか。とにかくも、そのような現場事情のもとで、私は、職人が潜在的にもっている階級や技術のあり方を言語化しようとしたのだ。

 

そこで前提となるのは、庭とは都市であり、交通空間である、という概念の更新だった。古語では、それは水平線の手前の海の漁をするところ、地平線の山の稜線手前の柴刈りするところ、家の外の手前の作業する土間、をまずは意味した。つまりそれは、風景といったものではなく、まず人が作業する場所であり、しかも、外との境界の地帯でなのである。職人とは、だからその交通(境界)の現場に生き、そこでの創意工夫をする者のことである。と、現状批判の論法をたてたのだ。その論の参照根拠は、私が高校卒業のころ出版された、柄谷行人の『探求』などの教養であった。私にとって、そうした造園会や、あるいは仁義なき戦いの人たちのような現場での関係を生きることには、柄谷理論の応用実践のようなところがあったのである。

 

のちに、外交官の佐藤優が、そのような実践をしていたらしい、と、柄谷が始めたNAM解散直後くらいに知った。スパイまがいの外交現場で、柄谷理論を使用していたのだと。

 

だから、いま、言説の世界で、佐藤優のような実践思考形態がひとつの力をもっているように感じられているとき、宇野の理論の構え自体に、根底的な疑義が発生する。世界や社会を変えるとは、まずそう説く理論の影響力という、プラグマティックな実際を考慮せざるをえない。そのとき、実際に政治世界でも人間関係をもち影響力のある、佐藤のパフォーマティブな言論のようなものしか、意味をもちえないのではないか、というものだ(この現象の必然性のようなことは、河中郁男が『中上健次論』で指摘していた)。宇野の思考の構えは、あくまでコンスタティブな、『庭の話』での用語でいえば、「人間の本質」を目指し即そうとするところで実践を組み立てていこうとするものである。が、佐藤のは、人や自然の本性に立ち返るのではなく、あくまで対象(現象)に向けて、それを操作しようとするために編集される。

 

上のことは、柄谷の用語で言い換えられる。それは、ヘーゲルのいう「理性の巧緻」に対する「自然の巧緻」という造語を適用することによってである。佐藤のいう政治的リアリズムとは、「理性の巧緻」の枠であろうし、宇野のそれは、理論としてはオーソドックスな態度であり、「自然(人間の本質)の巧緻」を念頭に組み立てていこうとするものだろう。佐藤も柄谷の作品をよく読んでいるのだから、私は、この両概念・態度の関係は、自身の思考態度のうちで、どう関連づけられてパフォーマティブな発言をしているのか疑問におもう。プロテスタントな宗教態度として、それは経験的に解決されているということなのだろうか?

 

※※※

 

宇野は書く。

 

<おそらく今日においては柄谷の述べる非対称なコミュニケーションは、これまで論じてきた「中動態の世界」を一時的に停止する事物から人間へのコミュニケーション――事物が人間を襲撃し、人間を回復不可能なレベルに傷つけ、変化させるもの――が担うことになる。そして本書で論じてきた「庭」とは柄谷が理念型として提示した「交通空間」を現代の情報社会に対応したかたちにアップデートした上で実装したものだと考えればよい。そのために、たとえば九十年前に建てられた銭湯が結果的に「庭」的に機能する……といった転倒した現象が発生する。そして銭湯の例で述べれば、裸になり、何者でもなくなることで人間ははじめて共同性から解放され、一時的にでも公共的な存在になるのだ。

 これまで取り上げた「庭」的な場所たち――小金井の「ムジナの庭」、高円寺の小杉湯、喫茶ランドリーの各店舗など――はいずれも、人間を孤独なまま世界に触れさせる力をもっている。それも、共同体の場所であることを否定することなく孤独「でもある」場所として機能している。(「#10 コモンズから(プラットフォームではなく)「庭」へ」>

 

私の『庭へ向けて』では、概念の再考はしたが、では具体的にどう庭作りをするのかとなると、行き詰まりだった。それが、いわゆる石を据え、植木を植えて、なる風景造りではないことは明白だった。ならば、人の営む場所としての庭作りとは、具体的にどんな形になるのか、となると、皆目わからない。千葉での植木屋独立は、その試行錯誤の一環でもある。

 

ともかく、宇野は、人が孤独であること、と歴史の現状でのアトム化を受け入れた上で、ではそのバラバラの個人をそのままでどう連合させることができるのか、と問う。これは、NAMの『原理』の延長的な思考でもあるだろう(中島一夫は、そんなことは不可能なのだ、と最近に近いブログで述べていた)。村的な共同体にならずに、公共性をどう反復させえるのか、その営みが、現在の条件下で、どのような具体策を練れるのか。共感しえる問題提起だ。私も人付き合いは嫌いだし、社会情勢的にも、みながそっちのアトム化にならざるをえない。しかしまた、たとえば宇野が、斎藤幸平などの運動は疎外論的な共同体作りになってしまうと衝き、人付き合いが好きになれないメンタル弱者にとってはコンビニで安いお握りが買える資本主義のほうがマシではないかというようなことを言うとき、では物価が上がって安く買えなくなってしまったらどうなるのだろう、と私は考えてしまう。

 

宇野は、庭の条件をあげていきながら、その条件が最高に実現されてしまうのが「戦争」だという。柄谷の「交通空間」でも、戦争は例示されていた。この最高の「人間の本質」の現象を回避するために、「人間の条件」を変えていく、アップデートしていく思考実験を、アーレントを参照して試みてみせた論考が、エピローグ的に付加される。その「労働」から「制作」へという問題提起には、柄谷の『探求Ⅱ』でのスピノザ論、知(制作・思考)は情念(労働・生活)と遊離するがゆえに知である、という言葉が想起されてくる。

 

孤独な制作の連合? 道具を作る単独者の同期性? ……NAMのなかでいえば、柄谷の超自我的な方向と、岡崎乾二郎のエスにおける「道具連関」という提起をつなぎ合わせるような回路を探っているようにもみえる。

 

植木職人の私はどうしたらいいのか? いまは、悲嘆に暮れて、メンタル維持で精一杯だ。そんななかで、私は、思うのだ。人は、「孤独」でいることができるのだろうか、と。不在が実在し、付きまとわれて、いつも一緒にいるようで、しかも、亡くなった妻だけではないような感じもしてくる。葬儀は、意味を充填しきれない。だから、一周忌二周期と、反復されてくるものを抱え込むのだろう。そして、人類は、たくさんの親しい人を亡くしてきた。ならば、もう孤独になりようがないこと、それを意識させられる世界大戦を二度も経験してきたことは、不可逆的な歴史なのではないだろうか? 庭の条件としての孤独は、本当は、成立しているのか? 私たちは本当に、孤独なのか? 孤独でいることができるのか? 人間の条件ではなく、霊の原理、霊的であることの条件、を考えることを迫られている、感じがする。

他者との関係、「相対的な他者との関係の絶対性」が前提なら、そこから来る「自然の巧緻」への信頼として、私は孤独に居直ることもできる。が、その「自然」に、霊もが入っているとしたら、本当にその不可知なものが実在するとしたら、どうなるのであろうか?

2025年1月6日月曜日

NHK『量子もつれ アインシュタイン最後の謎』を見る


「状態ベクトルや密度行列を外界にあるものと見ないと(註;量子情報として割り切ること)こんなにも簡単なのである。サイコロの六つの状態の各自の出る確率分布が六分の一だったのに、振って結果が3という目なら確率分布は3目状態が1、他の目は0に「収縮」することなのである。

 幽霊はなぜ浮いていられるかを物理現象として説明するのは難しいが、幽霊が頭の中のものなら悩む必要もない。」(『量子力学の100年』 佐藤文隆著 青土社)

 

年末、NHKで、「量子もつれ アインシュタイン最後の謎」という番組をやっていたのでみてみた。ほとんどは、一般解説書をそれなりに読んできていたので目新しいものはなかったが(『陰謀論者はお客さま』)、最後にでてきた、ファン・マルダセナの話は知らなかった。スマホで調べると、弦理論から展開されたホログラフィー理論なるものを提出した科学者だそうだ。その理論名はきいたことがあったが、胡散臭そうで、追っていなかった。

が、テレビで提示されたグラフィックな図説をみると、これはスモールワールド、世間は広いようで狭いのが世界だということを図示する二次元図を、球体に置き換えたもののようにみえた。量子もつれの宇宙での密度分布をモデル化すると、そのような計算結果になるらしいのである。テレビ解説でも、「量子は人間のようなもの」、「近くにいる者どうしは多く、遠くにいる者どうしは少ない」と本人が解説していた。だから、やはりスモールワールドの世界観とだぶらせているのだろう。見知らぬアフリカのある人に手紙をだすに、知人づてに、6人だかで届いてしまうのが現実だ、という数理的というより、実証実験で得られた結果を数学的にモデル化したものだったのではないかと思う。多くの人間関係は近接的だが、その中には、時折、移民や海外旅行などで、遠方に知人ができている人もいる。その人に手紙がわたったとき、いっきに円の対角線上にある人間関係の密度分布のところへ配達されていくというわけだ。量子もつれも、そのような見えない物質の繋がりとして、立体的にからまっているというのである。だから、番組紹介のコピーのひとつに、見えない糸でつながっている、という文句がでてくる。これはもちろん、男女の出会いは見えない赤い糸でつながっている、から来ているだろう。

 

しかし私は、そこから、こんな想像をしてしまう。

私は、何万年か前の、ラスコーの壁画で牛を描いていた人物に、私の描いた牛の絵を送りたいと考えるのだ。すると、量子もつれには同期(同時)しかないようなものだろうから、時間(記憶)が空間化されて折りたたまれていると言えるなら、量子もつれの現実から、六人目ぐらいでラスコーの洞窟に手紙が届けられる、となるのではなかろうか、と。

 

スモールワールドを成立させる、同期の現象、ウィキペディアでは、コオロギの鳴き声が同期してしまう例が紹介されているが、植木の世界でもある。蜜柑や柿などの実は、生る年と生らない年がある。しかも、生らない年は、ある一本だけではなく、その地域なりの広い一帯でそういう現象が起きると観察されてきた。だから、ばらつきがあるのなら平均で一定の収穫として安定するが、みなで同期されると、収穫量の変貌が大きく、困ってしまうことになるのだ。この同期現象は、いまだに原因不明だそうだ。

 

サケやハトの帰巣本能の集団実現、わたしはこうした生物世界の不思議にも、量子もつれな事態が関与しているのでは、と推察している。

2025年1月2日木曜日

『架空犯』(東野圭吾 幻冬舎)を読む

<初夢を断ち切りそこに現れる妻の白き裸抱くあたたかさ>――初夢の歌



 1958(昭和33)年生まれの作者が、1968(昭和43)年生まれの主人公たちの青春時にからんだ事件を書いたものである。

 

作品理解には、この一回りほど違う年代差を考慮する必要があるのかもしれない。この作品の事件が、性(男女関係)を素材として扱っているからなおさら。そして1958(昭和33)という年のあり方を浮き上がらせるには、そのもう一回り上の年代、敗戦直後からの1940年代後半の年代を導入してみるのが有効なになるのかもしれない。1940年代後半生まれの者の青春時とは、70年安保のときと重なり、1960年代後半生まれの者の青春時は、経済バブル期にあたる。1950年代後半生まれの世代とは、その中間期ということである。性意識の進展においても、藤井淑禎の『純愛の精神誌――昭和三十三年代の青春を読む』(新潮選書)を読むと、そこは過渡期にあたっている、と考察されている。

 

1940年代後半生まれが、永田洋子(1945)や『二十歳の原点』の高野悦子(1949)、1950年代後半生まれが山口百恵(1959)、となる。山口百恵をあげるのは、小倉千加子(1952)の考察を参照するからだが、家庭の主婦に立ち返った山口に対し、小倉が掬い取るのが松田聖子(1962)の「ミーハー」としての成功者出現、となる。(が、娘が自殺してしまったので、その後小倉の評価が変更を迫られるのかどうかわからない。がまた、成功や失敗だのは、仮説的な基準において言い得るだけなので、話を進めるための便宜上の基準にすぎなくなるだろう。)

 

隠し子だった娘に殺される、自身も施設育ちを経験している元女優は、「発展家」として事件を追う刑事に解釈される。――「彼女を苦にしている男子は多かったですけど、憧れていた男子はもっと多かったですからね。だけど、いつも長続きはしなかったみたいです。誰それと付き合ってるという噂が流れたと思ったら、すぐに別れて、いつの間にかまた別の男子とくっついているんです。で、しばらくしたらまた別れる。そんなことが何度もありました。だから女子の中には、あれは蝶だって陰口を叩いている者もいました。男子という花に次々と飛び移っていく蝶だって」

 

円地文子(1905)の小説にも、自らの女性としての魅力で男を翻弄させてみる主人公はでてくるが、それはあくまで、そういう性向が女にはあるよという認識の確認のようなものだ。そう意図的に生きてみる、というわけにはなっていない。大塚英志の『彼女たちの連合赤軍』によれば、永田は自らの内に芽生えた「ミーハー」的感覚を抑圧しなくてはならなかったし、高野は、「肉体関係がすべてを解決するという甘い幻想をいだいていたが、それは単なる物理的な結合であった」という認識の向うで、自殺してしまった。そして『架空犯』 でのバブル期の元女優は、青春時の肉体関係に溺れたのではなく、それはカモフラージュで、より即物的に、出世が見込まれた政治家のせがれの教師との関係を本命として迫っていったのである。それは、純愛が実人生レベルでも崩れはじめた1950年代後半、まだ処女に価値があるかのようにかけひきを歌う山口や、かけひきをスマートにこなしてゆく松田の歌詞と人生を経過したあとでの、バブル経済に規定された振る舞いなのである。だから今の若い世代はもう違うようで、ある意味原始的に、男子グループと女子グループと別れて安住したほうがいいとなっていると考察されているらしい。

 

とにかくも、教え子だった元女優と結婚して夫となった元教師の政治家も、彼女と高校時に取引で交渉させてもらった刑事も、そんな女たちの振る舞いを隠そうとした。つまりは1950年代後半生まれの作者は、そこを隠すことで推理小説を成立させた。そんなことがおおっぴらでも平気だったら、推理小説は成り立たない。

 

だから問われるべきなのは、そう小説の推理を平然と成立させる世間は、本当は、何を隠そうとしているのか、ということだ。

 

隠す男たちは、ある意味では、女たちを守っているわけだ。ふしだらで、打算で、なんてことがばれたら、かわいそうではないか、と。個人の実人生ではそうだろう。が、書くという現場において、その「かわいそう」にのってしまっておわるとは、何を意味してくるのか? それは、世間が何も変わらず、女たちはかわいそうなままでいい、ということではないのか。

 

この作品には、心理的な描写はない。あくまで、解答(ネタばれ)に向かって、適格な警察の捜査が突き進んでゆく。だから、そのことで隠されるというか、追及されないままなのは、その元女優なりが、ほんとうはどう思いどう考えているか、である。生みの母を殺した娘がその動機になるような心理を語っているシーンはあるが、警察の推理を補完するだけの、とってつけたような語り、会話である。そういうところからも、作者が、そこには深入りしない、と決めている、それで作品の完成度を担保させることに意識的であることが読み取れる。また、それ以上の深入りはしないのではなく、できない、のであり、そのことに自覚的にならざるをえない、ということが、1950年代の、性意識の過渡期、中途的な時代に規定されている自分に正直、ということになるのだろう。

 

ならば、バブルではじけたとされる女たちは、本当は、どんな心理を抱えていたのか? 経済的な心配が希薄になった条件のなかで、ではどんな他の事に心が動くのか。『架空犯』での提示のように、女は怖い(作中では「怖い女」と一般化を避ける言い回しをするが、その事自体が本当を隠す自意識を露わにしている)、と男の心理で解釈され、当人の心理などないような割り切った生き様だったのだろうか? オウム真理教が勢力を拡大しはじめていた時期でもある。金の心配がなくなった世界で、人の何が垣間見えたのだろうか?