2024年1月31日水曜日

山田いく子リバイバル(8)ー2

 


いく子の「エンジェル アット マイ テーブル」は、賛否がわかれたようである。

昼の部では酷評され、夜の部では、賞賛されたと、友達に報告している。

昼の部では、美術を担当している人は、日中は用があったのだろう、参加していない。その代わりなように、朗読をしていた男性が、壁にポスター大の紙を壁に貼り付けてゆくようなことをやったのだろう。そしてビラを客席に配るのだから、どこか、まだ立て看板がキャンパスにあったときのような、学生運動の雰囲気がでていたのだ。だからなのか、この作品は、「60年代、70年代を思わせる」と批評され、「過剰である」という言葉で評価を受けたということである。

しかし、どこかアングラ芸術をたしかに思い起こさせながらも、それとは質も思想も違うだろう。いく子は、「権力への抗議」をすることによる「連帯」など思いもしない、と言っている。ただ、「アンチ主流派のダンス」として「押し切った」だけだと。そしてその年代と「共通項」があるしたら、「言葉を武器にしたってこと」だと言う。

 

男性の朗読はいらなかったのではないか、と共演した他の二人、詩穂さんとさくらさんは言ったそうである。いく子はこの意見に組しない。私の印象でも、朗読がなかったら、ちょっと拍子抜けした部分が目立つことになったとおもう。が、それ以上に重要なのは、やはり、夜の部、ソワレでは出演できた平野美智子さんの、美術制作の現場の背景があることだ。鮮やかに赤く伸びる布、山のように積まれる黄色いリボン、こうしたきらびやかな趣味に、いく子のミーハー的な、芸術鑑賞好きな志向がでている。それこそが、たとえば民俗学者の大塚英志が『彼女たちの連合赤軍』で抽出してみせた、そこに参加した女性たちに芽生えていた女性意識であり、彼女らを惨殺してしまった永田洋子自身にも萌芽し、自己抑制したものであったろう。いく子はその無意識な時代の重なりと感触を、小倉千加子の本から感じとっていただろう(若い頃の日記では、この「ミーハー」という言葉をめぐり、妹と言い合っうときもあったようだ)。そしていく子の時代では、もうそんな女性意識は、抑制すべきものではなかった。むしろそれこそを、「権力」ではなく、より内在し無意識に制度化・身体化された「システム」(いく子はこの言葉を使う。たぶん、村上龍系譜だとおもわれる。)への抵抗の基点としたのである。

 

<私は女子供の世界というところに足がかりをとっている。男性を起用したって愛だの恋だのなんてやる気はない。死んだってやらない。(もっとも振り付けられたら喜んでやっちゃうけど。)女子供の世界に押し込められている女性の現状っていうことをこの人どう思っているのだろう。年齢を重ねることの良さって、この人はダンサーの若さ美しさと活筋性をみてるってことの裏返しで、これはそのまま女性のステレオタイプな見方にすぎない。>――いく子のの舞台を評した批評家に対していった言葉である。

 

この舞台には、深谷先生や江原先生も来ていた。いく子は、そんな批評家たちの言葉ではなく、江原先生や(長谷川)六さんが自分を認めてくれた、その一事で頑張れてるのだと、友達に訴えている。

 

おそらく、江原先生は、このいく子の葛藤を理解していたと思う。江原先生は、まるでこの直情的ないく子の思想に、翌年、応答するような、ベタな振付、舞台で、女性の現状を告発しているからだ。

0 件のコメント: