2022年12月31日土曜日

『対論 1968』(笠井潔・絓秀実・外山恒一著 集英社新書)を読む


 「対論」を行なっている笠井潔氏と絓秀実氏の作品は、1980年代後半頃の早稲田大二文の学生であった時から、読んではいる。が当時、その二氏が活動家だったということは知らなかった。あくまで、文学なり思想的な営みの延長として受容していた。それどころか、早稲田大の文学部の講師として、絓氏が授業を持っていたということにも私は気づかなかった。四年生のとき、文芸創作科の講師としてジャーナリズム専門学校からやってきた渡部直己氏の講義を受けていた時、柄谷行人氏の「探究」とともに面白く読んでいた「文学の隠喩」というタイトルで文芸誌連載していたその絓当人がこれまでは授業担当していたのか、とはじめて気づいたのだ。

そもそも、私は大学を相手にしていなかった。夜学を選んだのも、大学には行く気はないが、読書時間という暇が欲しかったからだった。私の現在進行形的なジャーナリズム界に関わる書籍の読書は、浪人中出版された柄谷行人氏の『探究Ⅰ』からだった。高校受験の延長で古典ともなった近代文学は読んでいたが、意識的に読み始めたのは小説ではなかった。中上健次の作品も、柄谷経由だった。自分の分裂病的常態を言語化整理・克服するために、野球馬鹿から読書世界に入っていったので、直接的な自己意識化以外のことをやる余裕はなかった。ただ、考えていた。そして直接的な言語化だけではすまない自己意識の方が大きかったので、書くことの主要は小説になり、卒論も創作を提出した。

 

そうしたなかでも、当時はまだ自治会も学園祭もあったのだから、政治活動する学生とは触れていただろう。新入生のクラスには、授業がはじまる前にビラを配り、教壇に立って、政治的な何かの話をしたあとで、席に着いた一年生のもとへ意見を聞いて回る姿があった。私の所にも、硬い表情をした女性が来て、何か質問をしてきたことがあった。その一つ一つに、司馬遼太郎だのの、引用で答えていた。で何かの質問に、柄谷の作品から引用して答えたところ、突然その女性は目を見開いて表情が変わり、「あなたは柄谷を読んでいるのか?」と聞いてきた。「読んでちゃわりいのか?」と、長い尋問を打ち切りたいような口調で返したとおもう。彼女は口ごもり、そして先生が来たので、教室をあとにしただろう。この「対論」の知識からしても、彼女は革マル派、ということになるのだろうか? その後も、構内で彼女を見かけて目があって話しかけたそうな雰囲気に会うこともあったが、私はうざったく感じていただろう。

といっても、私も絓氏と同じく旧制中学から高校になった地元の進学校出身だったので、いわゆる左翼的な活動をする生徒たちと無縁だったわけではない。群馬の高崎高校は、学生運動盛んな当時において一番過激な高校の一つだった、と国語の教師は発言していた。その名残りは、君が代斉唱で拍手をしたり、国旗掲揚で背を向けたりといった、意志表示をする生徒が幾人かでることに現れてもいたのだろう。そしてそういう生徒たちは、先生たちからも意識の高い者と評価され、一般の学生にも一目置かれていたと思う。で大半は、当時同窓生でもある総理の中曽根が講演に来たときなどは、全校生との記念撮影時には、「いなごの大群」(あとでの中曽根の表現)のごとくその現役総理の身の周りに寄り付いていったものだった。佐藤優氏が、浦和高校のことで、すでにそこの優等生たちに官僚的な振る舞いがあるのだと指摘していたと思うが、私もそこが鼻についたことだった。早稲田大では学費値上げ反対闘争とかで、試験の中止が幾度かあったが、そうした認識の延長で、大学に居る必要もなく感じる私には、一般の学生も意識高い学生も同じであって、親が払うってのだから払わせておけばいいだろう、敵はまず親だろう、そこまで本当に嫌ならば、払わないで退学していけばいいだろう、と思っていた。

 

大学卒業後、だめ連の集会にも参加したことがあるが、それを主催する中心人物の二人が、二文の同級生であったことなども、私は知らなかった。

 

私がこのような本を読むのは、以上のように、いわば「知らない」からだが、そこには、覚えられない、という事態もがはらまれている。私は、たしか絓の『革命的な、あまりに革命的な』の作品だったか、ベンヤミンの割れた壺の破片の復元の比喩を喚起させながらも、重箱の隅をほじくっているようでもある、と感想をこのブログでか綴った覚えがある。何も知らない者にとっては、小熊英二氏の『1968』でもまずは必要だと。しかし知識以前に、もっと根源的なわからなさ、があるような気がする。左翼運動の諸党派の違いの、どこに意義があるのかわからない、といおうか。自民党の派閥の系譜がよく覚えられないのとも似ているが、もっと根底でわかりにくい。それは、「労農派」と「講座派」の違いが、私には、いつもこんがらがってしまうのに近い。そこには、人脈だけでなく、なんでそこで、その認識で明確な差異が線引きされるのかが腑に落ちてこない、という感覚がつきまとうからだろう、と思われる。

 

たとえば、柄谷は、労農派なのか、講座派なのか? 私には、そういう党派的用語(区別)を使用するならば、両方ともに、としてしか理解できないからである。宇野弘蔵の影響が強いからといっても、その日本把握には、講座派的な認識があるとしか思えず、その線引きに、本当に真理把握のための枢要があるのか疑念を抱いているのだろう。

 

佐藤優と池上彰の左翼概説史の新書も読んだ。その二人がこの新書を上梓したのは、どうもまた左翼の暴力性が若者に浸透し、影響力をもって惹起してくるのではないか、という危惧によるようである。それは杞憂だろう、と思っていたが、私がこのブログで書いた『NAM総括』の感想に、著者の吉永剛志氏が自身のブログで私を“糾弾”しているのを目にすると、もしかして杞憂ではないのかも、と思い始めた。とくにコロナ災害やウクライナでの戦争にまつわる左右両陣営ともにの同じ暴力肯定(コロナ統制とゼレンスキー・ウクライナ頑張れ)への世論迎合と相まって、私にもその危惧が共有されてきていると感じる。

 

この「対論」は、ロシアの侵略ではじまったウクライナでの戦争までは射程にはいっていないが、「暴力」の再評価、という視点を大きくだしているといえよう。

 

<我々を苦しめている空虚感や不全観は、親たちの世代が本土決戦に日和見を決め込んで延命し、擬制の「平和と繁栄」を謳歌してきたからではないのか。すでに全共闘運動は戦後民主主義/戦後平和主義/戦後啓蒙主義の三位一体を攻撃していた。こうした全共闘の戦後批判を徹底化し、異次元に飛躍させるものとして革命戦争論は提起されている。>

<アメリカでも西欧でも日本でも、「68年」の時点で群衆化が著しかったのは大学キャンパスだった。しかし資本主義の21世紀的な変貌の結果、階級社会の本丸としての労働者階級は解体、全社会的な規模で群衆化が進行し始めた。それは一方で2011年以降の国際連続蜂起をもたらしている。他方で群衆の政治的ロマン主義は、ナチズムに組織された過去を反復するように、今日ではトランピズムに代表される右翼ポピュリズムと新排外主義に動員されつつある。群衆の政治が機械原因論の呪縛を越えることができるかどうかも、「68」から持ち越されてきた課題といえる。>(笠井「反復と逸脱――「68年」から持ち越されたもの」)

 

私には、「本土決戦」というあり得た歴史の現実性と、赤軍派に行くような学生たちの現実化した暴力を同じ文脈で捉えてみせる思考にははっとさせられるが、そのままでは容認できない検討の余地を感じる。笠井は、「どんなわけで、日本にだけ“転向論”が生まれたのか?」と問うているが、それこそ、広義の意味で、天皇制があるからなのではないか。いまテレビで、スマホで簡単に転職できます、という宣伝が大量に流されているが、それでも、日本人の多くは、一度所属してしまった場所からの転属に、強いわだかまりを抱くだろう。だから、世間知のない若いヤンキー系の人ほど、それをふっきるように、ばっくれる、という行動にでる。がそれも、帰属しているところからの離脱に裏切っていくような圧力がかかって、負い目を感じさせられる現状があり、最近の言葉でいう「同調圧力」というその無意識的な制度性は、相も変わらずであろう、と私は講座派的に認識する。だから、その帰属先へと矛を向け返す、「本土決戦」から本土攻撃へのような転回は、地続きであるとするような、同じ文脈としては把握できないのではないか、と感じる。やはり、柄谷がマクベス論で示したように、言葉を使うインテリ環境に偏重された観念性の、主体を越えてやってしまうという関係の現実性の向きの方が強いだろうと認識する。どこか体育会系運動部の閉鎖関係からくる暴力性と類比的なところがあっても、運動部では、死ぬまで殴る、とは行きにくいだろう。こいつとは考えが違う、という前提が、そこではないだろう。あくまで、先輩後輩でも仲間のままなので、手加減が生じる。

 

*現今ウクライナは「本土決戦」をやっているが、硫黄島の戦いのようなマリウポリの防衛では、日本人のように玉砕はしなかった。この<投降と決戦続行>と、日本の<玉砕と決戦放棄>との対比で、どちらが「暴力」を貫徹し回避しているのかは、一概には把握できないということにならないだろうか?

 

しかし笠井・絓両氏とも、「そもそも自分たちのことを知識人とか」「思ってもいない」ということだ。私は『NAM総括』の感想で、組織創立のそもそもから、中心(柄谷、知識人)において分裂があって、それが金太郎飴の構造となって、どこを切っても「知識人と大衆」ともいうべき温度差が貫いており、そこの亀裂が拡大波及した、というもう「一つの見通し」(岡崎乾二郎)をあげた。それは言い換えれば、柄谷からの距離、イロニー、茶化しが「高幹部」となるべき人たちの間にあったこと、その一般参加者には知り得ない事態が根本の原因にあったのではないか、という示唆である。絓は、NAMの中堅幹部であったろうような私のような人物がいて柄谷(組織)は大変だったろう、と言ったそうだが、それに参加していたはずの自身は、どこにいたのか? その私への発言こそが、私のもう「一つの見通し」が正しいのではないかとの傍証を与えている。少なくとも、ネット・メールでの炎上を恐れることもなく、一般の会員とともにその間で言動返答していたのは、柄谷と岡崎氏だけだった。もちろん、この見立てには、いわゆる「知識人と大衆」という枠組みは破棄されており、その上で、他に言いようがないので、積極的に関わるプロジェクトの人≒知識人と傍観的な参加者≒大衆、という既存用語を使用したのである。柄谷も岡崎も、大衆とともにあることを厭わなかった。「知識人」ではないという絓は、どこにいたのか?

 

この「対論」でははっきりと言及しているとは言えないが、そもそも当時の柄谷の言論思想に、両氏には異議があった、と推定はできるだろう。とくには、最近になって、立場の違いが開いてきた、ということであるのかもしれない。柄谷が柳田を引用したり、9条を前面に出したり、戦後民主主義に依拠しているようにみえたり、災害ユートピアを喚起させる交換Dなどの概念を作ったり、という点であるかもしれない。しかし、絓も天皇制の問題など、「憲法を改正して天皇条項を破棄すればいいだけの話」というように、その改正を前提にするならば、9条を抽出してそこを擁護し押し出す、ということは、戦後憲法の成立事情に伴う天皇と9条はセット、という問題規制は実践的には意味をなさない。単に、実際的な改革順番の問題になるだけだ。柄谷自身は、天皇を肯定するとも発言していないだろう。朝日新聞に書評を書いていても、だから戦後民主主義の枠でいいのだ、とも言っていないだろう。言わない、ということは日和見ではあるが、実践的に必要な段取り戦術なのかもしれないではないか。また、柳田と交換D(災害ユートピア)の問題は、フロイトの理論仮説と関わってくるだろうが、絓は確か、フロイトの理論は「ほら話」だ、と説いていたと思う。私には、そうした認識のあり方に、柄谷に対する茶化し、同時に、かつて柄谷が、絓と渡部はなんであんなにも上機嫌なんだ、と批判していたところに伺える洞察がその「ほら」認識にも当てはまってくるのではないか、という気がしている。

 

柄谷は、『世界史の構造』でであったか、民主主義は封建制から生れる、というような認識を示し、職人の親方と資本主義の社長は違うんだ、みたいな文脈を導入していたと思う。活動なり政治運動のことなど全く知らない私がNAMに参加したのは、自分の病気を治癒していくに役立った著作活動をしてくれた人へ恩義を感じたからである。その人物がやるというのなら、「いざ鎌倉へ」と、私ははせ参じたのだ。このブログでも言及したが、大澤真幸氏が考察した鎌倉時代の天皇への謀反のあり方にこそ社会変革可能性の道筋があると私も感じる。戦後憲法の天皇条項を削除しても、広義の天皇制の問題はなくなりはしない。が、もう天皇の名によってごまかすことができないことによって、その問題がより露呈する。そのとき、それは否定すべきものであると同時に、生かすべき自分たちの素材であることが、はっきりするだろう。

 

9条は、切腹である。日本人は、これをもって、戦争する世界や人間と戦う、と決めたのではないか?

2022年12月24日土曜日

考える葦


人間は考える葦である、我思う故に我在り、とは、文字通りな意味でそうなんだな、と思う。すなわち人は、考えられなくなったら、死んでしまうのだ。ダンサーは体を動かすことで、絵描きは絵を描くことで、物書きは物を書くことで、考えている。踊れなくなる、描けなくなる、書けなくなることは、そのままで死に直結する。踊らなくとも、描けなくとも、書かなくとも生きていられて在るのなら、その人はダンサーでも絵描きでも物書きでもなかった、ということだ。そういう職についているかどうかは、関係がない。そしてそういう風に、人間は生きている。すなわち、考えている。どんな人間でも。そこには、なおジャンルとして定かでもなく、また世間に公認される必要もない仕草もあるだろう。しかしどんな人間でも、考えることをやめてしまうことは、死へと直結する。考えるゆえに我あり、なのだ。


朝は近所の公園で、近所のお年寄りたちと、ラジオ体操をやることからはじまる。体力や筋力を落とすと仕事にならないからと、早朝自主トレをやってたら、重なってしまった。しかしきちんとラジオ体操第二までやると、体がほぐれる。

ラジオ体操というと、その起源から、国家主義がどうの近代化がどうのと、教条主義的な話がでてきそうだが、もはやそんな起源を生きているわけでもない。集まるのは10人ほどの半分以上は女性で、体操の音楽が流れている間も、まだ若い奥さんが散歩させている子犬と戯れている。

私が野球をやってたということも知れて、近辺のソフトボール大会にも人が足りないとかりだされた。そのまま居住地区の、地域の発達障害者も交流する80歳すぎの牛乳屋さんが監督する年寄りアパッチ野球団みたいなチームにも入った。そのついでということなのか、もう若手がいないということで、市だか区のスポーツ推進委員とかにも、来春からなるそうだ。準公務員だそうである。ゲートボール大会時の設営とかだそうだ。防犯夜回り隊員にもなった。他に暇な人もいないだろうからと、言われたままやっている。この衰退していく国家の末端組織がさらにどうなっていくのか、違った線が出てきて蘇生していく道筋ができていくのか、興味もわく。

自主制作した植木屋開業のチラシのおそらく意図どおり、奥さん側から電話が入り、全てのお客さんがよろこんでくれて、来年もお願いしますと言ってくれた。「あの人仕事してないのかね?」とラジオ体操のおばあさんたちは噂していたが、たぶん、来年の秋口からは、さらに近所からのお客が増えて、それなりに忙しくなりそうだ。「初老」「都」「女房」などが戦術的なキーワードだった。そのチラシをわが女房にチェックしてもらったとき、そんな言葉はいらない、とか文句を言われたが、商売事務的な広告だったら今どきは詐欺かとも疑われるだろうから自己紹介的なアットホームな感じの方がいいのだ、と押し切った。内のかみさんがね、という刑事コロンボのノリと言おうか。家計を夫が仕切るマッチョな家庭からはアホかと思われても、そのチラシの文を面白く思ってくれるかかあ天下的なご家庭とは、金銭関係を超えた信頼が作りやすいだろう。商売や会社人間の価値に固まった人との間からは、希望へ導く可能性の隙間はないだろう。

ネクタイの意味がわからず、満員電車にも生理的に乗れなかった者の、隙間探しの延長だ。

まだ歩ける範囲でしかチラシ配りもしていないから、春が近くなったら、今度は自転車でいける範囲、そしてモノレール沿いを探索してこよう。

しかし手入れするような庭をもっているのは、みなお年寄り世代だ。アパート暮らしの人もいれば、若い世代の建売住宅みたいのには、トネリコみたいな木が一本植えてあったりするだけだ。そもそも庭手入れ自体の時期が、初夏と秋口から年末までの半年あまりでしかない。下請け産業にはかかわりたくはない。東京は新宿の前の職場に残っていたら、代々木の外苑前だかの再開発にかり出されることになるだろう。あのイチョウ並木が気持ちよい散歩道になるのは、ギンナンが落ちる前に、下請けの職人が木に登って、一つ一つ落として処理しているからである。私も登った。臭いが体にこびりつき、地下足袋はカビてきてしまう。私がとりあえずそんな産業から解放されても、時代が止まったままの発想はそのままだ。その再開発に反対する人も、現存の快適さがどう維持されているかは考慮しない。誰が嫌なおもいをしてその快適さを作っているのか。もちろん、土建会社の社長たちは、稼ぎ場所だと暗躍しているのだろう。

だから未来へ向けて、違った切り口から、隙間をこじ開けなくてはならない。おそらく時期をみて、自分の電子出版物を利用した仕掛けを作るだろう。また、生活クラブ関連の映画観賞の会合でも、参加を続けて欲しいと声をかけられている。年頃のお子さん抱えた奥さんなどは、やはり深刻だ。いや私だって、息子がなお社会人としての特訓がはじまったばかりなのだから、たぶん深刻な事態なのだ。国の治安を守る先生からは「進退」のことを示唆されたらしい。息子は、ワールドカップのサッカー試合が見られないのに文句を言ったんではないだろうか。冬休みになり今日にも帰ってくるはずだが、中学時代の友達五・六人を引き連れてこの千葉に帰宅するそうだ。友人たちはみな学生だから、今どきの学生が何を考えさせられているものなのかも、様子を探ってみよう。


現金稼ぐ仕事としては暇だが、自分の作業はもう時間がない。おそらく人は一つの時間、歴史しか生きられないから、もう自分の枠を突き詰めていくしかない。いま既に盲目の最中に巻き込まれているとしても、それを受け止める子供の感性が衰弱しているだろうし、それを洞察していく体力も時間もないだろう。だからなんとか、自分が受け取ったかぎりのバトンに、自分が生きた時代への考察を刻みこんで、次の時代、歴史にわたしていける仕事をしたいものだ。

2022年12月17日土曜日

引用;秋山清著『昼夜なく アナキスト詩人の青春』(筑摩書房 1986年)

 


『昼夜なく アナキスト詩人の青春』より「下落合、上高田」

 

<ことのついでに、その頃親しみを持っていた乞食村の人々のことを、ここで少し語ってみよう。ちょうどいい機会だし、彼らについて何かを語る人は、めったにあるまいから。

 上落合の火葬場に近い、北向きの崖の中途に彼らの集団があった。

 私が山羊と共に住んでいたのは、東洋ファイバーKKという堅紙工場と墓地との間の五百坪の空地、そこを所有しているのは万昌院という寺で、吉良上野介や大岡越前などの墓があり、賤ヶ岳の七本槍の一人糟谷裕典や水野重(十)郎佐衛門や歌川豊国などの墓石もあった。友だちが遊びに来ると、よく垣根を越えてそこに案内したものだった。その墓地の向うで、北側が急な崖になってるあたり、小径の両側に沿って小さい家が十六、七軒あった。

 毎日のように夕方から出て歩く私は、自転車でない日は、墓地裏の彼らの住宅の中を通って崖の上に出ることにしていた。夜もそこを通る人は全くなかったが、私は上り下りするので、いつしか顔なじみになり、その中央のあたりに据えられた木の風呂に「まだ誰もはいってはいないから」といってよく誘われた。けぎらいしたのではなかったが、こっちは元気な身体、彼らの仲間は故障の人が多く気の毒で、一番風呂を誘われても、とうとう行かなかった。

 ついでに言えば、ここの人々は落合の火葬場の乞食権(そんな言葉があるかないか)を自分たちのモノにして、そこの入口の左右に女や子どもが毎日並んで、出る人、入る人に、例の「戴かせてやって下さいまーし」と連呼していた。私など多少の顔見知りが通っても、まるで見知らぬ人のようにしていた。これもついでに言って置けば、有楽町や当時はまだ在った数寄屋橋の袂や銀座通のデパートの松屋の前にも彼らは出ばっていたが、目が合ったとてけっして知っている人らしくは振舞わなかった。さすがという他はない。集落の下まで松葉杖をついてヨタヨタ来た男が、崖のすぐ下から、いきなりそれを肩にかついでさっと上へ行くことなどにも、いつの間にか驚かなくなった。つづめていえば、仲よしになったということであろう。さすがにその集落には電灯はついていなかった。

 夜更けてその道を上ってゆくと、小屋同士大きい声で、話していたこともあった。

 私の「山羊飼育」は一九三四年(昭和九)の三月から三年間に及んだが、思い出して語るとなれば、自分だけの記憶に於て数かずのことが温存されている。総じて苦しいこと楽しいことで一ぱいだ。中でもこの集落の連中とのその奇妙な往来は、語ればきりがない。わが家に届け物に来る十六、七の近所の米屋の小僧さんがいた。曰く、「あの集落の連中は皆特等か一等米です。二等なんか届けたら叱られますよ。金持ちですからね」

 一寸しゃれた話だ。その乞食さんたちに米代を借りに行ったこともあったのだから、ぼくにもなかなかしゃれたところがある。夜になってから集落の中の小径を行き帰りしても、文句を言われなかったのだから。小屋の中から「乳屋の兄さんネ」といわれて「そうだよ」といって通った。

 その集落に大きなバクチが立つという話も時々きいたが、これがそうなのか、ということにはたった一度だけ出遭ったと思う。

 北は立木のある崖でその下は「バッケの原」という湿地、西は私の家と五百坪ほどの畑と山羊の場所、その次が墓地、その東が彼ら一党の巣。ある日、外から自分の家の木戸をはいろうとすると、集落の者がいそいで来て何やらいった、と「すみません」と崖の上に行ってしまった。墓地の中にも、僕の家との境にも、彼らの小屋のまわりにも、見かけぬ者どもがいて、人を寄せつけまいとしていた。

 日暮れが近くなって、東中野駅へゆく途中の、早稲田通りの交番の巡査が来て、「今日、何か気がつかなかったか」といった。そして、「今日大きなバクチがあったそうだ」といった。

 たまにそういうことがあるというのである。その時は、集落を中心として四方八方に、そして遠く見張りが立つ。やがてその見張りはいなくなるという。事の真偽はともかく、私は一度だけそんな経験をした。

 山羊をやめて近くに引っ越したのは一九三七年(昭和十二)の夏のはじめだった。私は詩をかくことがあり、乞食村、火葬場、バッケの原(これらは落合、上高田にわたり、その中心に当たるところに彼らの集落がある、ともいえる)、そして上高田をよく歩き、このあたりを(風景詩という意味ではなく)詩にかいてやろうという気になった。ある日、火葬場に座っている女と子どもたちを描いてから、そう思いたった。そのあたりの眺めとともに、そこに居る人間たちの少しちがった風景を、と思い立ったのである。

 

 門の両側にすわって

 年よった女 膝から下のない男 子供。

 みんな汚れてくろい顔だ。

 あごひげを垂らしたのもいる。

 雨が南風にあおられてパラパラ落ち

 煙突から煙が突きおとされるように散っている。

 電気ガマのモーターがごうごうと渦まく。

 門のなかは玉砂利の広場に自動車が充満し

 控所は紋つきの女やフロックや羽織袴や。

 東京市淀橋区上落合二丁目落合火葬場。

 出入する自動車目がけて

 彼らはうたうように呼びかける。

 ――供養にいただかせてやって下さいまーし。

 自動車が通りすぎると 私語し ほがらかにわらい

 口汚く子どもをののしり

 菓子をほおばる。

 型のごとき蓬頭襤褸のなかに

 炯々とひかる目をもち

 たくましく健康でさえある。

早春(一九三六年>

…(略)…

<いい忘れたが、数軒の寺、火葬場、豚飼いの屋敷跡、私のいた崖の外れの山羊小屋、それにこの諸君を加えて、何か歴史の時代にふさわしいハナシが書き残されそうな気さえする。今そこには寺と火葬場を残して、何もなくなった。湿地のバッケの原もいつしか、平屋建ての都営住宅となっている。また、あの北向きの崖のあたりには十階建てくらいのマンションというやつが背くらべをしている。>

2022年12月6日火曜日

大澤真幸著『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』(朝日新書)を読む

 


理論的な考察を、具体的な実践での方向へと思考実験してくれる、これまでのインテリではきわめて稀な作業提示に思う。これまでは、具体性を敢えて見えないように捨象した抽象論か、逆に抽象論からの道筋からは飛躍的におもえる社会事象論を説いていくような日本知識人の態度が大半だったとおもう。

 あるいは、NAM挫折後、佐藤優氏のように、はじめからパフォーマティブな言論の構えで実践的な世界と関わっていくような態度となった。

 

が、大澤氏は、一般の知的大衆にもわかりやすいように、理論考察と実践知との結びつき、いわば手品の種明かしをみせながらのように論を作っていく、のは、おそらくその態度自体に、これまでの知識人への批判的実践が潜まれているのだろう。

 ※

大澤氏の論理手順は、どのテーマ(現歴史的事象)にあっても、(1)現状認識とその分析、(2)そこから導き出すリアリズム的実行解、(3)それを乗り越えていくべき「ほんとうの意味」=方向の在り方の提示、というものであるようにみえる。

 

私は、(1)の段階には、同調とともに、だいぶ啓発された。ただし、プーチンのロシア現状においては、私の文学的な想像力においての認識とは異にする所がある。(3)についても、共感する。が、(3)へと成りゆかせるための(2)の現実実行解において、大澤氏とは違う見解をもち、また論理的に矛盾を抱え込んでいる箇所があるのではないかと、指摘する。

 

*     実行・実践といっても、様々というか、いくつかの位相があるだろう。一番身近な実践は、まさに自身の具体的な現場での話になるから、試行錯誤でもあるし、言ってはいけない次元のものもでてくる。だからそこは私は言わないが、ここでは、あくまで、国民大衆がどうするか、という、大枠仮想での実行・実践解、という話の位相である。

 

まず(1)。私が一番はっとさせられたのは、次の記述。

 <戦争は一般に、いかにも崇高そうな理念や大義をかかげて遂行される。が、そうした理念や大義は、たいてい、もっとも現実主義的な目的を覆い隠す「口実」や「アリバイ」でしかない。侵略相手国にある地下資源(たとえば石油)が大きな富をもたらしうるとか、その国を軍事的な拠点とすることが戦略上、きわめて有利になるとか、といった現実主義的で、利己的な理由が戦争にはある。だが、それを公言するわけにはいかないので、戦争遂行者たちは理念主義を標榜してきた。従来、戦争とはこういうものであった。

 だが、ロシアのウクライナへの侵攻に関しては、現実主義と理念主義との関係が、逆転している。戦争へと駆り立てている真の動機は、述べてきたように「文明」に関連した理念主義的なものである。しかし、それを覆い隠すように、NATO云々といったような現実主義的な目的が公言されているのだ。>(「1章 ロシアのウクライナ侵攻」)

 

しかし、この「逆転」を正確に認識するがゆえに、大澤氏の現状説明は、陰謀説に近接する。世のいわゆる陰暴論も、資本主義(資源獲得だのの)がどうのという現実が問題(犯人)なのではなくて、資本家(金持ち階級)が仕掛けてくる「文明」支配の悪だくみが本当の問題(犯人)なのだとしているからである。そしてその支配のやり方は、社会主義的な中国並みのテクノロジーを使った管理統制だ、とする。となると、そこも、アメリカ資本主義自体が、中国の権威主義的資本主義に成っていくのだと認識する、「2章 中国と権威主義的資本主義」もまた、陰謀説に近づいていることになる。違うのは、資本家を、システム構造からくる仮像とみるか、実体(人格)としてみるかという、マルクスが指摘していたような一般的な錯誤を把握しているかどうかの違いでしかなくなる。

 

ジジェクは、コロナ禍での論考において、もし陰謀説が本当なら、それは資本家が資本主義の問題点をマルクス主義から学んだからだ、というような記述をしていた。私は唖然とした。資本主義がやばいのでは、と認識するのに、あるいは単に感ずるのに、マルクスなど読まなくても、誰でも、わかるだろう、感じざるを得ないだろう、ずいぶんと頭でっかちなインテリなんだな、とおもった。この点も、大澤氏は、正確にと私には思われる認識を示してくれる。

 

<基底部にある不安は、資本主義そのものが持続可能なのか、ということへの懐疑である。今日、多くの人々が、資本主義が永続できる、ということに関して確信を持てずにいる。富裕層にしても同じである。資本主義は死につつあるのではないか、という不安が広く分け持たれているのだ。

 このような不安が浸透し、蔓延しているということを示す証拠はたくさんある。あまりにもあからさまな証拠は、国連が掲げているSDGs(持続可能な開発目標)である。なぜ、わざわざ「持続可能」ということが目標とされなくてはならないのか。誰もが、普通にこのままシステムを運営していけば、持続できないこと、破局に至ることを知っているからだ。>(「2章 中国と権威主義的資本主義」)

 

ともかく、問題は、資本主義のメカニズムからくる。<プーチンの究極の「敗因」は、戦いを、階級闘争として実行できなかったことに、つまりきわめて暴力的な文明の衝突としてしか実行できなかったことにある。>――私は、ここに、もっと深刻な認識、というか、文学的な想像力を介在させる。

 

比喩的にいえば、プーチンが、三島由紀夫みたいに、追い込まれていた(?)らどうなるのか? 三島は、切腹した。つまり、自らの命を無理やり日本人に贈与してみせることで、柄谷風に言えば、交換Cとは違う交換Aの存在を喚起させることで、その彼の死後生きる我々に、本当のことを考えろ、真剣に考えてみろ、とたじろがせるような負債感情というか、いったい何故腹なんか切ったんだという謎かけ、敗戦後に成長しはじめた思考を停止させてしまうような衝撃を与えた。

 

これと同じ覚悟を、プーチンが持っていたらどうなるのか? どちらも、若い頃のひ弱な体を無理やりマッチョに鍛えたりして、似ているし。

 

つまり、プーチンが、無意識化において、次のような思考に追い立てられているとしたらどうなのか? 人類よ、本当に、真剣に考えてくれ、地球環境以前に、人間の尊厳とは何なのか? 西洋が作った文明が本当に善であったのか、立ち止まって反省してくれ。もう一分待つ。もう待てん。あなたがたに、真剣に考えてもらうために、私はわがウクライナとモスクワを西洋文明の核によって自爆する。ロシアは、命をささげる! 人類は、わがロシアの命を無駄にするか? 考えてくれ! ほんとうに、考えてくれ!

 

だとしたら、呑気なことを言ってられない。手順としては、まずゼレンスキーをふざけんな!と叱咤して停戦させて、その上で、みなでプーチンのところへ押しかけて、俺たちがおまえのところになんで来ているのかわかってるよな、と吊るしあげながら、トッドの政治的リアリズム風の認識甘言も加味してなだめもし、とにかく現状停戦させて、時間をかけて実行解をまとめていく、というものだ。

 

大澤氏は、まずウクライナへの全面支援を説く。その上で、「ほんとうの意味」での解決のためには、「ロシア人が、まさにそのヨーロッパの最良の部分を代表する理念を、ヨーロッパ人以上に忠実に実行して」いくことが大事になる、と。

 

今までの現状では、即座に停戦とはなりようがないだろう。タイミングがなければ、それを作らなければ、話し合いははじまらない。ウクライナがヘルソン州の東岸部の一部をもとりかえし、ロシアが劣勢になって小康状態になった時点で、現状容認から示談、という線を示さなければ、戦争は長引くだけだろうし、もしロシアをウクライナ外へ全面追い出してからなら、むしろ話し合いの契機などなくなり、それこそ、核戦争に行くのではないか、と私は懸念する。

 

大澤氏は、以上のような論理段階を経るわけだが、中国・台湾をめぐる情勢をめぐっても、思考の内実は同様だろう。日本は、アメリカが所持する理念の側に立たなくてはならないし、ゆえに、将来ほぼ確実な中国の台湾進攻に対しては、ウクライナへと同様、軍事支援をしなくてはならない、その上で、「ほんとうの意味」での解決のために、アメリカに追随するに終わるだけでなく、資本主義そのものを超克していくことを目指さなくてはならない、と。

 

が、このアジアの件に関し、大澤氏が問うていないことがある。それは、台湾市民の意見である。ウクライナの人々は、選挙世論等で、はっきりと西側の方がいい、と態度表明した、ということが認識され、前提とされうるからその実行解でいいかもしれない。が、台湾の人々は、ゼレンスキー・ウクライナのように、領土防衛のために武器を持って戦うことを是としているのかどうか、大澤氏は問題としていない。台湾の人々の多くが、戦争するくらいだったら、中国に従属してもかまわない、と思っていたら、大澤氏の(2)現実実行解は、前提認識から崩れるのではないか?

 

最近の、台湾における、全国知事選挙なのか、の結果は、西側よりの現政権側より、中国よりの野党側が勝利した、という話になっていると思う。私としても、一般的にいって、アジア人は、あんまり領土のために、だか、国土のために、だか、わざわざ戦うことを好まないのではないか? 西側とは、主体、ひろくは主権の内面的あり方が、やはり違うのではないだろうか? たとえアジアの人々も、自由や平等といった理念に共感しそれを望むとしても、それを手に入れるための手続き、つまり(2)の現実実行解は、変わってくるのではないだろうか?

 

それを間近に、自身のこととして考えてみる思考実験として、「5章 日本国憲法の特質――私たちが憲法を変えられない理由」があるだろう。

 

私は、(1)の現状認識の仮定として、台湾の人々は、戦争を望んでいない、と認識してみる。すれば、(2)の現実実行解として、自衛隊は、中国の台湾侵攻があった場合でも、軍隊として関与しない。軍事的には、台湾を見捨てる、となる。そして(3)の「ほんとうの意味」方向として、世界大戦を実行しようとする中国はじめアメリカとうの世界に対し、不戦の戦いを宣言する。つまり、日本は、世界から孤立しても、もう一度、世界と戦う!

 

大澤氏は、<律儀に九条の理念を実行に移すこと>と言うが、それでは、ウクライナと台湾に軍事支援する、というリアリズム実行解と、まっこうから矛盾してしまうのではないだろうか? その本当の意味へと到達するために軍事実行する、との具体段階に、律儀に実行、という「本当」を繋げることができるのか?

 

私は、こう問うてみる。

 

現代までを生きている、日本人の、誇りとは何か?

 

一つ、負けを覚悟でも、強い相手と戦い、世界大戦を挑んだこと。

二つ、もう、戦争はしない、と誓ったこと。たとえ、押し付け9条だろうが、解釈かえてそれを骨抜きにしようが、その形を守り抜いてきたこと。

 

この、戦うことと戦わないことは矛盾しているが、もう一度世界大戦を不戦の覚悟で挑む、とするならば、矛盾でもなんでもない。私たちの、日本人の誇りに合致することである。

 

大澤氏は、真の愛国者が、普遍主義者、コスモポリタンになるのだ、そうでなければ、説得力をもたない、と説く。が、大澤氏はともかく、誰かに刺された宮台真司氏は、そうした愛国者だったろうか? 少なくとも、外的な言動はそうは思えない。かつて、浅田彰氏が日本人を「土民」と呼んだように、「愚民」と言ってはばからない。だから、右からも左からもうらまれているだろう。大澤氏が言うように、<しかし、どうして暴力が噴出したのか。人は一般に、言葉では説明できないことを求めているとき、暴力に訴える。言葉で表現されているすべてのことに違和感があるとき、人は、暴力によってその違和感を表現するしかない。「それじゃないんだ」と思いつつ、それではないものが何であるかを言語化できないとき、暴力でその不定の欲望を表出することになるのだ。>(「4章 アメリカの変質」)

 

宮台氏を刺した何者かが、映画『ジョーカー』に触発されるような、渋谷をたむろする若者のような大衆たちではないだろう。まず彼の話をきき、理解していなければならないのだから、知的大衆だ。しかし、そこも、言語化できない違和感が暴力として噴出せざるをえない自然過程に呑み込まれているのかもしれない。宮台氏が、ネット番組の「ニコ生深読み」で、ワールドカップ・サッカー日本対ドイツ戦の直前、この著作をめぐって大澤氏らと会談し、その後、刺傷したというのは皮肉なことだ。それは、宮台氏に、なお言語化が不十分だったこと、どこかずれているところがあったことを通知しているからだ。

 

※ 私は、サッカー・ワールドカップのベスト4をかけて、日本と韓国が対戦したらどうなるのだろう? と考えていた。日本人として、どうこの複雑になる心境を整理し、両国のよりよい関係を築いていく論理を導いていったらいいのだろう、と考えていた。実際に試合観戦しながらの、臨場感、情動の最中で、論理の説得性を吟味できたら、と。

 残念ながら、日本は負けてしまった。おそらく、これ以上の勝利には、選手ではなく指導層、大きくはサッカーを日本の国技みたいにできるのか、というところまでいくのだろう。アメフトだのバスケだの色々あるアメリカが、サッカーでも欲を実現するなんて、本気では思えないだろう。

 しかし、私は、今の戦争状況がなかったら、深夜に起きてサッカー観戦をするまでには、いたらなかっただろう。いったいいま、世界で何が起きているのか、を知るために、ワールドカップを見ているのである。

 それは、まだ、終わっていない。眠い。興奮したからか、眠れなかった。優勝は、フランスかなあ。ライオンやチーターが戦っているみたいだ。

 

2022年11月26日土曜日

渡邊英理著『中上健次論』(インスクリプト)を読む


 「中上文学を(再)開発文学の視座から捉え」る、と本の帯にあるので、社会学的な知見を応用させた主題読解論的な評論なのかと思った。が、夢分析していくような緻密な思考軌跡に裏付けられたテクスト読解だった。しかも、言葉遊びに放恣していくのではなく、そこに社会学的な論実もが適格に挿入されて、説得力を増幅していく。

 が、ジャーナリズムや学問世界で生活しているわけでもない私が、よいしょと挨拶していてもしょうがないだろう。以下、気の付いた批判を記述していく。

※

 

渡邊氏は、これまでの父-子に集約されていくような中上読解から、それを兄たち―動物たち(熊や鳥)―雑草へ、とイメージ連鎖を展開していく。その創発的な想像力を学究として説得性をもたせるために、レヴィストロースの人類学を介在させ、そこから、いわゆる現今のリベラル政治を支援させていくような文学思想的な知見を重ね合わせる。

 

<中上健次の小説(テクスト)は、規範的な近代家族のそれとは異なるクィア家族の親族関係を繰り返し描いた。「このテクストでは、親族関係の語彙は、目眩を起こさせるような多義性、多価性のなかで、その規範化能力を失いはじめているようだ」。乱反射する多義性、多価性は、親族関係の非首尾一貫性と非整合性をあらわとする。このような親族関係の攪乱は、単に安全地帯にあるフィクションという机上の空論としてのみ思考されている訳ではないだろう。「むしろ親族関係が確固不抜のものではなく、可鍛的なものであることを読み解く」文学は、「現代社会で進行している拡大家族や、シングルマザー、養子縁組、ゲイが親となること、国境を越える移動に伴う複層的家族構成などを、単に社会現象としてだけではなく、理論的・文学的に説明し、それらに社会的で心的な生存可能性の根拠を与えるものとなりえる」。その非規範的な家族や親族をめぐる理論的・文学的な説明は、「家族の位置が明瞭ではなく」「親族関係が、もろくて、多孔的で、拡張的な時代」である今日、より一層かけがえのない非規範的な家族や親族の生存可能性をめぐる根拠を提供するだろう。>(第四章「被差別の人類学、賎者の精神分析」 引用中の「」の文は、竹村和子著『アンティゴネーの主張』 青土社)

 

ここには、二重の疑問符がつく。

 

まず第一に、文学が、生存のための根拠になりうるのか? ということ。指針にはなるだろう。が、理論であれ、思想であれ、それが提示しえるのは仮説である。宗教(信仰)とは、その物語・文学的根拠の仮構それ自体をも、無根拠に信じることからはじめられる。聖書の創世記が示すものも根拠であるが、それ自体を信じるところからはじめられるのが信仰生活であろう。理論や文学が根拠になりえると信じるとは、それと同義になるのだから、実は無根拠だと言っているのと、同じにならないのか?

 

しかしとりあえず理性ある現今の人間の営みとして、知見の根拠となるのは、科学である。ゆえに、この引用の前段階に、レヴィストロースの人類学が措定されているのだ。

 

が、この人文科学的な知見は、現在、エマニュエル・トッドの「家族人類学」によって揺るがされている。相当な実証的論理によって、科学的な反措定が提出されているのだ。

 

そのトッドの人類学からみれば、中上が「母系制」と把握していた家族のあり様が、実は、文明化以前の周辺地帯に残存する核家族の惨状なのだ。ヨーロッパのリベラルと現今では一括される民主主義の理想が、文明以前的な原始社会の名残なのである。

 

日本において、核家族を圧制する父権的な共同体家族の浸食は、京都の天皇政治からきているのではなかった。天皇家が父権的になり長子相続になったのは、明治以降である。日本では、それは東国の武家社会からくる。鎌倉時代からといわれ、モンゴルとの戦いの影響も指摘される。熊野へ侵出と神話される「古事記」での神武東征では、そもそも神武天皇自身が4男末子相続的なのだから、核家族を示唆しているだろう。

 

中上の作品で、その東国からの影響は、まず戦国時代の織田信長(武家)と戦ったとされる浜村孫一の伝説と、浄土真宗ということになる。トッドによれば、この宗教が、ヨーロッパでのプロテスタントにあたり、共同体家族への前段階としての、長子相続的な直径家族的思想をもつ。しかし中上の作品から伺われるのは、戦後の高度成長を経たあとの社会にあっても、路地の世界は未分化的な核家族状態だということだ。

※参照;ダンス&パンセ: エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2) (danpance.blogspot.com) 

 

ならば、戦後の当時にあって、孫一伝説のような神話作用ではなく、具体的な文明の、直系家族的な浸食はどこから来ていると描写されているか?

 

それは、「枯木灘」において、秋幸が殺した義弟の秀雄とその仲間たちが作る暴走族という集団になる。

 

<現場へもどろうと、一人美智子のアパートの前へ来た。ダンプカーを三方から取り囲むように十五台ほどのオートバイが置いてあるのを知った。秋幸は舌打ちした。一台を足で蹴った。秀雄の仲間がこんなことをやるのだと思った。そう思いむかっ腹が立ち、ダンプカーの運転台のそばにある骸骨のシールを貼った一台を蹴り飛ばした。>

<路地の美恵の家にもどる前に、盆踊りを見に寄ろうと三人で、路地が小高い山に沿ってのびて切れたところにある空地に向かった。その空地は駅からの通りに面していた。ヘルメットをかぶった警察官がいた。骸骨の絵のワッペンを一様に貼ったオートバイが十五、六台、空地に接した通りに置いてあった。>

 

この「骸骨のシール」「骸骨の絵のワッペン」とは、おそらく、関東の暴走族のシンボルである。「スペクター」という。1975年ころが最盛期と言われ、数千台規模の、全国で一番の数を誇った、自然発生的に増殖した暴走族のグループだ。今でもその支流は続いているといわれる。一度、解散寸前の5人までになった。残ったメンバーは、東京は新宿区の職人街育ちの青年たちだった。私の植木職の親方が、その内の一人で、「スペクター」三代目総長となったいまはとび職の親方となっている同級生とともに番長の一人となっていた。任侠もののDVD暴走族シリーズ「スペクター」で、その再起動と動乱の様を伺うことが出来る。また私も一緒に仕事をしたことのある元総長は、たまにテレビにも出演している。

 

「枯木灘」での徹、秋幸と同じ職場の同僚は、この路地の家族のあり様を「かかあ天下」と形容した。この言葉は、とくには関東は上州(群馬)の女性との関係において言われたものだが、これを、「母系制」なりそこからの拡張含意で「クィア家族」と敷衍していくのには、少なくともトッドの科学知見からすれば、早とちりとなるだろう。トッドからすれば、「母系制」なるものがそもそも、父権的な文明浸食への反動形成であり、事後的なものである。ヨーロッパでの「魔女狩り」が、いわば「かかあ天下」においてこそ発生したものだという分析もある。自伝的にも、中上は母親からの教育熱心に支援されてきたわけだが、その事態も、文学思想理論よりも、トッドの歴史考証からの方が説得力を感じる。

※参照;ダンス&パンセ: 屑屋再考案3――トッド・ノート(7) (danpance.blogspot.com)

 

私はこの自身のブログでも、私が30年働いてきた植木職場の家族・人間関係のことをところどころで描写してきたが、21世紀のいまもっても、東京の都心部に、中上的な路地の家族世界の残存が濃厚なのだ。(そこ、私の職場であった植木屋は、檀一雄が居住していた「なめくじ横丁」の三軒隣りであり、近所の皇族の遺体を火葬するに指定されている火葬場の崖斜面は、墓堀りや墓場からでる残留物を独占した「乞食」と呼ばれる人が高度成長期まで暮らしていた。おそらく部落である。地元民はそこを「乞食山」、林芙美子は作中「乞食部落」と呼んでいるが、アナーキスト詩人の秋山清はその居住者たちと交流をもって、エッセーに残している。『昼夜なく―アナーキスト詩人の青春―』筑摩書房。1960年代であるか、11階建ての団地2号に開発されて、私と女房・子供の家族三人は、息子の小学2くらいの時そこに引っ越し、高2の受験をむかえるまで、1号棟の6階で暮らしていた。そこに移ると決まった際には、「え、乞食山に住むの?!」と、地元の職人たちからたまげられた。親方が言うには、もう火葬場の一番強暴な連中はひとりもいない、という話であった。いま、古くなった団地の再開発が問題になっている。)

 

となれば、安易に家族の進化に希望を、あるいは理論的な根拠の前提となる経験的資料をモデル視、理念化するわけにはいかないだろう。トッドがウクライナでの戦争の様を家族人類学的にみていうように、猿から人への葛藤が、始原の核家族価値と文明の共同体家族価値との葛藤の続きが露呈しているということかもしれないのである。

 

(トッドの帰納主義的な理論と、レヴィストロースの演繹的な理論における、理論それ自体にある思考の型問題自体を、柄谷行人の「トランスクリティーク」などから再検討もできるが、ここではそう指摘だけ。)

 

ならば、この科学上でてきた反措定に、どう対応すべきか?

 

渡邊氏は、最終的に「雑草」というイメージ連鎖にたどりついた。しかしもちろん、「雑草」という大区切りの呼び名は近代においてであって、それ以前から、ひとつひとつが名前をつけられている。しかし重要なのは、もともと固有名をもっているよ、ということではない。むしろ、無名であるからこそ、名前をもつような固有性がある、ということなのだ。その思考過程の現実性を提起する論考に、フッサールの現象学と圏論のような数学の先端とを結びつけて、レヴィナスの他者論と結びつけた西郷甲矢人・田口茂著『<現実>とは何か 数学・哲学からはじまる世界像の転換』(筑摩選書)がある。いわば、「雑草」を社会学的な外への知見に重ね合わせるのではなく、その内側から、雑草(無名戦士)という交換可能な存在様態であるからこそ名前が、他者の顔という固有名性が担保されるのだというような回路がありうるのだ(BCCKS / ブックス - 『人を喰う話 2 『進撃の巨人』論』菅原 正樹著 参照)。

 

それは、インテリという著名な言論世界ではなく、インフルエンサーという、素人の、無名的な世界にこそ知の普遍的な在り方があるかもしれない、という、現今のネット上での試行錯誤と私は重なっていると思っている。近代的な大量とは別次元の大量(大衆)の模索。

 

しかし、渡邊氏も、暗黙にはそうした現勢に気付いているだろう。なぜなら、上の事態の科学的論拠とは、西郷・田口氏もそうだが、量子力学なのである。

 

<それは、路地で「凶事が起り、それが続けば、「これは何が悪いのか」と問われるように、原因があって結果がある、一定の「法則」に基づいて一定の結果を得られるニュートン力学的な考え方であり、リアリズムの文法であり物語の権能だと言える。それに対して縁起は…(略)…従来の物理学の「一般法則」があてはまらない揺らぎをはらんだ量子力学の考え方に似る。「縁」による離合集散は、人間にかぎるものではない。人間と人間ならざる者を含む多様な要素が切れながらつながることで構成される偶有的で潜勢力に満ちた世界。>(第八章「生命の縁起、脱人間/人文主義」)


(私が量子力学に関心をもったのは、この渡邊氏の著作では言及されてはいない、河中郁男著『中上健次論』の三部作からである―ダンス&パンセ: 河中郁男著『中上健次論』(鳥影社)と。 (danpance.blogspot.com)。―

そこで説かれる「観点」という概念が、量子力学からきているのでは、と勉強を開始したのだ。) 


しかし……たとえば、いま、プーチンとの交渉で、その縁起、科学的に「量子もつれ」なる事実で戦争をやめるよう説得するとはどういうことなのか? ほとんど、目を合わせて、テレパシーを待つようなことにしかならないだろう。現今の科学現状では、量子論の詰めでは、論理の飛躍があって、神秘主義、スピリチュアリズムになってしまうだろう。いまだに、カントが、スウェーデンボルグを認めながらそれを退けねばならないというような事態が続いている。形而上学の復権として、至上命題をプーチンに説くことが現実的なのか?

 

やはり、今の段階では、トッドが示唆するように、おまえ(プーチン)は共同体家族の育ちだからそう権威的になるのはわかるよ、それはこっちがまだ核家族の個人主義的な自由主義観でものを言ってしまうのがしょうがない、というのと同じだよな。だからさあ、そこらへんはお互い理解して、なんとか戦争を早期終結に向ける話し合いをしようじゃないか、と、説得していくほうが、話になるのではないだろうか?

 

私には、現今の科学が示す反措定は、そのように指示しているように思える。

2022年11月7日月曜日

真理とは何か?

 


遺伝子は本当にらせん構造なのか?

とは、最近電子出版形式でまとめてみた論考(「陰謀論者はお客様」)で、アインシュタインに似せて言ってみた問いである。アインシュタインは、観測して始めて物質として見えてくる量子現実に、ならば、月は見てない時は実在していないのか? と問いかけたのだった。まだ私たちにはわからないことがあるから、そう観測されるだけではないか、と。

 で、最近の分子生物学では、遺伝子とされてきたDNAのらせん構造をそう実在する(定在させる)とする見方が科学発見的に揺らぎ始めているようなのである。

 BLUEBACKSシリーズの『遺伝子とは何か? 現代生命科学の新たな謎』(中屋敷均著)の帯には、<「遺伝子はDNA」が揺らぎ始めた! エピジェネティックス、RNAワールドなどの最新研究からみえてきた新しい生命像とは――?>とある。

 文中の作者の比喩を援用するならば、「電話とは何か?」と問うて、受話器のことか、ならばケーブルは? いや電波の基地局は? 交換局は? いや機械を使って人と人とが話すことなのか? ……と、定義自体を見直していかないと、わけがわからない事態になってきている、ということらしい。

 DNAからRNAからタンパク質製造へ、というセントラル・ドグマとされる理解も揺らいできて、その逆コースも事実らしいことがわかってきた。とその知見から、現今のコロナ新型mRNAワクチンも、そのエピジェネティックな遺伝子改変が遺伝していく可能性が指摘されていたわけだが、陰暴論として退けられてきた。しかし新ワクチンを推奨しているウィキペディアの「ヌクレオシド修飾メッセンジャーRNA」というページでも、セントラルドクマの方向で辻褄あわせていこうとする箇所、<さらに、遺伝情報は細胞核にDNA(RNAではなく)として存在し、modRNA(化学修飾されたRNA―引用者註)は細胞核に入ることはない。>という記述には、根拠となる科学論文を提示してください、と「要出典」の註がつけられている。

 

が、そこで私が問いたいのは、その新型コロナウィルスのスパイク・タンパク質の人体内での増殖スピードが、その自然速度では実用化にはならないので、化学修飾したら増殖スピードがあがって実用化の目処がたった、それがブレークスルーのポイントになった、という開発者の伝記的記述をスマホのニュース記事で目にして、その学者の発想はおかしいだろう、ということだった。科学者なら、問うべきなのは、なんで自然ではそのスピードなのか、ということではないのか? なんで、早くする、という合目的性がいきなりでてくるんだ? もちろんそれは、真理を探究する科学者ではなく、人間社会で今使えるものを開発するのが役割である産業技術者、だからだろう。

 

ならば、いやだから、そもそも、新ワクチンは科学の産物じゃない。真理とは、関係ないのじゃないのか?

 私の素人な知見では、いま科学の現状は、量子論延長の物性物理や上の生物学まで、これまでで自明化・単純化された見方・構造を、また複雑に解きほぐして見ていこうとしているように見える。形や構造を決める境界が揺らいでいるというより、そう内と外を想定して理解しようとする見方自体を自然が告発してきているのだ。(昨夜のNHKの特集番組『超・進化論』「(1)植物からのメッセージ」での植物界での生態上の新知見などもそうであろう。)

 

が、現今の、人文知的な、世界認識はどうか?

 

エマニュエル・トッドの最近作から引用すると、――<現在、強力なイデオロギー的言説が飛び交っています。西洋諸国は、全体主義的で反民主主義的だとしてロシアと中国を非難しています。他方、ロシアと中国は、同性婚の容認も含めて道徳的に退廃しているとして西洋諸国を非難しています。こうしたイデオロギー(意識)次元の対立が双方の陣営を戦争や衝突へと駆り立てているように見え、実際、メディアではそのように報じられています。/しかし、私が見るところ、戦争の真の原因は、紛争当事者の意識(イデオロギー)よりも深い無意識の次元に存在しています。家族構造(無意識)から見れば、「双系制(核家族)社会」と「父系性(共同体家族)社会」が対立しているわけです。戦争の当事者自身が戦争の真の動機を理解していないからこそ、極めて危うい状況にあると言えます。>(『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 文藝春秋)

 

トッド自身は、世界を四等分化するような構造的見方は、デカルト的な単純抽象化(「呪術的宇宙」)だ、と批判し、たしか20通り以上の家族構成を抽出分類していたはずだが(ダンス&パンセ: <家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1) (danpance.blogspot.com))、いまや、四つどころか、二つですんでしまうという……。

 

とりあえず、実践的にそう見ておく必要があるというのはわかる。が、私は、新ワクチンだ、ゼレンスキー・ウクライナ頑張れ(この戦争反対の論理だと、日本も持続する防衛戦争頑張っていいのだ、になってしまうが…)だのにはうんざりしているので、もし人類の文明がなんとか残ったら、の次のことを考えていたい。そのときは、この複雑さの方向へ、自然の理解が更新されるだろうから。というか、そうでないと、希望がないような。そのためにも、今、単純に見える事柄が、複雑怪奇であることを、よく見知っておかなくてはならない。そうでなければ、他人への思いやりも深まらなければ、そこからの実践も更新=反復されない。ニュートンの古典物理学の延長での「自然の遠隔的な「力」」で、現今の更新はできるだろうか(柄谷行人著『力と交換様式』 岩波書店)? それはトッドのかつての批判にあった「呪術」、日本的に言えば言霊ということになってしまうだろう。

 

もしあなたが、実践というものを具体的に考えて、そこにおいて、自然を、世界を考えているのならば、贈与って何? 今の社会で、何をもって贈与というの? 無償で子供を育てるってこと? 親を介護するってこと?(そのことが政治的に何を意味・機能してきてしまうことを意識させられるのか?) お年玉やお歳暮をやりとるする文化慣習のこと? それとも災害時ボランティア? と、そう問わずにはおれないのではなかろうか? 贈与たって、複雑ではないか? 私に言わせれば、単独―普遍的な贈与を社会的に作っていく意志が、意識=言語化が、まずなくてはならない。その営みが、古典物理でできるとは思わない。形式的な反復(指摘)ではなく、実質的な更新=反復が必要なのだ。


 真理は、心臓のように鼓動しているのかもしれない。柄谷はかつて、物を考えるとは、単純に見えることを複雑怪奇なものへ、複雑怪奇に見えるものを単純にしてみせることだ、と言っていたが、私には、今は、単純化に収縮させるのではなく、複雑に膨張させていかないと、逆に物事の真実が見えてこない、更新されないように見える。だから、もっと近づいて、会社の枠だのとっぱらって、社会を、人間をみよ。いや若い人たちほど、もうそういう場所に追い込まれているはずであるし、その場所が、新しくあらざるをえない蠢きを律動させているのではないだろうか?

少なくとも、科学の先端的な現状は、そううかがえさせるのではないだろうか?

2022年10月7日金曜日

映画『秘密の森の、その向こう』を観て

 


植木屋開業のちらしを、一件一件自身で歩き回りながら、配っている。草むしりしているおばあさんや、犬を連れた若奥さんに、声をかけながら、家々の間に入っていく。私にとっては、それ自体が文学的な実験であり、探究心でもある。千葉駅周辺でも、まだ舗装されていない路地道や、廃屋になった家も多い。それに、モノレールが走る未来的な雰囲気のある近代都市景観なのに、平日の日中となると、人がいない。いるにはいるが、閑散としている。不思議な感じである。東京でこの規模の都市なら、どこも人でごった返しているのに。

 

駅中心街へ向けての散策は終わって、いまは森林方向へと向きを変えている。雨の中はちらしも濡れてしまうので、お休み。ホリエモン仲間の企業家によると、100枚配って1件の反応があるのが植木屋稼業で、それは業界としては相当いい方なのだそうだ。しかも、たぶん、私のちらしへの反応は、さらによさそうである。この間は手入れしただけでなく、庭作りも示唆してくれた。近所とはいえないのだが、どうも私がひとりで庭と格闘していたのを見知っていたらしい。ただ、まだ始めて三週間くらいか。仕事としては、暇である。

 

ので昨日は、女房を連れて、千葉劇場まで傘をさして40分、映画を見に行った。

 

タイトルは、『秘密の森の、その向こう』。ビデオドットコムの金曜特集で、宮台真司氏が推奨していて、それが駅近でやっているのを知ったのだ。原題は、「プチママン」、「小さなママ」、のようである。

 

話はこうだ。

施設に入っていた祖母が亡くなり、母と父でその部屋の跡片付けをしてから、祖母の家、つまりは娘にとっては母の実家へと向かった。娘は、祖母の突然の死に、さよなら(オルブワー、直訳はまた会おう)を言えなかったことを悔やんでいる。その祖母の家も、荷物を片付けて、引きあげる予定で、翌日にも父と母が、引っ越し作業をはじめる。がその数日後、母が、突然家を出ていき、いなくなってしまった。父(夫)も娘も、母(妻)にはどこか孤独なところがあったと認めるが、その理由はわからない。引きあげ作業を続ける父を家に、娘は実家を潜ませているような森の中へと入っていく。そこで、自分と同じ年ごろの女の子に会う。赤い服の彼女は、枯れ枝を集めて秘密基地みたいな家を作っている。青い服の彼女も手伝う。そして、赤い服の子の家へと誘われる。そこは、母の家、自分が今父と跡片付けしている家とそっくりだった。女の子の名前をきくと、マリオン、と母と同じ名前を告げる。彼女の部屋には、まさに、母が子供の頃書いて家に残していたノートがあった。彼女は恐くて逃げかえるが、タイムスリップを理解し、また翌日森へと向かう。秘密基地の協同作業をしていくなかで、自分が誰であるかの秘密を打ち明ける。私は、あなたの娘だと。マリオンは、つまり未来からきたのか、と問う。後ろの道から来たのだと娘のネリーは答える。そしてある日、祖母が、つまりマリオンの母が亡くなってすぐに、母マリオンは失踪してしまったのだと告げる。なんでなの? と自分が悪いのかもしれないと心配して尋ねるネリーに、小さな母以前の母は、分かる気がする、という。しかしそれは、あなたのせいではない、と。そしてこういうのだ、秘密というのはない、話し相手がいないから、それが隠されて秘密になるのだ、と。子供のマリオンが手術を受けるために都市へと出発する前日、ちょうど母(マリオン)の誕生日の日に、二人は父の了解のもと、実家で過ごす。翌朝のボート遊びで、湖に浮かぶピラミッドの中を潜り抜けたりした二人は、別れを惜しむ。自動車での出発の際に、ネリーは母の母、つまり祖母に「さよなら」を言うことができた。後ろの道から家に戻ると、片付けられて何もなくなった家の床に、母がひとり座って待っていた。二人は抱き合う。マリオン、ネリー、とお互いの名前を呼び合いながら。

 

私には、以上の物語が、量子もつれ、のように見えてきたのである。

 

二つの粒子は、量子的に相関していても、つまりもつれていても、孤独である。秘密基地を作るという協同作業を通しても、その乖離は解消されない。一方の粒子が、非局所的に遠隔操作されても、他方に責任があるわけではないのだ。が、その秘密、謎のあり方、孤独のあり方を了解したとき、二つの同期が共有される。たとえ一方が前回り、他方が後回りといったスピンの向きが逆であっても、二つは同期しているのである。この秘密=孤独への理解、思いやりは、世俗の時空を超絶して、共有されえるのだ。そのとき、二つは、たとえば母と娘といった世俗的役割の関係ではない。それぞれの固有名をもつこの存在として、単独乖離的であるがゆえに、繋がっているのである。

 

ところで、このもつれは、二人だけの関係に当てはまるだけではない。量子レベルの実験は、そう示唆している。だから量子コンピュータは、抱え込めるもつれた粒子の数が多いぶんだけ、計算量が膨大になっていく。が、粒子は、根源的な孤独を抱え込んでいるのが原理である。ゆえに、誰かが神の視点で、統御できるわけではない。アインシュタインが指摘した謎は、秘密のままである。原子爆弾は、この秘密を共有するのではなく、乖離的な方向に引き裂いた。放射性物質のランダムな熱量とは、孤独に彷徨う粒子の悲しみの激しさである。しかし「もつれ」は、自然過程としては、絶対零度に近づいて、つまり熱量(運動量)が冷めたような状態において維持される。

 

戦争は、人を引き裂いて、熱量を沸騰させている。ここでは、思いやりは、成立しにくい。がもつれは、つまり粒子間の同期性は、大量でも可能的であると、科学の基礎研究は示唆している。

 

以上は、ノーベル物理学賞の発表を受けて、その科学から飛躍した、文学的な想像力としておこう。