2024年1月25日木曜日

山田いく子リバイバル(7)


 ・199783日 「レストレスドリーム」 

※残念ながら、おそらく最初のスペイン語の曲が著作権にひっかかって、削除されてしまった。また、いく子のダンスタイトルは上のようだったようで、「ルーシーの食卓」とは、ダンス機構主催、松村とも子企画制作の、この公演全体の題名だったようだ。天王洲アイル
駅近くの、アウフィアメックスという会場でおこなわれている。そしていく子のノートに貼り付けられたチラシによれば、衣類を広げていく二人の共演者は、亡くなるまでつきあいの続いた、堀江さんとひはるさんだった。

 

(6)で紹介したハット帽子ダンス「I asked to Summer」より、一月まえの作品になるようだ。

 たしか、ダンス評論家でもある長谷川六さんが、衣類を広げるいく子のダンスをみて、彼女の意義を理解した、みたいなことを私に言ったことがあったが、この「ルーシーの食卓」と題されたこの公演のことなのだろう。しかも、その一月後に、あの飛躍を刻印したハット帽子の演技をおこなうのであるから、彼女は、ダンサーとしては、充実した集中力を持てた時期なのだろう。江原組に入り、気の合う仲間もでき、その組みの踊りだけでなく、自分の創作にも打ち込める。

 

この舞台で、いく子は、何を表現したかったのだろう? この演技を録画したVHSビデオは、何本かあるのだが、そのうちの一本に、同じ公演での、他の女性ダンサー二人の演技のものが収録されていた。おそらく、いく子が自分のものと、彼女たちのものをも動画におさめさせて保存したのは、自分と似たものを、彼女たちの公演に認めたからであろう。

 

似ているからだ。どちらも、日常的な世界の一部を切り取って、素材としてアレンジしている。そして、「運ぶ」という動作を他者の演技として背景に持つ、ということだ。

 

二人ダンサーでは、一方が、突っ立ちながら、菓子パンか何かを、ポリポリ食べている。その背後で、もう一人が、段ボール箱みたいなものを、室内の外へと通じるドアから、入ったり出たりしながら、舞台の真ん中へんにある机に、重ねるというか、置いていく。そういう行為を骨格にして、断片的な、ダンス演技が披露されていく。

 

いく子のはどうか?

 

スペイン語の「エスペランザ(希望)」と歌われる曲で踊りはじめる彼女の背後から、やはり、二人の作業服を着たものが、両腕に、シャツや上着などの衣類を抱えて、床に山にしていく。それを、舞台の外へと通じるドアから、行ったり来たりと、舞台のあちこちに山ができあがるまで、繰り返すのだ。

 

そして、どこか破壊的なノイジーな音楽に変わって、いく子も、飛び蹴りや、彼女は高校部活でハンドボール部だったから、そのボールを投げる動作を、繰り返す。あの、上に振り上げた両手を、床に叩き落とす表現もみえる。が、おそらく、同じ日に2回公演したものと思われるが、一回目では、手が床についておらず、どこか、ラジオ体操である(両手を使うのが大変なので、片手投げになった、ようにもみえる)。が、二回目の公演で、はっきりと、床に両手が着かれた。が、またその力は、弱い。その間、作業員の二人は、山になった衣服を、一着一着手に取って、広げ、床にならべるというか、広げはじめるのである。

 

そんな中で、また、音楽が変わる。イスラム教のような、祈りの文句をとなえた曲が流れる。いく子も、祈りのようなポーズを連想させるフォルムをつなげながら、しばらくして、衣服を広げる作業員とともに、静かに、ゆっくり暗くなっていく舞台の闇に消えていく。

 

タイトルには、「食卓」とある。食べる、着る、つまりは、日常にある現場、労働の、仕事ある生活。しかしその普通な表象の背後では、ゴミ捨て場のような山ができていく。それは、乱雑に、拡張されていく。その間を、狂ったように走り回る。――テーマは、明白になる。希望、破壊、祈り……今の世界、そのものだ。

 

1997.8.3 山田いく子ダンス「ルーシーの食卓」 (youtube.com)

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