2024年1月30日火曜日

山田いく子リバイバル(8)

 


(1)1998年2月1日 舞踏家協会 ティアラこうとう連続公演

 そのうちの、江原朋子先生の舞台「キャンプ 青白い月の光がてらしてる」、に主演している。

 

(2)1998年2月6日 「エンジェル アット マイ テーブル」と題して、仲間とともに振り付けし、自らのダンスを披露している。

 

1998.2.6 山田いく子他「エンジェル アット マイ テーブル」 (youtube.com)


※ これも、音楽が著作権にひっかかって、閲覧できなくなったようである。

 

いく子は、自分の本領を発揮しはじめた。がそのことが、「モダンダンス」を呼称する、江原先生との差異を、意識させられはじめることになった。そのことが、ほんの五日の間しかおかれていない二つの公演の比較において、歴然としてくる。そして翌年の公演において、おそらく決定的になったとおもわれる。

 

世代の差なのかもしれないが、江原先生には、核となる幻想、幼少期に夢見られるようなファンタジーが生きられ、反復される。98’21日「キャンプ」の舞台想定は、ヘンゼルとグレーテルや、赤ずきんちゃんをおもわせる、ドイツの森の中、夜、であろう。いわば、閉じた空間である。最後の場面、赤い炎とも血ともおもえる光の中で、ダンサーたちは、痙攣のような動きをつづけ、細い長い綱に赤い三角の旗のようなものを、江原先生が袖から、いかにも重そうに引いてあらわれて、終幕へとむかう。これは、江原先生の幻想が、揺らいでいる、それは自己の核としての夢であり、創造力の源泉なのだが、自分を重くし、ひきつけをもおこさせるものであることを、先生は感じ取っている。が、そこから、出る、という発想はない。あくまで、そこを表現する、という枠の中にとどまっており、それ以外の発想を、知らないようでもある。

 

が、より若い世代のいく子は違ったのだ。彼女の幻想の核は、引き裂かれており、社会の外へとひきずりだされているのだ、そのことを、意識として、突きつけられていることを、感じざるを得なくなっているのだ。

タイトルは、ニュージーランドの女性監督が作った映画からとられている。その映画の内容自体が、精神病院におくられる女性作家の話である。いく子は、もはや社会意識と作品と、自らの生き方を、要領よく振り分けて処世していくことはできない。彼女は、この自己分裂を、もう二人の個人として生きる女性ダンサーと組み、自分たちの個をぶつけあわせることで、その分裂した個々の衝突が垣間見せる、「リアル」な手ごたえ、生きた実感をつかもうとあがいているのだ。この「リアル」とは、いく子の言葉である。いく子は、すでに深谷正子先生の舞台に、こう疑問を呈してしる。<リアリティーって具象のことかな。抽象的なリアルって矛盾してるかな。>

 

いく子は、自分が何をはじめているのか、何をやっているのか、わからなかった。ただ、先生たちのいう「モダンダンス」とはずれていた。もはや、そこにはいっていくことも、とどまることもできなくなりつつあった。浅田彰や柄谷行人を読みはじめ、「ポスト・モダンって言いきれる人はうらやましい」とももらす。いく子には、そう言い切ることもできない幻想があり、自己が引き裂かれていた。いく子を評価した長谷川六氏には、それが見えていた。が、いまもなお、この亀裂からくるリアルをつかもうとするあがきを、ダンスの文脈においてうまく把握できている言説はないのではないかとおもう。長谷川氏は、柄谷行人や浅田彰がはじめた『批評空間』の前身である『季刊思潮』の創刊号に、ダンス批評を掲載した。が、彼女の言説では、この日本の思想ジャーナリズム界でも新しく台頭しはじめた言論空間に参入していくには、文脈の洗練さや、概念をつきつめるダンス界の批評の練度がたりなかった。だから、いく子は、もっと、自分を意識化してくれる、よその批評の言葉を欲したのである。それが、彼女がNAMにいく伏線だった。そして、江原先生や、その舞台にも参加してくれた、年上のおそらくはやさしい男性との別れの伏線でもあった。その二つの別れは、彼女にとって、思想的には同じことであった。父性的な抱擁さのなかにとどまり、自分をおしとやかにならしていくことは、ひとつの規範、モダンなるものを受け入れ、あきらめることにしか、彼女にはならなかった。もう、退行ができないところまで、彼女は歩みをはじめだしたのだ。

しかし、なおこの年、翌年は、葛藤の中であったろう。おそらく、彼女の方から、よりをもどそうと、花束をもって男のもとへ訪れたかもしれない。江原組の演舞にさそって、一緒に公演したかもしれない。二人で、舞台を作ったかもしれない。が、いく子は、あともどりできなかった、しないことを選んだ、ということになるのだろう。

彼女は自分のことを、「自己不確定性精神病者」と呼んでいる。

 

この舞台は、相当な強度と抽象度をもった、奇跡的な傑作である。江原先生の舞台を超えてしまっている。江原先生が、この一年程のち、まるでこの舞台の影響を受けたかのように、四人のダンサーを使う(いく子もふくまれる)抽象的な作品を作っている。がやはりそれは、具象的なストーリー性に回収されてしまう、安定的な調和、各人の対称性を保持している。(が、その枠を踏襲しながら内側から破っていく回路もがあることを、そこに参加する一人のダンサー、ひはるさんの演技が示唆するのだが、それは次のブログでの解説になるだろう。)

 

みんなすごいな、と思ってみていたら、あれ、このパントマイム、さくらさんじゃないか、あれ、この黒いダンサー、詩穂さんじゃないか、と気づいた。どちらも、付き合いが長くつづいて、私が知っている人たちだった。さくらさんは、今でも現役。詩穂さんは、交通事故にあってダンスはできなくなったが、岡山県で和紙職人のところへおもむき修行、3年目で独自の創作和紙を生みだし、現在も工房で活躍中だ。それと、朗読をしている男性。すでに当時アニメの「ドクタースランプ」の声優として採用されていて、のちに、「ドラゴンボール」などでも役をもらったらしい。いまは、ブックオフのベテラン店長であることが、スマホ検索から知れる。配布されたチラシには、ローリー・アンダーソンの「ストレンジ エンジェル」が翻訳されているが、その翻訳者を含めて、みないく子の友人・知人たちである。

 

「エンジェル アット マイ テーブル

  振付・出演 星野詩穂 山本さくら 山田いくこ

  朗読    吉本収一郎

  美術    平野美智子

 

ストレンジ エンジェル

  歌詞  ローリー アンダーソン

  訳   久喜はるみ

 

天国はTVみたいだという

小さな、完全な、世界

そこではあなたはそんなに必要とされていない

そこにあるものはすべて光でできている

日時は過ぎ去りつづける

ほら天使たちがやってきた 天使たちがやってきた

ほら天使たちがやってきた

 

運が悪いのを拡大したみたいな日

友達が夕食にやってきて

その夜は冷蔵庫を空っぽにし

またたくまにすべて食べつくした

そして居間でずっとおきていて

夜じゅう叫んでいた。

 

ストレンジ  エンジェル ― 私だけのために歌っている

昔の話 ― 頭から離れない

これは全然

私の願っているものではない

 

私は4つのドアの、外に、中に、いた

羽毛の上着を着て

見上げると、そこに天使たちがいた

何百万もの小さな涙

ほんのちょっと、そこでためらって

私は笑っていいのか泣けばいいのかわからない

それで自分にこう言った

次の大きな空は?

 

ストレンジ エンジェル ― 私だけのために歌っている

天使たちが動くとその一片一片が

私の上着にふりそそぐ

雨のようにふりそそぐ

ストレンジ エンジェル ― 私だけのために歌っている

昔の話 ― 頭から離れない

何かが大きく変わろうとしている

ほら天使たちがやってきた

ほら天使たちがやってきた       」

 

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