2024年1月23日火曜日

山田いく子リバイバル(6)

 


1997.9.1 作家協会 新人コンサート 「I asked to Summer」

 

39歳の作品。また「ホテル・カルフォルニア」の音楽が流れたとき、やば、これも著作権にひっかかって、削除されるのか、と思った。が、そうにはならなかった。何故なら、いく子は、この音楽を、ずたずたに引き裂いたからだ。

 

小道具として、「ガーベラは・と言った」ででてきた、ゴム紐が使用された。しかしその使用は、女性の現状を寓意するかのような象徴行為としてではない。彼女は、自分を、批判しはじめたのである。ゴム紐は、2本だけ使われた。踊る舞台の手前に、だから2本の線が引かれた状態になる。これは、たとえば字を間違えて書いたとき、2本の傍線をひくだろう、そういうことなのだ。いく子は、これまでの自分が、ダンスが間違っている、否定する、という表明実践にでたのだ。

 

(1)「ホテル・カルフォルニア」の楽曲が、日本の歌謡曲の断片に寸断され、バラバラにされたのは、この自己言及、自分の作品を引用することによる、自己批判の決意なのだ。いく子は、この作品で、文学的に言うならば、「歌の別れ(中野重治)」を遂げたのである。自分を笑い飛ばし、ダンスを笑い飛ばし、ユーモアをまといはじめる。

 

大きなハット帽で顔を隠す。何故か? 彼女の自己批判は、自己を消すことであり、ナルシズムからの脱却実践だからである。演技後、ゴム紐を袖脇で持ってもらっていた、ひはるさんをはじめとした二人を、舞台に呼んで、一緒に挨拶をしている。ナルシズムから出るということは、他人の間にあることを、自覚することでもあった。彼女は、ジオシティーズでのダンス&パンセHPでの自己紹介文に、こう記した。「私はソロダンスが嫌いです。ダンスは身体であると同時に、関係なのですから。」

 

私の知っている、いく子が、登場した。

 

     いく子は、この公演での写真を、プロに頼んだようだが、そのやりとりのメモがでてきた。彼女が選んだ三枚の写真を、縦に並べてくれ、と。そして、その写真は、トイレに飾るのがいいのだ、とつけ加えている。たしかに、いつもいく子は、その三枚一組にしたハット帽写真を、トイレに飾っていた。千葉の自宅でも、そうしようと、出入り口ドア上部の窓枠に置こうとしたが、落ちてくるので、やめにして、どこかにほっておかれたままになっていた。遺品整理にあたり、私はそれを、階段の壁にかけたのだが、そのメモをみることになったため、トイレに、飾り直した。

 

1997.9.1 作家協会 新人コンサート 山田いく子 タイトル「I asked to Summer」 (youtube.com)

 

(2)上のダンスのゲネの模様。公演まえの打ち合わせ、音響・照明あわせなどが終わったあとで、舞台担当者が、まえのロープを全然使わなかったけど、いいのか? と聞いている。踊り終わって息を切らしているいく子は、首だけで、いいの、とうなずいている。この2本の線は、ただ、舞台のまえで、舞台自体を消すためにこそ、引かれていなければならなかった。しかし、誰が、そんな彼女の実践を、理解できただろうか?

 

1997.9.1作家協会新人コンサート 山田いく子 「I asked to Summer」のゲネ (youtube.com)

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