2024年1月22日月曜日

山田いく子リバイバル(4)

 


前回のブログで、いく子は、親に「小説」を書いていると嘘をついたと書き付けているが、実は、嘘ではなかった。

 

そう書き付けた95年の時点では、嘘な理由付けなのだが、実は、91年ころから「制作ノート」と題された日記をつけはじめている。私は、彼女のダンスの制作意図等がうかがえるかと思って、91年6月までつづく5冊の大学ノートに目を通してみたのだ。が、なんとこれは、小説を書いていくための“創作ノート”だったのだ。

 

「制作ノートNo1 ’90 10/3 統一ドイツの日から」と表紙に小さく記されることからはじめられたその「制作」意図とは、派遣労働の実態をあばくべく企画された、いわばプロレタリア小説の構想なのだ。彼女はこのころ、自分を自主的な首に追い込もうとしている派遣会社と個人的に闘争している。労働組合に早くから参加したこともある彼女は、組合が、結局は男性支配を手放す気はないと見切っている記述もある。しかし、その軋轢に疲れ、91’年の年末に、トルコ・イスタンブールへと突如旅たち、92’年の夏には、ニューヨークへも行く。ニューヨークでの、壁の落書きを背景にした彼女の写真が残っているが、おそらく、拒食症になっていて、がりがり気味にやせている。

 

いく子はその日記のなかで、リアリズムを嫌悪していると表明している。構想としては、日記的につづっていくものだったようだが、もちろんというか、本人にはそれを続行していく気力が備わっていないと自覚しているので、冗談なように綴られていくことになった日記=「制作ノート」だったのだろう。

 

10/3……<アナイス この人の日記はすごいですね。長大な量を書き続けたこと。私がしゃべって歩いて、浪費させてきた時間を綿々と書き続けたんだなと、方法と労力に感心しています。私はできなかった。日記を書き続けたら(「完全に」―線で消されている)気が狂うと思ってた。醜悪なものも、見据えてしまいますもの。>

10/4……<おそらく私は女性の権利を声高に叫び、自己啓発、自己表現の可能性をたゆまぬ努力し続けたと思う。たぶんそういうところが約束されていたと思う。しかし叫ぶ以前のところにおしとどめられてるんだな、私は。会社がない、仕事がない、権利がない。しかしひょっとしたら、理想のところにいるのかもしれない。すべては私のためにあること。かきねをこえて移動できること。ボヘミアン>

10/31……<小説作法 「私」が会話体で物語ってゆく。録音して速記して完成させる。><(註―アナイスニンに対して)女の情念――こんな文句どこにも書いてありませんが、こう言ってしまう人が苦手で。しかもそれが何なのか私は具体的にわかってないのですが、アナイスから匂ってくるんです。たぶん、これが反発してるものなんだと思うのですが。最後まで何に反発しているのかを確かめようとしてるのですが、うまくいかない。><年末にさしかかってくると ばかさわぎがしたくなり、クリスマスが近くなると、恋人が欲しくなる。どこかに遊びに行きたいな。東京nightでもいいし、軽井沢・湯沢でもいい。>

 

12/10……<タイトル「負け犬の遠吠日記」→ヤメ! 要素 ・アナイスニンの日記、泥棒日記 ・髪を切ったこと 検定 舞台 〆切 ・履歴書について、経歴について ・労働の現場 終身雇用が崩れてる><好きな女の人 下村満子 小倉佳代子 フェミニストが好きだな。>

 

「制作ノートNo1」からの抜粋のみにするが、次第に、片思いをつづる葛藤も増えていく。海外への旅たちは、その男性に拒絶されたこともあるのだろう。

 

いく子は、アナイスニンが日記のなかで、セックスとかの記述を省いたこと(あるいは出版にあたり削除されたのではないかと)を疑問視しているのだが、これまでのところ、彼女自身がそうしたものを抑制しているように感じられる。熊本での、男子校から共学にかわったばかりの高校生活で、自分が奥手であること、出遅れてしまっていることを吐露する記述も目にしたが、それゆえに進学できず就職したあとでの男性づきあいは、恋を恋するためにやってしまったようでと、後悔している初期日記の記述も目にした。

が、彼女が、おそらく男性的な男性から逃げてしまうだろうようなのは、父親の精神分析的対象になるような影響ということもあるが(だから、父への愛を語るアナイスを好きになれないのだが、その嫌悪が、自身への否認の身振りであることにも感ずいている――)、それ以上に、彼女自身が男性的であり、そして、レズビアンではないが、同性愛の志向が強いからだと思われる。

 

いく子の残した本には、荻尾望都の半自伝のものがある。少女漫画のジャンルになるのだろうか。彼女は、村上春樹が好きだが、その理由は、彼(の主人公)が「軟弱」だからだと記している。彼女の心の中には、小さないく子が住んでいる。その小人が、日記を記しているようなところがある。そもそも、この「制作ノート」自体が、ある女性、「軟弱」な心を秘めた男性として、憧れの女性に向けて書かれ始めているのだ(おそらくその頃なのだろう、映画「ヘンリー&ジェーン」とかいうアナイス・ニンとヘンリー・ミラーの関係を映画化したものが放映されたのは。その映画感想を彼女に送る、という体裁で書き始められた「制作ノート」なのだ)。そしてその憧れの彼女が、和歌山県の有田市出身のダンサーで、いく子を中上の熊野大学に誘ったのである。彼女とだけのやりとりをまとめた「○○ノート」も、4冊残っている。そして、いく子は、その熊野大学で、柄谷行人の涙をみ、そこに、男性の中の「軟弱さ」、いわば、女性的なるものに感応しているのだ。そしてもちろん、ヘンリー・ミラーとアナイスニンの翻訳を手掛けた経歴のあるのが、柄谷とその最初の婦人、のち小説家の冥王まさ子だった(彼女のペンネームや小説を考えれば、そこにも、少女漫画的なものを認めることができる)。となれば、彼女は、二人の関係を描いた映画に、レズビアン的な、あるいは少女小説的な少年(同性)愛が希薄であることこそを読み込もうとしてしまっているのである、となると思う。また、のちに、彼女が年上の男性との結婚に踏み切れないのも、そうした精神的複雑さが(私はそこに、時代をブレークスルーしていく思想性を勘ぐっているので、山田いく子をリバイバルしようとしているのだが――)、起因しているだろう。

 

とりあえず、そんな仮説推論で、終えておく。

 

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