2023年1月2日月曜日

エマニュエル・トッド著『我々はどこから来て、いまどこに居るのか?』――ノート(8)

 


エマニュエル・トッド著の『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(堀茂樹訳 文藝春秋)の抜粋。引用後の()内は上下巻とページ数。誤字脱字もあるだろう。抜粋後に、すでにこのブログで言及してきたページの参照リンクをつける。トッド・ノートの何番目に当たるのかわからなくなってしまったが、(8)とつけておく。

 

*****抜粋開始*****

 

序章 家族構造の差異化と歴史の反転

 

「進化しているのは誰か?」「先進的なのは誰か?」という問いが、単純に解けないもの、それ自体として矛盾しているものとなる。中東はなるほど経済的には遅れているけれども、最も複合的な、最も「進化した」家族形態を持っている。内婚制共同体家族は、父親と既婚の息子たちを結びつけ、次にその息子たちの子供同士が結婚することを推奨するわけだが、このシステムは五〇〇〇年もの推移の帰結なのである。北米は、経済的グローバリゼーションを先導してきて、今ではそれへの異議申し立ての先頭に立っているわけだが、イギリスや広大なパリ盆地にもまして、ホモ・サピエンスの原初のモデルに最も近い核家族形態を地域的に代表している。東アジアに視線を移すならば、われわれはまた次のことを認めなくてはならない。すなわち、一八六八年の明治維新のときに日本で主流だった家族システムは、核家族のそれと異なるけれども、当時中国で支配的だった家族システムほどにはホモ・サピエンスの原初的な家族の型から離れていないシステムだったということ。日本の直系家族は、当時の農民階層では、ただ一人の跡継ぎと、最多で二組の既婚カップルを結びつけていた。つまり、理想的には一人の父親を既婚の息子たち全員に結びつけ、三組かそれ以上のカップルを同居させることのできる中国の共同体家族よりもシンプルだったのである。(上53)

 

 というわけで、これから本書で見ていくように、最も先進的な社会ではまず家族と宗教が変容し、次に教育普及の停滞と出生率の低下が起こり、その現象が経済と国家の危機の先駆けとなる。ある面から見ると西洋は今や母権制への未踏の道に分け入りつつあるのだが、その西洋が過去において父権制への道を踏破したのだと考えるとしたら、それは誤謬なのである。男性よりも高く位置づけられる女性のステータスをベースとして原初の核家族を超えようとする試みは、西洋が家族システムに関して挑むまさに初めてのラディカルな創出であって、方向性こそ逆だが、紀元前三〇〇〇年初頭のメソポタミアで、あるいは紀元前二〇〇〇年中頃の中国で始まった父権システムの創出に比較され得るほどの転回なのである。(上57)

 

ソビエト共産主義の崩壊に後続した時期、一九九〇年~二〇一〇年の大きな政治的・経済的決定は、世界中のシステムが収斂していくという仮説に基づいておこなわれた。つまり、自由貿易は世界を統一するはずであり、単一通貨がヨーロッパを同質化するはずであった。その後、歴史的現実の中で誰もが目の当たりにしたのはその正反対で、経済的パフォーマンスと生活水準が分岐し、分散していくありさまだった。なぜか? 人間が究極の人類学的意味――後述するような共通の原初的特徴を有するホモ・サピエンスという一つの種が存在するという意味――でたしかに普遍的であっても、社会のほうは、そこに定着している諸価値や人びとを組織する方式によって多様だからである。(上57)

 

1章 家族システムの差異化――ユーラシア

 

父系制原則は、すべての戦士たちをまとめる一つの秩序を、全員を網羅する序列を確定する。氏族は民間の軍隊である。否、そのような定義ではまだ不充分だ。さらに、戦争のための民間組織だといわなければならない。征服に乗り出すのがその運命なのだから。…(略)…対称化された父系制の組織編成によって軍事的に無敵の集団となった砂漠や草原の遊牧民たちは、彼らを教育したメソポタミアや中国の定住民たちを隷属させることができた。そのとき、こう言ってよければ、彼らは、彼らが負っていた父系制という負債の返済をすることとなる。奇しくも、政治的な支配を通して定住民たちの直系家族を共同体家族に変えるというかたちで、である。(略)共同体家族は、直系家族の権威主義に、遊牧民氏族における兄弟の対称性を付け加える。(上94)

 

2章 家族システムの差異化――先住民たちのアメリカとアフリカ

 

3章 ホモ・サピエンス

 

ホモ・サピエンスの家族は核家族だったが、けっして孤立してはいなかった。狩猟または採集の特定の時期にはばらばらに行動することもあったが、そうした時期が過ぎると必ず再集合していた。われわれは今や、単一の核家族のレベルを超え、ホモ・サピエンスの人類学的システムの完全な再構成を試みなければならない。人類の居住する世界の周縁部で、農耕民の集団にも、狩猟採集民の集団にも見られるのは、家族の集住である。(上134)

 

一人の男性とその母親の兄弟の娘とのあいだの非対称性の婚姻〔母方交叉イトコ婚〕はというと、これはレヴィ=ストロースが彼のシステムの中心に据えた形態(彼の言う「親族基本構造」タイプ)であるが、ローラン・バリー〔フランスの民俗学者〕が著作『親族関係』で示したとおり、実際には地球上に例が少ない。そして、それが現存している場合には、父系制への変容によって生み出された非対称性の結果の一つであるように思われる(略)。構造主義思想の言う基本的交換は、自然状態を反映しているどころか、歴史の所産なのである。(上139)

 

ウェスターマーク効果と呼ばれているものが示唆するのは、近親相姦のタブーが文化事象ではなく、自然選択のプロセスに由来する無意識の行動だということである。このタブーは《正真正銘の強い本能が持つすべての特徴を備えており、いうまでもなく、他の種に属する個体との性的関係に対する嫌悪に非常によく似ている》。この禁忌は、生存競争上の有利さをもたらすものとして自然選択されたのだ。なぜなら、内婚――ここでは核家族の内部での婚姻という狭義の内婚――による退化は当該集団の社会的効率を削ぎ、結局その集団の淘汰に行き着くからである。

 ウェスターマークは普遍主義的ダーウィン主義者である。彼が自然選択という仮説を用いるのは、あらゆる人類に共通のものを明確化し、説明するためであって、今日の社会生物学にはびこる「退化した」ダーウィニズムがしばしばそうしているように、人種間の競争と、人類の中での自然選択について想像をたくましくするためではない。明らかに、ウェスターマークが正しい。彼よりもあとに登場したフロイトや、レヴィ=ストロースその他、あんなにも大勢の学者たちが近親相姦の回避の内にひとつの文化事象を見ようとしたが、それは誤りだった。悲しいかな、人文科学の歴史はこうした知的後退に満ち満ちている。(上142)

 

4章 ユダヤ教と初期キリスト教――家族と識字化

 

かつてジェームズ・ジョージ・フレイザーは、旧約聖書の物語に関して、強迫的なまでのこだわりの対象となっている長子相続の規則と、その規則に違反する相続をおこなう人物が続々登場しているということの間の矛盾を指摘した。そのような文学的表象の原型は『創世記』に見出せる。ヤゴブが母に助けられて、兄エサウの調子権を横取りするエピソードがそれである。〔精確には、ヤコブはエサウの油断に乗じて長子権を譲り受ける。母の助言と手助けで横取りするのは父イサクの祝福である〕。長男でない跡継ぎや、男たちよりも強い女たちの例は、他にも多く挙げることができる。末子に特定の役割が与えられるケースもあり、これは原初的な(フレイザーは「自然な」と言っていた)核家族に典型的なことであった。息子たちのうち年長の者がそれぞれ自分の家族を作るために次々に新しい土地へと去っていったあと、末子が親の面倒を見るというシステムであった。なにしろ、ホモ・サピエンスは移動しながら暮らしていたのであり、初期の農業は膨張的だったのだ。件の矛盾を説明するために、フレイザーはもともと古い核家族が存在していたと前提し、その仕組みと機能を、後の世に現れた旧約聖書の編纂者たちがもはや理解していなかったのだと考えた。…(略)…しかし、フレイザーの推測よりさらに一層シンプルに、旧約聖書が書かれた時代にも依然として一つの矛盾が存在し続けていたと想像してみることを阻むものは何もない。つまり、当時、長子相続は新しい概念で、先進的なものとして社会の上層部から律法学者らの文化の中に浸透していたが、ユダヤ地方の一般住民たちの習俗であった未分化の核家族がそれに抵抗していたのではないだろうか。そしてその両者のあいだの緊張関係が宗教的神話の形をとって、旧約聖書のあちらこちらに表れたのではないだろうか。(上163)

 

キエフ・ロシアのキリスト教への改宗が、モスクワ中心のロシアによる父系制の獲得にも、モンゴル人による征服にも先立っていたことに留意しよう。ロシアの父系制共同体家族が農村で完全に実現したのは十七世紀半ばから十九世紀半ばにかけて(略)、すなわち、キリスト教化より七、八世紀あとだった。東方正教会のマリア信仰熱はカトリック教会のそれに何ら劣らないので、その形に結晶したキリスト教のフェミニズム的特徴が、ロシアの父系的特徴の浸透にブレーキをかけたことは充分に考えられる。正教会的フェミニズムはこうして、十全に発展した父系制家族編成が、依然として高い女性のステータスと組み合わさっているというロシア文化のパラドクスの説明に貢献する。(上184)

 

5章 ドイツ、プロテスタント、世界の識字化

 

初期の表意文字システムの場合には、直系家族との関係はおそらく非常に緊密だ。あの種の文字を使いこなすには厳しい修練が必要なので、おそらく、直系家族の継承性と文字表記技術の獲得のあいだには必然的な関係が存在するのだろう。私がここで喚起しているのは、書記を家業とする家族内での父から息子への継承だけではない。中国の文字であり、日本でも用いられている漢字の数が、じつに数千にも上ることを思ってみようではないか。もし、継承のために考え出された家族システムもなく、その中で子供に対して働く親の強い権威もなかったとしたら、あれほど多くの文字を記憶することなど考えられただろうか。今度は二十一世紀の現在に身を置いてみよう。中国と日本の文字表記システムは今も生き延びているが、こんなことが可能だということ自体、あの両国に高いレベルの家族的・学校的規律が存在するからこそであろう。(上207)

 

6章 ヨーロッパにおけるメンタリティーの大変容

7章 教育の離陸と経済成長

8章 世俗化と移行期の危機

9章 イギリスというグローバリゼーションの母体

 

10章 ホモ・アメリカヌス

 

教育、テクノロジー、経済を考慮して言えば、一九〇〇年から二〇〇〇年にかけて、米国は間違いなく世界のトップランナーだった。しかし、誰もが認識しているその現代性・先進性を超えて、われわれは今や、アメリカなるものの人類学的基底が、イギリスのそれにもまして原始的――あるいは、もう少し中立的な言葉を用いるなら原初的――と見做されざるを得ないことを知っている。事柄を解釈するためのこの新しいカギを手に入れたわれわれは、今後このカギを用いて、米国の社会的メカニズムに固有の、一見当惑させられるような多くの要素をついに解明し得るのだ。おそらく受け容れることさえもできるだろう。それらの要素が表現しているのは、われわれの社会よりも人類の原初の状態により近い社会が大西洋の向こうに存続しているという現実にすぎない。アメリカの精髄は、原初的なホモ・サピエンスの精髄にほかならない。それが偉大なことを成し遂げてきたという事実を、われわれはやはり認めるべきだろう。(上343)

 

彼らは、ほとんどまったく洗練されていないからこそ、先を行っているのである。ほかでもない原初のホモ・サピエンスが、あちこち動き回り、いろいろ経験し、男女間の緊張関係と補完性を生きて、動物種として成功したのだ。他方、中東、中国、インドの父系制社会は、女性のステータスを低下させ、個人の創造的自由を破壊する洗練された諸文化の発明によって麻痺し、その結果、停止してしまった。(上351)

 

11章 民主制はつねに原始的である

 

アメリカがフランスに先んじて近代民主制を発明したのも、原初的な自然性というこの同じ理由による。なぜなら、近代民主制は、アメリカで人類の太古的基底に大衆の識字化が重ね合わされた結果なのだから。その基底には、自然で原始的な民主制が含まれているのである。

 パリ盆地の激しく反抗的な平等主義は結局、平等な市民の集団を確立する上で、イギリス由来の非平等主義〔平等への無関心〕よりも効率が低かった。

 歴史――古代ローマの共和政時代の父系制共同体家族が、帝政時代に平等主義的核家族になったという長い歴史――を通じて構築された平等原則によって確立できるのは、実際のところ、個人と個人の間の抽象的な平等だけだ。平等主義は集団に対しては解体的である。それは、何によっても統制されない場合は、個人が集まっているだけで、どの個人も全体への隷属を受け容れない世界、文字どおりの無政府状態を生み出す。民主制は、集団的現象であるから、無政府状態から自然に発生することなどあり得ない。(下33)

 

12章 高等教育に侵食される民主制

13章 「黒人/白人」の危機

14章 意志と表象としてのドナルド・トランプ

 

15章 場所の記憶

 

 大人たちが子供たちに強い規範を教え込む場となるテリトリーを想像すること、それは、継承という現象に関して、明示的でなくともフロイト的解釈を踏襲することにほかならない。私は純然たる家族を枠組みとする考え方から離れはしたが、依然として、子供たちは教育によって――その教育が権威主義的であろうとなかろうと――鋳型に嵌められるのだと思っていたわけである。…(略)

 ところが、経験的に確認される現実が証拠立てるのは、移住者がおおむねかなり容易に自分たちの習慣や信念から離れること、そして、ローカルな人間同士の相互作用の中で、無意識的な模倣を通じて大きな適応能力を示すことである。そのようにして、移住者はかなり頻繁に、子供時代に抱いていた価値観から身を引き離す。

 この段階において、受け入れ社会に住む個々人が帯びているのは「強い」価値観ではなく、むしろその逆で、「弱い」価値観なのだと考えてみなければならない。さてそこで、根本的な逆説は、弱い価値観という仮説こそが、各地域の気質の持続性を、いいかえれば「場所の記憶」という現象を説明してくれるという点にある。実際、あるテリトリー上の圧倒的多数の個人が有する価値観が弱ければ、これまた弱い、または相対的に弱い価値観を有していて、それを受け入れ側の集団の価値観に取り替える傾向のある個人たちが移民として流入してきても、結果として元々のシステムが希釈されることはない。

 ここでわれわれは、ホモ・サピエンスという母胎の中心的要素である柔軟性を、このたびは模倣的行動という概念と結びついた形でふたたび見出している。したがって、この分析の最後に、われわれは断言してよいだろう。受け入れ社会の個々人のレベルにおける弱い価値観という仮説によって、場所の記憶の存在が理解可能なものになり得る、と。…(略)…重要なのは、多くの個人が弱く有している価値観が、集団レベルではきわめて強く、頑丈で、持続的なシステムを生み出し得るということである。たとえば、ひとつの信念が、個々の人間によって濃密に抱かれていない場合でも、あるテリトリーにおいて、長い年月、ときには果てしなく生き続けることがあり得るのだ。(下151~153)

 

16章 直系家族型社会――ドイツと日本

 

17章 ヨーロッパの変貌

 

 第15章で述べたように、移民は大抵の場合「弱い」価値観の保持者であって、彼らの無意識的模倣による適応が、一般的には、移民受け入れ社会の人類学的システムの恒久性を担保する。しかしながら、「場所の記憶」は、移民の流入が一定のテンポで進み、かつ限定的であるという前提の上で機能する。ほんの数カ月の間に夥しい数の移民集団が一塊になってやって来るというのは、まったく別の現象である。…(略)その結果、同地域の政治的文化が反アラブ人的な方向へと持続的に偏り、一九八〇年代の中頃以降、この地域では「国民戦線」〔極右と目されているフランス政党。二〇一八年に「国民連合」に改称〕が高い得票率を示すようになった。当該のプロヴァンス地方とラングドッグ地方の元々の文化には、人びとをそうした特定の敵意へと仕向ける要素はいっさい存在しない。ローカルな基盤に変更が加えられたのだ。新たな外国人恐怖症(フオビア)が導入され、それ以降はその恐怖症(フオビア)が、まさに「場所の記憶」の原則にしたがって永続化している。(下231)

 

 教育領域に新たな階層化が出現し、高等教育を受けた者とそれ以外の者が分断された結果、ヨーロッパの至るところで、先行した米国の事例どおりに、かつて大衆識字化の同質性の中にしっかりと根を下ろしていた民主主義的感情が衰弱した。アメリカでは、この動きは、プロテスタンティズムが持つ形而上学的な不平等観念の痕跡によって、また特に、自由主義的で非平等主義的な家族構造――このタイプの家族システムに培われた文化は、大きな所得格差を許容する――によって助長された。しかしアメリカでは、個人はあくまで自由であり、不平等が原則として予め想定されているわけではない。それゆえ、白人たちの苦しみが、最終的には反抗と、二〇一六年の大統領選におけるドナルド・トランプの選出につながった。彼らの反抗は、本書が展開した人類学的パースペクティブに一致する形で、最初の段階では外国人恐怖症(フオビア)として表面化した。アメリカは、もしそれがアメリカに可能であるなら、よそ者に敵対的な原始的デモクラシーから、自らの内に潜在している普遍性の部分を引き受ける、より成熟したデモクラシーへの道程を改めて辿るべきであろう。

 一方、EUの領域、そして特にはユーロ圏領域において支配的な家族的・宗教的基盤は、権威主義的かつ不平等主義的である。この与件は、教育の新たな階層化に起因する民主制の衰弱を、アメリカにおけるよりも遥かに遠くまで、つまり民主制の完全な消滅にまで運んでいくことができる。われわれはすでにその段階にいる。ユーロ圏の人民の投票はもはや尊重されない。ギリシア人、オランダ人、フランス人は、どんなことでも国民投票で拒否できるのだが、次の段階では、その投票結果そのものが、彼らの指導階層によって拒否されてしまう。このシステムの中核を成すドイツの政治システムは、正真正銘の民主制と見做され得るだろう……。もしドイツの政治的エリートたちが、かの連邦議会で、またヨーロッパ議会で、「左派と右派の連立」なるものを実践していなければ――。反論が聞こえてくる。実のところ、「左派と右派の連立」の何がいけないのか? このやり方は、誰もが好んでその民主的性格を褒め称えるスイス・モデルに一致しているではないか? それに、ドイツの国民は、上から降りてくる権力を受け容れているといっても、彼ら流のデモクラシーの中で相変わらず自由だ……。しかし、もしドイツがリーダーとなるならば、ヨーロッパは間違いなく壮大な「民族的デモクラシー」に変容し、その中では、支配的な一つの民族が単独で自らの諸権利を十全に行使することになるだろう。

 繰り返そう。こうしたことは何ひとつ、アクシデントの類いではない。歴史の悔やむべき逸脱に属すものではない。ヨーロッパで発展した政治的・経済的・社会的システムは、諸国民を位置づける階層秩序、緊縮政策、経済的不平等、代表民主制の欠落などを伴い、まさに直系家族が、ゾンビ・カトリシズムの支援を得て(また、イタリア中部、バルト三国やフィンランドでは、不平等は奨励せずとも権威主義を強化する共同体家族が供給する補充兵部隊と共に)、生み出すべくして生み出した正常な形態なのである。ヨーロッパ全域を一つのエリアとして見たときには、全米におけるより拡大しているといえる不平等の擡頭も、これまた正常だ。なぜなら、直系家族が持つ不平等主義の潜在力は、複数の民族が共存している状況では、絶対核家族のそれよりも大きいからである。(下234)

 

 この章で注目している正常性の最後の要素は、システムへの反抗が、本物の自由主義的価値観を担う核家族型が支配的であるか、またはかつて支配的だったことのある国で起こっていることである。唯一、EUと訣別しようとしているイギリスでは、絶対核家族構造が一貫して強力な自由主義的民主制の伝統を下支えしている。…(略)…しかし、ハンガリーでも、ポーランドでも、フランスでも、オランダでも、あるいはイギリスでも、EUに対する反抗の構成要素の内に外国人恐怖症(フオビア)が入っていることは否定すべくもない。それも含め、すべて正常なのだと、改めて述べておく。米国においてと同様、民主主義の失地回復はヨーロッパにおいても、それが可能なところでは、原初的民主制の民族的基盤に立ち帰って、そこから出発しなくてはならない。将来的には、もしかしたら、民主制の概念をより普遍主義的なものにできるより良き日が訪れるかもしれない。(下236)

 

18章 共同体家族――ロシアと中国

 

 外婚制共同体家族はおそらくゲルマン人の直系家族とモンゴル人の父系制組織の衝突から生まれたのだが、ベラルーシと現在のロシアの北西部辺りがその発祥地域であった。(下247)

 

 しかしながら、中国の膨張主義を誇張するなら、われわれは誤りを犯すことになるだろう。反日本の外国人恐怖症(フオビア)と南シナ海への膨張は、リアルな帝国主義的主張を表出しているというよりも、困難な国内状況への戦術的調整を意味している。中国人は人口があまりにも大きいので、その内部の重みに阻まれて、正真正銘の膨張主義は実践できない。人口の塊があの国を、物質を膨張させるよりも、むしろ内に引き込んで濃縮するブラックホールのような状態にしている。(下272)

 

 女性たちを周縁化したり、家の中に閉じ込めたりすれば、彼女たちの教育にブレーキをかけ、ひいてはその息子たちの教育にブレーキをかけ、結局、父系制の親族網の中に閉じ籠るよう息子たちを仕向けることになる。こうして、男たちもまた、本物の個人であることをやめてしまう。彼らは男性集団として父系制社会を支配するけれども、しかしその社会の中でしばしば、個人としては子供状態にとどまる。この事情により、父系制の世界では頻繁に次のような逆説的事態が発生する。すなわち、男が公式の場を支配するが、自分の家の中では妻から子供のように見做されているという事態である。このような形で成立する社会は、無限に創造的であることができない。起源的文明の中心地に起こった反女権拡張的な退化が、その地域の歴史的発展の停止を説明し、さらには、進歩の遠心的な地理的移動――メソポタミアからイギリスへ、中国から日本へ――を説明する。(下274)

 

 最後に私は、ヘーゲルをもじって、歴史におけるロシアの逆説的な位置を強調したい。あの国民は、耐え難くも普遍主義的な共産主義システムを自らに課すことができた。しかも、世界を救った。ナチズムを打ち破ったことは、人類普遍の歴史への主要な貢献として特筆されるべきである。しかし、ロシアは本当に、普遍的な何かを代表しているだろうか。ロシアの共同体主義的でありながら女権拡張的な人類学的下部構造の分析は、あの国がもともと、人類学上の特異例、歴史の偶発時にすぎなかったことを明らかにしている。(下275)

 

*****抜粋終了*****

参照ブログ;

ダンス&パンセ: サルのホームと原発社会 (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: 交換、継承――飛弾五郎氏をめぐって (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: 教養雑感 (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: <家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1) (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2) (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: 「ゲンロン」をめぐって――トッド・ノート(6) (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: 夢のつづき(7)――ドストエフスキーをめぐって (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: 柄谷行人著『世界史の実験』を読む――平和条約を前に(4) (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: 屑屋再考案3――トッド・ノート(7) (danpance.blogspot.com)

 

ダンス&パンセ: エマニュエル・トッドの「日本核武装のすすめ」をめぐり――戦争続報(5) (danpance.blogspot.com)

2022年12月31日土曜日

『対論 1968』(笠井潔・絓秀実・外山恒一著 集英社新書)を読む


 「対論」を行なっている笠井潔氏と絓秀実氏の作品は、1980年代後半頃の早稲田大二文の学生であった時から、読んではいる。が当時、その二氏が活動家だったということは知らなかった。あくまで、文学なり思想的な営みの延長として受容していた。それどころか、早稲田大の文学部の講師として、絓氏が授業を持っていたということにも私は気づかなかった。四年生のとき、文芸創作科の講師としてジャーナリズム専門学校からやってきた渡部直己氏の講義を受けていた時、柄谷行人氏の「探究」とともに面白く読んでいた「文学の隠喩」というタイトルで文芸誌連載していたその絓当人がこれまでは授業担当していたのか、とはじめて気づいたのだ。

そもそも、私は大学を相手にしていなかった。夜学を選んだのも、大学には行く気はないが、読書時間という暇が欲しかったからだった。私の現在進行形的なジャーナリズム界に関わる書籍の読書は、浪人中出版された柄谷行人氏の『探究Ⅰ』からだった。高校受験の延長で古典ともなった近代文学は読んでいたが、意識的に読み始めたのは小説ではなかった。中上健次の作品も、柄谷経由だった。自分の分裂病的常態を言語化整理・克服するために、野球馬鹿から読書世界に入っていったので、直接的な自己意識化以外のことをやる余裕はなかった。ただ、考えていた。そして直接的な言語化だけではすまない自己意識の方が大きかったので、書くことの主要は小説になり、卒論も創作を提出した。

 

そうしたなかでも、当時はまだ自治会も学園祭もあったのだから、政治活動する学生とは触れていただろう。新入生のクラスには、授業がはじまる前にビラを配り、教壇に立って、政治的な何かの話をしたあとで、席に着いた一年生のもとへ意見を聞いて回る姿があった。私の所にも、硬い表情をした女性が来て、何か質問をしてきたことがあった。その一つ一つに、司馬遼太郎だのの、引用で答えていた。で何かの質問に、柄谷の作品から引用して答えたところ、突然その女性は目を見開いて表情が変わり、「あなたは柄谷を読んでいるのか?」と聞いてきた。「読んでちゃわりいのか?」と、長い尋問を打ち切りたいような口調で返したとおもう。彼女は口ごもり、そして先生が来たので、教室をあとにしただろう。この「対論」の知識からしても、彼女は革マル派、ということになるのだろうか? その後も、構内で彼女を見かけて目があって話しかけたそうな雰囲気に会うこともあったが、私はうざったく感じていただろう。

といっても、私も絓氏と同じく旧制中学から高校になった地元の進学校出身だったので、いわゆる左翼的な活動をする生徒たちと無縁だったわけではない。群馬の高崎高校は、学生運動盛んな当時において一番過激な高校の一つだった、と国語の教師は発言していた。その名残りは、君が代斉唱で拍手をしたり、国旗掲揚で背を向けたりといった、意志表示をする生徒が幾人かでることに現れてもいたのだろう。そしてそういう生徒たちは、先生たちからも意識の高い者と評価され、一般の学生にも一目置かれていたと思う。で大半は、当時同窓生でもある総理の中曽根が講演に来たときなどは、全校生との記念撮影時には、「いなごの大群」(あとでの中曽根の表現)のごとくその現役総理の身の周りに寄り付いていったものだった。佐藤優氏が、浦和高校のことで、すでにそこの優等生たちに官僚的な振る舞いがあるのだと指摘していたと思うが、私もそこが鼻についたことだった。早稲田大では学費値上げ反対闘争とかで、試験の中止が幾度かあったが、そうした認識の延長で、大学に居る必要もなく感じる私には、一般の学生も意識高い学生も同じであって、親が払うってのだから払わせておけばいいだろう、敵はまず親だろう、そこまで本当に嫌ならば、払わないで退学していけばいいだろう、と思っていた。

 

大学卒業後、だめ連の集会にも参加したことがあるが、それを主催する中心人物の二人が、二文の同級生であったことなども、私は知らなかった。

 

私がこのような本を読むのは、以上のように、いわば「知らない」からだが、そこには、覚えられない、という事態もがはらまれている。私は、たしか絓の『革命的な、あまりに革命的な』の作品だったか、ベンヤミンの割れた壺の破片の復元の比喩を喚起させながらも、重箱の隅をほじくっているようでもある、と感想をこのブログでか綴った覚えがある。何も知らない者にとっては、小熊英二氏の『1968』でもまずは必要だと。しかし知識以前に、もっと根源的なわからなさ、があるような気がする。左翼運動の諸党派の違いの、どこに意義があるのかわからない、といおうか。自民党の派閥の系譜がよく覚えられないのとも似ているが、もっと根底でわかりにくい。それは、「労農派」と「講座派」の違いが、私には、いつもこんがらがってしまうのに近い。そこには、人脈だけでなく、なんでそこで、その認識で明確な差異が線引きされるのかが腑に落ちてこない、という感覚がつきまとうからだろう、と思われる。

 

たとえば、柄谷は、労農派なのか、講座派なのか? 私には、そういう党派的用語(区別)を使用するならば、両方ともに、としてしか理解できないからである。宇野弘蔵の影響が強いからといっても、その日本把握には、講座派的な認識があるとしか思えず、その線引きに、本当に真理把握のための枢要があるのか疑念を抱いているのだろう。

 

佐藤優と池上彰の左翼概説史の新書も読んだ。その二人がこの新書を上梓したのは、どうもまた左翼の暴力性が若者に浸透し、影響力をもって惹起してくるのではないか、という危惧によるようである。それは杞憂だろう、と思っていたが、私がこのブログで書いた『NAM総括』の感想に、著者の吉永剛志氏が自身のブログで私を“糾弾”しているのを目にすると、もしかして杞憂ではないのかも、と思い始めた。とくにコロナ災害やウクライナでの戦争にまつわる左右両陣営ともにの同じ暴力肯定(コロナ統制とゼレンスキー・ウクライナ頑張れ)への世論迎合と相まって、私にもその危惧が共有されてきていると感じる。

 

この「対論」は、ロシアの侵略ではじまったウクライナでの戦争までは射程にはいっていないが、「暴力」の再評価、という視点を大きくだしているといえよう。

 

<我々を苦しめている空虚感や不全観は、親たちの世代が本土決戦に日和見を決め込んで延命し、擬制の「平和と繁栄」を謳歌してきたからではないのか。すでに全共闘運動は戦後民主主義/戦後平和主義/戦後啓蒙主義の三位一体を攻撃していた。こうした全共闘の戦後批判を徹底化し、異次元に飛躍させるものとして革命戦争論は提起されている。>

<アメリカでも西欧でも日本でも、「68年」の時点で群衆化が著しかったのは大学キャンパスだった。しかし資本主義の21世紀的な変貌の結果、階級社会の本丸としての労働者階級は解体、全社会的な規模で群衆化が進行し始めた。それは一方で2011年以降の国際連続蜂起をもたらしている。他方で群衆の政治的ロマン主義は、ナチズムに組織された過去を反復するように、今日ではトランピズムに代表される右翼ポピュリズムと新排外主義に動員されつつある。群衆の政治が機械原因論の呪縛を越えることができるかどうかも、「68」から持ち越されてきた課題といえる。>(笠井「反復と逸脱――「68年」から持ち越されたもの」)

 

私には、「本土決戦」というあり得た歴史の現実性と、赤軍派に行くような学生たちの現実化した暴力を同じ文脈で捉えてみせる思考にははっとさせられるが、そのままでは容認できない検討の余地を感じる。笠井は、「どんなわけで、日本にだけ“転向論”が生まれたのか?」と問うているが、それこそ、広義の意味で、天皇制があるからなのではないか。いまテレビで、スマホで簡単に転職できます、という宣伝が大量に流されているが、それでも、日本人の多くは、一度所属してしまった場所からの転属に、強いわだかまりを抱くだろう。だから、世間知のない若いヤンキー系の人ほど、それをふっきるように、ばっくれる、という行動にでる。がそれも、帰属しているところからの離脱に裏切っていくような圧力がかかって、負い目を感じさせられる現状があり、最近の言葉でいう「同調圧力」というその無意識的な制度性は、相も変わらずであろう、と私は講座派的に認識する。だから、その帰属先へと矛を向け返す、「本土決戦」から本土攻撃へのような転回は、地続きであるとするような、同じ文脈としては把握できないのではないか、と感じる。やはり、柄谷がマクベス論で示したように、言葉を使うインテリ環境に偏重された観念性の、主体を越えてやってしまうという関係の現実性の向きの方が強いだろうと認識する。どこか体育会系運動部の閉鎖関係からくる暴力性と類比的なところがあっても、運動部では、死ぬまで殴る、とは行きにくいだろう。こいつとは考えが違う、という前提が、そこではないだろう。あくまで、先輩後輩でも仲間のままなので、手加減が生じる。

 

*現今ウクライナは「本土決戦」をやっているが、硫黄島の戦いのようなマリウポリの防衛では、日本人のように玉砕はしなかった。この<投降と決戦続行>と、日本の<玉砕と決戦放棄>との対比で、どちらが「暴力」を貫徹し回避しているのかは、一概には把握できないということにならないだろうか?

 

しかし笠井・絓両氏とも、「そもそも自分たちのことを知識人とか」「思ってもいない」ということだ。私は『NAM総括』の感想で、組織創立のそもそもから、中心(柄谷、知識人)において分裂があって、それが金太郎飴の構造となって、どこを切っても「知識人と大衆」ともいうべき温度差が貫いており、そこの亀裂が拡大波及した、というもう「一つの見通し」(岡崎乾二郎)をあげた。それは言い換えれば、柄谷からの距離、イロニー、茶化しが「高幹部」となるべき人たちの間にあったこと、その一般参加者には知り得ない事態が根本の原因にあったのではないか、という示唆である。絓は、NAMの中堅幹部であったろうような私のような人物がいて柄谷(組織)は大変だったろう、と言ったそうだが、それに参加していたはずの自身は、どこにいたのか? その私への発言こそが、私のもう「一つの見通し」が正しいのではないかとの傍証を与えている。少なくとも、ネット・メールでの炎上を恐れることもなく、一般の会員とともにその間で言動返答していたのは、柄谷と岡崎氏だけだった。もちろん、この見立てには、いわゆる「知識人と大衆」という枠組みは破棄されており、その上で、他に言いようがないので、積極的に関わるプロジェクトの人≒知識人と傍観的な参加者≒大衆、という既存用語を使用したのである。柄谷も岡崎も、大衆とともにあることを厭わなかった。「知識人」ではないという絓は、どこにいたのか?

 

この「対論」でははっきりと言及しているとは言えないが、そもそも当時の柄谷の言論思想に、両氏には異議があった、と推定はできるだろう。とくには、最近になって、立場の違いが開いてきた、ということであるのかもしれない。柄谷が柳田を引用したり、9条を前面に出したり、戦後民主主義に依拠しているようにみえたり、災害ユートピアを喚起させる交換Dなどの概念を作ったり、という点であるかもしれない。しかし、絓も天皇制の問題など、「憲法を改正して天皇条項を破棄すればいいだけの話」というように、その改正を前提にするならば、9条を抽出してそこを擁護し押し出す、ということは、戦後憲法の成立事情に伴う天皇と9条はセット、という問題規制は実践的には意味をなさない。単に、実際的な改革順番の問題になるだけだ。柄谷自身は、天皇を肯定するとも発言していないだろう。朝日新聞に書評を書いていても、だから戦後民主主義の枠でいいのだ、とも言っていないだろう。言わない、ということは日和見ではあるが、実践的に必要な段取り戦術なのかもしれないではないか。また、柳田と交換D(災害ユートピア)の問題は、フロイトの理論仮説と関わってくるだろうが、絓は確か、フロイトの理論は「ほら話」だ、と説いていたと思う。私には、そうした認識のあり方に、柄谷に対する茶化し、同時に、かつて柄谷が、絓と渡部はなんであんなにも上機嫌なんだ、と批判していたところに伺える洞察がその「ほら」認識にも当てはまってくるのではないか、という気がしている。

 

柄谷は、『世界史の構造』でであったか、民主主義は封建制から生れる、というような認識を示し、職人の親方と資本主義の社長は違うんだ、みたいな文脈を導入していたと思う。活動なり政治運動のことなど全く知らない私がNAMに参加したのは、自分の病気を治癒していくに役立った著作活動をしてくれた人へ恩義を感じたからである。その人物がやるというのなら、「いざ鎌倉へ」と、私ははせ参じたのだ。このブログでも言及したが、大澤真幸氏が考察した鎌倉時代の天皇への謀反のあり方にこそ社会変革可能性の道筋があると私も感じる。戦後憲法の天皇条項を削除しても、広義の天皇制の問題はなくなりはしない。が、もう天皇の名によってごまかすことができないことによって、その問題がより露呈する。そのとき、それは否定すべきものであると同時に、生かすべき自分たちの素材であることが、はっきりするだろう。

 

9条は、切腹である。日本人は、これをもって、戦争する世界や人間と戦う、と決めたのではないか?

2022年12月24日土曜日

考える葦


人間は考える葦である、我思う故に我在り、とは、文字通りな意味でそうなんだな、と思う。すなわち人は、考えられなくなったら、死んでしまうのだ。ダンサーは体を動かすことで、絵描きは絵を描くことで、物書きは物を書くことで、考えている。踊れなくなる、描けなくなる、書けなくなることは、そのままで死に直結する。踊らなくとも、描けなくとも、書かなくとも生きていられて在るのなら、その人はダンサーでも絵描きでも物書きでもなかった、ということだ。そういう職についているかどうかは、関係がない。そしてそういう風に、人間は生きている。すなわち、考えている。どんな人間でも。そこには、なおジャンルとして定かでもなく、また世間に公認される必要もない仕草もあるだろう。しかしどんな人間でも、考えることをやめてしまうことは、死へと直結する。考えるゆえに我あり、なのだ。


朝は近所の公園で、近所のお年寄りたちと、ラジオ体操をやることからはじまる。体力や筋力を落とすと仕事にならないからと、早朝自主トレをやってたら、重なってしまった。しかしきちんとラジオ体操第二までやると、体がほぐれる。

ラジオ体操というと、その起源から、国家主義がどうの近代化がどうのと、教条主義的な話がでてきそうだが、もはやそんな起源を生きているわけでもない。集まるのは10人ほどの半分以上は女性で、体操の音楽が流れている間も、まだ若い奥さんが散歩させている子犬と戯れている。

私が野球をやってたということも知れて、近辺のソフトボール大会にも人が足りないとかりだされた。そのまま居住地区の、地域の発達障害者も交流する80歳すぎの牛乳屋さんが監督する年寄りアパッチ野球団みたいなチームにも入った。そのついでということなのか、もう若手がいないということで、市だか区のスポーツ推進委員とかにも、来春からなるそうだ。準公務員だそうである。ゲートボール大会時の設営とかだそうだ。防犯夜回り隊員にもなった。他に暇な人もいないだろうからと、言われたままやっている。この衰退していく国家の末端組織がさらにどうなっていくのか、違った線が出てきて蘇生していく道筋ができていくのか、興味もわく。

自主制作した植木屋開業のチラシのおそらく意図どおり、奥さん側から電話が入り、全てのお客さんがよろこんでくれて、来年もお願いしますと言ってくれた。「あの人仕事してないのかね?」とラジオ体操のおばあさんたちは噂していたが、たぶん、来年の秋口からは、さらに近所からのお客が増えて、それなりに忙しくなりそうだ。「初老」「都」「女房」などが戦術的なキーワードだった。そのチラシをわが女房にチェックしてもらったとき、そんな言葉はいらない、とか文句を言われたが、商売事務的な広告だったら今どきは詐欺かとも疑われるだろうから自己紹介的なアットホームな感じの方がいいのだ、と押し切った。内のかみさんがね、という刑事コロンボのノリと言おうか。家計を夫が仕切るマッチョな家庭からはアホかと思われても、そのチラシの文を面白く思ってくれるかかあ天下的なご家庭とは、金銭関係を超えた信頼が作りやすいだろう。商売や会社人間の価値に固まった人との間からは、希望へ導く可能性の隙間はないだろう。

ネクタイの意味がわからず、満員電車にも生理的に乗れなかった者の、隙間探しの延長だ。

まだ歩ける範囲でしかチラシ配りもしていないから、春が近くなったら、今度は自転車でいける範囲、そしてモノレール沿いを探索してこよう。

しかし手入れするような庭をもっているのは、みなお年寄り世代だ。アパート暮らしの人もいれば、若い世代の建売住宅みたいのには、トネリコみたいな木が一本植えてあったりするだけだ。そもそも庭手入れ自体の時期が、初夏と秋口から年末までの半年あまりでしかない。下請け産業にはかかわりたくはない。東京は新宿の前の職場に残っていたら、代々木の外苑前だかの再開発にかり出されることになるだろう。あのイチョウ並木が気持ちよい散歩道になるのは、ギンナンが落ちる前に、下請けの職人が木に登って、一つ一つ落として処理しているからである。私も登った。臭いが体にこびりつき、地下足袋はカビてきてしまう。私がとりあえずそんな産業から解放されても、時代が止まったままの発想はそのままだ。その再開発に反対する人も、現存の快適さがどう維持されているかは考慮しない。誰が嫌なおもいをしてその快適さを作っているのか。もちろん、土建会社の社長たちは、稼ぎ場所だと暗躍しているのだろう。

だから未来へ向けて、違った切り口から、隙間をこじ開けなくてはならない。おそらく時期をみて、自分の電子出版物を利用した仕掛けを作るだろう。また、生活クラブ関連の映画観賞の会合でも、参加を続けて欲しいと声をかけられている。年頃のお子さん抱えた奥さんなどは、やはり深刻だ。いや私だって、息子がなお社会人としての特訓がはじまったばかりなのだから、たぶん深刻な事態なのだ。国の治安を守る先生からは「進退」のことを示唆されたらしい。息子は、ワールドカップのサッカー試合が見られないのに文句を言ったんではないだろうか。冬休みになり今日にも帰ってくるはずだが、中学時代の友達五・六人を引き連れてこの千葉に帰宅するそうだ。友人たちはみな学生だから、今どきの学生が何を考えさせられているものなのかも、様子を探ってみよう。


現金稼ぐ仕事としては暇だが、自分の作業はもう時間がない。おそらく人は一つの時間、歴史しか生きられないから、もう自分の枠を突き詰めていくしかない。いま既に盲目の最中に巻き込まれているとしても、それを受け止める子供の感性が衰弱しているだろうし、それを洞察していく体力も時間もないだろう。だからなんとか、自分が受け取ったかぎりのバトンに、自分が生きた時代への考察を刻みこんで、次の時代、歴史にわたしていける仕事をしたいものだ。

2022年12月17日土曜日

引用;秋山清著『昼夜なく アナキスト詩人の青春』(筑摩書房 1986年)

 


『昼夜なく アナキスト詩人の青春』より「下落合、上高田」

 

<ことのついでに、その頃親しみを持っていた乞食村の人々のことを、ここで少し語ってみよう。ちょうどいい機会だし、彼らについて何かを語る人は、めったにあるまいから。

 上落合の火葬場に近い、北向きの崖の中途に彼らの集団があった。

 私が山羊と共に住んでいたのは、東洋ファイバーKKという堅紙工場と墓地との間の五百坪の空地、そこを所有しているのは万昌院という寺で、吉良上野介や大岡越前などの墓があり、賤ヶ岳の七本槍の一人糟谷裕典や水野重(十)郎佐衛門や歌川豊国などの墓石もあった。友だちが遊びに来ると、よく垣根を越えてそこに案内したものだった。その墓地の向うで、北側が急な崖になってるあたり、小径の両側に沿って小さい家が十六、七軒あった。

 毎日のように夕方から出て歩く私は、自転車でない日は、墓地裏の彼らの住宅の中を通って崖の上に出ることにしていた。夜もそこを通る人は全くなかったが、私は上り下りするので、いつしか顔なじみになり、その中央のあたりに据えられた木の風呂に「まだ誰もはいってはいないから」といってよく誘われた。けぎらいしたのではなかったが、こっちは元気な身体、彼らの仲間は故障の人が多く気の毒で、一番風呂を誘われても、とうとう行かなかった。

 ついでに言えば、ここの人々は落合の火葬場の乞食権(そんな言葉があるかないか)を自分たちのモノにして、そこの入口の左右に女や子どもが毎日並んで、出る人、入る人に、例の「戴かせてやって下さいまーし」と連呼していた。私など多少の顔見知りが通っても、まるで見知らぬ人のようにしていた。これもついでに言って置けば、有楽町や当時はまだ在った数寄屋橋の袂や銀座通のデパートの松屋の前にも彼らは出ばっていたが、目が合ったとてけっして知っている人らしくは振舞わなかった。さすがという他はない。集落の下まで松葉杖をついてヨタヨタ来た男が、崖のすぐ下から、いきなりそれを肩にかついでさっと上へ行くことなどにも、いつの間にか驚かなくなった。つづめていえば、仲よしになったということであろう。さすがにその集落には電灯はついていなかった。

 夜更けてその道を上ってゆくと、小屋同士大きい声で、話していたこともあった。

 私の「山羊飼育」は一九三四年(昭和九)の三月から三年間に及んだが、思い出して語るとなれば、自分だけの記憶に於て数かずのことが温存されている。総じて苦しいこと楽しいことで一ぱいだ。中でもこの集落の連中とのその奇妙な往来は、語ればきりがない。わが家に届け物に来る十六、七の近所の米屋の小僧さんがいた。曰く、「あの集落の連中は皆特等か一等米です。二等なんか届けたら叱られますよ。金持ちですからね」

 一寸しゃれた話だ。その乞食さんたちに米代を借りに行ったこともあったのだから、ぼくにもなかなかしゃれたところがある。夜になってから集落の中の小径を行き帰りしても、文句を言われなかったのだから。小屋の中から「乳屋の兄さんネ」といわれて「そうだよ」といって通った。

 その集落に大きなバクチが立つという話も時々きいたが、これがそうなのか、ということにはたった一度だけ出遭ったと思う。

 北は立木のある崖でその下は「バッケの原」という湿地、西は私の家と五百坪ほどの畑と山羊の場所、その次が墓地、その東が彼ら一党の巣。ある日、外から自分の家の木戸をはいろうとすると、集落の者がいそいで来て何やらいった、と「すみません」と崖の上に行ってしまった。墓地の中にも、僕の家との境にも、彼らの小屋のまわりにも、見かけぬ者どもがいて、人を寄せつけまいとしていた。

 日暮れが近くなって、東中野駅へゆく途中の、早稲田通りの交番の巡査が来て、「今日、何か気がつかなかったか」といった。そして、「今日大きなバクチがあったそうだ」といった。

 たまにそういうことがあるというのである。その時は、集落を中心として四方八方に、そして遠く見張りが立つ。やがてその見張りはいなくなるという。事の真偽はともかく、私は一度だけそんな経験をした。

 山羊をやめて近くに引っ越したのは一九三七年(昭和十二)の夏のはじめだった。私は詩をかくことがあり、乞食村、火葬場、バッケの原(これらは落合、上高田にわたり、その中心に当たるところに彼らの集落がある、ともいえる)、そして上高田をよく歩き、このあたりを(風景詩という意味ではなく)詩にかいてやろうという気になった。ある日、火葬場に座っている女と子どもたちを描いてから、そう思いたった。そのあたりの眺めとともに、そこに居る人間たちの少しちがった風景を、と思い立ったのである。

 

 門の両側にすわって

 年よった女 膝から下のない男 子供。

 みんな汚れてくろい顔だ。

 あごひげを垂らしたのもいる。

 雨が南風にあおられてパラパラ落ち

 煙突から煙が突きおとされるように散っている。

 電気ガマのモーターがごうごうと渦まく。

 門のなかは玉砂利の広場に自動車が充満し

 控所は紋つきの女やフロックや羽織袴や。

 東京市淀橋区上落合二丁目落合火葬場。

 出入する自動車目がけて

 彼らはうたうように呼びかける。

 ――供養にいただかせてやって下さいまーし。

 自動車が通りすぎると 私語し ほがらかにわらい

 口汚く子どもをののしり

 菓子をほおばる。

 型のごとき蓬頭襤褸のなかに

 炯々とひかる目をもち

 たくましく健康でさえある。

早春(一九三六年>

…(略)…

<いい忘れたが、数軒の寺、火葬場、豚飼いの屋敷跡、私のいた崖の外れの山羊小屋、それにこの諸君を加えて、何か歴史の時代にふさわしいハナシが書き残されそうな気さえする。今そこには寺と火葬場を残して、何もなくなった。湿地のバッケの原もいつしか、平屋建ての都営住宅となっている。また、あの北向きの崖のあたりには十階建てくらいのマンションというやつが背くらべをしている。>

2022年12月6日火曜日

大澤真幸著『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』(朝日新書)を読む

 


理論的な考察を、具体的な実践での方向へと思考実験してくれる、これまでのインテリではきわめて稀な作業提示に思う。これまでは、具体性を敢えて見えないように捨象した抽象論か、逆に抽象論からの道筋からは飛躍的におもえる社会事象論を説いていくような日本知識人の態度が大半だったとおもう。

 あるいは、NAM挫折後、佐藤優氏のように、はじめからパフォーマティブな言論の構えで実践的な世界と関わっていくような態度となった。

 

が、大澤氏は、一般の知的大衆にもわかりやすいように、理論考察と実践知との結びつき、いわば手品の種明かしをみせながらのように論を作っていく、のは、おそらくその態度自体に、これまでの知識人への批判的実践が潜まれているのだろう。

 ※

大澤氏の論理手順は、どのテーマ(現歴史的事象)にあっても、(1)現状認識とその分析、(2)そこから導き出すリアリズム的実行解、(3)それを乗り越えていくべき「ほんとうの意味」=方向の在り方の提示、というものであるようにみえる。

 

私は、(1)の段階には、同調とともに、だいぶ啓発された。ただし、プーチンのロシア現状においては、私の文学的な想像力においての認識とは異にする所がある。(3)についても、共感する。が、(3)へと成りゆかせるための(2)の現実実行解において、大澤氏とは違う見解をもち、また論理的に矛盾を抱え込んでいる箇所があるのではないかと、指摘する。

 

     実行・実践といっても、様々というか、いくつかの位相があるだろう。一番身近な実践は、まさに自身の具体的な現場での話になるから、試行錯誤でもあるし、言ってはいけない次元のものもでてくる。だからそこは私は言わないが、ここでは、あくまで、国民大衆がどうするか、という、大枠仮想での実行・実践解、という話の位相である。

 

まず(1)。私が一番はっとさせられたのは、次の記述。

 <戦争は一般に、いかにも崇高そうな理念や大義をかかげて遂行される。が、そうした理念や大義は、たいてい、もっとも現実主義的な目的を覆い隠す「口実」や「アリバイ」でしかない。侵略相手国にある地下資源(たとえば石油)が大きな富をもたらしうるとか、その国を軍事的な拠点とすることが戦略上、きわめて有利になるとか、といった現実主義的で、利己的な理由が戦争にはある。だが、それを公言するわけにはいかないので、戦争遂行者たちは理念主義を標榜してきた。従来、戦争とはこういうものであった。

 だが、ロシアのウクライナへの侵攻に関しては、現実主義と理念主義との関係が、逆転している。戦争へと駆り立てている真の動機は、述べてきたように「文明」に関連した理念主義的なものである。しかし、それを覆い隠すように、NATO云々といったような現実主義的な目的が公言されているのだ。>(「1章 ロシアのウクライナ侵攻」)

 

しかし、この「逆転」を正確に認識するがゆえに、大澤氏の現状説明は、陰謀説に近接する。世のいわゆる陰暴論も、資本主義(資源獲得だのの)がどうのという現実が問題(犯人)なのではなくて、資本家(金持ち階級)が仕掛けてくる「文明」支配の悪だくみが本当の問題(犯人)なのだとしているからである。そしてその支配のやり方は、社会主義的な中国並みのテクノロジーを使った管理統制だ、とする。となると、そこも、アメリカ資本主義自体が、中国の権威主義的資本主義に成っていくのだと認識する、「2章 中国と権威主義的資本主義」もまた、陰謀説に近づいていることになる。違うのは、資本家を、システム構造からくる仮像とみるか、実体(人格)としてみるかという、マルクスが指摘していたような一般的な錯誤を把握しているかどうかの違いでしかなくなる。

 

ジジェクは、コロナ禍での論考において、もし陰謀説が本当なら、それは資本家が資本主義の問題点をマルクス主義から学んだからだ、というような記述をしていた。私は唖然とした。資本主義がやばいのでは、と認識するのに、あるいは単に感ずるのに、マルクスなど読まなくても、誰でも、わかるだろう、感じざるを得ないだろう、ずいぶんと頭でっかちなインテリなんだな、とおもった。この点も、大澤氏は、正確にと私には思われる認識を示してくれる。

 

<基底部にある不安は、資本主義そのものが持続可能なのか、ということへの懐疑である。今日、多くの人々が、資本主義が永続できる、ということに関して確信を持てずにいる。富裕層にしても同じである。資本主義は死につつあるのではないか、という不安が広く分け持たれているのだ。

 このような不安が浸透し、蔓延しているということを示す証拠はたくさんある。あまりにもあからさまな証拠は、国連が掲げているSDGs(持続可能な開発目標)である。なぜ、わざわざ「持続可能」ということが目標とされなくてはならないのか。誰もが、普通にこのままシステムを運営していけば、持続できないこと、破局に至ることを知っているからだ。>(「2章 中国と権威主義的資本主義」)

 

ともかく、問題は、資本主義のメカニズムからくる。<プーチンの究極の「敗因」は、戦いを、階級闘争として実行できなかったことに、つまりきわめて暴力的な文明の衝突としてしか実行できなかったことにある。>――私は、ここに、もっと深刻な認識、というか、文学的な想像力を介在させる。

 

比喩的にいえば、プーチンが、三島由紀夫みたいに、追い込まれていた(?)らどうなるのか? 三島は、切腹した。つまり、自らの命を無理やり日本人に贈与してみせることで、柄谷風に言えば、交換Cとは違う交換Aの存在を喚起させることで、その彼の死後生きる我々に、本当のことを考えろ、真剣に考えてみろ、とたじろがせるような負債感情というか、いったい何故腹なんか切ったんだという謎かけ、敗戦後に成長しはじめた思考を停止させてしまうような衝撃を与えた。

 

これと同じ覚悟を、プーチンが持っていたらどうなるのか? どちらも、若い頃のひ弱な体を無理やりマッチョに鍛えたりして、似ているし。

 

つまり、プーチンが、無意識化において、次のような思考に追い立てられているとしたらどうなのか? 人類よ、本当に、真剣に考えてくれ、地球環境以前に、人間の尊厳とは何なのか? 西洋が作った文明が本当に善であったのか、立ち止まって反省してくれ。もう一分待つ。もう待てん。あなたがたに、真剣に考えてもらうために、私はわがウクライナとモスクワを西洋文明の核によって自爆する。ロシアは、命をささげる! 人類は、わがロシアの命を無駄にするか? 考えてくれ! ほんとうに、考えてくれ!

 

だとしたら、呑気なことを言ってられない。手順としては、まずゼレンスキーをふざけんな!と叱咤して停戦させて、その上で、みなでプーチンのところへ押しかけて、俺たちがおまえのところになんで来ているのかわかってるよな、と吊るしあげながら、トッドの政治的リアリズム風の認識甘言も加味してなだめもし、とにかく現状停戦させて、時間をかけて実行解をまとめていく、というものだ。

 

大澤氏は、まずウクライナへの全面支援を説く。その上で、「ほんとうの意味」での解決のためには、「ロシア人が、まさにそのヨーロッパの最良の部分を代表する理念を、ヨーロッパ人以上に忠実に実行して」いくことが大事になる、と。

 

今までの現状では、即座に停戦とはなりようがないだろう。タイミングがなければ、それを作らなければ、話し合いははじまらない。ウクライナがヘルソン州の東岸部の一部をもとりかえし、ロシアが劣勢になって小康状態になった時点で、現状容認から示談、という線を示さなければ、戦争は長引くだけだろうし、もしロシアをウクライナ外へ全面追い出してからなら、むしろ話し合いの契機などなくなり、それこそ、核戦争に行くのではないか、と私は懸念する。

 

大澤氏は、以上のような論理段階を経るわけだが、中国・台湾をめぐる情勢をめぐっても、思考の内実は同様だろう。日本は、アメリカが所持する理念の側に立たなくてはならないし、ゆえに、将来ほぼ確実な中国の台湾進攻に対しては、ウクライナへと同様、軍事支援をしなくてはならない、その上で、「ほんとうの意味」での解決のために、アメリカに追随するに終わるだけでなく、資本主義そのものを超克していくことを目指さなくてはならない、と。

 

が、このアジアの件に関し、大澤氏が問うていないことがある。それは、台湾市民の意見である。ウクライナの人々は、選挙世論等で、はっきりと西側の方がいい、と態度表明した、ということが認識され、前提とされうるからその実行解でいいかもしれない。が、台湾の人々は、ゼレンスキー・ウクライナのように、領土防衛のために武器を持って戦うことを是としているのかどうか、大澤氏は問題としていない。台湾の人々の多くが、戦争するくらいだったら、中国に従属してもかまわない、と思っていたら、大澤氏の(2)現実実行解は、前提認識から崩れるのではないか?

 

最近の、台湾における、全国知事選挙なのか、の結果は、西側よりの現政権側より、中国よりの野党側が勝利した、という話になっていると思う。私としても、一般的にいって、アジア人は、あんまり領土のために、だか、国土のために、だか、わざわざ戦うことを好まないのではないか? 西側とは、主体、ひろくは主権の内面的あり方が、やはり違うのではないだろうか? たとえアジアの人々も、自由や平等といった理念に共感しそれを望むとしても、それを手に入れるための手続き、つまり(2)の現実実行解は、変わってくるのではないだろうか?

 

それを間近に、自身のこととして考えてみる思考実験として、「5章 日本国憲法の特質――私たちが憲法を変えられない理由」があるだろう。

 

私は、(1)の現状認識の仮定として、台湾の人々は、戦争を望んでいない、と認識してみる。すれば、(2)の現実実行解として、自衛隊は、中国の台湾侵攻があった場合でも、軍隊として関与しない。軍事的には、台湾を見捨てる、となる。そして(3)の「ほんとうの意味」方向として、世界大戦を実行しようとする中国はじめアメリカとうの世界に対し、不戦の戦いを宣言する。つまり、日本は、世界から孤立しても、もう一度、世界と戦う!

 

大澤氏は、<律儀に九条の理念を実行に移すこと>と言うが、それでは、ウクライナと台湾に軍事支援する、というリアリズム実行解と、まっこうから矛盾してしまうのではないだろうか? その本当の意味へと到達するために軍事実行する、との具体段階に、律儀に実行、という「本当」を繋げることができるのか?

 

私は、こう問うてみる。

 

現代までを生きている、日本人の、誇りとは何か?

 

一つ、負けを覚悟でも、強い相手と戦い、世界大戦を挑んだこと。

二つ、もう、戦争はしない、と誓ったこと。たとえ、押し付け9条だろうが、解釈かえてそれを骨抜きにしようが、その形を守り抜いてきたこと。

 

この、戦うことと戦わないことは矛盾しているが、もう一度世界大戦を不戦の覚悟で挑む、とするならば、矛盾でもなんでもない。私たちの、日本人の誇りに合致することである。

 

大澤氏は、真の愛国者が、普遍主義者、コスモポリタンになるのだ、そうでなければ、説得力をもたない、と説く。が、大澤氏はともかく、誰かに刺された宮台真司氏は、そうした愛国者だったろうか? 少なくとも、外的な言動はそうは思えない。かつて、浅田彰氏が日本人を「土民」と呼んだように、「愚民」と言ってはばからない。だから、右からも左からもうらまれているだろう。大澤氏が言うように、<しかし、どうして暴力が噴出したのか。人は一般に、言葉では説明できないことを求めているとき、暴力に訴える。言葉で表現されているすべてのことに違和感があるとき、人は、暴力によってその違和感を表現するしかない。「それじゃないんだ」と思いつつ、それではないものが何であるかを言語化できないとき、暴力でその不定の欲望を表出することになるのだ。>(「4章 アメリカの変質」)

 

宮台氏を刺した何者かが、映画『ジョーカー』に触発されるような、渋谷をたむろする若者のような大衆たちではないだろう。まず彼の話をきき、理解していなければならないのだから、知的大衆だ。しかし、そこも、言語化できない違和感が暴力として噴出せざるをえない自然過程に呑み込まれているのかもしれない。宮台氏が、ネット番組の「ニコ生深読み」で、ワールドカップ・サッカー日本対ドイツ戦の直前、この著作をめぐって大澤氏らと会談し、その後、刺傷したというのは皮肉なことだ。それは、宮台氏に、なお言語化が不十分だったこと、どこかずれているところがあったことを通知しているからだ。

 

※ 私は、サッカー・ワールドカップのベスト4をかけて、日本と韓国が対戦したらどうなるのだろう? と考えていた。日本人として、どうこの複雑になる心境を整理し、両国のよりよい関係を築いていく論理を導いていったらいいのだろう、と考えていた。実際に試合観戦しながらの、臨場感、情動の最中で、論理の説得性を吟味できたら、と。

 残念ながら、日本は負けてしまった。おそらく、これ以上の勝利には、選手ではなく指導層、大きくはサッカーを日本の国技みたいにできるのか、というところまでいくのだろう。アメフトだのバスケだの色々あるアメリカが、サッカーでも欲を実現するなんて、本気では思えないだろう。

 しかし、私は、今の戦争状況がなかったら、深夜に起きてサッカー観戦をするまでには、いたらなかっただろう。いったいいま、世界で何が起きているのか、を知るために、ワールドカップを見ているのである。

 それは、まだ、終わっていない。眠い。興奮したからか、眠れなかった。優勝は、フランスかなあ。ライオンやチーターが戦っているみたいだ。

 

2022年11月26日土曜日

渡邊英理著『中上健次論』(インスクリプト)を読む


 「中上文学を(再)開発文学の視座から捉え」る、と本の帯にあるので、社会学的な知見を応用させた主題読解論的な評論なのかと思った。が、夢分析していくような緻密な思考軌跡に裏付けられたテクスト読解だった。しかも、言葉遊びに放恣していくのではなく、そこに社会学的な論実もが適格に挿入されて、説得力を増幅していく。

 が、ジャーナリズムや学問世界で生活しているわけでもない私が、よいしょと挨拶していてもしょうがないだろう。以下、気の付いた批判を記述していく。

 

渡邊氏は、これまでの父-子に集約されていくような中上読解から、それを兄たち―動物たち(熊や鳥)―雑草へ、とイメージ連鎖を展開していく。その創発的な想像力を学究として説得性をもたせるために、レヴィストロースの人類学を介在させ、そこから、いわゆる現今のリベラル政治を支援させていくような文学思想的な知見を重ね合わせる。

 

<中上健次の小説(テクスト)は、規範的な近代家族のそれとは異なるクィア家族の親族関係を繰り返し描いた。「このテクストでは、親族関係の語彙は、目眩を起こさせるような多義性、多価性のなかで、その規範化能力を失いはじめているようだ」。乱反射する多義性、多価性は、親族関係の非首尾一貫性と非整合性をあらわとする。このような親族関係の攪乱は、単に安全地帯にあるフィクションという机上の空論としてのみ思考されている訳ではないだろう。「むしろ親族関係が確固不抜のものではなく、可鍛的なものであることを読み解く」文学は、「現代社会で進行している拡大家族や、シングルマザー、養子縁組、ゲイが親となること、国境を越える移動に伴う複層的家族構成などを、単に社会現象としてだけではなく、理論的・文学的に説明し、それらに社会的で心的な生存可能性の根拠を与えるものとなりえる」。その非規範的な家族や親族をめぐる理論的・文学的な説明は、「家族の位置が明瞭ではなく」「親族関係が、もろくて、多孔的で、拡張的な時代」である今日、より一層かけがえのない非規範的な家族や親族の生存可能性をめぐる根拠を提供するだろう。>(第四章「被差別の人類学、賎者の精神分析」 引用中の「」の文は、竹村和子著『アンティゴネーの主張』 青土社)

 

ここには、二重の疑問符がつく。

 

まず第一に、文学が、生存のための根拠になりうるのか? ということ。指針にはなるだろう。が、理論であれ、思想であれ、それが提示しえるのは仮説である。宗教(信仰)とは、その物語・文学的根拠の仮構それ自体をも、無根拠に信じることからはじめられる。聖書の創世記が示すものも根拠であるが、それ自体を信じるところからはじめられるのが信仰生活であろう。理論や文学が根拠になりえると信じるとは、それと同義になるのだから、実は無根拠だと言っているのと、同じにならないのか?

 

しかしとりあえず理性ある現今の人間の営みとして、知見の根拠となるのは、科学である。ゆえに、この引用の前段階に、レヴィストロースの人類学が措定されているのだ。

 

が、この人文科学的な知見は、現在、エマニュエル・トッドの「家族人類学」によって揺るがされている。相当な実証的論理によって、科学的な反措定が提出されているのだ。

 

そのトッドの人類学からみれば、中上が「母系制」と把握していた家族のあり様が、実は、文明化以前の周辺地帯に残存する核家族の惨状なのだ。ヨーロッパのリベラルと現今では一括される民主主義の理想が、文明以前的な原始社会の名残なのである。

 

日本において、核家族を圧制する父権的な共同体家族の浸食は、京都の天皇政治からきているのではなかった。天皇家が父権的になり長子相続になったのは、明治以降である。日本では、それは東国の武家社会からくる。鎌倉時代からといわれ、モンゴルとの戦いの影響も指摘される。熊野へ侵出と神話される「古事記」での神武東征では、そもそも神武天皇自身が4男末子相続的なのだから、核家族を示唆しているだろう。

 

中上の作品で、その東国からの影響は、まず戦国時代の織田信長(武家)と戦ったとされる浜村孫一の伝説と、浄土真宗ということになる。トッドによれば、この宗教が、ヨーロッパでのプロテスタントにあたり、共同体家族への前段階としての、長子相続的な直径家族的思想をもつ。しかし中上の作品から伺われるのは、戦後の高度成長を経たあとの社会にあっても、路地の世界は未分化的な核家族状態だということだ。

※参照;ダンス&パンセ: エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2) (danpance.blogspot.com) 

 

ならば、戦後の当時にあって、孫一伝説のような神話作用ではなく、具体的な文明の、直系家族的な浸食はどこから来ていると描写されているか?

 

それは、「枯木灘」において、秋幸が殺した義弟の秀雄とその仲間たちが作る暴走族という集団になる。

 

<現場へもどろうと、一人美智子のアパートの前へ来た。ダンプカーを三方から取り囲むように十五台ほどのオートバイが置いてあるのを知った。秋幸は舌打ちした。一台を足で蹴った。秀雄の仲間がこんなことをやるのだと思った。そう思いむかっ腹が立ち、ダンプカーの運転台のそばにある骸骨のシールを貼った一台を蹴り飛ばした。>

<路地の美恵の家にもどる前に、盆踊りを見に寄ろうと三人で、路地が小高い山に沿ってのびて切れたところにある空地に向かった。その空地は駅からの通りに面していた。ヘルメットをかぶった警察官がいた。骸骨の絵のワッペンを一様に貼ったオートバイが十五、六台、空地に接した通りに置いてあった。>

 

この「骸骨のシール」「骸骨の絵のワッペン」とは、おそらく、関東の暴走族のシンボルである。「スペクター」という。1975年ころが最盛期と言われ、数千台規模の、全国で一番の数を誇った、自然発生的に増殖した暴走族のグループだ。今でもその支流は続いているといわれる。一度、解散寸前の5人までになった。残ったメンバーは、東京は新宿区の職人街育ちの青年たちだった。私の植木職の親方が、その内の一人で、「スペクター」三代目総長となったいまはとび職の親方となっている同級生とともに番長の一人となっていた。任侠もののDVD暴走族シリーズ「スペクター」で、その再起動と動乱の様を伺うことが出来る。また私も一緒に仕事をしたことのある元総長は、たまにテレビにも出演している。

 

「枯木灘」での徹、秋幸と同じ職場の同僚は、この路地の家族のあり様を「かかあ天下」と形容した。この言葉は、とくには関東は上州(群馬)の女性との関係において言われたものだが、これを、「母系制」なりそこからの拡張含意で「クィア家族」と敷衍していくのには、少なくともトッドの科学知見からすれば、早とちりとなるだろう。トッドからすれば、「母系制」なるものがそもそも、父権的な文明浸食への反動形成であり、事後的なものである。ヨーロッパでの「魔女狩り」が、いわば「かかあ天下」においてこそ発生したものだという分析もある。自伝的にも、中上は母親からの教育熱心に支援されてきたわけだが、その事態も、文学思想理論よりも、トッドの歴史考証からの方が説得力を感じる。

※参照;ダンス&パンセ: 屑屋再考案3――トッド・ノート(7) (danpance.blogspot.com)

 

私はこの自身のブログでも、私が30年働いてきた植木職場の家族・人間関係のことをところどころで描写してきたが、21世紀のいまもっても、東京の都心部に、中上的な路地の家族世界の残存が濃厚なのだ。(そこ、私の職場であった植木屋は、檀一雄が居住していた「なめくじ横丁」の三軒隣りであり、近所の皇族の遺体を火葬するに指定されている火葬場の崖斜面は、墓堀りや墓場からでる残留物を独占した「乞食」と呼ばれる人が高度成長期まで暮らしていた。おそらく部落である。地元民はそこを「乞食山」、林芙美子は作中「乞食部落」と呼んでいるが、アナーキスト詩人の秋山清はその居住者たちと交流をもって、エッセーに残している。『昼夜なく―アナーキスト詩人の青春―』筑摩書房。1960年代であるか、11階建ての団地2号に開発されて、私と女房・子供の家族三人は、息子の小学2くらいの時そこに引っ越し、高2の受験をむかえるまで、1号棟の6階で暮らしていた。そこに移ると決まった際には、「え、乞食山に住むの?!」と、地元の職人たちからたまげられた。親方が言うには、もう火葬場の一番強暴な連中はひとりもいない、という話であった。いま、古くなった団地の再開発が問題になっている。)

 

となれば、安易に家族の進化に希望を、あるいは理論的な根拠の前提となる経験的資料をモデル視、理念化するわけにはいかないだろう。トッドがウクライナでの戦争の様を家族人類学的にみていうように、猿から人への葛藤が、始原の核家族価値と文明の共同体家族価値との葛藤の続きが露呈しているということかもしれないのである。

 

(トッドの帰納主義的な理論と、レヴィストロースの演繹的な理論における、理論それ自体にある思考の型問題自体を、柄谷行人の「トランスクリティーク」などから再検討もできるが、ここではそう指摘だけ。)

 

ならば、この科学上でてきた反措定に、どう対応すべきか?

 

渡邊氏は、最終的に「雑草」というイメージ連鎖にたどりついた。しかしもちろん、「雑草」という大区切りの呼び名は近代においてであって、それ以前から、ひとつひとつが名前をつけられている。しかし重要なのは、もともと固有名をもっているよ、ということではない。むしろ、無名であるからこそ、名前をもつような固有性がある、ということなのだ。その思考過程の現実性を提起する論考に、フッサールの現象学と圏論のような数学の先端とを結びつけて、レヴィナスの他者論と結びつけた西郷甲矢人・田口茂著『<現実>とは何か 数学・哲学からはじまる世界像の転換』(筑摩選書)がある。いわば、「雑草」を社会学的な外への知見に重ね合わせるのではなく、その内側から、雑草(無名戦士)という交換可能な存在様態であるからこそ名前が、他者の顔という固有名性が担保されるのだというような回路がありうるのだ(BCCKS / ブックス - 『人を喰う話 2 『進撃の巨人』論』菅原 正樹著 参照)。

 

それは、インテリという著名な言論世界ではなく、インフルエンサーという、素人の、無名的な世界にこそ知の普遍的な在り方があるかもしれない、という、現今のネット上での試行錯誤と私は重なっていると思っている。近代的な大量とは別次元の大量(大衆)の模索。

 

しかし、渡邊氏も、暗黙にはそうした現勢に気付いているだろう。なぜなら、上の事態の科学的論拠とは、西郷・田口氏もそうだが、量子力学なのである。

 

<それは、路地で「凶事が起り、それが続けば、「これは何が悪いのか」と問われるように、原因があって結果がある、一定の「法則」に基づいて一定の結果を得られるニュートン力学的な考え方であり、リアリズムの文法であり物語の権能だと言える。それに対して縁起は…(略)…従来の物理学の「一般法則」があてはまらない揺らぎをはらんだ量子力学の考え方に似る。「縁」による離合集散は、人間にかぎるものではない。人間と人間ならざる者を含む多様な要素が切れながらつながることで構成される偶有的で潜勢力に満ちた世界。>(第八章「生命の縁起、脱人間/人文主義」)


(私が量子力学に関心をもったのは、この渡邊氏の著作では言及されてはいない、河中郁男著『中上健次論』の三部作からである―ダンス&パンセ: 河中郁男著『中上健次論』(鳥影社)と。 (danpance.blogspot.com)。―

そこで説かれる「観点」という概念が、量子力学からきているのでは、と勉強を開始したのだ。) 


しかし……たとえば、いま、プーチンとの交渉で、その縁起、科学的に「量子もつれ」なる事実で戦争をやめるよう説得するとはどういうことなのか? ほとんど、目を合わせて、テレパシーを待つようなことにしかならないだろう。現今の科学現状では、量子論の詰めでは、論理の飛躍があって、神秘主義、スピリチュアリズムになってしまうだろう。いまだに、カントが、スウェデンボルグを認めながらそれを退けねばならないというような事態が続いている。形而上学の復権として、至上命題をプーチンに説くことが現実的なのか?

 

やはり、今の段階では、トッドが示唆するように、おまえ(プーチン)は共同体家族の育ちだからそう権威的になるのはわかるよ、それはこっちがまだ核家族の個人主義的な自由主義観でものを言ってしまうのがしょうがない、というのと同じだよな。だからさあ、そこらへんはお互い理解して、なんとか戦争を早期終結に向ける話し合いをしようじゃないか、と、説得していくほうが、話になるのではないだろうか?

 

私には、現今の科学が示す反措定は、そのように指示しているように思える。

2022年11月7日月曜日

真理とは何か?

 


遺伝子は本当にらせん構造なのか?

とは、最近電子出版形式でまとめてみた論考(「陰謀論者はお客様」)で、アインシュタインに似せて言ってみた問いである。アインシュタインは、観測して始めて物質として見えてくる量子現実に、ならば、月は見てない時は実在していないのか? と問いかけたのだった。まだ私たちにはわからないことがあるから、そう観測されるだけではないか、と。

 で、最近の分子生物学では、遺伝子とされてきたDNAのらせん構造をそう実在する(定在させる)とする見方が科学発見的に揺らぎ始めているようなのである。

 BLUEBACKSシリーズの『遺伝子とは何か? 現代生命科学の新たな謎』(中屋敷均著)の帯には、<「遺伝子はDNA」が揺らぎ始めた! エピジェネティックス、RNAワールドなどの最新研究からみえてきた新しい生命像とは――?>とある。

 文中の作者の比喩を援用するならば、「電話とは何か?」と問うて、受話器のことか、ならばケーブルは? いや電波の基地局は? 交換局は? いや機械を使って人と人とが話すことなのか? ……と、定義自体を見直していかないと、わけがわからない事態になってきている、ということらしい。

 DNAからRNAからタンパク質製造へ、というセントラル・ドグマとされる理解も揺らいできて、その逆コースも事実らしいことがわかってきた。とその知見から、現今のコロナ新型mRNAワクチンも、そのエピジェネティックな遺伝子改変が遺伝していく可能性が指摘されていたわけだが、陰暴論として退けられてきた。しかし新ワクチンを推奨しているウィキペディアの「ヌクレオシド修飾メッセンジャーRNA」というページでも、セントラルドクマの方向で辻褄あわせていこうとする箇所、<さらに、遺伝情報は細胞核にDNA(RNAではなく)として存在し、modRNA(化学修飾されたRNA―引用者註)は細胞核に入ることはない。>という記述には、根拠となる科学論文を提示してください、と「要出典」の註がつけられている。

 

が、そこで私が問いたいのは、その新型コロナウィルスのスパイク・タンパク質の人体内での増殖スピードが、その自然速度では実用化にはならないので、化学修飾したら増殖スピードがあがって実用化の目処がたった、それがブレークスルーのポイントになった、という開発者の伝記的記述をスマホのニュース記事で目にして、その学者の発想はおかしいだろう、ということだった。科学者なら、問うべきなのは、なんで自然ではそのスピードなのか、ということではないのか? なんで、早くする、という合目的性がいきなりでてくるんだ? もちろんそれは、真理を探究する科学者ではなく、人間社会で今使えるものを開発するのが役割である産業技術者、だからだろう。

 

ならば、いやだから、そもそも、新ワクチンは科学の産物じゃない。真理とは、関係ないのじゃないのか?

 私の素人な知見では、いま科学の現状は、量子論延長の物性物理や上の生物学まで、これまでで自明化・単純化された見方・構造を、また複雑に解きほぐして見ていこうとしているように見える。形や構造を決める境界が揺らいでいるというより、そう内と外を想定して理解しようとする見方自体を自然が告発してきているのだ。(昨夜のNHKの特集番組『超・進化論』「(1)植物からのメッセージ」での植物界での生態上の新知見などもそうであろう。)

 

が、現今の、人文知的な、世界認識はどうか?

 

エマニュエル・トッドの最近作から引用すると、――<現在、強力なイデオロギー的言説が飛び交っています。西洋諸国は、全体主義的で反民主主義的だとしてロシアと中国を非難しています。他方、ロシアと中国は、同性婚の容認も含めて道徳的に退廃しているとして西洋諸国を非難しています。こうしたイデオロギー(意識)次元の対立が双方の陣営を戦争や衝突へと駆り立てているように見え、実際、メディアではそのように報じられています。/しかし、私が見るところ、戦争の真の原因は、紛争当事者の意識(イデオロギー)よりも深い無意識の次元に存在しています。家族構造(無意識)から見れば、「双系制(核家族)社会」と「父系性(共同体家族)社会」が対立しているわけです。戦争の当事者自身が戦争の真の動機を理解していないからこそ、極めて危うい状況にあると言えます。>(『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 文藝春秋)

 

トッド自身は、世界を四等分化するような構造的見方は、デカルト的な単純抽象化(「呪術的宇宙」)だ、と批判し、たしか20通り以上の家族構成を抽出分類していたはずだが(ダンス&パンセ: <家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1) (danpance.blogspot.com))、いまや、四つどころか、二つですんでしまうという……。

 

とりあえず、実践的にそう見ておく必要があるというのはわかる。が、私は、新ワクチンだ、ゼレンスキー・ウクライナ頑張れ(この戦争反対の論理だと、日本も持続する防衛戦争頑張っていいのだ、になってしまうが…)だのにはうんざりしているので、もし人類の文明がなんとか残ったら、の次のことを考えていたい。そのときは、この複雑さの方向へ、自然の理解が更新されるだろうから。というか、そうでないと、希望がないような。そのためにも、今、単純に見える事柄が、複雑怪奇であることを、よく見知っておかなくてはならない。そうでなければ、他人への思いやりも深まらなければ、そこからの実践も更新=反復されない。ニュートンの古典物理学の延長での「自然の遠隔的な「力」」で、現今の更新はできるだろうか(柄谷行人著『力と交換様式』 岩波書店)? それはトッドのかつての批判にあった「呪術」、日本的に言えば言霊ということになってしまうだろう。

 

もしあなたが、実践というものを具体的に考えて、そこにおいて、自然を、世界を考えているのならば、贈与って何? 今の社会で、何をもって贈与というの? 無償で子供を育てるってこと? 親を介護するってこと?(そのことが政治的に何を意味・機能してきてしまうことを意識させられるのか?) お年玉やお歳暮をやりとるする文化慣習のこと? それとも災害時ボランティア? と、そう問わずにはおれないのではなかろうか? 贈与たって、複雑ではないか? 私に言わせれば、単独―普遍的な贈与を社会的に作っていく意志が、意識=言語化が、まずなくてはならない。その営みが、古典物理でできるとは思わない。形式的な反復(指摘)ではなく、実質的な更新=反復が必要なのだ。


 真理は、心臓のように鼓動しているのかもしれない。柄谷はかつて、物を考えるとは、単純に見えることを複雑怪奇なものへ、複雑怪奇に見えるものを単純にしてみせることだ、と言っていたが、私には、今は、単純化に収縮させるのではなく、複雑に膨張させていかないと、逆に物事の真実が見えてこない、更新されないように見える。だから、もっと近づいて、会社の枠だのとっぱらって、社会を、人間をみよ。いや若い人たちほど、もうそういう場所に追い込まれているはずであるし、その場所が、新しくあらざるをえない蠢きを律動させているのではないだろうか?

少なくとも、科学の先端的な現状は、そううかがえさせるのではないだろうか?