2019年1月1日火曜日

初夢にかえて

「それは、既存の非民主的なエリートを排除し、階層や素性と無関係に選んだ、優秀で鍛え抜かれた、公徳心の強い新エリートで置き換えるというものだった。そういう人たち(実際は男性)が国を引っ張る。新エリートは、二十世紀末の米国を支える屋台骨となった巨大な専門組織を管理すると同時に、史上初めて、すべての米国民にひらかれた機会均等の制度を創設する。事実、コナントは新エリートを正しく選抜すれば、民主主義と正義がほとんど自動的に強化されると想定した。指導層の入れ替えと米国社会の構造変化を導く大胆な構想ーー一種の静かなクーデター計画だった。
 チョーンシーとコナントの望みはいずれも実現した。米国は世界最大規模の知能テスト計画を開始、一つの結果(唯一ではない)として、新たな国家エリートを確立した。コナント、チョーンシーや盟友が創設した仕組みは今日、ごく普通に存在していて、まるで自然現象か、少なくとも環境に応じて自然に進化した有機体のように思える。だが、そうではない。人間が作り出したものだ。米国社会のどこにだれが落ち着くのかを決める組織的なやり方をわれわれが持っているのは、戦前、戦中、戦後すぐを通じた激しい主導権争いにより、ある特定のシステムが他の代替的なシステムに勝利したからである。」(『ビッグ・テスト アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか』ニコラス・レマン著 早川書房)

蟻が歩いている。たくさん歩いている。そこらじゅうに。一緒に歩いていると、人のようで、ビルの間や広場に、あちこちを覗き込むよう顔を動かしている。私は歩いていた。人混みをしばらく行くと、緑に開けた場所に出て、閑静な、おそらくは海岸近くに作られた森のようだった。あの木の奥に、銀色に輝いた建物があったな、と思い出し、ここは湾岸に開発された新しい土地だった気がしてきた。懐かしさのなかで、私は銀色に輝いたビルの会議室に、仲間とともに、議論を繰り広げていた。「私たちは地下に潜る。そして、残りの7割の民衆から、新たなエリート階層を発生させる。」議長役のようだったキリギリスが、立ち上がってそう言っている。破滅の危機を克服するには、エリート層を増加させる。次に誰が3割のエリートになるかは、その人たちの購買した商品履歴や、行動形態のビッグ・データから、AIが追跡調査している。私はどこに行けばいいのだろう。私は、自分に息子がいることを思い出した。息子は、選ばれるだろうか。そう思ったとき、私は古ぼけた団地の2LDKの家で、新聞を読んでいた。キッチンの奥には、女房がいるようだ。昼食の用意をしているらしい。ようやく、息子がとなりの部屋から起きてきた。「どうした? 選ばれたかい?」と私は尋ねた。「ああ。」と寝ぼけた声で、息子はキリギリスの顔になって答えた。その後ろで、女房が包丁を持って立っている。私は、そうだったな、と思い出した。地下に潜った3割のエリートのうち、7割が怠け者に変わって、やはり全体の割合は変わらなかったのだった。新聞を読んでいる者は大衆である。私は、7割に選ばれて、今日が、その執行の日なのだ。息子は、よだれを垂らしてこちらの気配をうかがっている。その後ろで、女房がにらんでいる。腹が減ってきたような気がして、私は目をさました。

去年の初夢ブログでは、民主主義について考えるのが課題、みたいな抱負を書き付けたような気がする。たしかに、そうなっているだろう。が、だいぶ色調が変わってきているような。身内でも、外でも。

2018年12月16日日曜日

息子の高校受験をめぐって

「理想化された資本主義と民主主義を世界に広めるというグローバル化の夢、フランシス・フクヤマが言うところの「歴史の終わり」は、今日はるかに遠いようにおもわれます。中東は、民主化どころか国家の解体の中にいます。中国は、開放どころかおびただしい腐敗が吹き出しています。
 さらにまずいことが起きています。西欧の人々の目に、そのエリートたちは明らかにこう映っています。米国でも英国でもフランスでも、彼らは、もはや自分たちの声を聴かず、寡頭制に傾いて最も古いリベラル民主主義をむしばみつつある、と。…略
 しかし、私は長い間、先生たちと同じように、統治する者たち、指導者たち、エリートたちの特性にはそれほど注意を向けてきませんでした。しかし、エリートたちの能力や情念、道徳性といったことについても、大衆についてと同様、経験主義的な手法で研究できるし、するべきです。私の場合、エリートについての経験主義的な研究が不足していたことで、しばしば彼らの知性や責任感、道徳性を過大評価していました。
 だから私は、何度も何度もフランスの指導層が結局はユーロの失敗を認めて、自分たちが引きずり込んだ通貨の泥沼から、社会を引き出してくれるだろうと思ってしまいました。
 結局、違った。ユーロは機能していない。けれども消えていません。若者がひどい扱いを受け、とくに移民系で最も弱い人たちのグループがのけ者になる事態は続きました。
 つまり、フランスの指導層は、ユーロを壊すくらいならフランス社会の一部を壊したほうがましだと考えたのです。…略…エリートの振る舞いを予測する点では、彼らの力についての経験主義的なしっかりした研究が欠けていたために、私は人間性についての楽観的な見方に傾いて判断を間違えてしまいました。」(エマニュエル・トッド著『グローバリズム以後』 朝日新書)

↕

「「そう遠くないうちに、人々は犯罪に走るでしょう。ガラスを打ち割って欲しい物を手に入れるようになる。いまに暴動が起きるでしょう。」と利用者の女性が言っている。「我々のフードバンクに来る人々の多くは働いている人。看護師や学校の教員がフードバンクに来ている。」と職員は説明したそうだ。…略…そもそもEU離脱は排外主義やEUへの反感だけが起こしたものではない。その底には、経済や社会に対する人々の強い不満と怒りがあった。…略…こうした指導者の意識と、地べたの現実との乖離が、隣国フランスで燃料税値上げに抗議する「黄色いベスト」のデモを引き起こした原因ではなかったのか。」(ブレイディみかこ著「英国のEU離脱 貧困を直視せぬ指導者」朝日新聞朝刊 2018.12.15)

渋谷のハロウィン騒ぎについてふれたブログで、勉強にしろスポーツにしろ、エリート路線に乗った子とそうでない子とに二分されているような現象を指摘した。小学4年生から受験勉強に慣らされる子と、高校受験を間近に控えても社会に緊張感を持てない子と。私の息子は後者になるが、みていると、そのマイペースさや女房とのバトルの様には、考えてみていくべき現実が伏在している気がしてきた。今の入試制度は私の頃と大分違うようで、後者の者たちには、受験に失敗させない仕組みが張り巡らされているようだ。わが女房は、なおさら息子が勉強しなくなるからと、低いレベルの単願推薦だの、単願受験などさせないと、息子の現状を越えた高校ばかりをやたら受験させようとする。この発想は私の時代の大学受験方式だ。数打ちゃ当たる、みたいな。「ぜったい受からないよ」「じゃあ、どこがいいの?」「○○高校」「いやだ。かってにいきなさい。お金はださないからね。」学校からも、塾からも、「気違い」呼ばわりされているのだそうだか、「一生懸命やることのどこがわるいの。楽ばっかして。ジャイアント・キリングを狙う」と息巻く。「まぐれで受かったらどうするんだ? 単位とれなくてぐれてくよ」と私。が、クレーマーとしての執念が学校側を動かしたのか、通信簿の評価が上がって、私立併願推薦がとれたと連絡はいる。確か、模擬試験結果からは、息子の合格率が1割ぐらいだったところだ。よっぽどひどい点数でなければ、受かるのだという。しかし、息子には気が進まない理由があるようで、なおさら不機嫌になったようだ。女房とのバトルを避けるため、塾に逃げ込んでいる。入試ひと月前にして、女房もここ数日は平穏だ。私には、不穏な静けさで、気味がわるい。

麻生大臣は、人が勉強している時にあそんでいたバカな連中のために、どうして金持ちが余分に税金肩代わりするんだ、みたいな発言したそうだか、狭い了見だ。少なくとも、私が中学生の頃は、優等生たる者、率先して皆の事を考えなくてはならない、という暗黙の義務了解が生きていたと思う。なお、故郷へ錦を飾る、ということが受け入れ可能な地盤があったということだ。炭鉱産業地盤の三代目世代にあたるらしい、吉田茂の娘が母になる麻生氏は、エリートというより、すでにエスタブリッシュメントな世界に入っていたのだろう。そして今の子育て事情も、他人の事を思考に据えるエリート教育というよりは、自分のスキルだけに関心を集中させていく、狭い了見、狭い世界への参入模索がリアル(ポリティクス)、と志向されているようだ。子供のサッカーチームでも、面倒見のいい優秀選手は、見当たらなくなった。

私には、勉強するしない人の割合は、蟻の生態と同じではないかと思われる。グーテンベルクが印刷機を発明し、識字率が上がり、スマホが普及しても、まともに読書し考えはじめるのは1割2割。真面目な働き蟻は3割で、あとは振りしてるだけ。が、真面目な3割を除けると、やはり残りの蟻から3割だけが働きはじめる。ならば、威張っていてもしょうがない。怠け者とされる者にも、何か自然的な意義があるのだ。

あおり運転、について

「彼らは誰か? 兄弟の他者たちとは誰か、非ー兄弟とは? 何がこの者たちを、のけ者的存在に、排除された者あるいは惑える者に、街路を、とりわけ街路を徘徊する、中心を外れた者にするのか? (しかし、もう一回言うが、街路〔rue〕と狡猾漢〔roue〕の間には残念ながら語源的類縁性はない。狡猾漢もならず者同様、つねになんらかの街路に対して、都市における、都市的な礼節における、都市生活の正しい慣用における街路であるところの正常な道(ヴォワ)に対して定義されるのであるが。ならず者と狡猾漢は街路に混乱を持ち込む。この者たちは指し示され、非難され、裁かれ、断罪され、指さされる。現動的ないし潜勢的な非行者として、予知されている被告〔prevenu〕として。そして、この者たちは執拗に追い回される、文明化した市民から、国家あるいは市民社会から、善良な社会から、その警察(ポリス)から、ときには国際法から、そして、その武装せる警察から。法と習俗を、政治(ポリティック)と礼節(ポリテス)を監視する、あらゆる流通路を、歩行者ゾーン、車輌ゾーン、海路および空路のゾーン、電子情報、Eメールおよびウェブを監視する警察から。)」(『ならず者たち』ジャック・デリダ著 鵜飼哲・高橋哲哉訳 みすず書房)

死刑制度が、それに値するとされるような犯罪を減少させるわけではないと、アムネスティは報告しているようだ。シンガポールと香港での統計を示して、ゆえに抑止名分で制度を続行している国々を批判したわけだ。が、この統計だけでは、真偽は決められないだろう。冤罪があることは、はっきりしている。
飲酒運転での過酷事故は、罰則も取り締まりも強化され、警視庁発表の統計では、相当数減少している。携帯スマホでの運転事故はどうだろうか? 社会・世論の圧力が、しなくてもすむような、いわば便乗事故を払拭させていることは、あるように思われる。
が、私には、それでも払拭できない層、確率的な現実はあるようにみえる。そんな社会や世論が、むしろ犯罪を発生させていくような現象である。死刑制度、法が抑止できないのは、この金魚の糞のように我々についてまわる本源的な構造だ。

助手席に座りながら、運転手にあおり運転され脅かされたことが私にはある。勤務途中だか、仕事もおそらく私生活でもうまくいかず切れまくる同僚。暴走族あがりの親方も、二日酔いで出てきたまだ若い時分は、無意識のうちに蛇行運転、前の車との車間距離をなくし、右から左から気持ちよさそうにプレッシャーをかけていた。団塊世代職人も、朝起きたら駐車場の車の中、どうやってここまでこれたのか酔っ払って覚えてねえや、と冗談半分で言っていたこともある。
いまは、酒を飲むことはおろか、車離れも起きている。とりあえず、そんな大人しい社会変化が善いことだとしても、歴史的に、あるいは自然の最中を生き抜く生態的に、その変化がどんな意味を持ってくるのか、私たちは、なお詳らかにしてはいないのだ。

2018年11月15日木曜日

「歴史の終わり」をめぐって(4)ーー平和条約を前に(2)

「それでは、社会体制の思想原理を民衆自身が考えはじめることは、なぜ危険なのであろうか。それは、現実の身分制的権威にたいして、観念の世界においてではあるが、思想原理という優越した権威が民衆のうちに成立するからであり、そのために、さしあたっては封建制と対立しない思想もいつ批判の論理に転化するかわからないからである。富士講の行者たちが、ミロクの世の実現を幕府の権力者や天皇に期待したことは、彼らが封建支配にたいしてあまりにおめでたい幻想をもっており、封建体制を批判するどころではなかったことをしめしていよう。しかし、それにもかかわらず、一つの思想原理が成立してみれば、その立場から現実社会を批判的に眺め、身分制の権威よりも思想的(宗教的)信念の権威を信ずる人間を生みだしてゆく可能性が生まれる。富士講の始祖角行は、「天下泰平国土安穏万民快楽」の使命をもってこの世に生まれてきたとされているが、この使命のゆえに角行は「天子の役也」、「神孫の役也」、「国王の役也」などとくりかえしてのべられており、身禄も自分のことを菩薩と呼んだばかりか「王」と呼び、自分の妻を「女御」、娘を「姫」などと呼んだ。これらはすべて救世の予言者としての思想的権威を宣言するものであり、そうした観念上の権威が現実の身分制的権威に優越すると主張したものである。自己の思想的権威を現実の政治的権威よりも優越させる態度は、「革命」説を否定した近世の儒教にはとぼしかった。富士講においてもこうした観念が十分発展したとはいえないが、丸山教や大本教の現実批判はこうした観念の発展なしには考えられない。」(安丸良夫著「「世直し」論理の系譜」『安丸良夫集3』岩波書店)

今年6月に来日した、フランシス・フクヤマ氏の最近作の翻訳にともなう記者クラブでのインタビューを、You tubeで見た。最後の個人会員からの質問はずばり、歴史は終わった、リベラル民主主義の勝利で、というのは、大ハズレだったのではないか、というものだった。だからこそ最近作を読んでくれ、との返答に、笑いに包まれてインタビューは終わったようだが、私としては、このハズレにはなお考える余地がありすぎる、と考えている。
要は、トランプ大統領の出現とその振る舞いが、リベラルな民主主義の終わりではないか、というフクヤマ氏とは正反対な意見が、ジャーナリズムや政治学者間での吹聴になってきているわけだ。アメリカの自壊現象が、中国とロシアの台頭という現実を後押ししていることが、明白になってきたわけだ。ただこの思想的風潮は、だから野蛮な方向へ歴史が退行している、と見る点で、フクヤマ氏と思潮の根を同じくしている。
が、トッドの家族人類学的な見方によれば、逆になるわけだ。核家族=民主主義の方が野蛮というか類人猿に近く、共同体家族=帝国の方が、文明として新しい、人間的な進歩なのだ、となる。むろん、「進歩」といったのは私個人によるイロニーで、トッド自身は時系列的には事象をとりあつかわず、似たような構えをみせる「世界史の構造」の柄谷氏によれば、4つの交換形態の組み合わせやそのグラデーション、強弱となる。
が、私が見たいのは、フクヤマ氏の中心概念である、「気概」、英語ではdignityの行くえ、だ。まだ翻訳されていない最近作で追求されているようだ。

ともかく、こんな地政学的な変動において、日本の総理が、ユーラシアの中心、文明化発祥地に近い帝国から、「平和(条約)」をせまられているわけだ。だから、三代目安倍だけの問題ではない。私は、プーチンの提案の方向でいくしかないだろう、とおもうが、洞察力のないへたな首相しか輩出させられないならば、旧ソ連からもアメリカからも、ぼったくられて日本人は悲惨になるのではないかと、おそれる。が、その方向をとらない、ということは、世界から孤立していく、ジャパン・ファーストになっていく、ということではないか? 世界の笑い者になるか、世界の除け者になるか…私は、世界に参加した上で、次の可能性を鍛えていく方がいいだろう、と考える、が、まだよくわからない。
戦いは終わった、といったフクヤマ氏は、私はリベラル民主主義のために戦う、そのために日本にも来た、というのだか、文明からの亜周辺に位置する日本が、その戦列につけるのか、つくのがいいのかも、根本的というより、体質的に再考しなくてはならなくなった、ということなのだと考えている。

2018年11月1日木曜日

ハロウィン騒ぎーー江戸の明るさ/暗さ(2)

「ところが、商品経済の浸透を最深部の起動力として、伝統的な村落生活が崩れてゆくと、若者たちの恣意性がつよまり、これまでのそれなりに秩序をもっていた若者たちの「この世の楽しみ」が急速に膨張して伝統的生活秩序をおびやかすことになった。こうした過程で、従来の若者仲間の制限、禁止、青年団や夜学校への改組などがすすめられた。青年団が全国的規模で設立されるのは、明治三十年代のことであるが、若者仲間の改廃は、それよりずっと以前から村落の重要な問題となっていた。たとえば、文政十年に、…略…若者仲間は倹約や村の秩序を乱すもとになっている、と判断されたのである。またたとえば、天保十三年に…略…若者仲間と娘組の活動の基礎であった若者宿・娘宿の禁止として注目してよいだろう。若者制度の動揺と衰退が、近世後期の現象であることは、民俗学者があきらかにしているが、それにはまた婚姻性の根本的な変化が結びついていた。これまでの若者組・娘組に媒介された青年男女の相対的に自由な結婚はすたれ、仲人が重要な役割をはたす「家」と「家」との家父長権に支配された結婚へと転換していった。」(安丸良夫著『日本の近代化と民衆思想』平凡社)

江戸関連の本を読んでいるからか、ニュースで騒いでいる渋谷界隈の有り様が、江戸後期の姿と重なって見えてきた。
むろん、もうかつての夜這い習慣の若者組はおろか、明治からの青年団、現在では、町内会の青年部として形骸的に存続しているような仲間組織、中間団体は、もはやはじめから機能していないかもしれない。が、義務教育としての学校がある。その近代化にあっての若者教育装置が、末期的だということなのだ。
高校受験をむかえている中三の息子がいなかったら、テレビで騒ぐから騒ぐようになるんたよ、と無関心で過ぎていっただろう。息子は中間・期末試験前でもいつもと同じように勉強しないが、私の昭和時代では、この平常さは、不良と呼称される者たちぐらいで、成績の良し悪しはともかく、試験前ぐらいはその義務・強制力に緊張はしていたとおもう。がどうも、息子のみでなく、普通の子たちが世の中に反応していない。なめきっているというか、相手にしていない、というか。その一方で、勉強にしろ、スポーツにしろ、エリートコースに乗った者たちは、その者たちで突き進んでいくようだ。そしてそこでは、婚姻形態までもがその階級性を堅固にしていく向きがある。私の慶應大卒のイトコは、お金持ちと結婚したのだか、その条件は、親戚付き合いはしない、ということだったそうだ。イトコの父親、つまりは私の父の弟だがーーは、ロッテの営業課長だか部長ぐらいまでには出世したらしいが、そのくらいでは駄目ならしい。
植木職人として金持ちの庭の手入れにもいくけれど、婚姻関係が「家」的にガードしているところは、マンション経営など財テクにも知恵しぼり、そこ、わが子の男女関係にルーズというか普通に自由な所は、屋敷も蔦が這いずりまわるようになり、フォークナーの文學世界かポーのアーシャー館の崩壊か、と連想されてくる。
若者たちの騒ぎは、ある意味、実質ある仲間組、いわば中間団体的な連帯への模索であり、あがきだろう。数ヶ月前のニュースで、アイドル追っかけのオタク仲間の間で、入場券の受け渡しによる無賃乗車連携プレーが摘発されたが、法を犯してまで仲間のためにやる、その覚悟強度が、中間団体か否かどうかの境界になろう。しかしその模索とあがきが、家父長制的な国家権力の強化進展へと向かったのが、日本の近世から近代への過程だった、ということだろう。
最後にまた、安丸氏の上著作から引用。

〈商品経済の発展は、伝統社会におけるつつましやかだった人々の欲求を刺激さして膨張させ、奢侈や飲酒や怠惰へと誘惑した。もともとは前近代の村落生活において、人々に健全に人間的諸要素を実現させる形態だった若者仲間やヨバイが、恣意や放縦の手段となった。いうまでもなく、商品経済は人々に伝統な諸関係を打破して上昇する機会をあたえるとともに、没落の「自由」をもあたえるものだった。だから人々は、自分で禁欲して勤労にはげまねばならぬのであるが、民俗的世界の人々はそうした訓練をうけてはいなかった。彼らは、あらたな刺激にあおりたてられ、没落への淵をはいずりまわることになった。没落するまいとすれば、伝統的生活習慣の変革ーーあらたな禁欲的な生活規律の樹立へとむかわざるをえなかった。〉

2018年10月28日日曜日

江戸の明るさ/暗さーー「歴史の終わり」をめぐって(3)

「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」(太宰治著『右大臣実朝』)

「長者ニ三代ナシ」と江戸は元禄時代に言われたそうだ。その言葉を名言として受け止めた河内国の酒造業を兼ねた地主の、子孫に残した手記を読み解いて、歴史家の安丸良夫氏は、次のように時代背景を描写する。

〈…民衆自身の主体性において、また一つの民衆運動として、民衆的な諸思想が形成・展開・伝播されたのは、元禄・享保期以後のことであり、それもさしあたっては三都とその周辺からはじまったのである。…略…そして、さらに民衆的な諸思想が農村部でも展開され、日本の民衆がいわば全民族的な規模で思想形成の課題に直面したのは、近世封建社会の危機もようやくふかまった十八世紀末(天明・寛政期)以降であり、とりわけ文化・文政期以来のことであった。…略…したがって私は、天明・寛政期以降を民衆思想史の第二期としたいのであるが、この時代において民衆に思想形成をうながしたのは、どのような諸事情だったろうか。おそらくここでも、商品経済の急速な展開のなかに現実化した没落の危機が、思想形成の決定的な契機だった、といえよう。しかし、没落の危機とはいっても、梅岩の門に集まった富裕な町人たちにとっては、それはまだ油断をすればそうなるかもしれない蓋然性にすぎないのに、尊徳や幽学の直面したのは、現実に惨憺と荒廃した村だった。〉(『日本の近代化と民衆思想』平凡社)

江戸時代のイメージは、ポストモダンの社会を先取りしていたと再解釈されたバブル期の明るいエドから、エコロジー的な技術と思想をもっていた時代へと、ポジティブに受け止められているのが最近だろうか? 高度成長期以前は、封建制に抑圧されていた暗い時代、鬱屈した庶民の社会、といった見方だったようだ。
私には、この落差がまずわからず、いったい実態はどうなのだ? と疑問だった。安丸氏の洞察と考察は、そんな私には示唆的で、説得力がある。

現在の安倍総理から大塚家具騒動まで、そして天皇退位から私のいる植木屋も含めて、戦後の三代目問題の時期にきているようだ。なぜ日本ではそのような傾向になるのかは置いておこう。とにかくも、長い平和な江戸時代は、一枚岩ではなく、三代目で亀裂がはいり、以降は悲惨な一途をたどる。なのになぜ、明るい、とされるのか? しかも、それは後世からの勝手都合な解釈だから、なのでもない。渡辺京二氏の解く「逝きし世の面影」がパースペクティブとして有効であり、子供の誘拐が横行していても、子供の天国であったのも確かな見立てなのだ。この矛盾の実質性を、どう理解したらいいのだろうか?
スーパーボランティアの尾畠さんの出現は、ヒントになった。貯蓄もなく、年金5万で明るく活動している。仇は忘れても恩は忘れない、だの、信念的な言葉を聞いていると、いわば江戸的だ。と、容貌も似ている職場の職人さんが重なってくる。いや、もっと過激か。「宵越しの金は持たぬ」だの「雨と女は職人泣かせ」だの、江戸時代の諺そのものような倫理で生きて来たらしいので、年金も払ってきていない。もう腕上がらず足もよろよろの七十になるが、それでも一線で働き続けなくてはならない。2LDKに夫婦子供3人と母とで寝起きしてきた。女房は糖尿病で目が見えなくなっている。自身も心臓が弱って薬が必要だ。客観的には、悲惨で暗いであろう。が、明るいのだ。近所で手入れしていると、次から次へと声をかけてきて、人気者だということがわかる。(が最近の近所の目は、気の毒というより軽視の感がでてきている。)この心の持ち用は、どうなっているのだろうか?
と、私自身の心を覗いてみれば、想像がつくことに気づくのだった。もうすぐ高校生になる息子と女房の3人で、いまなお川の字になって寝ている。プチブル意識を壊してきた私は気にしてないが、ブルジョア成金育ちの女房は、あがいている。息子の受験につきっきりになるだけでなく、テーブルに肘をつくな、とか、身体のエスタブリッシュメント化を自覚もなく発揮している。父の遺産でなんとかオンボロ団地を脱出しようとしているが、東京の相場ば高く、日雇い年寄りではローンもくめない。

没落が怖いのか? 私は、どうなのだろう? それでも、明るい。アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ?

2018年10月5日金曜日

「歴史の終わり」をめぐって(2)


「また、近年のフェミニズム運動の例を取り上げてもいい。フェミニズムの主張によれば、これまでの歴史の大半は「父系制社会」間の紛争の歴史であったが、もっと和気あいあいとして、慈愛に満ち、平和を好む「母系制」はそれにとって代わる有力な選択肢であるという。母系制社会の実際例が存在しないため、この主張を経験的な事例をふまえて証明することはできない。とはいえ、人間の人格のうちの女性的な面は、解放され得るはずだとするフェミニズム運動家の理解が正しければ、将来において母系制社会が存在する可能性は除外できない。そしてもしそれが実現すれば、いまの時点でわれわれはまだ歴史の終わりに達していなかったことになるのだ。」(『歴史の終わり(下)』フランシス・フクヤマ著・渡部昇一訳 三笠書房)

男たち(父系社会)の「気概」をめぐる戦争がなくなり、サッカー・ワールドカップのような平和的代行でその用がすまされるようになったのは、まさにその社会が完結(歴史の到達)にいたったからだ、というのがフクヤマの論たてだった。しかしそれはあくまで仮設で、「女性的な面」が前面に出てくるような実際が生起してくれば、その限りではない、という留保というか、前提条件があったわけだ。しかし、「女性の識字率」と「出産率」を、歴史の動向(関数)の主要な変数とみなすトッドの家族人類学によれば、むしろ歴史の価値実現としての到達点(目標)たるリベラルな民主主義とは、父系社会的な文明発祥地(ユーラシア中心部あたりに仮設される)での家族形態、共同体家族といったものが、なお伝播されきっていない周辺的な地域での産物なのである。つまりトッドの見立てによれば、共同体家族の現代的衣装である「共産主義」(父系的絶対制)の崩壊とは、歴史の終焉というよりは、挫折なのである。文明化が失敗し、なお野蛮な、文明前の未開的家族形態、いわば核家族的な価値が残存・延命していることを意味するのである。しかもその価値内には、「女性的な面」の重視がある。核家族的な系譜では、父(長男)に家系されていくわけではなく、むしろ末っ子や娘が両親と暮らし続けるという、ある意味無理ない自然性をみせる。そして文明中心地に近いロシアや中国、中東などでも、むろんその原初の核(価値)は残っていると想定されるので、その地において女性が自らを表象する識字能力を獲得し出産を自己制限できるようになったとき、その識字・出産率がある閾値を越えてくるとき、民主主義的な方へ、つまりは未開的な核家族的価値が露呈してくる、と統計的に見立てるのだ。
ヨーロッパ、および日本に顕著な封建制とは、共同体家族的なほど絶対的な父系・父権制ではないが、その伝播途中の中間形態的なものだ、ということになる。イギリス(アメリカ)やフィリピンが、伝播しきれなかった残余、周縁地帯になる。しかしヨーロッパは、あくまでユーラシアと陸続きである。日本でその父系原理が強度をもって伝播されはじめたのは、鎌倉武家政権時代、つまりはモンゴル帝国の影響が考慮されるが、ヨーロッパはその一部が征服され、日本には神風が吹いた。フーコーをはじめとした、いわゆる西洋の文脈でのポスト・モダニストと称されもする思想家たちの試みは、ファシズムへの反省から、父権的な共同体原理を脱構築することにむけられたが、日本では、その文明化が不十分でありそれ以前の地のより強い残存が、むしろ「未完のファシズム」として日本人自身を悲惨に陥れたとして、未開批判の文脈が説得力をもった(宮台の「田吾作」批判など)。
が、共産主義体制の自壊は、西洋による西洋批判の文脈を頓挫させ、未開礼賛(=民主主義礼賛、「歴史は終わった、西洋の、男たちの勝利!」)の風潮を前景化させた。そうした風潮が、プレ・モダンとしての江戸批判を、むしろポスト・モダンな江戸として評価する逆転を後押しする。さらにこの言説文脈と、事実上、第三次大戦にはなっていないという世界の平和的延命が、日本人が日本を批判するという日本の文脈を失効させている。日本がなお未開(プレモダン)だという批判文脈とは、大きくは天皇制批判ということになるが、いまやそんな声は端っ子においやられて気違いとみなされるだけのような雰囲気だ。
そもそもこの変化は、日本の土壌批判に徹してきた柄谷行人が、その土壌を「双系制」(核家族的一変種)と人類学的に捉え直したことが兆候的な転換点だっただろう。それ以来、柄谷自身が「世界史」的な文脈で語りはじめ、その大きな文脈において、憲法9条を江戸の平和へと結びつけるのだ。
最近の流行著書では、國分功一郎が、次のように述べている。

〈…そのとき、インド=ヨーロッパ語には属さない日本語にも中動態として分類されるべき要素が存在し、しかもそれのたどった経緯がインド=ヨーロッパ諸語の場合と同じであったという事実は、現在の人類が手にしている文明ーー新石器文明とでも呼べばよかろうかーーの何らかの核のようなものをほんの少しでも思い描いてみるのに役に立つかもしれない。〉(『中動態の世界』医学書院)

要は、日本の文脈以上に、深い文脈、ディープ・ヒストリーというかビッグ・ヒストリーというのか、いわば人類上の文脈で考察されることが誘導されている。かつてなら、「中動態の世界」とは、「天皇制だ!」と一喝されてしまったかもしれない。が、もっと丁寧に読もう、現実をみよう…私も賛成だ。が、そのことで、日本の文脈が、失われてよいのだろうか?

以上の問題意識をもって、もう一度江戸の世界、パックス・トクガワーナ下での富士講をめぐる庶民の姿勢を再考する。